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東方朧観簿  作者: 庶民
第二章
39/59

其の三十九、秘密

 手合わせの申し出は龍泉達が眠る直前に幽霊から手紙の形で部屋に持ち込まれた。

 浮遊する紙切れを掴み取り、見えもしない幽霊を追い返した龍泉はその場で文章に目を通した後、凛華と共に布団の上でくつろぐ紫へ手紙を渡す。


「手合わせの申し出だとさ。額面はそれらしく整えているが、武人ではない私に要求してきたところを見ると、どうやら怪しまれているらしい」


 龍泉の言葉を聴きながら、紫は肩越しに覗き込んでくる凛華と手紙を読み進める。

 名目上は親善試合の申し出であるので、龍泉側に拒否権は一応残されている。しかし、親善を断るという事は居候の立場から考えると不味い。龍泉も今以上の不興を買う事までは望んでいなかった。


「どうする、紫。私は西行寺幽々子や魂魄妖夢の素性を知らない。下手に抵抗せずに負け、弱者らしく振る舞っておくべきか決めかねている」

「あの、勝ったら駄目なんですか?」


 凛華が口を出した事で、龍泉は複雑な表情を浮かべた。

 その発言には父親の負ける姿は見たくない、という凛華の考えが見え隠れしている。


「……勝てば強者であると認識されて警戒されかねませんし、無理に勝とうとすれば軋轢が生まれますからね。普通にやって勝てるくらい私と相手に実力差があるなら話は別ですが、私は決して強くありませんので」


 龍泉が今まで勝利を掴んできた方法は、周囲の状況を利用して相手の隙を突く戦法が殆どだ。逆にそれ以外の正面対決では、運が良くても辛勝程度しか得られていない。

 その理由には体格の不利も一応あるが、何よりも、真正面から渡り合える技術を持っていない事が大きかった。

 龍泉は数々の戦闘を経験してきたが、その殆どに対して死から逃避する意思しか持たなかった。

 その為、相手を打倒するような戦闘技術の修得は積極的にしてきていない。その代わり、翻弄や逃走に関する努力は多く重ねてきているが。


「別に手を抜いて負けるのでもいいけど、上手く負ける自信はあるの?」


 紙面を丁寧に折り畳みつつ、紫が言う。

 実力を本来より下に見せかけるのは難しい事だ。

 龍泉は警戒する程の価値が無いと幽々子達に思わせる為に敗北を視野に入れているのだろうが、わざと負けた事に気付かれてしまえば、逆に実力を隠しているとされて警戒を強められかねない。


「まあ、心理戦が得意な龍泉なら大丈夫だとは思うけど……」

「いいや。隠すならともかく、騙す能力に自信は無い。最初から警戒されている相手を騙すとなるとなおさらだ」

「それじゃあ、どうして負けるなんて事を?」

「幽々子の私に対する警戒は簡単に解けそうにないが、妖夢は別だ。まだ私と会っていないのだから、私の印象は定まっていないに違いない。そちらを騙す事なら、もしかしたらと思ったんだが……。何分、私も知らないから判断出来ない。妖夢は目敏いのか? そもそも、私に見える相手か?」

「見えるかどうかは直接確認してもらわないと分からないけど、目敏いかどうかと言われれば、そうね……」


 紫は幽々子を通じて妖夢を知っている。

 直接的に話した事は決して多くないが、幽々子に弄ばれている様子を頻繁に見てきた事から考えると、目敏くないかもしれない。

 しかし、紫は自分の考えを疑う。

 あまりに幽々子が妖夢をからかうので、紫は妖夢が自発的に何かする姿を殆ど見た事が無かった。


「目敏くないわね。ただ、私も詳しく知らない。何というか、自我が薄い子だから」

「自我が薄い?」

「あまり主張しない性格でね。自分の剣術には自信があるようで比較的饒舌なのだけど、他の事に関して自分の意見は特に出さない。だから、内心では何処まで考えているか見当も付かないのよ」

「ああ、そういう性格か。何となく分かった」


 龍泉は頷き、理解を示した。

 妖夢は脇目も振らずに剣術一筋で生きてきたのだろう。自分とは正反対に近い存在だが、何かに打ち込んだ末の内向的な思考の持ち主なら、ある程度の予想は立てられる。


「だとすると、普通にやっても負けるだろうし、そのほうが良いかもしれないな」

「下手な演技をするくらいなら私もそのほうが良いと思うわ。どのみち、龍泉なら他の手段で警戒を取り払う事も十分に可能でしょうし」

「それは褒めているのか?」

「違う意味で聞こえていたら御免なさいね。でも、信頼を勝ち取る方法を心得ているのは事実でしょう? たった数ヵ月で実質的に紅魔館全体を掌握したのだから。……ああ、勘違いしないで。打算的な行動でなかったとは理解しているわ」

