俺の騎乗、ドラゴンライダー
眼前で完全な竜の姿と化した竜人の少女は頭を垂れる。
「今まで打ち明けずにいた事お詫び申し上げまする。あの時すれ違ったのは、私でした」
「そうか、いや逆に腑に堕ちたよ。どおりで凶暴さが微塵も感じられなかった訳だ。それでお前一人で山の傾斜を駆け降りて来たのか?」
はい、と白竜のパルダは肯定した。見た目は変われど、彼女であることは変わらない。
「皆様は城へと目指しておりまする。フェーリュシオルは今レイシア様が足止めを」
「何? アイツまさか一人でやり合うつもりか?」
「それが望み。敵討ちであると。一刻の猶予も無い為、皆様も了承いたしました」
信じるしかないか。今戻っていてはアイツが残った事が無駄になっちまう。
パルダは4、5メートルはある長い胴体を俺に向けて言った。
「グレン様、お乗りください。私の脚ならば馬車より早く着きます。時間がありません」
「助かる! 城に行くんだな?」
「いえ、恐らくスペサルテッド殿下も姫様もそちらにはおられないでしょう」
「じゃ、何処に」
「案内がてらお伝えしまする。さあ、お急ぎください」
俺は促されて彼女の背によじ登り、跨る。肌は均一の鱗にびっしりと覆われて、滑らかな質感。ほんのりとした温もりも感じる。
「良いですか? 激しい走行になるので諸注意がございます」
竜馬とは違った乗り心地だとは想像できる。振り落とされないように気を付ける必要がありそうだ。
「まず私の背から落とされない様に、座ったまま立ち上がらずにいる様にお願いしまする。そして顔や身体を不容易に私の外へ出さないでください。そうしないと障害物を縫う時にぶつかるやもしれません。あと、付け根が擦れるかもしれませんのでしっかり固定した方がよろしいかと。それとあまり口を開けないでください。熱中夜ですので羽虫が飛び込んでしまう可能性があります。お荷物は前にして頂いた方が安全です。他にも--」
「いや、最低限の事で良いから。そんな悠長に説明しなくていいから」
アテンダントじゃあるまいし! 全部聞いてる場合じゃない。
「し、失礼いたしました。では参りましょう」
折っていた両前脚を伸ばし、俺の座高の位置が高くなる。ぐるりと回るパルダに連動して俺も揺れる。
竜馬はどちらかと言えば馬の要素の方が大きかった。だがパルダは完全に竜だ。
つまり今の俺はドラゴンライダー。こんな事態ながら、今の状況に胸が昂る。
「最後に一つだけ、しっかりお掴まりください」
よもや、そこが一番重要な注意点だとはこの時は思いもよらなかった。
パルダが脚に力を入れたと分かった時には、視界が流れた。
目の前で景色が一挙として押し寄せてくる様な錯覚を覚える。いや、空気まで俺に叩きつけてくる。
「--はぎ?!」
木々の中で、俺達という疾風が突き進んでいく。それは障害物を考慮しているとは思えない早さだった。俺は完全に振り回されていた。
乗馬なんて生易しい表現ではない。レーンの無い生きたジェットコースターが地面を走っている様だった。
風圧で顔が歪み、瞼すらまともに開くことも出来ず、微かに見えた視野では既に森を過ぎ去っていた。
「はががががががうがががががががあががががが!」
開けた平原を、白い影が疾駆する。俺はそれに必死にしがみついていた。マジでしゃれにならない。いつこのまま振り落とされるか分かったもんじゃない。
「--で--グ--様。さき--おはな--」
「はがぁあががいぎぎぎぎっ?」
俺の前にあるパルダの頭が呼び掛けるも、風に遮られて何も聞こえない。俺も必死に返事をしようとするが、まともな言葉にならなかった。
それに気づいたのかパルダは慌てた様子で何かをした。
「も、申し訳ございませんっ。防風と防圧の魔法を掛け忘れておりました。何分、これで走る時は私だけなものですいません!」
まるで空間を作った様に風が襲いかかる事はなくなり、彼女の言葉が普通に聞こえて来た。俺を苛めていたあらゆる速度の反動が軽減された。
「し、死ぬかと思った……。しかし、速過ぎだろコレ。馬竜は亀か何かか?」
地平をあっという間にパルダは詰め寄っていく。途中の岩や木ですら紙一重ですり抜け、全く速度を落とさずトゥバンまでの道のりを進める。これなら元来た道を30分で戻れる速度だ。
「では、このまま目的地についてお話しいたしまする。グレン様、トゥバンを訪れる際に見た物を覚えておりますか?」
尋常ではない速度で駆けるパルダは、息一つ切らすことなくそのまま平然と話を続ける。
「え、何かあったっけ?」
「竜姫様がご説明なされた火山です。私達が神聖視しているという、あの山に今から向かいます」
という事は、そこにアルマンディーダと……そしてスペサルテッドがいるという事か。
「何でクーデター起こして乗っ取った城をほっぽって、奴らは火山なんかに登ってるんだ?」
「火の精霊の力を得る為でしょう。私どもはそれを神炎と呼んでおります」
「神炎?」
前で首を縦に首肯するパルダ。行く手には夜の空に黒い煙が立ち昇る。火山の噴煙だ。
「赤の一族は皆、そう呼ばれる特殊な魔力を持っておりまする。それはあの火山にいるとされる火の精霊が宿った物であると信じられ、その力を用いて竜王は代々この大陸の秩序を築いてまいりました。それほどに大きな力でございまする」
「つまりアディもその神炎ってやつを持ってるのか」
