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東方朧観簿  作者: 庶民
第一章
22/59

其の二十二、立ち塞がる麗人

 親から捨てられ、そして殺されかけ、それでも自らの命に報いる為だけに死なずにいた少年。

 彼は青年になる直前、十年以上も共に暮らした人間達から故郷を追われた。

 人殺しよりお前は劣る。奴と仲良く出来ないなら、ここから出ていけ。

 その言葉には十枚の一万円札が添えられている。

 彼は涙を呑み、恨み言も呑み、その金を机に叩き付け返すと、荷物を纏めて愛する故郷から飛び出した。

 しかし、ふと立ち止まり、故郷を守る寂れた氏神の社へと赴く。

 そこで彼は神の不在を悟り、慟哭した。

 清廉であろうとした過去を思い出し、それらが無為となった事に叫んだ。

 人間である価値を完全に見失い、彼はいつしか人間ではないものに移り変わっていた。



◆  立ち塞がる麗人



 純粋な好奇心で参加する事にした魔理沙に連れ出され、彼女と同じく魔法の森に住む人形遣いの魔法使い、アリス・マーガトロイドは紅魔館の近くまで来ていた。

 連れ出された理由は散々なものだ。龍泉という妖怪を倒すのに人間と妖怪の二人組にならないといけないらしいから、である。

 戦わなくても良いとさえ言われ、本当に暇潰しという心構えで来ていたアリス。しかし、紅魔館の入り口に立つ美鈴の姿を見て、とても気軽に来てはいけなかった事に気付き、後悔していた。


「随分と……ふざけた考えで来たものね」


 赤髪が篝火の灯りを受け、赫赫と映える。

 美鈴の鋭い眼光は揺らぐ事なく、目の前に立つ魔理沙を矮小な人間として見下ろしていた。


「動機はふざけてるかもしれないが、やる事は本気だぜ?」


 それを受け止めながら、魔理沙はアリスより前に進み出て、得物であるミニ八卦炉を構えた。

 間近で銃口を向けられているような状態でも、美鈴が上げる気炎の勢いは変わらない。今も静かに滾らせている。

 アリスは魔法使いとして、魔理沙と美鈴を冷静に見比べた。その結果、無理だとは思いながらも魔理沙に忠告する。


「やめときなさいよ、魔理沙。これ、本当に駄目なやつよ。ちなみに私は一切関与しないわよ。分かってるでしょうけど、死ぬなら勝手にね。心中とか嫌だからね」

「あーあー、分かった、分かってるって。アリスはその辺で見ておけよ」


 口煩い保身の声を聞き流して、魔理沙はミニ八卦炉を突き付ける。

 調整次第で小さな森なら焼き払える火力を備えたそれを、美鈴は醒めた目で見詰めた。


「脅しのつもり?」

「イエス」

「……そう。面白くないわね」

「それはお前が面白がろうとしていないからだぜ」

「スペルカードルールなら面白味も勝負の要素だった。でも、この勝負にそんなものは必要ない。とにかく私達が勝てばいいし、――勝つしかないのよ。皆の為に」


 美鈴は詰めていた距離を一度離し、五歩離れた場所で振り返る。


「けれど、正当な方法でね。不意討ちで倒しても意味が無い」

「だから私に距離をくれたってか?」

「――これより先は問答無用」


 砂利を掃きながら、美鈴は滑らかに足を広げ、武術の構えを取る。全身の筋肉を引き絞り、臨戦体勢である事を眼差しで告げた。

 言葉は交わされず、二度、篝火の薪が爆ぜる。

 魔理沙は不敵な面構えで得物を美鈴に向けたまま、箒に跨がって体を浮かべた。

 それが彼女達二人にとっての問いであり、答えであった。


「……私、しーらない」


 一触即発の雰囲気を払うようにアリスは手を振って、ひっそりとその場から離れた。

 充分な距離を取り、折角だから見てみようと立ち止まるが、二人は一歩も動いていない。

 両者は既に臨戦体勢だが、たった五歩の距離なら一瞬で詰められるし、射撃も殆ど必中だ。先に動いたら不意討ちになるとでも考えているから動けないのだろうと察したアリスは、やれやれと思いながら自らの胸の高さまで両手を挙げた。


