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東方朧観簿  作者: 庶民
第二章
52/59

其の五十二、遺恨

 状況が変わった。

 最早、龍泉は幽々子の妨害役ではない。抑えの効かなくなった口から生前の記憶へと繋がる情報を垂れ流し、意図せずして幽々子の願いを叶えようとしてしまっている。


「止まりなさい、龍泉!」


 見ているだけという事は出来なかった。

 紫が縁側から飛び出しつつ叫ぶ。

 しかし、声は届かない。龍泉は感情の赴くまま、動きに精彩を欠いた幽々子へ力任せに蔓を振るう。

 勢いだけの一撃が槍に阻まれ、乱暴に扱われ続けた蔓は遂に千切れ飛んだ。その飛沫が幽々子の不意を打ち、動きが止まった所を龍泉が素手で殴り掛かる。


「待って!」


 紫が命令しても、今の龍泉には通用しない。

 拳が幽々子の頬を掠める。端正な顔に赤い一筋が走る。がむしゃらに続けられた体当たりは、完全に狙いを外していた。

 体が流れ、大きな隙を晒した龍泉だったが、幽々子は反撃しなかった。それどころではなかったのだ。


「私の、父親?」


 亡霊は未練を抱く人間しかなりえない。その為、生前の幽々子にも父や母は居た。しかし、今の幽々子の記憶に彼等は残っていない。


「そうだ、父親だ! 西行妖の下で死んだお前の父が、お前の人生を――」

「黙りなさい!」


 暴露を掻き消す声量で紫が叱り付け、平手で龍泉の顔を張り飛ばして黙らせる。

 わざと殴られたのだと紫には分かった。止めてもらいたかったのかもしれない――しかし、考えている時間は無い。怯んだ龍泉の胸倉を乱暴に掴み、紫は静かに言い聞かせる。


「それ以上言うなら殺すわよ。心が読めるのなら私が何を考えているか分かるでしょう。これは本気よ」

「……口だけじゃないか」

「うるさい!」


 生意気に答える龍泉をまたも平手で張り飛ばす。

 実際に口だけではある。怒りと恥ずかしさで、紫は少し顔を赤くした。


「子供じゃないんでしょう! 空気を読みなさいよ! これだから心を読む相手は……」

「……悪い。どうかしていた」


 両頬に付けられた紅葉のような跡が広がり、龍泉の蒼白な肌が血の通った色を取り戻していく。

 それと共に龍泉は落ち着きも取り戻していた。今では寧ろ、心を読まれた紫のほうが冷静さを欠いている。


「紫、助かった、ありがとう」


 その隙に龍泉は紫の体を軽く抱き締めた。

 紫が呼吸を詰まらせ、裏腹に龍泉は一息入れる。

 一度は殺し合った関係だ。それを今まで意識し、突き放すように振る舞っていたのは龍泉のほうだ。なのに、今の龍泉からはそういうものを微塵も感じられない。

 彼の百面相振りには多少慣れているつもりの紫ではあったが、この行動には流石に追い付く事が出来なかった。


「ちょっと、何よいきなり……」

「ああ、済まなかったな」


 甘えるような姿から一転。即座に緊迫感を取り戻した龍泉が紫を手放し、幽々子へ目を向けると、彼女は槍を支えに何とか立っているだけの状態だった。

 記憶が不自然かつ断片的に甦った事で、その不快感に何度も喘いでいる。

 もしも龍泉が浄玻璃の鏡で過去を見ていなければ、幽々子は妄言だと判断していただろうか。その上で龍泉が心を読む力を仄めかし、映姫や紫の思考を代弁していなければ。しかし、それも今となっては意味の無い仮定である。


「……任せるんじゃなかったわ」


 ようやく動揺を収めた紫が呟いた。

 しかし、それは龍泉を責めているというより、後悔に近い。

 誰かに頼ろうとした自分の愚かさに腹が立っているようだった。

 何はともあれ、視線を幽々子に固定したまま、龍泉は謝った。


「すまない。抑え込めるつもりだったが、まさか武術を極めていたとは思わなかった。知らなかったのか?」

「やっていたのは何百年も昔だからよ。幽々子にまだ心得が残っていたなんて予想外だったわ」

「まあ、今更この話を繰り返しても仕方無い。で、どうする?

