其の十九、兆候
ある日の事である。不意に来客があった。
突然部屋の空間が裂け、そこから紫さんが現れたのだ。
私の面倒を見ていた妖精メイドが紫さんに驚きつつも警戒心を抱き、ナースコール代わりに置いていた笛を直ちに吹き鳴らす。それに応えて廊下から他の妖精メイド達が殺到し、一瞬の内に紫さんは包囲された。
「まあまあ、皆さん落ち着いて。別に取って食おうという訳でもありませんから。個人的な御話があって訪ねただけですよ」
両手を挙げてひらひらとさせる紫さんからは確かに敵意は感じない。妖精メイド達はそれぞれ目で合図を交わし、包囲を崩さずに私の指示を仰ぐ。
そこで私が軽く腕を上げて了承の意を示すと、最初からいた一人を除いてメイド達は部屋から出ていった。
「……宜しければ、二人だけで話したいのですけれども」
「正当な手順を踏まずに来た妖怪の指示に従う訳には参りません。彼は重傷なのです。護衛として残させてもらいます」
紫さんの物言いに屈せず、メイドは毅然として対する。
しかし、私は痛む体を押してベッドに座り込み、そのメイドにも部屋から出るように手を振った。
渋るメイドの肩を押し、部屋から半ば強制的に追い出す。
「御勤め御苦労様」
紫さんがメイドの頭へ触れようとし、私はその手に目掛けて咄嗟にペンを投げ付けた。
見事に命中して落下したそれを紫さんはしげしげと見詰めると、次に柔和な笑みを貼りつかせた私を見て、不思議そうに拾い上げる。
このやり取りを疑わしげに見やるメイドに早く部屋から出るように合図し、扉が閉められると同時に私は紫さんからペンを奪い取り、メモに文章を書き殴った。
『ルーミアをなぜ呪った?』
私は紫さんに再会した時、真っ先にそれを訊ねる事を決めていた。成長を封じる呪い。私の勘ではあるが、先程の行動もメイドに同じ呪いを仕掛けるつもりだったのだろう。
「そんな事より、あなた、喋れないの?」
はぐらかした紫さんに苛立ちを覚え、私は顔を顰めながら頷く。
「それは不便ね。まあ、私がどうこう出来る話ではないのだけれど。龍泉が普通の妖怪なら話は別だったかしらね」
私は次のページに『どうでもいい』と書き、それを見せてからページを戻す。
紫さんは余裕を持って肩を竦めた。
「そう言えばキョンシー掃討の際に一番頑張ったのは龍泉だったわね。欲しいものがあれば用意してあげましょうか?」
『いらん』
「妖刀とかどう? あなたの持つ霊妙で古いだけの刀よりもずっと似合うと思うわよ?」
言葉を書いた紙面をペンで叩く。
「はいはい、面倒ねえ」
私の気を少しも知らずにいる紫さんにさすがに腹が立ち、私は手元にあった枕を投げ付けた。
それを片腕で悠々と受け止めた紫さんは、口から激しく息を吐き出す私の様子を「まるで猫のよう」と評し、枕を私の頭の上にぽすんと乗せる。
「黙っていると案外可愛いわね」
『死ね』
「嫌よ」
『帰れ』
「それも嫌ね」
私は堪えかね、メモ冊子の角で紫さんの額を殴打した。これはどうにか効果があったようであり、彼女は僅かに赤くなった額を手で擦る。
「……意外と本気じゃないのね」
当たり前だと私は頷く。幻想郷の維持をしている紫さんに本気で暴力を振るえる訳がないのだ。
この戯れが傷口に障り、私は痛む体をゆっくりと寝かせる。
いい加減に紫さんも真面目になったようで、捲れていた上掛けを私に被せてから答えた。
「キョンシーの件だけど、彼等の殆どが外来人で、かつ腐敗も殆どしていない新しい死体だと気付いていた?」
私はルーミアの件を書いた紙面を見せる。
「関連しているわ。まあ、気付いていたという事で話を進めるわね。筆談も辛いでしょうから。
ずばり言うと、彼等、あなたの犠牲者なのよ」
紫さんの言葉が私にはまるで分からず、首を傾げる。彼女は構わずに続ける。
「全部で三百にはなるかしらね。幻想郷に迷いこんでから死んだ外来人の数。その殆どにあなたが関与していると私は見ているわ。
あなたの能力は範疇を知るだけだと自分で言っていたけど、それどころじゃなかったようね。少なくとも結界と生態系にあなたの能力が影響を与えている可能性は非常に高いわ。薄とかいう豺の妖怪が強くなったのも外来人が急増したのも、あなたが幻想郷に来てからだから」
