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東方朧観簿  作者: 庶民
第一章
2/59

其の二、獣道

 私が歩いている獣道だが、獣道である以上、これを作った獣がいるのは当たり前の話である。そして、その獣が妖怪であっても、幻想郷ではおかしくないのだ。

 何が言いたいかと言うと、今の私は妖怪に襲われ、全力で逃げている真っ最中だった。


「あぁ、くそ!」


 走りながら木の枝を掴み折り、鞭のようにしならせ、背後から迫る妖怪へ振り向き様に叩きつける。枝の折れ具合から妖怪の位置を推測し、木の幹を蹴る事で逃走の勢いを反発させて妖怪の隣を走り抜ける。

 先程から、この繰返し。

 私は運良く無傷。妖怪のほうは分からない。

 何せ私には妖怪の姿が何故か見えないのだ。それどころか、臭いも鳴き声も全く分からない。

 動きで揺れる草花を頼りにどうにか存在を察知しているという有り様だ。


「せめて――」


 見えていれば簡単に屠れるのに、と続けようとして、出来なかった。

 距離に余裕があると思っていたのだが、首筋に悪寒が走る。

 ぬめりとした感触が頬に伝わるのと同時、私が反射的に放った裏拳が炸裂した。

 距離が取れた事を祈りながら、妖怪の唾液を服の袖で拭う。


「犬の類いか……」


 足音から四足歩行だとは予想していた。音の間隔が短いので然程大きくないと思っていたが、私の首に口が届くのだから最低でも大型犬程度はあるのだろう。

 故郷の妖怪が見え、幻想郷の妖怪である紫さんも見えたというのに、どうしてこの個体は知覚出来ないのか。

 疑問を抱えつつも、私はがむしゃらに逃げ続けた。

 博麗神社に逃げ込む事も考えたが、守ってくれる保証は無い。そもそも、度重なる方向転換で何処に何があるのかも良く分からなくなった。純粋な速力で劣る為に、妖怪の意欲を削ごうとして翻弄していた事が裏目に出てしまった状態だ。