 あれだけ動揺しているのなら取り押さえる事は簡単だ。その後で偽の記憶を刷り込ませれば再発も防げるだろう。でも、それは昔の紫でも出来た筈だ。記憶を無いままにしていた理由はなんだ?」

「親友だからよ」

「……そうか」


 意味深長な沈黙の後に龍泉は呟く。

 腹を立てたのか、紫が素早く言い返した。


「下らない理由なんて言わないでよね」

「いや、私の八つ当たりに比べたら相当立派な考えだ。ただ、優しい理由である事に少し驚いた」

「反応に困る言い方ね」

「皮肉では無い。それはそれとして、来るぞ。どうするつもりだ?」


 龍泉が警戒を促し、紫も幽々子を注視する。

 不快感に苦しむ幽々子は槍を杖にする事も出来なくなり、遂には枯山水の庭に膝を付いていた。

 思い出せそうで、思い出せない。その違和感が吐き気を伴って押し寄せているのだ。


「紫。その式神から、離れて……!」


 警告した後、幽々子は気力を振り絞り、周囲の霊魂全てを龍泉へと向かわせる。

 彼の精神を汚染し、先程のように情報を語らせようというのだ。


「ほら。あいつもああ言っているぞ」

「だからって、もう人任せにはしないわ」


 だが、その霊魂は紫の結界に阻まれた。結界へ無理矢理押し付けられるそれらは空一面に広がり、二人の姿を覆い隠す。

 除霊の準備は出来ていた龍泉だったが、その光景に軽く肩の力を抜いた。


「そうか。なら、どうするかは紫が決めろ。ただ、一つ頼みがある」

「何よ?」

「幽々子の境遇には同情しなくもないが、私の命を奪おうとした事と凛華に手を出そうとした事は許せない。終わった後でもいいから彼女を一発だけ殴らせてくれないか?」

「それで許せるの?」

「多分無理だろう。許せたら奇跡だな」

「駄目じゃない」

「でも、紫。切欠が無ければ私は変われない。私の性格には柔軟さが足りていないんだ」


 龍泉は真剣な表情で紫を見詰めた。

 彼は幽々子の事だけを言っている訳ではなかった。


「お前は私を殺そうとした。それ自体を目的にはしていなかったが、手段として殺す事を厭わなかった。私もそうだ。あの時、私もお前を殺そうとした」


 湖の畔。満月の夜に繰り広げた死闘の記憶が甦る。

 互いに譲れないものがあり、守りたいものがあり、だからこそ、起きるべくして起きたあの衝突に二人共後悔はしていない。

 けれども、その後に抱いた感情には雲泥の差があった。


「お前は随分と前から私を許していたな。なのに、私は散々面倒を見てもらっておきながら、いつも突き放してきた」

「……殺し合ったんだから、それが普通よ。何とも思っていないわ。形だけだとは気付いていたから」


 冥界に来てから態度の悪さが目立つ龍泉だが、紫を気遣っている事は分かりやすい程だった。

 龍泉が気不味げに顔を反らし、表情を隠すように口元に手を当てる。


「お前が許すなら、この形を私は捨てたい。ただ、捨てるにしても意思だけでは不可能だ。切欠が必要なんだよ」

「それが幽々子を殴る事なの? 筋違いにも程があるわ」

「正しい理屈ならお前を殴るべきなのかもしれない。だが、既に一度傷付けたんだ。これ以上はしたくない」


 過去に斬り付けた紫の左腕を一瞬見てから、龍泉は結界の境目近くまで歩み寄る。

 そこで改めて除霊を施し、結界に張り付いていた霊魂を撥ね退けた。


「幽々子の狙いは私だ。囮になってこいつらを引き離す。その隙に対応を考えろ」

「駄目よ。まだ結界は耐えられるわ」

「だとしても、この霊魂達がある限り、お前と幽々子が話し合う事も難しいだろう。現に、今のあいつは様子が掴めてないのか、お前が居る事にも気付かずに力押しをしているくらいだ」

