俺の追求、明かされぬ胸の内
朝霧の濃い主庭。ようやく空が白む頃、一足先に俺は目が覚めていた。
シャーデンフロイデとの一件以来、ルーチンとしていた肉体と魔力量の底上げの鍛錬を怠っていたので朝一番に再開したのだ。
中庭で、まず自分が出来ることを振り返る。
闘技は崩拳と硬御及びその派生である多連崩拳と部分硬御。これはまず変わらない。
次に、魔力を付与として使える属性が火属性と水属性。前者は単純な火力強化として、後者は敵の行動を鈍らせたりするのを確認できた。
そして、次のステップだ。昨夜、オブシドに頼んでおいて簡易な的を外に用意して貰った。これで実践してみたい事がある。
「さて、と」
左腕に籠手弩を装着して両翼の弦を展開。まずごく普通に狙いを定めて射出する。
狙いは上々。大雑把ながら的の円に短矢がコンッと小気味よい音で刺さった。
だが大型の魔物や鎧持ちには心許ない威力。まぁ当初の目的としても牽制レベルの攻撃だ。
なので、この射撃に工夫を加える。俺は闘技は素手でしか行えない。だが、俺の持てる能力はそれだけではない。
「付与」
左腕に意識を集め、魔力を吹き込む。それはやがて籠手にまで流れ始めた。
「紅蓮弩」
己に危害を加えない火炎に籠手弩は包まれた。そのまま同じ様に射撃を行う。
火矢が解き放たれた。油に引火したのではない。魔力の宿った矢が俺から離れても深紅の尾を引いて飛んで行く。
的に届くと普通の矢が刺さるのとは異なり、砕け散った。破壊力が増した。火属性の恩恵を受けた魔法矢だ。
片手斧に付与が可能になった事から、遠距離の武器にも活用出来るのではないかと思いついた試みは、上手くいったようだ。
今のところ俺が使えるのは火と水の付与。これを矢に付加する事で、崩拳で纏う時と同じ効果を発揮できる。それに、属性のバリエーションを変えられれば幅も広がる。
えーっと確か、他には雷と風と土、だったか。雷はレイシアが使ってるのを見てて分かるが、殺傷力を強化する。残り二つは、どうなるんだろうな。
それは後で五属性の扱えるロギアナにでも後で聞いてみるか。また、金貨で懐柔する必要がありそうだ。
「朝から鍛錬か。もっとくつろいでも良かろうに」
霞がかった朝霧の奥から、赤い衣が近づいてきた。アルマンディーダだ。
「何だ、そっちも早いじゃないの」
「たまたま早く起きただけじゃ。昨夜はどうであった? ガーネトルムとの談話は」
「悪くなかったよ。聞き分けの良い子だった」
「そうか。あやつはまだしもおぬしに限って粗相する事は無いのは信頼しておったからな」
「信頼、ねぇ」
昨夜の彼女の弟が口にした言葉を思い出す。
『姉上の竜人らしい姿を見られるのは、僕や父上、パルダの様な身内くらいですよ? 気を許した相手の前でしかそんな部分を見せません。グレン殿、貴方は相当気に入られている様だ。信頼されているからこそ、姉のそんな部分が見れるんです』
今まで意識していなかったが、コイツは会った時から友好的だった。そのおこぼれに預かり、俺をこの国で来賓として好待遇を受けさせてくれるぐらいには。
竜人とは人より外見に拘らない生き物で、ゴブリンの俺にも普通に接してくれているのだとしても、ガーネトルム曰く警戒心の強い彼女がとりわけ俺を気に入る理由は一体何なのだろうか?
