其の四十一、確執
なし崩しに刀を下ろす妖夢を微笑ましく眺めながら、幽々子の内面は焦燥に染まりきっていた。
今回の試合。これは間違いなく、妖夢の勝利で終わっている。龍泉の戦闘技術は素人に毛が生えた程度のものだと判明した事で、当初の目的も達成している。しかし、それとは別に新たな問題が浮上してしまった。
薄々勘付いていたものの、幽々子は試合の展開から確信する。
力や技ではない。
龍泉の本当の強さとは、言葉なのだ。
言葉で相手を惑わし、操り、自らが望む結果へと導いていく。
幽々子は凛華を庇う紫を一瞥し、覚えていた違和感の解答を得る。
恐らく、龍泉は紫の命令を受け入れなければならない式神の立場でありながら、紫を懐柔して意のままに操っているのだろう。そうでもなければ、式神や妖精と言った、紫からすれば取るに足らない者達に格別の配慮を与えている説明が付かない。
「これは親善試合だもの。無理に決着を付ける必要も無いでしょう。少し遅くなったけれど、広間で歓迎会の準備が出来ているの。今から移動して、そちらで親睦を深める事にしない?」
妖夢から龍泉を遠ざける為に幽々子が提案する。
幽々子は龍泉から一方的に嫌われている。このままでは妖夢も龍泉に取り込まれ、敵対の道具として彼に良いように使われかねない。
「……そこまで仲良くしてどうするというんだ」
「え?」
「いえ、何でもありません」
鬱憤を孕んだ声を小さく吐き捨ててから、龍泉は柔和な態度に切り替えた。
「招待に与りたいと存じますが、体や服に付いた鉄粉を落としてからで良いでしょうか。火花が散った時にでも付いたようで、少し鉄臭いのです」
「どうぞ。風呂を使いたいなら直ぐに用意を――」
「御構い無く。手と顔さえ洗えれば用は済みます。水道を御借りしてもよろしいですか?」
「お好きなように」
「では失礼します。待って頂かなくても構いません。洗い落としてから直接向かいますので」
龍泉は表情から温かみを消し、速やかに道場から出ていった。
まるで同じ部屋の空気を吸いたくないと言わんばかりの排他的な態度である。
「……まあ、いいけどね」
最初は一方的に嫌われている事に怒りも覚えたが、今となっては寧ろ都合がいい。
あの様子では向こうから干渉してくる事は無い。妖夢が危うく絆されかけたが、そこにさえ気を付ければ、龍泉が白玉楼で新たな味方を得る事は出来ないだろう。
いつの間にか龍泉を敵として判断し始めた幽々子は、ふと、凛華に目を付けた。
途端に萎縮する凛華。
「ああ、大丈夫よ。別に何もしないから」
警戒を解くように笑い掛けた幽々子は視線を外し、内面では発言と真逆の事を考えていた。
彼女は龍泉の娘だそうだが、はたして敵なのだろうか。
一瞬だけ思考して、他愛ない悩みだったと幽々子は一笑に付す。
凛華は妖精なのだ。悪く見積もっても、子供の悪戯程度の被害しかもたらしはしない。
「それじゃ、私達は先に行って、向こうで待ってましょうか」
号令を掛けるように言った幽々子が立ち上がると、幽霊達が列を成して道場から去り始める。
その後ろに幽々子が連なり、場の雰囲気に流される形で紫と凛華も仕方無く付いていく。
妖夢は釈然としない様子で最後まで残っていたが、使用した二本の刀を見詰め、それらを片付けると、やがて彼女も道場から出ていった。
◆
広間で開かれた歓迎会は言葉ばかりのものであり、その実態は腹の探りあいに等しかった。
嫌いな酒が振る舞われている事もあり、警戒の目に嫌気が差した龍泉は凛華を連れて早々にその場から抜け、部屋に戻っていた。
予想外に離脱が手間取らなかった事は龍泉にとって僥倖だった。試合で見せた狂暴さが功を奏したのか、話し掛けてくる幽霊も――仮に話し掛けられても龍泉には声が聞こえないのだが――居なかった。幽々子も好奇心より警戒心が上回ったらしく、消極的ながらも退室を認めた。
今は紫が代わりに二人の質問を引き受けているだろう。その事に感謝を覚えつつ、龍泉は畳の上に胡座を組み、溜め息を吐いた。
「龍泉さん、大丈夫ですか?」
「うん? ああ、大丈夫ですよ」
心配させた事を申し訳無く思いながら、龍泉は寄り添ってきた凛華を安心させようと頭へ手を伸ばす。
しかし、まだ触ってはいけない事を思い出し、その手を止めた。
「もう半日は必要でしょうね。煩わしい事です」
本当は今すぐに抱き締めてやりたいくらいだが、理性で押し止め、龍泉は撫でてやれない事を誤魔化すように笑った。
その笑みは徐々に色褪せ、やがて消える。
