其の十三、使用人
体が持たず、私は地下室から図書館に続く階段の途中で立ち止まる。
皮膚や骨格は無事でも内臓が壊れかけていた。吐血は無いので出血はしていないようだが、どうなっているか詳しく分からない。少なくとも、健康ではないのだろう。
呼吸も拍動も意識しなければ続かず、意識する事も困難なほど、頭が重く感じられた。
それでも、再び歩き出す。
私を顧みる事無く進んでいくレミリアは、まだ見える場所に居る。
待たせてはならないと体を叱咤し、上っていく。
どうにか図書館に辿り着くも、レミリアは足を止めなかった。私も止めなかった。
そんなレミリアのもとへパチュリーが。私のもとへはメイド長が。共に慌てた様子で駆け寄る。
「怪我は?」
「大した程じゃありません。ああ、お借りしたナイフを部屋に忘れてきてしまいました。申し訳ありません」
「いえ、替えは充分にありますから……。とりあえず傷は消毒しておきましょう。椅子をお持ちします」
メイド長が言って一瞬後、私の背後に椅子が出現した。私はレミリアがまだ移動しそうにない事を確認し、その椅子に腰を落とす。
目の前で救急箱を開きながら、メイド長が気後れがちに言った。
「服の下は……」
「結構です。首と手にしか傷はありません」
「しかし」
私は緩やかに首を横に振る。
「血は出ていません。あの汚れは落ちにくいですから。骨も折れていませんよ。もし、私の顔色が悪いように見えるのでしたら、それは私が死ぬほど疲れているだけですよ。……頼みますから、静かにしてください」
「すみません……」
叱られた子犬のように静かになったメイド長に傷口を消毒され、包帯を巻かれながら、私はレミリアとパチュリーの様子を見た。二人は何か話し合っているようだが、あまりの疲労で自らの呼吸音が頭に響く今の状態ではとても聞こえそうにない。
「メイド長。レミリア様達が何をおっしゃっているか聞こえますか?」
「妹様の事で話をしているようです」
「それだけですか?」
私は読唇術も少しは出来る。だから、上手く音が拾えなくても口の動きで単語程度は分かる。
メイド長は口を噤んだ。
面倒事だと捉えて、私は疲労回復に努めようとした。
「龍泉が妹様を殺す恐れがあったから御嬢様が止められたのだと、御嬢様がおっしゃられています。それは本当なのですか?」
メイド長が短い沈黙を破る。私は溜め息を一つ漏らした。
実現性はさておき、それは事実だったからだ。
「私が雇われにきた目的は幻想郷での生存です。その事を考えれば、死ぬ寸前になれば殺しにいって当たり前でしょう。今回はレミリア様に助けられましたので未遂で終わりましたが」
「弱いから来たのでは……?」
「その通りです。ですが、殺す前提なら勝算は命を賭ける程度にはありました」
メイド長の治療の手が止まる。主君の妹殺しを仄めかす輩をどうすべきか悩んでいるように見えた。
「問題を起こした事は自覚しております。ですが、私はルーミアを連れてきた責任を負い、私が生きる権利を守ろうとしただけでございます。寛大な処置を御願い申し上げます」
つらつらと、高慢とも受け取られかねない口振りで私は続ける。それを受けてメイド長は暫く黙考し、治療を再開した。
「……御嬢様に助けられたという事は、御嬢様はあなたが妹様を殺す可能性を考えた上で、あえてあなたに攻撃しなかった。そうですね?」
「そういう事に、なりますね……」
言われて、初めて気付いた。レミリアが私を殺せばフランドールが私の手で殺される可能性は完全に消えるのだ。
そうされなかったという事は、私の命は価値があるものだと見なされたからだろう。
「それならば私からの処罰はありません。今日はもう休みなさい」
「レミリア様から呼ばれているのですが……」
