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東方朧観簿  作者: 庶民
第一章
10/59

其の十、紅魔館

 私達が紅魔館に到着すると、そこではスペルカードによる決闘が行われていた。一番派手な組合せは門番の紅美鈴と氷の妖精。その周辺でメイドと野生の妖精同士が同様に戦い合っている。

 後者の争いはメイド達によって直ぐに鎮圧されたが、前者は長引いた。


 飛び交う氷塊を舞いのような動きで掻い潜り、門番は妖精に気で練り上げた弾を散発的に撃ち込む。それを妖精が回避して撃ち返し、門番もまた避け、激しい攻防を繰り返している。本人達の間で私には分からない駆け引きが存在しているのだと思うが、大きな変化も無く惰性的に時間は流れていく。

 だが、暫く観察していると、私にも戦況を理解する事が出来た。

 門番の動きが舞いのようだと感じたが、あれは一定の規則性を持っていたからだろう。回避運動をパターン化していた門番としていなかった妖精では、時間が経つにつれて動きに差が出始めていた。門番は体力の消費を抑えられていたが、妖精は見るからに反応が悪くなっていく。

 勝負の幕切れは呆気なかった。焦れた妖精が弾幕を厚くしようとし、動きが疎かになる。その隙を突く形で門番は撃ち方を変化させ、対応出来なかった妖精は氷塊を生み出す前に撃ち落とされた。


「ちっきしょー! また来てやるー!」


 墜落しながら氷の妖精は再戦を叫び、落下の軌道を修正。湖の方向に飛び去っていく。彼女の仲間だと思われる妖精達もメイドから解放されると、急いで後を追い掛けた。

 メイド達は仕事が遅れる事をぼやきつつ、館内に戻っていく。門番は私達に気付いたようだ。緩やかに高度を落とし、私の前へと降り立った。


「お疲れ様です。本日からお世話になります」

「ああ、はい。宜しくお願いします」


 勝利の清々しさを幾らか漂わせ、門番は笑顔で私と挨拶を交わした。そして、私が連れていたルーミアへ視線を送る。


「えっと、確か、ルーミアちゃん、でしたよね? おはようございます」


 表情を取り繕って言う門番に、ルーミアは頷くだけ。門番がルーミアの頭を撫でようとすると嫌がって私を前に押し出した。


「どうしたんです? ただならない様子ですが」


 心配そうに門番は私に尋ねる。


「怖い妖怪に絡まれていたんですよ。妙な呪いもかけられていまして、一応解呪はしたのですが、一人はまだ不安なようなので連れてきました」

「呪い、ですか?」

「成長を阻害する術のようでした」

「それは可哀想に……」


 門番は憐憫の視線をルーミアに向けたが、ルーミアは顔を合わそうともしない。私の手を強く握って身を縮こませるだけである。


「少し掛け合ってみます。なんなら泊めてあげられるかもしれません」

「ルーミアはそれでいい?」

「……お願いします」


 私に促され、か細い声ではあったが、ルーミアは門番に言葉を返した。その事が嬉しかったのか、門番は笑顔で頷き、私を見る。


「いきなりですみませんけど番を頼みますね」

「御客様がいらっしゃった場合は?」

「今日は来客の予定がありません。もし誰かが来たら、その時は暫く待たせておいてください」

「分かりました」

「お願いしますね」


 それだけ言うと門番は館内に駆け込んだ。私は体を反転させ、紅魔館に背を向ける。


「あ……」


 その勢いでルーミアと繋いでいた手が離れる。ルーミアは私の手を慌てて取ろうとするが、私が肩の高さまで咄嗟に挙げたので、彼女の手は空を掴んだだけだった。


「怖いのは分かるけど、そうやって私に頼り続けるのは駄目だから。今だけならいいけど、ずっと続けられないって事は分かってる?」

「ひどい……」


 ルーミアの瞳に涙が溜まる。

 確かに今言う事ではないかもしれないが、早い内に納得させないと後で困る事になる。

 ルーミアは軽い対人恐怖症になっていた。他者に叩きのめされ、呪われもすればそうなるのも仕方無いが、自力で解決してもらわなければ他に方法が無いのだ。私には協力する余裕が無い。

