俺の決別、呼ぶは幼名
気が付いた時には、既に俺の身体は地面に倒れ込んでいた。
スペサルテッドを撃破した直後からほんの少しの間、気を失っていたらしい。地面から地熱が伝わってくるが、火傷する程では無かった。溶岩の活動が弱まっているのか。
両腕とも酷い火傷をした様な痛みがじんじんと脳の髄まで響く。左はスペサルテッドによって火傷が、右は神炎の付与の影響による物か見えない激痛だけが。
「ぐっ……」
ゆっくりと、這う様にして俺は身体を起こした。結構な高度から何のクッションも無い固い地面に落ちたのだが、何処も折れた様子は無い。
意識が無ければ硬御を使って受け身を取れる訳もない。どうやって助かったんだ?
ずしん、と見上げた視線の先に巨影が音を立てた。赤い竜の背中が見える。
竜化したアルマンディーダは、俺と同じように墜落したスペサルテッドの亡骸を見降ろしている。
「アディ」
「……」
返事は無く、長い沈黙が続く。俺は重い足を引き摺りながら、竜の元へと歩み寄る。
やがて、彼女は背を向けたままおもむろに語り始めた。
「こやつも元々は国をより良くしようと未来を語る立派な竜人じゃった。何処で踏み間違えたのか、民を見下し、人を見下し、私欲の為に王へとなろうと目論んだ。それも強者という性なのか。神炎などという物の味を覚えたからなのか。どちらにせよ恐ろしい物よのう、こうも人格を変えていくのか」
だから、と続けながら彼女はその歯牙を開く。
「もう、神炎は妾一人だけが一つだけ保有し、必要とあらばそれだけで管理していく」
竜の遺体に炎を吐き掛け、焼却していく。じっくりと、スペサルテッドの亡骸に火の手が回った。時間が経てばいずれ灰になる。
それからぐるりと振り返る。瞳孔の細い赤い瞳が俺を見る。
「そしてこの因縁も今日まで。これより妾がこの国の王となる」
宣誓だった。それからまるで威厳を見せつける様に大きな両翼を立てて、俺に言い降す。
「子鬼よ、戯れはもう終いじゃ。国に帰ると良い」
「どういう事だ」
「汝は必要ないということじゃ。早々に立ち去れ」
喉から獣に似た唸りが辺りに反芻する。獰猛さが、赤き竜の姿と相まって迫力があった。
王者としての、振る舞いだった。
「妾は変わらねばならぬ。トゥバンを守る為ならば、修羅にもなろう」
「それじゃスペサルテッドと変わらねぇじゃねぇか。方向性が違ってようと力に物を言わせてる時点で根本が同じだ」
「いいや。国と民の為に妾は身を削り、心を削る所存。滅びさせるつもりは毛頭ないわ」
「ちげぇよ。それは以前と同じ皆が笑い合える国だって事か聞いてるんだよ」
「無論。不幸にはさせぬよ」
「だから、そこにお前は含まれてるのか」
紅い尾が足元で鞭の様にしなった。これ以上踏み込む事は許さない、という警告の様に。
「身の程を弁えよ。王の御前であるぞ」
「……本気かよ」
「オブシドが言っていた。これまでの妾には王の資質が足りぬと。竜人として民を率いるのにふさわしくないのだと」
彼女が竜としての己を恐れ、何より実兄に怯える様な者が王たりえないとオブシドは看破していた。
「だが、兄はこの世から旅立ち、妾は完全な竜となりえた。これで足りぬのは非情さよ。肉親を終始手にかけられなかった妾は、同じ悲劇を招かぬ様に非情になる必要がある。これまでの自らの甘えを捨て去れば、完全な王になれる」
「はん」
俺は鼻で笑う。
「本当に非情になれるかねぇ。本気で俺を見捨てられるか?」
「力尽くを望むなら、実行してみせよう」
彼女の口元からチリチリと火花が散る。その気になればお前など一瞬で消し炭に出来ると言わんばかりに。
「あぁ、だったら俺とも決別していけよ。生半可に追い返すなよ。俺は、お前に言われて出ていくつもりはねぇ。今のお前からは逃げねぇ」
「フン、怖い物など知らぬようじゃな」
「王子をぶん殴ったんだぞ、それくらいでビビってたまるか」
アルマンディーダは焦土から離れた。空から距離を取る。
「よかろう。子鬼、汝の望みというのなら、全霊を以て叩き潰す。汝を乗り越える事も、王への試練というのならな。逃げるなら今の内だぞ?」
「ああそうしたいならそうしやがれ。俺は硬御も何も使わない。無抵抗で此処にいる。そっちこそ、まさか王になる者がこんな矮小な相手から逃げたりしねぇよな?」
