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東方朧観簿  作者: 庶民
第二章
37/59

其の三十七、冥界

「初めまして。私は西行寺幽々子。種族は亡霊。この白玉楼の主人をやっているわ」

「御初に御目に掛かります。私は川上龍泉と申します。こちらは凜華。些か複雑な事情がありますが、私の妖精であり、娘のようなもので御座います」

「妖怪の妖精の娘? それは気になる話だから後で詳しく聞きたいのだけど……、ところで、あなたの種族は何なのかしら?」


 過去、何度も投げ掛けられた問い。

 それに対して龍泉は、余裕の笑みを浮かべて、こう返した。


「……さて、何で御座いましょうかね」





 時は遡る。

 龍泉達が紫に連れられて向かった先は、閻魔の裁きを終え、転生する予定の霊魂が一時的に逗留する冥界だった。

 あちこちで花の幽霊が咲き乱れ、人や獣の幽霊もふらふらと遊ぶように漂う、およそ一般的に言い伝えられている冥界に比べれば華やかな世界。少しだけ日差しが弱く肌寒いが、それを踏まえても中々の絶景である。

 スキマから出て初めてそれを目の当たりにしたとき、凜華は微かに歓声を上げ、許可を求めるように龍泉を見上げた。

 龍泉は不思議そうに彼女を見ていたが、やがて納得したらしく、頷きを返す。


「ああ、いっておいで。でも、私の目に見えるところまでです。私は少し紫と話したい事がありますから」

「はい、分かりました!」


 元気に飛んでいく凜華を微笑ましく眺めた後、龍泉は笑みを消し、何処か焦点の合わない目で呟いた。


「紫。ここは冥界か?」

「そうよ。よく分かったわね。――幽霊が見えないのに」

「……まあな」


 龍泉は嘆きの息を吐き出した。

 紫の言葉通り、龍泉には幽霊が見えていない。

 目の前に広がっているのは花畑ではなく、一面の荒野。飛び交っている霊魂も彼からすれば一陣の冷風のようにしか感じ取れない。

 まさしく、死の世界。

 しかし、存在だけは視覚以外の感覚で辛うじて知覚出来ている事が救いである。

 そうでなければ、虚空で見えない何かと楽しそうに飛び回る凜華の事を、龍泉は精神を病んだのかと不安に思うところだった。


「私はここで、何をすれば紅魔館に帰れるんだ?」

「その前に、どうして幽霊が見えないのかという点について、あなたの見解を聴きましょうか」

「関わる事か?」

「私はそう思っている。何かを知覚するという点において、あなたに比肩する者は殆ど居ない。それなのに幽霊だけは明確に感知出来ないというのは奇妙な話だからね」


 紫はそう言うと、傍らにスキマを開き、その縁に腰掛けた。

 答えるまで動く気は無いらしく、それに観念した龍泉は話し出す。


「……昔は見えていた。外の世界で私がまだ人間として扱われていた頃だ」

「へえ、見えていたの?」

「そうだ。しかし、厳密には人間という扱いではなかったかもしれない。私の命は蔑ろに扱われ、それなのに私は他人の自殺や他殺を阻止し続けていた。今から思えば善行であり苦行だったよ。五歳からの十年間で延べ二十の命は助けた。その間に私は百回近く殺されかけたけどな」


 龍泉は無気力に笑い、気持ちを落ち着かせようと両手で遊び始める。

 対する紫は笑わず、無感情に龍泉を見詰めていた。


「最後に見た幽霊は、私が助けきれずに、人間に殺されてしまった人間の幽霊だった。……恨まれたよ。その幽霊にも、生きている人間にも。人殺しを止められない愚図だとね。でも、それは私もそうだったと思う。頑張ったら死なせずに済んだかもしれないという可能性なら、一応あったのだから」