 しかし。

 子供の涙を見ると、胸の中で虫にのたうち回られるような気分になる。


「……今だけね」


 手を下ろし、ルーミアの頭を優しく撫でると、安心したのか、彼女の目が涙で潤んだ。

 私は仮に殺されかけたとしても相手を恐れる事が無かったので、ルーミアがどのくらい怖かったのかは分からない。相当なものだったという事ですら、彼女が泣いて初めて気付いたくらいだ。


 ――初めて殺されかけたのは、私が五歳の頃だったか。


 幼い私にはそれを死の概念と結びつける事が出来なかった。ただ、教育の一環として痛みを覚えた。様々な体罰を受けても私が真人間へと矯正されなかったのは、それらを罰だと思えなかったからだろう。あれらは全て、私には単なる試練であり、死なない練習でしかなかった。

 時代が流れると世の中はそれを虐待だなんだと騒いで悪だとする風潮が流れたが、私の場合は既に時効であり、単なる虐待にしても特殊過ぎた。特に蒸し返す事もしなかったので、あれはもう、私しか知らない過去である。


 ルーミアは当時の私よりも歳上だろう。妖怪は見た目と年齢が人間の基準とそぐわない場合も多いと聞く。もしかしたら今の私よりもずっと歳上なのかもしれない。

 しかし、彼女は怖くて泣ける。私とは違う。同じで考えてはいけないだろう。


 私は子供の扱いを知らない。死なずにいただけの私は誰かを愛する事も子供を育てる事も意識した時が殆ど無いのだから、余計だ。

 だから、昔の私がしてほしかった事を彼女にする事にした。ずっと良い方法があるのだろうが、私には他に一つも思い付かなかった。


「もっと泣いていいよ」


 我慢している事は私にも分かっていた。だから、私が許した。

 ルーミアは少しだけ声を出すようにして、私の体にしがみついて泣き始めた。

 それを促すように背中を擦り、私はこの子が明るい未来へ進む事を切に願っていた。





 美鈴がルーミアの宿泊許可を得ようと咲夜を探していると、思わぬ人物に出会った。この館の主であり、吸血鬼のレミリア・スカーレットである。本来は夜行性の彼女だったが、陽光に当たらないように身を隠し、数少ない窓から門の様子を眺めていた。視線の先では我が子をあやす親のような姿の龍泉がいる。

 美鈴はレミリアから羨望の気配を感じて、足を止めた。親に依存する年齢と立場ではないレミリアだったが、見た目は十歳程度の少女。やはり、ああいう光景に憧れるのかと美鈴は考える。

 実際には、それは杞憂であったのだが。


「美鈴、彼が?」

「はい」


 レミリアの問い掛けに美鈴は姿勢を正して答える。普段なら美鈴に対してもう少し柔らかな口調であるレミリアだったが、今日は心なしか硬い。


「彼が川上龍泉でございます」

「……そう」


 レミリアは龍泉から視線を切る。誰か分かれば、それだけで良い。そのような態度だ。


「これから眠るわ。彼の事は他のメイドと同等に扱いなさい。男だからって遠慮する必要は無いわ」

「かしこまりました」


 レミリアが寝室に戻ろうとする。美鈴は気に障らないか不安に思いながらも、結局は咲夜を通して話がいくのだからと思い直した。


「御嬢様。ルーミアの事なのですが……」

「あの宵闇の妖怪がどうかした?」

「他の妖怪に襲われたところを龍泉が保護したようなのですが、本日だけでも宿を貸す事を許して頂けるでしょうか?」

「勝手にするといい。顔は知っているし、人喰い程度の不穏な噂しか聞いていないから、目付役も不要でしょう」

「かしこまりました。ありがとうございます」

「もういいかしら?」

「はい」


 去っていくレミリアの後ろ姿を美鈴は見送り、思う。レミリアが龍泉を選んだ理由とは何なのか。

 妖怪喰らいの人間は珍しい。そんな理由だと思いきや、先日に龍泉は新しい妖怪だと知らせても、レミリアは特に落胆する素振りを見せなかった。龍泉を見た今も、感情の起伏を一切見せなかった。