「……すみません、凛華。多分、私のせいで苦労を掛ける事になります」
龍泉は物事の優先順位を間違えていた。
幽々子が凛華を試合に引き摺り出そうとした時、本当に安寧を求めているのなら、龍泉は何もすべきではなかった。我慢出来ずに試合を引き受けたとしても、卑怯な手は使わず、正々堂々と戦って負けるべきだった。そうしておけば、少なくとも今より警戒される事は無かっただろう。
「夢を見たかったんです。妖夢は半分しか人間ではありませんが、私は半分でさえも人間ではいられなかった。人間としての誇りを一切知らないままに人間から外れてしまったから、どうしても、半分でもいいから、それを見たかったんです」
現実を顧みず、理想を追ってしまった。その為に今、娘と一緒に窮地へ陥りかけている。
試合の熱が薄れるにつれ、自責の念はますます強くなっていく。
「でも、もうしません」
しかし、龍泉は負の螺旋から自力で抜け出した。
夢という実体の無いものは失っても取り戻す事が出来るし、自分の中で完結させる事も出来る。だが、凛華は取り戻せないのだ。龍泉が凛華を甦らせたのだとしても、それは無用な苦労を背負わしてもいい理由にはならない。
「今回の件は私が必ず片付けます。親が子供に迷惑を掛けるなんて立場が逆ですしね。心配なんてせず、気楽に構えていなさい」
悩みを打ち明けられて困惑する凛華に龍泉は優しく声を掛けた。
暫く考え、一度迷った素振りを見せてから、凛華は言った。
「私には人間がどうだとか、そういうものは全然分かりません。でも、もしも私が邪魔であるのなら、その時は私を捨ててくれてもいいです」
龍泉は悲しそうに顔を歪める。
「私が凛華にそんな冷たい仕打ちが出来るような妖怪に見えますか?」
「いいえ。出来ないと知っていますから先に言っておきたかったんです。生き返ったのに、龍泉さんの足手纏いにはなりたくありません。そんなの、死んでいった皆になんて言えば……」
「……どちらにせよ、進んで犠牲になろうとするのはやめさい」
自分より悲痛な声を上げる凛華を叱る事も出来ず、龍泉は決まり悪く呟いた。
凛華は死んだ四人の分も龍泉を助けようとしている。それを使命として自ら背負い込んでいる。
唯一の生き返りという事実が凛華を壊さないか、龍泉は不安だった。彼としては凛華には四人の死を気に病む事無く、第二の生を謳歌して欲しかった。
「気が済むまで自分を追い込むのも良いでしょう。ですが、後戻りは出来るようにしておきなさい」
「……はい」
「それと、どれだけ頼まれても、私があなたを捨てる事はありません」
「どうして……?」
「あなたが私の娘だから、では足りませんか?」
普段から危うい気配を漂わせている龍泉だ。
言葉そのものは強くて優しいけれども、根拠が無く、虚ろにしか響かなかった。
凛華は躊躇いがちに目を伏せる。
「うん。だって、お父さん、って呼ばせてくれないから。本当に龍泉さんは私の親になってくれたのか、確信が持てなくて」
「……そう、ですか」
表情を険しくし、龍泉は呻いた。
堪えるように瞼を強く閉じ、穏やかに開く。
「心配せずとも、私はあなたの親です。血の繋がりはありませんし、もしかすると凛華のほうが生きてきた時間が長いかもしれませんが、それでも私は親としての務めを果たすつもりでいます」
「でも、お父さんとは――」
「……それだけは譲れません」
凛華を見据え、確言する。
「理由は言えません。ですが、分かってください。今の私では、父と呼ばれる事自体が、耐え難い程におぞましいのです」
まるで魔物について語るかのような口調だった。
膝を固く掴み、龍泉は自らの闇をそれ以上、娘へ伝える事はしなかった。
「いつか克服します。だから、その時は存分に、好きな呼び方で私を呼びなさい。私も本当は、あなたに父と呼ばれたいのです……」
◆
何も遮る物が無い異空間に紫は存在していた。
天地は赤黒く覆われ、歪んだ人間の目が点在し、それらが思い出したかのように時折瞬いている。
紫が操るスキマの内側の世界。敵意渦巻く歓迎会を終え、龍泉の管理に戻る前に、紫は一人、彼等には隠している行動を再開していた。
虚無の空間を暫し歩く。
すると、様々な物体が浮かんでいる場所に辿り着いた。
古びた道路標識、瓦礫、打ち捨てられて錆び付いた自動車、蔦に絡まれたバス停。
いずれも外の世界で人間から不要とされ、忘れ去られた品々である。
しかし、その中で一つだけ例外があった。
以前の龍泉との戦闘でこの空間に紛れ込んだ、刃の折れた短刀である。
