俺の召還、隻眼の竜殿下
城に戻り、朝食を済ませると仲間の皆に、出発する予定の旨を伝えて回る。
「ええー! そんなに早くー!?」
「いつまでも甘えてられないだろ。お前にも帰る場所があるんじゃないの?」
アレイクは不服そうに--多分懐かしき食文化の惜しさに--口をへの字に曲げた。
「……分かりましたよ。じゃ、せめてお土産はしっかり持って帰りましょう! 主に自分用に! かき集めて来ます!」
とはいえ全員承知の上の話であり、出発する事そのものには異を唱える者はいなかった。
そうだ。俺もやるべき事がある。向こうへトリシャを連れて行き、広い人の世界を学んで貰わないとならない。そして呪いを解く為に、反逆者と闘う準備を進める必要がある。
子竜、シャーデンフロイデの具体的な提案はこうだった。
「勢力を集める事を勧める。反逆者は知っての通り、単体でさえ世界を歪めるだけの能力を備えている。我々だけで闘うにしても確実に心許ないだろう」
「宛ては今のところ無いが」
「亜人でも何でも良い。そうだな、例えば此処の……」
「ダメだ」
即断でそれは拒否する。今朝のアルマンディーダの後ろ姿が脳裏にちらつく。
アイツが何を抱えてるかは分からないが、これ以上他の悩みの種を増やしてやらない様にするのが俺に今出来る事だ。
「ふむ、結果さえ良ければ構わないが、些か飢餓に欠けているのではないかね? 飢喰の吾輩が言うのもなんだが」
「国に迷惑を掛けてまで、勢力を増やすつもりは無い。俺が何とかする。俺自身の問題でもあるんだ。余計な心配だよ」
「そこまで言うなら好きにすればいい。後で後悔しようと責任は持たないのでよろしく」
鼻腔から息を噴き、奴は何処かへバサバサと飛んで行く。
オブシドからの情報によれば、俺達が乗って来た船の修理は終わったそうだ。なので此処からまっすぐに港へ向かう。
アルデバランまでは二週間といったところ。アレイクでは無いが、食糧やその他必需品くらいは頼んで貰うか。
それを頼みにちょっと城内を歩いていると、何やら侍女や兵の竜人達が慌ただしく動き回っていた。
「急げ! もう時間が無いぞ!」
「早くしないと……それ片付けて! 邪魔になる!」
「何で俺がこんな重い物を!」
「アンタ雄でしょっ」
まるでとても巨大な台風でも迫っているかの様な対応っぷりである。何だか客人の身で邪魔をしては忍びない。
「あ、グレン様……! ちょうど良いところに!」
「パルダ、これ何かあったの?」
白桃の化身の様な竜人の少女が俺の元へ駆け寄る。非常に焦っている。
「皆様方にお伝えをください! これから少々、お騒がしくなります。あの御方の、ご帰還です!」
「あの御方?」
頷くパルダは、俺の背中をぐいぐいと押しながら付け加える。
「アルマンディーダ王女、ガーネトルム王子の兄に当たる御方で、問題児にございまする!」
「え、兄貴? まだ兄弟いんの? それが俺達と……」
「とても粗暴な方ですから、人間を見たら機嫌を損ねるやもしれませぬ。だから」
「殿下のお帰りィいいい!」
高々と入り口の門から、兵の声が轟いた。パルダの身が強張り、俺を奥の部屋へと隠れさせようとする。
「我が家に帰って来るなりゴブリンがいるんだって!? ちょっと拝見させてもらおっかなぁ! おおィ! 出てこいよォ!」
乱暴な、男の大声が俺達にまで聞こえてくる。例の竜人の声らしい。
「グレン」
アルマンディーダも、奥の部屋から顔を出した。そして、その大声を嫌でも耳にしたらしく、俺を呼ぶ。
「すまんが、アイツの出迎えに同伴してくれぬか?」
「竜姫様!?」
「誤魔化しは利かぬよ。素直に応じておくしかあるまい。じゃが、安心しろ。謁見の間に父上がいる以上、下手な真似は出来ん。のう、頼めるか?」
「あ、ああ。良いけど」
「別の侍女を仕わせい。人間の来客達は奥で控えて置く様にな。その方が下手に刺激せずに済むじゃろう」
そのまま俺は竜王ペイローンのいる謁見の間に急いだ。アディの父親は俺を見降ろす。
「すまねぇな。身内のごたごたに付き合わせちまって」
「いや、それは別に構わないんですが」
「すぐに終わる。ちょっとだけ辛抱してくれ。万が一にも手は出させやしねぇから」
そんなに大事なのか。第一王子が帰って来ただけの話の騒ぎには思えない緊張度だ。
やがて大扉が開き、一体の竜人が大股でやって来る。赤い鱗に包まれた、大柄な竜の男だった。
我が物顔で謁見の間に入って来た男に、ペイローン王は口を開く。
「突然のお帰りだなスペサルテッド」
「家に戻るのに、日時なんざ気にするもんじゃないだろ親父殿?」
冠角に隻眼の竜人。その塞がれた片目には、深く生々しい引っ搔き傷が刻まれていた。
傍らで立っていた、アルマンディーダが生唾を微かに呑む音を耳にする。
もしかして、と思う。昨日、俺達が謁見の間にやって来ていた時に不在を確認した人物は、コイツの事ではないか?
