015「守りたいもの」
015 「守りたいもの」
ナルは険しい表情を浮かべて、村長から聞いた果樹園へと走っていた。
実際のところ、先程の爆発音は距離的にも位置的にも、果樹園があるはずの辺りからは少しズレていたことにナルは気づいていた。
それでも、ここで無視するにはあまりに、あの金髪金眼の少女――母親も共に居るようだが、その存在は今ナルの頭の中で特出して大きな割合を占めていた。
シルバードが動揺した理由は、リッツ曰くおそらく過去の出来事の関係であろうこと。
そしてそれはシルバードにとって、予想外ではあったが良い予想外だったこと。その内容はおそらく、金髪金眼の親娘が生きていたという事実。
村長は彼女達は自らは災いを呼ぶ存在だと言っていた、と。それはぶつかったあの時顔を隠すようにしていたことや隠れ住むようにしていたこと、そして逃げているらしいことから、何かに命を狙われているという意味であるのが妥当な線だと考えられた。
それらの仮定を踏まえて出た結論は。
「……たぶんシルバードさんは死んだと思ってた……シルバードさんにとって大事な人達。なら、絶対に守らないと」
だが。
「――――っ!!」
ようやく家が建ち並ぶ中心部を抜けて果樹園に辿り着いたナルの目の前に広がる光景は、見たくないものだった。
果樹園の一帯は荒れ果てていた。
「なに、これ……」
その光景に、膝から崩れ落ちそうになった。
まるで。まるでこの光景は――――。
「僕の、村みたいじゃないか……」
三年前に壊滅させられたナルの故郷と重なった。
「そ、そんな……い、いや、まだ、わからないじゃないか……」
崩れ落ちそうな膝を叩いて喝を入れる。
まだあの娘は無事かもしれない。そう自分に言い聞かせる。
そんなナルの視界の端に何かの影が映った。
その影の方へと視線を向ける。
「あれは……」
その影は、夢遊病患者のように、なにかを探すかのように彷徨い、フラフラと歩き回っていた。
薙ぎ倒された草木の隙間に揺れる金色の煌めき。煤で汚れてしまっているのか、前よりも輝きは見られなかったが紛れもない。
見覚えのある、少女だった。
時折、何かを呟いては顔を覆い泣いているように見えた。
「あの娘だ……」
希望が見えた気がして、その少女の下へと走り出す。
だが、ナルは少女のもとへと辿り着くことはできなかった。
「お前は誰だ? ここには今誰もいないはずだが?」
「――――っ!!!」
ナルと少女を結ぶ丁度真ん中。
そこにその声の主は立っていた。
紫の髪を後ろで軽く束ねた長身の男。特徴的なのは、その左目につけられた黒い眼帯だ。
覆っていない右目の奥からは、疑いの色が伺えた。そして、苛立ち。
ここにいることを除いても、不信な男だった。
そもそも――――。
「なぜ、ここにいる?」
再度尋ねて来るその男は視線を外すことなくナルを見据えている。
ナルと同じ疑問を、相手も口にした。
「……こっちの方で大きな音がしたから」
ナルは無難な答えを返す。
「ここで起きたものじゃない。向こうの森の中だ。なのになぜここにいるんだ?」
「……ここが荒らされていたから。君は? なぜここにいるの?」
その質問に、男は面倒くさそうに顔を顰めた。
「……ここが荒らされていたから。ちなみに村の入り口でコボルドが襲って来ているんじゃないのか? 向かわなくて良いのか?」
同じ答えをしたこともそうだが、ナルは男の発言が気になった。
「コボルドを見た……?」
「……ああ」
「いつ?」
「…………」
男は無言で返す。
「君は、誰? ここをこんなにしたのは、君なんだろう?」
ナルはもう確信を持って尋ねた。
先程から手には刀を抜いて持っている。それを男に向けて構えて言った。
「コボルドが襲って来たのも見たわけじゃないんでしょ? じゃあ最初から知っていたの?」
「…………」
またも無言。
ふぅ、と息を整えるとナルは最も重要なことを尋ねた。
「…………君のその灰色の印、見覚えがあるんだ。どこで手に入れたの?」
ピクリと肩が動いた。
それを見逃さなかったナルはさらに問う。
「僕はその印の人達を探している。君は、【灰色】の一人なの?」
「くくっ」
黙していた男が小さく笑い声をこぼした。
「ど、どうしたんだ……?」
その男の不気味さに、思わず後ずさる。