紫は宙に漂うそれを手に取った。
元は些細な妖怪避けの術が掛けられていた守り刀は刃が折れたからか、それとも龍泉や紫の妖気に当てられたからか、僅かに備えていた聖なる気配を全て失い、只の折れたナイフへ成り下がっている。
返すべきかどうか思案しながら、紫は進み続ける。そして、目の前に現れた電話ボックスに身を滑り込ませた。
短刀を公衆電話の上に置き、紫は透明な内壁に凭れながら、受話器を耳に当てた。
電話線も電力線も無い環境である為、この電話自体は何の機能も持っていない。これは単なる戯れでしかなく、紫は空いている一方の手に螺旋を描くコードを巻き付けながら、静かに応答を待つ。
やがて、繋がりを示すノイズが聞こえた。
「もしもし」
卓越した妖術による通信は電波による通信と大きく変わらない。紫には電話機の向こうから発せられる思慮の息遣いまでもが明確に聞き取れた。
『……紫様、定期連絡の時間ではありませんが、緊急の要件でしょうか?』
「確認したい事があるだけよ、藍。それにこちらも余裕がある状況ではないわ。そちらの連絡を満足に受け取れるか分からないから、こちらから連絡を入れる事にしたの」
藍とは紫の式神である。龍泉の事案と同時期に発生した重要な問題に対応させる為、彼女には暫く前から幻想郷で単独行動をさせていた。
「情報提供者との関係は良好?」
『惜しみない協力ならば頂いています。ただ、彼女の健康状態はよくありません。死ぬ事は無いでしょうが、周囲に気取られないようにする事は難しくなっています』
「原因は?」
『まず間違いなく心労でしょう。彼女からすれば背信行為にも等しいのですから』
「……それもそうね」
『もしも必要なら、呪術を用いて洗脳致しますが』
洗脳という行為に藍は何の躊躇いも抱いていない様子だった。主人の望む結果の為なら、不要な道徳を排する覚悟が彼女にはあった。
「止しなさい。協力者には将来の安寧を約束する必要があるのよ。早期解決で彼女の苦労に応えなさい」
『承知しました』
「分かったなら本題に入るわ。頼んでいた仕事はどうなっているの?」
『敵の活動拠点と資金源は絞り込めましたが、物資の流通と首謀者の正体等は未だ不明。……敵は中々の策士です。我々のような敵対勢力が将来的に現れる事を当初から想定していたのでしょう。そうでなければ、ここまで手間取る筈が――』
「言い訳は必要ない。知り得た情報を総合し、それに対する自らの意見を述べなさい」
『……失礼しました。現段階で拠点と資金を潰す事は可能ですが、それだけでは不穏分子の根絶には至らないと存じます。恐らく、私が入手した情報は全体の三割程度。これから更に調査を重ね、全容の把握に努める必要があるでしょう』
「よろしい」
概ね予想通りの回答を受けた紫は頷き、佇まいを整えた。
「情報提供を受けて判明した事実。彼等の目的である人々の幻想郷からの脱却。これは幻想郷の社会規範を揺るがす暴挙よ。何としてでも阻止しなければならない」
『重々に理解しております』
「私達に停滞は許されないわ。迅速かつ隠密に、人々が幻想を捨てる選択肢に気付く前に、全てを滅する必要がある」
『それでは、紫様』
「ええ、私も近々合流する。藍は引き続き情報収集。但し、潜入調査はまだ禁ずるわ。敵は曲がりなりにも幻想郷に流れ着いた人間、もしくは妖怪。どのような力を持っているか分からない以上、充分に警戒しなさい」
『承知しました。……しかし、一つ具申致しますが』
藍は思考を挟み、それを口にした。
『このような有事に関する協定は『妖怪の賢者達』の間で交わされている筈です』
懐かしい言葉に紫の眉根が跳ねた。
妖怪の賢者達とは、幻想郷創世に著しく貢献した古参の妖怪達に付けられた名称である。
だが、ある者は幻想郷の闇に隠れ、ある者は幻想郷を出奔し、ある者は敢えなく黄泉に旅立った為、現在の賢者の数は最初期に比べれば少なくなっている。また、明確に妖怪の賢者だと伝わっているのも紫だけであり、多くの者は他の賢者の存在さえも詳しく知らない。
しかし、賢者達の威容は今も絶大である。彼等の意思が再び一つに集う事があれば、第二の幻想郷を新たに作れるとまで、古き妖怪達の間ではまことしやかに囁かれていた。
『真に万全を期すのならば、彼等との協調は必須ではないでしょうか。現状では独断で功を急いているようにも見受けられます』
「……ふむ、あなた、いつの間にそんなに賢くなったのかしら?」
