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東方朧観簿  作者: 庶民
第一章
6/59

其の六、薄

 妖怪が力を付けるには、妖怪や人間を食べるのが一番手っ取り早いらしい。だから、無力で後ろ楯の無い――特に外から来たばかりで弱っている妖怪は、幻想郷の妖怪に警戒した方がいいのだと、夢の中で紫さんが言っていた。

 もっとも、今は力が求められる時代ではない。そういう愚かな振る舞いをする妖怪はまず居ないので、頭の隅にでも覚えておけばいいとも言っていた。

 しかし、私はとことん運が悪い。

 今日もまた、私は妖怪に襲われていた。

 ただ、この妖怪も見えないものの、昨日に比べれば苦労しなかった。振り回した足は見事に妖怪を捉え、蹴り飛ばした。

 杉の幹に跳ね返ったところを膝で打ち据え、頭らしきものを鷲掴みにし、何度も幹へと叩き付ける。

 見えない為に手加減のしようもない。

 聞こえない悲鳴が耳に刺さり、出所の分からない体液と血液が手を濡らす。反省して命乞いをしているかもしれないが、仲間を呼んだ可能性もある。呼ばれていたとしても、これはここで片付けておかねばならない。

 その内、致命傷を与えられたのか、骨を折った際の嫌な感触がしたかと思うと、風船が萎むかのように妖怪は全ての動きを終息させた。

 そして、驚いた事に、姿が露になった。

 ぶよぶよとした分厚い、まるでケロイドのような皮膚が顔を覆っている。衣服は粗末なものだが着用しており、四肢は人間より多少太い。体格は私よりも小さかったが、所々皺が深いので年齢はかなり重ねているようだ。

 念のために呼吸と脈を探る。――ある。


「死体なら物だから見える、という訳でも無いのか」


 幸いにも殺していない事に安堵しつつ、蔓草で妖怪の手足を強く縛る。

 いずれ、別の妖怪がこれを喰らうだろう。そうすれば私が襲われる可能性は下がる。助かるなら助かるで良い。この妖怪の仲間に復讐されても困るので、手を下そうとまでは思わない。

 いや、もしかしたら、この妖怪に仲間は居ないのかもしれない。この弱さなら、本来は群れで襲う習性だった筈。全滅して生き残ったか、はぐれたか。それ故に形振り構っていられず、私を襲ったのだろう。

 このまま放っておいて運良く助かれば、また誰かを襲うかもしれない。そうさせない為に保護をするとしても、私にはその義理も立場も無い。

 いっそ殺してしまおうか。

 死体処理の事も考えながら、私は妖怪の前に佇んだ。

 殺した方が良いと分かっていても、そうせずに済む方法を何と無く探している。


 しかし、悩んでいる間に、その妖怪の命は奪われた。


 ぞくりとする悪寒を感じて、私は咄嗟に後ろへ跳ぶ。その一瞬後に森の木を力任せに抉りながら白い塊が飛んできた。

 それは七尺程の白い犬だった。

 顎には私が捕らえた妖怪の首があり、犬はそれを飴玉のように噛み砕いて止めを刺すと、私を真正面から見据えた。


「お前……」


 この時、私は懐かしみを覚えていた。

 その姿は私が故郷で見た妖怪とよく似ていたのだ。


「私は川上龍泉と言う。何者だ」


 しかし、私は身構えて問い掛ける。

 犬は屍を吐き捨てた。そして、性別のよく分からない人間の声で応えてみせた。


「薄だ。昨日ぶりだな」

「あの時の妖怪か」

「そうだ」


 ならば何故、私に見えるのか。

 能力を用いて探るが、犬の妖怪だとしか分からない。

 明確な違いは昨日とは桁違いの妖力の濃さだ。その代わりに敵意は薄い。本気なら、隙のあった私を仕留めていただろう。


「私の敵か?」

「今は仲間では無い」


 交渉の余地はあるようだった。

 薄は鼻を鳴らすと、屍を前足で遠くへ蹴り転がした。

 そのまま、落ち着いた様子で大地に身を伏せる。


「昔から人語は解していたが、口にするのは初めてだ。上手く話せているか分からんが、これなら伝わるだろう」

「二つ質問する。答えろ」

「聞こう」

「お前は何処の生まれだ」

「大和。紀伊。そのどちらかだ。山では境が分からなくてな」


 私の故郷も、その周辺だ。

 あの日の妖怪だという事も考慮し、二つ目の問い。


「昨日よりもお前は強くなっているな。何があった」

「俺も知らん。気付けばこれだ。体は大きくなり、力も増し、人語も操れるようになった。昨日の変わった事と言えば、お前に出会った程度だな」

「嘘でない証拠は」

「無いぞ。……そういうお前はどうだ。お前が原因だと思うが」


 薄は頭を下げ、牙を剥いた。

 随分と粗暴だが、それは礼のようにも見えた。


「俺は幻想郷で十年以上も泥を啜ってきた。才能も仲間も無い。食い残しを漁る度に強くなれぬ己を何度も罵ってきた。だが、俺はやっと強くなれた。この好機を逃す手はない。俺と組む気はないか」