「くくっ、俺はこういう面倒な問答は嫌いだ。だからさっさと終わらせてやる。……そうだ、これは俺がやった。コボルドのことも知っていた。そして俺は……お前の言う【灰色】の一人で間違いない」
「――――っ!! じゃ、じゃああの娘を狙ってるのは、【灰色】……」
「ん? あの娘って、お前あれがどこにいるか知ってるのか? なら教えろ。見つからなくてな」
「えっ?」
思わず、呆けた声を上げる。
ナルはちらりと男の向こうに居る少女を見るが、変わらず彼女はその場にいた。
その視線を男が追い、目を細める。
「なにもない……? だが……」
男がそこを向いたとき、ハッと表情を変えたナルを見て確信した。
「やはり俺に見えていないだけなのか……」
そう呟いた途端、虚空へと手を翳す。
「何をっ!?」
ナルが叫ぶのを尻目に、男は魔力を放つ。
「――――終幕」
空間が僅かに歪む。
すると突如、何も無かった場所から倒れ伏した金髪の女性が現れた。
それはテナのすぐそば。
「っ! お母様っ!」
テナがその女性に駆け寄っていく。
「お母様!?」
それを聞き取ったナルが驚き、思わず声を上げる。
「なぜかは知らんがやはりお前にだけ見えているのか」
男がそう呟いた。
ハッとナルは男を見る。すでに倒れた女性に向けて動き出していた。
「何をしたんだ!」
叫び、男の後を追うが、予想はついていた。
倒れているのは、少女の母親。つまり、彼女達はつい先程に自分が守ろうと決めた人達。それが既に見つかり、一人は倒されている。
「くそっ! ――――刃に纏えっ」
既に男との距離は二十メートルほど。
その場にとどまり、右手に持った刀を抜いたまま背に引き絞るように構える。
左手を男に向けて狙いを定める。
刀がピシピシと音を立てて氷を纏っていく。
詠唱を唱えながら、最大まで引き絞った背の筋肉を、一気に放つ。
「――――冷刀っ!」
反動そのままに刀を男に目掛けて突き出す。
突き出した刀から延長線上に氷の刃が一気に伸び、二十メートルほどの距離がゼロになる。
「なっ!?」
背後での魔力の迸りに何かが来るのを察した男は咄嗟に横に飛び去るようにして避ける。
先程まで自分のいた、それも頭の位置に、刀から一直線に冷気を纏った氷の刃があった。
「貴様……」
ゆっくりと立ち上がりながらナルを睨みつける。
頬に僅かに血が染み出す。
ナルは氷の刃を消し去った。
「何をしようとしていたんだ!」
ナルが怒鳴る。
「……テナ・モルトセイクリーが見えているんだろう?」
「テナ……?」
ナルは怪訝な表情を浮かべる。
「そこに倒れているのが、サーシャ・モルトセイクリー。そしてその娘、テナ・モルトセイクリー。そこに居て、お前にはそれが見えているのだろう?」
男が指差した先には、女性が倒れ、その女性を少女が揺すっていた。
ナルが守ると決めた二人だった。
「テナ……。サーシャ……」
「知らないのか? 知らないで、こんなことをして邪魔をしているのか?」
理解できないといった様子で尋ねる。
「そんなこと関係ない。……君を止めればあの人達も助けられる。違う?」
「まあ、そういうことになるが、それがどうした?」
ちらりと少女の方を見て――――。
「――っ!!」
一瞬目があった。あの美しい金色の瞳と。
「それが分かれば、もういいよ!」
ナルは男に向かって踏み出した。
☆
止めどなく涙を流すテナの前には、母親であるサーシャが横たわっていた。
死んだように冷たくなり、動かない。
急に目の前に現れ我も忘れて縋り付いたが、そのテナの耳に叫ぶような声が聞こえてきた。
「何をしたんだ!」
どこかで聞いたような声に、思わず顔を向ける。
そこには先程の眼帯の男が迫ってきていた。
「ひぃっ」
その姿に小さく悲鳴を上げる。
が。
「くそっ! ――――刃に纏えっ」
迫り来る眼帯男のさらに後方、水色の髪をした男が刀を構えていた。
「――――冷刀っ!」
刀から氷の刃が眼帯男に向かって伸びる。
「なっ!?」
眼帯男が驚く声とともに横に飛ぶ。テナは伸びた氷の刃に目を取られる。
綺麗だった。
時も状況も忘れて、テナはしばし見惚れる。
が、刃はフッと虚空に消えた。
テナが我に返り眼帯男と水色の髪の男に目を向ける。
