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俺の読書、彼女の日記

 落下で身動きに取れない状態であるので硬御こうぎょを使う。俺にはこれで身を護る他ない。

「うっ、がっ、ぐっ」

 幾度も身を打って傾斜を転がり、やがて幾多の枝の折れる音を耳にして木々の海に突入する。


 森林の中に落ちた俺は、しばらくその衝撃の反動で死んだように大の字になって心臓の動悸を落ち着かせる。

 あの野郎、後で覚えてやがれ。俺じゃなかったら死んでたところだったぞ。いや、それが奴の目的だったんだろうけど。

 落ちて来た山を見上げる。俺達が通っていた崖道は遥か頭上。戻る為に登っていては日が暮れるか。

 そこではまだフェーリュシオルとの戦闘が続いているだろう。仲間の無事を祈るしかない。


 結果的に行き先としてはショートカットは出来た。岩山を最短で降りれたからな。

 なら俺一人でも、行くべきか。それならある意味気が楽だ。俺に危機が迫っても仲間達を巻き込む心配はない。


「……っ、クソッ」

 起き上がろうとして、腰に力がうまく入らず尻餅をつく。主に脇腹辺りで痺れる様な痛みが走った。

 奴の尻尾の一撃が、まだ響いている。折れてはいない様だが回復するまでに少し、時間がかかりそうだ。それだけではない。山から転げ落ちて無傷でいられる訳が無い。大きな怪我が無いだけ幸いだった。

 仕方なく土を這い、近くの樹に背を預けて体力を復帰させることに努める。


 そこで懐に固く平べったい物に当たる感触を覚える。何だろうと取り出してみて、すぐに何か分かった。

 先程パルダに手渡された赤い本だった。てことは、アディの本だ。


 少し読んでみるか。小休憩がてら、好奇心に吊られて俺は本を捲る。パルダに託した物なら何か重要な情報があるかもしれない。

 その内容は日記であると一目で分かった。


 最初の頃の字は子供が書いた様に拙い物だった。明らかに不慣れな字体だ。

『この手記は、人間の文字を覚えるがてら自らの身辺に起こった出来事を記す物である。片手間に翻訳させながら書くんで初めとはいえ、中々骨が折れるのう。

 きっかけはたまたま出店でこれを見かけたんで、人間達の文化にある日記という物を儂も興味を持ち始めてみた次第じゃ。

 儂は人の世を付き人パルダと共に渡り歩く様に旅をしているが、今のところ目的にまでは辿り着けずにいる。

 その目的とは、儂の教え人であった先代の王にして実祖父にあたる御爺様じゃ。儂らの世界から突如として消息を絶ったあの人を、儂は捜して回っておる。

 昔から、御爺様は人に友好的で人間界に行ってみたいとよく言っておった。もしかしたら、誰にも言わず残りの余生でその夢を叶える為に赴いたのやもしれん。じゃから儂はこちら側に来ておる。

 御爺様の影響から、儂も親人派になったのじゃろうなぁ。口調まで似通ってしまったわい』


 

 竜という言葉をぼかしてはいるが、彼女の秘められた物がつらつらと、そこには載っている。

 俺の目がどんどん滑る。彼女の日記は長く続いた。


『パルダには苦労を度々掛けてしもうた。冒険者として働かせてしまう始末じゃ。

 極め付けには他の連中に首狩りなどと二つ名で恐れられる存在になるとは、儂自身も想定しておらんかった。

 まぁ良い、あやつを専属にしているという体裁にしておれば、悪い虫が近づく確率も減っていく事じゃろう。

 虫殺しの息を、吐かんで済むからのう』


 日頃の事件や、何らかの苦悩、些細な事から日常の愚痴までそこには書かれている。

 彼女のありのままが、そこにはあった。どんどん字もこなれてきている。


『どれくらい経ったじゃろうか? この宛てのない旅を始めてから。

 兄上から距離を置く為にも大陸を渡ったが、御爺様を探す手掛かりは依然として何も無い。

 もしかすればやはり……いや、やめよう。

 ただ、少し気になる話を耳にした。人間達は予言という、未来の予知なる物を信じておるそうじゃ。

 どうやら、遠い街で竜が暴れた災害が事前にそれによって予期されていた物だったらしい。

 更にその予言には天の王の襲来が続く、という件がある。儂はそこに胸騒ぎを覚えた。

 そして、それを打破する存在も現れるみたいじゃが、果たして真偽はどうなのじゃろうか。

 願わくば、人の世とトゥバンに災い無きよう……』


 やがて、日記の中には心当たりのある物が載り始める。


『今日は面白い物を見た。

 パルダの不在で酒場におれば、品の無い悪漢に絡まれてしもうた。無視を決め込んでおってもしつこくてのう。

 どうしたものか、と悩んでおれば第三者が絡んできおった。なんと、それはゴブリンだったのじゃ。

 人の街にゴブリンが紛れ込んでいるという事に驚いたが、そやつはどうやら絡まれている儂から悪漢を引き離したのじゃ。どうやらあちらも他の輩に絡まれてる身で、騒ぎを起こすことでやり過ごす為に動いた様じゃが。

