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言の葉の架け橋

作者: 德薙零己
掲載日:2026/11/02

本作は令和8(2026)年9月から10月にかけて、「いささめ」(https://ameblo.jp/tokunagi-reiki/)にて掲載した小説をまとめた作品です。

今から1200年前の韓国語(新羅語)、中国語(唐語)、および、渤海語の翻訳と発音再現にはAIを用いました。

 承和六(八三九)年の冬、日本海に面した加賀国の海岸線には間もなく春を迎えるはずの柔らかな陽光が降り注いでいた。

 その一角、加賀国の国衙の近くを流れる大川(現在の梯川(かけはしがわ))の川辺で、八歳の春太郎は遊んでいた。

 春太郎は加賀国に赴任した国司の愛息であり、本来ならば平安京の官界に身を置いて、将来就くこととなるであろう役人としての実務や、出世して貴族社会の仲間入りをしたときのことを考えて、詩歌や礼節を学ぶべき立場であるはずであったが、父の国司就任に伴って、都から離れた加賀国に赴いていた。

 春太郎の父は国司といっても、最上級である守(かみ)や、二番手である介(すけ)ではなく、国司の中でも最下層である目(さかん)であったから貴族社会とするには遠かったが、それでも将来の貴族社会は見えていた。春太郎の父は加賀守の源明(みなもとのあきら)が自ら目(さかん)に任命して加賀国へと赴任させた人物であり、加賀国は権中納言藤原良房の推し進めている荘園制の先行地域である。嵯峨天皇の息子である源明は臣籍降下して民間人になったとは言え、無位無官の民間人なわけではなく、加賀守に加え、近江守と大学頭という二つの役職を兼ねている上級貴族である。未来の日本を担う大学生(だいがくしょう)達が学ぶ大学寮のトップでもある源明は、自らが兼職している近江国と加賀国の国司の職務を他者に託すとき、大学寮で優秀な成績を収めた者を選んで派遣することが多かった。そうした者の一人が春太郎の父である。

 当時の日本海沿岸は、一見穏やかに見えても、常に海の向こうからの脅威に晒されていた。新羅の海賊、いわゆる新羅賊(しらぎのぞく)による侵略や略奪は、この七十年間で三度も大規模な衝突を引き起こしており、日本海沿岸だけでなく、日本列島に住む全ての人達にとって、新羅からの襲来は日常的な恐怖であった。海賊らは突如として沖合から現れ、海沿いの集落を急襲し、蓄えられた穀物を奪い、抵抗する者を殺害し、おとなしく従う者を拉致していったのだ。

 春太郎の父が加賀国に赴任した理由も新羅賊への対処が最大の理由であった。貴族社会に身を置く守(かみ)や介(すけ)ではなく、役人である目(さかん)だからこそ、現地の警備と任国の住人の身の安全を確保するための最前線に立つことができる、そう見込まれていた。

 ただ、その見込みは外れた。

 他ならぬ、目(さかん)の息子の身に悲劇が起きてしまったのだ。


 加賀国衙は日本海から少し離れている。現在より内陸に入り組んでいる当時の海岸線でも、海岸から加賀国衙まで五キロメートルほどの距離がある。

 しかし、加賀国衙の南を流れる大川は日本海に繋がっている。平和なときであれば海と少し距離があっても海と繋がっていれば海辺の豊かさを内陸部でも体感できる。だが、平和が失われると海と繋がっていることはかえってマイナスに働く。

 海賊というのは海を航行する船を襲うだけではない。着岸して襲いかかることもあるし、かなりの内陸部にまで攻め込んでくることもある。

 加賀国衙のように海からそのまま船で入りこめる川に近いとあれば、海賊にとって絶好のターゲットとなる。

 春太郎が川辺で遊んでいたまさにそのとき、水平線の向こうに数隻の異質な船影が現れたという知らせが届き、そのすぐ後に着岸して襲撃してきたという知らせが届いた。

 突然現れた船は、日本の遣唐使船のような威厳ある巨船ではなく、荒波を切り裂くように進む、速度と機動力に特化した新羅の快速船であった。しかも、船はさほど大きなものでないために大川を遡って航行できてしまった。

 「賊だ! 新羅賊が来たぞ!」

 誰かの叫び声が聞こえたときにはもう遅かった。

 船から飛び出してきたのは、獣のような咆哮を上げる武装集団であった。彼らは百名単位で部隊を構成し、先陣を切る者たちが刀を振るって襲いかかり、その後衛が盾をも貫く威力の弓矢で援護するという、極めて組織的な戦術を駆使した。

 集落は一瞬にして地獄と化した。海賊たちは民家に火を放ち、牛や馬を殺してその肉を貪り、逃げ惑う人々を次々と捕縛していった。春太郎を守るべき国衙の兵士たちも応戦したが、その数はあまりに少なく、新羅賊の圧倒的な暴力の前に、一人、また一人と砂浜に倒れ、血が波打ち際を赤く染めていった。

 「離せ! 僕は国司の子だぞ!」

 春太郎は小さな拳で自分を担ぎ上げた男の背中を叩いた。しかし、その声は波の音と民衆の悲鳴にかき消された。春太郎を捕らえた海賊の手は岩のように硬く、潮の香りと鉄の匂いが混じり合っていた。

 新羅賊にとって、拉致した人間は「商品」に過ぎない。ある者は労働力として、またある者は性の対象として、奴隷市場に売り飛ばされる運命が待っていた。

 春太郎は荒々しく船へと投げ込まれた。その船には春太郎と同じように拉致された人達が恐怖に震えながら身を寄せ合っていた。

 船が川を下って日本海に出て、岸を離れたそのとき、春太郎の目に映ったのは、燃え盛る故郷の煙と、さっきまで自分たちがいた土地の無惨な姿であった。国司の息子という高貴な身分を象徴する春太郎の衣服は汚れ、引き裂かれていた。


 沖合に出たところで、海賊の首領格の男が春太郎の身なりを改めて検分した。春太郎の首にかけられた守り刀や、上質な絹の肌触りは、春太郎が単なる農民の子ではないことを雄弁に物語っていた。

 「……此(イ)最爾(サイジ)隱(ン)倭(ウェ)官人(クァンイン)矣(ウィ)子(サイジ)伊(イ)安尼(アニ)可(カ)(このサイジは、ウェの役人の息子ではないか)?」

 このときの春太郎は新羅の言葉を知らない。海の向こうに異国があり、異国では言葉が通じないことは知識としてならば知っていたが、具体的にどのような言葉なのかは知らなかった。その言葉を、春太郎ははじめて耳にした。

 春太郎には首領の言葉がわからなかったが、その言葉で船内に動揺が走ったことはわかった。

 当時の日本と新羅の関係は冷え切っており、貴族や役人の子弟を拉致したという事実が公になれば、日本の朝廷が猛然と抗議し、軍事的な報復を招く恐れがあった。海賊たちは、この拉致がもたらす外交的な失態を隠蔽しなければならないと考えた。

 しかし、同時に彼らは狡猾であった。この子供の血筋は、将来的に高い身分金を引き出すための強力なカードになるか、あるいは自分たちの保身のための人質として利用価値があると考えたのである。

 「此(イ)最爾(サイジ)乙(ウル)殺(チュギ)尸(シル)勿(モル)爲(ハ)有羅(イスラ)(このサイジを生かしておけ)。但(タン)倭(ウェ)乙良(ウルラ)忘(ニジュ)爲只(ハギ)羅(ラ)。(だが、ウェのことは忘れさせろ)」

 首領はそのように命じ、新羅賊どもは首領の言葉に従ったが、春太郎は首領の言葉の意味を知らない。

 船は日本海を北上し、霧の深い彼方へと消えていった。八歳の春太郎にとって、それは住み慣れた世界との永遠の別れのように思えた。平安京の霧よりも深く、冷たい海の霧が、春太郎の未来を覆い隠していったのである。

 このときの襲撃で拉致された日本人は三百名を超えていたという記録がある。春太郎もまた、その膨大な被害者の一人として、歴史の表舞台から一時的に抹殺されたのだ。しかし、春太郎の胸の中には、貴族としての矜持と、蓮とともに交わした脱出への執念が、消えることのない火となって灯り続けていた。

 船の櫓が海を掻く音が、絶望のリズムを刻み続ける。春太郎は、遠ざかる日本の島影を瞳に焼き付け、静かに唇を噛み締めた。それは、一人の童子が童子を卒業し、一人の実務家として再生するための血の滲むような通過儀礼であったのかもしれない。


 新羅賊の快速船は、朝鮮半島南西部、黄海沿いの切り立った断崖に隠された秘密の入り江へと滑り込んだ。

 船底の暗闇から引きずり出された八歳の春太郎を待っていたのは、日本で過ごした穏やかな日々とは対極にある、血と鉄の臭いに満ちた世界であった。春太郎を捕らえた男たちの手には、日本の盾をも容易に貫く強靭な弓矢と、使い古された鋭い刀が握られている。

 海賊の首領らしき男が、春太郎の薄汚れた直垂を無造作に掴み、鋭い眼光で検分した。海賊たちは、自分たちが拉致した子供が日本の地方官の愛息であるという事実を掴んで動揺していた。海賊として暴れ回るところまではどうにかなるのは日本側が強く出てきていないからであり、本格的な軍勢を組織したならば間違いなく新羅は負ける。それも国家滅亡の危機すら現実的なほどの、取り返しの付かない敗北が待ち構えている。

 しかし、彼らは同時に冷徹な現実主義者でもあった。この高貴な血筋は、将来的な身代金交渉のカードとして、あるいは新羅王室への献上品として、計り知れない利用価値がある。首領は吐き捨てるように命じた。

 「此最爾乙(イサイジウル)殺尸(チュギシル)勿爲羅(モハラ)(サイジを殺すな)。但(タン)倭矣(ウェウィ)言置(マルト)親矣(チンウィ)顔置(アント)皆(ケ)忘爲只羅(ニジュハギラ)(だが、ウェの言葉も、親の顔も全て忘れさせろ)。自今日(チャクムイル)此者隱(イチャン)只(チ)物伊羅(ムライラ)(今日からこいつは、ただの『商品』だ)」

 船で連れてこられている間、どうやら新羅賊は自分のことを「サイジ」と、日本のことをウェと呼んでいることはわかった。それがどういう意味なのかはわかったのはもう少ししてからのこと。ウェは「倭」、つまり日本のこと、そしてサイジは「最爾」で、本来であれば背の低い人のことであるが、この時代の新羅語では日本人に対する蔑称であったが、ここでは子供の日本人である春太郎を指していた。

 およそ三百名もの老若男女が拉致されたが、運命は四つに分けられ、全員が同じ境遇となったわけではなかった。

 まずは成人および未成年の男性。彼らは肉体労働も目的とする奴隷として売り飛ばされる未来が待っており、一人、また一人とどこかへと売られていった。売られることを拒んだ人達は例外なく殺されていった。

 次に若い女性。ここには幼い女児も含む。彼女達もまた肉体労働を目的とする奴隷として売り飛ばされる未来が待っていたが、彼女達にはここに性の相手をさせられるという未来が待っていた。彼女達もまた、抵抗したら待っているのは死であった。

 三番目に高齢者。奴隷として役に立たないと判断された彼らは早々に捨てられた。この人達は何処かへと連れて行かれ、その後の運命を目にすることはできなかった。

 そして最後が、春太郎のようにカードとして使える立場の者。奴隷として売るよりも他に使い道があると判断されたら、他の者とは隔離され、他の者よりは丁寧に、しかし、人権は最小限に抑えられた暮らしを余儀なくされた。


 新羅賊の快速船から乱暴に引きずり下ろされた春太郎が、砂混じりの冷たい地面に這いつくばりながら放り込まれたのは、切り立った断崖の陰、荒波が牙を剥く海沿いの岩場に組まれた、家畜小屋のような奴隷収容所であった。木柵の隙間からは容赦なく凍てつく潮風が吹き込み、湿った藁の腐臭と人間の汗、そして生きながらにして死を待つ者たちの絶望の匂いが充満している。

 そこは、肉体労働や性の対象としてただちに奴隷市場に売り飛ばされる一般の虜囚とは異なり、いつか高い身代金を引き出すため、あるいは交渉の「カードとして使える商品」と見なされた者たちが集められた、隔離施設であった。ただちに命を奪われることはなかったが、彼らに与えられたのは、泥を啜るような絶望と、明日をも知れぬ飢えだけであった。

 薄暗い小屋の中を見渡せば、そこには実に多様な人間たちがうずくまっていた。衣服の破れた日本人も、誇り高い毛皮を剥ぎ取られた渤海人も、そして端麗な装束を引き裂かれた唐人もいる。彼らは極限の寒さの中、互いの体温だけを分け合うようにして身を寄せ合い、最初は全く通じ合わなかった言葉を、日々を重ねるうちに、身振り手振りと少しずつの響きを交わして、かすかに疎通させ始めていた。

 そこには人生を諦めたような大人たちもいれば、恐怖に瞳を凍らせた若者たちもいた。しかし、その誰もが、少なくとも「商品」としての最低限の価値を成す程度には成長した、肉体を持つ少年少女や大人たちであった。八歳で拉致されてきた春太郎は、この薄暗い泥の牢獄の中で、明らかに最年少のうちの一人であった。

 そんな過酷な空間の中で、春太郎ともう一人の少女だけが、嵐の夜に迷い込んだ雛鳥のように取り残された、無力な幼子であった。

 少女は、他の虜囚たちから少し離れた壁際に、膝を抱えて小さく丸まっていた。かすかに言葉を解する大人たちのうち日本語の話せる者が、新入りである春太郎を憐れむように、小声で彼女の身の上を囁いてくれた。

 「あの子の名は、蓮(れん)というそうだ」

 彼女は、唐の最大にして最も華やかな商業都市である揚州から、商船を襲った賊によって、兄と共に連れ去られてきたのだという。春太郎が一人きりで加賀から拉致されたのに対し、蓮は唯一の肉親である兄と二人、互いの手を握りしめ合ってこの地獄に耐えていた。

 だが、春太郎がこの収容所へ連れてこられるわずか数日前、運命は残酷に彼らを引き裂いた。新羅賊の首領が、労働力として価値のある若手の男性を大量に選別し、どこかへ連れ去っていったのだ。その中に、蓮の兄の姿もあった。引きずり出される間際、兄はすがりつこうとする幼い妹の肩を強く押し、必死の形相で叫んだのだという。

 「勿追我。生、必歸彼揚州(俺を追いかけるな。生きて、何としても、あの揚州へ戻れ)!」

 それが、兄が蓮に遺した最後の言葉であり、蓮が何度の繰り返している言葉であった。

 春太郎は蓮の話す言葉を学ぼうとした。

 「ミュッ・チュイ・ンガ。サン、ピッ・クィ・ピェ・ヤン・チュウ」

 生まれて始めて口にする唐語であった。

 蓮の耳に届いた春太郎の言葉に蓮は驚き、自分と同い年ぐらいの少年が真剣な顔で言葉を学ぼうとしているのがわかった。日本語の発音とアクセントのクセがある唐語であったが、兄が話した最後の言葉をこの少年が繰り返しているのだとはわかった。

 蓮は春太郎と同じ、八歳ほどの年齢であろうか。彼女が今も身に纏っているのは、かつて唐の都会で蝶のように舞っていた頃の、上質な唐絹の衣服であった。しかし、その美しい織物の輝きは泥と汗に汚れ、見る影もなく引き裂かれている。

 何より、その小さな肩を包んでいるのは、怒りでもなく、涙でもなく、ただ世界からすべての光が消え去ってしまったかのような、深すぎる喪失感だけであった。

 春太郎は、自らの内に眠る国司の愛息としての矜持が、彼女の抜け殻のような横顔を見た瞬間、激しく揺さぶられるのを感じた。言葉はまだ通じない。しかし、海の向こうに家族を奪われた二人の幼子の間には、説明のいらない静かな共鳴が、すでに芽生えようとしていた。

 「勿(ミュッ)追(ヂュイ)我(ンガ)。生(サン)、必(ピッ)歸(クィ)彼(ピェ)揚(ヤン)州(チュウ)」

 春太郎は蓮の話す唐語を真剣な顔で繰り返し喋った。


 切り立った断崖の陰に築かれた奴隷収容所の夜は、ただでさえ重苦しい海の霧に包まれ、底冷えがした。木柵の隙間から這い入る凍てつく潮風は、湿った藁の腐臭を掻き混ぜながら、囚われの者たちの肌を容赦なく刺す。