根拠としては弱いものだと私には思えた。それを察したのか、紫さんは説明を付け足す。
「この件については何度も時間を掛けて調べてきた。それでも不確定ではあるけれど、概ね正しいでしょう。
私が今回来たのは、それを自らの意思でやっているかどうかの確認よ。
やっているのなら自粛するように頼むし、勝手になっているのならまだ酷くない今の内に制御出来るように手配するわ」
『手配?』
「特性だけで言えば、私が最も龍泉に近しい種族よ。教えられる事も少なくないでしょう。その為には管理しやすいように式神になってもらって、何処か別の場所に暫く居てもらう事になるわ」
『強制?』
「いいえ。……その様子だと能力は制御出来ていないようね。
悪い事は言わないから、私のところに来なさい。周囲に被害を及ぼす前にね。今のところ、影響が出たのは妖怪の中でも最下級のものだけだから実害は無い。でも、もしかしたら、例えばここの吸血鬼のように強大な妖怪にも影響を与えるかもしれない。仮にあなたが実際の原因で無いとしても、候補を絞れるのは大きいの。幻想郷の為だと思って、協力してくれないかしら」
ルーミアに掛けた呪いは私から守る為だったのだろうか。
そのような事を考えながら、私はペンを走らせる。
『今は無理』
「幻想郷がどうなってもいいの? 第二の故郷にしたのでしょう?」
『この世界は好きだ。しかし、私は場所よりも妖怪達を選ぶ。私にはやりたい事がある。しなければならない事がある』
「それは?」
『レミリアが私にとって真の主となるか見極める事。怪我を治し、フランドールをフランと呼ぶ事。他にもあるが、書ききれない』
紫さんはそれを無計画な私事だと捉えたのか、あまりいい顔をしない。しかし、頭ごなしに否定する事はしなかった。
「更に数百の外来人を殺す事になってもいいというの。あなたは少し前まで外の世界の人間社会に暮らしていたのでしょう。友人や家族が死ぬかもしれないわよ」
『気にしない』
「幻想郷の知り合いに影響を及ぼすかもしれない事は?」
『私が今すぐ去れば、皆にレミリアやフランドールから逃げたと思われるかもしれない。それだけは避けたい』
紫さんはそう書かれたメモを読み、傷だらけの私の顔や手を見て、神妙に訊ねる。
「……何が、あったの?」
溜め息をついて、私は書く。
『見れば分かるだろう』
「まがりなりにも妖怪を何十も切り捨てたあなたが怪我をするなんて余程の事よ。声もそれが原因なのね?」
『どうして心配する?』
「まあ、それは……。あなたは友人みたいなものだから」
『対等ではない』
「そうよ。下等な友人。だから心配くらい、私の勝手にさせなさい」
『分かった。上等な友人』
格の差を認識している私は平然と返し、紫さんも同様に平然とする。
しかし、だからといって気を許している訳ではなく、私達の間には奇妙な警戒心が漂い続けている。
「教える気はないのね。分かったわ。式神になる事も含めて、今日のところは引くとしましょう。但し、もし事態が急変すれば予告せずにあなたを連れ去るから、そのつもりで。
まあ、時々だけど来るつもりよ。見舞いついでにね」
スキマを広げ、その中に体を半分入れた紫さんに私は一言書き残す。
『玄関使え』
「こっちのほうが楽なのよ。コツさえ分かればあなたでも出来るかもしれないわよ。どう?」
従いそうにない紫さんの相手が面倒になり、私はそっぽを向いた。それを見て彼女は口許で笑う。
「ところどころ子供っぽいわね。それ、実は私だけに見せているとか?」
私は顔を向けずにメモだけ突き付けた。
『勘違い』
「つまらないわね」
『帰れ』
「はいはい。またね、龍泉」
紫さんの全身がスキマの中に入り、その入り口が閉ざされる。
それを見届けた私は息を吐き、手首を解し始める。会話と同じ量の言葉を読める程度には綺麗に、そして素早く書く事は思っていたよりも大変な作業だったらしい。少しだけだが、熱を持っていた。
