其の七、面接
薄が覚醒するまで、彼女を食おうと現れる妖怪達を私は撃退し続けた。
殴り、蹴り、噛み千切り。
そうして獣のように形振り構わない立ち回りをし、警戒して誰も近付かないようになると、何処から来たのか分からない外来人が偶然にも私の目の前に現れた。
多分、私を人間と勘違いしたのだろう。
しかし、その外来人は私を見た途端、一目散に逃げていく。
私はそれを追ったが、余程恐ろしかったのか、やがて外来人は自ら崖下へ身を投げてしまった。
上から覗くと、木の枝に腹を貫かれて串刺しになりながら、まだ生きていた。助けるべきか悩んだが、その余裕が無い。私は周囲で日和見をしている妖怪達に外来人を譲ると、薄の居る場所へと戻った。
戻ると、薄は妖怪の姿で体を起こしている最中だった。
四足を地面にしっかりと立て、薄は私へ恭しく頭を下げる。
「守ってくれていたようだな。感謝する」
「これも同郷の好だ。良い練習にもなった」
「何か殺したのか?」
「いや。勝手に死んだかもしれないけどね」
言いながら、私は口元の血を指で拭いた。
「ところで、これから私は面接なんだけど、これで大丈夫かな。返り血とか」
「……ああ、大丈夫だと思うぞ」
「それは良かった。鏡持ってなくてね。仕事の面接で血塗れは流石に駄目だと思ってたんだ」
「働くのか?」
「勿論。結局、私は弱者だからね」
私は手を胸の高さまで持ち上げる。
灰のように白く染まり、震えが止まらない。
体に無理をさせ過ぎたのだ。
「こうなるまで追い込んで、やっとどうにかなるのが今の私だ。長く暮らすのなら何処かに所属しておかないと」
「だが、俺の下は」
「断るよ」
「……そうだろうな」
薄は嘆息した。敗者に何の決定権も無い事くらい、よく分かっているのだろう。
体の調子を確かめるように何度か伸びをすると、私に背を向けて離れていく。
「何処に行くんだ?」
「少し散歩するだけだ」
「そうか。また、生きて会えると良いな」
「また、か。そうだな。それまで元気でな」
薄が跳躍する。木々を抜け、空へと昇り、その跳躍は飛翔へと変わった。
姿はあっと言う間に見えなくなり、彼女が残した風だけが場に残る。
私は震える手を握り締め、改めて紅魔館への道のりを歩んだ。
◇
湖畔に建つ紅の洋館が視界に入る。
あれこそが紅魔館なのだろうと考え、私は正門に近付いた。
腕を組み、門に寄り掛かって眠る女性に声を掛ける。
「もし」
起きない。揺さぶろうかと考えたが、湖で洗ったとはいえ、自分の手は血で汚した後だ。
大声を出して騒ぐのもはしたなく、根気よく呼び掛け続けると、五回目で女性は眼を覚ました。
状況に気付いたのか、恥ずかしげに頬を掻く。
「おはようございます」
私の丁寧な挨拶に、女性は恥ずかしそうに顔を手で覆う。
やがて、観念したかのように手を下ろし、彼女は愛想笑いを振り撒いた。
「こんにちは。どういった御用件ですか?」
「新聞の求人広告を見まして。面接を希望したいのですが、御時間は宜しいでしょうか?」
「……男の方で、ですか?」
途端に難色を示される。
意外な程に分かりやすい表情を取られたものだ。
かと言って、ここで弱気になると負けだ。
愛想笑いを続け、この場は何もせずに耐えるのが一番だろう。
「少しだけお待ち下さい」
女性はその言葉を残し、門を開けて館内に入る。
彼女と入れ替わりでメイド服を来た妖精の少女が門前に立った。
「確認に行っております。もう暫くお待ち下さい」
「分かりました」
真面目な妖精だ。私と眼を合わさないように視線はやや低く、手は体の前で緩く握っている。
私が今まで見た妖精は騒がしいくらいだったが、この子は実に静かで、身動ぎ一つしない。
感心しながら不躾に思われないよう、それとなく観察していると、あちらの方も私に注目している事に気付いた。
私に何か興味を引かせるものがあったかと考え、直ぐに付き纏わせている幽霊だと思い当たる。
簡易な除霊のまじないを試し、幽霊に距離を取らせた。
しかし、この子の視線は動かない。私自身に興味があるらしい。