「……それで?」


 紫は無関心に話を促す。

 外の世界での龍泉の経緯が不幸だとは思うが、幻想郷の危機を招いた相手に同情する気は更々無いのだ。

 龍泉としても、それはありがたい事だった。

 何の気負いも持たず、龍泉は話を進めた。


「なんというか、それでも私は、別に恨み言を好きで聞きたい訳ではなかったんだ。その幽霊からの恨み言は数ヶ月聞いたが、途中から辛くて無視するようにした。それからだ。私が幽霊を殆ど見れなくなったのは。ごく稀に、強い幽霊なら今も見える事があるんだけどな」

「それよ。そういうところよ」

「何がだ?」

「あなたは幽霊を見れなくなったのではなく、理解しなくなっただけという事よ」


 龍泉は首を傾げる。まだ理解出来る範疇にはあるが、直ぐにそこから外れていく事だけは分かり、彼は大人しく待った。


「不思議に思っていたの。あなたは異常で、相手の種族どころか個々の特殊能力まで知る事が出来る。多分、それは気配や気質を数億通りに分類出来る、優れた感受性と分析力を有しているからだわ。でも、それを無差別に感じ取っているとしたら、あなたの自我は膨大な情報で潰れている筈よ」

「……まあ、私の理解力は凡人以下だと思っている。今のも、私が複数の情報を受け付けたところで、それらを処理できずに自滅する間抜けだと言われている事しか分からなかった」

「その通り。つまり、馬鹿なあなたに分かりやすく教えると、殆どの生き物は情報を取捨選択する機能――例を出すなら、雑踏の中で会話していて、雑音を遮断し、相手の声だけを拾うような機能を持っている。あなたの場合は、その雑音の部分に幽霊が組み込まれているせいで幽霊が見れないのよ。しかも自分で制御出来ていないから、その無駄だと判断した部分を意識出来なくなっている」


 龍泉は、ふむん、と鼻を鳴らした。


「情報を濾過するフィルターが頭の中にあり、それを自力で交換出来なくなっている、という事か?」

「正解」

「それと私が幻想郷に危険をもたらす事と、一体何の関係がある?」


 幻想郷の結界と生態系を不安定にさせていたから冥界に隔離された、というのは龍泉も理解している。

 しかし、それと幽霊が見えない事とは無関係にしか思えない。

 紫は脚を組み替えながら、龍泉の周囲を指差した。


「あなた、何体の幽霊に憑かれているか知っている?」

「紅魔館で働いていた時に自力で除霊したからな。以前は少なくとも十は居たと思うが、今は零だ」

「正解。では、それらはどうなったと思う? あなたと接触した妖怪や妖精の一部は変化させられていたけど」

「……二体くらいは変化した、と思うが」

「不正解。一体も変化していないわ」

「私のこれは確率の問題じゃないのか?」

「違うわね。統計を取ったけど、被害は結界、無名の妖怪、妖精に偏っている。結界を除けば、あなたが変化させた対象は弱者が多い。確率も少しあるにせよ、これは注目すべき傾向よ」

「だったら抵抗力の有無だろう。強い者は影響を受けにくい」

「それもあるわね。でも、幽霊はかなり弱い存在よ。それこそ吹けば飛ぶ程にね」


 紫はふっと息を吹き掛ける真似をする。

 同時に自らの妖気で、龍泉に集まりつつあった幽霊達を追い払った。


「強者であるか、または存在を明確に認識していない相手に対して龍泉の能力は効果を発揮しにくい。逆に、弱者であり、かつ存在を明確に認識している相手に対して効果を発揮しやすい。その前提であなたがしなければならない事の、まず一つ目は――」


 人指し指で、自らのこめかみを軽く突く。 


「あなたの頭の中にある、その認識のフィルターを自らの意思で自由に取り外す事。具体的には幽霊が見えるようになる事ね。それでいて、見えないようにも出来る事。能力そのもののオンオフを切り換える練習は、それから後よ」