 その不衛生極まりない狭い檻の中で春太郎たち「カードとして使える商品」と見なされた者たちの数は、一人、また一人と、確実に減り続けていた。

 ある者は夜半に突然、看守の乱暴な蹴りによって起こされ、外へと連れ出された。またある者は、昼下がりの気まぐれな選別のなかで、木柵の向こうへ引きずり出されていった。彼らは本当に高い身代金を支払うだけの一族と連絡がついたのか、あるいは、これ以上生かしておいても「商品」としての価値を成さないと非情に判断されたのか、彼らが連れ去られていくその瞬間には、残された者たちには誰一人として、その理由を窺い知ることはできなかった。連れ出される者たちの背中を見送りながら、檻のなかに残された大人たちは、「きっと良い買い手が見つかったのだ」「あの者はまもなく祖国の土を踏めるのだろう」と、互いに言い聞かせるようにして、微かな、しかし虚しい希望を繋ぎ止めていた。

 だが、その甘い幻想が、新羅賊の残虐な現実によって無残に打ち砕かれるまでに、そう多くの日はかからなかった。

 数日後、春太郎は木柵の隙間から、収容所の前を平然と横切っていく看守たちの姿を目にした。彼らが薄汚れた身体の上に身に纏っていたのは、見間違いようのない、あの数日前に檻から連れ出されていった同胞の衣服であった。仕立ての良い麻の直垂(ひたたれ)、あるいは、どこかの国の商人が大切に着ていたであろう、丁寧な刺繍の施された上質な上衣。それを、新羅の看守たちが下卑た笑いを浮かべ、自らの分け前として誇らしげに着古していたのである。

 それだけで、連れ出された人々の身に何が起こったのか、その凄惨な顛末のすべてを理解するに充分であった。用済みとされ、あるいは交渉の望みなしと判断された「商品」は、その衣服の最後の一糸に至るまで徹底的に剥ぎ取られ、肉体はただの肉塊として処理されたのだ。

 いつしか、収容所の入り江の向こう、荒波が複雑に渦巻く黒い海面には、衣服を剥ぎ取られて真っ白に変色した裸の遺体が、ぷかぷかと木の葉のように浮かんでいる光景が、決して珍しくはない日常の絵図となってしまっていた。波打ち際に打ち寄せられ、岩肌に叩きつけられて砂に埋もれていく屍の群れ。それを、看守たちは鼻歌を歌いながら見下ろしていた。

 「次は自分だろうか。それとも、この隣で震えている蓮だろうか」

 八歳の春太郎の小さな胸は、夜を徹して、心臓が張り裂けんばかりの強烈な恐怖心に苛まれていた。目を閉じれば、自分が裸の屍となって冷たい海を漂う幻影が網膜に焼き付き、看守の足音が近づくたびに、隣の蓮の手をちぎれんばかりの強さで握りしめることしかできなかった。

 当然ながら、春太郎の心の奥底には、自分と一緒に加賀の浜辺から拉致されてきた三百人を超える同胞たち、そして、これまで新羅賊によって東アジアのあらゆる海から奪われてきた無辜(むこ)の人々を、一人残らずこの生き地獄から救い出さなければならないという、国司の息子としての強い使命感が宿っていた。彼らの悲鳴をあの日、この耳で聞いたからこそ、見捨てることなどできなかった。

 だが、同時に、八歳の少年の知性は、あまりにも冷徹に己の無力さを突きつけていた。

 「今の僕には、彼らを救い出す実力など、爪の先ほどもない」

 拉致された人々を一人残らず取り戻すためには、まず圧倒的な武力によって新羅賊そのものを制圧せねばならない。さらに、彼らがすでに奴隷市場を通じて、広大な新羅の国内や大唐帝国の果て、あるいは遥か北の地へと売り飛ばしてしまった人々を、その売却先の一つ一つに直接出向いて奪還せねばならないのだ。しかし、ろくに剣も持てぬ子供にとって、そのような力技がどれほど非現実的な、狂気の空想に過ぎないかなど、語るまでもなかった。


 そもそも新羅賊という存在は、規律ある一つの強大な国家組織などではなかった。彼らは、国家権力が衰退の極みに達し、中央の統治能力が完全に失われた新羅の地方において、重税と飢饉から逃れるために自ら武器を手に取った、無数の無法者や不逞の輩が群小の規模で結成した犯罪集団の集合体にすぎなかったのである。

 統制の取れぬ、首領も異なる無数の略奪者の群れ。それを、日本から拉致されてきた外国人である自分が、剣を振るって一つ一つ物理的に叩き潰していくなど、最初から成り立たない無理な話であった。

 では、この絶望の海から、どうやって奪われた命を取り戻せば良いのか?

 春太郎がたどり着いた唯一の、そして最も強靭な「実務的」な答え。

 それは、新羅との「外交」であった。

 新羅の治安の乱れから生じた国内問題なのだから、新羅の国家そのものにその責任を取らせ、新羅の力によって解決させる。

 そのためには、日本が新羅と対等の立場で一対一の外交交渉を重ねる。あるいは、新羅を背後から包囲する北の同盟国である渤海国や、西の大国である大唐帝国と完全に歩調を合わせ、多角的な国際圧力を新羅朝廷へと加え続けるのだ。三国による包囲網によって新羅の政治を揺さぶり、新羅の軍警をして自国の領土内にある海賊の巣窟を徹底的に処罰させ、拉致された日本人のすべてを合法的、かつ確実に救い出させる。

 これこそが、無駄な血を流さずにすべてを奪い返す、最も現実的で、かつ最も壮大な絵図であった。

 だが、この瞬間、奴隷収容所の隅で泥に塗れ、看守の目を盗んで蓮と体温を分け合っているだけの八歳の子供が、これほどまでに緻密で冷徹な地政学的地平を見据えているなど、誰が想像できたであろうか。

 もしこの思索を口にすれば、収容所の大人たちは間違いなく、過酷な現実から逃避するための「幼子の哀れな妄想」として、力なく鼻で笑い、頭を撫でておしまいにするだけであったろう。

 「新羅賊を処罰させる外交など、ただの夢物語だ。僕たちはここで死ぬのを待つしかないのだ」

 そう言って、多くの大人たちが静かに生きる気力を失い、衣服を剥ぎ取られて海へと消えていった。

 しかし、その妄想とするしかない夢物語を、いつか必ず自らの手で実現すべき冷徹な現実の計略として見据え、暗闇の中で牙を研ぐような執念をもって、一人、静かに目を開いていたのは、この牢獄の中で八歳の春太郎ただ一人であったのである。

 少年は、看守たちの足音を聴きながら、その脳裏の白紙の帳面に、いつかこの世界を支配するための「言葉の架け橋」という名の、無敵の戦略を刻み込み始めていた。


 新羅賊たちは、拉致してきた虜囚(りょしゅう)たちを、まるで言葉を解さぬ家畜か、あるいは泥にまみれた石ころであるかのように徹底的に見下していた。

 彼らの薄暗い胸の奥底には、「我らは古き歴史を持ち、文化的にも、地政学的にも周辺諸国より遥かに優れている」という、歪んだ中華意識にも似た強固な蔑視の感情が、雑草の根のように深く張り巡らされていた。彼らにとって、華やかな大唐帝国の人間はともかくとして、海の向こうの極東に浮かぶ「倭」の人間や、北の大地に燻る「渤海」の人間などは、ただ毛皮を貪り、拙い言葉を操る「格下の野蛮人」に過ぎなかったのである。

 たとえ春太郎が、日本の貴族の血を引き、国司の愛息として高貴に育てられた少年であろうとも、ひとたび海賊の張り網にかかり、この牢獄に放り込まれた以上、彼らにとっては名もなき一枚の「商品」に他ならなかった。

 「咄(トル)(おい)!此(イ)倭矣(ウェウィ)最爾伊(サイジイ)(このウェのサイジが)。妨爲飛如(パンハヌィダ)、退爲羅(トェハラ)(邪魔だ、どけ)!」

 看守たちが容赦なく吐き捨てる「サイジ」という言葉が、日本人に対する侮蔑の響きを孕んでいることを、八歳の春太郎はまだ知らなかった。だが、その乾いた声に宿る底知れぬ冷酷さと、自分を人間として扱わない眼差しだけは、幼い胸を刃のように鋭く抉った。

 この地獄のような収容所において、唐の揚州から拉致されてきた少女、蓮は、新羅の言葉も、春太郎の日本語も、少ししか解さなかった。

 しかし、引き裂かれた運命の底に沈む二人の間に、意志を通じ合わせるための「言葉」など、そもそも必要なかったのである。

 彼らを取り囲んでいたのは、新羅の看守たちが気まぐれに振るう、肉を裂くような鞭の音。木柵の隙間から牙を剥いて吹き込む、日本海の凍てつくような夜の冷気。そして、胃の腑(ふ)を焼き尽くすような、明日をも知れぬ飢えの苦しみだけであった。

 昼間は、身を寄せ合っていた大人たちが、一人、また一人と、何の説明もなく看守たちに引きずり出されては、二度と戻ってこなかった。売られていったのか、それとも価値なしとして海へ投げ捨てられたのか。残された者たちの服を、いつの間にか新羅の兵が身に纏っているのを見るたびに、春太郎は声にならない恐怖に身を震わせた。

 大人たちがそのようにして絶望のなかに消えていく中、まだあまりに幼く、労働力としても性の対象としてもすぐには「使い物にならない」春太郎と蓮の二人だけが、皮肉にもその「無力さ」ゆえに、看守たちの監視の目からこぼれ落ち、多少なりとも檻の中で自由に動くことを許されていたのである。

 漆黒の闇が牢獄を支配する夜、二人はただ、嵐に怯える雛鳥のようにぴったりと身を寄せ合い、互いの小さな体温だけを細い糸のように分け合って、凍える夜を幾度も明かした。


 ふと、春太郎は蓮の羽織っている衣服に目を留めた。

 泥と汗に汚れ、無残に引き裂かれてはいたが、それはあの日、加賀の砂浜で見たどのような衣服とも異なる、圧倒的な美しさを秘めた唐絹(からきぬ)であった。月の光を浴びたとき、繊維の奥から立ち上る真珠のような輝きは、彼女がかつて暮らしていた唐の都の、息をのむような繁栄を雄弁に物語っていた。

 春太郎は、自分が日本の国司の息子であり、いずれは平安京のきらびやかな貴族社会の一員になるのだという、かすかな自負を胸に秘めていた。だが、この蓮という少女もまた、大唐帝国の社交界において、誰もが畏敬の念を抱くような高貴な地位にある立場なのではないか、と春太郎は直感した。

 傷つき、翼を折られてなお、少女の立ち振る舞いには、気高い気品が一本の芯のように通っていたからである。

 春太郎は、冷え切った蓮の小さな指をそっと握りしめ、その耳元で、誓うように囁きかけた。

 「……僕は、必ず帰る。君も、一緒に」

 蓮は、不思議そうに濡れた瞳をしばたたかせ、ただ首を傾げた。

 「?」

 その反応を見て、春太郎は自らの拙い教養を総動員した。そして、彼女の兄が引きずり出される間際に叫んだという、あの唐語の響きを脳裏で必死に再現しながら、一文字ずつ噛みしめるように、小さな声で囁き直したのである。

 「我(ンガ)必(ピッ)歸(クィ)。汝(ニョ)亦(イェク)偕(ケイ)」

 春太郎が拙い唐語でその決意を伝えた瞬間、蓮の瞳に、かすかな驚きと、それから熱い光が宿った。彼女は言葉を返す代わりに、力なく、しかし切実な強さで、春太郎の泥だらけの指をきゅっと握り返したのである。

 その温かい感触が手のひらに伝わった瞬間、八歳の春太郎の胸の内で、何かが劇的に弾け飛んだ。

 それは、都の詩歌を諳んじ、優雅な貴族社会の仲間入りを夢見るような、温室育ちの童子としての生温かい矜持ではなかった。この暗黒の海を言葉という武器だけで支配し、運命を切り開いて生き抜くのだという、一人の「冷徹な実務家」としての、血の滲むような覚悟の目覚めであった。

 「生き抜くためには、まず敵を知らなければならない」

 その日から、八歳の少年の凄まじい挑戦が始まった。

 春太郎は、収容所の片隅でうずくまりながら、自分たちを獣のように痛めつける新羅の看守たちが交わす、粗野で荒々しい言葉を必死に盗み聞きし始めた。彼らが酒を酌み交わしながらこぼす、海の気象の呼び名、船の操舵に関する知識、そして警備が緩む時間帯の雑談。それらを、一粒の砂もこぼさぬように耳から吸い込み、自らの脳裏の帳簿に刻み込んでいった。

 それだけではない。牢内に連れてこられた、ツングースの白銀の森の匂いを漂わせる渤海人たちの独特な重厚な響き、そして、蓮をはじめとする大唐帝国の漂流民たちが交わす、滑らかで洗練された揚州の方言に至るまで、春太郎はその「生きた響き」のすべてを驚異的な速さで吸収していったのである。

 当時の日本において、教養とはすなわち「大唐帝国の漢文を、いかに美しく模倣するか」に尽きていた。平安京の貴族たちは、文字としての唐語にこそ熱狂したが、新羅や渤海といった、海を隔てた「蛮国」の生きた話し言葉など、学ぶ価値すらない卑しいものとして完全に無視していたのである。

 しかし、囚われの身となり、自由も、名誉も、家族さえも奪われた春太郎にとって、それらの「泥にまみれた異国の言葉」こそが、新羅の快速船を奪い、死線を超えて、自らの力で未来を切り開くための、世界で唯一の、そして最も強靭な「鍵」に他ならなかったのである。

 少年は、看守の鞭の影に隠れながら、自らの知性を研ぎ澄まし、運命を覆すための「言の葉の架け橋」を、その小さな両手で静かに、しかし確実に紡ぎ始めていた。


 春太郎は驚異的な速さで異国の言葉を吸収していった。それは、海賊たちの操船技術や、拠点の警備の隙を理解するための情報の研磨でもあった。

 新羅の船は、日本の遣唐使船とは比較にならないほど優れていた。船体は頑丈で、荒波を裂くように進む技術は当時の東アジアにおいて抜きん出ていた。春太郎は、看守たちの目を盗んで入り江を観察し、警備が手薄になるタイミングと、どの小舟が最も扱いやすいかを計算し続けた。

 そして、拉致から数ヶ月が経った嵐の夜、ついにその時が訪れた。

 新羅の兵士たちは、通常であれば航海を諦めるような荒天を侮り、酒を酌み交わしていた。降りしきる雨と波の音に紛れ、春太郎は蓮の手を引き、収容所を抜け出したのだ。

 「在(ヅォイ)此(ツィエ)、蓮(レン)。此(ツィエ)舟(チュウ)則(ツォク)可(カ)乘(ジン)風(プン)(こっちだ、蓮。この舟なら、風に乗れる)」

 春太郎が選んだのは、新羅の海賊が連絡用に使っていた、小型ながらも機動力に優れた快速船であった。彼は看守たちがこぼしていた気象の言葉を思い出し、この嵐が北へと向かう追い風になることを確信していた。

 小舟を漕ぎ出す二人の背後に、ようやく異変に気づいた新羅賊の咆哮が響いた。

 「走(タル)去(ケ)如(ダ)(逃げたぞ)! 倭矣(ウェウィ)最爾(サイジ)乙(ウル)捕捉(ザプ)爲羅(ハラ)(ウェのサイジを捕まえろ)!」

 暗闇の中から、新羅自慢の強力な弓矢が放たれた。

 ヒュン、という鋭い風切り音が春太郎の頬を掠めたが、春太郎は怯まなかった。蓮を舟の底に伏せさせ、春太郎は必死に櫓(ろ)を操った。

 「僕たちは、もう商品じゃない!」

 荒れ狂う黒い海が、二人を飲み込もうと牙を剥く。しかし、春太郎の目には、絶望の霧の向こうに、かつて父が語っていた北の友邦国である渤海国の星が微かに輝いているように見えた。

