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東方朧観簿  作者: 庶民
第一章
32/59

其の三十二、存在

 龍泉は楽しげなレミリア達から離れて、姉妹水入らずの状態にさせていた。

 本来の目的は龍泉の思い出作りだったのだが、そんなものは今回の事に比べれば些細なものだと彼は思う。

 レミリアとフランドールが互いに抱いていた負い目が消えたのだ。これで龍泉が紅魔館に残していた心残りは無くなった。これなら、龍泉が居なくなっても二人は良好な関係を築き上げていけるだろう。

 果たすべき役割は全て果たした。後は、別れの時を待つだけだ。


「それが一番、辛いな」


 龍泉は流れる水面を前にして呟いた。

 どんなに理屈をこねても、それだけは変わらない。

 幸せな未来が待っていると明確に予想出来るようになった今では、寧ろ余計に辛くなった部分もある。

 しかし残った場合、その幸せな未来を壊す可能性があると知っている龍泉に、選択の余地は無いのだ。


「……上手く、いかないな、何もかも」


 龍泉は熱くなる目頭を押さえ、そのまま自然と落ち着くのを待つ。

 決定事項について未練たらしく悩むのは馬鹿馬鹿しいものだと思いつつ、足下の石を蹴って水に沈める。

 流されてゆく波紋を眺め、それが波に呑まれて消える頃になって、龍泉は感情の整理を一先ず済ませた。

 今はまだ、レミリア達が近くにいるのだ。

 泣く訳には、いかない。


「戻るか。多分、もう大丈夫だ」


 龍泉は川から離れ、レミリア達のもとへ行こうとする。

 その時、どうしてか知らないが、自分は何故こんな川の事が気になったのだろうと、彼は考えた。

 不安がるレミリアの事に気付いていない訳ではなかったのに、それ以上に気になる事が変哲の無い川の何処にあったのだろう。

 龍泉は振り返った。しかし、川はさらさらと流れているだけで、不思議な点はやはり見当たらない。もしやと思い、今までの記憶を辿っても、目の前の川に纏わるものは何一つ覚えていない。

