其の三十八、気配
紫達が幽々子から借し与えられた部屋は白玉楼の片隅にある八畳一間である。
目の前を漂う幽霊に案内され、紫はその部屋に辿り着いた。
「御苦労様」
紫が言うと、尾を引く白い球体は御辞儀でもするかのように上下へ揺れた。
ある程度の力を持つ幽霊は体の一部、もしくは全部を生前の姿に変えられるが、この幽霊はその境地に至っていないようだ。
御辞儀らしき動作をした幽霊は廊下から直接的に枯山水の庭へ飛び出て、何処かへ飛んでいく。
何気なくその姿を見送っていた紫だったが、幽霊が屋敷の陰に隠れて見えなくなると、部屋に繋がる障子を開けた。
「龍泉さ――、あ。……紫、さん」
一人で荷解きしていた凛華は元気そうな笑顔で振り向いたが、期待した相手が居なかった事に落胆する。
「なに? 龍泉、まだ来てないの?」
「……はい」
「それなら、迷子なのかしらね」
白玉楼は広大だ。案内がなくては初めて向かう部屋に辿り着けない事も充分に有り得る。
龍泉は幽霊に案内してもらうと言っていたが、やはり、決意一つで幽霊が見えるとはならなかったのだろう。
「私が探してきましょうか?」
「紫さんが?」
善意の申し出に凛華の表情が落胆から困惑に変わる。
「ですが、紫さんの手を煩わせる程の事ではありません。部屋数も無限ではありませんから、父――いえ、龍泉さんなら、暫くすればこの部屋へ辿り着けると思います」
「でも、あなたは早く帰ってきて欲しいのでしょう?」
「あ、う、そう、ですけど……」
下手に紫へ迷惑を掛けると龍泉の待遇が悪くなるのではないかと思い悩みながら、それでも早く来て欲しいという願望に凛華は揺れ動く。
一人で居るには広い部屋。生き物の気配を感じない空間は、一度死んだ凛華には恐怖を感じさせていた。
誰かが近くに居てくれないと、とてもではないが安心出来ない。
「どちらにせよ、あまり徘徊されると私の監督責任が問われるわ。行き違いになるといけないから、あなたは部屋で待ってなさい」
紫は凛華の葛藤を見ていながら、凛華が答えを出す前に連れて来る事を決めた。
開け放しの障子を閉めようとする。
「ま、まってください……!」
凛華は慌てた様子で走り寄り、閉まる障子に手を掛けた。
その必死さに紫は思わず立ち止まり、障子を再び開き、屈み込んで凛華と視線の高さを合わせる。
「どうしたの?」
「行く前に一つ、お願いが」
「なあに?」
質問に凛華は答えず、突然、体を倒して紫へ抱き付いた。
予想外の行動で紫は若干後ろへよろめくが、右手で凛華の体を支えつつ、持ち堪える。
「驚いた。あなたは龍泉と同じように私を嫌っていると――」
「あの、私、ちゃんと温かいですか?」
「……大丈夫よ。温かいわ。ちゃんと生きている」
震える凛華の背中を穏やかに擦りながら、紫は答えた。
ここは冥界。死の世界。
生者が心安らかに暮らすには、寂しすぎる土地だ。
「もし辛いなら幻想郷に帰ってもいいのよ」
優しさから紫は囁く。それで気付かされたように凛華は速やかに紫から離れた。
「それは駄目です。御嬢様と約束しました。私が帰る時は、龍泉さんと一緒でなければなりません」
「……そう、分かった。もう何も言わないわ」
固い覚悟である事は紫にも伝わった。
それなら、その覚悟を徒に揺らがせる真似はやらないほうが良い。
「せめて、なるべく急いで連れて来るわね」
紫は今度こそ障子を閉め切った。
凛華は紫が立ち去っていく音を聞きながら、寂しさを紛らわすように、荷解きの作業を再開した。
◆
紫が龍泉を見付けた時、龍泉は枯山水の庭の飛び石の上に立っていた。
周囲を多くの幽霊に囲まれながら、庭に聳え立つ大きな桜を眺めている。
「龍泉」
紫が廊下から彼の名前を呼ぶと、現実に引き戻されたかのように驚いた表情を見せ、しかし、どうでもよさそうに視線を桜へと戻す。
その視線は何処か険しい。
顎に手を添え、何かを考えあぐねている。
紫は龍泉の所まで飛び石を伝い歩いた。
「龍泉。凛華が待っているわよ」
