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俺の勃発、夫婦喧嘩

 それからマウントを取り、俺の胸倉を掴み上げる。

 頭突きでもかまそうでも言わんばかりに、荒い息が掛かる程の距離で彼女は睨みつけて来た。


「ど、どうしてお前が此処に……!? 来るには早すぎるだろ!」

「オブシドが伝えてくれたからのぉ。間に合って良かったわい。じゃが儂は今徹夜しとるんでのう、穏やかに説得は出来んぞ」

 押し殺した声音で告げる。俺は瞠目して、アルマンディーダの後ろで事を見守る黒き竜人を見つけた。

 口止めしたというのに、まるで俺の頼みを無碍にされている。


「オブシド! 誰にも言うなって言ったのに……!」

「はっ。確かに仰せつかりました。このオブシデアドゥーガ、グレン殿の頼みとあらば主君に問われようと口を堅く尊守する次第で」

 恭しく頭を下げてオブシドは悪びれもせず受け答えた。


「ですから、私はお伝えするのに口ではなく簡単なふみを姫様に送ったのです。勿論その内容は貴殿の行動について。口止めはされましたが、筆を禁じられてはおりませんでしたからな」

「完全に屁理屈じゃねーか!?」

「おやおや、どうやら私もグレン殿に感化されてしまいました様で」


 ちくしょう! 信頼できると思って託した途端、速攻裏切りやがって。

 せっかく黙って此処まで来たというのに、そのせいで追いつかれた。

「しかしグレン殿も詰めが甘い。貴殿の犠牲だけで本当に全てが解決するというのは少々楽観的であるかと。もしおっしゃられる通りだったのなら、私は差し出がましい真似をするつもりは毛頭ありませんでしたが」

「どういう……」

「ぬしの相手は儂じゃろうがっ。それにしてもおぬしという奴は--」


 身体を揺さぶり、無理やり自分に意識を持ってこさせてアディは糾弾する。

「勝手に思い詰めて、挙げ句死を選ぶとはのう! 皆の事も考えんか! どれだけ心配したと思っておる!? どれだけこの胸が引き裂けそうになったかおぬしに分かるか!?」

「考えてたよ! でも仕方ないだろ! こうするしかなかったんだ!」


 初めて、俺達の夫婦喧嘩が勃発した。でも、俺も譲れなかった。

「紛れもなく、今回の問題は俺が原因なんだ。この事態を抑える為に、尻拭いをしなくちゃならねぇ。俺にはそうしないとならない程の事をしでかした。でも、俺の為に周りを巻き込める訳がないだろ」

「尻拭いじゃと? 一人で首を差し出す事がかの!?」

「だってそうだろう。こうなったのは元々、俺が余計な事をしたせいだ。あの勇者の横暴に耐えられなかったのがそもそもの間違いだった!」

「あやつは相応の仕打ちを受けただけじゃ! 根本的な問題は国王の手のひら返しであろう?! そんな事を言っては被害を受けるだけ受けて泣き寝入りするところであった!」

「ああそうだよ! 泣き寝入りで良かった! でももう遅いんだっ。行かせろアディ、それで事が済む!」

「それは儂らとの生活を捨ててまで為すべき事か!? どうでもよいのか!?」

「どうでもよくねぇよ! 手放したくねぇに決まってる! でも、俺だけがのうのうと今まで通りに暮らすだなんて虫のいい話にも程があるだろうがッ!」


 初めてだった。こんな激情を彼女にぶつけたのは。

「自分がやらかした事で、大勢が不幸な目に遭う現実から目をそらせるか? 無関係な人々を蔑ろにしてまで、何事も無かったみたいに俺だけ生活していけるか? いいや、無理だそんなの。俺自身が許せない」


 行かせまいとしていた竜姫に俺は嘆願する。

 今からでも遅くは無い。急げば猶予までにペテルギウスへ辿り着く。

 これが最後のチャンスだ。


「だから罪滅ぼしをさせてくれ。俺一人なら、戦争にならない筈だ」

「罪滅ぼしじゃと? はん、そうか」

 すると俺から手を放して彼女は立ち上がる。冷たい視線で俺を見下ろす。

「良いじゃろう。ならば、オブシドが言おうとした事を教えてやる。ぬしの想像の欠如じゃ。おぬしの言う通りにして全てが解決するのなら、こやつも黙秘したであろう。じゃが、そうは問屋が卸さぬぞ」


 竜人としての脅威を知らしめる様に両翼を広げ、彼女は続けた。

「儂がもしおぬしを止められなかった時、ただ枕を涙で濡らすだけで終わると思っているのかえ? 本気で、それで済むと? 儂が黙っていると?」

「なに……?」

「処刑されたぬしの首が、ペテルギウスの民衆の前に曝け出されているのを愛する儂が許すと思うか? この様な不条理を強いて、醜きゴブリンの亡骸だと指を差し、嘲笑う民衆などけして無辜の民とは見ぬぞ」


