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俺の追憶、憤怒のローグ その3


 幽閉された牢獄の中は暗く冷たく、えた匂いが漂う。家畜の小屋よりも酷い。

 食事は口にするには味も香りも苦痛で、当初は吐き出してしまった。人が食べるような物では無かった。

 看守は嬲る事が生きがいな人種で、青年も鞭で背中の皮を一部剥がされた。


 それが新たな青年の日常。終身刑が処刑よりも辛い刑と言われる所以ゆえん


 武具は取り上げられ、資産は奪われ、貴族としての地位も剥奪。秘跡ミサという特殊な祈りで、レベルまで振り出しにされた。

 貴方の行いは主も見ているからこれを機に悔い改めなさい、そんな俺の力を奪った教会の司祭の有難いお言葉には自由であった脚で蹴り飛ばしてやった。そのせいで鞭を受けた。


 そうして一度に降りかかった出来事は、青年を打ちのめす。

 かつて希望の炎とすら謳われた彼も今や何の値打ちもない燃え滓だ。


 何の未来もない幽閉生活。孤独と狭い空間では考える時間が膨大にあった。

 どうしてこうなってしまったのだろう。青年はこの誰も答えない問いかけを牢獄の中で幾度となく繰り返す。百を数えた後はもう覚えていない。


 国に従事し続け、人に感謝されるように危険な魔物を倒して来た。それは死と隣り合わせの世界だった。

 けれどもたった一度の失敗で見込み無しの烙印を押され、誰もあの兄の暴虐を信じようとはしない。

 何人もの候補の中で彼こそが将来勇者になるに違いない、と。背中を応援されていたのに。今や代わりに石が投げられた。


 見張りの噂話では既に代替の勇者が正式に就任したという。自分がそうなろうと目指した道は、別の人間が座ってしまった。


 こんな仕打ち、あまりにも不条理すぎる。このまま死ぬまで檻の中に閉じ込められていなくてはならないだなんて。惨めで、悔しかった。あんな奴等の為に献身的に働いていたというのか。


 男は疑問を抱き始めた。自分は使い潰される為の消耗品だったのか?

 不良の兆しが見えたことで取っ替えてしまわれるような、その程度の存在意義でしか無かったと決めつけられたのか?


 忍耐の日々は、転生者としての不条理の許容を越え始める。その経緯故に自死も許されない事情が、青年を苦境へ追い立て続ける。


 此処までの努力を否定されて、それでも大人しくしていろとでも言うのか。誰に何の権利があって自分を強制する。

 いつしか数年が過ぎようとした時、感情はやがてとぐろを巻く。怒りである。ひたむきな彼の努力に泥を塗った者達への、憤りは冷める事は無い。


 この激情が摩耗しないよう、檻の中に言葉を刻む。転生者として日本の文字で。ある時は爪で、ある時は錆びた鉄格子の欠片で。

 許せない。殺してやる。裏切られた。許せない。呪ってやる。全部奪われた。こんな世界もう嫌だ。俺が何をしたっていうんだ。許せない。滅んでしまえ。復讐してやる。この怒りはけして忘れない。許せない。忘れるものか。

 幾多の文字群は、床から壁、手すりにまで蟻の行列が這うように青年は恨みつらみをひたすら書きなぐった。この場所にいた事すらなかった事にされないように。

 沸々とした、溶岩のような感情が腹の内で蠢き出した時だった。


 クスクスと、社会と隔絶した世界で何処からか子供の笑い声が降ってきた。無邪気な声は複数に増えた。

 悔しい? 悔しいよね? 君は頑張ったのにねぇ。何も悪い事してないのにこんなの酷いと思うよ。君の怒りは正しい。


 誰だ? という青年の呟きは、誰にも反応されなかった。牢獄では囚人の独り言は日常茶飯事。ただ、その子供達の声は青年以外に気付いた気配もない。

 このままでいるのは嫌じゃない? 此処で死んじゃっても良いの? 悲しい人生で終わり?

 良い訳ないだろ! 怒鳴る青年に看守がうるさいと一喝。構うものかと、彼は無視した。


 だったら欲しい? 欲しい? 欲しいかぁい? 君の力になってあげようか?

 その返答から嬉々として申し出る。何をくれるというのか。声だけの子供達に惹きつけられていく。

 だが水を差すように看守が檻の前にまでやってきた。懲罰房への連行をちらつかせ、ニヤニヤと勇者になり損なった哀れな男を玩具にしようとする。

 復讐が許されるというのなら、コイツもその一人だなと青年は思った。話を聞かなかった騎士どもにも、そしてこれまでの活躍を帳消しにして恩赦すらなかった王族にも一矢報いてやりたかった。でも、そんな事をすれば……


