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東方朧観簿  作者: 庶民
第一章
23/59

其の二十三、永遠に失われざる忠誠心

 青年は山を歩いていた。

 屍を見ては貪り、夜は木の上で眠る生活を続けた。

 化け物と見られる事も、獣と見られる事も少なくなく、しかし、それがなんなのだろうと青年は思う。

 昔から同じようなものではなかったか。

 恩師も親友も居らず、今や家族も失った。

 悲しみを覚え、しかし、青年は涙を流さなかった。

 無用となった清廉さを青年は引き摺り続け、ただただ死なずに生き続ける。

 元より少ない感情を摩耗するのに多くの時間は掛からず、それらを表す術を失いかけ。

 そして――、青年は幻想郷に辿り着いた。



◆  永遠に失われざる忠誠心



 破竹の勢いで紅魔館を突破する霊夢達。通り過ぎた廊下にある扉は全て砕かれ、至るところに気を失ったメイド達が転がっている。

 その快進撃を止める為、銀の長剣を携えた咲夜が彼女達の前に立ちはだかった。

 霊夢は彼女に札を見せつけ、疲れを隠して言い放つ。


「次はあんたね。全く、一人を除いて従業員総出とは有り難くて涙が出るわ」

「主への奉仕と客へのおもてなしは常に最上を目指しているわ。お気に召さないかしら?」

「召す召さないの話じゃないわよ。そもそも私達は客ですらないし」

「招待はしたつもりだけどね。返り討ちにするという名目で」

「はん。ほざいてなさい。あんたもどいつもこいつも、全部纏めて私が退治してくれるわ」


 またしても霊夢は紫の前に立ち、相手の注意を引こうと挑発する。

 最後まで紫を温存し、確実に龍泉を叩くつもりだろう。


「見事な心構えだね、――博麗の巫女」


 しかし、その最後は皆の予想を裏切り、もうそこまで来ていた。

 薄闇の向こうから、龍泉は声と共に姿を現した。

 外の世界の衣服を纏い、妖怪らしからぬ退魔の短刀を左手に提げている。

 龍泉は咲夜の隣に立ち、驚愕する彼女へ頭を下げた。


「申し訳ありませんメイド長。私はやはり、皆を傷付ける事に耐えられる程、感情を抑える事が得意ではありませんでした」

「結界は――」


 パチュリーの魔法と咲夜の時間操作を組み合わせた、龍泉を隠蔽する為の結界。

 解除するには両名を倒すしかなく、それまでは認識すら殆ど不可能な代物なのだが、俯いたままの龍泉の態度が既に答えを示していた。


「壊したのですか……。幻想郷の結界以上だと自負していたのですけどね……」

「後で直しておきます」

「いや、出来ないでしょう?」


 龍泉は今一度黙る。先程と同じ沈黙。


「まさか」

「不可能ではないとだけ、申し上げておきます」


 龍泉は顔を上げると、驚く咲夜の前に出た。

 その彼の前には、やはり霊夢が居た。


「やっとラスボスのお出ましね。その割には随分と淋しい演出じゃない」

「そんなに強くないからね」

「どうだか。腹の中じゃ何を考えているか分からないわ。特にあんたみたいな奴はね」

「どうして決め付ける?」

「勘よ。ともかく、私はあんたを退治しに来たの。それ相応の覚悟はしてるわよね?」

「まったく勇ましい……」


 気持ちを落ち着かせるように吐息し、龍泉は抜刀した。鞘を廊下の隅に投げ捨て、切っ先をぴたりと霊夢の目線に合わせる。