 想像がついた。繰り返す気だ。レイシアの町にも降りかかった、竜の戦火を。

「儂だけではない。火の国トゥバンの者達もぬしを理不尽に殺した者達を許さぬだろう。さぁ戦争は起きるぞ。憎悪と憎悪が繰り返された、血みどろの戦じゃ。いずれは神炎(ヴァドラ)を用いてペテルギウスを焼くじゃろう。たとえおぬしがこのまま処刑されに行こうとも、それだけでは終わらぬと断言しよう」

「よせ、やめろよ。俺はそんな事を」

「よせは通らぬであろうグレン。儂の懇願を蹴るなら、儂だっておぬしの懇願を蹴る。たとえ儂自らが災禍になろうとも」

 怒りに染まりながらも冷酷に言い降す角、牙、羽、尾を出しているアルマンディーダの様子は、ドラゴンというより悪魔の様だった。ドラゴンも一説では悪魔あるいはその使いの一種であるという話を片隅で思い出す。


 その行く末は更に耐えがたい。彼女が、暴虐の竜になるという事だけは。それじゃ本末転倒だ。


「さぁ! これでぬしの行いは単なる問題の先延ばしだというとこじゃ! それでもくか!? 向こうの気の済むままに委ねても状況が変わらないと知った上で!」

「駄目に決まってるだろ!? これ以上争いなんか起こしたくねぇのに! そんな余計な真似はありがた迷惑だ! 俺の必死の覚悟を--」

「何が覚悟じゃ!?」

 地べたに座る俺と竜人の姫の問答が続く。まるで犬同士が間近で吠え合う様な激しい有り様だった。


「覚悟? 覚悟! 笑わせるな! これ以上ぬしの逃避に付き合うのも御免だと言っておる! だからこの場で向き合わせる! そうでもせねばぬしはいつまで経っても理解など出来ぬであろうからのう!?」

「逃避だァ!? 責任もって死んでやるって言ってるのにそれでもまだ足りねぇってのかよぉ!」

「それを責任を取るとは言わんのじゃっ!」

 以前も夢うつつに聞いた言葉は、現実にも迫った。

 俺は愚かにも、理解者に対して口論に応戦してしまったのだ。それはさっきの俺を笑った騎士達の様に、無理解な連中とは違って煙に巻くことが出来ない。


「死ねば罪滅ぼし!? 馬鹿か! 単なる思考の放棄を自死にこじつけておるだけじゃろうが! それに首を差し出せと言うのも奴等の言い分であろう! 罪だ悪だと決めつけたのはぬしではなく向こうじゃ! のう!? ぬしは自分の行いに失敗と過ちとの区別がついておるか!? まんまと本音を隠す為に問題を混同させるでないわ!」

「建前だって言いたいのか!? 本音に決まってるだろ!」

「いいや! ぬしは楽になりたいから死を選んでおる! おぬしは己が状況の悪化によって孕む苦痛を恐れている。その場しのぎで問題の先延ばしをしようとしたのが何よりの証拠じゃ! 儂には見え透いておるぞ! 分かっておるか!? グレン、おぬしは儂らに恨まれるのが恐ろしくて逃げたんじゃろうがっ! それを! 逃避と言わず何と言うか!?」

「っ」

 感情の猛攻は、俺の臓腑にまで到達した。

 無意識にひた隠しにしていた心の弱所。俺はああだこうだと理屈を付けながらも、断頭台に向かう事だけで済ませようとした。そうするだけでかっこをつけて責任を放り出すつもりだった。

 彼女はそれを看破している。だから、俺に勝ち目など無い。


「逃げるというのは後ろめたいという想いから成る。じゃが、ぬしの勇者討伐は過ちか? 横暴を働き、愛した女を取り上げようとした輩に応戦した事を、そんな人ならば当然の事を罵る者の言葉を真に受けておるのか!?」

「……それは、やむを得ないから、だろ」

「ああそうじゃろう。権力ならば覆されよう、地位によって黙殺されるであろう。しかし重要なのはそこではない。ぬしの気持ちの方であろ?」

「俺の、気持ち……」

「悔しいであろ? こんな不条理を突きつけられて、憤らぬ方が難しい筈じゃ。その感情を殺して、本当に()いのか?」

 少し、熱を下げてアルマンディーダはそのまま続けた。


「納得がいかぬ事には立ち向かわねばならぬ時がある。今はそうではないのかえ? なのに、ぬしはただ大人しく流されておる。儂からすると、今のおぬしは負け犬にもなれぬ腰抜けじゃ。目も当てられぬ」