「失礼で――」
「お待たせしました」
何か言おうとして、妖精のメイドは突然出現した新しいメイド服の女性に阻まれた。
不可思議な現象を前にし、私の直感は彼女が時を止めて移動したのだと即座に告げる。
原理はどうあれ、瞬間移動自体は紫さんで少し慣れていた。
一瞬驚きはしたが、直ぐに気を取り直して御辞儀する。
恐らく、彼女が人事を担当している者だろう。吸血鬼の館にしては意外だったが、人間らしい。
「メイド長をしております、十六夜咲夜です」
「川上龍泉と申します」
「面接との事でしたね。どうぞ、こちらへ」
門前払いにはならなかった事に安堵しつつ、私はメイド長の後を追う。
館内に入り、応接間らしき場所へ。
外見から想像出来ない広さと、紅色の内装に眼を奪われそうになりながら、私は促されるままに椅子へ座った。
メイド長も近くの椅子に腰掛ける。それを私と向き合えるように横に向けて、メモ用紙とペンをテーブルに載せた。既に私の名前が片仮名で記されている。
「それでは、面接を開始いたします」
「はい。よろしくお願いします」
互いに会釈程度の軽い礼を交わした。
「まずは種族をお教え下さい」
「妖怪です」
「具体的な種族名は?」
「まだ名付けられておりません。何分、新しい妖怪ですので」
「お若いようですが、そんなにも新しい妖怪なのですか?」
「人間として生きてきましたが、途中から妖怪となったので」
「ああ、成る程……」
メイド長はすかさずペンを走らせる。
魔法使い? 仙人?
私はそれらと違う気がするが、そのように書かれていた。
「でしたら、ここでの仕事を希望した理由は後ろ楯を得る為、ですか」
ペンを回す何気無い仕草と共に、ずばりと言い当てられた。
これは正直に答え辛い。
なんと返そうか悩んでいると、メイド長は微笑んだ。
「別に構いませんよ。私としては職務を全うして下さるのなら問題だとは思っていません」
「……はい。おっしゃられた通りの理由です」
「ここまで来るのもさぞ大変だったのでしょう。お帰りの際にはメイドを一人お付けしますね」
「いえ、そこまでのお気遣いは結構です」
「そうですか? なら、質問に戻りますね」
気前の良い顔をして、メモに走り書き。
書いた直後に手で隠した所を見ると、あまり良くない事を書かれたのだろう。
「人間として、恐らく外の世界で生活していらしたんですよね。勤務経験は御座いますか?」
「接客なら少々。その前は農林業を数年営んでいました。庭の手入れの経験もあります」
「お辞めになった理由は?」
「転居等です」
「……成る程」
暈した表現でも、彼女は概ね理解したようだ。
特に追及される事はなく、そのまま質問が続けられた。
「仕事の内容はご存知でしょうか?」
「家事手伝いとだけなら」
「その通りです。調理補助や給仕、清掃等が主な仕事となりますが、向き不向きがありますので、適性を確認してから大まかに振り分ける事になります。
では、館主とその御家族。居候。使用人も殆どが女性ですが、その事を含めての不安はありませんか?」
「特には。仕事に関しては至らない点があるかもしれませんが、職場での人間関係に不安は感じません」
「慣れている、と言う事ですか?」
「どちらかと言えば、違いをある程度弁えているつもりだからです」
「違い、とは?」
「誰もが自分と同じではない、という心構えを常に持つようにしています。同じでは無いからこそ、きちんと真摯に向き合わなければならないと」
「立派な考えですね」
「いえ……」
自分で言いながら、出来てない時も多々ある事を思い出し、私は顔を伏せた。
外来人を惨たらしく死なせた後だというのに、このような言葉を自然と吐ける私とは、本当に何者なのだろうか。
「分かりました」
一通りペンを走らせ、メイド長が言う。
「明日からでも構いませんか?」
「……はい? あ、はい。行けますが」
「では、明日から宜しくお願いしますね」
採用された、のだろうか。
あまりに唐突な話に言葉が上手く呑み込めない。
返答が即日の場合は確かにあったが、こうも急なのは不自然だ。質問も少なすぎる。