「私は紅魔館の皆が好きだっただけだ」

「ええ、そうでしょうね。そういう純粋な部分は私も嫌いではないわよ」

「……そうか。どうでもいい」


 紫は冷たくあしらう龍泉に苦笑すると、傍に居た凛華の肩へ手を回し、ぬいぐるみのように抱き抱える。


「酷いわね、あなたのお父さん」

「え、あ、あの……」

「んー?」


 そのまま、龍泉に見せ付けるように紫は凛華へ頬擦りする。

 困惑する凛華は龍泉へどう答えるべきか聞こうとするが、龍泉は厳しく拳を握り締めていた。

 異変に気付いたのだろう。紫は凛華を解放し、真剣さを帯びた声で訊ねる。


「……本気にした?」

「いや、冗談だとは分かっている。ただ――」


 堪えるように龍泉は眉間に皺を寄せて、そのまま黙り込んだ。

 言うべきか言わざるべきか。

 その葛藤は長く続かなかった。


「今は、言わない。紫にも凛華にも、不要な話だ」


 結論を出した龍泉は障子に手を掛けた。


「悪い。三分ほど頭を冷やしてくる。その間は一人にさせてくれ」

「何か気に障ったみたいね」

「紫は悪くない。悪いのは、普通とは程遠い事を認めた、妖怪である私のほうだ」

「龍泉さん……」


 凛華が外へ行く龍泉を追い掛けようとするが、紫が引き止めた。

 龍泉は背中を向けたまま、凛華を見る事も無く、告げる。


「すぐ戻ります。時間が過ぎても来ない時は探してもいいですから、それまでは賢く待っていてください」

「……はい」

「いい子です」


 渋々頷いた凛華の声へ申し訳なさそうに返し、龍泉は部屋を出た。

 凛華に対して、未だに何もしてやれていない事が龍泉の心を締め上げる。

 せめて、この乱れた心を整えようと決め、龍泉は深い爪痕が残された掌を見詰めていた。





「なあ、紫」


 幽霊が運んできた朝食を食べながら、龍泉は言った。

 不穏さは今の龍泉には全く見られない。感情の整理は慣れているのだろう。発言には何処か呑気な雰囲気が漂っている。


「昨夜は無視したし、今後とも無視するつもりだが、なんで一つの部屋しか借りていないんだ?」


 昨夜の龍泉達は凛華を挟んで一つの部屋で眠った。

 龍泉はまだ凛華に触れる事を禁じられていた為に、寄り添うように眠る凛華と紫から離れた場所で眠ったのだが、同じ部屋である事には変わりない。


「観光で冥界に来た訳ではないのよ、龍泉。あなたが私の指示を守るか監視する為に同室で寝泊まりするのは当然の事よ」

「確かに当然かもしれないが、常識的ではない。空き部屋があるなら眠る時くらい別れても問題ないと思うが」

「その問題というのは何かしら?」

「男女七歳にして席を同じくせず。私がお前より下等な種族とはいえ、眠る時くらい留意しないのか?」

「何? 夜這いの気でもあるの?」

「いや、私は色欲に縁が無い。お前が異性を意識する可憐な性格をしているかもしれないのと、一度は殺し合った相手に無防備な姿を晒して疲れないのか気になっただけだ」

「意外と気が回るのね」

「お前ほどではない」


 龍泉は自らの隣へ座る凛華を一瞥する。

 彼は凛華が精神的に脆くなっている事には気付いていたが、接触を禁じられている為に上手く手出しする事が出来ないでいた。

 その事情を知っているからか、紫は凛華を支える役目を一部肩代わりしてくれている。昨夜から今朝までも、不安がる凛華を抱き締めてくれていた。


「特に負担は無いわよ。龍泉のほうこそ、どうなの? あなたも同じ状況でしょう?」

「私は問題無い。慣れている」

「そう。紅魔館で?」

「近い事を外の世界で、だ。あちらで何度も殺されかけたと前に話しただろう。何でもかんでも紅魔館と結び付けようとするな」


 呆れたような口振りで龍泉は言う。

 実際には紅魔館で一度殺されて蘇生した身だが、龍泉は既に解決した事として捉えている。当事者同士が納得しているのだから、外部からの口出しは鬱陶しいだけなのだ。