それをシーツに当てて冷やしながら、思考は別のものに切り替える。
三百人。存在するだけで私はもう、そんな人数を殺しているのだろうか。
実感は全く湧かなかった。四十は確実に私の手で殺したから慣れてしまったのかもしれない。とにかく、勝手に死んだ人間の責任まで取ろうと思えなかった。
しかし、これが事実ならば、もう私は――。
妖怪ですら、ないのかもしれない。
◇
暫くは、小悪魔から適当に選んでもらった本を片手に余暇を潰す日々が続いた。
彼女から、パチュリーが私の声を取り戻す為の薬を作っていると聞かされた。私の喉は高い確率で自然に治るが、元の声に戻る確率は決して高くないのだそうだ。それを防ぐ為に早期の完治が必要で、パチュリーはそのような薬を作っているらしい。
詳しい事は分からないが、私は声の質に関して何も考えていなかった。本人としては言えるだけで充分なのだ。しかし、他人からすれば声が変わる事は大きな変化であるらしい。
どうにか発声し、酷く濁った声を妖精メイドに聴かれた際、涙を隠すように顔を伏せた彼女を見て、私はその事に気付かされた。
それからというもの、私は発声の練習を完全に止めていた。
声が出ず、傷の治りも妖怪にしては遅い私は当然だが、仕事はさせてもらえなかった。
自力で立てるようになり、血液も失った分は補ったのだが、それでも私は安静を強要された。
これが妖精メイド一人や十人なら文字で説得のしようもあるのだが、紅魔館の殆ど全員から言われてしまったのだから、どうしようもなかったのだ。
その代わり、見舞いの相手にだけは事欠かなかった。筆談の疲労を知っているからか、頻度は少ないが、それでも一日に三回。美鈴や、忙しくて時間の無いメイド長までもが私の元へ訪れていた。
しかし、レミリアだけは一向に来てくれなかった。
部屋の中だけに居ても、彼女の評判が悪化している事くらいは分かった。
誰も彼女に手出ししないように手は打っているつもりだが、どうなる事やら。
何も起こらない事が一番であるが、レミリアに主君らしく配下の不満を制御する姿を見せてほしいとも、私は思っていた。
◇
「来てやったわよ」
夜。レミリアは入室早々、腕を組んで私に言い放った。
その傍若無人ぶりに部屋にいた妖精メイドと、レミリアの直ぐ後から部屋に入ったメイド長が唖然とする。
私は読んでいた本を畳み、座ったままであるが、そんなレミリアに一礼を捧げた。
「早速で悪いけど、チェスの相手でもしてくれないかしら? 何もせずに話すのは、まあ、あれだから」
私はメモを手にした。
『この部屋でなら』
「分かったわ。咲夜、私の部屋からチェス盤を。そこのメイドも手伝ってやりなさい。落とさないよう、ゆっくりでいい」
その突然の指示にメイド長はともかく、メイドは酷く狼狽えていた。
メイド長は「かしこまりました」と言いつつ、動きの悪いメイドを叱責する。
「ぼさっとしてないで、行くわよ」
「え、いや、でも……」
口答えする部下の手を引き、何事か囁くメイド長。大勢の上に立つ彼女だから、上手く説得出来たようだ。メイドは納得したのか素直に部屋から出ていった。
「さて、と」
レミリアは二人きりになった事を確認するかのように呟き、続けた。
「お前がそうなったのは私の責任が大きい訳だけど、どう? 犯人を目の前にして、どんな気分?」
『怪我はフランドール様の責任です』
「そうなると分かっていて私が放置したとしても?」
『変わりません。フランドール様から責任を奪うのなら、話は変わります』
「それはしないわ。あの子の成長に繋がっているのに、奪うなんかしたら本当にお前が無駄死にしただけになるからね」
それならいい。私は体から僅かに力を抜いた。
この様子をじっくりと眺めて、それからレミリアは思案顔で呟く。
「……やはり、謝ったほうが体面としては良いかしら?」
『特に求めるつもりはございません』
「理由は?」
『フランドール様には謝られてもよろしいかもしれませんが、いたずらに姉妹の仲を悪くするだけでしょう。それと、私へ謝るのは筋違いというものです』
