第2輪:吉報
「セリア様、吉報ですよ!」
そんな声が執務室に響いたのは、何週間かが経ってからだった。飛び込んできたその神族は、息をきらしながらも持っている書類を振った。サラが持ってきた水を一礼してから一気に飲み干し、また一礼してから返すが、その表情は疲れなど見せず嬉々としていた。
「一体どうしたの?」
「はい! たった今、『神羅界 能力学問研究会』よりペガサス便が届きまして、セリア様の提出した『セルパティオ再現記録』が、学会で高い評価を得たとのことです! 更に、その評価の高さから、今度、緊急学会を開いて表彰式を行うそうです!」
「何ですって!」
セリアとサラ、そこにいた神族全てが彼女の周りを取り囲む。中には喜びのあまり抱き合う神族も見られた。はやる気持ちを抑えようとしながらも、受賞者本人よりもサラのほうが詳細を知らずにいられないようだ。
「それはどういうことです?」
「はい! この間セリア様が再現されたセルパティオを幻里界で試験移植したところ、見事に繁殖を始めたそうです。書類には、『セルパティオが再び幻里界に生息したことで、幻里界の人々は希望を手にした。セルパティオに関する資料は失われた言葉、古代アルソア語で書かれていたにも関わらず、それを解読し、見事に再現した能力は高く評価されるべきものである。よって、ここにセリア・アイオニス発表「セルパティオ再現記録」の表彰を決定する』とあります!」
「表彰式だなんて……! おめでとうございます、セリア様!」
「お姉様、おめでとうございます」
「皆有難う。でもどうしましょう、全然信じられないわ……! ねぇ、書類をよく見せて」
何度も何度も読み直すが、聞き間違いではないらしい。審査基準の厳しい学会で表彰を受けることなど滅多にないため、その思いがけない吉報に、アイオニスの執務室は大いに沸いた。
もちろん、定例会議もその話題でもちきりだった。二人が会議室に入ると、祝福の声があちらこちらから降り注いだのだ。
「おめでとう、セリア。私たちの誇りよ」
最初に駆け寄ってきたのは、金色の髪を持つサンウェストの妹、「月」を司る神であるムーリアだった。続いて、ウォーラやヴィオードなど、他の女神たちも次々にやってくる。
「本当におめでとう。協力した甲斐があったってものね」
「ウィル…ありがとう」
中でも、協力してくれた「風」を司る神、ウィルからの祝福は、よりセリアを嬉しくさせた。以前、セリアの持ち出した願いに反対していたアクアも、微笑んで手を握ってくれた。
「それで、スピーチの内容は決めたの?」
「スピーチ?」
「表彰式の場で行うのですか?」
突然のヴィオードの言葉にセリアとサラは驚いたが、二人が驚いたことにまた他の女神たちが驚いていた。セリアたちは表彰式に出たことがなかったものね。と、「空」を司る神であるセレッシャル・リィリア、通称セレシアが言う。
「学会で表彰された者は、表彰式でスピーチをすることになってるの。表彰された記録のことでもいいし、もちろん別のことでも、何でも構わないわ。どちらにしろ、学会表彰式でのスピーチだもの。とびきりのを書かないと、受賞を取り消されるかもしれないわよ?」
そんな馬鹿なことはないわよ、と、いつもの冗談をウィルがフォローする。綺麗な空色の髪を持つセレシアは、こんな冗談が大好きだった。
「表彰式は三ヵ月後だったかしら。内容が決まったら、また教えてね」
表彰されるだけでもとんでもないことなのに、その表彰式にスピーチまであったとは。考えてもいないことだった。
愛用の羽ペンで紙に書きとめていくが、途中でまとまらず丸めてみる。しかしこのまま捨てては勿体ないので、再び広げて余白に書く……。かれこれ一時間近く、セリアは同じことを繰り返していた。
「スピーチの内容が決まらないのですか?」
見るに見かねて、サラがセリアのもとへやってくる。
「あぁ、ごめんなさいね、邪魔をしてしまって」
「いえ、それは構いませんが」
「何を話せばいいか、分からないのよ」
何しろ、学会の表彰式には神羅界の神族の殆どが出席する。だからこそ、表彰されることは素晴らしいことで、名誉なことなのだ。しかし、セレシアの言う通り、そんな場でスピーチをするとなればそれはまた別の話で、「決して変なことは言えない」という威圧感が受賞者を襲うこともあり、実際、学会が受賞を取り消したことは無かったが、受賞を辞退した者は何人もいた。
丸めた紙のしわを伸ばしながら、受賞したのは嬉しいのだけど。とこぼす。黙っていたサラが、考え付いたように提案した。
「この間の、願いは如何でしょう? 定例議会で保留庫行きになった、あの願いです」
セリアの脳裏に、あの女の子の声が蘇る。
『これいじょう、きをきらないで』
「…それはいい考えかもしれないわね。神羅界の殆どの人が見に来るんですもの、そこで多くの賛成意見を貰えば、定例議会だって認めないわけにはいかないわ。……流石ね、サラ。どうも有難う!」
「いえ! 妹として、姉が表彰を受けるなんて嬉しいことですもの。……では、早速調査にかかりましょう」
「あら、手伝ってくれるの?」
「もちろんです。まず、木の減少具合から調べなくては……情報館で下調べをして、それから下界に降りましょう」
「待って」
引き出しから必要な書類を捜すサラに、セリアがストップをかける。やっぱり、落ち着いて考えましょう。と声をかけた。