「……そうか」
ぽつりと呟いた龍泉は顎から手を離し、その手を桜へと差し向ける。
「紫。あれは妖怪だな?」
「そうよ。西行妖と言うの」
西行妖とは、生前の幽々子の屋敷に生えていた桜である。そのあまりの美しさに心奪われた者達が、満開のその桜の根元で息絶えた為に妖怪へと変化した。
冥界に存在しているが、幽霊ではなく妖怪である為、龍泉は明確にその姿を捉える事が出来ていた。
西行妖を怪訝そうに見詰めたまま、龍泉は口を開いた。
「私には、あれにも命を奪う力があると見える」
「その通り。相変わらず素晴らしい観察眼ね」
「……いや、どちらかと言えば、私も言葉や存在だけで何人も殺めたから分かるんだ。あの桜も、何人か殺めた事があるようだ。今は封印されているようだが」
龍泉は過去を思い出したのか、西行妖へ向けていた目を伏せる。
やがて、回顧を終えた龍泉の脳裏に、この屋敷の主の事が浮かび上がった。
「幽々子も、同じだな?」
「……やはり、気付いていたのね」
「自殺の前科があると聞けば疑いもする」
「ごもっとも」
龍泉は紫の態度が白々しく思え、夜に染まりつつある空へ溜め息をぶちまけた。
そして、微かに存在を感知していた幽霊達を妖力で追い払う。
ここから先は二人だけの話。外部に伝わらせる気は微塵も無いらしく、龍泉は小声で話し出す。
「私は何人もの命を失ってしまったばかりだ。自殺する輩に神経を逆立て、警戒する事は充分に予測出来た筈。だからな、紫。私が幽々子の力に気付く事は、お前の想定通りの出来事だったのだろう?」
紫は何も言わず、表情も変えない。
龍泉は小さく笑った。
「無言は文化によって意味が異なるらしい。何処の文化に則って黙っているのか知らないが、どちらでもいい。分かったところで私が幻想郷へ帰るには、お前の指示に従う以外は無いのだから」
龍泉は飛び石の上で踵を返し、紫と相対する。
超然とした態度である。
紫の目には小柄な龍泉の姿が一瞬だけ、数千年の歴史を経た巨木のように映った。
「退け。枯山水を乱したくない」
狭い飛び石の上。龍泉は立場が上である紫に対して命令する。
紫はそんな龍泉を測るように目を細め、ゆっくりと、沈黙を破った。
「……勘違いされそうだから教える事にするわ。確かに、今回の事は想定通りの出来事よ」
「ほう?」
「幽々子と西行妖と龍泉。あなた達は存在するだけで他者を殺せるという点で共通している。そして、幽々子と西行妖。このどちらかの現在が、あなたの未来になる」
力を克服し、君臨するか。
力を封印し、沈黙するか。
「それを私に選べというのか」
「今は考えておくだけでもいい。最終的にどうするかはあなたの決断次第よ。私が直接干渉出来る事じゃない」
「結果はどうでもいい。どちらを選んだほうが早く帰れるかが重要だ」
「差は無いわ。完全に操るのも封じるのも制御という意味では同じ。難易度も同じよ。未来だけが違う」
「ふん……」
龍泉は会話を中断し、暫く、紫を観察する為に時間を割いた。
都合が良すぎる対応に胡散臭いものを感じたのだ。
しかし、紫の真摯な眼差しを見るに連れ、疑念は次第に困惑へと染まっていく。
そして、視線が紫の左腕に止まると、龍泉の顔色に憂慮の陰が差し込んだ。
「この力はお前も殺せるんだぞ、紫」
「でしょうね」
「その力を自由に扱わせる事も考えているのか」
「そう言っているわ」
「……お前、自殺願望があるのか?」
その声は正気を疑うというより、絶望の響きが強かった。
今の龍泉にとって、紫以外に頼れる者は居ない。
しかし、その相手が龍泉が最も毛嫌いする願望の持ち主であるのなら、信頼は不可能だ。自殺願望は、紅魔館の皆が龍泉に告げた自己犠牲の覚悟とは根本から違う。単なる独善的な駄々でしかないのだ。
「違うわ」
「それなら何故だ」
胸倉に掴みかかろうかという勢いで龍泉は質問を重ねる。
「反乱の恐れがある私を弱めるのなら納得する。しかし、その反対に強める事をも良しとする目的は何だ」
「あなたの為よ」