「では、そちらを優先して下さい。私の命令よりも御嬢様の命令を今後も優先するように。ですが、今日は必ず休養を。明日もありますので」
「分かりました」
手の傷を覆い隠すように巻かれる包帯を見つめながら、私は治療が終わるのを黙って待った。
そうしていると、パチュリーとの話が終わったらしく、レミリアが気取った足取りで治療中の私に近付いてくる。
椅子に座った私より僅かに背丈が高いだけのレミリアは、その見た目とは反して威圧するように睨みを効かせた。
「そいつの治療はもういい。放っておけ」
レミリアはメイド長を手で払う。メイド長は逡巡したが、私が勝手に巻きかけの包帯を巻いていくと、あっさりとレミリアの後ろへ引き下がった。
「お前が龍泉だな。話は聞いている。まずは、生き急いで妹を殺さなかった事に礼でも言おうか」
嘲笑するレミリア。命の恩人とはいえ、私は彼女に殺意を込めた視線を返す。巻き沿いを食った形でレミリアの後ろにいたパチュリーと咲夜が竦むが、本人は笑って流した。
「恐い恐い。さすがは妖怪。眼だけで脅かすか」
「この度は助けて頂き、ありがとうございます」
「更には殊勝と。面白い生き物だ」
「恐れ入ります」
私は眼を閉じ、殺意を絶つ。
レミリアは詰まらなさそうに頬を膨らました。
「挑発に乗らないのね。食えない奴」
「レミリア様。お戯れは後日幾らでもお付き合いしましょう。しかし、今は単刀直入に話して頂けませんか?」
「ええ、良いでしょうとも」
一瞬見せた可愛いさも、何処か演技臭かった口調も、レミリアは捨てた。
「今回の出来事についてだけど、責任を果たそうとしたお前の行動に免じて、特に罰は与えない事にしたわ」
「では、フランドール様と今後も関わって宜しいのですね?」
私の返事に三人が一様に訝しむ。
命のやり取りをしておいて、それでも関わろうとするのか。
疑念を抱えたレミリアが代表して答えた。
「危害を加えない、加えさせないという事が出来るのなら勝手にするといいわ。でも、理由は?」
「フランドール様を理解したいと思ったからです」
「……簡単に言うわね」
パチュリーが口を挟む。戯言にしか聞こえなかったのだろう。
メイド長が非難するように小声でパチュリーを呼ぶと、彼女はメイド長に対してこそ何かを言いたそうにするも、思い留まって黙り込んだ。
「そう。分かるといいわね」
後ろで意見が別れていたが、レミリアは満足そうに、それでいて曖昧な態度で納得する。
「優れた理解者とは理解した者を指すが、素晴らしき理解者とは理解する意思を持つ者を指す。
私はそういう考えよ。頑張る事ね」
「有り難き御言葉。感謝します、レミリア様」
「ええ、大いに感謝しなさい。崇めてもいいわよ」
「……龍泉。レミィっておだてると無駄に調子に乗るから、その程度にしてあげて」
レミィとはレミリアの愛称だろう。何処か窘める空気を持ったパチュリーの忠告に、メイド長も陰ながら頷く。この事に関しては完全に意気投合しているようだ。
「勿論です。承りました」
「なぁ……!?」
憚らずに言えば、レミリアが怯む。
「ちょっとパチェ」
「何よ」
レミリアがパチュリーと他愛無い喧嘩を始める様子を、私は何処か別世界の出来事のように眺めていた。
二人のキャットファイトを止めようと励むメイド長にささやかな応援を送りつつ、疲れを絞り出すかのように体をだらしなく脱力させる。
苦労の絶えなさそうな職場だと、ぼやけた頭で考えた。
◇
半ば死人のような状態で食堂に向かい、私は食欲が無いのを誤魔化して遅めの昼食を取っていた。
予算の都合なのだろう。紅魔館の従業員の食事は学校の給食と同じような仕組みで、調理班のメイドが全員分をまとめて作るようになっている。
それはこちらとしても楽で良いのだが、作る側も食べる側も今まで女性ばかりで、しかも少女が多かったからだろう。どうにも味付けが甘い。
