其の十六、願望
自らを壊れていると自覚していた私でも、五十人近くを惨殺した後では多少の障害が残ってしまった。
人間の形をした首や頭を何事も思わずに眺める癖だ。
流石に不味いと判断した私は、暗示によって治療する事にした。
一般的な善悪観を持たない私にとって、この症状は然程深刻でも無く、以前の調子は直ぐに取り戻せた。
私はやはり妖怪なのだと強く意識した期間だった。
◇
ある日の夜。私はフランドールの部屋を訪ねた。
私はレミリアとの仲は付かず離れずの曖昧な状態だが、フランドールとの仲はそれと比べれば些か疎遠だった。
嫌われている訳ではない。言わばビジネスライクな関係であり、良好とさえ呼べる。用事が無ければ遊びに来いと命令される事もあるが、殺された妖精メイドの回収が最も多く、それもあって個人的な交流はあまり無い。
今回も同じだ。
扉を開けた途端、傷だらけの妖精メイドを投げ付けられ、私は慣れた手付きで受け止めた。メイドは息をしていない。しかし、妖精なのだから暫くすれば生き返るだろうといつものように捉え、私はその死体を抱き抱える。
「お疲れ様です」
聞こえないだろうメイドに小声で労いの言葉を掛け、私はその場を辞そうと踵を返す。
しかし、部屋の中に散らばったメイド服の切れ端を面倒そうに掃除していたフランドールが追加の命令を下した。
「後でもう一度来て。別の用事があるから」
「スペルカードルールは……」
「しないよ。お前としてても詰まらないから。もっと平和的な事。信じていいよ」
「かしこまりました」
メイドを抱いたまま扉を閉め、階段を上がる。
先輩とはいえ、見た目は私よりも幼い少女の妖精。
筋違いな親心が湧くのを抑え、彼女を他のメイドに預けると、私はフランドールの部屋に戻った。
フランドールは片付けを終えたようでベッドに座り、私を手招きした。
私は護身用のナイフを服の上から確認しつつ、その指示に従った。
やや離れた距離で立ち止まった私を怪しそうに眺めてから、フランドールは言った。
「お前さ、最近何かした?」
「何か、とは?」
「無ければ無いでいいけど、妖怪としての箔が付いたって感じでさ。強くない癖に怖いんだよ」
「光栄です」
「誉めてない」
誤魔化したのには理由がある。
実は、フランドールにもキョンシー掃討の件は隠すようにレミリアから言われていた。
フランドールの能力は掃討に向くものの、誤って誰かを壊させない為には彼女を制御出来る者を用意しなければならない。しかし、前回の掃討はその手間が必要な程の出来事では無かったのだ。
終わった今なら明かしてもいいかもしれないが、フランドールは参加させてもらえなかった事に癇癪を起こしかねない。ここは誤魔化すのが一番だった。
「恐れながら、フランドール様。妖怪として、恐怖を抱かれるというのは何も悪い事ではないと私は存じます」
「妖怪に怖がられてどうするのよ。馬鹿じゃないの」
「まあ、その通りでも御座いますが」
「もうそれはいいから。こっち来て」
フランドールは機嫌を悪くした様子で隣に座るように指示する。
気が進まなかったが、私は大人しく従った。
腰掛けた私の顔を見詰めて、フランドールが言う。
「ぶっちゃけ私の事を怖がってないじゃん、龍泉って」
「そうですね」
「何回か壊そうとしたのに」
「奇遇ですね。私もです」
「……お互い様だなんて言わないわよ」
フランドールは溜め息を吐く。
「そんな事も良いんだよ。私は別の話をしたかったんだから。単刀直入に訊くわ。龍泉って本気出さないのはどうしてなの?」
「本気……?」
「空を飛ばない。術を使わない。幾らなんでも手加減しすぎなのよ。折角の壊れにくい玩具なのに、そんなのだからスペルカードルールで戦っても面白くない。そもそも、スペルカードだって一枚も作ってないんでしょ」
「出来ないのですから仕方無いのです」
「嘘。出来るはずよ。少なくとも空を飛ぶくらいなら」
「出来ませんよ」
「なぜ?」
「私はピーターパンではございませんから」
「……はあ?」
フランドールが素頓狂な声を出し、続いて納得したように傾げていた首を縦に振る。
「そうか。それだとあれね。妖精の粉でも掛けたら飛ぶのね。今すぐ粉々に壊して持ってくるわ」
「お待ち下さい。これは原理の問題では無く、心理の問題なのです。幾ら妖精達の命が軽いとはいえ、あまり殺しにいかないで下さい」
私は立ち上がり、飛び出していきそうになるフランドールの肩を掴んで引き留めた。吸血鬼の力の前にはこのような行動は単なる意思表示に過ぎないのだが、彼女は素直に立ち止まった。
