010「コボルド」
よろしくお願いします。
010 「コボルド」
「なんだとっ!」
耳にした言葉に、キースは怒鳴り返した。
そのあまりの激しさに、ブルっと身体を震わせながら男は続ける。
「で、ですから! きょ、拠点が壊滅しました。救援をお願いします!」
自分の威圧を感じてか、目の前の男がカタカタと震える様子に逆に冷静になったようで、幾分か落ち着きを取り戻したキースは尋ねる。
「何者では無く、何かと言ったが……?」
「……は、はい、恐らく魔物だと、思います」
「…………今この森は『魔紫霧』の最中だぞ?」
訝しげに首を傾げたキースに、側で聞いていたエインスが問いかけた。
「あの、キースさん。『魔紫霧』の間だとどうして変だということになるんですか?」
「ん? お前は詳しく知らないのか?」
「ああ、はい。何しろ、俺は『魔紫霧』など今回初めて知ったので」
「そうか。普通なら、『魔紫霧』の際には魔物や獣はその範囲に近寄ろうとしないんだ。霧に触れることすら嫌うかのように、逃げていく。魔物なんかの姿が見えなくなることが、この『魔紫霧』の兆候としても知られている」
「そうなんですか……なら、今回のは?」
「わからん。直接見ないことにはなんとも」
「お、お願いします! 急いで向かってください! 仲間もまだあそこにっ!」
それほど悠長に、というわけではないがゆっくりとした雰囲気のまま話している彼らに、報告しに来た男は焦燥しきった様子で言う。
キースは頷くが、まだ聞きたいことがあるらしく問う。
「そこにはコクもいたはずだが?」
「は、はい。コクさんが抑えてくれていて、なんとかみんな村の方に逃げています。ただ、怪我人まで全員逃がすのは難しくて……。コクさんがキースさんを呼べと」
「コクさんが!?」
エインスが驚きの声を上げる。
キースは目を細める。
「『ヤバイ』と言っていたか?」
「は?」
「コクが『ヤバイ』という言葉を言っていたか、と聞いてるんだ」
「……い、いえ。言っていなかったと思いますが………」
困惑気味にそう答えた男に、
「ふむ、そうか」
一人安心したように頷くキースに皆が疑問の表情を浮かべた。
と、シルバードがキースに尋ねた。
「ねえ、キース君。みんな逃げてるって言っていたけど、今回どれくらいの人が来てるんだい?」
質問の意図が良くわからないようにキースは首を傾げる。
「なぜそんなことを聞くのかは知らんが、ランク1と2がほとんど。後はランク3が数人と、俺とコクだけだが?」
答えたキースは、それがどうしたと言わんばかりの視線だ。
「本当かい? ……リッツ、確か今回は少ない気がすると言っていなかったかい?」
シルバードは振り返り、テントの前で聞いていたリッツに聞く。
「ああそう言ったな。だがそれは『龍の巣』奴らが…………ん?」
「やっぱりリッツも変だと思うかい?」
突然口を噤んで、何かに気がついたようなリッツにシルバードは確信したようだった。
「おい! 俺たちのギルドがどうしたって?」
眉間に皺を寄せてキースは詰め寄る。
「だからねえ……」
シルバードが答えようとしたのを遮るようにリッツが言う。
「つまりだ。俺は今回、スライムの数が少ねぇその理由が、お前らが相当気合入れて来たからたろうと思ったんだ。だがよお、お前らが今回ランク3までしか連れて来てねぇってのは意外だと思ってな」
「意外? それがなんで今の話につなが……る…………そうか」
「まあ、僕もそう思ったんだけど。どう思う? キース君」
「つまりあれか? その襲って来ている何かってのがスライムを狩りまくって力を付けた、とそう言いたいのか?」
キースの眉間の皺が更に深くなる。
「そういう可能性もあるんじゃないかな、ということだよ」
軽い口調でシルバードがそれを肯定する。
「………………蠱毒?」
不意に、ナルがそう呟いたのをエインスが聞き留める。
「なんだそれは。……こどく?」
うん、とナルは軽く頷く。
「えっと、前に読んだことがあります。たしか、とても古い呪術だったと思います。器の中に多数の虫を入れて互いに食いをさせて、生き残った最も強い一匹を用いて呪いをする、というような……」
「要するに、魔力を取り込んで強大化させる、ということか」
キースが呟く。
「だか、なぜそんなものが出てくる? そもそも、そんな魔力を吸収すれば強くなる、ということは常識だろう?」
「い、いや。単に思い出しただけですから……」
責めるような口調にナルはいささか縮こまる。
「最後の呪い、というのが気になるね。しかも、それは呪術なんだよね?」