「殿下が山に登ったのはそれを奪う為でございましょう。恐らく、一度火山に竜姫様のお身体を捧げて残った魔力を食らう事が……」
「待て? 今、何て言った」
聞き間違いかと思える単語が聞こえた。捧げる? どうやっても良い解釈のしようがない。
「そうです、煮えたぎるマグマの中に沈めて神炎を取り出せる様に姫様を熔かすおつもりです。竜人とはいえ--神炎の力を扱える赤の一族でも、その身は業火に焼き尽くされて滅ぼされるでしょう……王子の持つ己の神炎を、高める為だけに」
その様子が脳裏に浮かぶ。彼女が赤熱で煌々とした橙の大海に落とされ、沈んだまま二度と浮かび上がって来なくなる想像をしてしまった。
ダメだそんなこと。
「神炎は使い手によっては破滅をもたらすお力。先代も、ペイローン王もその力の重さを重要視して慎重に継承していった物。……仲間同士で奪えるなんて事実は、我等の一族や王位を持っていた物だけの秘匿としていた筈なのに。スペサルテッド殿下は既に知っていた」
「そんなにすげぇのか」
「はい。あれがお見えになりますか?」
俺は、横合いに通過したトゥバンを見た。遠目からでも分かる城の異変。
城は火の手の跡があった。さっきまで燃えていたのだ。建物が黒ずみ、嫌な煙がところどころで上がっている。
そして城の背面はまるで、砂山を素手で削る様に五分の一が削げてなくなっていた。城の全長からして、数百メートルの城が消失している。何より、
奥地には地平の一帯が焦土と化していた。オイ、真っ黒な平地になってるが確かあそこも小さめの山があった気がするんだが……どこへいった。
「神炎同士で争い相乗した結果でございまする。竜王陛下とスペサルテッド殿下の激突で、城の一部とあの山が根こそぎ蒸発したのです」
唖然として、しばらく口が利けなかった。街を巻き添えにしなかったことが奇跡と言える光景だ。
だがすぐに顔を左右に振る。怖気づいてる訳にはいくか。此処で行かなかったら、一生後悔する。
「いや、じゃあ何でアディは大人しく捕まっているんだ? 神炎で抵抗しなかったのか?」
「あれは人の状態では到底扱う事が出来ぬ御力。しかし姫様は竜の姿になろうとする意志がございません」
どうして、という疑問はすぐに解消される。彼女が言っていた過去のトラウマのせいだ。
何より自らの手で隻眼にした張本人を前に、竜元来の力を使おうにも使えなかったに違いない。
「このままじゃ殺されるってのは本人も分かってるんだろ? ダメなのか」
「ですからグレン様、貴方にお力添えを頂きたいのでする。その為に貴方を先にお連れしました」
「そりゃどういう事だ?」
「竜姫様は、アルマンディーダ様は、今まで怯えた毎日を過ごしておられました。自分の怪物性、そして実の兄から目を背けて」
時には酒で震えを誤魔化し、人前では常に人間の姿でいたのは、それが原因だった。
彼女は、そんな自らの弱さを俺に打ち明けた。
「でもグレン様の前では、それを忘れる事が出来る、そう姫様はおっしゃったのでございまする。貴方に、あの方は勇気づけられた。だからトゥバンにも戻ることが出来た。スペサルテッド殿下がいたとしても、向き合う為の一歩が踏み出せたと」
「……お前は知ってたんだな。アイツが、俺に」
沈黙。肯定と考えていいだろう。
「竜姫様が神炎を制御するには、グレン様の励ましがいるのではないか。そう結論付けました。直接、姫様の元へお行きください。活路は私が開きまする」
「でも、なんでだ。何で醜いゴブリンの、俺なんかを」
「いつもあの方は言っておられました。ゴブリンという外見なら、普通なら自らも委縮して人の目に触れる様な所には現れないだろう。しかし貴方は自らに降りかかる奇異の視線にたじろく様子もなく、堂々としておられたと」
白竜は懐かしむ様に、アルマンディーダとのやり取りを語る。
「怪物としては我々竜人の方が上でしょう。しかし、私どもはご存じの通り限り無く人の姿になる事が出来まする。しかしグレン様には全くそんな事が出来ない。姫様は自分がもし、竜人らしい部分を隠すことが出来なかったのなら、人目に付かないようにしていただろうとおっしゃっていたのです。そんな距離の置き方を、貴方様は打ち破った。そこに最初は惹かれたのでしょう。どうして、そんな強く気高い心を持てるのだろう? と」
違う、俺は胸の内で否定した。そんなんじゃない。そんな上等な物ではない。
ただ、自分が何も恥ずべき事はないのに、ゴブリンだからひっそりとしなければならないという風潮が気にくわなかった。開き直り居直っていただけだ。
「そして、亜人であってもその魔物とすら見られるお姿とは裏腹に、生き生きとした眼が印象的だったとおっしゃられていました。きっと、グレン様の中にそこらにいる人以上の人間らしさに触れたのだと存じます。姫様の人の姿に隠した怪物性。グレン様の怪物の姿に隠れていた人間性。自分と対照的な貴方に、あの方は……」
「そう、か」
そうか、とそれ以上の言葉は出なかった。あまりにも勿体なくて、俺の中では言い表せない。
「絶対助けよう。クソったれの馬鹿王子の横っ面をぶん殴ってやる。何が神炎だ、当たらなければどうという事はない」
「ご協力致しまする。そして、貴方をそこまで御守りする事が私の役目です」
トップスピードを維持した彼女は、アルマンディーダを捧げる火山まで走り続ける。