「確かに、手加減に見えても仕方無い事ではあります。しかし、私は私の信念に基づいた行動をしております。改める事は断じて御座いません」
「私への労りとか考えているの?」
「違いますが、折角なのでそういう事にしておいて下さっても構いません」
「……龍泉って、たまに無礼な事をさらっと言うよね。要らない世話なら突っぱねるつもりだったけど。あーあ」
フランドールはベッドに戻り、そのまま横になって私に背中を向けた。
「用事は済んだし、もう戻っていいよ」
「拗ねてらっしゃいますか?」
「別に。仕事あるんでしょ。咲夜に怒られる前に戻れば?」
「どうせ戻ったところでレミリア様の遊び相手かパチュリー様の話し相手なのですがね。夜になると私の仕事なんて殆ど残っておりませんので」
「ぐだぐだ長いね。一緒に居たいの?」
「邪魔だと仰るのなら下がります」
「あっそ。邪魔」
――やれやれ。
「もう少し愛想を使われる事をお勧めしますよ、フランドール様。そのほうが可愛いげがあります」
「分かってる。でも、言われたくない」
「そうですか」
私は大人しく部屋を出ようとする。しかし、私が扉に手を掛けると同時に、邪魔だと言ったフランドールが背中を向けたまま尋ねてきた。
「確認だけど、龍泉は私が怖い?」
「さて、どうでしょうかね。死ぬのよりは怖くないです」
「死ぬ以外で」
「死なれるよりは怖くないです」
「それ以外」
「裏切るよりは――」
「比較するのなら行為じゃなくて物体で!」
癇癪を起こしそうになっているフランドールを見遣り、私は扉から手を離して彼女の背中と向き合った。
「真面目に申しておきますよ、フランドール様。貴女様は貴女自身が思われている以上に誰からも怖れられておりません。確かにメイド長や妖精メイドの一部は怖れております。ルーミアも怖れました。しかし――」
「うるさい……」
フランドールの震える声に私は閉口する。
本当は何を言えばいいのか、フランドールは何を言われたいのか、それらを私なりに知っている上で黙る。
「うるさい! 黙れ、出ていけ!」
そして、続けられる言葉を聞いて、私は黙って部屋を出る事にした。
「うー……」
フランドールは所在無さげに背中の翼を揺らしつつ、身を守るように体を丸めていた。
◆
フランドールは起き上がった。自分だけの部屋で頭を振り、出来るだけ落ち着こうとする。
彼女は嫌だったのだ。出会って一ヶ月も経たない妖怪に自分や周囲の心を、たとえ正しい捉え方だとしても、解説されたくなどなかった。
怖いと思われる事がどれだけ楽か。
フランドールは深呼吸しながら、その事だけを考える。
自分は紅魔館における厄介者だとフランドールは思っている。もしもレミリアとの血の繋がりがなければ既に死んでいただろうとも思っている。それほど迄に、フランドールは自らの存在意義を見出だしていなかった。
紅魔館を治めるレミリア。家事全般に加えて戦闘もこなす咲夜。膨大な知識を有したパチュリー。仕事に誇りを持っている美鈴。新入りの龍泉でさえ、未熟なりに自らの才能と努力を活かして生きている。
それなのに自分はどうなのか。
レミリアの妹という立場に甘んじ、強大な力で威嚇し、ただ時間を浪費し続けてきただけではないか。
フランドールは吸血鬼。レミリアも吸血鬼。互いに不死に等しい彼女達に一人立ちというものはまず存在しない。しかし、自尊心は存在する。
姉のおまけでは無い。自分は破壊と恐怖の化身。
そのプライドこそが心の拠り所だった。だから、怖くないと言われたくなかったのだ。フランドールにとって、それは無価値の存在だと言われる事に等しかったから。
しかし、もう五百年以上もそのような価値を自らに刷り込んでいたフランドールが、また別の価値を得ようとして動く事は中々難しかった。
自立と依存。
まるで人間の子供が思春期に抱くような悩みにフランドールは悶々とする。
「むー……」
どうすればいいのか。フランドールは誰かに訊こうともせず、自力でその考えに至ろうと腕を組む。
もし、フランドールがこの可愛らしい悩みを素直に吐露したならば、彼女を知る誰もが微笑みながら道を示しただろう。しかし、フランドールはそれこそ依存になると考え、誰にも頼ろうとしない。
思考はぐるぐると巡る。
答えは出ない。
「はあ……」
フランドールは面倒になり、再び体を横にした。
宙ぶらりんの、気分だった。