 新羅の追っ手は、嵐の激しさに阻まれ、次第に遠ざかっていった。彼らは、わずか八歳の子供がこの荒海を乗り越えられるはずがないと、高を括(くく)ったのかもしれない。

 しかし、春太郎は止まらなかった。彼の手には、新羅の言葉、唐の知識、そして不屈の執念という、日本の貴族が持ち得なかった新たな武器が握られていた。

 嵐の中、小舟は新羅の支配を脱し、未知なる北の海へと消えていった。


 新羅の秘密拠点から、嵐の混沌に紛れて命懸けで奪取した快速船は、漆黒の闇が支配する荒波を切り裂き、ただひたすらに、北の冷たい黄海を突き進んでいた。

 押し寄せる大波が船体を激しく叩くたび、小舟は木の葉のように宙に舞い、底知れぬ深海へと真っ逆さまに叩き落とされる。容赦なく吹き荒れる強風は、鋭い針となって、八歳の春太郎の剥き出しの皮膚を切り裂いた。春太郎がその小さな両手で必死に握りしめていた木製の櫓には、逃亡の恐怖と極限の緊張、そして繰り返される強引な操作によって、すでに手のひらの皮がずるりと剥け、滲み出た赤黒い血が、乾いた海水と混ざり合ってこびりついていた。

 指の一本一本を動かすたび、火で炙られるような激痛が走る。だが、その手を緩めることは、そのまま漆黒の海へ呑み込まれて死ぬことを意味していた。

 激しい波飛沫に洗われる船底の隅には蓮がうずくまっていた。恐怖に体を固く硬直させ、小刻みに震えながらも蓮は春太郎の足元に必死にしがみついていた。

 時折、波の隙間から吹き抜ける冷たい風が凍てつくような死の静寂を感じさせた。その中でも春太郎の足首に触れている蓮の、小さくも微かに脈打つ体温だけが、冷たい水沫にまみれた朦朧(もうろう)とする意識のなかで、春太郎を現実の世界へと繋ぎ止める唯一の錨(いかり)であった。

 「生、必歸(生きて、必ず帰る)」

 あの日、蓮の兄が遺した最後の叫びを、春太郎は呪文のように何度も喉の奥で繰り返し唱えながら、血の滲む櫓を漕ぎ続けた。

 どれほどの時間が流れただろうか。狂暴なうねりを見せていた黒い海が、次第にその呼吸を和らげ、長く深い溜息を吐き出すかのように凪ぎ始めた。

 やがて、空の境界が、冷たく薄暗い灰色から淡い乳白色へと、静かに溶け出していく。夜が明け、水平線を包み込んでいた重苦しい海の霧が、朝の微光に追われてゆっくりと晴れ渡っていったとき、二人の満身創痍の眼前に現れたのは、息をのむような、圧倒的な「白」の世界であった。

 それは、日本の、あの見慣れた穏やかな松林が続く海岸とも、新羅賊の檻から見上げていた荒々しい断崖とも全く異なる、天と地がすべて雪の結晶によって埋め尽くされた、純白の静寂であった。

 見渡す限りの銀世界が、朝日に照らされて無数の真珠のようにきらきらと冷たい輝きを放っている。海岸線から内陸へと目を向ければ、天を突き刺すかのように黒々と聳(そび)え立つ、針葉樹の深い、原生の森が果てしなく広がっていた。

 そこは「海東の盛国」と周辺諸国から称えられ、当時の日本の朝廷にとっても、新羅を挟み撃ちにするための最大の同盟国であった渤海国の、凍てつく南端の大地であった。


 激しい波濤(はとう)を乗り越えた快速船は、すでに満水近くまで浸水し、海岸の凍りついた砂利の上に力なく乗り上げて、その動きを完全に止めた。寒さと疲労、そして脱水のあまり、春太郎も蓮も、もはや指先一つ動かすことさえできず、ただ寄り添いながら、白い息を吐き出して浅い眠りのなかに沈みかけていた。

 そのとき、雪を踏みしめるザッ、ザッという等間隔の重い足音が、静寂のなかに響いた。

 二人の動けなくなった小舟を見つけたのは、海岸沿いの深い森で、冬に備えて秋の猟を繰り広げていた、靺鞨(まっかつ)族の猟師たちであった。

 彼らは、分厚い熊や虎の毛皮をその身に纏い、手には鋭い鉄の矢尻を番えた強靭な弓を握っていた。その屈強で異質な佇まいは、一見すれば新羅の海賊と変わらぬ恐怖を抱かせるものであった。

 だが、彼らは、新羅の快速船から現れた、泥と血にまみれたボロボロの日本の少年と唐の少女の姿を見るや、その弓をただちに背へと収めた。彼らはこの傷だらけの迷子たちを、異国の卑しい侵略者としてではなく、森の深い懐がもたらした、神からの崇高な授かりもののように、温かく、そして力強い腕でそっと抱き上げた。

 猟師たちは、自分たちの着ていた温かい貂(てん)の毛皮で二人を優しく包み込み、雪山の奥深くにある、赤々と囲炉裏が燃える高床の家へと、慎重に連れ帰った。

 温かいスープが胃の腑を満たし、命の危機を脱した春太郎が、この見知らぬ地で最初に直面した最も高くそびえ立つ障壁、それは、圧倒的な「言葉の壁」であった。

 当時の東アジア世界においては、漢文が知識人や支配階層の共通言語として機能していた。もし、紙と筆があり、お互いに筆談をすることさえできれば、国籍の異なる者同士であっても、自らの意思を正確に疎通させることが可能であったはずである。

 しかし、わずか八歳という極めて幼い年齢で新羅賊によって拉致され、日本での正統な教育を無残に中断された春太郎には、そのような高度な漢文の読み書きといった教養はまだ備わっていなかった。

 春太郎の耳に飛び込んできたのは、蓮の話すような唐の言葉とも、監禁場所で看守たちが浴びせてきた新羅語とも、そして、遥か彼方の霧深き都に置かれてきた、懐かしい日本語とも全く異なる、重厚で、まるで深い森の大地そのものが唸りを上げているかのような響きを持つ、異質な言葉であった。

 それこそが、後の世には誰に引き継がれることもなく、歴史の闇の中へと完全に消滅してしまう運命にある、ツングース系の言語である渤海語であった。


 靺鞨族の猟師の家での、静かで、しかし過酷な雪国での共同生活が始まると、春太郎は、自分たちがこの厳しい北の大地で生き抜くために、そして何よりも、寄り添いながら自分だけを信じて生きている最愛の蓮の身の安全を守るために、彼らの言葉の響きを、耳から貪欲に、一つずつ丁寧に拾い集めるようになった。

 夜、高床の家の中心で赤々と燃える囲炉裏(いろり)の火を囲み、猟師たちが弾んだ声で語り合う、すべての響きに神経を研ぎ澄ませた。

 冬の獲物である貂(てん)や虎の足跡の見分け方、十種類を超える「雪」の細かな状態を表す言葉の差異、そして、遥か北の上京竜泉府《じょうけいりゅうせんふ》の玉座に君臨する、気高い渤海国王大欽茂(だいきんぼ)に対する、彼らの飾らない、素朴ながらも絶対的な忠誠の誓い。

 春太郎はそれらの言葉の音を、乾いた広大な砂漠が、天からもたらされた恵みの雨水を一滴も残さず吸い込むかのような、凄まじい執念をもって、自らの脳裏の帳簿へと刻み込んでいった。

 八歳の春太郎にとって、この異国の言葉の学習は、生きるための単なる便利な実務能力の習得などでは決してなかった。

 それは、新羅の海賊によって暴力的にすべてを奪い去られ、貴族の一員として平安の都で優雅に暮らすはずであった、かつての無力な「春太郎」という仮初めのアイデンティティを、白銀の雪の底へと完全に葬り去るための、冷徹な訣別の儀式であった。

 名誉も後ろ盾もない、この凍てつく異郷の最果てにおいて、自分自身の知性と「言葉」という名の実力だけを唯一の武器とし、自らの手で自らの人生を支配する「一人の強靭な実務家」として、自らを土台から再構築する。

 そして、いつか必ずこの磨き上げた完璧な言葉の盾を携えて、あの新羅の地獄に取り残されて、今も衣服を剥ぎ取られて暗い海を彷徨っている、何百人もの同胞の拉致被害者たちを、自分の力だけで一人残らず救い出してみせる。

 その狂気にも似た壮大な誓いを果たすため、少年は、白銀の静寂が支配する渤海国の大地において、自らの血をインクとし、魂の奥底に「言の葉」の強靭な架け橋を、厳かに、しかし確実に架け始めていたのである。


 本来であれば一刻も早く、蓮を連れて唐に向かいたかった。

 しかし、二つの理由から二人は渤海国に留まり続けなければならなくなっていた。

 一つは新羅の荒廃、もう一つは唐の混迷である。

 当時の新羅は、王室の権威が地に落ち、地方では軍閥や盗賊が群雄割拠する「新羅下代」と呼ばれる衰退期の極みにあった。かつては日本に攻め込むほどの組織的な海軍力を誇ったこの国も、今は内側から腐敗が進み、多くの民衆は重税と大飢饉に喘いでいた。

 「自らが犯罪者とならなければ、犯罪によって命を奪われる」

 それが、当時の新羅社会における生存の鉄則であった。食えなくなった農民は土地を捨て、武器を手にして海賊となり、あるいは生きるために日本や渤海へと逃れる経済難民と化していた。

 皮肉なことに、船に関する技術において、新羅は日本や唐を圧倒していた。東シナ海を東西に、黄海を南北に、そして日本海を縦横無尽に航海し、荒波を切り裂いて進む快速船を操れるのは新羅の船乗りだけであったが、その優れた技術は今や、国家の繁栄のためではなく、近隣諸国への略奪と拉致人身売買のために費やされていた。

 春太郎が渤海を出て海路をとろうとすれば、必ずこの「海賊の巣窟」となった海域を通過せねばならない。未だ幼い少年と少女が、身分を証明する公文書も持たず、略奪が日常化した海に漕ぎ出すことは、死を意味していた。春太郎が雪深い渤海で、貂(てん)の毛皮を扱う技術を学びながら、じっと「時」を待ったのは、この狂気の大海原を渡り切るための知略と、新羅商人をも欺く「完璧な言葉」を身につける必要があったからである。

 一方で、蓮の故郷であり、南の理想郷であるはずの唐帝国もまた、黄昏の時を迎えていた。安史の乱以来、唐の衰退は隠しようもなく、各地の藩鎮(地方豪族)が勝手に軍税を取り立て、中央の命令は空文化していた。

 特に問題となっていたのが、「会昌の廃仏」と呼ばれる過酷な仏教弾圧である。寺院は破壊され、僧侶は還俗を強要され、在唐の外国人への視線も日増しに冷酷なものとなっていた。

 「唐はもはや日本が仰ぎ見るような大国ではない」とは実際に唐に渡って日本へ帰国した者の言葉である。その言葉が示す通り、理想の大国としての唐は地図上から消え、現実の中国大陸にあったのは生活苦に喘ぐ民衆と、歴史の古さだけを誇りにして自尊心を保つ役人たちの姿だけであった。

 渤海から唐へと続く陸路は、藩鎮同士の小競り合いと盗賊の跋扈により、海路以上に危険な「死の道」と化していた。春太郎が愛する蓮を故郷・揚州へ送り届けるためには、この腐りかけた巨木の中を泳ぎ渡るための「現地の生きた知見」を、渤海にやってくる唐の商人たちから吸い尽くさねばならなかった。


 新羅と唐、この二つの大国が混迷に沈む中で、春太郎が身を寄せた渤海国だけが、奇跡的に「海東の盛国」としての秩序を保っていた。日本を一貫して「最大の同盟国」と見なし、新羅を挟み撃ちにするためのパートナーとして信頼を寄せるこの国は、春太郎にとって安全な避難所であった。しかし、その安定もまた、西の契丹という新興勢力の台頭により、薄氷を踏むような危うさの上に成り立っていた。

 渤海国での暮らしは、洗練された貴族社会とは対極にある厳しくも牧歌的なものであった。黄海に近い小さな集落で渤海国の首都である上京竜泉府から遠く離れたのどかな村であり、海にも、川にも、そして山にも近い村であった。

 春太郎は十歳になると、猟師たちに同行して深い森に入り、日本でも珍重される貂や虎の毛皮を扱う技術を学んだ。

 当時の日本において、毛皮は単なる防寒具ではなく、コメに次ぐ価値を持つ「貨幣」そのものであった。春太郎は、自分が手にするこの上質な毛皮が、いずれ海を渡って日本の貴族たちの手元に届くことを、肌で感じていた。

 「この言葉、この毛皮……。これこそが、僕が日本へ帰るための『手形』になる」

 十五歳を過ぎた頃、春太郎の渤海語は、もはや現地人と区別がつかないほどの完成度に達していた。それだけではない。黄海沿いの港町に出向いて交易に来た商人達と何不自由なく意思の疎通もできるまでになっていた。春太郎は渤海語に加え、唐語も、新羅語も話せるまでになっていた。春太郎は単なる日常会話の枠を超え、交易の現場で言葉の裏にある利害を読み取る力を持つ実務家へと成長した。

 春太郎が学んだのは言葉だけではなかった。現地の役人たちが使う事務的な知識や、新羅、唐、そして、この当時の日本はまだ強く意識していなかった契丹との複雑なパワーバランスについても、現地の会話を通じて自然と身につけていった。

 渤海の人々は日本を一貫して最大の同盟国と見なし、新羅を挟み撃ちにするためのパートナーとして信頼を寄せていた。春太郎はそのことを、平安京の貴族達にとっての教科書である漢籍からではなく、共に酒を酌み交わす渤海の兵士たちの熱量から理解していたのである。

 蓮は最低限の渤海語を理解するようになったが、春太郎のように自由自在に渤海語を操るとまではいかなかった。これは何も蓮が渤海語を学ぼうとしなかったのではない。蓮が普通で、春太郎の渤海語の習得があまりにも早かったのだ。

 また、蓮と一緒に暮らしていくうち、春太郎が唐の言葉、それも蓮の話す揚州の方言の言葉を習得したことで、渤海語が必要な場面でも春太郎がいれば春太郎に通訳してもらえるようになっていた。

 春太郎は蓮と二人きりのときは蓮の言葉、すなわち唐代の中国語で語りかけるようにした。蓮は春太郎と一緒にいるときだけが安心して自分の言葉を話せる時間になっていた。いつしか春太郎と蓮の二人の関係は、誰が見ても若夫婦に思えるまでになっていた。このまま二人で、渤海の地で暮らし続けるのも悪くないと思えるほどに渤海での暮らしに溶け込むようになっていた。

 しかし、蓮の瞳の奥には、常に故郷である唐の陽光への郷愁が宿っていた。

 蓮は渤海の女性たちから機織りや生活の術を学び、渤海の一員として愛されていたが、その心は常に南の運河の街、揚州にあった。

 「蓮(レン)、約(イャク)也(イェ)(約束だ)。我(ンガ)等(トン)發(プオッ)此(ツィエ)(僕たちはここを出よう)。至(ツィジ)汝(ニョ)故(ク)郷(ヒャン)揚(ヤン)州(チュウ)(君の故郷である揚州へ)、他(タ)日(ニッ)至(ツィジ)我(ンガ)故(ク)郷(ヒャン)日(ニッ)本(プオン)(そしていつか僕の故郷である日本へ)」

 春太郎は、幼き日の誓いを果たすため、渤海の商船団に加わる決意をした。春太郎が武器としたのは、新羅で学んだ船の知識と、雪深いこの国で磨き上げた渤海語という、日本では誰も持たない稀有な武器であった。


 春太郎と蓮が渤海を去る日、近所の人たちは、最高級の貂の毛皮を二人に持たせた。それは、異国の子供を育て上げた彼らなりの愛と、旅の安全を祈る餞別であった。

 春太郎は、白銀の大地を振り返った。

 ここで過ごした七年間、春太郎は一度も日本の貴族や役人の子として扱われることはなかった。しかし、雪に埋もれたこの国で学んだ消えゆく言葉が、いつか日本という国家を救い、自分を歴史の表舞台へと引き上げる唯一の鍵になることを、十五歳になろうとする春太郎は確信し始めていた。

 「蓮(レン)、此(ツィエ)我(ンガ)等(トン)信(シン)物(ミュッ)也(イェ)(蓮、これが僕たちの『手形』だ)」

 春太郎は、猟師たちから餞別として贈られた最高級の貂(てん)の毛皮を、愛おしそうに撫でた。当時の日本や唐において、渤海の毛皮はコメに次ぐ価値を持つ「貨幣」そのものであり、布地の頂点に君臨する至宝であった。この一束の毛皮があれば、身分を証明する文書を持たぬ浮浪の身であっても、交易の網の目の中を泳ぎ渡ることができる。

 渤海から唐へ向かうには、陸路で行くこともできるが、安史の乱以後の唐帝国の混乱もあって、国境付近の陸路は危険になっている。そこで海路ということになるのだが、海路には一つ大問題がある。