 それでも、どうしてだろうか。

 何かあったような、そんな気がして――、不意に、龍泉は気付いた。

 死んだ妖精メイドの一人が、この川の妖精だったのだと。

 何度も重ねた日常の何処かで、龍泉はそれを聞いたのを思い出す。何処でかは忘れたが、本当に些細な、よくある思い出話の途中で、それを聞いたのではなかったか。


「……そうか、此処か。この場所で、生まれたのか」


 感慨深く、龍泉は過去を思い返していた。

 あの子もレミリアとフランドールの事を気にかけていた一人だったな、と。


「見てますか?」


 形見のナイフへと、龍泉は問い掛けた。

 そこにメイドの面影を浮かべながら、彼はそのまま続けた。


「もう心配ありませんよ。レミリアもフランドールも、もう安心です。ですから――」


 そして、龍泉は止まった。余計な事にまで、気付いてしまった。


 ――安らかに、眠っていて下さい。


 言い掛けた言葉が閉ざした口の中を逆流し、頭に戻って、彼は明確に自分の考えを認識する。

 生まれ変わりは有り得ない。霊魂があり、それが新たに肉体を得たとしても、それはもう別人だ。大切にしようとしていたあのメイドは、未来には二度と現れない。

 それならそれで、その新たな別の誰かを大切にするべきなのだと龍泉は分かっていた。しかし、そう簡単に割り切れる程、彼は単純ではなかった。


「――ですから、早く帰ってきて下さい」


 嘘混じりの願望を告げ、龍泉はレミリア達のもとへ急ぐ。

 妖精の親とも呼べる小さな川は、やはり何事も無かったかのように、静かに流れていくだけだった。



 戻ってきた龍泉を見付けるなり、フランドールは慌てた様子で彼の背中へと回り、レミリアから隠れるようにしがみついた。

 火照った顔を押し付け、じりじりと服を掴む力を強めるフランドール。それに対して、レミリアは困ったように笑っている。

 それを見て、龍泉は久し振りに気楽そうに笑った。


「レミリア様とのスキンシップが恥ずかしくなったとか、そんなところですね?」


 背中のフランドールに訊ねると、見事に真実を言い当てたようで、彼女は恥ずかしげに身を縮める。


「私とのなら、気になさらないのですね」


 そこまで心を許してくれているのだろうかと思いながら、龍泉はその事を指摘する。

 フランドールは言われて初めて気付いたようで、誤魔化すように龍泉の靴の踵を何度も軽く蹴った。

 それでも離れようとはしないのだから、可愛いものである。

 龍泉はフランドールを背中に引っ付けたまま、レミリアを近くに来るように手招きした。


「何かしら?」

「いえ、特に何という訳でもありませんが……」


 言葉尻を濁らせながら、龍泉はレミリアを抱き寄せた。同時にフランドールにも手を回し、二人を左右の腕で抱き締める。

 二人とも嫌がりこそしないが、強引な行動を取った龍泉を不思議そうに眺めた。


「申し訳ありません。ですが、もう暫くだけ、こうさせて下さい」


 何を思っての行動なのか、先程の龍泉の悲哀を知らないレミリア達には分からない。

 戸惑い、しかし、その静かな勢いに押されて、彼女達は頷いた。

 それに深い安堵を覚えた龍泉は何も言葉に出来ないまま、二人の温もりを体で感じる。

 そして、深く吐息する。

 生きている。

 ただそれだけの事が、今の龍泉には身に染みる程、嬉しかった。


 どれほど、そうしていただろうか。

 レミリア達を人形のように扱っているのではないかと唐突に危惧し、龍泉は彼女達と体を離した。


「すみません。……ありがとうございます」


 思えば、自分の事しか考えていなかったと龍泉は反省する。

 レミリア達を寄る辺として縋りに縋りきっていた事を思い返し、今からでも挽回しようと、彼は緩んでいた頬を引き締めた。


「――駄目よ、龍泉」


 しかし、その頬をレミリアが指で突いた。

 思いがけない一撃に龍泉は呆然と頬に手を当て、レミリアは悪戯に成功した子供のように笑う。


「気を使わなくていいの。今は仕事中でもないんだから、もっと気楽にしていなさい」

「そっ、そうだよ!」


 すかさず、フランドールも便乗する。

 何も知らなくても、龍泉が苦しんでいた事くらいなら、二人は気付いていた。

 自分達がその苦しみを少しでも和らげた事にも、気付いていた。


「……えいっ」


 掛け声を出し、フランドールは龍泉の腕にしがみついた。

 龍泉はそんな彼女を眺めて、もう一方の腕をふらふらと彷徨わせる。

 押し退けるべきか、抱き締めるべきか。

 迷っていると、その腕を今度はレミリアに捕らえられた。


「あの……」


 情けない声が龍泉の口から漏れる。

 レミリア達に無理をさせている予感が強くなり、龍泉は手を離させようと、軽く腕を振ろうとする。

 しかし、レミリア達が頑として離れようとしなかった為、龍泉はその行動を途中で止めた。