「しているに決まっている。来るなら――」

「ちょっと待って下さい」

「……なんですか、メイド長」


 遮られ、顔も見ずに龍泉は訊ねる。

 咲夜は龍泉の太刀筋に長剣を添えて、彼と並んだ。


「私も戦います。どうせ、下がれと言っても無駄でしょうからね」

「……それなら、紫さんにも戦ってもらいますかね。二対二。どうかな、紫さん?」

「ええ。構わないわ」


 霊夢と並ぶ紫を認め、龍泉の意識は再び咲夜へと向いた。


「メイド長も?」

「大丈夫です。二人がかりで霊夢と戦うよりは良心が痛みませんから、そのほうが好都合です」

「考えている事は同じでしたか」


 そこで龍泉は儚げに笑う。凛とした空気の中、さらりと乾いた笑い声は些か場違いであった。

 しかし、それが止むと、龍泉の切れ味は蘇る。


「私は戦いが得意ではありませんが、メイド長の御期待に添えるように致しましょう」

「もう一つだけ。今度は命令が」

「なんですか? メイド長」

「……名前で呼びなさい。今だけでも」


 紅魔館の中でただ一人。いつまでも龍泉から役職名で呼ばれていた咲夜は、やや怒気を含ませてまで言った。

 それをあしらうように龍泉は笑みを含む。

 そしてまた、さらりと。


「承知しました、咲夜さん」


 上司への敬意を僅かに取り払い、龍泉は言った。

 咲夜は未だに敬語を使い合う関係に不自由を覚えたが、一歩目を踏み出せたと納得し、軽く頷く。

 示し合わせたかのように、二つの太刀筋が共に揺れた。


「――来るわよ!」


 霊夢が叫ぶ。

 それを発端とし、紫電と銀閃が迸る。





 人間が人間を。妖怪が妖怪を。

 まるで導かれるように、四人は二つに別れた。


「こいつら……!」


 霊夢は咲夜の長剣を結界を纏わせた御祓い棒で受け止め、悪態をついた。

 全く、見えなかった。

 意識を紫にも割くと、彼女も扇子で龍泉の短刀を受け止めている。しかし、防御が成功した割には余裕が見られない。

 咲夜だけでなく、龍泉も時を止められるのか。


「悪い冗談、ね!」


 霊夢は傾けた御祓い棒の上で咲夜の剣を滑らせ、それを床に叩き付ける。同時に体を回し、胴体目掛けて蹴りを放った。

 だが、それは残像を蹴るばかり。

 認識不可能な時間差で、咲夜は霊夢の後ろを取っていた。

 首筋目掛け、斬らないように寝かせられた刃が走る。

 霊夢は咄嗟に左腕を割り込ませた。

 気絶させるつもりか、はたまた、降伏目的で寸止めするつもりだったかは分からないが、軌道へ急に割り込まれれば手加減は間に合わない。咲夜の思惑から外れ、剣は霊夢の腕を強く打ち据えた。

 動揺し、動きが止まる咲夜。その隙に霊夢は彼女から距離を取り、周囲へ結界を張った。腕は折れてこそいないが、内出血で酷い事になっているのは、脈打つ痛みで想像出来た。


「霊夢。躱せないなら無駄な怪我しないでくれる?」

「手緩い事言うわね。もう勝ったつもり?」

「いいえ。ただ、痛みで騒がれるとお嬢様達が飛んできそうだもの。手を煩わせたくないのよね」


 咲夜は結界へ剣を突き立てようとするも、その切っ先すら結界を貫けない。自分では破れないと判断した咲夜は、霊夢をもう一方の戦いへ介入出来ないよう、剣を下ろして監視を始める。