 忌憚のない言葉は、俺をどん底にまでへこませる。俺も肩の力が抜け、打ちひしがれた。

「自分が本当にやらねばならぬ事と向き合う事が大事なのじゃ。痛かろうと辛かろうと、な。死ねば何でも解決するなどと、そんな浅はかな考えを持つでない」

「……」

「代わりに胸を張れグレン。己の尊厳を守り通せ。ぬしはゴブリンであろうと何であろうと、儂らは気にしておらんじゃろ? 今回の騒動でもそうじゃ。儂らはぬしの行いを悪であるとは思わぬ。逆恨みをする可能性があるなどと見くびるでないわ」

「だったら……だったらどうしろって言うんだよ。無意味に血を流すだけの戦争だ。話し合いの場も設ける事も出来ていない。避けられないのに」

「グレン」

「俺がいると皆が傷付くんだ。一匹のゴブリンのせいで大勢人が死ぬんだぜ? 馬鹿げてるよ。無茶苦茶だよ。耐えられねぇよ、皆がそれで苦しむなんて。そんなの怨まれて当然だ。ああ、そうだ。お前の言う通り、怖いんだよアディ。『お前さえいなければこんなことにならなかったのに!』と言われるのが。俺が積み上げて来て、ようやく認めてくれた奴等に憎まれるのが、たまらなく怖い……」

 身の丈を遂に吐き出した。それを受け止め、彼女は頷く。

「どうしよう、俺はどうしたらいい? 何をすれば赦されるんだ。こんな事態を引き起こしておいて、他に何も思い付かないんだよ……」

 それから力なく項垂れる俺の肩を持ち、そのまま立ち上がらせた。


「よう言った。自分を責めるな、とは言わん。ならば、一刻も早く止める為に闘え」

「犠牲を減らすのに、闘うのか?」

「そうじゃ。矛盾してるやもしれぬ。少しでも多くの犠牲者を出さぬ様に、普段の賢しい発想で抗うのじゃ。今のおぬしの最善を目指してくれ。大丈夫。誰がどう言おうと、儂はおぬしについておる。こんな、自分を捨てる様な真似で投げ出すでない、ぞ……」

 抱擁するアルマンディーダ。怒りが引き、やがて震わせ始める。この先は、一人の女としての私情。


「……儂だって、怖い。こんな、こんな憎悪を含めた争いは嫌いじゃ……もう兄上スペサルテッドとの殺し合いだけで充分……そんな物はもう体験しとう無かった。儂がするのは、皆が笑顔になる為の闘いであったのに……!」

「アディ……」

「じゃがっ……それ以上に、儂は、儂は、おぬしがこの世の憎悪のはけ口にされ、殺される事の方が受け入れられぬっ。それで不幸が呼び起こされるのだとしても……無益な戦争であると分かっておるとしても……! グレン、おぬしだけは……こんなに早く離別など受け入れられぬよぉ」


 最低な我儘じゃ、そう評した彼女は俺の腕の中で寒さを堪える様に埋めた。

「……じゃから、くれぐれも儂から敵の民を守ってくれ。そうすることで、ぬしも皆も救える」

「……うん」

「パ、パパぁ」


 遠巻きで見守っていた仲間達の中で、我慢しきれずに飛び出す少女がいた。

 トリシャだ。碧い瞳にこんこんと涙を溜めて、一目散に駆け寄って来る。


「死んじゃ嫌だ! 死んじゃダメ! ごめんなさい、ごめんなさい! トリシャが余計な事を言ったからパパは! あぁぁぁ! ごめんなさぁい! 行かないでェ! トリシャを置いてかないでぇぇ!」

 取り乱した少女は、アルマンディーダの横から抱き着き、嗚咽ながらに訴えかける。

 俺は、この二人の涙を見ようともしていなかった。俺が起こした事でこうなる事は分かりきっていた筈なのに。

 これ以上の悲劇から逃げていたのだ。俺の起こす結果と向き合っていなかったんだ。


「ごめん。二人とも、ごめん」

 家族として、俺は自分の過ちにようやく気付く。取り残される者達の気持ちを、蔑ろにした事をその場で詫び続けた。


「トリシャ、約束する。俺はもうお前を置いていかないよ。これからは必ず帰って来る」

「うぅ……パパァ」

「父親失格、だな」

「……いいの。失格でもいいの! 傍にいるだけで充分だから!」

「そうか。アディ、悪かった。ほんとに迷惑かけた」

「……二度と、このような夫婦喧嘩は起こしたくないのう」

「俺もだ」


 そうして俺を引き止めた彼女達と共に、来た道を引き返した。

 最中で、この問題により真剣に向き合う事を俺は誓う。


次回更新予定日、1/29(日) 10:00

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