「んで、ここ数ヶ月何してやがった」
「ドラヘル大陸の不穏分子をブッ潰してやったり、人間の管理を手伝って回ったんだ。労いの言葉を掛けてくれたって罰は当たらないんじゃねぇか? まぁ、今日戻ったのは」
黄色い眼球が、俺の方に向かう。
「面白い奴がこっちに来ているって話を聞いたんでな。おうおうおう。テメェが噂のゴブリンか?」
尾を鞭の様に床を打ちながら、ずしずしとこちらへと闊歩する。
「かっかっかっかっ、ちっせぇな。ほんとちっせぇ。踏みつけたら潰れちまいそうなくらいだ」
「おいスペサルテッド、ソイツは客人だ。オメェの為にわざわざ此処にいさせてんだぞ。こっちが無礼をかましてどうする」
父親の窘める言葉もどこ吹く風に、スペサルテッドと呼ばれた竜は俺をしげしげと眺める。
何だこいつ。雰囲気だけで、分かる。コイツはアルマンディーダ達と全く違っていた。
荒々しさという点では竜王ペイローン譲りではあるが、なんというか知性が感じられない。
「なぁ、ちょっと俺と遊ばねぇか? ゴブリンってどれくらいの戦闘力があるんだよ? 手加減してやっからよ、なぁやろうぜ。なぁなぁ!」
「いや、俺は、そんな別に……」
「いい加減にしろ」
「……なーんだ。せっかく面白い提案したのに」
父親の言葉で制止するあたり、まだ完全には我が物顔になって城内で好き勝手は出来ない様だ。竜王が言った通り、此処では俺への手出しをさせないつもりだ。
「ん? お前、もしかしてアルマンディーダか?」
「……兄、上」
「いつの間に帰って来たんだよ、かっかっかっ。静か過ぎて全然気付かなかったぜ」
「……お久しぶりに、ございます」
高笑いしてご機嫌な兄スペサルテッドと裏腹に、アディは普段の従容たる態度の欠片も無く固まっている。
「相変わらず物好きな野郎だなぁ。なーんで人間の恰好をしてんだ? 完全な虫けらの姿によォ。王族らしい振る舞いってもんがなっちゃいねぇな全く」
「こ、これは……」
「あーん? そんなにテンパってどうしたよォ」
蒼白になる彼女に、兄スペサルテッドは長い顔を近づけた。まるでじりじりと精神的に追い詰めている様にも見えた。
「ほら、戻れば良いだろ? 俺達と同じ姿に。なんなら完全体になっちまっても良いんだぜ? 王座の間に収まるか心配だがなァ、かっかっかっ」
「…………あ……あ」
アルマンディーダに冷や汗と浅い呼吸が現れる。その有り様をまるで予想していたのか、男の顔に哄笑に歪んだ。
「ああそっかァ。お前と会うのも数十年ぶりだ、これが目について仕方ないんだな。まぁ忘れられても、俺としても困るがねぇ」
片手で、隻眼の傷を撫でるスペサルテッド。強調することで、アディに見せつける。
見開く彼女の瞳に、恐怖が浮かんだ。恐れているのは兄そのものではなく、
「そうだ、お前に付けられた傷だ。未だに疼く。疼くんだよ。そして見えなくなった左目には、お前のあの姿が幻になって見えるんだよ。怪物になっ--」
「--スペサルテェッドォォオッ!」
落雷が落ちた様な怒号が王の元から迸った。向けられた感情の矛先と、間近にいた俺も身を竦む思いに晒される。
だが、奴にはまるで堪えた気配もなく。淡々と、実の父ペイローンの方へ向き直る。
ほんの微かに、こちらだけが聞き取れるくらいの小さな舌打ちが聞こえた。しかしその後に軽薄な様子でスペサルテッドは口を開く。
「そう大声を出さないでくれよ親父殿。アンタの声が城中に響いて、皆ビビるだろ?」
「それ以上続けるなら、今すぐ城を出て行ってもらう。もう、過ぎた話だろうが。何よりアレは……」
「分かってる分かってる。反省してますヨ、親父殿」
「アルマンディーダ、お前は下がれ。ゴブリンの客人、オメェも充分だ」