「家出でもしてみようかな……」
憂いを多く含んだ言葉は誰かに届くことは無く、柔らかいベッドに吸い込まれていった。
◆
フランドールの部屋を出た私はレミリアとのチェスに付き合っていた。
雌雄を決するなどと大層な事を宣ったレミリアは、メイド長やパチュリーや美鈴を引き連れて私に挑んできていた。
メイド長が時間を操って時間を稼ぎ、パチュリーがその間に手を考え、美鈴が私に質問攻めをしてテンポを崩しにかかる。
さしずめ、一対四。
形振り構わない戦略に、私は毒舌を封印して立ち向かっていた。
しかし、あれである。
小さな盤を囲むようにしている四人の女性のなんと楽しそうな事か。
「レミィ、そこのポーンを動かしておけば次の次で確実にナイトかルークが取れるわよ」
「うん? あら、本当ね。助かったわ」
「御嬢様、紅茶の御代わりは?」
「頼んでおくわ。龍泉の分もね」
「かしこまりました」
「そう言えば龍泉さんって将棋もしたりするんですか?」
姦しいとはこの事を指すのだろうと思いながら、パチュリーとレミリアの考えを凌ぐように駒を動かし、私は美鈴の質問に答える。
「取った駒が使える分、チェスよりも頭を使うので仕事の後にしたいとは思いませんが、出来る事は出来ます」
「得意なのはどちらです?」
「比べるのは難しいですが、暇な時に頭の中でチェスをする事もあるので、チェスのほうが得意かもしれませんね。――さて」
三人寄らば文殊の知恵とも言うが、これに限っては私も文殊を越えたのでは無かろうか。
十重二十重の思惑を私自身も驚く奇の一手で挫くというのは、中々爽快な気分である。
それなりに心得がある全員が、程度の差こそあれ、目を見張った。
「……詰み、ね」
数手先にある敗北を見て、レミリアが残念そうに呟いた。
「これで勝率は五分と。容赦が無くなってきたわね」
「私は手加減をした事など一度も御座いませんよ?」
「嘘臭い」
「数百年の知恵を数十年の知恵で破れば嘘臭くもなります。それで、どうなされますか? あと一局だけならお付き合い致しますが」
「……まあ、良いところまでいったのだし、もう一回やってみるわ」
「かしこまりました。先手は?」
「また私がするわ」
「そうですか」
私達は駒を並べ直し始める。すると、レミリアが何でもなさそうに言った。
「今度こそ素直に勝ちたいから気になる事を片付けておきたいのだけど……」
そこで口籠もった。言葉を探すように視線をさ迷わせてから、レミリアは続ける。
「……私がフランを閉じ込めている事、どう思っている?」
瞬間、部屋の雰囲気が固まる。
しかし、私は空気を読まずに苦笑。レミリア以外に無言で咎められ、手を軽く上げる。
「失礼。やはり姉妹なのだと思いまして」
「どういう意味よ?」
「先程フランドール様から怖いかと訊ねられましてね。そのように他者の印象を気になさるところが実に似ていらっしゃる。……そうですか。それは良かったです」
「勝手に一人で納得されても困るんだけど」
「いやはや、レミリア様は冷血な御方だと最初は思いましたが、成る程、優しい吸血鬼です」
「……はあ?」
そう訝しんで首を傾げる姿もそっくりだ。だが、レミリアはフランドールとは違い、自分の中で勝手に納得したりはしなかった。
「質問の答えになってないわ。どう思っているのか。真面目な質問なんだから、お前もこれに相応しい態度で答えなさい」
私は笑みを消し、真顔で答える。
「どうとも思いません」
「何だと?」
「私が知るのはレミリア様がフランドール様を地下に閉じ込めているという事実のみ。そこに私のイデオロギーを持ち込む余地は御座いません」
「行動理由が分からないから、判断材料が足りなくて考えられない。そういう事ね?」
「見当は付いております。フランドール様は危険ですから分別が付くまで世間に出せなかった」
「その通りよ。分かっているじゃない」
レミリアは皮肉そうに笑うが、それは直ぐに乾いた。
頃合いを見計らってから、私は続ける。
「でしたら、私はそれに賛同致します。私は皮膚を数ヶ所破壊されただけで済みましたが、もしも中枢神経や大動脈を破壊されていれば死んでいた訳ですから。責任を持たない赤の他人である私ですが、だからこそ、無責任に道徳を語るつもりは御座いません」
「それは評価ね。感想ではないわ」
「私にはどちらも同じで御座います。ただ、一言申し上げるならば、レミリア様はその事を後悔されるべきでは御座いません。
必要だと判断なされて行われた事なのでしょう?