 葛藤の最中、監獄で爆発が巻き起こる。粉塵を立ち昇らせ、目も眩む陽の光が青年を照らす。

 人の手によって起こされた騒ぎは、青年の良く知る者の仕業だった。


 こんなに長くなって、ごめん。無理やり開いた出口からそう言いながら手を差し伸べる女が謝る。


 少女から女性へと成長した猫種の半獣人ミリーが青年の元に駆けつけた。青年の脱獄を促す。

 その手を取り、青年は再び自由を手にする。当然それはペテルギウスの敵として付け狙われる事を意味した。


 王都を離れ、二人の逃避行は始まった。ある時青年は尋ねた、国を裏切って大丈夫なのかと。そこまでして、どうして助けようとしたのかと。今の俺には何もあげられるものはないと。

 彼女は自分の所在を独力で調べ上げ、脱出の為の計画に月日を費やした。勇者どころか貴族ですらなくなった囚人に、価値など無いと言うのに。

 

 あるよ? 私が貰いたい物をローはちゃんと持ってる。

 前と変わらないはにかんだ笑みでミリーは答えた。

 君の隣っていう特等席かな。


 彼女は少し照れ臭そうに、何もなくなった青年に変わらぬ想いを伝える。

 財産も、地位も、この女性は欲してはいなかった。ただ、傍にいたい。それだけの為に、犯罪を犯してまで男を助けた。

 君がいたから、私が今もこうしていられるんだよ。たとえ世界が君の敵に回ろうと、私だけは絶対に君の味方。


 その言葉に、青年は救われた気がした。色んな物を奪われた恨みと怒りは静まった。

 勇者になれなくても良い。ただ、彼女さえいれば良い。彼はそう思えるようになってきた。

 もうこれまでのしがらみは全て忘れ、二人で遠い地に移って生きよう。武具以外の取り返した私物を手渡すミリーの申し出に強く頷いた。


 子供の囁きが何だったのか分からぬまま、青年は新たな旅に出る。大きな目的もなく、誰に指図される訳でも認められるでもない。安住の場所を探す、自分達だけの為の旅であった。


 だが現実は甘くなかった。ペテルギウスは青年とミリーを指名手配し、賞金稼ぎや騎士の追っ手を差し向けていた。脱獄は王の面を汚した事に繋がる。だから容赦はしない。

 逃亡生活に襲い掛かる魔物や刺客との闘いで度々青年は足を引っ張ってしまう。長年の囚人生活と与えられたロクでもない食事で、彼は老人のように弱っていた。

 何より牢に入れられる前にレベルを初期に戻されてしまっている。だから闘えるのは実際彼女だけだった。


 それでもミリーは青年を守り続け、時に怪我を負いながらも付き添い続けた。男は無力さを恨んだ。

 力さえあれば。力さえあれば、彼女を守る事が出来るのに。


 そして、限界は訪れた。

 ドラヘル大陸まで渡れば、さしもの追ってはこれまい。あちらは未踏の大陸だ。そう考えて港への移動をしようとアルデバラン領を経由してリゲルに向かおうとした頃の出来事である。


 野営の準備の最中、夜中までの移動が災いして盗賊が襲って来た。数の差と不意打ちで、二人は窮地に追いやられる。

 偶然か必然か、戦闘に乗じて凶刃はミリーの胸を貫いた。崩れる彼女が倒れる事は、未だ闘う術を取り戻しきれていない青年にとっての終わりを意味していた。


 野盗は勿体ないことをした仲間に文句を言いながら、仕方なしに倒れたミリーから金目の物を剥ぎにかかる。

 目の前で恋人を傷付けられ、線の切れた青年は吠え猛る。剣を振るうも、集団でかかられてはレベルの低くなった彼では太刀打ちできない。


 安っぽい折れた剣は虚空を飛び、背後から鈍器の殴打を受けて抑え込まれた。無力だった。元勇者がこんな連中に手も足も出せずにいる。

 ありったけの罵声を周囲に吐き、返事を求めて倒れた半獣人の名を呼ぶ。下卑た連中の嘲笑が頭上で沸く。

 死に掛かったミリーの尊厳を奪う行為の提案を冗談交じりに取り巻きが囃し立てる。獲物を獲った宴の生け贄に、彼女を用いて披露しようなんて言い分を耳に青年は怒り狂った。


 地を引っ掻いた。喉が潰れそうな程唸った。獣のように身をたわめて這い上がろうとした。数人がかりでそのもがきを抑えられた。


 酷く抵抗すれば、当然大人しくさせようといくつもの靴底が背中や頭部に落ちて来る。土と血の味が広がり、色んな要因で熱が氾濫した。男はそれでもやめなかった。殺意を口にし続ける。もう己が息を止めるまで収める気は無かった。

 我慢の限界か。黙らせる為に、そのまま頭を鉈で落とされそうになった瞬間、あの声が来た。


 欲しいかい?

 ああ……欲しい! 殺す! 殺してやる! コイツら全員皆殺しにしてやる! どんな手を使っても殺してやる!

