其の三十三、正体
新たに現れた少女を抱え、龍泉は急いで紅魔館へ戻ると、彼女が起きるのを妖精メイドの部屋のベッドの前で待っていた。
その間、彼の隣に連れ添うレミリアは屋敷の者へ即座に命令を下し、それを実行させていた。
あの少女は一体何者なのか。
レミリアも含め、誰もが彼女は生まれ変わりだと思わず考えた。
しかし、それではおかしいのだ。
支給品であるメイド服を生まれながらに着ている事も、龍泉の名前を呼べた事も、姿が同一である事も、本来ならば有り得ない事なのだから。
咲夜に墓を暴きに行かせ、パチュリーに書物を調べさせ、美鈴に他のメイド達から話を聞きに回らせた。
そして、それらの情報が集まったのだろう。
扉を叩く音にレミリアが対応し、彼女が廊下に出ると、そこには咲夜達が居た。
咲夜達は部屋の奥の様子を探り、そこに龍泉が居る事を確かめると、声が届かないように部屋から数歩離れる。
彼には聞かせたくない事らしい。
扉を完全に閉め、レミリアもそれに倣う事にした。
「……遺体は、ありました」
静寂を確かめてから、咲夜が簡潔に告げた。
「腐敗が殆ど進んでいなかったので、見間違えたという事はありません。遺体が動き出したのでは無いと思われます」
最も有力だと考えられていた可能性が真っ先に潰える。
完全に死んだと判断された者がそう簡単に蘇るというのは、やはり有り得ないらしい。
それでは、彼女は何者なのか。
レミリアの視線が美鈴へと走り、それを受けて、彼女は冷静に答えた。
「他の子達に聞きましたが、御嬢様が目撃された現象は妖精の発生と殆ど同一であるそうです」
「殆ど? 何かが違うというの?」
「はい。……その場所で発生する筈が無い、との事でした。一つの自然が具現化させる妖精は一人だけ。どのようなものがどのような規模で『一つの自然』となるかは不明ですが、偶然にも、その場所で発生した複数の妖精が現在紅魔館で働いております」
「……つまり、彼女は妖精ではないと?」
「そういう事になると思われます、が……」
美鈴は目を泳がせる。
あの少女が妖精でないのなら、一体何者だと言うのか。
根拠は無かったが、他に適当なものが思い浮かばない美鈴は、少女は妖精だと半ば確信していた。
「……なんとなくですが、彼女は妖精だと思います。私からは以上です」
軽く頭を下げ、美鈴は一歩後ずさる。
それを待ち構えていたように、パチュリーが手を挙げた。
「とりあえず、亡霊なのか、生まれ変わりなのか。この二点を意識して関連資料を調べてみたけれど、どれもこれもが現状を否定していたわ。
死体が儀式を通じて弔われた以上、亡霊になる事は有り得ない。生まれ変わりであるならば、記憶は基本的に保持していない。例外的に保持するとしても、死後二日では転生する事さえ不可能に等しい」
それを聞き、全員の顔が俄に暗くなる。
この通りであるならば、やはり――。
覚悟を決めるように息を吐き、パチュリーは恐れずに言った。
「まあ、妖精か妖怪かはともかくとして、彼女は全くの別人だと考えるのが妥当でしょう。名前を呼んだのも、レミィの呼び掛けを真似しただけかもしれないから」
「……この事、龍泉さんは」
「多分、気付いていない。……疲れているから、あの人」
いたたまれない様子の美鈴から訊ねられ、レミリアはそのように答えた。
レミリアから見て、今の龍泉に冷静な判断が出来るとは思えなかった。死なせたメイドと瓜二つな少女が目の前に突然現れたのだから、尚更だ。
膠着した沈黙を痛ましげに眺めて、より一層周囲に憚りながら、咲夜がレミリアに許可を求める。
「彼に、知らせましょうか?」
レミリアは、首を横に振った。
「いいえ。どのみち、あの人は後一日くらいしか紅魔館に居られない。それなら、気付かないほうが……」
その時、真実を知らない事は幸せなのだろうかとレミリアは考えた。
何も知らないまま、別人に故人の面影を見続ける。
それはどちらにとっても、呪いでしかない。
「いや、やっぱり知らせるわ。……私から」
レミリアの返答に異論を唱える者は居なかった。
ただ、その行動が招く結果に誰もが不安を感じずにはいられなかった。
◆
龍泉の隣でフランドールもまた、少女の目覚めを待っていた。
何処か助かったような安堵を浮かべる龍泉とは違い、フランドールにはそういった余裕が無かった。
目の前で眠る少女から、龍泉との関係を破滅させられるような予感をフランドールは覚えていた。