ただ、と俺は言い加えながら懐にある物を取り出した。そして、掲げる。
赤い厚本。他ならぬ彼女の書いた日記だ。
それは、俺への想いも秘められている。
「こっちが本当のお前だろ?」
「……」
ひた隠しにする微細な変化を、俺は見逃さない。
「俺はお前から逃げたりしない」
「……それはただの一面。凶暴な妾を汝は知らん」
「どうかな」
俺は日記を持ったまま両手を広げ、無防備な状態のまま竜を待ち構える。
アルマンディーダは羽ばたき、勢いよく突進した。このまま撥ねられてしまえば間違いなく絶命する。
その危機の最中でも、その視線は離さない。目を閉じない。ただ見つめるのは、竜となった彼女の瞳だった。
「アディ」
そして彼女の角が俺を貫こうとする間際で、最後に俺は微笑みかけた。
「馬鹿者め」
あと数センチで届きうるほどの距離で竜は突進が止まった。寸止めだった。
俺を丸々と呑み込んでしまえる程の大きさの頭が、目の前にある。
「おぬしが死ねば、トリシャはどうなる。考えんか馬鹿者」
「信じてたさ」
赤い鱗に覆われた眉間に手を添える。堅くも滑らかで、美しい。
「お前はそんな奴じゃない。自分を偽って脅そうが、俺には効かないよ」
「何故、そこまで信じられた」
「瞳だよ」
瞬きをする彼女の紅い瞳。
「他人の目で人となりが分かるって言ってたろ? 俺は、正直その違いが良く分からない。でもな、同じだったって事は分かる」
「……何をじゃ」
「竜になったお前の目と、いつものお前の目は変わらない。今のお前も、いつものお前だアディ。だから俺は、お前を怖がらない。凶暴だとも危険だとも思わない」
瞳が揺れた。さっきも垣間見た、感情の動きだった。
「その、アディ、という呼び名……」
「ん?」
「昔、御爺様が名付けた、幼名じゃった。偶然にもおぬしは、儂を同じ様に、愛称として呼んでくれた」
巨竜が変化を及ぼした。普段の良く知るアルマンディーダの姿に戻る。
そのまま飛び込んでくる彼女を、俺は抱擁で受け止めた。
「強がるなよ。そんな事しても自分を追い詰めるだけだ。辛いだけだぞ」
「……弱さを見せつけてはならぬからじゃ」
嗚咽を堪えながらアルマンディーダは打ち明ける。
「母は弟を産んだ時に間もなく息を引き取った。兄も、弟も、父も、祖父も。皆、死んでしもうた。儂の家族は誰一人おらん。儂は、儂は一人ぼっちになってしもうた。王位を守らねば……一人で守らねばならぬ。このまま府抜けた覚悟では上手くいかぬことは明白。おぬしに縋ってはならぬ……だから」
「俺と袂を分かとうとしたんだな」
「すまぬ、すまぬ……。いつも中途半端で、捨てきれん……未練がましい女よ」
肩に身を預けた彼女は頷き、すり寄せた。その懐には原型の無い折り紙や蜻蛉玉を後生大事にしまっている。
「馬鹿だなお前。どっちが馬鹿なんだよ全く」
「王になど、なりたくはなかった。儂は兄弟の中では一番竜人を従える資質など持っておらんと自分でも分かっておった」
「ならなきゃ良い……と言いたいが、無理なんだろうな」
「それが儂が産まれた意味でもある。一族が途絶えそうな時の保険じゃからな。ああ、分かっとるよ。おぬしにはおぬしの世界がある。こればかりは巻き込めぬよ。だから、今だけ……今だけは、傍にいてくれぬか?」
この一時が今生の別れである様に、アルマンディーダは抱擁の時間を求めた。
了承しながら、俺は慰める。
「王だって誰かの支えはいるもんさ。一人でやっていける訳が無い。でもお前の周囲にはパルダやオブシド達もいる。民だってお前の味方になってくれる。そう気負わなくても大丈夫。大丈夫だ」
「そう……かのう」
「それに、また逢いに来るよ。トゥバンに」
顔を上げる彼女に、俺は希望を与えた。
「確かに俺は戻らないとならない。やるべきことがまだ残ってる。この呪いを解く為に色々動く必要があるし、トリシャも人間達の中で育てないとな。でもだからって俺は束縛されるつもりは無いよ。来たけりゃまた自分だけでもこっちに来るさ。こっちの飯は美味いんだ、それだけでも行く価値がある」
「グレン……」
「ま、まぁ、アディがそうして欲しいならって、話だけどな」
今までの心の張り裂けそうな喪失感はどこへやら、くつくつとアディは笑う。