「他にもあるのか」

「ええ。まあ、それはおいおい話すとして、今からあなた達を預かる相手の所まで案内するわ」


 紫は腰を浮かせ、スキマを閉じる。

 その様子を、龍泉は怪訝そうに見ていた。


「お前が預かるんじゃないのか?」

「私自身があなたの管理をすることに変わりはないわ。ただ、場所は提供されたものを使うのよ」

「提供? 誰からの?」

「西行寺幽々子。私の友人よ。詳しい事は会えば分かる。彼女は強い亡霊だから……」


 そこで一度、紫は言葉を切る。


「いえ、そうでなくても、あなたにも見えると思うわ。彼女にもあなたと同じように、能力に振り回されたという経験があるからね。……まあ、幽々子はそれが原因で自殺までしたけど」

「うげ、また自殺か……」


 嫌悪感を露にして、龍泉はぼやく。

 龍泉の知る限り、自殺をする人間に碌な者は居ない。

 悩んで死ぬだけなら、まだ良い。

 しかし、龍泉が過去に助けた人間の中には、そうでない人間が何人も居たのだ。


「紫の交友関係に興味ないが、私は自殺志願者も自殺者も基本的に嫌いだ。私から面倒を起こすつもりはないが、それ以上は期待するな」

「……別に良いわよ。でも、居候先という事だけは弁えなさい。好む好まざるに関わらず、あなたは冥界に長く居座る事になるのよ。それも念頭に入れて行動する事ね」


 これからの苦労を想像し、紫は龍泉に釘を刺す。

 嫌々ながら龍泉は頷いたが、理屈では我慢しきれないのか、悪態を吐いて土を蹴った。


「ああ、分かったよ。でも、一つだけ聞いておきたい。そいつ、また自殺とか絶対にしないよな?」

「自殺したがる亡霊なんて存在出来ないわ。普通はね」


 ――幽々子は普通とは違うけど。


 全ては言わず、しかし、紫は事実を告げる。

 龍泉は気付かず、それならいい、とどうにか了承した。

 気付いたとしても自殺者を嫌う龍泉なら、深く詮索しなかったかもしれない。

 それはそれでいい。

 幽々子の生前の出来事を知ったところで、誰も得をしないのだから。


「あまり幽々子を待たせる訳にもいかないわ。早く行くわよ」

「そうだな。こんな殺風景な場所にいつまでも居たくない。――行くよ、凛華」

「はーい」


 紫相手とは一転して、龍泉は優しい声で凛華を呼び戻す。

 すると、一緒に遊んでいた幽霊に手を振りながら、凛華は戻ってきた。

 幽霊と友達になったのだろうか。

 龍泉は娘の交友関係について思いを馳せる。

 このような隔絶された世界に連れてきてしまった以上、最低限、寂しい思いだけはさせたくない。

 龍泉は凛華の手を握ろうとし、刺すような紫の視線に気付いて、手を戻す。

 術が凛華の体に馴染むまで、まだ時間が必要なのだ。

 娘との触れ合いさえ満足に出来ない不便な体に、龍泉は苦笑するしかなかった。


「龍泉さん、どうしました?」

「いえ、何でも」


 誤魔化して、今度は頭を撫でたくなる衝動を懸命に堪える。

 あと二日の辛抱。

 そう自分に言い聞かせる龍泉を見て、紫は呆れたように呟いた。


「……この親馬鹿」


 そうだろうな、と龍泉も思った。





 幽々子が住む白玉楼とは、枯山水の日本庭園を囲む、寝殿造の巨大な建物である。

 その本殿で、紫ら三人と幽々子一人が正座の姿勢で向かい合っていた。

 龍泉の不敵な笑みを受け、幽々子は微笑を溢す。


「あらら、意地悪な人なのね」

「申し訳ありません。しかし、話せば長くなりますので、お聞きになりたいのでしたら、また日を改めてくださいませ」

「……まあ、そうね。そういうものは後回しで良いわね」