 朝の遅くまで起きて彼の来訪を待っていたのだから、期待はしているのかもしれない。

 それ以上の事は美鈴には分からず、彼女は思考を保留した。窓から門の様子を眺め、苦笑を浮かべる。


「あの二人の間に入るのは、ちょっと勇気が必要ですね……」


 美鈴からすれば、あの光景は優しさに満ちていた。誰もが一度は感じる事が出来る優しさに。それを邪魔するかもしれないと思うと足が竦む。


「まあ、助けに行きますかね。龍泉さんは不器用そうですから」


 龍泉がルーミアを宥める仕草は丁寧だったが、拙かった。全く慣れていない事が一目で分かる。

 美鈴は意を決して、二人のもとに向かった。





 八雲紫は、まるで絵画のような風光明媚な自然の中に建つ自宅にて、龍泉から与えられた敗北の味を噛み締めていた。


 龍泉に掛けた術は彼が頬に爪を立てるまでの僅かな間だけだが機能した。簡単に破壊された事は別に良い。掛かるかどうかを調べたいだけであり、現時点では悪戯だと言い訳出来る程度にわざと弱くしていたからだ。

 だから、彼女が敗北を覚えたのはそれとは別。術が式神として使役する為のものだと見破られた事にあった。

 軽く触れただけで壊れる程に、高度に繊細で複雑な術だったのだ。何も知らない者には術の存在にも気付けず、仮に気付いても触れた瞬間に自壊し、詳細を知られる前に消失するような代物だったのだ。

 それなのに、龍泉は容易く看破してしまった。


「何が全知ではない、よ。何が劣化版よ。知覚に関しては私と同等以上じゃない」


 紫は周囲に誰も居ないのを良い事に不快感を露に呟く。

 紫にとって龍泉は自らに近しいものの、愚かで非力な下等種族。嘲りでもなんでもなく、事実として紫はそう認識していたのだ。それが紫には龍泉の正体さえ掴めず、反対に龍泉には紫の能力まで知られている。

 尤も、それだけならば別に良かった。一番の問題は、龍泉が幻想郷にとって害悪である可能性が高いという事だ。


 龍泉が来て三日目。博麗大結界や周辺妖怪の異常が増大して三日目でもある。紫は龍泉が原因だと確定するまでは調査をするだけに留めておくつもりでいたが、事態は一向に解決へと進まず、多少の焦りを覚え始めていた。

 幸いな事に、個々の変化は然程大きなものではなく、事後対応でも充分に現状を維持出来ており、原因だと推測される龍泉一人で幻想郷が破壊される恐れは無い。

 だが、他の要因が加われば話は変わる。

 幻想郷は何が起きてもおかしくない場所だ。だからこそ、未知の脅威へ対抗出来るよう、既知の脅威には充分な対策を講じていなければならない。そのようにして幻想郷は存続してきたのだ。


 今回、紫はあえて龍泉を逃がした。その目的は実験である。強者が集い、多様な種族が暮らす紅魔館。そこへ新たに属する龍泉がもたらす影響を確かめたかったのだ。

 いまのところ、影響を受けた者は妖怪の中でも弱小の者に限られ、人間や動物や並以上の妖怪には変化が表れていない事が紫は気になっていた。

 切っ掛けが龍泉である事は、ほぼ確実。では、影響が与えられる理由は龍泉にあるのか相手側にあるのか。それがどちらにあるのかで、紫の今後の対応は変わる。


「生け贄、か」


 自らの行いを自覚するように紫は呟く。

 この冷酷な仕打ちに後悔が無いと言えば嘘になる。しかし、紫は幻想郷と紅魔館を秤に掛け、前者を選んだ。もう後戻りは出来ないのだ。

 紫は表情を歪めた。


「蜥蜴の尻尾切りをしているのは、私ね」


 その声を聞く者は、誰も居ない。





「……疲れるな。子供の世話は」


 体験出来て良かったが、こんな事を続けるのは絶対に無理だ。世の中の親や教師といった存在の偉大さを思い知る。

 ルーミアは美鈴が預かった。私から離れた途端にルーミアは泣き止み、今は美鈴に館内を案内されている。私は一人で門番の代理を続けているところだ。


「しかし、これでいいのか?」


 この放置されている状況はあまり好ましくないように思えた。客が来る予定は無いから気楽に構えていいと美鈴は言っていたが、来る予定の無い客が来た場合はどうすればいいのか。幻想郷に来て日の浅い私には誰が重要人物で誰がならず者かの判別は出来ない。もし、間違って要人を必要以上に待たせる無礼を働いてしまったらと思うとぞっとする。