再度怒鳴る水色の髪の男。二人でなにかを話しているようだったが、テナにその話し声は届かなかった。
それでも。
「あ、あのお方は……」
テナはポツリと呟く。
あの声、あの髪色、そして、あの――――。
「――っ!!」
目が会った瞬間、テナは思い出していた。
昨日出会った少年のことを。
それともう一つ。
『……貴方は護られる。その時にもし、貴方を見つけてくれる人がいたら、その人を頼りなさい。貴方を護ってくれるはずだから』
母に話した時に言われた言葉。
それはどういう意味なのか。見つけてくれるとは一体なんなのか。その人とは誰なのか。
それが、少しだけ分かったような気がした。
☆
ナルが場を離れてからいくらか。
三人は身体に多くの傷を負い、満身創痍になりながらも、未だその相手と対峙し続けていた。
緑の髪をした少女、シノーリス・ブレンリは、短剣を持った手の袖で額の汗を拭っていた。もう彼女が戦い始めて数十分、身体中の水分が全て抜けているのではないかと疑うほどに汗が流れていた。
肩で荒々しく息をしており、その気勢も衰えが見えていた。
「もう、限界かもですぅ」
弱音をこぼしたシノーリスを叱咤する声が右側から飛ぶ。
「弱気になるな! 集中が切れたら、やられるぞ!」
「は、はいですぅ」
シノーリスの返答にも先程までの元気がない。
彼女の右手側に位置したそのドレイク・セレナードもまた、息を荒げて傷を負い、血を流していた。
しかし、その目はしっかりと相手を見据えていた。
「だがドレイク。いつまでも押さえていられないぞ」
後から参戦してたためか、いくらか余裕があるように見えるのは、エインス・ヒースクリトスだ。
『龍の巣』のランク3である彼は、同じギルドの仲間を逃がして二人と共に戦っていた。
「しかもあいつ、まだ余裕がありそうだぞ……」
苦虫を潰したような表情で、エインスは呟いた。
だが、それも無理もなかった。
彼ら三人の相手、立ちはだかるコボルドは、それほどまでに強かった。
その証拠とでもいうのか、未だにドレイクの不意打ち以降は有効打を一つも決められずにいた。
「グググゥ」
唸るコボルドは剣を構える。
その目は一番傷を負っているドレイクに向いていた。
「来るぞ!」
エインスが警戒の声を上げる。
それと同時に、コボルドが地面を蹴る。
「くっ!」
一気に距離を詰めたコボルドの剣が横に飛び退いたドレイクを掠めて地面を穿つ。
「やめるですぅ!」
一瞬動きが止まったコボルドにシノーリスが短剣を尽きたてようと走り寄るが、
「離れろ!」
ドレイクが怒鳴る。
「えっ? ――――っ!」
咄嗟に足を止め、たたらを踏んだシノーリスの鼻先を剣が掠める。
「オラァ!」
コボルドが剣を振り切ったところに、エインスが斬りかかる。
「グガッ」
コボルドはそれをくるりと回転して躱す。一度距離を置いて三人にら、睥睨とでもいうべき視線を向ける。
三人の顔が強張る。
「こいつ、上手くなってきてないか……?」
エインスが恐る恐るといったように言う。
「なってるですぅ」
「そうだな……」
シノーリスとドレイクもそれに頷く。
ここまでの戦闘の中で、荒削りで力任せだったコボルドの剣は、剣術と呼べるようなレベルまで上達していた。
どう考えても最悪の状況に追い込まれていた。
相手は余裕を残して技術が向上している一方で、シノーリス達は消耗も激しく、戦力差は開く一方だった。このままではジリ貧だ。早々に三人が力尽き殺られるのが目に見えていた。
「なにかをきっかけがあれば……」
ドレイクはそう呟いたが、きっかけだけでどうにかできるものなのかも危うい状況だった。
「グギアァ!」
「く、やばい!」
考える間も無くコボルドはエインスに襲いかかった。
次々に繰り出される剣戟に、防戦一方に陥る。必死に食い下がるが、防ぎきれずに徐々に斬られて傷が増えていく。
「やめるですぅ!」
堪らず背後からシノーリスが飛びかかる。
が、
「駄目だ!」
叫び声と共にドレイクがコボルドとシノーリスの間に割り込む。
待っていたかのように回転しながら放たれたコボルドの薙ぎ払いが、ドレイクを切り裂いた。
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
シノーリスの悲鳴が響き渡った。