 海路をどうにかできる船が新羅にしかないのだ。

 新羅は日本とも渤海とも、そして唐とも対立していたが、商業について言えば新羅の船に頼るのがもっとも安全であった。日本と渤海との航海だけであれば、日本海を渡れば互いの国の海岸線のどこかにたどり着くので、船が難破さえしなければどうにかなる。しかし、細かな操船技術となるとやはり新羅の船乗りに頼るしかない。そして、渤海から海路で唐に向かうには新羅の船が必要となる。

 既に書き記したように、当時の新羅は、王室の権威が失墜し、地方では盗賊や海賊が群雄割拠する暗黒の時代へと突き進んでいた。春太郎は、監禁場所で盗み聞いた新羅語を駆使し、船に乗り込んでくる不審な小舟や、港を管理する傲慢な役人たちの言葉から利害関係を読み取った。

 「彼らは飢えている。だから、力を見せれば怯むが、隙を見せれば一気に食らいついてくる」

 春太郎は、新羅人の周囲に対する蔑視、すなわち、自分たちは文化的優位にあり日本人や渤海人は格下であるという思い上がりを逆手に取り、あえて卑屈な「新羅の商人」を装うことで、幾度となく訪れた臨検の危機を切り抜けた。かつて八歳で拉致された際の恐怖は、十五歳の春太郎の中で、敵を操るための冷徹な情報へと昇華されていた。

 それでも容易に船を手配してもらうことはできなかった。かといって、これ以上新羅に留まることはできなかった。

 新羅は貧しいのだ。飢饉に苦しんでいるのがこのときの新羅であったのだ。

 日本や渤海、唐にまで海賊となって出かける理由は、それ以外に生きる方法がないからだ。より良い生活を求めているとかのレベルではなく、餓死するか否かの瀬戸際であるがために海賊となるのだ。

 これでは、いかに高価な貂の毛皮を持っているとしても、それで食糧を買うなどできない。

 そもそも新羅に食糧など売っていない。


 春太郎と蓮は、新羅の中継基地を経て、唐の北端である山東半島の登州へと辿り着くことを選んだ。最良は一気に揚州まで向かうことであるが、そのような船を用意するには時間が足りなかった。

 登州は北端であるとは言え唐帝国の領土である。蓮にとって、そこは夢にまで見た故郷の国であるはずであった。しかし、登州に広がっていたのは、蓮の記憶にある揚州の繁栄ではなく、内側から腐り始めた巨木の姿であった。

 安史の乱以来、唐の衰退は隠しようもなく、各地の藩鎮が勝手に税を取り立て、民衆は重税と飢饉に喘いでいた。春太郎は、登州の市で、渤海の毛皮を唐の銅銭や絹へと交換しながら、現地の情報を集めた。

 そこで春太郎は、日本で学ぶ「漢文」がいかに生きた言葉とかけ離れているかを知った。春太郎は、筆談による教養ある知識人としての折衝と、街のあぶれ者たちが交わす野卑な言葉の双方を血肉に変えていった。

 蓮はあれほどまで思い焦がれていた故郷が目に見えて衰退していることに哀しい表情を見せたが、春太郎はこの情景を、見聞きしていた現実のこととして受け入れた。

 食料を求めて日本への密入国を企てる唐人や、戦乱を逃れて渤海へと渡ろうとする難民の群れが目に飛び込んできた。春太郎は、この大陸全体が巨大な流動の中にあり、平和な安住の地などどこにもないことを悟った。ただ、言葉という架け橋を持つ自分だけが、この荒波の上で均衡を保っていられるのだという自負が春太郎を支えていた。

 登州から揚州までは、本来であればさほど日数を要さない。隋帝国の時代に作られた大運河を南下するだけである、しかし、混迷を迎えた唐帝国内の国内移動は容易とは言いがたくなっていた。目的の地、揚州へと足を踏み入れたのは渤海を発ってから一年を経たときのことである。春太郎も蓮も十六歳になっていた。

 揚州は「一に揚州、二に益州」と称される唐帝国最大の商業都市であり、海に面してはいないが長江に面しているおかげで、東シナ海を渡る貿易船が長江を遡って直接乗り入れる国際色の強い熱気に包まれていた都市であった。

 運河沿いに建ち並ぶ豪奢な茶楼、色とりどりの唐絹を纏った人々、そして至るところから聞こえてくる異国の言葉。春太郎は、雪深い渤海で研ぎ澄ませた渤海語と、旅路で磨き上げた唐語、新羅語を使い分け、揚州の有力者たちの間に食い込んでいった。

 しかし、揚州の地は、二人に新たな試練を突きつけた。


 蓮の両親との再会は、春太郎が期待していたような恩人としての歓迎ではなかった。有力者の娘である蓮にとって、日本人と共に過ごした八年間は不都合な過去であり、春太郎は蓮を惑わせた素性知れぬ異邦人に過ぎなかった。海賊に拉致された愛娘の生還は一族にとって奇跡の物語として迎えられたが、蓮の傍らに立つ春太郎に向けられたのは、感謝の言葉ではなく、氷のような冷笑であった。

 「此(ツィエ)者(チャエ)豈(クヒ)非(プィ)自(ヅィ)倭(イウェ)國(クォク)來(ロイ)、不(プウ)知(チェ)素(ス)性(シェン)之(チ)異(イ)邦(パン)人(ニン)乎(フ)(この者は倭国から来た素性知れぬ異邦人に過ぎぬではないか)!」

 蓮の両親、そして揚州の社交界の人々は、春太郎を、有力者の娘を救った恩人としてではなく、高貴な一族の経歴に泥を塗った不都合な過去として扱ったのである。

 当時の唐の人々にとって、海を越えてやってくる日本人は背の低い野蛮な東夷という蔑視の対象であった。ましてや、有力者の娘が、拉致の最中に日本人と行動を共にし、夫婦同然の契りを交わしていたという事実は、一族の名誉を損なうスキャンダルに他ならなかった。

 蓮は故郷の土を踏めたことを喜びながらも、自分の半身とも言える春太郎が誰にも受け入れられず、邸宅の隅で冷遇されている現状に心を痛めた。

 「春(シュン)太(タ)郎(ロウ)、何(ハ)故(ク)衆(チュン)人(ニン)不(プウ)知(チェ)汝(ニョ)之(チ)美(ミィ)哉(ツォイ)(春太郎、なぜ皆、あなたの素晴らしさを分かってくれないの)……。渡(ドゥ)新(シン)羅(ラ)之(チ)海(ホイ)、共(グン)渤(ブオッ)海(ホイ)之(チ)雪(シュエッ)而(ニ)生(サン)存(ヅオン)汝(ニョ)之(チ)勇(ヨン)(新羅の海を越え、渤海の雪を共に生き抜いたあなたの勇気を)……。」

 蓮の悲しげな問いに、春太郎はただ、運河の濁った水面を見つめて答えた。

 「蓮(レン)、此(ツィエ)乃(ノイ)文(ミュン)明(ミャン)之(チ)極(ギッ)也(イェ)(蓮、ここは文明の極みだ)。言(ンギョン)、法(プオッ)、禮(レイ)、皆(カイ)精(ツィエン)也(イェ)。(言葉も、法も、礼節も、すべてが洗練されている)。然(ニェン)、正(チェン)以(イ)此(ツィエ)、於(イオ)自(ヅィ)外(ンワイ)來(ロイ)者(チャエ)冷(レン)酷(クオク)也(イェ)(だが、それゆえに『外』から来た者には冷酷なのだ)。我(ンガ)所(シュロ)磨(マ)渤(ブオッ)海(ホイ)語(ンギョ)、與(ヨ)新(シン)羅(ラ)商(シャン)人(ニン)交(カウ)渉(シェプ)之(チ)術(ジュイッ)、於(イオ)此(ツィエ)街(カイ)唯(ユイ)見(ケン)蔑(メッ)爲(フィエ)賤(ヅィエン)技(ギェ)耳(ニ)(僕が磨き上げた渤海語も、新羅商人との交渉術も、この街では卑しい技術として蔑まれるだけなんだよ)」

 春太郎は、揚州という華やかな牢獄に閉じ込められていた。「春太郎」という一個人の名ではなく、「卑しい島国の人」という記号に押し込められ、春太郎は次第に自らのアイデンティティを失いつつあった。


 その頃、唐帝国最大の商業都市として栄華を誇った揚州の街は、これまでに経験したことのない、全く別の絶望に包まれていた。

 皇帝武宗の勅命によって断行された、苛烈を極める仏教弾圧、後に「会昌の廃仏」と呼ばれることとなる嵐が、この南の大都市にも容赦なく吹き荒れていたのである。

 「絶(ヅュエッ)滅(ミェッ)不(プウ)淨(ヅィエン)之(チ)教(カウ)(不浄の教えを根絶やしにせよ)!」

 連日のように冷酷な官吏や兵士たちの怒号が響き渡り、運河沿いに建ち並んでいた荘厳な寺院は、その土台から無残に打ち砕かれた。経典は広場でうず高く積まれて黒煙を上げて燃やされ、仏像は金や銅を回収するために冷徹に鋳潰されていった。数千、数万の僧侶や尼僧たちは強制的にその衣を剥ぎ取られて還俗させられ、異国から法を求めてやってきていた在唐の外国僧たちに向ける当局の視線も、日に日に冷酷で猜疑に満ちたものに変わっていった。かつて異国人や多様な信仰に対して大らかな懐を見せていた揚州は、今や密告と監視が網の目のように張り巡らされた、息の詰まる灰色の都へと変貌を遂げていたのである。

 この混乱の最中、揚州の片隅にある、泥水が染み出すような粗末な宿舎の一室で、一人の日本人僧侶が深い溜息をついていた。

 後に日本の天台宗を背負って立つ巨星となる僧、円仁(えんにん)である。

 円仁は九年におよぶ過酷な求法の旅を終え、数多くの貴重な経典や仏画、法具を手中に収めていた。しかし、いざ祖国への帰国を果たそうとした矢先、この廃仏の嵐に巻き込まれた。旅路を証明する公文書は没収され、当局からは常に密航を企てる「不審な外国僧」として厳しい監視の目が向けられていた。何より円仁を運ぶべき船が、この大陸の混迷によって完全に欠乏していた。当時の木造巨船による航海は、一度嵐に遭えば木の葉のように砕け散る、遭難率が極めて高い命懸けの旅である。国家が正式に派遣する大規模な遣唐使船でもない限り、私的な密航で海を渡ることなど、事実上、不可能に等しかった。

 「わが命、この異郷の泥に塗れて果てるのか。せめて、唐の地で命を懸けて集めたこの経典の数々だけでも、本朝の土を踏ませたい……」

 衰弱し、薄暗い部屋の床に横たわりながら、円仁はただ仏への祈りと、遠い祖国の霧深き都に思いを馳せていた。

 春太郎が円仁の存在を知ったのは、揚州の喧騒に満ちた市場(いちば)の片隅をうろついていたときであった。

 「汝(ニョ)聞(ミュン)乎(フ)(おい、聞いたか)。聞(ミュン)道(ダウ)運(フュン)河(ハ)後(フウ)舎(シャエ)、有(フュウ)日(ニッ)本(プオン)來(ロイ)憐(レン)僧(ツォン)臥(ンワ)彼(ピェ)(あの運河の裏の宿舎に、日本から来たとかいう哀れな僧侶が転がっているそうだ)。拒(ギョ)還(ホァン)俗(ジョク)、為(フィエ)吏(リ)所(シュロ)逐(ヂュク)、無(ミュ)歸(クィ)船(ジュエン)、不(プウ)食(ジッ)將(チャン)餓(ンガ)死(スィ)於(イオ)路(ル)云(フュン)(還俗を拒んで役人に追われ、帰る船もなく、飯も食わずに野垂れ死にしかけているらしいぞ)」

 新羅のあぶれ者や唐の商人たちが交わす、生きた野卑な言葉の合間に、その噂は確かに混じっていた。

 「日本……」


 その響きが耳に届いた瞬間、十六歳になった春太郎の胸の中で、八歳のあの日、加賀の川辺から引き裂かれて以来、ずっと凍てついていたはずの春日氏の貴族としての誇りが、にわかに熱く、激しく脈打ち始めた。自分を「卑しい島国の人」と蔑む揚州の有力者たちの間で、自尊心を削られかけていた春太郎の魂が、再び目覚めたのである。

 「僕だけではない。この広大な唐の地で、絶望に抗い、命懸けで日本へ帰ろうとしている魂が、もう一つ、すぐ近くで彷徨っている」

 春太郎は、役人や不審な影が徘徊する揚州の路地裏を、泥棒のように素早く、しかし音もなくすり抜けていった。新羅の快速船を奪って脱出したあの嵐の夜のように、鍛え上げられた観察眼で監視の目を巧みに盗みながら、ついに円仁が潜む粗末な宿舎の戸を叩いたのである。

 薄暗い室内には、線香の代わりに焚かれた薬草の煤けた匂いが立ち込めていた。その中央に、骨と皮ばかりに衰弱しながらも、瞳の奥に消えることのない不屈の光を宿した、五十歳ほどの僧侶がうずくまっていた。

 春太郎は、その凛とした佇まいに圧倒されながらも、静かに、しかし明瞭に、かつて都の父から教えられた礼節をもって僧に話しかけた。

 「和尚様。私は八年前、八歳で日本海から新羅の海賊に拉致され、これまで異郷を彷徨ってきた者です」

 それは、誰にも打ち明けることのできなかった、自らの血に塗られた半生の告白であった。春太郎は、自分がかつて加賀目(かがのさかん)の息子であったこと、拉致された後に新羅の牢獄を脱出し、雪深い渤海国で靺鞨族の猟師たちに救われて、貂の毛皮を剥ぎながら生き抜いてきたこと、そして、その過酷な放浪の中で、生きるための唯一の武器として「言葉」を磨き上げてきたことを、切々と語った。

 円仁は、若者のたどたどしくも気品のある日本語に耳を傾け、その傷だらけの手を、自らの乾いた手のひらでそっと包み込んだ。

 春太郎は、円仁の瞳を見つめ返し、生涯最大の賭けとなる驚くべき提案を口にした。

 「和尚様、どうか私を連れて帰ってはいただけないか。その代わり、私の持つ新羅商人とのつながりの全てを使い、帰国船を買い取る算段をつけましょう」

 新羅の商船団は、現在の東アジアにおいて最も優れた航海技術と情報網を握っている。彼らは強欲で、相手が日本の国司の息子であっても容赦なく奴隷として売り飛ばす冷酷な者たちだが、同時に「利益」と「力」に対しては極めて忠実であった。春太郎がこれまでの放浪と、揚州での潜伏で築き上げてきた新羅商人たちとの地下の太いパイプは、彼らに大金を、あるいは彼らの欲望を満たすに足る「何か」を提示できれば、確実に帰国用の快速船を手配させることができる唯一の鍵であった。

 「私の渤海語、新羅語、唐語のすべてを賭けて、彼らと対等に渡り合います。彼らから船を、そして生きて海を渡るための船乗りを毟り取ってみせましょう。ですから、どうか……」

 円仁の、全てを包み込むような、底知れぬ慈愛に満ちた眼差しが、春太郎の焦燥に満ちた心を静かに満たしていった。その温かい光に触れたとき、十六歳の春太郎は、背筋を電流が走り抜けるような強烈な確信を抱いた。

 「…(ああ、そうか。僕が新羅の収容所で看守の言葉を盗み聞きし、雪深い渤海で消えゆく言葉を学び、荒波の上で命を削って磨き上げてきたこの『言葉』という名の武器は全て、この高貴な同胞の魂を救い、自分自身が祖国の土を踏む、この日のためにあったのだ)…」

 それは、拉致被害者としての絶望的な虜囚の日々が、国家の未来を紡ぐ「言葉の架け橋」としての使命へと、劇的に昇華された瞬間であった。


 夜霧がどんよりと立ち込める揚州の運河。水面は街の灯火を不規則に弾き、まるで無数の毒蛇がのたうち回っているかのように怪しく揺らめいていた。その澱んだ川沿いに佇む、今にも崩れそうな船宿の薄暗い一室で、十六歳の春太郎は新羅の地下商人と命懸けの裏交渉を続けていた。