 つまりじゃ、あやつは儂を助けながら自分の身を守るために利用したという訳じゃ。面白い奴じゃろ? これまで儂に言い寄る奴は多々おったが、そんな奴一人もおらんかった。

 せっかくなんであやつに声を掛けささやかな礼を与えてみたが、そこでさらに興味が湧いた。

 あやつの瞳は、そこいらの連中よりも理知に裏打ちされた輝きが見えた気がする。

 人から見れば忌避される姿を堂々と晒し、あのような美しい目で世界を見れるのは、羨ましくも思う』


 まだ記憶に新しい出来事だ。アディがそれまでリューヒィとして名乗っていた頃の、俺との邂逅かいこうの内容。


『失態じゃった。儂とした事がとんでもない事をした。

 例のゴブリンに推奨した依頼にトラブルがある事が事後発覚したのじゃ。

 募集の冒険者の実力に見合わぬ存在が出没したという。

 それが、よりにもよって竜じゃった。竜人なのかただのドラゴンなのかは定かではない。もしや御爺様ではないかという疑念もあるが、まずそれどころでは無い。

 どちらにせよ冒険者と遭遇すれば戦闘は避けられなかったじゃろう。詳しい情報が足りぬ。ゴブリンが無事ならば、恐らくアバレスタに戻る筈。儂も戻らねば』


 そういや謝罪した時、岩竜について角はあるか? って尋ねていたが、それはあのドラゴンが竜人だったか--御爺様であるかの確認だったのか。

 色々明かされていく、彼女の内側。日記は続く。


『あのゴブリンの無事は確認できた。しかも、よもやあやつが騒ぎになったドラゴンと激突しておったとは。

 儂が詫びると、快く受け入れた。呑気にも飯を食いながらな。中々器のある奴じゃ。

 どうやらあやつにも名もあるらしく、聞いてみれば名をグレンと名乗った。

 グレン、儂らに通ずる読みには紅蓮という字があり、猛火の色を意味する。どうも奇妙なめぐり合わせじゃのう』


『しばらくぶりにあやつは顔を出した。あやつとは勿論、ゴブリンのグレンの事じゃ。

 まぁ、今回は向こうから儂を呼びつけて来たんじゃがな。聞けば、なんと貴族になっておるという。度肝を抜かれたわい。人々に忌避されるであろうゴブリンとしては、偉い出世じゃのう。

 肝心の用件であるが、あやつはどうやら国の騒ぎに巻き込まれ、死に至る呪いとやらを受けてしまった様じゃ。それで、御爺様捜しで培った情報通の儂も頼りに来たと。

 どうやらグレンが関わった騒動は、あの予言された事象であったという。そして、あやつの活躍により見事解決して退けたとか。

 儂は確信めいた物を感じ取った。予言通りなら、いずれは竜の者達も関わる災いが起こる時、あやつがそれを切り開く鍵になるのではないか? 傍から聞けば馬鹿馬鹿しいと思うかもしれぬが、どうもそう思えて仕方ない。

 さて、呪いの件じゃが。直にその印を見せてもらってそれに似通う物が記憶に残っておっての。

 あやつと共に、儂は帰る事に決めた。呪いの手掛かりのあるドラヘル大陸に』


『パーティーで移動するのは初めてじゃのう。基本はパルダと二人きりでの冒険であった。

 今回グレンの連れて来た者達は、どれも悪くない人選じゃ。騎士二人に、愉快な田舎の冒険者。

 皆、色んな目の輝きをしておる。グレンを含め、意思の強さがひしひしと伝わってくるわい。

 儂の方から御付きのパルダを連れ、最後に優秀な魔導士も参入した。

 しかし困ったのう。ロギアナとやらは、鑑定眼かんていがんなる力を秘めておるそうで、儂らの正体を看破しかねん。下手に秘密をひけらかす様には見えんが、状況によっては口止めに言っておかぬとならぬな』


『旅路は上々。先日の問題は杞憂だった。あの魔導士は相当口が固い様で、必要最低限の言葉しか話さぬ様じゃ。

 騎士のレイシアとアレイクは立場柄か朝から訓練に明け暮れとる。グレンも堅実でのう、自分の至らぬ部分を伸ばそうと鍛錬しておった。感心感心。

 その褒美に、儂の趣味に付き合わせる事にした。息抜きを仕向けるとは、我ながら粋な計らいじゃろ?

 牙駒棋がりゅうぎという遊戯を持ち掛けて有意義な晩を過ごした。勿論こてんぱんにしてやった。

 大人気ないが、やはり圧勝できると気分が良いのう!