 その煮え切らない態度を叱るように、レミリアが言った。


「龍泉。嫌なら嫌と言いなさい」

「私は、その……」


 龍泉は口ごもる。そして、答える。


「嫌では、ありません」

「だったら、何?」

「……嬉しい、です」


 途端、龍泉の顔が仄かに赤くなる。

 それを見て、レミリアも急激に自分の顔が火照るのを感じた。


「……そう。それならもう少し、こうしておくわね」


 レミリアは素っ気なく振る舞おうとしていたが、出来ていなかった。

 龍泉が何とも言いにくそうに、はいと返す。

 その二人に隠れて、フランドールは込み上がる笑いを楽しそうに堪えていた。





 少しだけ熱が冷めるのを待ってから、龍泉達は再び歩き出していた。

 流石に抱き付いたままでは歩きにくかったのか、今は最初のように三人で手を繋いでいる。

 その三人の誰もが、幸せそうに笑っている。

 思い描いていた理想が今、現実となって彼等を祝福していた。


 龍泉達は川を飛び越え、そのまま湖を回り、紅魔館へと戻る道筋を辿っていた。

 少しだけ名残惜しいとは思っていたが、妖怪や外来人等が出現する可能性を考えると、長時間の外出はやはり問題だったのだ。

 勿論、それは危険だからという意味ではない。

 部外者によって、この幸せな気分を壊されたくないという、実に感情的な理由から、彼等は早く戻る事を決めたのだった。


「ねえねえ」

「なんですか、フラン」

「んとね」


 龍泉の袖を引いたフランドールは少しだけ考え込む素振りを見せる。

 なんだろうかと立ち止まり、気長に返事を待つ龍泉。隣のレミリアも同じように耳を澄ませる。


「んと、そのね。龍泉の事、御兄様って呼んでもいいかな?」


 それは、あまりにも意外な問い掛けだった。

 レミリアの思考が加速し、その質問に込められた期待の意味を猛烈な早さで推測する。

 行き着いた先は、結婚。

 その瞬間、幸福感で卒倒しそうなくらい、レミリアの顔が赤くなった。

 レミリアは相手である龍泉を仰ぎ見る。

 そこには彼女の期待とは裏腹に、苦笑だけが浮かんでいた。


「折角ですが、遠慮します」

「どうして?」

「念の為に訊ねますが、どういう意味での質問でしょうか?」


 単純に親しみを込めて呼びたいのか。それとも、事実上そうなって呼びたいのか。

 フランドールは急に黙り込み、気恥ずかしそうに龍泉から顔を背ける。

 その時点で何となく龍泉にも察しは付いたが、フランドールは何とか言った。


「その、本当の家族に、なってほしいなって」


 予想通りの答えを受けて、苦笑を続ける龍泉はレミリアの様子をちらりと伺った。

 目線が合った。

 咄嗟にレミリアのほうから顔を背けたが、その一瞬の内に、龍泉は彼女の眼差しに込められた願いを理解していた。


「だってさ、御姉様と龍泉を横から見てると、もう付き合っちゃえばいいのにとか思ったし。それに――」

「いいえ」


 言い訳のように続けるフランドールの声を、龍泉はきっぱりとした口調で遮った。


「私よりもレミリア様に相応しい人物は、きっと居ます。私がレミリア様を幸せにするには、あまりに地位も力もありません」


 龍泉とて、夢想しなかった訳ではない。

 レミリアをいつまでも見守り、支え、助けていくのに、恋人や家族といった関係が一番適しているのは分かりきっていた事だ。

 しかし、本人が言う通り、龍泉はその役割を果たすには様々な物が不足していた。

 愛情だけは足りていたが、それだけでは駄目なのだ。寧ろ、本当に愛しているからこそ、龍泉はレミリアと付き合おうとは思わなかった。


 その気持ちに少なからず気付いていたレミリアは、何も言わず、龍泉の手を握り込む。

 分かっていてもやはり、レミリアは失恋に似た痛みを感じていた。

 フランドールにもその苦しみは伝わったのだろう。彼女は済まなさそうに身を縮こませる。


「その……、ごめんなさい。私が口出しする事じゃ、なかったよね……」

「いいのよ、知ってたから」


 フランドールには、それが誤魔化す為の強がりにしか思えなかった。

 これは、不味いのではないか。

 折角の雰囲気を悪くしてしまった事で、フランドールは焦る。

 思わず、上擦った声で更なる事を口走っていた。


「そっ、それならさ。御父様とかは駄目かな? そう呼ばせてくれるだけでもいいから――」

「フラン」


 それを再び遮り、龍泉は言った。


「家族でなくても、私は貴方達を見捨てたりしません。私が居なくなるから、それが心配なのですか?」

「……うん。そうだと、思う」


 龍泉に言い当てられて初めて、フランドールは自分の気持ちに気付いた。

 居なくなるのは、もう仕方無い。

 しかし、それで見捨てられたり忘れられたりするのは、怖かった。