「私の為?」
「力を自由に使えれば、あなたは凡愚な存在ではなくなる。未来永劫、後悔や未練とは無縁の生活を送る事が出来るようになる。二度と誰も死なせないようにする事だって出来るかもしれない。その生活を夢見た事、あなたは一度や二度では無いのでしょう?」
「……甘言を吐いて誤魔化すな」
紫の言葉を龍泉は忌々しげに切り捨てた。
不幸を招いた力で幸福になる。
それは今の龍泉からすれば完全な夢物語なのだ。制御する訓練の全容も未だ不明。そのような状況で龍泉が安直に信じる事はない。
反論を意に介さず、紫は続ける。
「実際のところ、私の目的なんて、あなたにはどうでもいい事ではないのかしら。あなたの目的は紅魔館に帰る事。違う?」
「確かにそうだ。しかし、最低限の信頼関係が無ければ今後に支障が出る事には違わない。本当の事を見抜けない程、愚鈍ではないつもりだ。真実で私を信頼させてみろ」
「嘘は言ってないわ。下等な友人相手に、その必要も無い」
「……お前、まだ私に対して上等な友人気分のままなのか?」
二人の間で交わされる、上等か下等かといった言葉に非難の意味は含まれていない。
歴然とした格差が存在している事は確かであり、どちらが上で、どちらが下なのかという認識は完全に一致していたからだ。
問題は、友人と言った事。
「私と殺し合った事をもう忘れたか」
「無かった事には出来るわよ?」
「水に流して握手しろとでも? そんな世迷い言は腕を治してから言え。不便そうにぶら下げたままでは、見ていて申し訳無い気分にさせられる」
「……あなた、意外と私を嫌っていないのね」
「恩人だからな。感謝もしている。しかし、必要以上に馴れ馴れしくする気はない。されたくもない。それは我々の共通見解だった筈だ」
「そうね」
「結んだのは友好関係ではなく、戦略的互恵関係だ。それには方針に通用する信頼が一つあればいい。目的全てを言う必要は無い。不足する部分は私が勝手に解釈する。伝えておくべきだと判断した部分だけ、私に伝えろ。先程と同じように」
言い切り、龍泉は腕を組んだ。
射殺せるかのような鋭い視線が紫を貫く。
「――私は、龍泉の為に行動している」
しかし、紫は動揺しない。
先程の言葉を全く同じ調子で繰り返す。
そこには真剣味と無感情が両立している。
それきり、二人の間には無言の時間が流れた。
その終わりを告げるように、紫は体を飛び石の端にずらした。
「……分かった」
情報は増えなかったものの、龍泉は頷き、腕を解いた。
「お前が私を裏切った時に失う信用を考えれば、この時点でお前が言った事は全て真実だと考えられる。言わなかった部分は私を混乱させない為にあえてそうしたのだと好意的に解釈しておく」
押し退けるように紫の脇を擦り抜け、龍泉は屋敷へ向けて歩いていく。
「――しかしな、紫」
数歩先で立ち止まる。
そのまま、振り向く事は無い。
「お前は一つ、幽々子へ嘘を教えた。私にも好都合な嘘だから合わせてやるが、その嘘で失った私からの信用は決して少なくない事を心しておけ。……あいつは友人なんだろう。友人なら、あまり騙してやるな」
締め括るように告げられた最後の一言には、先程まで漂わせていた威圧的な気配は無く、憤怒と憐憫が綯い交ぜとなっていた。
幾ら自殺者を毛嫌いする龍泉でも、その者を無下に扱う事には承服しかねるものがあるのだろう。それも友人に対してであるならば尚更だ。
「……分かっているわよ」
今回の会話の中で、初めて紫は懺悔の形で感情を覗かせた。
龍泉は深く問い質さず、粛々とした歩みで紫から遠ざかっていく。
その瞳には未だに幽霊の姿が写っている様子は無い。案内しなければ、龍泉が凛華の待つ部屋を見付けるまで多くの時間が掛かるだろう。
しかし、紫はその場で暫く、西行妖を見上げていた。
思い出すのは遥かな昔。
「幽々子は死に、あなたは生き続けている。幽々子が亡霊として存在している今では考えても無意味だけど、本当はあなたが、幽々子を自殺という形で殺めたのでは?」