 「此以上隱(イイサンウン)減價(カムガ)不得爲飛如(プドゥクハヌィダ)(これ以上の値引きはできぬ)。倭國(ウェグク)僧(スン)一人矣(イルインウィ)命果(ミョングァ)此乙(イウル)運爲飛(ウンハヌン)快船伊羅(クェソニラ)(倭国の僧一人の命と、それを運ぶ快速船だ)。新羅(シッラ)海關乙(ヘグァンウル)過爲隱丁置(クァハンヂョンド)官人矣(クァンインウィ)大賂(テロ)要爲飛如(ヨハヌィダ)(新羅の海の関を抜けるだけでも、役人への莫大な賄賂が必要なのだからな)」

 新羅語、唐語、そして交易の隠語が飛び交い息詰まるような知略戦。春太郎は、渤海の猟師たちから餞別として贈られた最高級の貂の毛皮を机の上に叩きつけ、相手の強欲な瞳に宿る打算を冷徹に見据えていた。円仁を無事に日本へ帰すため、そして自分自身が祖国の土を踏むため、春太郎彼は一瞬の隙も許されない交渉の泥沼に、自らのすべての言葉と知恵を注ぎ込んでいた。心身ともに極限まで磨り減り、神経が張り裂けそうになっていた、まさにその夜のことであった。

 新羅商人が去り、張り詰めた糸が切れたように春太郎が机に突っ伏したそのとき、部屋の古い木扉が、音もなく静かに押し開けられた。

 湿った夜風と共に滑り込んできたのは、春太郎を揚州の地に繋ぎ止め、同時に春太郎を「素性知れぬ東夷」として冷遇し続ける、ある種の「鎖」でもあった名家の一族、その邸宅に閉じ込められているはずの、最愛の少女、蓮であった。

 「蓮……!? どうしてここに……」

 春太郎は驚愕して立ち上がった。蓮の両親は、娘が拉致されていた八年間を「一族の消し去りたい恥」とし、春太郎をその生き証人として憎悪していた。蓮が夜間に監視の目を盗んで邸外へ出ることなど、見つかれば命に関わる暴挙であった。

 蓮の顔は、冷たい夜霧に打たれて青ざめていた。かつて纏っていたであろう煌(きら)びやかな唐絹の面影はなく、粗末な木綿の衣を羽織ったその体は小刻みに震えている。しかし、その瞳の奥には、八歳のあの日、新羅の牢獄で互いに体温を分け合っていた時にも見たことのない、どこか覚悟を決めた、哀しくも力強い光が宿っていた。

 蓮は震える足取りで、しかし迷うことなく春太郎に歩み寄り、その胸に細い手を添えた。蓮の吐息は白く、喉の奥でせき止められていた言葉が、涙を堪えるような震えを伴って紡ぎ出された。

 「春(シュン)太(タ)郎(ロウ)、妾(ツィエプ)……似(ズィ)已(イ)懷(ホァイ)汝(ニョ)之(チ)子(ツィ)矣(ヒ)(春太郎、私……、あなたの子供を授かったみたい)」

 静まり返った室内で、その唐語の響きは、春太郎の鼓膜を激しく打ち鳴らした。

 その一言が意味する現実の重さに、春太郎は一瞬、息をすることさえ忘れた。

のちに「宗健(そうけん)」と名付けられることになる、あまりにも小さく、しかし確かなその新たな命。それは、異郷の絶望の中で二人が愛し合い、生き抜いてきた証であり、暗闇を照らす唯一の希望の光であった。しかし同時に、互いの国へ帰る道を模索する二人にとって、あまりにも残酷な運命の鎖となったのである。

 春太郎の胸の中で、激しい葛藤の嵐が吹き荒れた。

 「我(ンガ)之(チ)子(ツィ)乎(フ)(僕の子か)……」

 震える手で、蓮のわずかに膨らみ始めた腹にそっと手を当てた。衣服の向こうから、信じられないほどに温かく、微かな拍動が手のひらに伝わってくる。その温もりに触れた瞬間、春太郎の脳裏に、八歳の冬、加賀の大川の川辺で新羅賊に引き裂かれた、かつての家族の温もりが鮮烈に蘇った。

 父の厳格ながらも優しい眼差し、母の柔らかな抱擁。あの日、すべてを奪われ、言葉の通じない異国で獣のように扱われた恐怖。

 「…(生まれてくる我が子に、自分と同じ運命を辿らせてなるものか。国を持たず、家を持たず、異郷で『拉致被害者の子』として蔑まれ、泥を啜って生きるような絶望を、この子にだけは絶対に味あわせたくない!)…」


 だが、過酷な揚州の現実は、少年の純粋な誓いを無残に打ち砕いた。

 蓮の妊娠を知った両親の反応は、春太郎が恐れていた以上の、氷のような冷酷さと激しい怒りに満ちていた。高格式を誇る揚州の社交界において、海賊に拉致された娘が、どこの馬の骨とも知れぬ「倭国の野蛮人」の子を宿したという事実は、一族を社会的な破滅へ追いやるスキャンダル以外の何物でもなかったのだ。

 両親は、春太郎を恩人として遇するどころか、一刻も早く排除すべき「汚れ」として、陰湿な策謀を巡らせ、春太郎をさらに精神的に追い詰めようとした。

 「此《ツィエ》乃(ノイ)不(プウ)便(ビェン)之(チ)子(ツィ)也(イェ)(不都合な子供だ)!」

 蓮の父親は、侮蔑に満ちた目で春太郎を睨みつけ、冷酷な決断を下した。

 「使(シュレ)此(ツィエ)少(シェウ)年(ネン)乘(ジン)圓(フィウェン)仁(ニン)歸(クィ)國(クォク)之(チ)船(ジュエン)而(ニ)逐(ヂュク)之(チ)(この若者を円仁の帰国船に乗せて追い払え)!」

 「……」

 「如(ニョ)此(ツィエ)則(ツォク)蓮(レン)之(チ)過(クワ)可(カ)爲(フィエ)無(ミュ)有(フュウ)矣(ヒ)(そうすれば、蓮の過ちは無かったことにできる)!」

 彼らにとって、春太郎がどれほど命懸けで蓮を守り、渤海の雪原を越えてここまで送り届けてきたかなど、どうでもよいことであった。彼らにとって春太郎は、一族の気高い名誉に泥を塗った「忌むべき異邦人」であり、一刻も早く帰国船に乗せて海の彼方へと追い払うべき、最も薄汚れたスキャンダルの元凶に過ぎなかったのである。

 「一緒に海を渡ろう、蓮。日本へ行けば、きっと……」

 その言葉が、どれほど現実味のない戯れ言であるかを、春太郎自身が一番よく知っていた。

 当時の日本の法は極めて厳格であり、冷徹であった。大宝律令、そして養老律令の下、現在のパスポートに相当する公文書である「過所」を持たない外国の女性や子供を勝手に日本国内へ連れ帰ることは、国家の秩序を揺るがす重大な密航として厳しく禁じられていた。

 ましてや、今の春太郎は後ろ盾を失ったただの漂流民にすぎない。円仁という高徳な僧侶の命懸けの密航帰国に便乗させてもらう立場でありながら、そこに唐の有力者の妊婦を同乗させるなど、不可能を通り越して狂気の沙汰であった。もし見つかれば、船は日本に到着する前に難破を偽装して沈められるか、あるいは長門の浜辺で全員が不浄の者として処刑されるか、そのどちらかしか道はなかった。さらに、何よりも円仁の帰国という、日本の天台宗の未来を背負った大義そのものを、自らの私情で破滅させるわけにはいかなかったのである。

 「蓮、すまない……。すまない! この子をこの手で抱くことも、お前の受ける苦しみを隣で分かつことも……今の無力な僕には、何一つ許されないのだ……!」

 春太郎は、蓮の肩を強く抱きしめ、その胸に顔を埋めて、血を吐くような思いで慟哭した。磨き上げてきたはずの「言葉」も、新羅商人をも手玉に取った「知略」も、目の前で涙を流す最愛の女性と、その胎内にある我が子を救うためには、何の役にも立たない「賤技」でしかなかった。

 蓮は、春太郎の涙で濡れた頬にそっと手を当て、ただ静かに首を振った。その微笑みは、揚州のいかなる美しい花よりも気高く、そして切なかった。

 春太郎の悲痛な慟哭は、揚州の湿った夜の静寂、そして澱んだ運河の霧の中へと、誰に届くこともなく、ただ深く吸い込まれて消えていった。この引き裂かれるような別れの痛みが、のちに春太郎を、言葉の力だけで運命を支配しようとする、狂気にも似た執念の実務家へと変貌させていくのである。


 承和十四(八四七)年の夏、揚州の港。

 新羅の商人から買い取った快速船が、闇に紛れて静かに出航の時を待っていた。円仁を、そして八年の虜囚の身から脱しようとする春太郎を乗せるための船である。

 桟橋には、独り立ち尽くす蓮の姿があった。

 「汝(ニョ)果(クワ)歸(クィ)彼(ピェ)霧(ミュウ)都(ト)乎(フ)(あなたは、やはりあの霧の都へ帰るのですね)。猶(ユウ)勝(シェン)於(イオ)我(ンガ)等(トン)之(チ)愛(オイ)(私たちの愛よりも)……」

 蓮の声には、恨みよりも深い諦念が籠もっていた。

 「蓮(レン)、他(タ)日(ニッ)我(ンガ)必(ピッ)來(ロイ)迎(ンギャン)汝(ニョ)(蓮、いつか必ず、迎えに来る)。當(タン)我(ンガ)於(イオ)日(ニッ)本(プオン)朝(デン)廷(ヂェウ)示(ジ)我(ンガ)實(ジット)力(リッ)、化(ホァ)此(ツィエ)海(ホイ)爲(フィエ)和(フア)平(ビェン)之(チ)橋(ギャウ)之(チ)時(ジ)(僕が日本の朝廷で実力を示し、この海を平和な架け橋に変えたとき)……、其(ギ)時(ジ)、我(ンガ)當(タン)爲(フィエ)眞(チェン)父(ブ)現(ヘン)於(イオ)汝(ニョ)與(ヨ)子(ツィ)之(チ)前(ヅィエン)(そのとき、僕は真の父としてお前と子供の前に現れよう)」

 その言葉が、どれほど空虚な約束であるかを、十六歳の春太郎は痛いほどわかっていた。しかし、そう言わなければ、春太郎は一歩も踏み出すことができなかった。

 船が岸を離れるとき、春太郎の目に映ったのは、揚州の夜景の中に溶けていく蓮の、小さく震える背中であった。

 まだ見ぬ我が子の産声を聞くことすら叶わぬ、永遠に近い別れの覚悟。

 春太郎は、新羅人が操る船の上で、東の空を見つめた。

 拉致から八年、そして揚州での絶望。

 春太郎は船の上で「春太郎」という幼名を捨て、円仁のもとで元服し、春日宅成(かすがのやかなり)と名乗るようになった。

 船は荒波を切り裂き、日本へと向かう。

 春太郎の胸に刻まれたのは、愛する妻子を捨ててまで故郷を選んだという、一生消えることのない深い罪悪感、そして、いつか言葉という武器で運命を支配しようとする、狂気にも似た執念であった。

 霧の向こうに隠れた日本の島影が見えたとき、春太郎は自らの指を噛み、その血で自らの誓いを刻んだ。

 「僕は、ただの下級役人では終わらない。この海に引き裂かれたすべての命のために、僕は、言葉でこの国を、この世界を変えてみせる」


 承和十四(八四七)年、長門国の海岸線に一艘の新羅船が辿り着いた。そこから降り立った十六歳の宅成は、八年という気の遠くなるような歳月を経て、ようやく祖国日本の土を踏んだのである。

 現在の我々からすれば、拉致された国司の子が無事に帰国したとなれば、それは美談であり、祝福されるべき奇跡と映るであろう。だが、この時代において、異国の地、それも新羅という「不浄の徒」が住まう地を長期間彷徨(さまよ)った者は、単なる帰国者ではなかった。それは、魂の根底まで「穢(けが)れ」に染まった、忌むべき存在であったのだ。

 「寄るな! それ以上、内つ国(うちつくに)の土を穢(けが)すでない!」

 浜辺に設けられた急造の竹垣の向こうから鋭い声が響いた。春太郎が目にしたのは、父がかつて纏っていたような清らかな白の狩衣ではなく、不浄なものを追い払おうと必死に薬草の煙を焚く役人たちの、恐怖に満ちた眼差しであった。

 平安時代における「穢れ」とは、単なる不潔さではない。それは共同体の秩序を乱す宗教的な「病」であり、一度染まれば周囲に伝播するものと信じられていた。海賊という犯罪者に拉致され、異狄(いてき)の地で八年を過ごした春太郎は、都の洗練された美意識からは、人間性を剥奪された「異邦の怪物」として映ったのである。

 この当時の日本は、国外からの亡命者を頻繁に受け入れてはいたが、それはあくまで「日本人として、日本の習俗に従うこと」が絶対条件であった。

 遣唐使として唐に渡った者の帰国は何ら問題なかったが、そうではなく、宅成のように一度日本を離れ、再び戻ってきた者に対しては、社会はより一層冷酷であった。宅成、いや、元服前の名前である春太郎が雪深い渤海で学び、揚州への旅路で磨き上げた「言葉」という武器は、この島国の人々にとっては、最も恐ろしい穢れの源泉、すなわち「異界の呪い」に他ならなかったのだ。

 宅成は、海岸に建てられた粗末な小屋に閉じ込められた。そこは事実上の隔離施設であった。夜の静寂の中宅成は、揚州の港で別れた最愛の妻の蓮と、妻の胎内にいたまだ見ぬ我が子の名を思い浮かべ続けていた。

 宅成は、家族を捨て、春日氏という名を取り戻すために命懸けで帰国した。しかし、戻ってきた故郷で宅成は、自らの名前すら名乗ることを許されぬ、名もなき不浄の者として扱われていたのである。

 それでも自分の父母が宅成を受け入れてくれるとの期待はあった。

 離ればなれになった父が、いつも自分を受け入れてくれた母が、八年の時を超えて自分を迎えに来てくれると考えていた。

 その考えは簡単に消え去った。

 平安京から届いたのは、宅成の母が五年前に、父が三年前に亡くなっていたという、春日氏の長者、すなわち春日氏のトップを自認する者からの知らせであった。そして、父母を亡くした宅成のことは、春日氏の一員であることは認めるものの、それ以上は何の配慮もしないというのが書状の内容であった。


 連日のように、宅成には加持祈祷と「清め」の儀式が強要された。冷水を浴びせられ、煙に燻され、僧侶たちが耳元で延々と経典を転読する。それは、宅成の内側に巣食っているとされる「蛮族の魂」を追い出すための、執拗なまでの精神的・肉体的な干渉であった。

 「お前の言葉を捨てろ。お前がその身に刻んできた八年を、無かったことにせよ」

 そう迫る僧侶たちの眼差しに宅成は奥歯を噛み締めた。宅成が身につけた渤海語や新羅語、そして唐の知識は、宅成が地獄のような放浪を生き抜いた証そのものであった。しかし、平穏を尊ぶ朝廷の役人たちにとって、その「生きた知見」こそが、既存の秩序を脅かす毒であった。

 春日氏の一族も書状で書き記したとおり、この「帰ってきた厄介者」に困惑を隠せないでいた。貴族としての血を引いていながら、その中身は海賊に育てられた野蛮人かもしれないという不確かさが一族の誇りを傷つけていた。彼らは宅成を救い出すどころか、朝廷が下す「穢れ」の判定に怯え、遠巻きに見守るばかりであった。春日氏が受け入れたのは、春日一族に生まれた春太郎という幼名の少年が、元服して宅成と名乗ることとしたことのみであった。

 絶望の淵にいた宅成を社会的な死から救い出したのは、ともに死線を越えて帰国を目指し、元服にも立ち会った円仁であった。

 円仁は、唐での過酷な廃仏の嵐を生き抜き、日本の天台宗に新たな光をもたらした英雄として、朝廷から絶大な信頼を寄せられていた。

 円仁は、動揺する朝廷の貴族たちを前に、毅然として語った。

 「この若者の言葉が穢れているというならば、その言葉を頼りに新羅人から船を買い、海を渡って経典を日本へ届けた私の魂もまた、穢れていることになるのか」

 円仁のこの強力な後押しにより、ようやく宅成は朝廷官職の一員に加えられることとなった。

 だが、宅成のその後を待っていたのは、あまりにも過酷な現実であった。宅成に与えられたのは、位階の最底辺である少初位下。現代の感覚で言えば入社間もない新入社員と同じ扱いである。十六歳という年齢を考えれば相応しい位階であるのはその通りであるが、春日氏の者のスタートとしては例外的に低い。名門の家系に生まれながら、八年間のブランクを作ったがゆえに正当な教育を受けることができず、そのために、素性の怪しい「中途採用の最低ランク社員」として扱われたということだ。