 踵で小石を蹴りあげて牽制しつつ、木々の合間を縫う。

 音の推移を感じた。

 後ろじゃない。右だ。


「犬にしては小賢しい!」


 足を止める。右へ回り込んでいた妖怪が慣性に流されて前に出た。方向を修正し、跳躍。喉笛狙い。

 地面スレスレまで体勢を屈めた私の上で妖怪の爪が空を掻き、無防備な腹が晒される。

 私は両手で拳を握りしめ、その腹を渾身の力で突き上げた。

 鈍い手応えと共に、虚空から吐瀉物が溢れる。

 私は骨と筋肉を避け、内臓を抉るように拳を更に押し出した。

 宙に浮いた妖怪は何も出来ず、戦慄くように体を震わせると、重心をずらして自ら落ちようとする。

 そうなる前に私は近くの樹木に妖怪を叩きつけた。ずり落ちる体に足を振り上げ、手応えがあるまで蹴り続ける。

 ある程度すれば、骨の折れる感触があった。


「やったか……」


 妖怪は動かなくなったらしいが、姿の見えない私にはどうなっているか分かりようもない。

 念の為に足を一本か二本砕いておこうと大きめの石を手に身を屈めたとき、妖怪は再び牙を剥いた。

 慌てて距離を取りながら、口と思われる部分に石を投げる。しかし、頑丈な筈の石は強靭な顎に噛み砕かれ、妖怪の牙と共に粉々になってしまった。

 私が目を見開く内に妖怪は間合いを詰めてくる。体の損傷は決して軽い物では無いにも関わらず、その動きは殆ど衰えていない事が見えない私にも伺えた。


「おい、そこのお前! 撃つから避けろよ!」


 声が空から降ってきた。私は迷わず、その場所から急いで離脱する。

 次の瞬間、金色の光の柱が空から妖怪に襲いかかり、圧倒的な魔力の前に妖怪の気配は掻き消えた。





 霧雨魔理沙は箒に乗って空を飛び、博麗神社の宴会に向かっていた。

 その途中、彼女は非常に珍しい状況に出くわしていた。


「おっ、やるなあ、あの外来人」


 外来人は妖怪に襲われる。そして、大抵は餌になる。

 魔法について知識を深め、着実に人間から離れつつある魔理沙だが、人間がむざむざ殺されるのを見過ごすような事はまずしない。

 しかし、この時だけは違った。外来人が妖怪と中々良い勝負をしているのである。事情を知らない魔理沙からすれば、外来人のほうが優勢のようにさえ見えていた。


「危なくなったら助けてやるか」


 そう言って、魔理沙はミニ八卦炉と呼ばれる道具を片手に、一人と一匹の争いをのんびりと追いかけた。


「それにしても魅せるなあ、あいつ」


 ギリギリまで近付け、受け身でありながら回避と攻撃を両立する外来人。身体能力に優れたものは感じないが、咄嗟の判断力に優れている。状況認識が遅れがちなのは気になるものの、最終的には的確な動きで場を持たせている。