それを無駄だ無益だと糾弾しても、それこそ無駄で無益な事でしかありませんので」
「後悔だけが、今の私の苦しみを和らげる唯一の方法だとしても?」
不遜な問い。その奥に見えるものは恐らく彼女の弱さなのだろう。
しかし、彼女の周りには頼もしい親友と従者達が寄り添っている。
私は遠慮しなかった。
「今の貴女に私のようなうわべだけの味方は、本当は必要ないのでは御座いませんか?」
「相変わらず不届きな忠義心ね。しかし……、そうね。必要無い。無粋な質問をして悪かったわね」
「滅相も御座いません」
「だから、お前に心からの忠誠を求めても良いかしら?」
「む……」
それはまだ、出来ない話だった。
私はレミリアを私の主と見なせていない。可能性は見出だしたものの、それだけなのだ。
レミリアは急に黙り込んだ私を見て、頷いた。
「沈黙も答えね。分かるわ。だけど、どんな答えでもクビにはしないから、検討だけはしていて」
「……かしこまりました」
「それじゃあ、二戦目を始めましょうか」
レミリアが駒を動かす。主への強い拘りを抱いた私は釈然としない気分のまま、思考の主軸を目の前の対局へと切り替えた。
◆
レミリアは龍泉との対局に勝利を収めた後、彼を部屋に帰らせ、自らは椅子に凭れ掛かった。
「さっきから静かね」
周囲にいる三名は対局前の会話から口を慎んでいた。繊細な話題が解決しないままに放置され、どう対応すればいいのか分からなかったからだ。
誰もが適切な話題に悩む中、一番先に言葉を発したのはパチュリーだった。
「前から思っていたけど、レミィが龍泉を紅魔館に引き入れた理由って、さっきの事?」
「ええ、赤の他人が欲しかったのよ。別の視点から私達姉妹の問題を観察出来る存在がね。自分で言うのもなんだけど、フランとの関係が異常な事は分かっていたわ。でも、周囲はこの関係を否定しなかったじゃない。フランが危険なのは紛れもない事実だったから当然だったけどね」
「龍泉なら否定すると?」
「そうよ。フランの危険性から周囲よりも一歩離れた存在だから、そうしてくれると思っていた。……でも、あいつ、私が何を言われたいかをはっきり知っている上でわざと断ってきた。あの胆力には驚かされるわね」
自らを不要と言わしめてでも主張を押し付ける。やり方は誉められたものではないが、信念に殉ずるかのような龍泉の行動を、レミリアは奥深いものと捉えていた。
「他人の為なら自分が幾ら苦しくても絶対に後悔してはいけない。それがあいつの求める主の姿なのでしょうね。どんな聖人でさえ思い悩むというのに、理想の高い奴だわ」
聞き心地は良くても、要は永遠に逃げられないという事だ。それがどれ程の苦痛をもたらすか、龍泉が知らない訳では無いだろう。その苦痛に耐え、克服する者でなければ龍泉の主は務まらない。
「でも、良いわ。やってやろうじゃない」
レミリアは宣言する。
龍泉が理想の主を求めるように、レミリアもまた理想の従者を求めていた。
瀟洒な咲夜。気さくな美鈴。そこにもう一人、冷徹な龍泉を置いておくのも悪くない。
静かに、そして不敵に笑うレミリア。
それを見て、一人の親友と二人の従者はレミリアがいつも通りである事に胸を撫で下ろしていた。