「いつでも来い。すぐに立て直してこのトゥバンをより良い国とする。そしてこの前以上にもてなしてやるぞ」
「おう。皆も連れて今度は遊びに行かせてもらうよ」
そんな二人のやり取りの最中、神炎による活性が抑えられ、急激にマグマが鎮静しつつあるこの山頂に一匹の影が登り詰める。
「ひーめーさーまー!」
翼の無い四足竜が活気良く駆け寄る。一角の角を持ち、青い瞳をしている。
最初は、パルダが竜の形態になって押っ取り刀に駆けつけて来たのかと思った。
しかしその鱗は白を基調とした薄桜の色ではなく、黄色味があり別人だと分かった。
「パルダの色違いだ。レアモンだなぁ」
「あー! 良く分からないけど不名誉な事言ったでしょー!? 私の方がお姉さんなんだからねプンプン!」
跳躍して一回転すると、見覚えのある人の姿に形を変えて着地。
「トパズ、おぬし今まで何をしておった」
「おす。被害が及ばない様に退避しておりました! だってトパズちゃん、パルダやオブシドみたいに戦えないしー」
おい王族の付き人。こんな時に一人で隠れてたのか。
「んでも代わりにちょいと裏でこそこそやってたおかげで無事に事が済んだよ姫様」
「何じゃ、報告があるなら申せ」
「はいはい、もう隠す必要は無いだろうから、言うけど」
さっきまでふざけて敬礼ポーズを取っていた竜人の少女は、態度を改めて表情を変える。
「お二人ともご無事です。一部の兵と結託して誤った情報を伝令させ、こちらで保護させておりました」
「……二人、じゃと? だ、誰の事じゃ!?」
耳を疑う様に聞き返す竜姫に、トパズはよどみなく繰り返した。
「勿論、ガーネトルム殿下とペイローン王です。殿下は先に学楼塔で奪取し、陛下は撃墜されてはおりましたがまだ息があったところを確保。迅速な治療の甲斐もあって、命に危険はありません。直に目覚めるでしょう」
言葉を失うアルマンディーダ。宣告も受け、既に殺されていたと思い込んでいた父と弟が生きていた。
影で暗躍し、情報でスペサルテッドに偽りの情報を与えてたのか、この竜人は。俺も見ないと思っていたら、そんな根回しを。
「姫様。やっぱりね、兵達にだって素直に従うだけの者はいなかったんだよ。私達で死亡報告して、時間稼ぎをするつもりだったんだけど、姫様の方だけが殿下と近くにいるもんだからどうしようもなかった。グレン君、君のお手柄だね。本当にこの人が助かったのは君のおかげ」
「そうか、そうかぁ……。二人は、生きとったかぁ……!」
「本当に良かったな。これで少し悲しい事が減った」
喪失とは対局から来る感情が湧き、またや涙声になる竜姫。その間近で言葉を掛ける俺。トパズはそんな俺達を前にすごく言い辛そうに、
「あー、んー。でさ、私がいるのにそうしてて大丈夫?」
「え?」
「……えぅ?」
現在、アルマンディーダ当人の要望によって、ハグした状態でいる。そのままで普通にやり取りをしていた。
気付いた俺達は顔を見合わせた。息が掛かる距離だった。
バッ、と音が鳴りそうな程俺達は反発する磁石の様に離れた。アディの涙は引っ込み幾度となく咳払いを繰り返し、俺は怪我を自分で看て痛がるふりをした。いや実際に今も痛いのだが忘れていた。
「ゴホンゴホン! ああゴホンゴホン!」
「それにしても左肩のこれ火傷の跡残りそうだなー! 水の付与使って冷やしてみるかー!」
「いやぁお二人さーん。そういう仲だったんですかい? 旦那も隅に置けないねーニッヒッヒ」
などと大して俺とは慣れ親しいほどでも無いトパズが、からかう絶好の口実を見つけた様ににんまりとして近付いてきた。
無視だ無視! と、水の魔力を使って火傷の痛みを鎮静で抑えてみようと試みたところ、
突如ぐらりと視界が揺れた。平衡感覚がぐにゃぐにゃになる。ヤバイ、立っていられない。
「あ、ぉう……!」
「グレン!」
この感覚、身に覚えがある。しまった。魔力酔いだ。だが何故? 余力はまだある筈。水属性の鎮静による効果でもない。原因は一体。
しかもこれまで以上に酷い。疑問に埋没されていた意識が、遠のく。
「す、まん……落ち、る」
視界が真っ暗になり、自分が崩れる音を契機にその先の記憶が無くなった
次回更新予定日、10/15(土) 10:00