「……でも、危険よ。完全に取り憑かれたら二度と元には戻れなくなる」

「大丈夫だ。無策という訳ではない」


 龍泉が結界に手を触れる。彼の並外れた観察眼をもってすれば結界の弱点を見定め、自分から出ていく事も充分に可能だった。


「龍泉。頼むから、少し待って」


 紫が声音に一層力を込めて呼ぶと、龍泉は結界から手を離して振り返る。


「なんだ?」

「その……。あなた、本当は私の事をどう思っているの?」


 体の前で手を固く結び、紫は慎重に訊ねた。

 今、この場所でする質問でない事は明らかだが、訊かずにはいられなかった。

 龍泉は純粋な問い掛けを繰り出した紫を痛み入るような目で見詰め、そして、彼女に背を向けた。


「……自分でも、分からない。心を読んでくれないか」

「そんなの無理よ。教えて」


 額に手を押し当て、龍泉は長い息を吐いていた。

 やがて観念したのか、ぽつぽつと答え出す。


「お前には、恩がある。幻想郷を作ってくれた事も、災厄でしかない私に生きる道をわざわざ用意してくれた事も、子供の面倒を見てくれた事も、全部感謝している。だが、この気持ちを素直に、言葉にする事が今の私には出来ない」

「私があなたを殺そうとしたから?」

「違う。私がお前を殺そうとしたからだ。殺意を向けてきた相手に懐かれるのは迷惑な筈だ。だから……、なんだ。私はお前に嫌われたくないんだ」

「そんな事で――?」

「……もういい。私の事は放っておいてくれ」


 確認しようとする紫を振り切り、龍泉は結界を強引に打ち砕くと、一目散に走り出した。

 即座に霊魂が反応し、まるで大蛇のような群れを成して彼を追い掛ける。

 龍泉の考えた通り、霊魂は紫には見向きもしなかった。一人ぽつんと取り残され、彼女は逃げていった龍泉の姿を眺め続ける。

 付き合いは決して長くない。けれども何となく、紫は龍泉の思考が理解出来た気がした。


「本当、手間の掛かる子供……」


 今の龍泉は心を読める。だから、紫が龍泉の事をどう思っているのかも分かっている筈だし、近付いて大丈夫な事にも先程の抱擁で気付いた筈なのだ。

 それなのに、嫌われる事をまだ考えている。

 確かに、そこまで慎重になるだけの理由が龍泉にはある。彼は紫に生存を許可されている立場だ。もしも紫が見放せば、龍泉には死よりも辛い孤独が訪れる。


「でも、そんな事、私が今更すると思っているのかしらね」


 そこで首を振り、紫は思考を切り換えた。

 今は幽々子の事に集中しなければならない。

 幽々子の生前の記憶。なんとしてでも、その復活だけは阻止する必要があるのだ。

 音を吹き消すように、静かに息を吐く。

 それを合図に、賢者と謳われた彼女の叡知が人知れず動き出していた。





 半ば勢いで逃げたものの、龍泉は冷静に周囲の状況を見渡していた。

 縁側で項垂れる映姫。庭で地面に縫い付けられた妖夢。彼女達が巻き込まれないようにしなければならないが、西行妖から離れ過ぎれば幽々子の死を操る力に捕らわれてしまう。

