表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東方朧観簿  作者: 庶民
第一章
30/59

其の三十、慈悲


 振り返れば、そこにはレミリアが居るのだろう。

 だが、そんな事をすれば私はきっと進めなくなる。

 分かっていた。

 だから、私は振り返らずに動かなければならない。進まなければならない。逃げなければならない。

 私が今ここにいる。ただそれだけの事で、私は他者の存在を脅かしているのだから。

 しかし、私の足はまるで釘を打ち込まれたかのように、地面から僅かばかりも持ち上げる事が出来なかった。


「龍泉」


 レミリアが私の名を呼ぶ。

 私は耳を手で塞ぎたかったが、それすらも出来なかった。途方も無い未練が、体を縛り付けていた。

 不意に、その耳が肉の焼ける音を捉えた。

 吸血鬼が、太陽に焼かれている音だ。


「行かないでよ、龍泉……」


 苦しそうなレミリアの声は、引き摺る足音と共に近付いてくる。

 容赦の無い日光が体を貫いているというのに、レミリアは日陰より私の側を望んでくれている。

 それが私には素直に嬉しかった。しかし、喜んではいけない事だった。

 このままではレミリアは日光に焼き殺されるだろう。彼女を助ける為には私が日陰になるしかない。だが、それをすれば私は愛しさで動けなくなり、結果としてレミリアを殺しかねない。

 死なせるのか、殺すのか。

 究極の二者択一。

 選べる筈が、無かった。

 殺したく、なかった。


 私はレミリアに背を向け続け、彼女が焼かれる音に耳を澄ませていた。

 逃げなければならないというのに、逃げられなかった。

 死なせる事も駄目だというのに、それなのに、私は動けなかった。


「いけません、御嬢様!」


 レミリアを遮るように咲夜さんの声が入り、同時に焼ける音も消える。

 日光から守るように抱き抑えたのだろう。

 レミリアの死を聞かなかった事に安心した私は、漸く一歩を踏み出す事が出来た。


「何故ですか、龍泉さん!」


 しかし、咲夜さんの咎めにより、私の足は再び動かなくなる。


「死んだメイド達の願いを裏切るのですか! 御嬢様達を悲しませるつもりですか!?」


 そんな事はしたくない。しかし、違うと言えば、私は、私の言葉に負けてしまう気がした。

 短い沈黙があった。

 私は、答えなかった。


「……分かっています。あなたは誰も死なせたくないから、紅魔館を出ていくつもりなのでしょう。それが間違った考えだとは思いません。死なせたくないという気持ちは、私達が想像する以上に重いものなのでしょう」


 咲夜さんは深呼吸し、自らを鎮めて語る。


「しかし、私達はあなたを守る為に命を懸ける覚悟が、昨晩の事件前から既に出来ていました。ですから、あなたの側に居る事で、いつか死なされる覚悟も当然出来ているのです。……それでも、行くのですか」


 喉が詰まり、私はまたも答えられない。

 咲夜さんの言葉はつまり、私の殺しを許すという事だ。

 しかし、私には愛する者を殺す覚悟など、心の何処を探しても存在していないのだ。


 ――死ねば、もう側には居られないではないか。


 苦しみが徐々に未知の悲しみに変わっていく。

 もう既に、私の心は重心を見失っていた。


 ――それでも、許されるなら側に居たい。


 非合理的な思考。

 最早、私は私を説明出来ない。

 私を、どうにも出来ない。


「龍泉……!」


 そして、縋るようなレミリアの声が私を完全に打ち砕いた。

 破綻した感情が視界を覆い、もう何も見えなくなってしまった。

 だから、私は縋る思いで、紫さんへと手を伸ばした。


「……すみません。何も見えないし、足も動かないんです。ですから、手を引いて下さい。体を押して下さい。

 お願いです。私を、助けて下さい……」

「龍――――」

 