「――ん?」


 不安に駆られて対処法を考えていると、草むらから猫が現れた。里で見た猫だ。狩りをしたらしく、あまり体格の変わらない死んだ兎を咥えている。


「ああ、昔飼ってた猫も同じ事してたな」


 体格差がある鹿にも果敢に襲い掛かったあの子は本当に只の猫だったのか気になるが、当時の私は今より能力を使えなかったので分からなかった。出会って数年後に失踪したので今や知る術も無いのだが、生きているならば化けるくらいはしているのかもしれない。私でも人間を辞められたのだから、あの子にとってその程度は造作も無い事だろう。

 猫は獲物を私に見せびらかしに来た。「頑張ったな」と誉めてやると、猫は草むらに戻り、隠れて兎を貪り始めた。うちの子も同じ事をよくしていたのを思い出す。私には日常的で見慣れた光景である。


「のどかだな……」


 つい、息が漏れる。

 先程見た死体の数から察するに、今も何処かで誰かが死んでいるのだろうが、知った事ではない。

 私は久々の平穏を満喫していた。


「すいません。お待たせしました」


 そうしていたところを、美鈴が戻ってきた。


「何か異常はありませんでしたか?」

「はい。猫が一匹通り掛かった程度です」

「可愛い猫でした?」

「元気一杯の猫でしたね。ルーミアは?」

「用意した部屋の前で別れましたが、まだ館内を散策しているかもしれません。……あの子はもう大丈夫ですよ」


 この大丈夫とは術は掛かっていないという意味と、精神的に持ち直したという意味が含まれているのだろう。私は胸を撫で下ろした。


「そうですか……。それは良かったです、とても」


 それでこそ、苦労して上白沢先生の真似をした甲斐があったというものだ。昨夜の事が無ければ、ルーミアの恐怖を取り除けなかっただろう。

 先生にはいつか必ず恩返しをしなければならないと決意していると、今度は美鈴が息を漏らした。私が尋ねると、彼女は照れ臭そうに答えた。


「なんだか優しい人なんだなって思いまして」

「私がですか? ご冗談を。この程度の優しさなら誰でも持ち合わせていますよ。ただ、皆さんが恥ずかしがってその優しさを表に出したがらないだけです」

「そう言えるのも凄いと思います。……下手な誉めかたで済みません」

「いえ、ありがとうございます。未熟者の私にはそのような言葉さえも勿体無いくらいです」


 先輩である美鈴に対して控え目に受け答えしていると、私は彼女の表情に僅かな忌避の色が表れるのを見た。彼女も妖怪であるらしく、私の刀に掛けられた術が多少効いているようだ。


「その……、この刀の事ですが、恩師からの授かり物なのです。魔を祓う術が施されておりますが、館内へ持ち込んでもよろしいでしょうか?」

「うーん。一応、ここは紅『魔』館なんですけどね……。まあ、弱いですし、大丈夫だと思いますよ。常に持ち歩かれると困りますが」

「では部屋に片付けておけば……」

「はい。済みませんが、それでお願いします」

「分かりました」


 美鈴に一礼し、入れ替わりに館に入る。

 とりあえず、制服を受け取りにメイド長を探す。近くで気怠げに掃除していた妖精メイドに声を掛けると、親切にもメイド長が居ると思われる場所まで案内してもらえる事になった。