 大学寮で漢籍を学ぶ機会を奪われていた宅成には、出世に必要な正統な教養の証明がなかった。周囲の同僚たちは、宅成より歳下でありながら、藤原氏をはじめとする有力貴族の威光を背景に遥か高みへと登っていく。一方、十六歳の宅成が命じられたのは、朝廷の倉庫で古い木簡を整理し、埃にまみれながら穀物の数を数えるだけの、無味乾燥な実務であった。

 宅成は、官界の最底辺で嘲笑と差別の視線に晒された。

 「新羅の飯を食った男に、日本の正統な法を扱う資格があるのか」

 「蛮族の風に吹かれていた男の言葉など、都では通用せぬわ」

 こうした陰口を叩かれるたび、宅成は揚州の空の下に残してきた、もう二度と会えぬかもしれない妻子の姿を思い出した。

 だが、宅成は折れなかった。宅成は、大学寮の優等生たちが競い合う漢詩の世界には目もくれず、夜遅くまで部屋に籠もって「渤海語」を整理し始めた。都の人々が「毛皮を売りに来る蛮国の言葉」と蔑み、無駄な知識だと笑ったその言葉。それこそが、将来、この国が直面するであろう危機の盾となると確信していたのだ。

 宅成が最底辺の役人として過ごした二十代から三十代にかけての時期、平安京の官界は深刻な位階のインフレとポストの不足に陥っていた。

 理論上、同じだけ努力し、同じだけ結果を残せば、同じ評価をされなければならない。しかし、現実は非情である。貴族の数が増えすぎたために、本来ならば正六位下で就任できるはずの役職に、職にあぶれた五位の貴族のみならず四位の貴族までもが、格下げを覚悟で殺到していたのである。

 春日の姓を名乗りながらも後ろ盾を持たない宅成は、位階を一つ上げるだけでも気の遠くなるような年月が必要であった。それが嫌なら上司への成功(じょうごう)という名の賄賂が必要であった。しかし、拉致によって家産を失っていた宅成に、地位を金で買う余裕などあろうはずもなかった。唯一の物的資産となると渤海から持ち帰った最高級の貂(てん)の毛皮ということになるが、これを売ることは絶対に許されなかった。

 宅成は日々、日の出とともに出勤し、日の沈むまで働き続けた。残業手当も休日もなく、時には職場である宮中に泊まり込む、今で言うデスマーチのような過酷な労働を、ただ妻子への再会を願い、その先にある拉致被害者の救済という使命だけで耐え抜いた。周囲の役人が要領よく立ち回り、副業や不正蓄財に手を染める中でも、宅成だけは愚直なまでに実務をこなし、記録を整理し続けた。

 宅成は、役人の最下層である少初位下から始まり、十四年の歳月をかけてようやく大初位下まで辿り着いた。これは現代の感覚で言えば、三十歳にして入社二年目の若手社員と同じ平社員として扱われるようになったという状況に相当する。周囲の同僚たちは、宅成を無駄なことに時間を費やす愚か者と嘲笑し、宅成を突き放すように遙か彼方へと出世していった。それでも宅成は朝廷の倉庫で古い木簡を整理し、埃にまみれながら穀物の数を数えるだけの無味乾燥な実務に明け暮れた。


 承和十四(八四七)年、八年という気の遠くなるような放浪の果てに日本へ帰国してから、宅成の二十代は、平安京の最も薄暗い底辺の澱みのなかで瞬く間に過ぎ去っていった。

 朝廷が宅成に与えたのは、三十段階ある官位の最底辺である少初位下という極小の地位にすぎなかった。名門の生まれでありながら後ろ盾を失った宅成は、日の出から日没まで、埃まみれの倉庫で古い木簡を整理し、ひたすらに穀物の数を帳簿に書き留めるだけの、無味乾燥な実務に忙殺された。

 ついには三十歳という、役人としての引き返せぬ年齢を迎えてもなお、宅成が自らの魂を摩耗させることなく己を保ち続けられた唯一の理由、それは、毎夜、官舎の隅の狭苦しい一室に籠もり、擦り切れた筆を握って渤海語の記録を整理し続けたからであった。

 夜、油代さえも惜しんで灯す微かな菜種油の火の下で、宅成は、都の役人たちが目もくれない粗末な紙や、不要になって廃棄された木簡の裏に、自らの血肉に刻まれた異国の言葉をひたすらに書き起こしていった。

 それは、あの雪深い渤海国南端の集落で、温かい囲炉裏を囲みながら、渤海国の猟師たちと交わした、重厚で大地を揺らすような響きを持つ言葉であった。後の世には完全に消滅してしまうツングース系の消えゆく言語。猟師たちが語った獲物の足跡、十種類を超える雪の呼び名、そして彼らの素朴で力強い誇り。それらの響きを、宅成は忘却の淵から一枚一枚の木の葉を拾い上げるようにして、正確な漢文字の音を借りて書き記していった。

 同時に、渤海から唐の揚州へと至る過酷な交易路のなかで、身分を隠しながら耳にした、新羅商人たちの狡猾な交渉術や、港を管理する傲慢な臨検役人たちとの間で交わされた、息詰まるような「言葉の刃」もまた、詳細に再現していった。

 新羅語、唐語、そして交易の隠語。それは、大学寮の優等生たちが諳んじる聖賢の書には決して載っていない、海の向こうで日々流されている「生きた血と欲望の言葉」そのものであった。

 「宅成、またそんな無駄なことに時間を費やしているのか。それよりも、少しは漢詩の一つでも覚えろ。麗しい文字を並べ、優雅な詩歌を口ずさむことこそが、この都での出世の最短の道だぞ」

 翌朝、出勤した倉庫の傍らで、同僚の若い役人たちが、宅成の手元にある渤海語の帳面を見つけてあからさまな嘲笑を浴びせてきた。

 彼らは藤原氏などの有力貴族を後ろ盾に持ち、宅成よりもはるかに若い年齢でありながら、すでに高みを歩んでいた。彼らにとって、朝廷での出世とは、中国の古典をいかに美しく模倣し、先例を墨守して立ち回るかという、形式的なゲームにすぎなかった。

 「お前の身を心配して言っているのだ。蛮国の言葉などいくら磨いたところで、宮中で披露する機会など一生あるまい」

 嘲笑ではなく、哀れみを交えた「忠告」の形で投げかけられる言葉もあった。しかし、どのような響きであっても、それらの言葉が宅成の冷徹な決意を動かすことは、万に一つもなかった。

 当時の朝廷にとって、外交とは「大唐帝国の優れた文化をただ崇め、模倣すること」と同義であった。安史の乱を経て、内側から腐り落ちつつある現実の唐帝国の混迷など、都の貴族たちは見ようともしなかった。ましてや、渤海のような「はるばる毛皮を売りにやってくる蛮国」の言葉を、自ら進んで学ぶなど、当時の官界の常識からすれば、それこそ正気の沙汰とは思われていなかったのである。


 だが、宅成は、都の誰よりも深く知っていた。

 海の向こうでは、新羅が国家としての骨組みを完全に失い、飢えた農民たちが武器を手に取って獰猛な海賊と化して日本海を跋扈している現実を。日本海沿岸の集落が急襲され、同胞たちが奴隷として拉致されている日常の地獄を。そして、その新羅の狂暴な牙を背後から抑え込み、日本の安全を保つための、地政学上の唯一の防波堤こそが、北の同盟国である渤海国に他ならないという冷酷な真実を、宅成は放浪のなかで骨の髄まで理解していたのである。

 他国からの侵略などあり得ないと信じ込んでいる貴族たちの、いかに頼りなく、空虚なことか。

 「…(この言葉こそが、いつかこの国を救う唯一の防波堤、強靭な盾となる。そして、その実力を朝廷に認めさせたときこそが、海の向こうに残してきた、最愛の妻と子のもとへ続く道なのだ)…」

 都の貴族たちが古典の暗記に汲々とするなかで、宅成はただ一人、誰にも理解されない渤海語という名の、唯一無二の武器を研ぎ澄まし続けていたのである。

 深夜、激しい職務の疲れのなかでふと顔を上げると、古い鏡に、三十歳を迎えた自分自身の貌(かお)が映し出された。

 かつて加賀国の川辺を無邪気に走り回っていた八歳の春太郎の面影は、そこにはもうなかった。鏡に映る男の顔からは、若さのきらびやかな輝きは疾くに消え失せ、代わりに、異郷での過酷な放浪と、帰国後に浴びせられた冷酷な差別、そして沈黙のなかで耐え抜いた歳月が刻み込んだ、深い、苦渋に満ちた皺が刻まれていた。

 「…(蓮、お前は今、どこでどうしているだろうか)…」

 十五年前、揚州の港の冷たい夜霧のなかで、まだ見ぬ我が子をその胎内に宿しながら、一人で桟橋に立ち尽くしていた最愛の女性。

 もし無事に生まれていれば、あの我が子は、すでに十四歳になっているはずであった。父親の顔も、祖国日本の言葉も知らぬまま、混迷を極める唐の地で、あるいは言葉の通じぬ渤海の大地で、「倭人の私生児」として、周囲から蔑まれ、泥を啜るような暮らしをしてはいないだろうか。

 我が子を抱きしめることも、蓮の苦しみを分かつことも許されなかったあの日、揚州の夜空に吸い込まれていった自らの悲痛な慟哭が、今も胸の奥で、生々しい傷口のように疼いていた。

 宅成は、静かに官舎の暗い隅へと歩み寄り、大切に保管していた一つの包みを解いた。

 現れたのは、あの渤海を去る日、白銀の大地で共に暮らした靺鞨族の猟師たちが「いつか日本へ帰るための、お前の命の手形にしろ」と握らせてくれた、一束の最高級の貂(てん)の毛皮であった。

 当時の日本において、毛皮は金銀をも凌ぐ絶大な価値を持つ「貨幣」そのものであったが、宅成はどんなに困窮し、官位を上げるための賄賂を求められようとも、この毛皮を売ることだけは絶対に自分に許さなかった。

 指先で撫でてみると、年月とともに毛皮の色彩はわずかに色褪せつつあったが、その驚くほどに柔らかく、温かい手触りだけは、あの白銀の大地と、最愛の蓮と交わした「いつか必ず迎えに行く」というあの切ない約束を、今も鮮烈に宅成の指先に伝えてくるのであった。

 冷たい風が、官舎の隙間から吹き込み、菜種油の火を大きく揺らした。宅成は、毛皮を愛おしそうに懐へと抱きしめると、再び筆を執り、薄暗い木の葉の上に、自らのすべてを賭けた「言の葉」を刻み込み始めた。


 この停滞を打ち破る萌芽は、太政大臣藤原良房と、藤原良房に反発する勢力との対立の渦中で生じた。藤原良房は、形式化した律令の条文を墨守するのではなく、社会の現実に即した柔軟な政策を進める現実主義を標榜していた。

 藤原良房にとって、外交とは単なる儀礼ではなく、国防と国益の確保であった。当時の日本は新羅からの侵略を幾度となく受け、東アジアの中で孤立を深める新羅に対し、北の同盟国である渤海との連携を強化することが国家最優先の戦略となっていた。

 一方で、朝廷内には伴善男に代表される理想主義が根強く存在していた。彼らは律令を神聖不可侵なものとし、先例踏襲を重んじる立場から藤原良房の改革に激しく抵抗した。この政治的対立は、単なる権力争いにとどまらず、この国をどのような形にするかという根本的な思想の激突であった。

 藤原良房は、大学の門戸を広げ、血筋に関わらず能力ある者を抜擢しようとした。これに対して学識を誇る理想主義の貴族たちは、格下と見なす庶民や実務家が自分たちの領域に侵食することに強い不快感を示していた。この実力主義と門閥主義の摩擦こそが宅成が三十歳のときの朝廷を覆っていた空気だったのである。

 その空気に風穴が開いたのは天安三(八五九)年一月のこと。烏孝慎を大使とする渤海使百四人の能登国への来着である。そう、宅成が予見していたように、渤海からの使者が積もり積もった矛盾を一気に噴出させたのだ。

 渤海からの使者を迎え入れるべきか否か。

 迎え入れるならば、いったい誰が、渤海からの使者を迎え入れるのか。

 その混迷はまさに宅成が予見していたとおりの混迷であった。

 とは言え、この時点の宅成は大初位下。末端の役人の身でいったい何ができようかという諦念も存在した。宅成がいかに渤海語を学んでいても、渤海語を操ることのできる貴族や役人が一人しかいないというわけではなく、また、会話がだめでも漢文での筆談ならほぼ全ての貴族や役人がこなせる。この時点の宅成は渤海からの使者をもてなす役人達の一人に選ばれることを願ってはいたがそれ以上は求めようが無かった。いや、求めることが許されていなかった。

 藤原良房は、外交の停滞が国家の信義を損なうことを危惧し、外交での実績を持つ安倍清行と、語学と実務に長けた広宗安人の二名を接待役である渤海客使に選定した。

 二名体制としたのには理由があり、一人は平安京に留まり、もう一人は渤海使の到着した地、天安三(八五九)年の場合は能登国に向かって渤海使を受け入れ、渤海使を先導して平安京へと招くという仕組みになっているからである。そして、渤海使を迎えに行く役目は渤海の言語を多少なりとも理解できる者が務めることとなっており、広宗安人がその役に選ばれた。広宗安人は当時の官僚社会において、血筋ではなく実力で頭角を現した稀有な「スペシャリスト」であり、本来であれば、藤原良房の進める「能力主義による政権運営」の象徴となるべき人物であった。また、流暢とまでは言えないものの、渤海語をそれなりに理解はしていた。


 しかし、伴善男はこの人事に目を付けた。伴善男という人物は、他者の些細なミスを律令の条文を盾に容赦なく糾弾し、自らの正当性を誇示することに長けた、いわば「冷徹な風紀委員」のような性格の持ち主であった。伴善男は、自派の一員でもあった広宗安人に対し、強烈な心理的・政治的圧力を加えたのである。

 「太政大臣の独断による人事は伝統ある官僚秩序を破壊するものだ。このまま太政大臣の命に従えば、そなたは律令を蔑ろにする藤原良房の共犯者として、後世に名を残すことになるぞ」

 伴善男らの工作は、広宗安人の内にある律令官僚としての自尊心を巧みに突き、同時に、藤原良房に従うことが反藤原良房派の容赦ない攻撃の標的とされるという恐怖を植え付けた。

 結果、広宗安人は自らの器量不足を名目に、職務を辞退する挙に出た。

 これは、単なる一個人の辞退ではなかった。伴善男ら理想主義による、藤原良房政権に対する組織的なボイコットであり、一種の政権転覆を狙ったストライキであった。

 反藤原良房派の狙いは明白であった。藤原良房が選んだ最適任者を辞退させることで外交実務を完全に麻痺させる。それによって、藤原良房の独断では立ち行かなくなるという構図なのだと幼き清和天皇と全貴族の前に晒そうとしたのである。もし藤原良房がここで立ち往生すれば、理想主義は先例無視の独裁の結果であると勝ち誇り、再び自分たちの理想とする形式美と門閥による統治へと時代を巻き戻すことができたはずであった。

 平安京の内裏を覆ったのは深い閉塞感であった。広宗安人ほどの専門家が動かぬとなれば、代わりを務められる者はいない。しかも、二人いる渤海客使のうち、先行して動かねばならない役割のほうの渤海客使が動かないのであるから、来日した渤海使は能登国で立ち往生することとなる。

 藤原良房は急遽、能登国に留まっている渤海使の面々を能登国から加賀国に向かわせることで、多少ではあるが時間稼ぎをすることにし、従七位越前権少掾である島田忠臣を加賀権掾に任命して早急に加賀国に向かわせ、天然痘の流行を理由とする緊急事態であるために通訳を即座に用意することはできず、平安京から通事、すなわち通訳が派遣されてくるまで筆談のみとならざるをえない状況であることを前提として、漢詩と漢文だけの交渉にあたらせた。

 島田忠臣は、できることはしたと言えよう。実際、このとき島田忠臣が周元伯と漢詩を唱和したことの記録が残っている。

 ただ、漢文と漢詩の能力が問題ない島田忠臣が加賀国に来たことは理解しても、日本側が渤海からの使者を歓迎しているわけではないことに落胆してもいたのだ。どんなに筆談での折衝を可能とさせても、刻一刻と変化する国際情勢を生きた言葉で聞き出し、駆け引きを行う外交は不可能となる。