「えー、それでは。これより霧雨魔理沙対紅美鈴の戦いの始まりを私、アリス・マーガトロイドが仕切ります。構いませんね?」

「ああ」

「どうぞ」

「両者の同意を得られましたところで、では……」


 アリスは手を広げる。二人はそれを見ておらず、一心に互いの挙動を追い続ける。

 そして、手が軽く打ち鳴らされた。

 瞬間、闘気二つが爆発する。




 魔法と拳。

 先を取ったのは、拳であった。

 音に素早く反応した美鈴は魔理沙との距離を詰め、内から外へ捻るように小さく纏められた、最短最速の突きを放つ。

 それを魔理沙は八卦炉で受け止めつつ、全速で後退した。

 体格的にも技術的にも、真正面から美鈴と格闘する事は得策ではない。

 そう考えた魔理沙は動きを封じる目的で細い光線を美鈴の足下に照射しつつ、空へと昇る。

 追わず、美鈴は叫んだ。


「させるか! 燻れ!」


 美鈴の指示により、篝火の近くに潜んでいたメイド達が炎の中へ湿った藁を投入する。途端に煙が上がり、魔理沙を呑み込んだ。


「な、く、くそ……」


 単なる水蒸気ではなく、煙には香辛料の成分が混ぜられていた。

 眼と鼻の粘膜が刺激され、視界も呼吸も辛くなりながら、魔理沙は煙を突き抜けて風上に飛んだ。

 紅魔館を囲うように配置された篝火が全て同じ煙を吐き出し、その煙は下方では太い柱となり、上方では屋根となって紅魔館を覆っている。

 十年以上も昔。この紅魔館から幻想郷中へ紅い霧が撒かれた異変の事を魔理沙は思い出していた。


「懐かしいぜ。尤も、あれは体に悪くて、これは逆に体に良さそうな部分があるけどな」


 涙と鼻水を腕で豪快に拭い、魔理沙は攻め手を考える。

 足場の無い空中では美鈴が得意とする武術の冴えが半減して逃れやすいと考えていたが、あの煙の中で戦う気にはならなかった。

 眼や鼻が辛いのもあるが、何よりも視界が著しく狭いのだ。それに、これを仕組んでいたという事は美鈴は何かしらの対策をしている可能性が高く、迂闊に入ったら一方的に殴られると簡単に予想出来た。

 考えられるのはそこまでだった。空に漂う煙の中から色鮮やかな気弾が飛んでくる。美鈴のものだ。


「ばれてんなー……、くそ。こっちからは何も見えないってのに」


 制圧射撃のようにバラ撒かれる弾幕だが、それらの射線は移動する魔理沙を確実に追ってきている。止まれば命中させられるだろう。

 しかし、撃たれる事で美鈴の大体の居場所は知れた。

 魔理沙は空中で静止し、放たれる弾幕をなぞるように高威力広範囲の光線を八卦炉から発射する。

 光線は美鈴の弾幕を掻き消し、通過する煙の一部を無色透明の水蒸気と化させ、全ての障害を薙ぎ払った。

 しかし、その先に広がるのは夜空のみ。下から煙が注ぎ足され、それも直ぐに隠された。弾幕は止んでいる。


 風向きが変わり、煙が魔理沙のいる場所へ流れ始めた。魔理沙は外した事を悔やむと、煙から逃れるように緩やかに高度を落として様子を探りつつ、風上に移動する。

 その途中で、ふと思った。


「ん? あれ、おかしいな。風上にいたのに。風ってこんなに変わりやすかったか?」


 篝火はあるが、気象を変える程の熱量ではない。近くの山から吹き下ろされた風にしては向きがおかしい。

 煙に映る自らの影が何となく濃くなった気がしたので月を見ると、それに掛かっていた雲がゆっくりと戻されている。

 それを不思議に思う内に再び風向きは変わり、雲が引き伸ばされて満月の周りに弧を描く。

 かと思えば、月を隠すようにまた風が変わる。

 まるで誰かが和紙に墨を落とし、それを戯れに延ばしているような不自然な天気だ。そのせいで殆ど常に月は朧気なものになっている。これでは月の光で力を得る妖怪の助けにも殆どなっていないだろう。

 そんな事を考えて空を見上げていた魔理沙は、自らを囲うように煙が立ち込めている事に気付いていない。

 次の瞬間、魔理沙はその油断の代償を支払う事となった。


 煙の柱を突き破り、美鈴が魔理沙目掛けて強襲する。

 声を掛ける義理などない。勝負が始まれば卑怯も何もない。背後から無音で近付くと、魔理沙の背中を蹴り、彼女を煙の中へ押し飛ばした。

 妙に手加減されていたのか、煙の中で咽びながらも、魔理沙は大して痛くない背中を擦る。


「痛くないでしょう? 当然よ。武術は空中で使うものでも、背後を襲うものでもないのだから」


 近くで美鈴の声がするが、魔理沙にはそれが何処からか分からない。しかし、それでも結果は同じだった。

 美鈴は魔理沙の正面に現れた。この刺激性の煙に耐性を持っているのか、防護用の装備は無い。あわよくば奪ってやろうと考えていた魔理沙だったが、その考えは空しく潰えた。


「空中戦が不利なことは分かっていたから、私はこの作戦を取った。魔理沙にはここで絶対に負けてもらうわ」

「く……、その、理由は……?」

「魔法使いなら水も使えるはずよね。流水は御嬢様達の弱点。霊夢達も厄介だけど、そちらは御嬢様達にも任せられるからどうでもいいわ。私は理不尽に弱点を突かれて、何も出来ずに御嬢様達が負けるところを見たくないの」