「ありがとうございます」


 自らの正体に関わる追及を躱した龍泉は笑みの奥に鋭さを隠し、幽々子を観察し始めた。

 自分と同じような経験が幽々子にもある。

 紫から聞かされていたその情報通りなら、生前の幽々子は超常の力に翻弄され、一人や二人どころではない多くの人間を死なせ、その事が強い心労となって自殺したのだろう。

 穿つように洞察すれば、うっすらとだが、龍泉には幽々子を死に導いたと思われる能力が分かった。

 死を操る。それが幽々子の能力。

 気付いた瞬間、龍泉は悟られないように自然に、しかし咄嗟に凛華の無事を確認した。

 人見知りもせずに落ち着いて座っている凛華を眼で確認して、龍泉は小さく息を吐く。

 無差別に命を奪うような人物を紫が紹介するとは思えないが、もしもの事がないとは言い切れない。 


「凛華。少し、席を外していなさい」


 囁くと、突然の事に驚いた様子で凛華は龍泉を見た。

 興味深そうに二人のやり取りを眺める幽々子。

 見られている事を意識しながら、龍泉は諭すように優しく告げた。


「これから大事な話をします。残っていてもきっと気疲れするだけです。昨日今日と忙しかったのですから、あなたは先に休んでいなさい」

「でも一緒に……」

「出来るだけ早く済ませます。約束しますよ」

「……はい。分かりました」


 我が儘を我慢して頷く凛華を見て、龍泉もまた頷きを返す。


「それでは幽々子さん。申し訳ありませんが、この子に案内を付けて頂けませんか?」

「それなら、この部屋の外に待たせている幽霊を頼るといいわ。あなた達が来る事は聞いていたから部屋の用意も出来ているわよ」

「お心遣い痛み入ります」


 龍泉が浅く頭を下げ、倣うように凛華も頭を下げる。

 凛華はその直ぐ後に立ち上がり、暫く龍泉を不安そうに見詰めてから、出口へと向かった。


「お休みなさい、凛華さん」


 障子を開けて部屋から出ていく最中の凛華へ幽々子が声を掛ける。

 柔らかい気遣いに凛華はその場で会釈すると、自らの幼さを恥ずかしく思ったのか、慌てた様子で部屋から出ていった。


「まあ。随分とシャイなのね」

「お気を悪くさせたのなら――」

「いいえ。大丈夫よ。ああいう可愛らしさがあるなら結構じゃない」


 誰が最初に微笑んだのか、部屋の空気が一層和やかなものへと変化する。


「ええ、その通りですが……、ともかく、本題に入らさせて頂きます」


 その雰囲気から、龍泉が真っ先に抜け出した。

 龍泉は幽々子が凛華に向けていた関心を逸らす為、隠し持っていた四本のナイフを幽々子の前に置いた。

 没収される事を恐れて隠していたのだが、その時は奪い返せば良いのだと考え直す。


「知人の形見です」


 目を丸くする幽々子へ、龍泉は短く告げた。

 それ以上の事は話す必要も無いとばかりに黙りこむ。

 時間がにじり寄るように流れ、困惑を帯びた声が返される。


「……つまり、屋敷での帯刀を許して欲しいという事?」

「その通りで御座います」

「身元の分からない妖怪を預かるだけでも大変な事なのに、その上でそんな妖怪が刃物を持ち歩く。……これがどれだけ非常識で作法を欠いた事か、お分かり?」

「はい」


 機械のような返事しかしない龍泉を舐めるように見詰めて、そこから何も感じ取れなかった幽々子は思索に耽る。

 白玉楼どころか、そもそも冥界には刃物が脅威となる生物は殆ど存在しない。一部を除き、住民は全て死んでいるからだ。仮に幽霊の一つや二つを斬ろうとしても、並の刃物では通り抜けるだけである。