 霊夢も臨戦態勢を解き、紫達の戦いへ目を向けた。

 そこでは当初の予想を逸脱し、ほぼ互角の戦いが繰り広げられていた。


 術か薬の影響か、全身の静脈をはっきりと浮かばせた龍泉が紫へ斬りかかる。

 その速さは、速くはない。通常の人間の範疇から外れた速度ではあるものの、薄や美鈴に比べれば遥かに劣る。

 しかし、その太刀筋には何一つ容赦が存在していなかった。

 指の皮一枚だけでも斬れると判断すれば、迷わず斬りかかる。

 罠があると明確に示されていても躊躇う様子は一切無く、寄って斬り、仕組まれた罠は可能な限り回避し、不可能なものは生身で受け止めていく。

 妄信的で、狂信的な戦い方だ。

 まるで、自らを度外視しているような――。


 しかし、何度斬られようと紫も大妖怪の一つ。

 無闇に振り回される龍泉の短刀を扇子で受け、そして彼の手からそれを弾き飛ばした。

 放物線を描く自らの得物を追い、追撃の妖弾を回避しながら、龍泉は紫から離れる。

 その隙に紫は服の修繕から体の治療まで、全てを一瞬の内に終えていた。

 紫が持つ、境界を操る力。

 その一端ではあるが、それだけでも充分に龍泉の手には余るものだった。


「……咲夜さん」


 ぼそりと龍泉が呟き、霊夢の結界の前でどうしようもなく佇んでいた咲夜が頷いた次の瞬間、二人の位置が入れ換わる。また時を止めたのだ。

 今度は咲夜が紫に斬りかかる。

 龍泉と比べれば速い。いや、恐らく誰よりも速いのだろう。

 斬る寸前までの行動を時間が止まった世界で済ませているらしく、その動きはコマ送りの映像のように途切れ途切れだ。

 気付けば、紫の体が何十と斬り刻まれている。

 しかし、いつの間にか、まるで巻き戻したかのように紫の傷が治っている。


「観客席か、此処は?」


 その光景を霊夢から隠すように、龍泉は立った。

 彼の瞳孔が目の前ではない場所の何処か、異界の光を受けているかのように妖しく収斂する。

 不味いと霊夢が直感し、結界の反対側まで退避した。

 その考えは間違っていなかった。

 龍泉が霊夢の結界を指で突くと、それだけで結界がシャボン玉のように割られてしまった。

 美鈴が拳一つを潰して出来た事を、指一つ。


「結界が無意味とか、本当に泣けてくるわね……」

「妖怪らしくて良いだろう?」

「何処が!」


 霊夢は龍泉目掛けて妖怪退治用の札を投げ付け、回避しなかった龍泉にその殆どが貼り付いた。

 しかし、効果は薄い。

 僅かに動きを止めたものの、それだけだ。龍泉は顔に付いた札だけを外して、霊夢に迫った。

 反射的に霊夢は御祓い棒を翳すが、それも結界が無ければ刃を受けるには適さない細い木の枝である。

 弱点を探るように数合交えられ、半ばから叩き折られた。


「……弱い?」


 自らの短刀を茫然と眺め、龍泉が不思議そうに呟いた。

 それに対し、霊夢は内心で毒づく。

 札も結界も碌に効かない。まるで妖怪らしくない龍泉との相性が極端に悪いだけだ、と。

 短くなり、役に立たなくなった棒を捨てて、霊夢は右手だけで構えた。

 救いなのは体格に美鈴程の開きが無い事。

 龍泉の背丈は美鈴や咲夜よりも僅かに低く、体格や体重は霊夢と大差ない。身体能力全般で、龍泉は特別優れている訳ではないのだ。

 霊夢は左腕を背中に隠しつつ、龍泉を逃がさないように霊力の弾幕で足止めしながら、飛んだ。

 文字通りの飛行である。

 龍泉が霊弾を切り飛ばし、それが不可能だったものは左腕で受け、迫る霊夢を無気力に見詰めた。

 霊夢が繰り出した蹴りが、まるで導かれるように龍泉の右脇腹に突き刺さる。

 まだ治っていない部分。

 龍泉がかっと目を見開き、喉を絞って、堪えるように苦悶の声を上げる。

 しかし、霊夢が得たのは手応えではなく、違和感だった。


 ――何故、躱さない?


 そこが弱点なら、龍泉は弾幕を一身に受けてでも守るべきだ。

 それなのに何もせず、弾幕を適当に切り払いながら、棒立ちしていた。


 ――何故?