 コイツらを殺す為の力が、誰にも負けない力が欲しい。

 願いの返事を聞くよりも早く、青年の首に刃物が落ちた。



 気が付けば、周囲は血の海に成り果てた。盗賊達の原型は、カエルに爆竹を突っ込んで破裂したみたいに殆ど残っていなかった。自分でも熱が入っていて何をしたのか分からなかった。

 彼の中にはただ、修羅の如き熱気が潜んでいる。両拳は血で塗れ、乱れた荒い呼気が無意識に漏れる。


 しかし、その熱は傍らから聞こえる呻きで霧散した。か弱い、女の声だった。男を微かに呼ぶ。


 弾けるように青年はその場に駆け寄った。

 離れた地面で、浅く息を繰り返すミリー。青年は彼女を抱き上げた。

 ミリーは微笑んだ。これまでの事のついでに、私のことも忘れて。荒い息を抑えながら、彼女はそんな事を言う。


 いやだ。いやだ。死ぬな。死ぬな。せっかく会えたんだ。もっと一緒にいようって決めたばかりじゃないか。

 嫌だよミリー。お前のおかげで前を向いて生きようとしたのに……


 嗚咽する青年にミリーは優しく頬をなぞる。

 昔言ってた、天国に行く話、覚えてる? あんなことした私も、行けるかなぁ。

 ああ、行けるとも。でも今じゃない! お前はまだ--

 青年が言い切る前に、猫人の彼女は浅く息をついた。


 そう、よかっ、た。

 その一言を最後に、彼女は動かなくなった。

 温もりが、消えていく。


 男の絶叫は、虚空に長々と響いた。肋骨を裂かれて吐き出すような、痛ましき悲鳴。心の支えを失った彼は、自分がもう立ち直れない事を悟った。

 ただ動かない亡骸に顔をうずめ、しばらく動けずにいた。


 時間は経ち、それから青年は現実を受け入れられぬままミリーを埋葬し、簡略的な墓を建てる。通りすがる者には、誰であるかも分からないだろう。この世界の外の墓標は、大概そんなもの。彼女も有象無象のひとつでしかなくなる。


 ミリーの荷物も、野党の武器も、男は手をつける気にもならなくなっていた。そこまでして、生きていようという気力は持っていなかった。このまま野垂れ死んでも良い。本気でそう思っていた。


 やがて茫然自失としたまま、ふらふらと宛もなく歩き続けた。気付けば目指した道と真反対の所へと戻っていた。数日前に自分達が寝泊まりした洞窟を目にした。

 そこで焚き火を起こしていたミリーの姿を思い出し、胸が潰されそうになってよたよたとその場から離れた。


 何もする気が起きぬまま緑の丘に座り込んでいると、それはやってきた。黙り込んでいたと思わしき、子供の声が告げる。

 おめでとう。憤怒イーラのローグ。君は見事にやり遂げた。

 意味も分からぬまま、声はただ知らせる。

 問い掛けに答えたことで力を与え、あの盗賊達という生け贄を殺めた事でトリガーを引き、僕らの同胞になったんだよ。さぁ、始まるよ。


 彼の身体に異変が起こった。激しい激痛と熱が、襲い掛かる。男は苦しみに吠えた。

 骨格が無理やり形を変えて行き、肉がふやけて蠢いた。焦げ茶の髪はごっそりと抜け落ちる。


 やがて、青年は自分が腐敗していくおぞましい体感をすることとなる。人という原型が、崩れていく。

 名を捨て、以前の自分を捨てよう。声はのたうつ彼を激励する。

 まるで繭の幼虫が自身の身体を熔かして成虫になるように、人から何かへと青年は形を変えた。みずほらしく、見る影もない緑色のちっぽけな怪物に。

 それは冒険者達の中でも下等と呼ばれた魔物。


 うーん、思ったよりしょぼくれたなぁ。

 まぁ良いかと、男を次の段階に導く。


 さぁ、後は仕上げだ。仕上げ仕上げ。仮名に続いて君に真名を与えよう。何が良い? やはり憤怒イーラのまま? 怒りを力に変える名で良い?

 ふさがった喉が通った事で、青年だった者は咳き込みながら呻く。

 イら……い。

 え?

 いラ、ない。いらない、よぉ。


 喪失感に襲われた彼は、全てを拒絶した。子供の誘う声に、頭を抱えた。

 何も考えたくなかった。今までの出来事が、彼を苦しめる。きっと死ぬまで続くだろう。

 耐えられない。耐えられる訳が無い。だから男は気付いた。


 そうだ。全部無かったことにしてしまおう。思い出も、過去も、存在も。元から無かった事にすればまたやり直せる。彼女もそれを望んでいた。

 自分の中の可能性を手繰り寄せ、青年は堕落の力を行使する。


 これは、失敗だな。失敗作。失敗失敗。もういいや。

 呆れたような子供の呟き。それから囁く声は聞こえなくなった。


 構うことなく、男は名を捨てた。自分が何者であったかも捨てた。思い出も捨てた。後に反逆者と呼ばれる力によって、男を知る者の記憶からも消す事が出来た。もう、彼が人であった事をこの世で覚えている者はいないだろう。


 そうして男の第一の人生は幕が降りた。




 そして、第二の人生はゴブリンから始まる。

一応時系列として

一話→今回の回想→二話となっております


次回更新予定日、4/29(土) 10:00

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