 レミリアの声が響き渡るが、今の私にはそれが何処か遠い。

 紫さんは私を助ける気が無いようで、ぼやけた視界の色は何一つ変わらなかった。

 当たり前だ。

 私の意思でレミリア達を裏切らなければ、意味が無いのだ。

 血を吐きたい気分だった。腹を裂きたい気分だった。

 全てに覚悟を決める為に永遠の時間が欲しくて欲しくて、仕方無かった。

 それでも、決めた。

 行かなければ、ならないのだ。


 私は一歩、前に進んだ。


 そして、誰かの手によって、後ろへと体を押し返された。


 そこからはもう、惰性で、衝動だった。


「レミリア様……!」


 振り返った私はレミリアを迎えるように腕を開き、咲夜さんから解き放たれたレミリアが一直線に私の胸へと飛び込んできてくれる。

 この選択が間違っていると、私は心の底から思う。

 しかし、今の私にはそんな事がどうでもよかった。

 愛しいレミリアを抱き締める。

 この子にどれだけ心配を掛けさせたのか。その事に対する後悔も謝罪も全て置き去りにして、私は……。


 ――私は今、確かに救われた。





 目の前で抱擁を交わす二人を見て、紫は溜め息を吐いた。

 龍泉の優柔不断さに呆れ、純粋さに感心した。

 それを一通り済ませて、紫は龍泉を後押しした二人の人間を眺める。

 霊夢と魔理沙。

 二人共、達成感を表情に滲ませ、紫の前で仁王立ちしていた。


「……これがどういう意味か、二人共分かっているわね?」


 お前達は幻想郷の崩壊を進めた。

 そう紫は暗示したが、二人は特に気にする様子はない。


「私達は単に猶予をあげただけ。それの何処が問題なのよ」

「幻想郷は何十年も続いているんだろ。一日や二日は何とかなると思うんだがな」


 霊夢と魔理沙は楽観的な考えを返す。

 幻想郷の管理者である紫は当然、それらを認めなかった。


「その一日や二日の猶予が本当に一日や二日で済むと思っているの? 既に私が一日与えたのよ」

「そうね。でも、それだけじゃ足りなかった。だから延期させるわ」

「それが霊夢の言う解決? とんだ笑い話ね。本人任せじゃない」


 紫は嘲笑う。

 しかし、霊夢は馬鹿にされても、その超然とした態度を崩さなかった。

 それどころか、その態度を更に強めて、霊夢は言い放つ。


「そうよ。本人達で解決する。それが一番の解決方法である以上、私はその手伝いをするだけ。

 ――八雲紫。今のあんたはレミリア達と龍泉の個人的な問題において、完全な部外者よ。だから、これが片付くまで暫く手を引いてなさい」


 霊夢は退魔の札を構える。

 呼応し、魔理沙も八卦炉を手にして、それに炎を点した。


「ま、そういう事だ。言いたい事を全部言われちまったが、つまり私も霊夢と同じ考えでな。

 紫、お前の順番はまだ来てないんだ。黙って待ってろよ」

「ふん……」


 二人の挑発的な対応で嘲笑は冷えきり、無慈悲な視線が彼女達を射抜いた。

 しかし、激情に一時駆られたものの、紫の思考は速やかに冷静さを取り戻していた。

 この場で霊夢と争っても紫には一利も無い。結界が龍泉によって不安定にさせられたとはいえ、その龍泉を連れていく為に博麗の巫女を消耗させては本末転倒である。

 かと言って、このまま引き下がっても業腹だ。

 紫は即座に代案を考え、それを口にした。


「待たないといけないのなら、私は何もしたくない。霊夢が結界関係を全てしてくれるなら、二日だけなら待ってあげてもいい。それ以上は絶対に延ばさないし、それでも邪魔があった場合は全ての元凶である龍泉を殺す」

「意外ね。聞き分けが良いなんて」

「但し、今の結界の管理と保護は激務よ。睡眠も食事も許されず、常に発生する様々な異常に対応し続けなければならない。博麗の巫女ではない魔理沙には出来ない事だし、私の式神もあくまで保険として待機させるだけ。人間である霊夢一人で、果たして遂行出来るのかしらね」