そう思うのは、決してフランドールの被害妄想等ではない。
事実、フランドールから見ても明らかな程に、龍泉の意識はその少女に囚われていたのだから。
「ねえ……」
少しでも関心を引こうとして、フランドールは龍泉の服の袖を掴む。
一瞬だけ、空白の時間が生じた。
その時間がいやにフランドールの心に激しい波を立てた。
無視される。
フランドールは、それを恐れた。
「ねえ……!」
袖を千切れんばかりに、強く引く。
客観的に見れば立て続けに行われたそれらに、龍泉は直ぐに気付いた。
フランドールの様子が普通ではないように映ったのだろう。
龍泉はフランドールの目の前で膝立ちになり、彼女と視線の高さを合わせる。
「どうしました?」
気付いてくれたと緩んでいたフランドールの心が、その言葉で凍てついた。
何でも分かってくれていたのに、どうして今は、何も分かってくれないのか。
怒りのような、悲しみのような、区別の出来ない叫びが口から溢れそうになる。
しかし、それらが発散される事は無かった。
「大丈夫ですか? 何か、怖いものでも思い出しましたか?」
そう言って、龍泉はフランドールを抱き寄せた。
まだ、龍泉はフランドールの知る龍泉のままなのだ。
それが分かった瞬間、フランドールの中で荒れ狂っていた感情は完全に消え去っていた。
「ううん、大丈夫」
フランドールはそう呟いて、龍泉の腕の中に居続けた。
こうしている間なら、龍泉は自分から目を反らす事が無いとフランドールには分かっていた。
その予想通り、龍泉は何も言わず、フランドールを慮って、そのまま抱き続けている。
このまま、これがいつまでも続いていく事を幻想しながら、フランドールは目を閉じる。
「……フラン?」
「ごめん。ちょっと、眠たくなってきちゃった」
「なら、部屋に戻りますか?」
「……不思議な事にね。何百年も居た私の部屋より、今は龍泉の傍のほうが居心地が良いの。だからね」
フランドールは媚びるように龍泉へ体を預けた。
体重を掛けられた事で龍泉が正座の形となり、その太股の上へフランドールは横向きに座る。
倒れないように体を抱き締められたまま、フランドールは龍泉の胸元で囁いた。
「このまま眠っても、いい?」
「……ええ、どうぞ。おやすみなさいませ」
「うん、おやすみなさい……」
いつしか、フランドールは健やかな寝息を立て始める。
その眠りを邪魔しないよう、彼女を抱えた龍泉は慎重に立ち上がり、そのまま部屋の隅にある椅子へ座った。
「――入るわ」
レミリアが静かに扉を開けて入ってきたのは、それから直ぐの事だった。
◆
レミリアは龍泉に対して、何もかも隠さずに伝えた。
突然現れたその少女は、死んだメイドとは全く違う別人である可能性が高い、と。
龍泉はそれを黙って聞き続けた。
取り乱すような事は無かった。
初めから覚悟していたのか、それとも、本当の事を知っているのか。
どちらにせよ、龍泉は不気味なまでに深遠な沈黙を、レミリアの話が終わるまで漂わせていた。
「……そうですか」
そして話が終わり、龍泉から放たれた第一声は、諦観とも納得とも判別しづらい独特の響きを持っていた。
それとも、無頓着だと言い表すべきだろうか。
何が起ころうとも、今の龍泉は一切動じなさそうだった。
まさしく、ふと、といった様子で龍泉は口を開く。
「レミリア様には、幾つか御知らせしたい事が御座います」
「良いわ。言いなさい」
覚悟を決めて、レミリアは龍泉と向き合う。
もう遊びは終わった。これから耳にするものは、間違いなく重要な事実。笑って聞き流せるものではない。
「川上龍泉というのは、私が幻想郷に来てから名乗り出した名前です」
「……成る程」
完全に意外な方向からの告白だったが、レミリアは平然とした態度で受け止めた。
「それを知らせて、私にどうしろと?」
「以前、二つ名を賜る機会が御座いましたが、私はそれを拒否しました。……しかし今後、私が貴女方から離れて生きていく糧として、新たな名前を付けて頂きたく存じます」
龍泉は鋭く、レミリアを見詰める。
そこに温情は無く、悩む時間を与えるといった余裕も存在していない。
それでも、問題は無い。
レミリアが答えを出すのに、瞬き程の時間も必要としなかった。
「他のどのような名前も貴方には相応しくない。川上龍泉。それが私達を救い、共に暮らした者の名前。
龍泉。貴方はそれを永遠に名乗り続けなさい。私達との時間を忘れないように。これは命令よ」