 見たところ、ナイフは柄に銀の意匠が小さくあしらわれているだけで、霊的な力は特に見当たらない。

 しかし、道具というのは使い手次第なのだ。

 幽々子は龍泉を観察する。

 紫から知らされた情報によれば、幽霊には全く興味を持たず、干渉する事も滅多に無い、冥界にとって完全に無害な妖怪との事だった。

 そうなのだろう。

 事実、龍泉の鼻の先を幽霊が通り過ぎても、それを目で追い掛けようとさえしていなかった。


「ねえ、紫?」


 沈黙を保っている友人へと、幽々子は視線を滑らせる。


「持っていたの、知っていた?」

「ええ」

「彼、あなたの式神よね?」

「そうよ」


 その瞬間、最低限の反応しか見せなかった龍泉が眉を動かす。

 直ぐにナイフを取り戻せるように緊張で肩を小さく跳ねさせたが、取り繕おうと考えたのか、何とか抑え込む。

 紫は肩を竦めた。


「没収なんて命令は聞かないそうよ」

「どうして取り上げていないの?」

「私は龍泉とその知人との仲を知っていたからね。とりあえず、帯刀は許してあげて欲しいわ。正当な理由も無しに刃傷沙汰を起こす事は無いわよ」

「そうは言ってもね……」

「刃物を持った見知らぬ妖怪に屋敷を歩き回られたくないのは分かるわ。でも、そういう感情論を言うなら死者を偲ぶ為に形見を持ち歩くというのも分かってくれない?」

「残念だけどね、紫。それは生者の理屈だから、亡霊である私にはよく分からないの」

「分かっているわ。ここがあなたの土地である事も含めてね。その上で私は無理を通したいのよ」

「……確かに、我慢すれば良い話なのは確かだけど」


 居候が我慢せず、主人のほうが我慢しなければならないというのは納得しがたい。


「そうね。部屋に置いておくだけなら――」

「いけません」


 幽々子が出した折衷案を龍泉は拒絶した。


「私の知らない場所で知人は死にました。同じような事が、この形見にも起きるかもしれません」

「験を担ぎたがるわね」

「申し訳ありません」

「本当に申し訳ないと思うのなら、素直に分かりましたと言ってほしかったわ」


 幽々子は後悔の念が俄に起こるのを感じていた。

 龍泉達を白玉楼に居候させる事は、幻想郷の管理者である紫と白玉楼の管理者である幽々子との間で既に決定した事柄だ。単なる個人間で交わした約束ではないのだから、感情一つで無かった事には出来ない。

 それに、幽々子は自分以外に帯刀を反対する者は白玉楼に居ないと考えていた。

 素性の分からない妖怪を住まわせる事は周囲に納得させている。今更、幽霊には通用しないナイフを持たれたところで誰も狼狽えないだろう。


「……仕方無いわね」

「ありがとうございます」


 決定が覆される事を防ぐかのように頭を深く下げる龍泉に周到さを感じながら、幽々子は付け加える。


「当たり前だけど、鞘からは抜かないように」

「手入れの際も、でしょうか?」

「使うつもりなの? 幻想郷では何かしらに襲われていたのかもしれないけど、冥界には幽霊ばかりだから何倍も安全よ」

「いえ、錆び付かないように湿気を拭き取るだけです。研ぐような事は決して致しません」

「貸し与える部屋の中でなら許すわ」

「分かりました」


 龍泉は並べていたナイフを回収し、それらを服の裏に隠したベルトへ提げ直す。


「では、私はこれで。娘が待っておりますから」

「あれは口約束じゃなかったの?」

「一度破ってしまってますから、口約束でももう破れません。私と凛華の処遇は紫と幽々子さんに一任します。私は帯刀さえ許されるのならば特に口出ししません。加えて、聡明な御二人で決めた方針ならば、私共へ著しい不都合をもたらす事は無いと信じております」