零度の地から助け出される様にアルマンディーダは震えながらも、恭しく頭を下げた。控えていたパルダが彼女を連れ出す。俺も一緒になってその場から離れた。圧迫するような空気から、抜け出す。
「竜姫様、もう大丈夫、大丈夫でございまする」
「おいアディ、しっかりしろ。どうしたんだよ」
しばらく、彼女は口を利かなかった。答える余裕が無かった。ただ、されるがままに連れられて、身を震わせて縮こまっている。
仲間のいる部屋まで来ると、その尋常ではない彼女の様子にみんなが腰を浮かせた。
「アディ殿! どうなされた!? おいゴブリン! さっきの竜王殿の声といい一体何があったのだ!?」
「良く分からねぇ。ただ、コイツの兄貴と対面したらこうなった……」
「何故だ? 家族の再会だったのではないのか?」
「だから俺にも分からねぇんだよ!」
介抱していく内に、アルマンディーダも徐々に落ち着きを取り戻し始める。優しい言葉を掛け続けるパルダに、俺は尋ねた。
「あの野郎、あの傷を付けたのはアディだって言ってたが本当か」
「……はい。事実にございまする。スペサルテッド様の左目を潰したのは」
「そう、儂じゃ」
ようやく、応える彼女。話が出来るほどまでには調子を取り戻してきたらしい。
「こんなみっともない姿を見せて、見苦しくて悪かったのう皆」
「アディ、何でそんな事を」
パルダから水を受け取り、口を少しつけてからアルマンディーダはおもむろに口を開き始めた。
「アレは事故であった。儂ら赤の一族はのう、幼少の頃に学楼塔という城や街から少し離れた建物で学びを受ける為に過ごす。当時の儂も、そこで王族に求められた知識を得る為に行っておったよ」
「今、ガーネトルムが勉強している所だな」
頷き、彼女は続ける。
「それで、王の身辺たる者は自らも身を護る術を会得しておく必要もあった。当然王族も例外ではない。じゃが学楼塔では思慮を学ぶだけでそういった武術の類を体験できる様な場所ではない。なので、儂は定期的に城へと戻り、兵やそこのパルダと共に些細な鍛錬をした物よ。竜人である以上大概の魔物に後れは取らぬ故、主に同族に襲われた時を想定して対人的な物を学ぶ」
傍でまだ完全には直っていない竜姫の様子を伺いながら、聞いていたパルダの顔が曇った。
「稽古を始めて何度目かが過ぎた頃、訓練の途中で事は起きた。儂の元に、兄……スペサルテッドがやって来た。兄上は武闘派でのう、直々に教鞭を振るうと名乗り出たんじゃ。実践で、妹の儂に教えると」
「でも、あの頃の竜姫様はまだ小さかった。大の大人が赤子に取っ組み合いを仕掛ける様な物でございまする」
「パルダは止めようとしたよ。しかし王族の行動を誰が反対出来ようか? 父上以外誰も、あやつを止められる者などおるまい」
それは兄弟間でのじゃれ合いにしても些か殺伐としていた。
「当然、儂は手も足も出ず、容易く組み伏された。そんなんでは命がいつあっても足らない、と頭上で嘲笑われたよ。そして、それからじゃ。訓練の延長線と、あやつは儂の首を締め上げた。窮地に陥られても冷静であるようにと、そして窒息の耐性を付ける為と後に周囲には言っておる」
「首を締められた、って……お前、おふざけにしても……」
「儂も必死だった。混濁する意識の中で恐怖が芽生え、死に物狂いじゃった。暴れに暴れ、夢中に抵抗して……そして気付いた時」
そこから、アルマンディーダはその時の状況を語るのを止めた。想像できる。きっと、その手は血塗れだったのだろう。もしかすれば、くりぬいた物が手元に残っていたのかもしれない。
「以来、儂は稽古をすることは無くなった。極力、父上は儂とスペサルテッドを引き離す様にした。まぁ、そういうつまらぬ話じゃよ」
彼女の手は震えている。その震えは兄からの虐げられた恐怖だけでなく、己の中の竜人としての性に怯えているからの様に見えた。