 この情景を理解した伴善男ら理想主義の貴族たちは、藤原良房が困惑し、自分たちの元へ歩み寄って妥協案を請うのを、嘲笑を浮かべて待ち構えていた。

 藤原良房にとっては人生最大の窮地であった。これまで私財を投じて開墾を行い、失業者を救済し、武力を統制することで築き上げてきたほどの現実主義の政権が、たった一人の実務官僚のボイコットによって瓦解しようとしていたのである。

 しかし、伴善男には致命的な誤算があった。藤原良房という男は、既存の官僚組織という駒が動かぬとなれば、盤面の外から全く新しい駒を投げ込むことを厭わない、底知れぬ胆力を持ったリアリストであったことだ。

 外交の空白が続き、国家の威信が失墜する寸前の二月九日、藤原良房はついに決断した。


 その決断は当時の貴族社会の常識を根底から覆すものであった。太政大臣が見出したのは、三十歳にして大初位下という、役人としては下から最下層に近い地位で沈殿していた春日宅成であった。

 藤原良房は、宅成がかつて春太郎として唐に渡り、円仁を助け、さらには渤海国での滞在経験を通じて生きた渤海語を自由自在に操れる国内随一のスペシャリストであることを知っていた。しかも、春太郎という幼名であった頃に、まさに渤海使が滞在している加賀国で拉致されたために国外経験があるという人生なのだ。

 藤原良房にとって、外交は儀礼ではなく、切実な国防の問題であった。新羅の侵略に晒され、唐の衰退が著しい今、北の同盟国である渤海との連携を維持することは、日本国の存亡を左右する最優先事項だと考えていた。

 「今の本朝に必要なのは、漢籍を暗記するだけの学者ではない。渤海の『生きた言葉』を操り、海の向こうの現実を読み解ける『力』だ」

 藤原良房は、伴善男らが無駄な学問と嘲笑し続けた宅成の渤海語の能力こそが、国家の窮地を救う手立てになることを確信した。藤原良房は、形式を重んじる理想主義の貴族達のボイコットに対し、天皇からの直接の辞令という、誰もが抗えない絶対的な権威をぶつけることで、その口を封じ込めることにしたのである。

 天安三(八五九)年二月九日。冷たい冬の空気が張り詰める内裏に、宅成は召し出された。

 そこに待っていたのは、当時九歳の清和天皇であった。清和天皇はまだ幼い少年であったが、その瞳には藤原良房の指導による冷徹なまでの知性が宿っていた。周囲の貴族たちが藤原良房の操り人形と侮っていた天皇は、自ら筆を執り、宅成に直接、自筆の辞令を渡したのだ。

 大初位下という最底辺に近い地位の役人が、天皇の御前に進み出て、直接の言葉を賜る。これは平安時代の官僚制度において、まさに空前絶後と評すべき異常事態であった。清和天皇の書いた文字は、九歳の少年が書くような幼いものではなく、どこかの書家が記すような見事な筆使いであり、受け取った宅成を驚愕させた。

 宅成の手は激しく震えた。かつて新羅の海賊に奪われた誇りが、十四年の沈黙を経て再び脈打ち始めた瞬間であった。

 「春日宅成、そなたの言葉を以て、本朝の盾となれ」

 幼き天皇の言葉が、宅成の耳に届いた。それは十四年前、揚州の港で妻と別れて円仁と共に荒波を越えて帰国したあの日、霧の向こうに隠れた日本の島影を見つめながら、自らの指を噛み、血で誓った「言葉でこの国を変えてみせる」という献身の機会そのものであった。

 この光景を、伴善男ら理想主義の貴族達は、唇を噛み締め、苦々しい表情で見守るしかなかった。天皇自らの意志という大義名分の前には、いかなる法解釈も、いかなる先例の主張も、無力な雑音にしかならなかった。

 ただし、伴善男らは、渤海使饗応に対する策謀を一つだけ成功させた。天然痘の流行を理由とし、渤海使を平安京に迎え入れるのではなく、加賀国での渤海使の饗応を最後まで通すこととなったのである。


 宅成は渤海からの使者を迎え入れる面々の一人に選ばれたのであり、トップに選ばれたのではない。当初の想定では、外交経験のある安倍清行と、語学と実務に長けた広宗安人の両名を接待役の責任者である渤海客使とし、広宗安人の辞意に伴って春日宅成を通訳として饗応役の一員に加えたものの、渤海客使を一名とする体制にはしなかった。安倍清行や広宗安人のような外交の実績はないものの、朝廷内の実務経験ならば申し分なかった苅田安雄をもう一人の渤海客使として任命している。

 ただし、本来の渤海使と違って平安京での饗応ではない。あくまでも饗応の舞台は加賀国である。

 また、本来ならば二人の渤海客使のうち一人が先行して渤海使のもとに向かい、渤海使を連れて平安京に招き入れるというルールになっているが、このときは二人の渤海客使が揃って、しかもかなり遅れて渤海使のもとに向かうという異例事態であった。

 これだけでも異例を積み重ねているのだが、事態はここでさらなる異例が積み重なることとなる。

 安倍清行の父が亡くなったという知らせが届き、安倍清行は加賀国に到着することなく平安京に引き返すこととなった。つまり、当初予定していた安倍清行と広宗安人の両名が渤海客使から離れ、朝廷内の実務経験ならばあっても外交経験の無い苅田安雄ただ一人の責任者となるしかなかったのだ。

 苅田安雄もまた実力で底辺から這い上がってきた男であり、藤原良房の信頼を寄せる実務家ではあった。ただ、外交については未知数とするしかなかった。

 国外からの使者は、本来であれば鴻臚館、現在で言うところの迎賓館に迎え入れることとなっており、鴻臚館は平安京の他に、難波と太宰府にも設置されている。ただし、加賀国にはない。その代わり、加賀国衙は近隣諸国の国衙と比べて建物として新しく、臨時の鴻臚館として利用することは可能であった。

 苅田安雄は自らに課された責務の重さからくる不安に苛まれていた。その不安を支えたのは宅成であった。

 北へ向かう白い波頭を横目に、宅成は輿にも乗らず、徒歩で加賀国へと急いだ。

 天安三年二月に都を発ったとき、平安京のあちこちに雪の名残を残していたが、それでも春に近づいていることは感じ取れた。しかし、北陸道を進むにつれて雪の白さは深みを増していった。苅田安雄に随行する者たちは戸惑いを隠せないでいたが、大初位下という低い位階の通事だけは、不安からくる重圧よりも、強い責任感から戸惑いの片鱗も見せずにいた。

 彼らが知るのは、太政大臣藤原良房の抜擢によって、春日宅成という三十代にもなってようやく大初位下となった下級役人が渤海使饗応の通訳たる通事に選ばれたということだけである。


 加賀国。

 その名を脳裏で反芻するたび、宅成の喉の奥には、まるで乾いた砂を無理やり流し込まれたかのような、ざらついた苦苦しさがせり上がってくる。

 二十年前の冬。間もなく春を迎えようとする柔らかな陽光が、日本海に面した海岸線に降り注いでいた、あの日。わずか八歳だった春太郎は、故郷の冷たい川辺から突如として引き裂かれ、奈落へと突き落とされた。

 耳を劈(つんざ)く民衆の悲鳴、黒煙を上げて燃え盛る集落の死臭、逃げ惑う人々を容赦なく射抜いた新羅賊の強靭な弓矢。波打ち際を赤黒く染めていった国衙の兵たちの鮮血と、抵抗する術を持たぬ農民たちの絶望。そして、もがく自分を木切れのように無造作に担ぎ上げた、新羅賊の男の岩のように硬く冷たい手。あのときに鼻腔を突いた、むせるような潮の香りと錆びた鉄の匂いは、二十年という歳月が流れた今なお、皮膚の裏側にこびりついて離れない。目を閉じれば、昨日のことのように全てが鮮明な色彩と音を伴って蘇ってくる。

 北陸道のぬかるんだ雪道を、宅成は輿(こし)にも乗らず、黙々と徒歩で進んでいた。

 一行が進むにつれて、都ではすでに感じられていた春の気配は完全に消え失せ、押し寄せる北国特有の地吹雪が、彼らの白絹の狩衣を容赦なく濡らしていく。かつて都の官舎で「毛皮を売りに来る蛮国の言葉など、学ぶだけ無駄だ。それよりも漢詩の一つでも覚えろ」と自分をあざ笑っていた同僚たちの顔が、冷たい風のなかに浮かんでは消える。彼らは今、温暖な都で要領よく立ち回り、優雅に日々を過ごしているのだろう。一方、大初位下という朝廷の最底辺に澱む三十歳の宅成に与えられたのは、凍てつく加賀の地で、国家の威信をかけた渤海使の通訳を務めるという、あまりにも重く、誰もが尻込みする実務であった。

 加賀の国衙が白雪の向こうにその黒い木肌を見せ始めた頃、随行していた若い官人の一人が、不安を隠せない様子で馬の歩みを緩め、徒歩の宅成を見下ろして口を開いた。

 「おい、何かあったのか。顔色が優れないようだが」

 この官人は、年齢こそ宅成より若かったが、有力貴族の威光を背景に、役人としての位階は宅成よりも遥かに上であったこともあって、彼が年上の、しかも素性の怪しい宅成に対して敬語を使うことなど万に一つもない。その不躾な問いかけに対しても、宅成はただ視線を前方の一点に据えたまま、冷徹な仮面を崩さなかった。

 「……何でもないです」

 低く、波紋の立たない声で短く答えると、宅成は徒歩の足を止めなかった。

 彼らにとって自分は、新羅の泥水を啜り、蛮族の風に吹かれて帰ってきた、魂まで「穢(けが)れ」に染まった不浄の存在に過ぎない。どれほど丁寧に加持祈祷の冷水を浴びせられ、薬草の煙で清められようとも、都の洗練された美意識から見れば、自分は「異邦の怪物」なのだ。自らの内面にある深淵を、彼ら都の若者に覗かせる必要など、どこにもなかった。


 大川。

 加賀の国衙の近くを流れるその川が見えたとき、宅成はついに、地面に釘で打たれたように歩みを止めた。

 滔々と流れる穏やかな川面は、冬の陽光をきらきらと弾き、あの日、この水路を遡って容赦なく襲いかかってきた海賊の快速船の惨劇など、最初から存在しなかったかのような冷たい平穏を装って流れている。

 「…(ああ、あそこにいる)…」

 宅成の視線の先、きらきらと輝く川辺の砂利の上に、泥だらけになって無邪気に遊んでいた、あの日の八歳の春太郎の姿が、陽炎のように立ち上る錯覚に襲われた。無垢で、何も知らず、ただ将来の平安京での優雅な暮らしを夢見ていた、国司の愛息。

 「…(自分はまだ、あの日から一歩も動いていないのかもしれない)…」

 底知れぬ暗闇に引きずり込まれるような、強烈な眩暈が宅成を襲った。

 しかし、宅成は力強く頭を振って、その弱気な幻影を自ら打ち砕いた。

 違う。自分は動いたのだ。

 新羅の秘密拠点の牢獄で、看守たちの言葉を必死に盗み聞きして新羅語と唐語を血肉に変え、嵐の夜に快速船を奪って蓮の手を引き、死線を超えて渤海の白銀の大地に辿り着いた。ツングースの深い針葉樹の森で、渤海国の猟師たちに救われ、貂(てん)の毛皮を剥ぐ技術を学びながら、完璧な渤海語を身につけた。そして唐の揚州で、最愛の蓮との間に新たな命を授かりながらも、国禁という非情な壁と円仁の帰国を救うという大義のために、最愛の妻とまだ見ぬ我が子を異郷に残して、血を吐くような決別をした。日本に帰国してからは「穢れ」として隔離され、両親の死を知らされ、名門春日氏の陰に隠れながら、最底辺の役人として朝廷の倉庫の埃にまみれ、穀物の数を数えるだけの無味乾燥な日々を、ただ「言葉」という武器だけを頼りに耐え抜いてきたのだ。

 全ては、この瞬間のためにあったのだ。

 加賀国衙。

 かつて父が目(さかん)として、現地の住人の身の安全を確保するために最前線に立ち、そして自らが無残に奪い去られたまさにその地が、今度は、烏孝慎(う・こうしん)率いる渤海使百四人を迎え入れる臨時の鴻臚館(こうろかん)となる。

 運命という言葉を安易に口にすることを、宅成は深く嫌っていた。しかし、これほどまでに残酷で、かつ完璧な復讐の舞台が整う巡り合わせに対して、その言葉を使わずして何と呼べば良いのだろうか。

 国衙の厳めしい重門が眼前に迫ったとき、宅成は直垂(ひたたれ)の懐にそっと手を差し入れた。

 指先が触れたのは、かつて渤海を去る日、現地の猟師たちから「日本へ帰るための手形にしろ」と贈られた、最高級の貂の毛皮の切れ端であった。

 年月を経て、毛皮はすっかり色褪せていたが、その柔らかな手触りと、手のひらに伝わる微かな温もりだけは、あの白銀の大地と、揚州の運河の冷たい夜霧、そして「いつか必ず迎えに行く」と誓った最愛の蓮との約束を、昨日のことのように思い出させる。

 「蓮、僕は帰ってきたよ。今度は、すべてを奪われたこの場所へ、奪い返すための唯一の武器、『言葉』を携えて……」

 宅成は、同行する都の役人たちには聞こえないほどの微かな呟きを残すと、懐からゆっくりと手を抜いた。

 その瞳からは、迷いも、恐怖も、そしてかつての虜囚としての傷跡さえも完全に消え去り、ただ一人の冷徹な実務家としての、底知れぬ知性の光だけが宿っていた。

 傍らで、重圧と寒さに顔をこわばらせ、安倍清行の辞退によって一人で大役に挑まされている領渤海客使・苅田安雄(かりたのやすお)の、不安げな様子が目に入る。

 「閣下、参りましょう。本朝の架け橋としての職務を果たすために」

 宅成は、かつて自分が無力な子供として引き裂かれた加賀国衙の門を、堂々と、そして確かな力強い足取りでくぐり抜けていった。奪われた場所へ、自らが磨き抜いた唯一無二の言葉を携えて、宅成は今、一人の強靭な実務家として歴史の表舞台へと踏み入っていったのである。


 こうして臨時の鴻臚館となった加賀国衙では、渤海使の饗応が厳かに執り行われることとなった。館の内外には、最高権力者である太政大臣藤原良房の派遣した偵察の者と、伴善男に代表される理想主義の勢力の派遣した偵察の者、そして、一生に一度あるかないかというイベントを見物に来た数多くの加賀国の人達がひしめいて、張り詰めた緊張感が漂っていた。

 渤海大使の烏(う)孝慎(こうしん)は、この時すでに三度目の来日を果たす老練な外交官であった。烏孝慎はかつて承和八(八四一)年には使節の一人として、嘉祥元(八四八)年には副使として、洗練された平安の都の風に触れてきた。烏孝慎が期待していたのは、西の契丹からの圧力と、不穏な動きを見せる新羅、そして内側から腐り始めた大唐帝国の黄昏を、日本の朝廷の重鎮たちが筆談による漢詩の唱和の奥に読み取ってくれることであった。

 しかし、自分たちの前に現れた接待役である通事の地位が、三十段階ある官位の最下層に近い大初位下であるという事実を聞かされた瞬間、烏孝慎の瞳には隠しようのない落胆と、侮辱に近い困惑が走った。国家を代表する使節に対して最下層に近い役人を送ることは、当時の国際儀礼においては日本側からの拒絶や軽視を意味するに等しい非礼であったからである。

 背後で見守る伴善男らの派遣した偵察の者は、この光景を冷ややかな嘲笑とともに眺めていた。藤原良房の外交計画は失敗し、太政大臣だけではなくその周囲を含めた広範囲の破綻へとつながるという期待も沸き上がった。「太政大臣も焼きが回ったか、名もなき卑しい三十男を連れてきて、渤海相手に何かをなそうとして失敗した」という報告を送る準備まで始めていた。

 しかし、宅成が口を開いた瞬間、臨時の鴻臚館となった加賀国衙の空気は物理的な衝撃を伴って一変した。

 「アンバ・エルチン・エジェン、ノト・デ・イシタラ・ゴルミン・ジュグン・デ、シンデ・ウメシ・スイラハ・ビデレ。ムセ・グルン・スウェンベ・アンバ・ホルボホ・グルン・オブメ・オクドンビ(大使閣下、能登までの長旅、さぞお疲れでございました。本朝は貴殿らを最大の同盟国として歓迎いたします)」