 幸い、西行妖の加護は白玉楼の全域に届いていた。霊魂は障害物を擦り抜けられるが、その際に速度を落とす性質がある。白玉楼という建物を利用しない手は無かった。

 一先ず別の庭まで逃げてから龍泉は立ち止まり、追跡者の姿を確認する。

 あまりにも高密度である為、見えない龍泉にも視界の歪みから大まかな形は把握できた。

 まるで海を泳ぐ魚群、または龍のようである。人間の一人や二人なら簡単に丸呑み出来そうな巨大さだ。


「除霊するには、やはり多いな」


 頭にあった選択肢を一つ消すと、龍泉は再び一目散に逃げだした。急いで手近な部屋に飛び込んで障子を閉めると、群れの先頭が障子へ飛び込み、しかし破れずに動きが鈍る。

 障子紙を破壊する事も出来ない程、霊魂に物理的な力は無いのだろう。とはいえ、僅かな時間で霊魂はあらゆる場所から浸透し、抜け出した者から順次龍泉を追い続ける。障害物を使った陽動作戦は効果が薄いと判断し、龍泉は向かいの障子を開けて再び廊下へと飛び出す。

 一応、策はある。だが、使うには場所が悪い。

 幽々子との対立を考慮し、龍泉は白玉楼の構造を殆ど把握していたが、今回の策で使える部屋はあまり多くない。目的地を見抜かれて待ち伏せを仕掛けられれば、その時点で龍泉の敗北は確定する。

 緊張感に背中を逆撫でられ、しかし、心は静水のように鎮めていく。

 分の悪い賭けではあるが、勝算はあるのだ。

 龍泉は屋根へ上がり、脇目を振らずに走り出した。

 これで目的地は知られただろうが、最短距離を突き進めば追い付かれる事は無い。単純な速さでは龍泉に分があるのだし、別動隊を作られる前に決着を付ける必要もあった。

 屋根から飛び降り、龍泉は道場の扉を開け放って中へと転がり込む。室内では木刀や竹刀が散乱していた。立て続けに起きる騒動で片付ける暇が無かったらしい。


「素手よりマシか」


 少しの猶予があり、霊魂の群れも道場に雪崩れ込む。龍泉は木刀を拾い、それと対峙した。

 相手は物理的な障害を擦り抜け、変幻自在に形を変える事実上不滅の存在だ。僅かな接触で精神を致命的に汚染する危険性まで備えている。まともに戦えば勝利は掴めない。

 逃げ道を塞いだ霊魂の群れが形を変え、無音のままに空間を埋め尽くしていく。それだけでなく、壁や天井から現れる霊魂が群れに注ぎ足され、その勢いを助長している。

 龍泉は白い息を吐いた。

 やがてそれは色を失い、青紫に変色した唇を彼は不気味に蠢かす。


「いくぞ、死霊共」


 偽の死者と化した龍泉が群れ目掛けて走り出した。

 霊魂達が抱き込むように包囲を狭め、まもなく龍泉を包み隠す。

 天地さえ判然としない白い闇の中。龍泉は持ち得る全ての感覚と技術を注ぎ込み、押し寄せる荒波を紙一重に潜り抜けていく。

 身を守る除霊は気休め程度で、予知は一瞬先を照らすだけ、読心に至っては操られているだけの霊魂相手には効果が薄い。それでも、龍泉はそれら全てを密接に組み合わせ、奇跡としか呼びようのない快進撃を生み出してみせた。