 慇懃な態度とは裏腹に、幽々子は龍泉から深々と釘を打ち込まれた気分だった。

 譲歩を匂わせた口振りだが、龍泉は決して不利な条件を飲む事は無いと先の対応で容易に判断出来る。


「ええ、信じてくれていいわ」


 龍泉から任された事へ特に気負うようでもなく、紫は自然体で首肯した。

 紫は龍泉の味方をするのだろうと、これもまた先のやり取りから判断しつつ、幽々子も表面的には快く龍泉の提案を受け入れる。


「分かったわ。それなら部屋の案内を」

「ああ、案内は結構です」


 腰を浮かせた幽々子を座らせ、龍泉は立ち上がる。


「結構と言っても、部屋の場所を知っているの?」

「いえ。しかし、幽々子さんの案内は必要ありません。途中で幽霊の方へお聞きしますから」

「見えないのでしょう?」

「見えるようになれ、と紫からの指示がありますので。これも練習の一つです。見える見込みが全く無い訳でもありません」

「……まあ、それなら頑張って」

「はい。失礼します」


 龍泉は一礼し、そのまま丁寧な所作で部屋から退室する。

 障子が閉まり切る一瞬、幽々子は龍泉に睨まれた気がした。 

 拒絶するかのような視線だった。

 一体、彼は何者なのか。

 疑惑の表情を紫へ向けた幽々子は、紫が安堵の溜め息を付く姿を目撃した。


「紫?」

「ああ、ちょっと、気を緩めていたの。ごめんなさいね」


 誤魔化すように笑って、紫は足を崩した。

 額からは一粒の汗が伝っている。


「珍しいわね。式神に気を使っていたの? 私は知らないけど、式神なんて紫からすれば道具でしょう?」

「まあ、色々あるのよ。気にしないで」

「……その左腕の事?」


 幽々子に指摘され、紫は左腕を撫でていた右手を膝の隣に片付けた。

 袖の下に隠しているものの、紫の左腕には龍泉に付けられた傷が未だに残っている。妖怪の治癒力から考えればもう完治しても遅くない頃合いなのだが、妖怪避けの短刀で付けられた傷だからか、治りが少しだけ遅い。

 しかし、幽々子へ刃傷沙汰は起こり得ないと言った手前、紫は痛みを押し隠して左手を振った。


「何でもないわよ。とりあえず話を済ませてしまいましょう。私も早くゆっくりしたいわ」

「また何か面倒な事に手を出しているのね?」

「面倒な事?」

「一つ聞いておくけど、紫は龍泉をどうするつもりなの? 彼を幻想郷に居させては危険だから冥界に連れてきたというのは既に聞いたわ。でも、それをするくらいなら殺したり外の世界に追い出したりするほうが手っ取り早い。紫が彼を生かしているのは、一体何の為なの?」


 紫が過去に一度考えた案をなぞるかのように並べ立てて、幽々子は紫へと身を寄せた。

 言いにくい事なら周りに気付かれないように小声でいい。何かまともな答えを聞かなければ、あのような無礼を堂々と起こす妖怪を式神とした友人の品格が信じられなくなる。

 紫は迷惑そうに質問を聞き、暫く考えた後、欠伸でもするかのようにのんびりと口を開けた。


「幻想郷で暮らしたい、って言われたからよ」

「それだけ?」

「ええ、それだけ」

「他には無いの?」

「無いわよ。何か変?」

「随分と単純な理由だと思ったわ」

「私は気紛れなのよ。気に入った相手の住居を融通出来る地位もある。少し肩入れする事は変じゃないわ」

「気に入ったの? あんなの?」


 紫は説明するのが面倒そうに、乱暴に手を振った。


「ああもう。こんな事を話していたって埒が明かない。龍泉が気になるなら自分で調べなさいよ。そのほうが早いから」

「けち」

「はいはい」


 口を窄めて拗ねた振りをする幽々子を適当にあしらい、紫は姿勢を正して本題へ取り掛かる。


「龍泉達の冥界内での行動の責任は私が負う。必要な生活物資も私が用意する。その代わり、幽々子は龍泉達の滞在を無期限で認める。以前に話した通りの条件よ。何か意見は?」


 聞き出す事を諦めた幽々子は再び腰を据え直し、真面目な顔付きで条件を吟味する。

 ややあって、幽々子は訊ねた。


「意見……ではないけど。滞在の目安は何年だったかしら?」

「少なくとも十年。長い付き合いになるわ。もしも折り合いが付かないなら冥界の何処かへ小屋でも建てて、そこに龍泉を住まわせるけど」

「……まあ、余程の事が無ければ追い出さないわよ。さっきのも同居する他の幽霊の心情を考えての意見だし、それに、冥界の管理もしている身としては白玉楼に置いていた方が状況を把握しやすくて都合が良いわ。それを知っていて話を持ってきたのでしょう?」