「龍泉の、為とかじゃ……」


 龍泉を守る為に戦っているのだと思っていた魔理沙は、喋りにくそうにしながら美鈴に訊ねる。


「彼は良い同僚よ。停滞していた紅魔館に進歩の切欠を与えてくれた。自らの意思で進ませる為に滅私の精神で御嬢様達に接した。その彼が自らの保身ではなく、御嬢様達の事を考えて起こしたのがこの事件なのよ。それなら私がする事なんて決まっているわ」


 紅魔館の面々の中で美鈴だけは、龍泉が負けるつもりである事に気付いていた。

 フランドールから負わされた龍泉の傷の酷さを美鈴は知っているし、何処まで治っているかも体の動かし方から推測出来る。

 龍泉の傷は、まだ完治していない。

 そして、日時を指定出来るにも拘わらず龍泉が最近の満月の夜を選んだ時点で、美鈴は彼が負けるつもりであり、今回の事は誰もが納得する理由を作る為の茶番だと理解していた。

 しかしその上で、美鈴は茶番を続けるのだ。いずれ龍泉の脚本に幸せな破綻が訪れるように、誰もが予想出来ない程の全力を尽くして。


 美鈴は魔理沙の傍に寄ると、魔法の媒体となる八卦炉を魔理沙の手からもぎ取った。


「あ、ちょ、かえ――」


 話す魔理沙の口と鼻を美鈴は片手で封じた。息が出来ず、魔理沙の意識は徐々に混濁する。

 魔理沙は美鈴の腕を掴んで振りほどこうとするが敵わず、ならばと箒による体当たりを試みたが、顎を潰しかねない美鈴の強力な握力によって、その意思は容易く砕かれた。


「安心なさい。殺さないから」


 その優しげな声を最後に、魔理沙の意識は完全な黒に塗り潰された。

 魔法による浮力を失って落ちる箒を足先に乗せ、美鈴は魔理沙を肩に担ぐ。


「ごめんなさいね、龍泉さん。負けさせたくないから、私」


 龍泉の思惑の一つを砕いた実感を得た美鈴の顔は、ふわりとした柔らかさに満ちていた。





 紅魔館の正門で、霊夢と紫は気絶した魔理沙が腕を縄で縛られて座らされているのを目にした。近くでアリスも現実逃避をするように遠くを見詰めながら座っている。

 平時なら霊夢は直ぐに駆け付けただろうが、今は妖怪退治の真っ只中だ。

 俄に起こる友情を抑え、犯人と見られる美鈴に霊夢は向き合う。


「退治に来たわよ」

「……そう」


 美鈴は背を預けていた門扉から離れた。引き締められた声からはどのような感情も見えてこない。


「紫。悪いけど、暫く預かっていて」


 霊夢は紫に御祓い棒を投げ、美鈴と同じ地上に足を着ける。受け取ったかどうかは確認せず、体の調子を確かめるように指を開閉しながら、美鈴に歩み寄る。

 霊夢と美鈴。二人の視線が交差し、炸裂する。


「体術勝負といきましょうか」

「そうね。そうしましょう」


 霊夢の提案に乗る形で、再び戦いは始まった。

 倒すべき相手。倒されるかもしれない相手。

 それを深く意識した二人は油断なく拳を握り込む。


 一歩目を先に踏み出すのは美鈴。彼女は有利な体格差を意識し、長さと重みを生かして拳を振るう。

 妖怪としての格が決して高くなく、人間とそう変わらない強さの美鈴ではあるが、彼女が武術を培った年月は人間の寿命を軽く凌駕している。

 加減されているとはいえ、一撃で意識を消し飛ばしかねないそれに対し、霊夢は迫り来る拳の手首へと浅く手刀を入れた。

 軌道が擦れ、美鈴に痺れを与える。