聞いてみたい。が、きっとアディははぐらかすだろう。
まぁ、良いか。害意の無い相手の秘部を疑る必要は無いのかもしれない。
「ところでのう。おぬしこの後暇はあるかえ? 朝餐までまだ時間はあるが、それまで儂に付き合わぬか?」
「城を抜け出すんだな」
「やはり察しが良いのうおぬしは」
「平気なのかオイ。皆が寝てるからってさ」
「構わぬよ。おぬしというお目付けもおる。すぐ戻れば済む話じゃ」
確かにこれからやる事は特に無いし、別に良いか。申し出を受け、俺は城を降りる。
城下町では竜人の民は既に営みに動き始めていた。食材を降ろしている者、建材を運ぶ者。やっている事は人と全く変わらない。
「風下に当たる地域では火山灰が降るんでな、それで硝子作りも盛んに作られておる。じゃからそこらの町屋は硝子張りが多いじゃろ?」
所々では、職人らしき竜の男が吹き竿に絡めた赤熱したガラスに火を吐いて熱を強めている。ドラゴンらしいやり方だ。立ち止まって様子を眺めている俺達に、職人の方も気付いた。
「おや、竜姫様ではありませんか。長らく不在にしていたと思えば、こんな朝早くに下々の者の巡回ですか? また勝手に抜け出して大丈夫なんですかい?」
「いつもの事じゃろ。毎日精が出るのう」
「国王のおかげさまで仕事に困らんでいますんでね。……それと、噂のゴブリンの来客をお供に?」
げっ、こっちに意識が向いた。何を言われても傷付かない様に精神の防御体勢を構える。
「ほんとに鱗も無いのに緑色なんだなぁ。最初はてっきり染料塗った変な人間かと思ったぞ」
「どこの部族だよ。ゴブリンの俺と一緒にしたら人間にとっちゃ屈辱だろうぜ。確かに人間っていうのにも色々いるがね」
「おっとすまねぇ。確かにどっちにも失礼だったな。竜人の中には人間という生き物が、俺達より劣った種族だと思い込む奴もいる。差別はよくねぇな。旦那、ちょっと手を出してくれ」
俺は言われるがままに手を伸ばすと、詫び代わりだと竜人職人は何かを渡した。
掌を開けば、青地の花模様のあるガラス細工が二つ。
「蜻蛉玉だ。竜姫様の献上分もある」
「良いの? 売り物じゃないか」
「わざわざ此処まで来てもらった御礼だよ。なぁに、これも商売の一環だ。遠慮せず受け取ってくれ」
「だ、そうだ。じゃあお姫さん、片方どうぞ」
「うむ、ありがとう店主よ」
そんな風に、すれ違う竜人の人々に俺達は声を掛けられた。俺を排他する様な視線は、特には感じられなかった。
街巡りがてらに彼女が町民との親近感のある交流を傍らで見ながら、俺は民に慕われるアルマンディーダの姿を見て改めて思った。
やっぱり王女なんだ。長らくの不在からの帰還で皆から喜ばれるし、一度街に降りれば歓迎される。きっと、この国トゥバンではかけがえのない存在なのだ。
だからこそ、事実がのしかかる。それは今後の事だ。
アディはきっと、もう俺達と旅はしない。此処に残るに違いない。それが本来のあり方だからだ。
そう長居もしない以上、彼女とは此処でお別れだ。
「ああ、すげぇゴブリンがいるー!」
「竜姫様もだ!」
「こんにちはー!」
数人の一回り小さな竜人達が物珍しそうに俺とアディを取り囲んだ。
「おぬしら、今朝は一段と早いのう」
「僕知ってるー。これデートってやつだデート!」
「デートデート! ヒューヒュー」
「はっはー、羨ましいかお前ら。大きくなったらこれくらい別嬪な彼女作れよ」
まるで人の子供と変わらない竜人の少年達に囃し立てられる。だが、俺もいい大人だ。開き直って合わせてやる。
「ゴブリンって角ないの?」
「鬼って角あるじゃん。でもゴブリンは小鬼なのに角生えてないなんて変なのー」
「ツルペターツルペター、ははは」
「おいペチペチ叩くのはよせ。よしなさい。世界のお禿の皆さまがお怒りになるぞ」
人気者になった俺は、餓鬼共に弄られていた。その光景に、アディは相好を崩して傍観している。
「ねぇ姫様。これからは城にいるの?」
「うむ、そうじゃな。儂は王女である以上そちらにおらねばならぬ」
「またどっかへ行ったりしない? いなくなったりしないよね?」