確認するようにシルバードがそんなナルに尋ねる。
「え、ええまあ、そうだったと思います」
「ふーん、なんかまあ本格的にきな臭くなってきたねえ」
シルバードは笑みを浮かる。言葉とは裏腹にどこか楽しげに見えた。
「あ、あの! キースさん!」
報告しに来ていた男が苛立ちともしれない気持ちから叫ぶ。
「どうした?」
「お、お願いしますから、救援に……早く……」
悔し気に声を震えさせる。自分に力が足りないのが悔しいのだろう。
「……大丈夫だ。コクが『ヤバイ』と言っていないのならな。ただまあ、いつまでもここで話し込んでいても仕方がないか。行こう。ああ、お前たちはどうする?」
戻ろうとしたキースが振り返って『銀の薔薇』の全員に尋ねた。
「そうだね、僕達も行くことにしようか。聞いた感じじゃあなんか不味いことが起こってるようだしね」
「……助かる」
キースは言葉少なに、感謝を告げた。
『銀の薔薇』の面々はキースとエインス、そして襲撃の報を知らせにきた男――ザックの『龍の巣』の三人に着いて『龍の巣』の拠点に来ていた。
暗い森の中、彼らのテントから歩くことおよそ十分。歩いてといっても、かなりの速度で移動していたためそれなりに距離は離れていた。
拠点があった場所では、数人の死傷者が盛り上がった地面の上に並んで横たわり、その側で一人の小柄な男が静かに座り込んでいた。
横には彼の物であろう大振りのメイス。彼の身長にしては大きい気がしないでもないが、油断無く手を添えている様子からして間違いない。
そんな男に向けて、キースは声をかけた。
「コク!」
ピクッと身体を震わせて、男は首を回してキースたちの方を見た。
その男を見た途端、ナルはギョッとし目を見張った。
額の位置に二本、黒い触覚のような物が生えている。
「彼は『龍の巣』の三強に数えられるコク・アンティグマ。蟻人族なのよ」
それに気が付いたミナリーがボソッと耳打ちしてくれていた。
「……蟻人族?」
初めて耳にした種族名だった。
そもそも、蟻は獣の部類に入れられるのだろうか。
「キース。遅いと」
「ああ、すまんちょっとな。それより、何があった?」
キースは周囲を見渡して単刀直入に状況の把握に努めようとする。
「ん? そっちは誰と?」
キースが連れてきた人達を見て尋ねる。
「前に会ったことあると思うが、初めてだったか? まあ、前に言った『銀の薔薇』の奴らだ。一緒に様子を見にきた」
「ああ、前に会ったことあると。シルバードっていう奴がいたと」
コクは思い出したように言った。
「こんばんは」
シルバードが手を振る。
「で、襲撃されたらしいが……」
キースが再度辺りを見渡す。
生い茂った木々は根元から折れ曲がり、そこら中の地面が陥没している。
寝泊まりに使っていただろう簡易的な野営道具や、焚き火用らしき薪などが散乱している。
何より、コクの前に並ぶ死んだ仲間たちの遺体。
それらを見るキースは何か言いたげな表情を浮かべる。
伺う視線や表情から察したらしいコクは首を振った。
「逃げられたと。でも、みんなを守りながらでは精一杯だったと」
横たわる仲間を見て、頭の触覚が力なく垂れる。
「…………そうか。相手はどんな奴らだった?」
「魔物と。魔物が二匹と。……あれは……コボルドと」
「なに?」
予想外の魔物の名前に、リッツが思わず叫ぶ。
「コボルドと。でも、それにしては信じられないくらい強かったと。小さくて、早かったと」
「……コボルド」
ナルはポツリと呟いた。
コボルド。
二足歩行の犬のような容姿をした魔物だ。
通常なら、少しでも武術を嗜む者ならば傷を負うことはあれど、ほぼ確実に勝てる程度の能力しかなく、その脅威は魔物の中でも極めて低い部類に分けられる。
しかし、そのコボルドがこの惨状を引き起こした。
加えて、未だ行方知れずの計二十名もこの分からすると、恐らく襲われている。
常識ではまず考えにくい状況だった。
「そいつらはどこに行った?」
「一匹はトドメをさせそうだったと。でもそしたら森の奥から似たような雄叫びが聞こえてきたと。それを聞いたコボルドはすぐに戦うのやめて逃げて行ったと。この子たちが心配だし、追いかけなかったと」
静かに語るコクの肩は震えていた。
「わかった。よくやってくれた。……そこにいるのは……」
「……そうだと。守れなかったと」
「そうか…………負傷者は?」
「動ける奴に頼んで村に避難してもらったと。ボクはこの子たちを埋葬してやらないと」
そう言って不釣り合いなメイスを片手で難なく持ちコクは立ち上がった。
すぐ脇にもう一方の手をかざす。
「――――穿て!」