『申し訳ありません。ですが、前回の川上龍泉という妖怪の討伐で紫様は手傷を負われました。聡明であらせられる我が主ならば此度の案件には一切の慢心と執心を捨てて臨まれているのだと信じておりますが、現状で私に実行させている策は最善とは異なるもののように存じます』
最善とは異なる。そう判断しておきながら、藍は紫の命令を寡黙に実行している。
その愚直さに紫は静かに微笑んだ。
式神は主人の命令に疑念を挟む事はあっても、決して逆らう事は無い。そうさせる絶対的な契約を魂に刻まれているからだ。
紫は半ば弄ぶような心持ちで訊ねる。
「では、藍が考える最善の策とは?」
『自らの無能を時間や人員の少なさに棚上げするつもりはありませんが、やはり複数の諜報員を潜入させ、あわよくば首謀者の暗殺。最低でも規模を把握し、破壊工作をさせて主要人物を燻り出させるべきでしょう。私の見立てでは敵は勢力拡大に腐心しており、人員の管理が杜撰になっています。今ならば素人でも潜入は確実です』
「成る程。良い考えね。相手の隙がある内に攻めておくのは妥当な判断よ」
藍の予測が信頼出来る事を紫は長年の主従関係で実感している。彼女が素人にも可能と言ったからには、まず確実にそうだろう。それに賢者達と協力しあえば優秀な妖怪を何体も借り受ける事が出来る。彼等を潜入させれば、今の方法よりも素早く、そして容易く敵を壊滅にまで追い込められる筈だ。
「私も一度、それは考えたわ」
『……ならば、何故止めたのですか?』
「実は、私を除く『妖怪の賢者達』にも情報は既に回っている。もしかしたら私達よりも早かったかもしれないわね。結界の維持に勤しむ私達は賢者達の中では最も人間達の営みから縁遠いのだから」
『しかし、賢者達から連絡は来ておりません』
「危機的状況ではないと判断したのでしょう。私は幻想郷という世界を作り、彼等は幻想郷の社会や勢力図を作り上げた。彼等は今回の事案が仮に私達の敗北で終わったとしても、築き上げた社会は崩壊しないと考えているのよ」
『愚かな……!』
「いえ、そうとも決められないわ。少なくとも、彼等のほうが今回の事案には適している。やろうと思えば彼等は私達が動く百分の一の時間と労力で敵の情報全てを掌握し、無力化する事も出来る。既に私達にも隠して斥候が潜り込んでいる可能性だってあるわ」
『ならば、他の賢者は不穏分子を敢えて生かしているという事ですか? そのような事をして、一体何の利点があるというのですか』
「今はその利点を探しているのかもしれないわね。とにかく、調査だけに留めておきなさい。今回の敵に何かを望み、利用しようとしている組織や個人は決して零では無い。勿論、存在や目的を疎み、排除しようとする者も私達以外に存在するでしょう。しかし、絶対に誰とも協力してはいけないわ。今の私達にとって敵以外は全て策を邪魔するだけの存在よ。些事だと切り捨てなさい」
『承知しました。……それにしても、これでは何の為の協定なのか』
「頼めば必ず協力してくれるわよ。最終的な利害を考えれば協定を破る事は有り得ない。その上で私は頼んでいない。つまり、藍が提案したのは最善の策では無く、良くても次善の策だったという事よ」
『今の策が最善?』
「結果が優れているだけでは足りないわ。手段や、本来ならば必要ではない結果も優れてこそ最善よ。分かったら行動に移りなさい」
言い切り、紫は受話器を耳から離した。
しかし、何か物足りなさを感じたのか、また耳にあてがう。
「情報提供者、……いえ、慧音によろしくと伝えておいて。次は良い知らせを期待しているわ」
今度こそ、紫は通信を切った。
物を言わなくなった受話器を元の場所に片付け、折れた短刀を一瞥する。
慧音の近況を知らせれば龍泉はどう動くのかと考える。
実のところ、今回の事は龍泉にも責任があった。不穏分子の大半は龍泉が幻想郷の結界を弱めていた頃に流入した外来人。妖怪から生き延び、しかし、理由があって幻想郷から早々に脱出する事を選ばなかった人間達だ。恩義のある慧音が彼等の為に苦しんでいると知れば、龍泉は滅私の精神で働く事だろう。
だが、龍泉にはそれよりも優先してもらわなければならない事がある。別の事に気を取られ、義務を疎かにされては困るのだ。
紫は別れを告げるように短刀へ手を振りつつ、電話ボックスから出ていく。
処分しても気付かれなかっただろうが、これ以上、龍泉に負い目を感じるのは避けたかった。
どちらかの案件が片付いた時には必ず返却する事を心の中で誓いながら、紫は異空間から姿を消した。