「勿論じゃ。また今日の様に、街へと降りて会いに来るぞい」
子供達ともそんなやり取りをして、別れを告げる。
「儂らも戻ろうかのう。そろそろ城が騒がしくなるやもしれん」
「なぁアディ」
「うむ? どうした?」
「俺達はまたルメイド大陸に戻る。俺の目的は達成したしな」
「じゃろうなぁ」
「明日の早朝には発とうと思う。仲間達にも都合ってもんがあるだろうからな。でも、お前は此処に残るんだろ?」
「曲がりなりにも王女という立場である以上、好き勝手には出られぬからのう」
背を向けたまま、淡々と彼女は受け答えた。
きっと今回の俺との街巡りは、最後だからだ。今思えば、わざわざあんな朝早くに偶然俺に会って付き合わせたなんて思えない。
俺が普段から朝早く起きているのを見越した上で、あの時間に外に出たんだろう。
「お前には色々感謝してる。おかげで、呪いを解く為に確実な光明が見えた。お前と会っていなければ、今頃どうなっていたか分からない」
「なぁに、大した事はしとらんよ。ついでじゃついで。儂が此処に戻る為に都合が良かったからじゃ」
「それだけか? いや、違う筈だ。俺達と旅に出た最初の夜の事覚えているか?」
彼女に誘われ、牙駒棋に興じながら色んな会話をした。
そんな中でアルマンディーダが王手の一手を打つ最中に、印象に残る一言があった。今まで、ずっと内に秘めていた言葉。
「ああは言ったが俺、アンタがやろうとしている事の為なら俺一人でも残って手伝っても良いと思ってる。アンタが本当に正しい行いをするつもりなら」
「何か、儂が口にした事あったかのう?」
「竜王の首を獲る、そういう事を言ってなかったか?」
『災禍を撒く王の中の王。その首を獲れるだけの偉業を、為してみるとか』と。
不敬とすら捉えかねない。それでも覚悟を決めた問い掛け。
彼女はあまり動じる気配はなく、あらぬ方向を見上げながら、
「そうじゃのう。王の中の王。言い換えてみれば竜の王と受け取れるな。確かにその首を獲る協力を持ち掛けた」
「……なんでだ」
「おぬしには儂がどの様に見えた?」
「トゥバンに来るまでは、本意ではなさそうだった。でも、お前は実の父親……竜王とも何か敵対めいた物は感じられなかったし、弟のガーネトルムとだって仲睦まじく見えた。民にだって慕われてて、何もそんな事を考える必要は無いとしか考えられない」
アルマンディーダは向き直る。俺の方に近寄り、袖から手を伸ばす。俺の首元にまで迫った。
「分かるか? これが」
「…………」
「儂はのう、良く酒を好んでることはおぬしも知っておろう。しかし、本当の意図は酔いを愉しむ為ではない」
彼女の手が俺の頬に当てる。温もりと一緒に伝わる物があった。
震えていた。小刻みに、怯えの感情が俺に届く。
「己を酔わせて常にこの震えを誤魔化す為じゃ、儂は……臆病者なのじゃ。おぬしの手を、借りたかった」
「お前、竜王に酷い事をされてるのか?」
俺は知っている。コイツは人を裏切る様な真似をする奴じゃない。何か、必ず何か訳がある筈だ。
そもそも変な話だろ。竜人だろうと、数年以上も自国から離れていた王女だなんて。
「……違う。父上も、弟も身内ながら良き竜人じゃ。誇りにも思っておる」
「訳を話してくれよ。俺はアンタに借りがある。だから」
「いや、そうはいかぬ」
柔らかに拒みながら、目を伏せる。俺から離れてアディは言った。
「おぬしにはもう、トリシャがおる。血生臭い世界に娘を持ったおぬしを巻き込めぬよ」
だから、あの誘いは無かった事にしよう。遠回しの意味を俺は受け取る。
「自分の世界に戻ってくれ。それが、儂の願いじゃ」
「アディ、それじゃ分からねぇよ。俺達は仲間じゃなかったのか?」
「そうじゃ。だからこそ皆を捨て駒になど到底出来んかった。これは儂の問題じゃからのう」
「……アディ」
「そんな顔をするな。儂なら心配いらぬ。ただ、この国はいずれ荒れる。それまでにおぬし達は避難してくれればそれで良い」
話は此処までにしよう。俺は強引に打ち切られて、彼女の心の内を呑み込めきれず、黙り込むほかなかった。