「この願いは、一度議会で保留庫行きになっているのよ。保留庫に送られた願いの無断調査はご法度。もし気付かれたら、受賞どころじゃなくなってしまう。そうなれば、あの子の願いは二度と表に出ないことになるわ」
「……では、どうします?」
しばらく考えた後、セリアは決心した。
私は神だ。すべての世界の人々を幸せにする責任がある。
そしてその力が、自分には託されているのだ。
暗い廊下に、足音が響き渡る。空気がひんやりとしていて心地よい。ランプの光が暗闇を怪しげに照らし、それを頼りに二人は進んでいた。目指す情報館は資料館の隣にあり、城の中ではちょうど二人の執務室と反対の方向にある。
城を動く神族の少ない夜ならば、気付かれないかもしれない。そんなセリアの考えで、行動は夜に移された。夜は動いてはいけないという規則など無い。しかし、動く神族が少ないということは、それだけ響く音も少ないということ。気をつけていないと、足音が響いて誰かが来てしまう。
それでも途中、何人かの深夜勤務の神族と出くわしたが、幸いにも誰も何も聞いてこなかった。
「着いたわ」
そっと鍵を差し込み、捻る。がちゃり、と大きな音がした。誰も気付いていないか、慌てて周囲をチェックする。資料館の位置が幸いしているのか、やはり時間帯が良かったのか、広い城の端に人影は無い。
それでも用心に越したことは無いと、扉を開けるのも一苦労だった。キィ、という音が立つ度に辺りを見回した。昼間堂々と来たほうが楽だったのではないかと、今更ながらに思ったりもする。
中に入ってしまえばこっちのものだ。中央の机にランプを置き、早速情報箱で検索を始める。あの女の子の願いは、一体どういうことだったのか。
「出ました」
結果を先に導き出したのはサラだった。機械や書類の扱いなら、彼女のほうが数段上手のようだ。
「本当に助かるわ。こっちにも送ってくれないかしら」
感情が無いものって苦手なのよね。何よりも自然と触れ合うのが好きな女神は、苦笑して呟く。それを聞いてサラは何故か安心した。
すぐにセリアのほうにも情報が送られ、それらを一つ一つチェックする。画面にはいくつもの見出しが並んでいた。『本当に存在した! 牛とツチノコの合成獣』『新宿と原宿どっちが有利?』『月のカラスがもちをつく理由』……。
一体サラは何を探していたのだろう。
「まぁ、御覧なさいサラ! 頭が牛で体がツチノコの新種が見つかったそうよ! 一体どんな生き物なのかしら……」
「頭がツチノコで体が牛では? それと新種ではなく合成獣です」
「あらそうなの? 間違った情報があるものね…注意しないとだまされてしまうわ」
どうやら、ツチノコという生物の存在自体が確認されていないことは載っていないらしい。
「でもサラ、月にいるカラスが毎日月を食べるから満ち欠けが起きるんですって! なるほどね、食べてしまったのがバレてしまったら困るもの。だから彼らは満月に戻す為にもちをついて、出来たもちを月に塗りつけていたんだわ」
「お姉様、月にいるのはカラスでなくオオカミですよ。オオカミが月を食べ、もちをつくことによって満ち欠けが発生するのです」
「あら、これも間違いだったの? 私ったら信じてしまったわ」
「予想よりも多く偽情報が紛れているようです、注意しましょう」
星を操り星座を作ったり、新たな星や惑星を生み出す能力を持ち、月を作り出した張本人でもある「星」を司る女神はそう言った。
確かに偽情報ではあるが、月にいるのはカラスだという点だけではなく、満ち欠けの原因もそうだということに気付かなければいけない。オオカミが月と太陽を追いかけるのは北欧神話の中だけだ。
そんなどうでもいい見出しが溢れる部分を通り過ぎると、ようやくお目当ての言葉が目に入った。『人間界・地球区における自然環境問題』。
今度こそ間違いはなさそうだ。
「えぇっと…『昨今の地球区における環境の悪化には目を見張るものがある…』」
中でもオゾン層の破壊、海洋汚染、地球温暖化、砂漠化といった主な環境変化。これを生み出したのは自然の恩恵により育ったはずの人間である。彼らは自らの発展を望むがために多くの自然・生物・果てには同胞の命を奪い合い、発展を築くどころか自らの首を絞め続けている。それにも拘らず、未だ数多くの木々を伐り倒し、動物たちの住処を奪って自らの住処を作っておきながら、その所為で起こる自然災害に文句を言い、農業の為に森を焼き払ってそのまま植樹もせず放っておいたために砂漠が延々と広がったというのに、まるで被害者かのようにそれを嘆き、更には大量の汚染物質を海や川へ流して魚たちを殺し、その魚を食べたがために同胞が死んだぞどうしてくれると言う。決して住処を奪われた動物や焼かれた木々、殺された魚たちのことを想うことなどない。更に自らの利益を求め続けるその欲に限りはなく、女神の努力も空しく、人間の愚かな欲によって数多くの動物が絶滅させられた。その上、他の生物との共存などと言いながら動物を見世物にする様など利己心の塊。神羅界の女神が陰で支えていることなど彼らには関係ないのだ。
「『人間の身勝手さにはほとほと呆れるものがあり、議会は地球抹消案について議論を重ねている……』ちょっと待って、何なのこの記事は? また偽の情報なの?」
「残念ですが…」
サラも否定したい気持ちでいっぱいだが、情報の登録者の名前を見て、肯定せざるを得なくなる。
「登録者が、嘘を言える立場ではありません」
情報名『人間界・地球区における自然環境問題』
登録者:神王