突如、その手の先に人が入れる大きさの穴が、死んだ仲間の数だけ掘られた。
「土魔術……」
ナルがそんな様子を見ている間に、コクは一人ずつ丁寧に埋めていった。
そして最後の一人を抱きかかえたとき、一緒に戻ってきていたザックが叫んで駆け寄っていった。
「ミックっ!」
コクの腕を掴んで埋めるのを止め、抱えられた男を見てボロボロと涙を零した。
「お、おい、なに死んでやがるんだよ。おい! ミックお前が死んだら俺は誰と一緒に飲みに行けばいいんだよ……。バカ野郎! クソぉぉぉ!」
「すまないと」
そっと穴の中に亡骸を横たえさせた。
コクはザックが泣き縋り付くのを悔しそうに顔を歪めて見ていた。その拳がギリギリと握りしめられる。
「優しい人ですね……」
ナルは言うと、エインスが大きく頷いた。
「ああ、俺だってコクさんがいたからこうしてまだ生きていられるだ。あの人は……すごい人だ」
「……」
何かあるのだということは分かったが、聞くことはできなかった。聞いても喋りはしないだろうことも安易に想像できた。
「…………す、すみません。ありがとうございました」
しばらくしてザックはグズグズと鼻を鳴らしながらも、ようやくミックの遺体から離れた。
ゆっくりと頷いたコクは遺体に手をかざし、それぞれを埋葬した。
「実際どのくらい強い?」
キースが尋ねたのは、襲って来たコボルドの強さのことだった。
コボルドがたった二匹で、仲間を庇いながらとはいえコクを抑えこんだという事実は、キースにとってそうそう簡単に見逃せることではなかった。
近くには村がある。そこが襲われでもすれば村人は全滅は免れないだろう。そして、休んでいるメンバーたちもおそらくは……。
「……一対一なら、最低でもランク3はいると。でもちょっとでも状況が悪かったり、複数で来られたらランク3では簡単にやられると」
「なるほど。確かに元々ゴブリンなどと同じで集団で襲ってくるからな。つまり、コボルドが三体以上。討伐要求ランク3以上か。いや……」
「ランク4以上に設定して、ランク3は討伐隊には入れるべきではないと」
「そうだな。しかし、それを満たすのは……」
「キース君。そのコボルドを討伐するのかい?」
考え込むキースにシルバードが尋ねた。
「だから、どうした?」
「いや別になんでもないよ。ただ、僕らは頭数に入ってないだろうね?」
「……協力を要請したいとは考えているが?」
「悪いけど答えはノーだよ、キース君。なんの見返りも無く、僕らは、『銀の薔薇』は動かない。そうだね、夜が明けたらメリダールに戻るよ」
そう言い切ったシルバードに、突っかかったのはキースではなく、ナルだった。
「な、なんでですか!」
「うん?」
突っかかるその理由が分からないと言わんばかりの冷めた目を向ける。
「なんだい? ナル君、文句は言わせないよ。これはギルド方針だ」
「でも、放置したら村が襲われるかもしれないじゃないですか」
「だから、どうしたんだい?」
ゾッとするほどの威圧感をもってナルに問いかける。
「村が襲われるかもしれないから、どうしたと言うんだい?」
「み、みんな死んでしまうかもしれないじゃないですか!」
「僕らは代行者なんだよナル君。慈善活動はしないよ」
「そ、そんな……」
「もし、それでもやるというのなら……そうだね、『龍の巣』にでも移籍させてもらえばいいんじゃないかい」
突き放すように言う。
リッツ達他のメンバーも何も言うことなく静観していた。
まるで、この場でナルだけが何も分かっていないと言わんばかりの状況だった。
俯いてしまったナルはちらりとリッツたちを見るが、反応もしない。
そんなナルの様子を見て、エインスが口を開いた。
「ナルって言うのか。お前、甘いな」
「甘い……?」
「そうだ。お前とは関係ないじゃないか、コボルドのことも、村のことも」
「関係、ない?」
「そうだ。お前は俺たちの仲間なのか? あの村の一員か何かなのか? ただ単に居合わせただけじゃないか」
エインスの言葉が頭の中でぐるぐると回る。
関係のない、部外者。
今回の件に関わる理由は確かにナル達にはなかった。ただ単に『魔紫霧』に参加するために立ち寄っただけの、小さな村。
特別関わったわけでもない。それこそ一度食材を買いに行っただけだ。
なら、なぜこだわるのか。
それは――――
「ナル君。とにかく僕ら今のままでは協力はしないよ」
シルバードがもう一度告げる。
ナルが考えがまとまらないまま立ち尽くしていると、ミナリーが優しく言った。