厳かに言い放ち、レミリアは龍泉から出るであろう反論に対して身構える。
しかし、そのようなものは無かった。
龍泉は満足したのか、柔らかい笑みを浮かべ、恭しく頭を垂らす。
「畏まりました、レミリア様。いついかなる時でも、私は川上龍泉である事を誓います」
「それでいい。それでこそ私の――」
「はい。レミリア様の、龍泉で御座います」
龍泉はレミリアの言葉を無理矢理変えると、顔を上げ、清々しげな表情を見せる。
威厳を持って対応していたが、レミリアは惚けてしまい、その顔は完全に緩みきっていた。
「おや、御顔が赤いですよ、レミリア様。風邪でも召されましたか?」
「もう、とぼけないで……!」
首を傾げた龍泉の質問でいたずらに恋慕の情を刺激され、レミリアはその場で地団駄を踏む。
しかし、部屋には眠っている者が二人も居るので、そこまで激しく暴れる事は無い。
暫くするとレミリアは額に手を当て、冷静になろうと努め始めた。
「それで? 他にもあるのでしょう、私に知らせたい事」
「はい。私が幻想郷を脅かす存在とされた、その原因である私の力について、御話し致します」
「……ふむ」
二人の間に漂っていた空気は、瞬時に鋭さを取り戻す。
龍泉の生命線として紅魔館の誰にも明かさず、常に秘匿され続けてきた彼の能力。
それが明かされるのなら、レミリアも感情に流され続けてはいられない。
「私は範疇に作用する事が可能です」
「範疇……、つまりはカテゴリー。物事を分類する要素の事か」
「その解釈でも構いませんが、より詳しく申し上げるならば分類ではなく構成する概念です。難解な為に説明は難しいのですが、この力を訓練する事で咲夜やフランの能力を一部再現する事は可能だと私は見ております。それと、紫の能力の一端も再現出来るようになるかもしれません」
「……殆ど全能ね」
並の事では動じない覚悟のレミリアだったが、流石にこれには驚かされていた。
時間を操り、全てを破壊出来るのならば、単独で世界を破壊する事も可能だ。それどころか、龍泉ならば的確に邪魔者を排除し、自らにとっての理想郷を作り出す事も可能だろう。
それらを否定するように、龍泉は首を横に振った。
「今の私は全能とは程遠く、また将来的にもそうなるとは思いません。力がどれだけ優れていようと、それを扱う者が不完全であれば無意味です」
「ああ……、まあ、そうね」
フランドールがまさしくそうであった事に思い当たり、レミリアは声を抑えて共感する。
しかし、思う。
完全になればいいだけではないか、と。
龍泉なら、それが出来るのではないか、と。
「私が全能になれ、完全になれと命令したら?」
気軽く訊ねてみると、龍泉は表情を険しくさせ、即座に返事を寄越した。
「断ります。幾らレミリア様の御命令でも、そのようなものになれば誰からも危険視される事になりかねません。私だけの話ならともかく、紅魔館に属する事を考えれば過ぎた力は不要です」
「……それもそうね。私の考えが浅かったわ」
「責めるつもりはありません」
言って、龍泉は眉間を揉む。
しおらしいレミリアの姿を見て、対応を多少は柔らげてから、龍泉は続けた。
「御存知だと思いますが、私はこの力を制御出来ておりません。一時的には辛うじて出来ますが、常に、完全にとなると……。今は、紫の札で、どうにか抑え込めていますが」
「それだと、今は使えないという事?」
「そうなります。そこで話は眠っている少女の正体に戻るのですが……。念のため、本当に眠っているか確認して頂けませんか?」
「何故?」
「予想とはいえ、聞かせたくない事なので……」
陰りを宿す龍泉を見て、レミリアは深く追及しなかった。
レミリアはベッドの傍へ行くと、念入りに少女の様子を観察する。
呼吸は深く、喉は殆ど動いていない。
完全に熟睡している事を確認し、レミリアは龍泉の近くへ移動した。
「寝ていたわ。それも安眠」
「……それは良かった」
本当に良かったのか疑問に思わせる声で龍泉が呟くと、彼は暫く黙り込む。
決心が付いていないのだろう。
話す内容がどんなものなのか分からないレミリアは、ただ待ち続けた。
「これは、あくまでも予想です」
そう前置きした上で、罪を吐き出すように、龍泉は告げる。
「――その少女は、私が造り出したものかもしれません」
◆
レミリアは、それを受け止めきれなかった。