 その声音は余りにも真摯だった。

 しかし、私の答えは既に決まっていた。


「断る」

「……何故だ」


 強靭な爪が草を千切り、鋭利な牙が鋭さを増す。

 それが、どうしたと言うのだ。

 明らかに力を頼っている。

 そう出る事が分かっていたから、断ったのだ。


「お前は私の主では無い。なり得ない」

「守ってやるぞ」

「私が欲しいのは庇護では無く、尽くすに値する価値だ。お前は強くなりたいだけだろう。その先が無い奴には付き合えない」


 力とは手段だ。目的が無ければ災いの元でしかない。


「愚か者が……」


 薄の妖力が膨れ上がり、草木が揺れる。

 私と薄の間に現れる一本の獣道。

 我々が歩む、畜生道。


「ならば、誰にも渡さん。ここで死ね」


 脳は生存の為だけ、口は呼吸の為だけ。

 私と薄は同時に殺戮者と化した。

 互いの殺気に肌がひりつく中、私達は抗い合う。





 狙うは眼球。弛ませた左腕に踏み込みの勢いを伝播させ、鉤爪のように歪ませた拳を放つ。

 だが、それは鼻柱を掠めただけ。私の攻撃をいなした薄は顎を開き、私の腕へ喰らい付こうとする。ただ、それを見越して振るっていた膝がその顎を蹴り上げた。


「ぐぉ……」


 持ち前の咬筋力に私の脚力が合わさって、薄は自らの舌先を噛み千切ってしまっていた。口元からは血が零れ落ち、呻きながら後ずさる。

 ただ、薄は図体の大きさゆえ、すぐに木へ体が触れた。面食らって周囲との距離を確認する薄を尻目に、私は近場の枝を掴んで木に登る。

 体格差は大きいが、その体格こそ、今の薄の弱点と言えた。

 一日前と比べて倍以上に膨らんだ己の大きさを薄はまだ把握しきれていない。過剰な程に力んでおり、総じて荒削りだ。

 私は木に巻き付いていた蔓を手に、薄の背へ飛び乗った。

 暴れる前に首の下へ潜らせ、力任せに引き上げる。

 喉を絞められた薄は転がり、私を地面に叩き付けようとした。その前に私は蔓で薄の首を堅く縛ってから離れる。薄は前足で蔓を外そうとするも、体毛に埋もれた蔓の輪に引っ掛ける事は不可能だった。