「……不眠不休で二日、か」


 霊夢は想像し、確かめるように呟いた。

 正直なところ、その提案は厳しいものだ。

 二日程度の不眠不休なら出来なくないが、その上で重大な仕事をこなさなければならない。

 可能なのか不安になり、霊夢はふと後ろを見遣る。

 レミリアを掻き抱く龍泉と、彼等を守るように然り気無く、その傍らで日傘を差す咲夜の姿。

 その光景を焼き付けるように目を閉じ、やがて、霊夢は清々しい瞳で紫を見返した。


「やるわ。あれを守れるのなら、そのくらいやってやる」

「……それが『博麗霊夢』としての決断だったのね」

「ええ」


 その肯定を受けて、紫は昨晩の事を回想する。

 紫が霊夢に、事件についてどのような姿勢を取るのか訊いたときの事だ。

 霊夢は紫が提示した『人間』と『博麗の巫女』という二つの選択肢を断ち切るように指を三本立て、こう答えた。


『私は博麗霊夢として、この事件の解決に尽力する。職務上の理由や個人的な感情も全部込み。分けて考えるなんて面倒な事、私は嫌いだから』


 それがどういう思惑で告げられた言葉なのか、紫は知らなかった。知らないまま、余裕の無かった紫は霊夢がしたいようにさせていた。

 曖昧なままにすべきではなかった事柄だったのだが、紫も少しは思っていたのだろう。

 霊夢なら無事に解決してくれる、と。

 紫は短く吐息し、単身、スキマの中へ滑り込んだ。


「霊夢、約束は約束よ。今回、あなたが私の邪魔をした事について責めたりしないわ。だから、この約束もきちんと果たしなさい」

「分かってる」

「……よろしい」


 紫はそのままスキマを閉じ、それが完全に閉じきる寸前、霊夢達の奥にある光景を一瞥する。

 レミリアを抱き締める龍泉の背中。そこに小さな手が二つ、日光に焼かれる事も恐れずに回されているのが見える。

 彼等なら互いに守り合い、愛し合って、これから共に、平穏無事に生き続けていく事も出来るのかもしれない。

 そのような夢物語を見せる程に、その光景は美しいものだ。

 しかし、所詮は夢物語。

 いずれ二人を待ち受けるのは、逃れようのない破滅の運命だけだ。

 だからこそ、紫はこの言葉を口にする。


「……二日だけでも」


 ――御幸せに。


 誰かの耳へ届かせるにはあまりにか細い祝福の言葉。

 やはり誰にも聞こえていないのだろうと予想しながら、紫はスキマを完全に閉ざし、姿を消した。





 紫が去って直ぐ、霊夢も約束を果たす為に何処かへと飛び去った。

 残された魔理沙は交渉の結果を伝える為に龍泉達の近くまで寄ってみたものの、二人の時間を邪魔するような気がして、日傘を差す咲夜へと気不味そうに視線を投げる。

 それに気付いた咲夜は手に持った傘を意識し、浅く頭を下げた。

 魔理沙はそれに含まれた謝意を汲み、頬を掻きながら言葉を濁した。


「まあ……、聞いていたと思うが、二日の猶予が出来た。その事を後で、龍泉が落ち着いてからでいいから伝えておいてくれるか?」

「勿論よ。世話になったわ」

「いい、気にするな。私の場合は趣味だからな。そういう言葉は霊夢の為に残してやってくれ。あいつが居なければ成り立たない交渉だったんだ」

「それでも一人と二人では大分違っていた筈よ。ありがとうね」

「……もういい。好きにしといてくれ」


 投げ遣りな態度で魔理沙は咲夜から顔を反らした。

 それにふわりと笑みをこぼし、咲夜は日傘を閉じる。

 既に太陽は山に沈み、漂う雲の横顔だけを照らしていた。


「……二日だけで、別れられるのか?」


 ぽつりと、魔理沙は咲夜にだけ聞こえるように呟いた。

 しかし、答えを聞く前に魔理沙は首を振った。

 二日で別れられるような浅い仲なら、そもそも体を張ってまで引き止めたりしないのだ。

 馬鹿げた質問だったと漏らし、魔理沙は夕陽の残光へと目を向ける。


「結界に関しちゃ何も出来ないが、私にも妖怪退治なら出来るからな。どうせ霊夢には退治なんてする余裕が無いだろうし、悪い妖怪が出ないか見回りにでも行ってくるぜ。じゃあな」


 そして箒に跨がり、魔理沙は背中越しに手を振って飛び去っていく。

 それを暫く見送ってから、咲夜はいつの間にか落ち着いた様子の龍泉達に近付いた。


「……説明は、不要です」


 足音で気付いたのか、龍泉は咲夜を見ず、未だに自分を抱き締めているレミリアの髪を優しく撫でながら、言った。


「長くても二日。それを越えたら、私は紫に殺される。……分かってます」


 また、落ち着いた声音。

 無理をしているのではないかと咲夜は心配したが、実際は違うのだと直ぐ分かった。

 今の龍泉はレミリアに守られているから、安心して自らの死まで言えたのだ。


「私なら二人の時間を止めて、約束の日時を先送り出来ますが……」


 咲夜の尻すぼみになる質問に対して、龍泉は迷い、暫く答えなかった。

 やがて思い立ったように、再びレミリアを強く抱き締める。


「時間を止めても、私の能力が消える訳ではありません。――もう二度と、私は貴方達を殺したくありません」


 その言葉通りに動けていないと明確に自覚していながら、しかし、龍泉はレミリアを離そうとしなかった。

 これは依存だと、他ならぬ龍泉が気付いていた。

 だが、どうしようもなかった。

 自分にとって彼女達がどれだけ大切な存在となっていたのか、それに気付いてしまった。

 喪失し、獲得し、そして、手にした殆どを捨てる事は出来ても、彼女達を捨てる事だけは――出来なかった。


「二日だけ、本当に、二日だけ……」


 涙ながらに零した龍泉の言い訳が、夕闇の中へ切なげに溶けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