例えば、私が死ぬと知っていながら、それを知らせなかった状況があるとする。それで悪いのは、死を回避出来なかった私のほうなのだ。教えてくれていれば助かったとしても、そんなものは最初から期待するべきではない。自分の命は自分で守ってこそ自分の命だと主張出来るのだから。
それと今回の場合は、そう知らされていても私は動いていた可能性が高い。レミリアが私以外を送れば私が死ぬ事は無かったかもしれないが、それなりに丈夫でフランドールとの仲もそう悪くない私が送られたのは、そこまで悪手ではないと今なら判断出来る。
とはいえ、物事はそこまで単純ではない。
『メイド達への機嫌を取るには、形だけでも私に謝る手段が一番楽だとは存じます』
「そうね。場を用意してそれは示しておきましょう。命を軽視する暴君だと見なされたままでは困るからね」
『私が蘇生した時にパチュリー様と一緒にされればよろしかったのに』
「簡単に非を認めると当主としての品格が疑われる。押し通した事なら尚更よ」
『今回に限ってはそれも一つの正論でしょう。しかし、今後は更に良い方法を探して頂きたい』
「今回だけね……。分かったわ。次からはもう少し考えて行動する。面倒を掛けたわね」
『面倒ならば構いません。迷惑でさえなければ』
「ありがとう。そう言ってくれると助かるわ」
レミリアが花のように笑う。不満を一切抱いていないとは言えない私だったが、それだけで許せた。
しかし、レミリアはその表情を陰らせた。私に近寄り、その小さな手でペンを持つ私の手に触れる。
「話せないって、不便ね。我が儘だけど、お前の声が聞きたいわ。……まだ駄目なのでしょうけど」
レミリアの幼い手と、私の痩せた無骨な手。
違いを象徴するそれらを見詰めて、共に何も言えない、静かな時間が続いていく。
「ねえ、私は……。お前の主人に、なれるのかしらね。自信がなくなってきたわ。やる事なす事、全部で苦労させているから」
自殺、虐殺、そして、私の死。
実行したのは私でも、引き金を渡したのはレミリアだった。
――違う。そうではない。
物言えない私はそう伝えたかったが、レミリアはそれを固く信じている様子だった。
「お前の不幸が全て、他人の為にもなっている。皮肉な話よね。お前にも幸せに生きる権利がある筈なのに」
同情で気を引こうとしているのではないかと私の冷静な部分が考える。しかし、仮にそうだとしても、これは嘘偽りのないレミリアの本音であるように私には思えた。
私はペンを手放し、それをメモに挟んで片付ける。
幸せに生きる権利なら、私はもう捨てた。いや、捨てられたのかもしれない。私が外の世界から放逐されたのと同じように。
それでも――、嬉しい事を言ってくれる。
言葉を操れない私は緩やかに首を横に振り、レミリアの手を握る事で感謝を示した。
憂いを帯びた彼女の表情が、ほんの少しだけ明るくなる。しかし。
「……ごめんなさい」
耐え兼ねるように、レミリアは謝った。独善的でいる事を止めていた。
「後悔しないように生きてみようと思ったのに一ヶ月も出来なかった。自らの未熟さを思い知ったわ。全ての行動に誇りと自信を持たないといけないのに、簡単に揺らいでしまうの。こんなのでどうして、龍泉の主人になれると思ったのかしらね」
涙の雫がぽたりと私の手に落ちる。フランドールのものと同じだった。
レミリアは本当はずっと私に謝りたかったのだ。それなのに、私の言葉に従って、今までずっと言えなかったのだろう。
馬鹿だな、と私は思う。立場が逆ではないか。
仮初めの主従関係を今だけは捨て、私はレミリアの頭を抱き、彼女は私の腕の中でさめざめと泣いた。
お互い様だ。どちらも無理を強いていたのだ。
謝られる必要は全くなかったのだが、それでも、レミリアが謝りたいのなら、私はそうさせる。
人情の機微に疎い私でも、謝罪さえ許されない苦しみはよく知っていたからだ。
私はこの子を主人とする事は恐らく出来ないだろう。しかし、許されるならば、私はレミリアとフランドールが成長していくさまを近くで見続けたいと、強く願った。
――それが遠からず出来なくなると、心の底で気付いていながら。