 龍泉の体を蹴り飛ばし、ふわりと空中に漂った霊夢は再び自らへ問う。

 薄れ、忘れかけていた霊夢の記憶が唐突に呼び覚まされた。


『動いても当たるのなら避けないのは当然』


 初対面での龍泉の言葉。

 しかし、龍泉はあの時、頭を守る為に左腕を犠牲にした。

 今回も出来た筈だが、それをしていない。

 それはつまり、動けば躱せるのに、守りもせずに受けたという事になるのではないだろうか。


 霊夢はそこが偽の弱点ではないかと考え、様子を見るように離れながら撃ち続ける。

 龍泉は動かず、右手で脇腹を押さえたまま、脂汗を浮かべて懸命に凌ぐ。

 彼の表面に浮かんでいた静脈は全て消え失せ、動きも精彩を欠いている。

 本当に弱点だと霊夢が考え直すまで、多くの時間は掛からなかった。

 霊夢は宙を蹴り、龍泉の右手側へと回り込む。

 負傷した左腕を庇うのにも都合の良い位置だ。

 そこで肘打ち。押さえている龍泉の手の甲から彼の脇腹へ、霊力を込められた衝撃が貫通する。

 右半身が完全に龍泉の意識から外れ、彼は俯向けに倒れた。そして、咄嗟に仰向けになろうとする背中へ、霊夢は足を乗せる。

 龍泉は刀を確りと掴んだまま、動けなくなった。

 自然と、紫と咲夜の戦いも止まる。

 事件の終焉にしては、とても呆気ない幕切れだった。


「……正直に答えなさい。私は弱い?」


 勝者から敗者に下される言葉として、本来ならそれは皮肉でしかないだろう。

 しかし、龍泉は答えなければならない敗者の義務に反し、沈黙を続けた。

 とはいえ、その顔は誰からも見えない角度で、計画を遂行した事への寂寥感と達成感を滲ませている。


「答えなさい」


 二度目の要求も聞き入れられる事は無い。

 感情を隠す事に必死で、龍泉はそれどころではないのだ。

 しかし、龍泉は突然それを止めた。


「ああ、霊夢は私よりも弱い。装備の良し悪しを抜きにしてもね。でも、本気の霊夢なら私よりも強い筈だ。今の霊夢は……本気じゃない」


 残念そうに言い、龍泉は肩を外したと錯視させる程に腕を曲げ、背中に乗せられた霊夢の足を斬り付けた。

 体勢を崩した霊夢を振り落とし、龍泉は立ち上がる。

 ふくらはぎの傷口に手をあてて踞る霊夢の目の前で、龍泉は刀についた血を振り払い、飛ばずに残った血を指にとって舐めた。


「吸血鬼か、あんたは……」

「……それならどれだけ良かったか」


 札を傷口へ貼り付けて止血する霊夢に、龍泉は寂しげに答えた。

 吸血鬼であれば、幻想郷に外来人を招く事もなく、紅魔館に居続けられたかもしれない。

 フランドールに付けられた傷を慈しむように撫で、龍泉は鋭気を取り戻す。


「霊夢にはまだ奥の手がある筈だ。出し惜しみなんかされたら、負けるに負けきれない」


 刀を持ち替え、龍泉は霊夢の頭上へと高くそれを振りかざした。

 仰々しい動きである。しかし、力には酔っていない。


「退治してみろ、博麗の巫女」


 振り下ろす。下を向いているのは峰だが、当たれば頭蓋骨が砕かれるだろう。

 霊夢は祈るように目を閉じる。

 瞬きの時間の中でそれを見て、龍泉はただただ失望した。

 私の慈悲に縋るのか、と。

 龍泉は霊夢の価値を見失い、刀を真下まで迷う事無く振り切った。

 振り、切れた。


「……はっ」


 龍泉の口から、乾いた声が思わず漏れる。

 腕が真下を向く程に振ったのに、手応えが無い。

 範疇を理解する彼の目が、比喩ではなく、本当に霊夢の価値を見失っていた。


「浮く、か。この世界のありとあらゆる現象から」


 目を閉じた霊夢の体が重力から解き放たれ、空中に漂う。

 それが博麗霊夢の能力の一つ。全てから解放され、何者にも干渉されない究極の自由。

 龍泉は刀に目を落とす。

 何にも触れず、刀は霊夢の体をすり抜けてしまっていた。

 つまり、斬っていないのだ。

 今の霊夢に物理的な干渉は意味を成さない。


 ――それなら、時間は?