 そして、微かに開いた隙間へと霊夢は前進。間合いの内側へ潜り込み、美鈴の鳩尾へ折り畳んだ肘を鋭く打ち込む。

 薄の時と同様に最大限の霊力を纏わせたそれは、美鈴に身を焼くような苦痛を与えた。

 しかし、美鈴は叫ばない。苦痛を奥歯で噛み潰し、霊夢の肩を両手で固く掴まえる。

 頭突き。


「ぬ、むぅ……」


 額に額をぶつけられた霊夢が怯む。

 美鈴はそれをもう一度試みるが、意趣返しのつもりか、霊夢は痛む額を無理矢理に美鈴の鼻っ柱へ打ち込んだ。

 滴る血の感覚に美鈴は思わず片手をやってしまう。

 もう片方の手でも充分に霊夢を抑えられると考えていた美鈴だったが、それは完全な失策だった。

 霊夢は自由の利く半身を目一杯捻り、その力を爆発させるようにして美鈴の顎を殴り抜いた。

 頭蓋と共に脳が揺らされ、美鈴は一瞬だけ力を失う。


「まだ、だぁ!」


 この程度で負ける訳にはいかない。

 鋼にも勝る意思を持ち、美鈴は意識だけは固持した。

 叫びから一瞬遅れて、霊夢は少し離れた場所へと戻っている。

 いつでも対応出来るように霊夢は体捌きと呼吸を同調させつつ、指先を曲げて美鈴を招いた。

 それに応じ、美鈴は全身に力を入れ、躍動させる。


 ――しかし。


「ぐっ!」


 美鈴は着地に失敗し、霊夢の足元に転がった。

 当然の結果だった。

 美鈴の体からは治療の為に発散される筈の妖力が出ていない。

 つまり、霊夢の霊力は力を減じる事なく、その全てを美鈴の肉体を抑え込む為に働いたのだ。


「くっそ……! 私は、まだ!」


 地面に這いつくばり、尚も美鈴は戦いを望んだ。その望みとは裏腹に、全身にもう殆ど力は入らない。苦痛も感じない程に全身へ麻痺が広がりつつある。

 霊夢はそれを冷徹に見下ろしたまま、片手で印を結ぶ。

 美鈴の体を立方体の結界が包んだ。


「……元気が無いと思ってたけど、やはり妖力切れだったわね。無傷に見えたけど、実際は魔理沙の攻撃で一気に持っていかれてたんでしょう」


 霊夢の推理に、美鈴は残された僅かな力で唇を噛んだ。

 煙を掻き消した魔理沙の光線に命中してしまった事を、無言のままに後悔した。


「どうやら、そのようね」


 霊夢は美鈴を放置し、魔理沙の元へ向かった。

 屈んで縄を解き、意識を失った魔理沙の頬を悪戯半分で引っ張り、当分起きそうにない事を確認する。

 溜め息と共に立ち上がり、気の毒そうな表情で美鈴を見るアリスに呼び掛けた。


「アリス。魔理沙が起きたら言っといて。帰れ、って」


 嫌悪感に満ちた視線が移動する。


「……それ、つまり魔理沙が起きるまで私にここへ残れって意味よね。妖怪退治とか本当に興味ないから早く帰りたいんだけど」

「別に引き摺って魔理沙の家なりアリスの家なりに連れていっても構わないわよ。でも、魔理沙がこれ以上関わるのは止めておいて。多分、魔理沙に解決は無理だから」


 解決という言葉にアリスはニュアンスの違いを感じた。


「退治なら魔理沙でも出来るわよ。今回は相性と運が悪かっただけ」

「そうね。出来るでしょうね。でもまあ、分かりやすく言うと邪魔なの。相方が特に準備もしてないあんたの時点で魔理沙が遊び感覚なのは明白なのよ。ぶっちゃけ、適当な考えだと事故を装って殺されると思うわ」