「採用、ですか?」
「はい」
「誰かと相談しなくても良いのですか? あの門番の女性とか……」
「美鈴の事ですか。彼女は恐らく納得すると思いますよ。私は主から館の人事を一任されておりますし」
私に働く気概はあった。そのため不平こそ無いが、指摘したい問題点は数多い。
「採用ならば採用で、私から質問があるのですが」
「はい。何でしょうか?」
「住み込みとの事ですが、もしや、メイド達と相部屋となるのでしょうか?」
「使っていない客室がありますので、そこを当てようと考えています」
「制服貸与可能ともありますが、頼めるのでしょうか? 私の服はこの普段着しかないのですが」
「新調する事になりますが、ご用意しますよ。明日には出来るでしょう」
まるで事前に仕組まれていたかのようだ。
理解に励む私へ冷静沈着なメイド長の声が降り注いだ。
「混乱していられるようなのでお教えしますが、川上龍泉の雇用はお嬢様から命ぜられていたのです。使えないようであるなら雇わなくても良い、ともおっしゃられましたが」
「何故雇うように?」
「私も存じ上げません。妖怪喰らいの噂に興味を持たれたのか、お嬢様にしか分からない何かが貴方にあったのかもしれません。ですが、客人としてではなく、使用人として欲したのですから、少なくとも只の気紛れでは無いのだと思います」
「どうしてです?」
「私がそうでしたから」
メイド長は誇らしげに言った。
よく考えてみれば、不思議な事だった。
時を操る程の強い人間が吸血鬼の配下にいる理由が私には全く思い付かなかった。いや、正確には必然性が見当たらなかったのだ。
やろうと思えば、それこそ何時でも下克上は可能だろう。
それをしていないのだから、メイド長は絶対的な忠誠を誓っているのだろう。洗脳されていないようなので、恐らくは本心から。
もしかすると、ここの吸血鬼には期待していいのかもしれない。
「分かりました。御採用頂き、ありがとうございます」
詳細は私が直接探ったほうが早いだろうと考え、席を立って一礼。
メイド長もそれに応じて頭を下げた。
「本日は御足労頂き、ありがとうございました。充分にお気をつけてお帰り下さい」
「こちらこそ、貴重な御時間を割いて頂き、ありがとうございます。明日から宜しくお願いします」
門前まで見送られ、そこで再度一礼。居合わせた美鈴という女性も私に頭を下げている。あの妖精メイドは通常業務に戻ったのか、もうそこにはいない。
何を聞きたかったのだろうかと少し考えるが、明日から同僚だ。急ぐ必要も無いだろう。
くるりと踵を返し、私は森の小道に戻っていった。
◆
龍泉の姿が見えなくなって、美鈴が暢気に口を開いた。
「礼儀正しい人ですね、彼。ああいうのを紳士と呼ぶんでしょうか」
「彼は妖怪よ」
「それにしては妖気とか殆ど感じませんでしたよ?」
「幽霊の気配で紛れているだけでしょうね。わざとなのかは分からないけど」
咲夜は口調を親しい友人に向けたそれへと変化させつつ、自らが記したメモを取り出した。
「見る?」
「まあ、一応は」
受け取り、美鈴はメモに目を通す。
質問して得られた名前と大雑把な職歴は全体の中でもごく僅か。殆どは身形や礼儀の事についての詳細な記述であり、それらが紙面の大半を埋め尽くしていた。
美鈴は暫く読み進めていたが、途中で全て読むのを止めた。一番最後の「使えなくはない」の文字まで読み飛ばして、咲夜に尋ねる。
「これ、本気で審査したんですね」
「野心家だったりしたら面倒だからね。見た限り、誰かに仕えた事は無いようだけど、それなりに礼節は弁えていたわ。それだけで仕事が務まるとは限らないけど、その辺の妖精よりはずっと役に立つと思うわよ」
「普段なら面接なんて適当に済ませて、雇ってから最低限の教育をする方針なのに、今回はなんでまた」
「お嬢様の御指名だからよ。念入りに調べておいて損は無いわ」
「と言うか、彼、新参の妖怪だったんですね。一人で帰して大丈夫なんですか?」