 やがて、窮した霊魂達は出入り口に厚い壁を構築した。捕らえるのではなく、逃がさない方法を選択したのだ。

 素早く龍泉は木刀を構えた。

 四方八方から迫られ、考える時間は残っていない。

 力強い踏み込みと共に木刀を縦に一閃。足りない切れ味をあらゆる工夫で埋め合わせ、見事に切り開かれた通路に体を捩じ込もうとし――。


「……無理か」


 即座に壁が再生され、龍泉は踏み留まざるを得なかった。

 彼の予想よりも遥かに補充が早かったのだ。追い詰めるように厚みを際限無く増していき、龍泉は後退を余儀無くされる。

 数に物を言わせた堅実な動きであり、このままでは間違いなく取り憑かれる。しかし、進んだところで霊魂に呑まれるだけ。それでは自殺行為だ。


 ――自殺。


 刹那の思考の間に浮かんだ言葉に意識が集中する。

 取り憑かれるのを待つか。自分から取り憑かれる事を覚悟して強行するか。

 どちらにしても龍泉の精神は汚染しつくされる。特殊な精神構造である事を踏まえても、致命的な結果しか残らないだろう。

 だが、少なくとも自分から取り憑かれに行けば、策は実る。


「私の子を、任せる事になるかもしれない。それでもいいか、紫」


 駄目だと言い返す紫の姿が容易に思い浮かんだ。

 けれど、その言葉通りにはしない事も予想出来た。

 紫は優しい。彼女が否定しても、確かに親の愛情を持っている。だから、凛華の面倒も必ず見てくれる筈だと、龍泉は信じていた。

 体に力を入れる。

 無事に済む保証は無い。

 しかし、立ち止まり、何も出来ずに朽ちていくのは、もう御免だった。

 龍泉は決然と霊魂の群れに飛び込んだ。

 手に、足に、無数の霊魂が纏わり付く。除霊では振り解けず、切り捨てても直ぐに上塗りされる。精神を蝕み、自我を奪おうとする苦痛が体を這い上がってくる。

 足の感覚を失い、龍泉は遂に転倒した。

 霊魂が次々とのし掛かり、しかし彼は諦める事無く這い進む。

 その際に服の袖を裏返し、裏に貼っていた札を剥ぎ取った。

 それは万が一の保険として紫から与えられた封印の札。貼られた対象を霊的に周辺から完全に隔離する代物だ。

 ほんの一瞬、龍泉は悩んだ。

 これを自分の体に使えば、この霊魂の群れからは確実に逃げられるのだ。

 けれども、そうすれば目標を見失った霊魂が拡散し、凛華や紫に危険が及びかねない。


 ――また失うのか。自分だけが生き残って。


 咄嗟に浮かんだ思考に戦慄した。保身の考えを即座に切り捨て、龍泉はまだ動く両手を床に叩き付けて這い進み、道場の入口を隙間なく閉ざす。

 これで道場は一つの匣となった。

 あとは札を扉に貼れば、もう霊魂達はここから出られない。

 だが、龍泉は直ぐに封印せず、未練がましくも扉に手を触れた。

 もう少し。あと、少し。

 外に脱出した後で出来るだけ大量の霊魂を封印する。そういう予定を組んでいたというのに。

 その後悔へ付け入るように、一気に精神汚染が進行した。


 ――会いたい。


 本心が暴走した。或いは取り憑いた霊魂の仕業か。

 扉へ触れる手に力が入り、誤って開けてしまう前に急いで手を離す。

 しかし、もう片方の手が封印の札を体に近付かせ、今にも自分に貼ろうとしていた。


「やめろ……!」


 操られそうになる体を言葉で支配し直し、腕を乱暴に振り被る。

 そのまま、封印の札を扉へ強引に叩き付けた。

 刻まれた術が発動し、道場を徐々に覆い始める。

 しかし、その変化に気付きもせず、霊魂は幽々子に操られるまま、龍泉に取り憑き続けていた。

 周囲に広がる白い闇が龍泉の脳裏さえも包んでいく。

 いつしか時間と空間の認識が途切れ、何も感じる事の出来ない世界が訪れた。

 その世界で、龍泉は差し出される手を幻視した。指先から細い腕へと視線を伝わせ、顔を見上げようと頭をもたげる。

 そして、一筋の光が瞳に差し込み、龍泉は儚く破顔した。


「――ごめんね」


 虚ろな目から涙を流し、湿った声で手を伸ばす。

 しかし、その手は幻覚の手を擦り抜け、龍泉はその事に気付く事も出来ないまま、安らかに意識を失った。

 それは同時に、龍泉が新たな地獄へと堕ちていった事を意味していた。

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