「……それで死ぬなら魔理沙も本望なんじゃない?」

「後味悪いから私は御免よ。それじゃあ、任せたからね。行くわよ、紫」


 霊夢は紫から御払い棒を返してもらい、門扉を開けようとし――。


 ざわり、と。神経を撫でた気配に振り返る。


「……まだ、通させる、ものかっ!」


 美鈴が、立っていた。

 立って、拳を握り。

 霊夢が作った結界を、一撃で殴り壊した。


 決意の風を受け、赤髪が美しく翻る。





 まだ終われない。まだ終わらせない。

 そう、美鈴は強く願う。

 脳裏には同僚である龍泉の姿が浮かぶ。

 妖怪の癖に、男の癖に、細く小柄な姿。

 しかしそれでも、文字通り滅私の精神で、美鈴にとって家族同然のレミリアとフランドールに新たな道を開かせたのだ。

 失う訳にも、奪わせる訳にも、いかなかった。


 結界を破壊した時点で、美鈴は動けなくなっていてもおかしくなかった。

 既に勝敗は決している。

 全身に麻痺と痛みが残り、更には結界を破壊する為に利き手の拳を潰した美鈴。

 それに対して、怪我とも呼べないような浅い傷しか負っていない霊夢と未だ一つも消耗していない紫。

 勝てる筈が無いのだ。


 ――しかし、それは美鈴に限った場合の話。


 ここで自分は負けてもいい。皆で勝てばいい。

 だからこそ、せめて一撃を。

 全力の、一撃を。


 美鈴は走り出した。体がどうなろうと最早知った事ではない。地面に足が躓いても、強引にそれを抉りながら走る。

 霊夢は門を背にし、守るように紫の前に立った。この事件の一番最後で龍泉と戦う彼女は、どうやら霊夢にとって絶対に守らなければならない存在となっているらしい。

 そんな事、美鈴には関係無い。

 殴れればそれでいい。


 遅く、それでいて脆く感じさせる疾走の果てに、遂に美鈴の拳は霊夢の頬に届いた。

 しかし、拳に感じるのは柔らかい感触。

 今の美鈴の全力では、少女の頬を微かに凹ませる事しか出来なかったのだ。

 美鈴は静かに涙を流した。

 その程度しか出来なかったからという理由もある。

 同時に、ただ黙って何もせず、固い表情で殴られた霊夢が無性に許せなかった。


「霊夢……」


 守られた紫が茫然として呟く。

 紫にとっても、意外な出来事だった。

 よりによって博麗の巫女が妖怪を守り、そして無抵抗で攻撃を受け止めるとは、俄に信じられなかった。


「美鈴。私は今回の事件がどんなものかは知らないわ。龍泉を退治する。その障害は逐次排除する。そのくらいしか知らされていない。

 でもね。私は私がした事で妖怪でも人間でも、誰かを不幸にさせるつもりなんて更々無いわ。それが解決なのよ、私にとってはね。

 だから、安心なさい。あんたが気に病んでいる事は全て、この私が丸く収めてあげるから」


 霊夢はそう諭す。勝負の為に引き締めた表情でありながら、そこには何処かしら見る者に安息を覚えさせる優しさが存在していた。

 だから、美鈴は泣き止んだ。


「皆を……、御願い、します……」


 張り詰めていた緊張を失い、美鈴の体はその姿勢を保ったまま、ゆっくりと横に倒れる。

 霊夢はその体を受け止めて、静かに横たわせた。


「――美鈴さん!」


 すると、篝火の周りで待機していた大量の妖精メイドが現れた。その内の二人が美鈴の体を持ち上げて離れた場所へ運び、残りは霊夢達や魔理沙達を囲む。


「あっと、ギブよ。降参。私は戦わないわ」


 さらっと両手を肩まで上げたアリスと気を失ったままの魔理沙からは離れ、メイド達は霊夢達への包囲を更に厚くした。


「降伏しなさい。幾ら巫女でも、私達数十体を相手にして無事では済まないわよ」


 ナイフを構えて、メイドの一人が果敢にも霊夢を脅した。

 確かに数十体が自らの死をも恐れずに特攻を行えば、一太刀くらいは受けるだろう。そうでなくても一体一体を倒す事は今後も考えれば避けたいところだ。

 霊夢は紫に近付き、そっと耳打ちした。


「……紫。館の中にスキマを開けて」

「そんな事をしても飛んでくるナイフが多くて――」

「鈍いわね。普段のあんたなら今の言葉だけで気付いた筈よ」


 混乱が尾を引いていた紫だったが、一拍置いて霊夢の意図に気付いたようだ。

 凛と顔を引き締め、強く頷く。


「私が門を開ける。その間に」

「ええ、分かったわ」

「――行くわよ」


 霊夢は門を押す。向こう側には庭が見えるが、邪魔者は見えない。


「行かせるものか!」


 メイド達は突撃する。それを薙ぎ払うように、紫は無数のスキマを自らの周りに開いた。

 そこから飛び出るのは銀のナイフ。

 そして、その向かう先はメイド達。

 彼女達は驚きで回避する事も忘れ、その場でそれらを弾き落とした。

 スキマ越しにメイドとメイドの目が合う。

 奇襲を封じる為に配置していた事が、全くの裏目に出てしまった形だった。


 その隙に霊夢達は庭を通り、玄関を蹴破って紅魔館内に突入する。

 二人の表情は今までの何処か抜けていたものから、鋭いものへと変化している。

 絶対に解決しなければならない。

 その重い使命を確かに背負い、二人は飛翔する。

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