「ええ。……反対は無いのね?」

「今のところは。でも、大きな問題を起こしたら白玉楼からは出ていってもらうわ」

「それは言われなくても分かっている」

「念のためよ。冗談で流してくれても良いわよ?」


 幽々子は片目を瞑り、紫の緊張を解すように笑い掛けた。


「紫のお墨付きなら心配しない。融通が効かないだけで真面目なのは確かなようだからね。娘のほうも妖精の割に大人しくて悪戯もしなさそうだし」


 不自然な態度が垣間見えたものの、幽々子は龍泉を悪く思っていなかった。

 機械的な反応は内に秘めた激情を押し隠す為の枷であり、龍泉の本性は酷く感情的なものである。そして同時に、その感情を制御する理性も備えている。また、主である紫に対して何かしらの脅威を抱かせるものを隠し持っている。

 幽々子は龍泉を悪くは思わない。心配もしない。しかし、警戒すべき存在の一つとして数え、無難な話題へと移行させる。


「それにしても、幻想郷に養子縁組の制度があるのは知っていたけど、まさか妖怪と妖精の間でも可能だとは知らなかったわ」

「……幽々子。それ、違うわよ」

「えっ?」


 他愛ない世間話として取り上げた話題だったが、紫から思わぬ指摘が入れられた。

 固く引き締めていた表情を幾らか緩ませ、紫は言葉を探りつつ、どうにか説明を始める。


「凛華は龍泉から発生した妖精よ。例えるなら人工妖精かしら。とにかく、凛華は龍泉の妖精で血縁者みたいな存在なの。遺伝的な意味で血は繋がっていないけど、龍泉が滅べば凛華も滅ぶ。そういう一蓮托生の関係ではあるわ」

「まさか……」


 見た目が似ていない事もあったが、二人の間には何処か壁が隔たっているように幽々子は感じていた。

 非常に親しいが、実の親子のそれとは違っているような。

 その具体的な違いは死者故に分からないのだと幽々子は決め付け、最もらしい理由。つまりは養子の関係なのだと勝手に決め付けていた。


「嘘ではないわ。だから幽々子。彼女は歴とした龍泉の娘として扱ってもらえるかしら。養子だなんて言えば泣くわよ。今の彼女は龍泉の娘である事に満足しているの」

「今の?」


 その言い方では前があるように聞こえる。

 幽々子の返答で紫は余計な情報を与えた事に気付いたが、大妖怪の矜持があるからか、失敗の気配は匂わせない。遠くを見るように視線を逸らし、偽りの記憶に思いを馳せる。


「……昔は反抗してたのよ。ほら、龍泉は融通が利かないから。でも、約束を破って悲しませた事があるって言っていたでしょう?」

「ええ、確かに」

「龍泉はそれで大怪我をして、凛華に看護されながら傷を治したのよ。それ以来は仲が良くなって、今では互いに互いを支える関係になっているらしいわ」

「へえ、よく知っているのね」

「何度かお見舞いしたからね。……もういい? あまり話すと二人に嫌われるかもしれない」


 嫌われるどころか、最悪の場合には殺し合いに発展するだろうと予測しつつ、紫は立ち上がった。


「悪いけど、私も休ませてもらうわ。最近になって漸く忙しい仕事が一段落したからか、今は物凄く横になりたい気分なの」

「どうぞ。――ああ、紫」


 唐突に呼び止められ、部屋から出ようとしていた紫は何事かと振り返った。

 幽々子は柔らかく笑っていた。

 その唇から言葉が紡がれる。


「お疲れ様」


 何の変哲も無い労いの言葉。

 しかし、最近の紫の奮闘が初めて他者から労われた瞬間だった。

 細やかな気遣いを欠かさない亡霊の親友に、紫は込み上げる苦笑を堪えつつ、気軽に手を振った。 


「ありがとう。そう言ってくれたのは幽々子だけよ」


 紫は部屋を出た。

 その足取りは、軽かった。

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