西行妖は答えない。
死者と植物に、声は無い。
「……駄目ね。答えを知って、どうするというの。そんな些事に囚われている場合ではないのに」
何が原因で、どのような論理が働いていたとしても、幽々子が自殺した過去は変わらない。
寿命を全うせずに死んだ事には一抹の憐れみを感じるものの、亡霊となって与えられた悠久の時間が生前の無念を慰めただろう。
今更、紫があの時代に関して気に留めなければならない事は何一つ無いのだ。
思考に決着を付け、紫は龍泉の後を悠然とした振る舞いで追い始める。
夜の気配を孕んだ冷たい風が、西行妖の枝葉を揺らしていた。
◆
幽々子は自室で煎餅を食べながら、龍泉の監視に向かわせていた幽霊からの報告を聞いていた。
部屋を出てから屋敷中を歩き回り、見える幽霊か凛華が待つ部屋を龍泉は暫く探していたらしい。しかし、その途中で西行妖を見付けてからは観察を始め、紫が来るまで動こうとはしなかった。そして、紫が来ると龍泉から妖気が溢れ、二人の間で密談が交わされた。幽霊は遠くへ追い払われた為に密談の内容までは分からなかったそうだ。
「追い払われたなら、尾行に気付いたのかしらね。――ああ、あなたも食べる?」
幽々子が皿に盛られた煎餅を勧めると、形を持たない幽霊は引き下がる事で辞退を申し出た。
死者である幽霊にとって食事は不必要なものだが、一応、食べられない訳では無い。
「別に遠慮しなくてもいいのに」
幽々子は再度誘うが、幽霊は頼まれた仕事を遂行出来なかったとして、断固として辞退の姿勢を崩さない。
「……まあ、無理強いはしないけど」
皿から取り出した一枚の煎餅が音を立てて割れ、幽々子の口の中に消えていく。
「除霊、ねえ。どうしましょう?」
幽霊が見えない龍泉を監視するには幽霊が適任だと考えていたが、除霊されては意味が無い。
その技術が拙ければ話は別なのだが、生半可な幽霊を近寄らせない程に龍泉は習熟している。
龍泉は以前から幽霊を付き纏わらせていたと紫から聞いていたので、見えないと言っても、扱いは心得ているのだろう。
「幽霊では駄目、と。それなら幽霊以外ね。そういう訳で、あなたを監視の任から解くわ。その代わり、今すぐ妖夢を呼んできてくれる?」
幽々子が笑顔で頼むと、幽霊は畏まるように身を一層低くし、そのまま閉まった障子を透過して部屋から出ていった。
それから暫くして、障子に人間の影が写る。
「妖夢です」
「分かっているわ。いらっしゃい」
「はい」
小さな幽霊を連れた少女が障子を開けて部屋に入り、幽々子の前で正座を組んだ。
この少女の名前は魂魄妖夢。人間でも幽霊でもない。半人半霊という種族であり、人間の部分だけでなく、連れている幽霊も彼女の一部である。
存在を構成する物の大半が物理的な物であるならば、それは生きた動物や植物。そうではなく、大半が精神的な物であるならば、それは幽霊と呼ばれる。
半人半霊という種族は、その中間に位置する。半分が物理的な物、もう半分が精神的な物で構成されている種族なのだ。
彼女なら、龍泉の除霊にも対応出来る。
「何の用ですか?」
「紫の頼みで彼女と妖怪達を白玉楼に仮住まいさせる、という事は前に話したわね?」
「はい。それが?」
「特に妖怪のほうがね、ほんの少し気になるの」
「……はあ」
妖夢は幽々子の物好きな性格と飽きやすい性格を知っていたので、適当な相槌を返した。
幽々子は何事に対しても戯れるようにしか接しないのだ。気になる、と今は言っていても、どうせ一週間もせずに飽きるだろう。
「だから、時々で良いから監視してくれる?」
思っていたよりも好奇心が強い様子の姿を見て、妖夢は歯切れ悪く返事をした。
「監視、ですか? それは少し不躾なような……」
「四六時中張り付け、と言う事ではないわ。怪しい行動をしていないか確認するだけよ。赤の他人だもの。そのくらい探るのは当然でしょう?」
「……まあ、たまに様子を見るくらいならしますけど。でも、どうして自分でしないんです?」