 紅魔館での過去を知る凛華が不思議そうに龍泉を見るが、紫へ真相を語る事も無く、そのまま食事を続ける。


「……凛華は?」

「はい?」

「紫や私と一緒の部屋でも大丈夫?」


 龍泉の意図が掴めず、凛華は首を傾げる。

 龍泉は紫との会話で凝った表情を解し、凛華へ微笑みかけた。


「単なる確認ですよ。勝手に話を進められるのは良い心地がしないでしょう?」

「私は――」


 凛華は紫へ視線を移した。

 その時に紫と目があったが、向こうから何気ない素振りで視線を外される。

 紫へ迷惑を掛けている自覚があった凛華はその対応に困惑するも、言いにくそうに本心を語った。


「大丈夫です。寧ろ、一緒に居られて嬉しいくらいです」

「そうですか? 無理していません?」

「とんでもないです。本当に」

「……まあ、触れ合えるまで残り一日です。寂しくなったら、いつでも私を頼りなさい」


 何か隠している事に龍泉は気付いたが、それは明日になれば解決する事だと判断して追及する事は無い。

 その優しさに縋るように、凛華は頷いた。

 そして再び、紫を見詰める。

 紫は龍泉にも凛華にも意識は無いようで、何処か一点を見据えている。集中しているからか、今度は凛華の視線に気付く事も無い。


「紫?」


 龍泉も訝しみ、声を掛ける。

 呼び掛けに驚いたように、紫は体を跳ねさせた。


「ああ、えっと、何の用かしら?」

「朝だから眠いのか? それとも考え事か? 呆けられていると困るぞ」

「ごめんなさい。少し考え事をね」

「私に課す具体的な修行内容とかか?」

「そういう事にしてくれると助かるわね」

「どうせ違うんだろう。まあ、方針さえ示してくれたら自分で考えるからいいが、目の前の事を無視するのは出来れば止めてくれ。さっきから凛華が何か訊きたそうにしているぞ」

「あっ、いや、別に大切な事じゃないので……」


 勝手に考えを汲まれ、凛華は慌てて遠慮する。

 確かに訊きたい事はあるが、自分は邪魔なのか、という問いの答えは知りたくない。


「御馳走様でした。少し散歩してきます」


 食器を重ねて片付けると、凛華は龍泉の気遣いから逃げる為に部屋から出て行こうとする。


「凛華。言われなくても分かっているでしょうが、暫くすれば道場で親善試合です。するのは私だけですが、凛華も見物に来るように相手方から指示を受けていますから、遅れないように」

「分かってます。いってきます」

「はい。いってらっしゃい」


 きちんと挨拶を交わしてから、凛華は部屋を出ていった。

 龍泉は食事の手を休め、障子の隙間から凛華の後ろ姿を心配そうに見送っていた。


「大丈夫だろうか……。やはり、御守りを付けておいたほうが……」

「……あなたって、コロコロ性格が変わるわね」


 まるで豹変とも言うべき龍泉の百面相振りに、思わず紫は呟いた。

 公私の分別を付けるにしても、これは過剰な気さえする。龍泉の一面しか知らない者からすれば困惑する程の多彩な変化だ。

 せめて一部が演技であるなら納得しやすいのだが、真心の入った行動ばかり。どうやら殆どが本心から出てきているらしい。


「まあ、出会った頃よりは良いけど」


 聞いているのかいないのか。どちらにせよ、娘の心配ばかりで反応の無い龍泉を眺めながら、満足そうに紫は続ける。

 様々な物を失い、自らの正体さえ不明のままに幻想郷を訪れた頃の龍泉は虚無に囚われていた。具体的な夢も無く、生存の舞台を外の世界から幻想郷に改めただけという認識しか持っていなかった事だろう。

 それが今では明確な意志を持ち、他者を顧みる余裕さえある。


「……その切っ掛けは、誰だったのかしらね」


 疑問ではなく、その誰かを思い出すように紫は呟くと、再び思考の渦へ沈んでいった。





 龍泉達が道場を訪れると、そこの壁際には見物客と思われる幽々子と龍泉には姿の見えない数多の幽霊が談笑しており、中央には手合わせの相手となる妖夢が畏まった様子で座っていた。