「咲夜さん」

「分かっているわ」


 咲夜は紫から距離を取り、時間を止める。

 今までなら咲夜以外は誰も許可無く立ち入る事が出来なかった静止した世界。

 しかし、龍泉は範疇を理解出来る力を用いて、この世界を認識し、咲夜の発動に便乗する形で動く事が出来ていた。

 そして、今の霊夢も動いている。

 時間ですら、今の霊夢には意味が無いらしい。


「成る程。霊夢が最強と呼ばれる所以が分かった。これは勝てない。勝ちようがない」


 霊夢の周りに無数の弾幕が生じ、飛来する。

 それを回避しながら、龍泉は虚無的に笑っていた。


「……霊夢の霊力が尽きるまで攻撃を耐え続ければ、勝てるわよ」


 そんな龍泉を不審に思いながら、咲夜は言った。

 彼女は何度か、霊夢のこの攻撃を受けた事があった。

 時間停止に介入された事は初めてで、今まではスペルカード用に加減されたものだったが、性質は似たようなものだろう。

 霊夢は人間だ。限界は必ずある。


「それは何時の話ですか?」

「……スペルカードルールの時より質も量も多いから、恐らく三分」

「三分ですか……」


 全力の回避と防御で三分間耐え凌ぐ。

 余裕ではないが、不可能とはいえない時間ではある。


「この時間停止は?」

「私が死ぬか意識を失うまで続けられるわ」

「……霊夢が紫さんを誤射するように誘導出来ますか?」


 霊夢が繰り出す激しい弾幕は美しさを感じさせる精密さで制御されており、龍泉と咲夜しか狙っていない。

 壁や床に対する遠慮も無いが、唯一、彫像のように立ち尽くす紫だけは避けている。

 先程の対面からも、霊夢は紫を守る素振りを度々見せていた。


「やってみましょう」


 咲夜は飛び、龍泉は駆け、互いに互いを囮にしながら、紫のもとへ向かう。

 龍泉達が霊夢との間に紫を挟むと、戸惑うように弾幕は一度止んだ。

 しかし、今度は紫を迂回する軌道の弾幕に変わり、龍泉達はその場から離れる。

 意味が無い訳ではないが、効果は薄い。どうやら時間切れまで小細工無しで耐え続けるしかないらしい。


「……ふざけた技よね、これ」

「時間を操る人間が言えた台詞じゃありませんよ」


 弾幕を躱し、時に去なして、龍泉は咲夜が珍しく口にした愚痴に応じる。

 手負いである事を知られているためか、弾幕は龍泉に比較的集中している。時折手足に被弾していたが、それでも彼には話をするだけの余裕があった。

 問題は咲夜だ。珍しく愚痴るという事は、そこまで追い詰められているという事でもあった。


「咲夜さん?」


 返事が無いので呼びかけるも、咲夜は激しく息を切らしていて、とても応えられる様子ではなかった。時間を止める前と比べれば、明らかにその動きが乱れていた。

 時間を止めているにも関わらず、あらゆるものが自由に動いている事で錯覚が生じているのだ。

 時間を止めれば動く筈が無いと刷り込まれている咲夜の無意識は、動いているものを実際に目の当たりにしても、移動先や速度の直感的な予測を出来なくさせていた。

 動く対象が人間の一人や二人ならまだどうにかなっただろう。しかし、数百の弾幕となれば予測は到底間に合わない。

 何度か弾幕が掠めた後、遂に咲夜は被弾した。

 それも真正面。想定外の一撃だった。


「咲夜さん!」


 駆け付けようにも、龍泉は咲夜よりも濃い弾幕に晒されていて近付けない。声をかけるだけで精一杯だった。


「……大丈夫よ」


 龍泉が焚き付けた事もあり、霊夢は本気だった。意識が一瞬飛びかけたものの咲夜は歯を食い縛って堪える。

 しかし、動けなかった。

 次が来る。

 躱せない。耐えられない。

 それでもどうにかしようと考えを巡らせる咲夜の視界に、体を擲ってまで射線へ割り込もうとする龍泉の姿が見えた。

 ふと、雨の夜の言葉が甦る。

 龍泉を信用出来なかった咲夜へ、彼は守ると言った。

 それを今、果たそうとしているのだろう。この戦いは龍泉を守る為であるというのに。

 咲夜はその愚直さに一時心が和らいだ。

 そして、龍泉の時間を止めた。