私も少しは甘党なので寧ろ喜ばしくもあるのだが、疲れた時はもっと塩を振って欲しいところである。
「隣に座っても宜しいですか?」
「ええ、どうぞ」
美鈴も今から昼休憩のようだ。長い付き合いになるかもしれない私と仲良くなろうとしてか、他の席が空いているのにわざわざ隣に来て座る。
青虫が葉を噛むような遅さでパンを咀嚼している私とは対称的に、彼女の食事は意外と早かった。午後から休息を命じられた私と違って、美鈴は時間が限られているのだろう。そう解釈し、私は敢えて会話をせずに食べ進める。
すると、ちらりと私の様子を伺って、美鈴は突如噎せた。
食事を喉に詰まらせでもしたらしく、水をがぶ飲み、落ち着いてから美鈴は言った。
「その包帯はどうしたんですか?」
気付いていなかった事に寧ろ私が驚くが、その辺の事情は隠して包帯に巻かれた手を振る。
「フランドール様とスペルカードルールのようなものをして、その際に出来たものです。見た目よりは軽傷ですから、ご安心ください」
「妹様と? もしかして、ルーミアちゃんも……」
「特に怪我は無い様子でしたよ。上手くあしらったんでしょうね、多分」
食事の前に一度、私はルーミアの部屋を訪ねてみた。眠っていたので部屋に入る事はしなかったが、彼女は無傷だった。怪我をしたのは私と……フランドールだけだ。
怪我が残っていないので忘れていたが、私はフランドールの体にナイフを何本も刺していたのだった。正当防衛のつもりではあるが、彼女はどう思っているのだろう。不安になった所でどうにもならないのだが、そうならざるを得ない。
「とにかく、ルーミアは明日には帰る事になるでしょう。本当なら逃げ出してもおかしくなかったですし、それでもよかったのですが……。情を掛けすぎてしまったのかもしれません」
「かなり懐かれてましたよね」
「吊り橋効果とストックホルム症候群を併発させてしまったのでしょう。放置して自傷を続けさせる訳にもいきませんでしたが、誘拐という方法はやはり駄目ですね」
「え、さらってきたんですか?」
「はい。紛うことなき誘拐ですよ」
「笑顔で言う事じゃないと思いますが……、逃げないんですから満更でもなかったのでしょうね」
美鈴は納得したように呟いて、また勢いよく食べ始める。それにしても、美味しそうに食べる妖怪だ。そういう事が出来るのは、ある種の才能だと私は思う。
「龍泉さんって、御家族は?」
「いましたよ。ですが、まあ……」
「あ。ひょっとして聞いたら不味かったですか?」
「いえ。ただ、向こうは人間でしたし。私は勘当もされておりますし。一応、籍は残っているかもしれませんが、確認する気は遂に起きませんでした」
「すみません。人間の家族から妖怪が生まれたら、それはそうなりますよね」
「いや、勘当は私の性格の問題ですから自業自得です」
食事の手を止めて頭を下げる美鈴に、私は何でもないと手を振った。
私は、私を殺そうとした人間が英雄視される事に耐えられなかった。殺そうとした人間を称える人間があまりにも多すぎた。そして、それは最後までどうにもならなかった。
「そういう美鈴さんは?」
「いません。親もですけどね。生まれつき妖怪だと珍しくないんです。育ての親なら結構いましたよ」
「運が良かったんですね」
「そうですね。今もこうして食にありつけている訳ですから」
そこで自然と会話が終わった。美鈴が空になった食器を持って洗い場に持っていく。
「お先です」
「ええ」
まだゆっくりと食べていた私に挨拶して、美鈴は仕事に戻っていった。
それから暫く経って、私も食事を終える。「ついでに洗う」と言ったメイド達に食器を預けて、自分の部屋に戻ると、何だか一日分の疲れが肩にのし掛かってきた気がして、私はベッドの上に突っ伏した。
「ああ……」