「だって、どんな妖怪でも紫の選んだ式神なら心配しない、って言っちゃったんだもの。それなのに私が直接監視しているって気付かれたら紫に嫌われるかもしれないじゃない」
「えー……。幽々子様、それはどうかと思いますよ?」
「いいのいいの。本音をぶつけ合う事が出来て、建前も認め合う事が出来る。それが真の友人なんだから」
やや利己的な考えだと妖夢は思ったが、あながち間違ってもいない考えだと思い直す。
「本当に、時々だけなら。私も嫌われたくありませんし」
「それで充分よ。あと妖夢。あなた、今日から刀を持ち歩きなさい」
「はい?」
思わない命令に、妖夢から素頓狂な声が飛び出た。
妖夢は刀、それも真剣を幾つか所有している。幻想郷に比べれば平穏な冥界だが、実戦の機会が一度も無い訳ではない。それに妖夢は剣術指南役兼庭師だ。白玉楼内で刀を持ち歩く事は何ら不思議な事ではない。
しかし、剣術に通じているからこそ、妖夢は刀の危険性も熟知している。龍泉達が来ると知らされてからは無用な警戒心を煽らないように、なるべく持ち歩かない事に決めていた。
「えー、真意を図りかねるのですが……」
「簡単に愚かさを告白するものではないわよ、妖夢」
「はあ」
「でも、正直なところは好きよ」
「……はあ」
煙に撒かれている事を自覚しているものの、妖夢は判然とした対応をし損ねていた。
「そんな事をしたら私が嫌われそうですけど」
「大丈夫よ。向こうもナイフを持ち歩いているから。知り合いの形見とかいう理由でね」
「でも、威圧になりませんか?」
「御互い様だし、別にいいんじゃない?」
「嫌ですよ、そんなの。変人に見られるじゃないですか」
「あら、違うの?」
「違いますよ!」
「まあまあ、大声を出さないで。一度落ち着きなさい」
「もう、幽々子様は……!」
玩具扱いされている事に妖夢は頭を抱える。
楽しそうに微笑む幽々子が憎たらしく思うが、それ以上に何とも言えない敗北感が妖夢の気力を削ぎ、溜め息を吐かせた。
「そもそもね、威圧が目的なのよ」
「……何の為にですか?」
「どうにも傍若無人に振る舞われそうな気がするのよね。だから、予防線を張っておくの」
幽々子の脳裏には去り際に睨みを利かせた龍泉の姿が克明に刻まれている。
あれは何の意図が含まれた行動なのかを知るには、幽々子は龍泉の事を知らなさすぎた。
「気持ちは分かりました。しかし――」
そして、それは妖夢も同様だった。
「幽々子様がそこまで警戒する相手だとしても、やはり、私の目で確認しない事には帯刀しかねます」
「ふむ。まあ、そうなるわよね」
「ですから、判断は明日へ見送っても構いませんか? 明日の日中、その妖怪を道場へ招いて、そこで見極めたいと思います」
「わざわざ道場へ?」
「はい。実力を把握する意味も兼ねて、手合わせをしてみます」
白玉楼の敷地には武芸の修練を目的とした小さな道場が建っている。
主な利用者である幽霊には肉体が無いので、専ら精神的な鍛練の場として用いられている施設だが、試合にも充分に使える施設だ。
「成る程ね。だけど、あれはそう言う物差しで測れる相手ではないと思うわよ?」
「関係ありません。斬れば、分かります」
妖夢は自信を持って断言した。
「それはそれは。頼もしい事ね」
しかし、幽々子はまともに取り合わず、面白がるように笑った。
妖夢もまた、道化のように思われている事を察知しながら、下手な言い訳はせず、調子を合わせるように笑った。
価値観が狭い事は何よりも妖夢自身が分かっている。それを改めない理由も大したものではない。
斬れるのか、斬れないのか。
この単純な考え方が自分には丁度いい、と思っているからだ。
だから、笑われるくらい構わない。
「まあ、負けないように頑張ってね」
「御心配には及びませんよ」
妖夢は剣術の鍛練を怠った事は無い。加えて、白玉楼で随一の剣士だという自覚がある。
「私に斬れないものなんて、あんまりありませんから」