 パルダは自分には不向きでございまする、と付き合いが悪かったが、あやつはまだまだやる気があって中々見どころがある。今後が楽しみじゃ』


 伝わってくる、本当に旅を楽しんでつづる彼女の本音が。


『あやつは仲間想いじゃな。そう痛感する出来事があった。

 ドラヘル大陸への航海の途中、儂らは難破船に遭遇した。海の真っ只中でのう。

 グレン達が中の様子を見に行ったが、それは罠じゃった。海賊船であった。

 じゃが敵を見事に返り討ちにし、かつての宿敵……魔物狩りのゴラエスを今度は実力で下した。前回は儂も空から見ていたが、罠でめていたからのう。確実に成長したと分かる瞬間よ。

 しかしゴラエスの悪足掻きにより、なんと自爆した挙句海賊船は沈んだ。それにグレンと狩人のクライトが巻き込まれた。

 海中に没したクライトを見事助け、そして己の甘さを認めて猛省しておった。不可抗力じゃろうに。

 あやつは、ゴブリンであることを忘れるくらい人間味のある漢じゃな。男ではなく漢じゃのう』


『儂は遂に自らの正体と身元を明かした。やむを得なかった。よもや兄上の思想が人の街におる兵にまで浸透していようとは。

 畏れられ、怖れられるではないかと実は心配しておったが、あやつらは本当に良い者達じゃ。こんな儂まで受け入れてしまうとは。……というか、儂よりパルダの方に驚きを示しているのが納得いかん。儂は姫じゃぞ姫! まっ、事故とはいえそんな儂をグレンは押し倒したが。……ちょっとドキドキした。

 まぁ、ゴブリンのあやつにとって、やはり人種の垣根など無いのかものう。儂やロギアナと同じように心の闇は、誰しも抱えておる。今日はそれを改めて感じた』


『危ないのう全く。この日記が危うく見られるところじゃった。

 それにしても悔しい。敗者とはこんな気分にされるとは、確かにパルダもこれではやる気が起きぬ筈だ。

 グレンのやつめ、よもや儂の対局に対策までとりおって。覚えておれ、今にぎゃふんと言わせてやるわい』


 徐々に、日記の傾向に俺は気付いた。

『最近どうも、話題があやつに関わる物ばかりになってきおった。

 いかんなぁ、たまには別の事も書かんとなるまい。

 例えば、この前の牙駒棋がりゅうぎの対局で、新たな一手を開拓できそうな事--ああしまった! またあやつに起因しておるではないか!』


『うむ、いかんいかんいかん。

 何故あやつの話題に事欠かぬのか。いや、きっと他に話題が無いんじゃ。そしてあやつが悪い。個性が強すぎるのが悪い。

 ゴブリンながら飄々としていて、見た目に反して雄弁で、でも根は誠実でしかも他人想いと来た。決め手に男らしさ! そんなギャップというやつじゃろう。

 ああもうなんじゃこりゃ、ベタ褒めじゃよ儂の日記は……よし悪いところをあげようか。セコイとことかかの?』


 悪い冗談だ。そう思いたかった。ありえないだろ、俺なんか。

 だが日記に嘘を吐露する理由がない。頭の中ではそう分かっていた。


『これは、認めざるを得ないのう。儂自身にも心当たりが幾つもある。

 あやつと個別におると、どうも気が緩んでしまっておる。普段なら隠している角や羽が気が付けば普通に出ておった。あれだけ忌避しておった己の怪物性を、さらけ出してしまっていた。

 そして何より、落ち着くんじゃ。日頃の内にある恐れや不安を、忘れられる。酒がなくても、震えを無くせる。

 もっと長く共にいたい、もっとその時間を過ごしたい、と願う儂がいた。何ともまぁ、腑抜けたものよのう。

 兄上との確執から他人と心の距離を置いておった儂が、こうも気を許してしまう相手が身内以外に出てくるとは……』


 次のページで日記は途切れていた。ただ、右下の隅に走り書きがある。乾いて間もない。

『託されぬ者に告ぐ。

 この世におらぬ儂の頼みであるが、これ以上出回らぬ様に焼くなり何なり処分しておくれ。

 それが、儂の、最後の望み--』

「最後にさせるかよ」


 本を閉じて懐にしまい、俺は立ち上がる。

 痛みがまだ俺の動きを抑えようとするが、それ以上に力はみなぎった。奮い立たされた。


 かいつまんだ速読でほんの数分の所要だったが、時間を掛けすぎたと後悔。間に合わせないとならない。アイツにまた、会わないと--


 フラフラと木々の間を縫うように進む。方角も不確かな森で、のろまな足を憎たらしく思いながら歩いていると、

 何かの気配がした。夜目の効く俺でも中々姿が捉えられない。


 まさか俺を叩き落としたフェーリュシオルがこっちに来たのか? 構ってる暇はねぇってのに。アディが、アルマンディーダの所に行かねぇとならないのに!


 そして、幻の様に正面に突如として姿を表したのはやはり竜だった。

 だが全体の色は奴とは正反対の白。ほんのわずかに桜の様にピンクがかった鱗。しなやかや四本足に長い一角の角。以前、出会った事のある竜だった。


 確か、ルメイドの大陸でこちらに向かって来たと思えばすぐに踵を返したあの白竜。どうして此処にも? 新手か?

 一本角の白竜は碧い瞳で俺を見据える。


「ご無事ですか、グレン様」

 そして竜の口からおしとやかな女性の声が発せられた。聞き覚えがある。


「お前……パルダか?」

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