ふと、思いついて頭を上げた。
フランドールのベッドは壊れ、掛け布団等も裂けていた。
それなら、私のこれを渡しても良いような気がする。確か、サイズも同じだった筈だ。
いや、駄目か。
この部屋にある物の殆どが紅魔館からの支給品。つまりは借り物であり、私の所有物では無いのだから。
「……まあ、いいか」
布団を適当に折り畳み、脇に抱えて部屋を出る。怒られるかもしれないが、その時は私が床の上で眠っていれば良い話だろう。
◇
他の従業員の目線を掻い潜り、見つかったら見つかったで堂々とした姿勢で通り過ぎ、特にこれと言った障害も無く、私はフランドールの部屋の前に辿り着いた。
失神したままである事を祈りつつ、扉を少し開けて確認――起きていた。気付かれないように閉める。
これは面倒な事になった。
危害を加えられないという約束を早速破ってしまう予感がする。
しかし、逃げたところで……。
「――フランドール様」
意を決し、扉を叩く。
部屋の中からは苛立たしげな声が返ってくる。
「何の用?」
「替えの寝具を御持ちしました」
「……入れ」
「失礼致します」
刺激しないように一層の無機質さを体に貼り付けて室内に入り、シーツの上に座るフランドールへ頭を下げる。
「申し訳ありませんが、寝台は御用意出来ませんでした。今暫く御待ち下さい」
「御姉様は床で寝ろと言っていたけど、もう許可が下りたのね」
「いいえ、私の独断で御座います」
直後、僅かな喜色を含んでいたフランドールの声が険を帯びる。
「何で持ってきたのよ」
「理由が必要ですか?」
「持ってこない理由なら幾らでも思い付くわ」
その言葉を聞き、私は既視感を覚えた。先生に保護された私も、泊めると仰った彼女に憎たらしくも同じ言葉を吐いたのだ。
自嘲を普段通りの呼吸に混ぜて吹き飛ばし、私は先生の真似をする。
「そうですか。しかし、私には御持ちしない理由が御座いませんでした。
フランドール様が不要だと仰るなら、これはこのまま御下げします。どうなさいますか?」
「良いよ、もう。置いていけば?」
「かしこまりました」
呆れたフランドールの声を受け、私はベッドメイクを始める。ベッドは壊れていたものの、柵が折れている程度でそこまで酷くなかった。ぼろぼろの布団を取り外し、破片を片付けたりしながら、それらを真新しい物と替えていく。
フランドールはその様子を監視するように眺めて、唐突にまた私の破壊に挑戦した。今度は頬に浅い裂傷が走る。私は血が垂れないように布切れを宛がい、そのまま作業を続けた。
「やっぱり無理か。それってどういう仕組みなの?」
「私はもう壊れておりますので」
「うーん? 破片って事?」
「そのように解釈しております」
「それなら破片を全て壊していけば龍泉は壊れるのね? 面倒だけど」
「御諦め下さい」
「言われなくても諦めるよ」
フランドールは肩を竦めると、壊れた玩具箱の中を漁り始めた。
その間に私は布団を敷き終えて、綿の偏りを直し、皺を伸ばす作業に移る。折り目があるだけなのだが、やはり経験不足で作業が遅い。妖精メイドかメイド長にコツを伺わなければいけない事を記憶に留めて、出来る限りの早さで作業を終わらせた。
「完了しました」
「ん。御苦労様」
人形を持って遊び、私へ見向きしないままにフランドールは労いの言葉を発した。そのまま遊び続けているので、私は他に仕事は無いのだろうと踏んで、駄目になった布団を抱えて扉に手を掛ける。
「ありがとね」
去り際、フランドールがそう言った。感謝の念が全く無い、ついでのような言い方で。
「……恐れ入ります」
言葉とは裏腹に、嬉しいとは私も全く思わなかった。
振り返らずに出ていき、扉を閉める。
私は階段を上りながら、駄目になった布団の処理についてだけを考えていた。