「しませんよ。信じられませんか?」

「……むずかしい」

「正直ですね。いい事です」

「ごめん」

「皮肉ではありませんよ。気を使われないほうが、頼ってくれているようで嬉しいですから」


 龍泉はフランドールと繋いでいた手を離すと、そのまま彼女の頭を撫で始める。


「ですが、私は信じて欲しいと言うしかありません。分かって頂けませんか?」


 見捨てない確証は無い。この先どうなるかという事は、誰にも分からない。

 フランドールは龍泉の行為を暫く受け入れていたが、やがて、その手を押し退ける。

 困ったように微笑む彼をじっと見詰めて、フランドールは悄然として呟いた。


「酷いよ、誤魔化そうとして」


 そして顔を俯かせ、フランドールは龍泉の服の背中を掴む。


「おんぶ。歩き疲れたし、それをしてくれたら……、信じて、あげるから」


 それが、フランドールに出来る最大限の妥協だった。

 龍泉は感謝を内心に留め、身を屈める。


「どうぞ」

「……うん」


 フランドールは龍泉の首に手を回し、彼の背中にしがみ付く。

 大きいとは言えない、龍泉の背中。

 それでも、偉大な背中だとフランドールは思う。

 あの雨の夜。この背中で、フランドールは命と心を救われた。

 ゆっくりと持ち上げられながら、フランドールはまだ、龍泉にお礼を言えていない事を思い出していた。


「……あ、ありがとう」


 口にしてから、フランドールは失敗したと思った。

 何の脈絡も無いこれでは、今の事に対するお礼としか受け取られない。

 慌てて付け加えようとしたが、その前に龍泉が小さく吐息する。

 見透かしたかのように、清々しく。

 龍泉は、何も問わなかった。


「どういたしまして」


 ただそれだけを、何でもないように龍泉は言った。

 分かってくれたのだろう。

 いつも分かろうとしてくれている龍泉だから、どんな事でも分かられてしまうのだろう。

 フランドールはそう感じると、何故だか急に恥ずかしくなって、龍泉の背中に顔を埋めた。

 この訳の分からない感情の事も、龍泉には気付かれているのかもしれない。

 もしそれなら、何も言わないで欲しいとフランドールは願う。

 これだけは、どうしても自分の力だけで気付きたい。自分の力だけで気付いて、それから龍泉に伝えたい。

 気付くのは随分と先で、伝えられるのは更に未来の話になるだろうが、フランドールは今の気持ちを忘れないよう、胸に深く刻み込んだ。


 その様子を隣で見ていたレミリアが、何とも言えない複雑な表情になって、龍泉に声を掛けた。


「後でいいから、私もおんぶしてくれる?」

「……はい、喜んで」


 何もかもを知っているかのように、龍泉は穏やかに笑う。

 しかしこの時、龍泉は知らなかった。

 自分の事も、未来の事も。

 そして、それらに気付く瞬間が刻一刻と迫ってきている事も。


 摩訶不思議な一陣の風が、龍泉の緩んだ頬を掠めていった。



 それに予兆は無かった。完全に突然で、突飛な出来事だった。

 紅魔館に戻る龍泉達の前に、淡く光輝く謎の粒子が立ちはだかるように集まり出していた。

 ただ、紅魔館は既に見える場所にあり、そこを目指して湖上を飛んでいけば充分に回避は可能である。


「逃げましょう、龍泉」

「え、ええ……」


 レミリアは龍泉の背中から彼に提案する。

 しかし、龍泉はレミリアを降ろすと、その光に魅入られたように茫然と立ち尽くしていた。

 龍泉だけは、それが何なのか感付いていた。


 ――どうして、あの粒子は私の妖力と同じ輝きをしているのか。


「龍泉!」


 レミリアが龍泉の腕を強く引く。

 それで龍泉の意識は不安そうなレミリア達に戻り、彼は彼女達を守るように、徐々に形を成しつつある粒子から背を向ける。

 逃げたほうがいい。それは龍泉にも分かっている。

 だから、龍泉は振り返らず、両手を引くレミリア達に導かれるように体を宙へ浮かべ――。


「龍泉、さん……」


 そして、何かが倒れる音と共に、その声を聞いた。

 思わず、龍泉は振り返った。

 幻聴なのか、確かめなければならない。

 現実なのか、確かめなければならない。


 横たわっているそれは一体何なのか。

 地面に倒れているものは一体誰なのか。

 妖精の羽が生えた彼女は一体何者なのか。

 見慣れたメイド服を着た、この少女は――。


 龍泉は気付かない内に、意識を失っている少女の傍に座り込んでいた。

 信じられなかった。

 しかし、最早疑いようはなかった。

 疑問よりも先に、喜びが龍泉の心を支配した。


「おかえりなさい」


 そこにいたのは、彼の腕の中で確かに死んだ筈の妖精メイドだった。

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