 その外来人が足を止めた。正面対決のようだ。

 一瞬後、魔理沙の目にははっきりと、外来人の拳が妖怪の腹に突き刺さる様子が見えていた。


「上手いな……」


 魔理沙は外来人を称賛していた。

 頻発していた首狙いの攻撃を誘発させ、巧みに利用し、好機を逃さず勝利する。その駆け引きの強さに僅かながら感動さえ覚えていた。

 しかし、次の動きを目にして考えを改める。

 外来人は油断せずに妖怪を木に叩きつけた。蹴り、蹴り、蹴り。そして、大人しくなった妖怪に石を持って近付く。


「命懸けだもんな。当たり前か」


 頭蓋骨でも砕くのだろうと思って見ていたが、ここで妖怪が反撃した。屈んだ外来人に飛び掛かる。咄嗟の投石を牙が折れるのをものともせず、丸ごと噛み砕いた。

 意表を突かれた外来人の動きが固まる。

 ここが限界だな、と魔理沙は思った。


「おい、そこのお前! 撃つから避けろよ!」


 一人と一匹に叫びながらミニ八卦炉を大地に向ける。どちらか一方では無い。魔理沙はどちらの根性も気に入っていた。

 仮に当たっても死なない程度に威力が抑えられ、それでいて派手で豪快な光線が八卦炉から放たれる。

 両者共に鋭く反応し、避けた。

 外来人はその場に残って警戒を続け、妖怪は全速力で森の中に逃げ去る。

 魔理沙は高度を下げ、外来人の近くに降り立った。

 そして、彼が完全に無傷である事に口笛を一吹きする。


「誰だ?」

「霧雨魔理沙。普通の魔法使いだぜ」


 警戒の色が濃い問いかけに、魔理沙は苦笑しながら答えた。





 箒に乗って空から白黒のエプロンドレスを着た少女が降りてきた。霧雨魔理沙。魔法使いだそうだ。

 人間が空を飛べる事は私の理解の範疇にあった。魔法も同じだ。魔理沙が魔法使いであるとしても、私は全く驚かなかった。

 問題は、私の敵か味方か。

 その事で頭が一杯になっていた。


「あんた、名前は?」

「川上龍泉だよ。助けてくれたのか、ありがとう」

「どういたしましてだぜ」


 魔理沙は屈託の無い笑みを見せた。大丈夫なようだ。少なくとも、私の敵では無いらしい。


「ちょっと見てたけど龍泉は凄いな。こう、ズドンって感じで」

「そうでもないよ」

「いやいや、大したもんだぜ」


 敵では無いが、格上気取りが少しばかり鼻に付く。

 確かに、あの光の前では私に勝ち目は無い。とりあえず適当におだてておく事にする。


「あの光は魔法かな? 何処で習ったんだ?」

「殆ど独学だぜ。パチュリーやアリスにちょっと協力してもらう事はあったけどな」

「独学か。それは凄い」

「誉めても何も出ないぜ」


 言葉とは裏腹に満更でも無い様子で、魔理沙は照れ隠しに帽子の鍔を押さえて顔を隠していた。


「私の事は良いんだ。龍泉はこれからどうするつもりなんだ?」

「どうするって、特に無いけど」

「神社には行ったか?」

「博麗神社には行ったけど」

「なら、霊夢って巫女が居ただろ。あいつから幻想郷についての説明とか外の世界への帰り方とか人間の里への行き方とか教えてもらわなかったのか?」

「ざっくりとなら」

「それで、何を選んだんだ?」

「……人間の里に行こうかな、と」

「それなら方向が違うぜ。この先は魔法の森で、人間の里はあっちだ」


 魔理沙が指で示した方向に目を凝らす。

 空に向かって細く伸びる白煙。正確な場所は詳しく分からなかったが、成る程、あれは人間達の集落だったか。

 早速そちらに向かおうとすると、魔理沙が私を呼び止めた。


「行くのは良いんだが、霊夢から護符とか渡されなかったか?」

「いや、何も」

「……職務怠慢だな、霊夢の奴。護衛しないのなら御守りの一つくらい渡せってんだ」

「喧嘩別れしたようなものだから、霊夢はあまり悪くないよ」

「初対面で喧嘩って……。大人になってきたのに短気すぎるぜ、霊夢……」

「あー……」


 嘆くように面を下げる魔理沙を見て、私は何とも言えない気分になった。

 別に良いか。霊夢が悪い。うん、霊夢が悪い。本当は私に問題があるのだが、面倒なのでそういう事にしておこう。


「よし!」


 何かいきなり魔理沙が元気になった。


「私が龍泉を里まで守ってやるぜ!」

「それは頼もしい」

「まるで他人事みたいだな」

「いやいや全然。ありがたい話だよ。また見えない妖怪に襲われでもしたらどうしようも無いと思っていたところだから」

「はあ?」


 魔理沙は意外そうに口を開けた。


「犬の妖怪だったぜ。見えてなかったのか?」

「見えていたら確実に仕留めて食料にしてたよ。人間を食べる妖怪なら消化出来ない事も無いだろうし」

「見た目の割にワイルドだな」

「……変かな?」

「外来人にしてはな」


 基本的に食は無視して山を歩いていたが、猪や鹿の新鮮な死体を見つければ、その場で食べていた私には至極普通の事のように思えた。しかし、よくよく考えてみれば人間を食った妖怪を食えば結果的に共食いか。

 気味悪がられるかと思って魔理沙の顔色をそれとなく見る。平然としていた。やはり、外の世界と幻想郷では暮らす人間の価値観も異なるのだろうか?


「龍泉って面白い奴だな」

「そうかな?」


 笑ってみせる魔理沙を見て、私は異なる事を実感した。





 幻想郷の説明を受けながら、私は魔理沙に守られて人間の里に向かっていた。

 そこまで気になる程では無かったが、魔理沙は何処か先輩風を吹かせていた。威張り散らす訳では無いので私は真面目に受け答えしていく。その為か、魔理沙の説明はやがて異変と呼ばれる人為的な――妖怪が首謀者である事が多いらしい――超常現象を解決した際の自慢話へと変わっていった。


「スペルカードルールねえ……」


 魔理沙が言った単語を私はゆっくりと復唱した。

 スペルカードルールとは、殺傷力を極力抑えた攻撃で、威力ではなく、攻撃と回避の優雅さを競う行為だそうだ。異変の解決には専らこの方法が採択され、平和的な解決に役立てているらしい。