たった今、レミリアは少女に生命が宿っている事を確認したのだ。もし龍泉が少女を造り出したのなら、それは命を造ったという事になる。
酷く、動揺していたのだろう。
乾いた笑い声が自らの口から漏れている事にさえ、レミリアは直ぐに気付けなかった。
「待ちなさい。いや、それじゃあ、あなた……」
「私は神ではありません。勿論、『範疇に作用する』以外の特殊能力も持ち合わせておりません」
それでは話が繋がらない。
命を造り出す力が無いのに、命を造り出したというのは完全に矛盾している。
いや、範疇を操る事で可能なのだろうか。
しかし、それは封印されており、何より制御は出来ていないと言ったばかりだ。
それでは、何処かで嘘が――。
「落ち着きましょう、レミリア様。順を追って説明致しますから」
困惑を見抜き、龍泉はレミリアを宥めた。
先に結論を出すべきではなかったのだろう。
ゆっくりと、言葉を刻むように、龍泉は語り掛ける。
「一般的な妖怪と比べ、私がその性質を異にしているというのは御分かりですね?」
「えっと、霊夢の霊力も殆ど効かないところとか?」
「その通りです。私に対して、霊力と妖力による攻撃は特別効果がありません。フランから御聞きになったかもしれませんが、私は様々な要素を内包した存在。霊力ならば人間の部分が、妖力ならば妖怪の部分が、それぞれ弱点を補うように対応する事で私全体を守っています」
それが奇妙な丈夫さの理由かとレミリアは納得した。
道理で霊夢達への突撃が出来た訳である。
しかし、レミリアはそこで違和感を覚えた。
「……あれ、魔理沙の魔法は? 当たっていたわよね?」
魔法には属性があり、それによる弱点も一応ある。
火は水に弱い、といった具合であり、龍泉が攻撃魔法の弱点となる要素で身を守った、というのなら分からなくもない。
だが、あの時の魔理沙の魔法には属性が無かった筈で、つまり弱点も無いのだ。
あれこれと考えあぐねるレミリアだったが、その答えは驚く程に単純なものだった。
「いいえ、彼女の攻撃は一切命中しておりません。私へ向けられていたものは全て巧妙に外されておりました。今から考えれば、本当に私との対話だけが魔理沙の目的だったようです」
「あの状況で、なんとまあ……。殺されるかもしれないというのに」
「胆力だけなら一番強いのは間違いなく魔理沙だったでしょう。話を続けますが――」
言葉を区切り、龍泉はちらりと少女の様子を窺う。
まだ眠っている事を確認してから、彼は再開した。
「さて、レミリア様。幻想郷に来てから私が殺した人間や妖怪の命の数は幾つだと思いますか?」
死なせた、殺した、と龍泉は深く後悔していたのに、その口振りはあまりにも軽い。
割り切っているのか、それとも演技なのか。
どちらとも判断出来なかったレミリアは眉をひそめる。
「言わないわ。嫌われたくないから」
「何がです? ともかく、私の知らない所で死んだ有象無象を含めれば、恐らく四百近くです」
「四百?」
「はい。私の影響で幻想郷に紛れ込んだ外来人で、数日前までに死んだと確認された数が三百。妖怪は私の手で五十程殺しました。増える事があっても減る事は無いので、今は大体そのくらいになっているでしょう」
「……気にしないの?」
「多くは知り合いでもなければ、簡単に助けられる状況でもなく、しかも助けたいなら私が死ぬしかないようなものでした。罪悪感が全く無い訳ではありませんが、今は置いておきます」
淡々とした口調は衰える事無く、あくまでも事務的に続ける。
しかし、龍泉の手が温もりを求めるようにフランドールの頭を撫でていた事から、レミリアは彼の優しさを汲み取っていた。
「四百という命は、およそ一匹の妖怪が殺めるには過ぎた数でしょう。その殆どは私が腕を振るわずとも、存在するだけで勝手に死んでいきました。死神でさえ、鎌を振るくらいは必要でしょうに」
そして、龍泉は眼を閉じる。
自分の正体を、瞼の裏に探し始める。
「単一の個体では有り得ない程の、膨大な要素を含んだこの体。存在するだけで無数の命を脅かすこの力。……私は、私を漸く見付ける事が出来ました」
開いた眼に映ったものは――。
「私は、妖怪ではありません。嵐や地震と同じ、一つの自然災害。一個の生命体という枠からも外れ、遂には妖精を生み出すに至った、一種の自然現象なのです」
全ての破片が、あるべきところに当て嵌まる。
そのような音が、レミリアには聞こえた気がした。