「さあ、いつまでもここに居てもしょうがないわ。とにかくもっと安全な開けた場所にでも行きましょう。『龍の巣』の皆さんもどうかしら?」
キースはそれに同意して、
「そうだな、我々も一度村に行こう。逃げたみんなが心配だ」
そう言ってその場に居た十人は、村に向かっていった。
☆
パナムの村。
近くで『魔紫霧』が発生しているその村の入り口付近では、まだ夜も深いにもかかわらず、慌ただしく人が行き来していた。
「大丈夫ですか!」
足を引きずる男に、医者らしき男が駆け寄る。簡単な処置を行うと、その医者は休む間も無くすぐに別の怪我人のところへと駆けていった。
治療を受けた人達は口々に感謝を述べては、人心地着いた安心感から先程の恐怖を思い出し、ぶるりと身震いする。
生きて帰って来れた。
彼らにとってそれこそが、唯一の救いだった。
しかし、何人かが倒れていくのを置き去りにして逃げて来た。
そのことが彼らの心に小さくない陰を落としていた。
「クソぉ。なんだったんだよあれは」
呻く男に、近くで様子を見ていた村の人間が尋ねた。
「一体何があったんだ?」
悪いことがあったことなど分かりきっているからか、顔はすでに青ざめている。
「わ、わからねぇ。俺にはわからねぇんだ。き、急に仲間達が倒れていったんだ。それで、それで俺は怖くなって、みんなが逃げるのに一緒に……。そ、そうだ! コクさんはどうした。戻って来たのか? キースさんは?」
震えて語っていた男が急に思い出したように周囲を見渡す。
だが、探していた人が見つからなかったのか、肩を落とした。
「…………こんなときにキースさんでも、コクさんでもいてくれたら」
それは村へと逃げ込んできた誰もが思っていたことだった。
彼らは『龍の巣』のランク1から2までの代行者たちだった。僅かにランク3もいるがもうこうなると変わらない。
そんな中、その場に喜色に染まった声が響いた。
「キースさん! コクさんも!」
皆が一斉に目を向けると、頬に傷痕をもつ男と大きなメイスを持った触覚がある男が、後ろに数人の人を連れて向かって来ていた。
沈んでいた場の空気がいくらか軽くなる。
彼らにとって、それほどに頼りになる人達なのだ。
「コクさん! 無事で何よりです!」
近くにいた比較的に怪我の少ない男が駆け寄る。
「……全員を守れなかったと」
だがコクは、悔しそうに首を横に振った。
「それでも、俺たちはあなたに助けられました」
それを皮切りに、口々に感謝の言葉が掛けられる。
コクが全てを引き受けて逃がしてくれたからこそ、ここにいる人達はまだ生きているのだ。
死んだ人たちに関しても、コクが二匹ともを引き受けるまでの間にすでに死んでいた人たちだ。コクが守りに入ってからは、重傷者すら出ていない。
キースもいない中で、もしもコクがあの場にいなければ、間違いなく全滅と言っていい被害が出ていただろう。そんな状況だったのだ。感謝されこそすれ、責められるわけも無かった。
「パナム村の方々、救護感謝する! 早急に原因を排除するよう努めるゆえ、極力村を出ず隠れていてほしい! 全員動けるものは現状を、俺に報告しろ!」
キースはその場の皆に聞こえるように声を張り上げた。
その宣言にギルドメンバーたちも、そして村人たちもいくらか緊張を緩めて、笑顔も見え隠れしていた。
情報をやりとりするためにバタバタと慌ただしく人が行き来する中、ナル達『銀の薔薇』は入り口付近に急遽簡易的に設けられた休憩所で集まっていた。
「じゃあ明日メリダールに立つんだな?」
確認事項を挙げるリッツに、先程とは打って変わって随分と曖昧にシルバードは答えた。
「うーん。どうしようかねぇ。本当は気になることもあるんだけどねえ」
シルバードは気だるげに、ダラリと壁に寄りかかって言った。
「ん? 残るってことか?」
「だからさあ、さっきも言ったじゃないか。僕らは今のままじゃ協力はしないよ」
そこでピクリとナルは反応した。
そうだ。そうだった。
さっきも今も、シルバードは――――
「そうか。まあ俺はどっちだとしてもシルバードの決定に従うさ」
ガハハとリッツは豪快に笑い声を上げた。
横では何かを言おうとしてはミナリーに口を抑えられてアウアウと喚くシノーリスと、妖しい笑みを浮かべてちびちびと酒を煽るリナリスが、月明かりで照らし出されていた。
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感想・評価・アドバイス等頂けると嬉しいです。
次話は、明日18時に投稿予定です。
またよろしくお願いします。
間違いを発見したので修正しました。
申し訳ありません。