 龍泉は紫と同様にその場で瞬間的に固定され、彼を狙っていた弾幕はその変化へ対応出来ずに全て外れる。

 これで少なくとも、龍泉が咲夜の為に負ける事は無い。


「どうか、お嬢様達の為にも」


 咲夜にしか見えない寂しい世界。そんな場所で龍泉を負けさせては、あの我が儘で愛らしい吸血鬼達は泣いてしまう。

 勝てないまでも、それだけは避けなければならない。


「頑張って」


 同じ主に仕えた者同士。心の底からの激励を一つ送る。

 そして、咲夜は霊夢の弾幕を無防備に受け入れ、そのまま意識を手放したのだった。





 時は動き出す。


「あら、手品は終わり?」


 認識を取り戻した紫が呆気なさそうに言った。咲夜は地面に倒れていくところで、龍泉は拒まれた事に気付きながらも傍へ向かい続けた。

 しかし、辿り着くより先に、咲夜の下にスキマが開かれた。

 重力に導かれ、咲夜はそこに落ちていく。龍泉は手を伸ばしたが間に合わず、閉じていくスキマを飛び越え、身を捻って紫と霊夢に相対する。

 厄介な咲夜を倒せたからか、霊夢は術を解除していた。着地し、健在ながらも疲弊した様子の龍泉を眺める。


「なんだかんだ食らってたものね。少しは疲れた?」

「咲夜さんは、どうした」

「あ、無視するのね」


 咲夜を助けに行こうとした際に龍泉は弾幕を幾つか浴びていた。妖怪である龍泉には咲夜以上に効く筈なのだが、他人の心配が出来る程度には効いていないらしい。

 龍泉は質問を繰り返す。


「咲夜さんはーー」

「別の階よ。流れ弾に当たると危ないもの。多分、もうメイド達に保護されたんじゃないかしら」


 物事が進みそうにないので、紫が答えた。

 スキマ対策として屋敷内にはメイド達が満遍なく配置されていた。それ自体は無意味になったものの、メイド達はその場に残って救助や警戒に当たっている。咲夜についても速やかに保護されただろう。


「……それならいい。こんな事、早く終わらせよう」


 龍泉は軽く頷き、短刀を構える。

 但し、彼に勝利への意思はもう存在していなかった。

 霊夢の本気を見て、多少は満足出来た。撤退し、レミリア達と合流すれば勝機はまだあるが、それで怪我人を増やす事に龍泉は嫌気が差していた。

 レミリア達が納得出来る結果にはならないとしても、美鈴が傷付き、メイド達や咲夜までもが倒れていくのを見ていけば、龍泉には最早後悔しか残っていない。

 早く負け、終わりたかった。

 しかし、霊夢と紫は躊躇っていた。

 龍泉が負けるつもりで、そして、それで今勝ったところで、誰も報われない事が彼女達には分かったのだ。


「……嫌よ、一度下がりなさい」


 霊夢が言った。紫は霊夢を止めず、龍泉は苦しげに顔を顰めた。


「勝たされたくないわ。これが私の勝利で終わると事前に決められていたとしても、私は私の意思で勝つのよ。今までもそうだったように」


 八百長も今まであるにはあったが、そんな戦いでも霊夢は実力で勝ってきた。勝つ事で解決に繋がると信じていたからこそ、そうしてきたのだ。


「そんなの、どうでもいいよ」


 迷子のように、龍泉が言った。

 救われず、報われない事に慣れきった、声だった。


「戦いたくないならそれでいい。私は誰かと争う事が本当は嫌いなんだ。でも、やるべき事はやらなければならない。ーーだから、紫さん。早くやろう」


 龍泉は弱々しく短刀を持ち、紫を呼ぶ。

 霊夢には無くても、紫には龍泉に勝つ理由がある。気は進まなかったが、紫は霊夢をどかして龍泉と向き合った。

 戦いを始めれば、何の工夫も無く勝てると紫には分かった。ただ、龍泉から始めるつもりは無いようで、彼はもう身構えもせずに立っているだけの有り様だ。

 しかし、その龍泉の顔が焦燥に染まる。

 龍泉は短刀を投げ捨てると、紫の傍を無防備に駆け抜けた。


「龍泉、さん……」


 か細い声の主を龍泉は抱き止める。

 そこに居たのは、片腕を抉り取られ、背中の羽を毟られたメイドの少女だった。


 事態は、首謀者の思惑からも逸脱し始めていた。

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