 運命の悪戯と呼ぶべきか、彼女は私が面接に来た時に門番の代理を務めていた少女だった。

 薄暗い、目が痛くなりそうな紅色の廊下を二人で歩いていると、彼女は何気無く言葉を発した。


「先日はお早いお帰りでしたね」

「特に用もありませんでしたからね」

「私には、あったのですが」


 然り気無い一言だったが、それは私の心を冷やすには充分だった。何か言いたげだった事を覚えていたのに、当時の私は無視したのを思い出す。


「……それはお気付き出来ず、申し訳ありませんでした」

「いいのです。些細な事でしたから」

「しかし――」

「あまり食い下がらないでくださいまし。たとえ謝罪でも引き際が肝要である事をお忘れなく」

「――以後、気を付けます」


 メイドは居直った私をちらりと見て、また前を向く。


「聞いても仕方無い事ですが……」


 彼女はそう前置きし、おずおずと、恐らくは先日の用件について言い及んだ。


「何故か、貴方には意識を取られる事があります。理由を御存知ではありませんか?」


 突然、私は何も無い場所で躓いた。

 顔には動揺が出ない癖に、体には出やすいこの体質はどうしたものか。

 数歩先で立ち止まり、私の事を心配そうに見やる彼女の姿を見て、勘違いに気付く。

 この質問は至って真面目なもの。何一つ感情が介在しない、半ば事務的な質問である事を。

 一目惚れでは、と容姿を弁えない返事を少しでも考えた自分を、深い吐息で戒める。


「いえ、私には心当たりがありません。一部の妖怪のような、興味を引き付ける魔性があるという訳でもありませんので、単なる偶然かと」

「……やはり、そうとしか考えられないですよね」


 私に質問したのは自らの予想を支える意見が欲しかったからだろう。敢えて私に訊いた理由は私以外では茶化されて終わりだからか。

 メイドは深刻そうに考え、しかし、突然現れたメイド長を目の前にして、誠実さの邪魔となるその思考を躊躇いなく中止した。


「それでは仕事に戻りますので、これにて失礼します」


 整然とした動きでメイドは私とメイド長に頭を下げると、きびきびと元の場所に戻っていく。メイド長は手を軽く挙げて送り、私に向き直った。


「おはようございます」

「おはようございます」


 互いに挨拶を交わして頭を上げ、メイド長は左手にある私の刀に目を止めた。人間である彼女には術の効果は及ばない筈だが、人間である為に刀自体が既に脅威なのだろう。妖怪に負けない忌避感を表にしていた。


「里の恩人から賜った物です。無礼ではありますが、みだりに持ち歩く事は致しませんので、館への持ち込みをお許し下さい」


 恩人という言葉が効いたのだろう。メイド長は鷹揚に頷き、以降は刀に関して触れる事もせず、割り当てた部屋まで私を案内した。


「この部屋の中に服も用意しております。今日は雰囲気に馴れて頂く事と顔合わせが目的なので、そのままの格好でも構いませんが、念のためにサイズが合っているかご確認下さい。私は部屋の外でお待ちしております」


 メイド長の指示に従い、私は部屋に入る。

 一人には広すぎるくらいの部屋にはクローゼットやベッド等の家具が一揃いある。一つだけだが、窓があるので昼間の光量は生活には差し支えない。しかし、夜間は照明が蝋燭しかないので、その事には留意しておかなければならないだろう。

 刀をベッドに立て掛け、クローゼットを開く。

 中には仕立てたばかりと一目で分かる真新しいボーイ服があった。フレンチメイド姿であるメイド達やメイド長を見ていて察しは付いていたが、あまりきっちりとした物ではなかった。礼儀正しい白と黒の隙間から、ある程度のラフさも感じられる。これを着て誠実さを見せるには、心の底からそうでなければ簡単に見破られるだろうと感じつつ、一先ず袖を通した。

 オーダーメイドでもしたかのように、その服は私の体に合った。細いこの体でも、生地の弛みは特に感じられない。ズボンの裾にやや猶予があるが、靴に少し掛かる程度で見た目に然程悪くない。

 肩を回したり足を上げたりしてみたが、動きの邪魔をする引っ張りも感じられなかった。実に完璧な出来映えである。制服ではなく、私服として欲しいくらいだ。

 鏡であらかた整え、そのまま部屋の外に出る。メイド長は私が私服よりも制服を選んだ事を意外に思ったようだが、そのほうが都合が良いのだろう。口には出されなかった。


「では、参りましょう」

「はい」


 服装が変わると一番変わるのは着ている者の精神なのだろう。

 ここで働く。

 今更ではあるが、それを深く実感した私はメイド長にも劣らぬよう、同じように瀟洒に振舞う事を一層心掛けつつ、粛々と彼女の後に付いていった。

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