 空間を広く使う為にスペルカードルールによる決闘は空中での射撃戦が殆どだと言う。私には縁の無い話と思えたが、一応頭の隅に留める事にした。

 深く聞けば、幻想郷の妖怪達の多くが幻想郷の人間の畏怖によって存在を支えられているらしい。しかし、幻想郷の人間はそこまで大勢ではない。下手に人間を殺めれば人口が回復しなくなる恐れがある為に襲えず、かと言って、襲わない妖怪を人間は恐れず、妖怪達は徐々に衰退していく憂き目に遭っていたそうだ。その為、スペルカードルールを設立する事で仮初の敵対関係を構築したらしい。


「筋が良いし、龍泉もスペルカードルールやってみないか?」

「……いや、僕は直接的な話し合いや殴り合いのほうが好きだから」

「そんなんじゃ此処では長生き出来ないぜ」


 すげなく断った私に対して、機嫌の良い魔理沙は咎めたりせず、不敵に笑うだけだった。


「さっきみたいな小細工でどうにかなる場合のほうが少ないんだ。その辺の事はよく考えておくべきだぜ」

「……ああ」


 私は自らの手に視線を落とす。

 擦り傷だらけで血が滲んだ酷い手だ。幼い頃に体に合わない鍬を何度も振るった為に指の関節は太くなり、全体が歪な形をしてしまっている。その癖、肉は殆ど無い。

 この手で妖怪達と正面から渡り歩くのは難しいだろう。人間が相手でも無理かもしれない。舌戦ならば多少はマシになるだろうが、聞く耳を持ってくれなければ意味が無いのだ。


「見えてきたな」


 魔理沙の声に顔を上げると、木製の塀で守りを固めた集落が視界に入った。物見櫓も見えるが、見張りは居ない。さしずめ、人間と妖怪が真っ当に敵対していた頃の名残か。私でも頑張れば飛び越えられそうな板塀も、境界線や害獣対策といった意味合いが強いのだろう。


「それじゃ、私はこの辺で」

「助かったよ」

「困った時はお互い様だぜ。またな!」


 魔理沙は箒に乗って飛び去った。その背中が見えなくなるまで私は手を振り続け、やがて静かに下ろす。

 居なくなって、気付いた事が一つあった。


「魔力を感知出来たのか、私は」


 視界から消えても、私は暫くの間、魔理沙の魔力を追えていた。加えて、魔理沙が威嚇に放った光を魔法だと識別していた事も思い返す。

 霊力や妖力を目にした後なのだから、摩訶不思議な現象に出会った場合、そのどちらかによるものだと捉えるのが自然だ。それに、単純に光るだけなら熱や電気によるものだと捉える事も出来た筈だ。

 なのに、魔力。

 外の世界に無い単語ではないが、この言葉が瞬間的に思い付くのは不自然な気がする。


 よく考えれば、私は霊夢の一風変わった服装を見て巫女だと推察していた。神社というヒントがあったが、それでもそう簡単に分かる服装ではなかったと思う。仮に霊夢があの格好で街中を歩いていたら、殆どの人間は霊夢を巫女だとは思わないだろう。

 ある種の才能なのだろうか、これは。

 私が出来るからといって、そう簡単に才能扱いしてしまうと私は才能の塊になってしまうが。

 第一、この才能があるとしたら、私は今頃自らの正体を少しは悟っている筈だ。他のものの正体を見抜ける癖に自らを知らない。そんな馬鹿げた事が起きている訳が無い。


 ――いや。


「私は……人間ではない、か?」


 確信しかける程の強い予感が、不意に生じた。

 おかしい。四季の風が目まぐるしく季節を入れ替えながら、私の傍を通り抜けたような、妙な感覚だ。上手く言い表せない。

 私は、何処か変だ。

 随分昔からそんな事は知っていたが、何故か今は特に、そうであるような気がする。


「……里の人間を使って実験するか。妖怪を知った今なら、人間である証拠の一つや二つは理解出来るだろう」


 溜め息と共にその結論に達して、私は誰かの目に付くのを嫌い、正規の入り口を使わずに目の前の板塀をよじ登る。


「やっぱり変だよな、私」


 確認するようにごちた声に、私は心の中で首肯した。

 

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