「本人が言ってたんだから多分ね。隠していたけど、来た時も何かとやり合ってきたみたいだし、自衛なら出来るでしょう」
「……あと、彼、なんで飛ばないんですかね? 空ならまだ安全なのに」
「そこまでは知らないわ。ところで、美鈴。あなたまた仕事中に眠ってたわよね?」
「あはははは……」
笑って誤魔化され、咲夜は呆れ果てる。面白くない言い訳を聞かされるよりは良いかもしれないが、そういう問題では無いと思い直した。
「もう、本当に……」
どうすれば直してくれるのかと咲夜は頭を抱えた。
門番を二人にして見張らせる手もあるが、そうするなら真面目な門番一人だけにした方が良いし、それに美鈴並みに腕が立つ相手となると中々居ない。
美鈴に限らず、妖精メイドも殆どが不真面目で困っていた。
求人を出していても、多少の田畑を暢気に耕すだけで生活出来る幻想郷の人間達は殆ど来ない。そもそも、何か恩恵を与えている訳でも無い紅魔館に奉仕したいと考える人間がまず居ない。たまに人間が来たと思えば只の求婚――それも咲夜宛の――でしかなかった場合もあった。
人間が駄目なら妖怪だが、やはり、それらにも特に恩恵を与えていない紅魔館では、素直に来る者は皆無である。
大なり小なりの出世欲や見栄があるのが妖怪だ。強大な吸血鬼が頂点にいる紅魔館で、彼等が頂点に立てる事はまず有り得ない。そう確信しているからだろう。
その点、龍泉という妖怪はまだ温厚で――、とそこまで考え、咲夜は思考を止めた。
ふらふらと飛んでいく妖精メイドが視界に入ったからだ。
代理で門に立っていたメイドだ。
「待ちなさい。何処に行くの?」
咲夜が問い掛けると、メイドは空中で静止した。咲夜を見下ろし、恭しく頭を垂らす。
「少し気になる事が出来ましたので。失礼します」
「何処に行くのかと訊いているのよ?」
「……失礼します」
疎ましげに視線を逸らすと、メイドは何の躊躇いも見せずに飛んでいく。
「待ちなさい」
サボりにしては真剣な様子に、咲夜は時を止めた。
世界と共にメイドの動きも完全に静止する。
そのメイドの前まで咲夜は飛び、それから時間を動かした。
いきなり出現したように見える動きに、メイドは露骨に嫌そうな顔をした。
「何の御用でしょう? 私の仕事はきちんと片付けておきましたが」
「あなたが真面目なほうだとは知っているから、そっちの心配はしていないわ。ただ行き先を聞きたいだけよ」
「……先程の客人を御送りしたいだけで御座います」
「必要無いと彼は言っていたわ」
「私は存じ上げません」
メイドはきっぱりと言い切った。その反抗的な姿に、咲夜は怒りよりも先に困惑を覚える。
「そもそも、私の行動に何か問題が御有りなのでしょうか。妖怪へ襲われる可能性があるのに、何も付けずに帰して怪我をされればメイド長が困るのでは?」
「ええ、そうね。必要ないとは思うけど、分かったわ。……行って良し」
「では」
咲夜に礼もせずにメイドは飛び去っていく。
その姿を疑わしげに眺めて、咲夜は美鈴の居る正門前に戻った。
「何か、変じゃなかったですか?」
「あの子は正常だったわ。龍泉さんを送りに行くんですって」
「ああ、そうだったんですね。って、どうしたんです、咲夜さん?」
「……いや、ちょっとね」
――おかしい。
「何て言うか、色々な季節の風が一瞬の内に吹いたような……」
「なんですか、それ」
美鈴に追及され、咲夜は考えを頭から払うように首を振った。
「……忘れてちょうだい。上手く言い表せないけど、変な感じがしたのよ」
そう言って場を繕い、咲夜はおもむろに懐中時計を取り出して時間を確認する。
「やっぱり、もうこんな時間。そろそろお嬢様が起きてしまうし、私は中に戻るわね」
「あれ、お仕置きは?」
「されたいの?」
「いえいえー、滅相も御座いません」
「まったく、ちゃんと仕事してなさい」
日が傾き、その半分が山に沈みかけていた。
咲夜は美鈴を窘めると、急いで館内に戻る為に再び時間を停止させる。
誰も動けず、認識も出来ない咲夜だけの世界。
進まない黄昏の中で、誰にも気付かれずに、森の茂みが微かに揺れていた。