 苦しいが、息は出来る。割り切った薄は喧しく吠えた。


「何処だ!?」


 答えるように、その後ろから私は妖怪の屍を投げる。

 頭の砕けた屍が地面に触れる前に、振り返った薄が反射的にその肩へ食らい付いた。


「…………!」


 囮だと薄も気付いたようだ。ただ、少し遅かった。

 薄は勢い良く噛み砕いてしまい、妖怪の体に残っていた血飛沫が私の姿を隠した。返り血を少し被りながら、私はその死角を突き進む。

 一度背中に乗って分かったが、私の体重では薄の動きを封じるには及ばない。喉を絞めて落とす程の腕力も無い。

 ならば、正面から。

 鼻先に片足で乗り、もう片方で眼に爪先を叩き付ける。


「く……」


 怯んだ薄だが、それだけだった。

 眼球へ直撃させたにも拘わらず、少し変形しただけ。命を奪うどころか、失明にも至らない。

 薄は首の力だけで私を投げ飛ばした。

 空中で回転を加え、跪くように着地。

 しかし、理不尽な力の差に姿勢が乱れ、その隙を薄は見逃さなかった。

 薄が攻めに転じる。脚力を爆発させて接近すると、そのまま頭突きで私を弾き飛ばす。

 数倍以上の差がある体重と筋力による衝撃を、吹っ飛んでいった先の藪が荒々しく受け止め、それでも止まらずに転がり抜ける。

 一瞬、意識が飛んでいたらしい。

 気付けば、私はうつ伏せで無様に転がっていた。


「脆い」


 藪を悠々と飛び越えた薄が嘯く。

 片眼が充血していたが、その程度だ。


「人間の器ではそんなものか」

「私は、妖怪だ」

「そうか。確かに、お前は俺が今日喰った人間に比べたら頭一つ抜けているが……、それでも雑魚は雑魚だ」


 もたげた私の頭に、薄の前足がのしかかる。


「弱い体を呪って生きた。そんな匂いがお前からもするぞ。人間と相容れず、争った為に技をそこまで磨いたのだろう。力が無くても技さえあればどうにかなると信じてな」

「……違う」

「しかしな、お前もまた人間に敗れて住み処を奪われたのだろう? そうでなくては幻想郷に来ていない。その技は人間に通じても、人間の群れには無力だった筈だ」


 勝利を確信しているのか、薄の口数が増えていた。

 単純ながら、地に足の付いた考えを持っている。薄の推理は当たらずとも遠からずというところだ。


「力が無ければ何も出来ん。命を狙われれば死に、たとえ狙われずとも、常に失意の中で暮らさねばならん」


 その通りだ。踏みつけられながら、その理屈には同意する。

 私には強くなる理由があった。勝たねばならなかった。しかし、求めていたものには手が届かず、幾つもの敗北の末に私は幻想郷に妖怪として辿り着いたのだ。

 もう戻れない。戻る気もない。

 だからこそ、このままでは終われない。

 怒りが動かなくなった体に力を吹き込んでいく。

 けれど、私には足一本持ち上げるのがやっとだった。


「足掻くな」


 重みが増し、私の四肢が震える。

 だが、潰れない。潰させない。潰れたくない。

 体を反転させ、重みを逸らす。

 転がって薄から距離を取り、私は立ち上がった。


「苦しむだけだと言うのに……」

「黙れ、雌狼」

「……流石に分かるか。低い声音故に上手くいけばと思っていたが」

「黙れ、と言った」


 足を動かす。膝を曲げ、腿を上げ、地面を蹴る。

 より速く。より流動的に。

 身の安全を捨て、私は肉体の限界を越える。

 音は澄み、色は褪せ、研ぎ澄まされた私の世界に薄だけを捉えると、その周囲を駆け巡り、速度を更に上げていく。

 その時、首の蔓を外す為なのか、薄は唐突に人間の姿へ化けた。

 粗放さを残しながら、それを美しさへと昇華させたような若い女の姿。ほんの僅かに色素を残した長めの白髪が麻で織られた着流しに綺麗に映え、細くなった首元にはネックレスのように蔓の輪が掛かる。

 恐らく、初めて人間に化けたのだろう。少し筋肉質ながらも整った手足を見て、薄は愉快そうに笑い、私を見据えた。

 何を言いたいのか、私には分かる。


 ――俺ですらこんなにも人間らしくなれるのに、お前はそれさえ出来なかったのか。


 人間の美意識で美しいと思えるものは、即ち人間の理想だ。人間の姿をして美しいと思えるものは、それは理想的な人間像だ。見た目だけとは言え、真に人間らしいという事だ。

 私は違った。

 風貌は何処か奇妙。思想も擦れている。

 だから、私は人間である矜持を見付けられなかったのだろう。

 思考を中断。行動を続行。

 地面を砕く事も空気を裂く事も叶わないこの生身の体。

 限界を引き出してなお、私は弱い。

 それでも、負けない。

 突撃を敢行する。

 そんな浅ましい私の姿を薄は鼻で笑い、そして、不意に動きが止まった。


「……まさか、お前は」


 驕りを滲ませていた薄の表情が一変する。

 驚愕と納得。

 その二つを私は見て取り、しかし、構わず。

 受け入れるように空いていた薄の胴体へ、拳を沈み込ませた。





 会心の一撃だった。しかし、それ以上に薄の油断が大きかった。

 もし息苦しさの解消と私への挑発を企んで人間になど化けなければ、この一撃を叩き込む事は出来なかっただろう。

 何処かの内臓が破れたのか、薄は口元から血を垂らしていた。

 それでも、不敵に笑って。

 ただ、もう笑う事しか出来ないようだった。

 薄の体がくの字に折れ、私に向けて倒れ込む。

 その上体を肩で受け止め、私は突き出したままの手を添えた。

 改めて、薄の命の重みを感じる。

 私を殺そうとした、命。


「止め、は……?」


 薄が尋ね、私は首を振る。


「同郷の好だ。殺すつもりは無い」

「……ああ、やはりか」


 薄は深く息を吸い、味わうように止め、ゆっくりと吐いた。


「懐かしい……」


 薄の体から強張りが取れ、意識が途絶えたのを感じる。

 一拍遅れて、私も体の力を抜いた。

 膝から崩れ落ち、それでも薄の体を落とさないように気を付けて、地面に座り込む。


 ――本当は、殺しておくべき命だ。


 薄を見て、そう思う。

 確かに彼女、もしくは彼女の同族を私は故郷で見た。私はそのお陰で、その妖怪とまた会えるのならと考え、幸少ない幼少期を生きた。

 勿論、生きた理由はそれだけでは無いが、大きな理由の一つではあった。

 しかし、薄は私を殺そうとした。

 また殺しにくるかもしれないのだから、ここで止めを刺した方がきっと安全ではあるのだろう。


 殺さない過ち。生かした過ち。

 それを外の世界で私は何度も経験してしまっている。

 だというのに、私はまた繰り返す。

 ただ、今回は少し違う。


「殺せば良かったと、そう私に後悔させないでくれ」


 意識の無い薄に言ったところで、伝わる事は無いだろう。

 しかし、これは無意味では無い。

 希望を持って生きる為に必要な言葉を。外の世界では言えず、守られずにいた言葉を。私は幻想郷に来て初めて言えた。


 そっと手を伸ばし、薄の頭を撫でる。

 希望の意味を、初めて理解出来た気がした。

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