 妖夢の目の前には鞘に納められた刀が一つ。少し離れた場所に、恐らくは龍泉に使わせる予定の刀が同じ状態で置かれている。


「ああ、紫。凛華さん。こっちこっち」


 気付いた様子の幽々子が二人を手招きし、隣に並べた座布団を叩く。

 雰囲気に流されるようにして、龍泉は妖夢の前に、紫と凛華は幽々子の隣に座った。


「あの、幽々子。一つ聞きたいのだけど、あれ、真剣じゃない?」


 紫は座るなり、幽々子へ問い掛けた。

 そもそも、竹刀や木刀であるのならば鞘は必要ない。よく見れば柄や鍔も明らかに真剣のそれである。


「ええ、そうらしいわね。一応、刃引きしているから何も斬れないとは聞いているけど」

「確かめてもよろしいですか?」


 聞こえていたのだろう。紫と同じ疑問を持っていた龍泉はその場から幽々子へ呼び掛けた。


「私の持ち物じゃないけど、多分構わないと思うわよ。どう、妖夢?」

「はい。問題ありません」


 そう言って、妖夢は立ち上がる。

 龍泉の近くへ自らに用意していた刀を置くと、妖夢は元の場所へ戻った。


「どうぞ、心行くまで御覧下さい」

「……どうも」


 多少は警戒されていると考えていた龍泉は予想外に快く対応する妖夢に遠慮しつつ、丁寧な所作で鞘から刀身を半ばまで引き抜いた。

 そして、慎重に刃を握り込む。

 刃が立っている日本刀に上からちり紙を落とすと、そのちり紙は自らの重みだけで切断されると言われる。軽く握り込んだだけでも、刃が完全に引かれていなければ出血は十分に起こり得るのだ。

 しかし、握り込んだ手に痛みは無く、血も流れ出さない。握り込んだまま軽く刀を押し引きするが、何の掛かりも感じない。もう一つも試したが、同じである。


「成る程。なまくらですね。しかし――」


 刀を鞘へ納めながら、龍泉は周囲を見回す。


「防具無しで手合わせをなさるつもりですか? 私には寸止めが出来る程の技量がありませんよ」


 刃が立っていなくとも重みは変わらないし、形状が大きく変わる訳でもない。

 ほんの少しの力で打たれても、当たり所が悪ければ骨が折れるくらいは充分に有り得るだろう。


「必要ならば用意致しますが、真剣で打ち合うのですから鎧でも着なければ殆ど変わりませんよ」

「その、真剣というのも私には少し不可解なのですが……。普通、こういう催しは竹刀か木刀で行うものだと思いますが」

「ああ、それは派手だからですよ」

「……派手、ですか。確かにそうですが」


 釈然としないものを感じつつ、龍泉は妖夢に刀を渡した。

 そして、最初よりも妖夢から離れた位置に座り込み、見物席を眺める。

 今回の手合わせは親善試合と銘打たれている為か、見物席の空気は和やかで賑やかだ。幽霊の姿が見えず、声も聞こえない龍泉ではあるが、彼等が手合わせを楽しもうとしている気配は直感的に分かる。

 危険ではあるが、彼等に娯楽を提供して好印象を与えておくのも悪くない。

 不安そうに見てくる凛華や紫を安心させるように笑顔で手を振り、龍泉は朗らかに妖夢へ告げた。


「分かりました。そちらの条件に従いましょう」

「ありがとうございます。話の分かる御方で助かりました。それでは、始めましょうか」

「ええ」


 座った状態で妖夢は一礼。剣術の流儀に馴染みの無い龍泉は、一拍遅れながらも同じ動作をする事で体裁を整える。

 妖夢は龍泉の不馴れな様子をつぶさに観察しつつ、片膝を立てた状態で刀の柄を掴む。

 もう既に、妖夢は戦いの境地に入っているらしい。その堂の入った姿に感心し、自らの拙さと比較して、龍泉は苦笑を漏らした。


「格好いいですね。私も昔は何度か剣の道に憧れた事はありますが、修練を積んだ事はありませんからね。妖夢さんからしたら、何とも無様なものでしょう?」


 その自虐に妖夢からの反応は無い。

 卑下は好かない性格なのだろうかと考えたが、鯉口を切る音で龍泉の疑問は怖気へと変化する。


 生存本能の叫びさえ、間に合わない。

 全てに先駆け、刀が空気を切り裂いていく音だけが、龍泉の意識に届いていた。

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