 宅成の発した言葉は、都の貴族たちが教養として必死に学んできた洗練された唐語、すなわち今から千年以上前の中国語でも、日本人が何度か耳にしてきたことのある新羅語、すなわち今から千年以上前の韓国語でも、ましてや慣れ親しんだ日本語でもなかった。それは、烏孝慎たちの故郷、白銀の雪と深い針葉樹の森に囲まれた大地で話されている、重厚な響きを持つ渤海語そのものであった。

 宅成の言葉の端々には、かつて八歳で拉致され、雪深い渤海国で靺鞨族の猟師たちと囲炉裏を囲み、最高級の貂(てん)の毛皮を剥ぎながら吸収した「生きた魂の響き」が宿っていた。それは文法的に正しいという次元を遥かに超え、渤海の風土と、そこに生きる人々の皮膚感覚を知る者だけが持ち得る圧倒的な説得力を備えていた。

 当時の都において、渤海語は「実務に役立たない無駄な学問」として嘲笑の対象であった。多少は理解できる者ならばいたが、宅成のように流暢に渤海語を話せる者はいなかった。


 それは渤海からの使者達も同じで、日本側の役人達や貴族達が渤海語を話すことはなく、あったとしても簡単な挨拶程度だと考えていた。現在の通訳に相当する職務である通事も日本の用意する役人であるが、歴代の通事は渤海語をそこまで深く理解してはおらず、最終的には漢文と漢詩の筆談によるやりとりに終始することになると考えていた。

 しかし、宅成が清らかな水が流れるように、それでいて北の大地の力強さを伴ってその「生きた魂の響き」を操る姿を見て、周囲の貴族たちは唖然として立ち尽くし、渤海からの使者達は驚きを隠せなくなった。

 特に唖然としたのは、伴善男が派遣した偵察の者であった。伴善男らが武器としていた、律令の条文や漢籍の知識といったマニュアル化された教養が、宅成の「生きた力」の前に、いかにも空虚な飾り物であるかが白日の下に晒されたのである。

 烏孝慎は驚きのあまり、それまでの外交官としての仮面を脱ぎ捨てて立ち上がり、宅成の手を固く握りしめた。

 「……シ・ヤラ・ウェ・ビ? アイ・トゥルグンデ・ムセイ・ギスン・ベ・エレ・ゲセ・シュミン、ミニ・ニヤマン・イ・グチュ・イ・アダリ・ハフ・ウルヒンビ(貴公、いったい何者だ。どうして我らの言葉を、これほどまでに深く、我が腹心の友のように理解しているのだ)?」

 宅成は微笑んで、しかし毅然として答えた。

 「ビ・ダム・エム・ハファン・テイレ。トゥットゥ・ビチベ、エレ・ギスン・ビチ、メデリ・ベ・ラクチャン・ワカ、ホルボメ・ドーハン・オンビ(私は、ただ一人の役人に過ぎません。しかし、この言葉があれば、海は隔たりではなく、架け橋となります)」

 この瞬間、饗応の場は、単なる儀礼的な漢詩の唱和や、形骸化した先例の踏襲を競い合う政治ゴッコの場から、国家の命運を賭けた真の外交の場へと変貌を遂げた。

 宅成は、漢文による筆談ではどうしても漏れ落ちてしまう微妙なニュアンス、すなわち、言葉の裏に潜む利害と危機を、直接の会話を通じて次々と引き出していった。烏孝慎は、宅成という唯一無二のつながりを信頼し、公的な国書には記しきれなかった渤海の赤裸々な現状を語り始めた。

 その言葉を宅成は余すことなく日本語に訳して伝えた。

 「『西の契丹の台頭は凄まじく、かつての大唐帝国すらもはや防波堤にはなり得ない。渤海国が日本を頼るのは、単なる交易のためではない。新羅の海賊が日本海を荒らし、日本を脅かしているのと同様に、渤海国もまた生存を賭けているのだ』。そう申しております」

 宅成が聞き出したこれらの情報は、大初位下という細い、しかし詰まることのないつながりを通じて、静かに、そして確実に届けられた。藤原良房の派遣した偵察が加賀国から太政大臣藤原良房へと次々と書状が送りだし、藤原良房はまさに求めていた情報を次々と獲得していった。藤原良房が渇望していたのは、律令の理想論や財政負担の不平不満ではなく、こうした海の向こうの「動乱の現実」であった。

 新羅を挟み撃ちにするための同盟、唐の衰退による東アジアのパワーバランスの崩壊、そして契丹という新興勢力の脅威。宅成の通訳によってもたらされたこれらの生きた情報は、藤原良房が自らの現実主義の政策を正当化し、国防の盾を築くための決定的な武器となったのである。


 加賀国で渤海使を饗応していた天安三(八五九)年四月、平安京から急使が加賀の国へと派遣されてきた。

 その報せの内容を知った渤海使達は、日本の情勢が想像以上に良くないこと、自分たちが加賀国に留め置かれることが日本側の配慮なのだと理解した。

 何の知らせであったのか?

 元号が天安から貞観へと改められたのである。

 九歳の清和天皇が、そして太政大臣藤原良房が理想としたのは、唐の太宗による「貞観の治」であった。それは先例に囚われぬ改革と、実利を重視する統治の代名詞である。藤原良房はこの新元号に、自らが進める現実主義の宣言を重ね合わせていた。

 貞観という新しい元号が意味するところは渤海使達も理解したが、それよりも大切なこととして捉えられたのは、改元しなければならないほどに天然痘の流行が悪化しているという日本からのメッセージであった。

 渤海使達の中には平安京に向かって日本国天皇に謁見するという従来の渤海使の行動を自分たちも選ぶべきだと主張する者もいたが、改元というニュースに接してからは加賀国に留まることがやむを得ないという意見にまとまった。

 渤海使達がニュースに接したように、平安京の貴族達も、都から離れた加賀国での対外交渉の様子を、三種類の方法で知ることとなった。

 一つは藤原良房の派遣した偵察の者が送る私的な書状。

 二つ目は伴善男の派遣した偵察の者が送る私的な書状。

 最後に、渤海客使苅田安雄が送る正式な書状。

 書状の頻度は一番目が最も多く三番目が最も少ないが、送られた書状を目にできる人の割合は三番目が最も多く一番目が最も少ない。

 藤原良房も伴善男も自分の派遣した偵察から書状を連続して受け取っていたが、その書状の内容は非公式なものであり、公表される内容ではないために、一部の人しか情報に接することはできない。

 そうした情報が断片的に漏れるために、平安京での渤海使に関する情報は雑多なものとなってしまっていた。

 ただ、そうした雑多な情報の中でただ一つ、全てに共通している情報があった。

 日本の用意した通事の春日宅成が、完璧な渤海語を駆使して渤海使をこれ以上ない形で饗応したことの賛美である。

 また、ただ一人の渤海客使となった苅田安雄も、外交については未知数であったという評判をかき消すだけの成果を残していることの記録が届いていた。ただし、こちらは苅田安雄が書状の送り主なので、こちらはある程度差し引いて考え無ければならないが。

 貞観元(八五九)年五月一〇日、加賀国司らが渤海使からの啓牒と進物を進上したことで、日本と渤海との同盟は正式に延長されることとなり、これで日本の国外情勢は平和のまま推移することが決まった。

 国外関係にはさほど興味を示さない人であっても、渤海国から送られてきた輸入品には興味を持つ。この時代の渤海からの輸入品のトップは何といっても毛皮であり、このときも渤海からの毛皮が京都にやってきて、貴族たちの間でもてはやされた。

 とは言え、誰もが毛皮に熱中したというわけではなく、冷めた視線で眺める人もいた。その一人が伴善男で、これから夏を迎えるというのに、あんな暑い着物を喜んで着ているのはどうかしていると苦言を述べている。

 一方、その伴善男ですら感心せざるをえない進物がこのとき渤海からもたらされた。新しい暦である長慶宣明暦である。略称としては宣明暦。太陰暦をベースとしており、太陽暦との誤差を修正するため一九年間に七回の閏月を挿入するのは従来の暦と変わらないが、長慶宣明暦は計算が極めて綿密であるため、日食や月食をこの時代においてはかなり正確に割り出せた。

 貞観元(八五九)年六月六日、渤海使、帰国。天然痘の流行ゆえに平安京入京がかなわなかったため、今回は京都行きを断念して二年ないし三年後にまた改めて使者を派遣するほうがよいという意見が出され、国書を預けた上で渤海使は帰国した。これは通常の流れではないが、感染症という天災を前にしてはやむを得ぬ処置であった。

 貞観元(八五九)年六月二三日、渤海国王からの勅書が京都に届けられた。これで渤海使の来訪は全て終えたこととなる。


 貞観元(八五九)年の渤海使饗応を無事に成し遂げた宅成に与えられた報奨は、大初位上への昇叙と、播磨少目(はりまのしょうさかん)への任官であった。

 現代の感覚で言えば、入社二年目の若手が社長賞を受け、地方支店の主任クラスへと昇進したようなものであるが、忘れてはならないのは、宅成はもう三十代になっていたことである。出世コースにある者からすると遅いとするしかないし、周囲の貴族たちから見れば依然として地下(じげ)の役人に過ぎない地位ではあったが、宅成にとって播磨への赴任は、自らの実力を証明するための新たな戦場であった。

 播磨国は、瀬戸内海の物流の要衝であり、外交と経済が交差する土地である。宅成は国衙(こくが)の一員として、徴税や公文書の管理に明け暮れた。しかし、宅成が他の役人と決定的に違っていたのは、その眼差しである。かつて新羅人から船を買い、円仁の帰国を助けた経験を持つ宅成は、単なる帳簿上の数字の中に、海の向こうから流れてくる富と危機の予兆を読み取っていたのである。

 「この言葉、この経験こそが、私の命そのものだ」

 宅成は播磨の潮風に吹かれながら、夜な夜な自らの渤海語ノートを更新し続けた。都の貴族たちが実務に役立たない蛮族の言葉と嘲笑したその知識を、宅成は播磨での海運実務と照らし合わせ、より強固な武器へと研ぎ澄ませていった。

 貞観という新元号の空気は、播磨にいる宅成にとっても追い風となった。藤原良房の進める政策下では、門閥や漢籍の暗記よりも結果を出す能力が評価され始めていた。宅成が播磨で上げた物流改善の成果や、新羅商人との密かな情報交換の記録は、蔵人頭となっていた藤原良房の弟の藤原良相や、後に藤原良房の後継者となる藤原基経を通じて、確実に藤原良房の耳に届いていた。

 しかし、一方で朝廷内には伴善男に代表される理想主義の勢力が根強く残っていた。伴善男らは宅成のような素性の怪しい実務家の台頭を苦々しく思い、宅成のように藤原良房によって抜擢された面々の失脚を狙っていた。宅成の不遇は、単に官位が低いことではなく、常にこうした政治闘争の最前線に晒され続けるという緊張感の中にあった。

 播磨で働き始めてから二年の間、宅成の心を最も苛んだのは、政治の混迷でも職務の激務でもなかった。それは、十四年前に唐の揚州で別れたきりの妻と、妻の胎内にいた我が子への断腸の思いであった。

 宅成は、播磨の港に宋や新羅の商船が着くたび、密かに現地の情勢を尋ね回った。

 「揚州の有力者の娘に、日本人の子を育てている者はいないか」

 「海を渡ろうとしている若き通事はいないか」

 しかし、返ってくるのは常に、唐国内の戦乱や不作といった不穏なニュースばかりであった。宅成は、自らが出世し、一国の国司となる権利を手に入れなければ、妻子を日本へ迎え入れるための「公的な力」を持てないことを痛感していた。

 宅成が大初位上という日陰の地位に甘んじながら、誰よりも真面目に播磨の公務をこなしたのは、全ては最愛の家族を取り戻すための、執念ゆえの行動であった。


 貞観二(八六〇)年が終わり、時代が貞観三(八六一)年を迎えたとき、日本海側に激震が走った。

 能登国への渤海使来着からわずか二年。李居正(り・きょせい)を渤海大使とする渤海からの百五名の使節団が出雲国へ現れたのだ。

 わずか二年での渤海使という報せを受けて、京の朝廷は意見が完全に二つに割れた。

 当時の議政官において、最大の論点は先例であった。天平宝字六(七六二)年以来、渤海使の来日は一二年に一度と定められていた。この規約は、単なる外交上の約束事ではない。使節を迎え入れる日本側が、滞在費用から帰路の船の建造費までをも全額負担するという、莫大な財政的犠牲の上に成り立つ儀礼の根幹であった。

 「前回の来日からわずか二年。これは明白なる規約違反であり、本朝を侮る所業である!」

 内裏に伴善男の鋭い声が響いた。伴善男を筆頭とする理想主義の貴族たちにとって、律令と先例は神聖不可侵な絶対の法であった。彼らにとって外交とは、自らの漢籍の教養を披露し、形式美を完遂することにある。唐が衰退し、新羅が海賊の巣窟と化している海の向こうの現実など、彼らの華やかな装束の裾を汚すだけの雑音に過ぎなかった。

 しかし、その対極に存在する太政大臣藤原良房と、実際に座す左大臣源信(みなもとのまこと)の眼差しは冷徹であった。

 特に、議政官の一員として議論の場に加わることのできない太政大臣に代わり、左大臣として議論の中枢に身を置くことが許される、そして、それこそが最大の職務である左大臣源信の存在は、議論の場を一変させる重厚さを持っていた。

 「先例は尊ぶべきだが、前回の使節は疫病と天災のために都に入ることすら叶わず帰国した。これを一回と数えるのは、実情に即した判断とは言えぬ。先例は墨守して国家存亡の危機を招くか、国家存亡を食い止めるために先例を破棄するか。今の本朝に必要なのは、法を語る唇ではない。海を渡り、信頼を繋ぐ言葉だ」

 源信の言葉は、藤原良房の意を汲んだものであった。藤原良房にとって、渤海は単なる朝貢国ではない。新羅を挟み撃ちにし、大陸の情報を仕入れるための、生存を賭けた「唯一の同盟国」であった。ここで規約を盾に使節を追い返せば、渤海は日本を見限り、孤立した日本は新羅海賊の侵略に対して独力で立ち向かわねばならなくなる。

 左大臣源信の言葉が空転する議論に終止符を打った。そして、この窮地を救うための劇薬として、再びその名が呼び上げられた。

 播磨国で潮風に吹かれながら、黙々と帳簿を整理していた一人の下級役人、春日宅成である。

 貞観三(八六一)年一月二八日。再び内裏へと召し出された宅成の姿に、居並ぶ公卿たちは目を見張った。

 二年前、大初位下として震えながら九歳の清和天皇から辞令を受け取ったあの時の三十路男の面影は消えていた。播磨での過酷な実務と、海を渡る商人たちとのタフな交渉、そして、二年前の実績を経て、その顔には揺るぎない自信と、数多の修羅場を潜り抜けた者だけが持つ静かな風格が宿っていた。

 「宅成よ。再びその言葉を以て、本朝の盾となれ」

 幼き帝の言葉を、宅成は深く頭(こうべ)を垂れて受け止めた。だが、その胸の内には、公務への使命感とは別に、十五年前から片時も忘れたことのない、揚州の港での別れの光景が渦巻いていた。

 なお、宅成はあくまでも現在の通訳に相当する職務である通事であり、渤海客使は藤原春景と葛井善宗との二名体制であった。

 この渤海客使の名が渤海使のもとに伝わったとき渤海使の間では特に深い関心が生まれなかったが、通事に春日宅成がいるという知らせが届いた瞬間、日本は最高の人材を送り出してきたと狂喜乱舞した。

 それは同時に、渤海使からの最高のプレゼントが無駄にならなかったことが判明した瞬間でもあった。


 葛井善宗が出雲国に向かって渤海使を迎え入れ、山陰道を通って渤海使の面々が平安京の西に位置する鴻臚館(こうろかん)に到着した。冷たい冬の霧が立ち込める中、渤海大使の李居正率いる使節団を藤原春景らが迎え、その中に日本側の通事に選ばれた宅成がいた。

 通常、通事は先行して渤海使を迎え入れる渤海客使に同行して、渤海使の到着した地、今回の場合は出雲国に向かうべきところであるが、今回は鴻臚館に留まることが命じられた。

 それは藤原良房の考えた演出であった。

 渤海使の前に、完璧な渤海語を操る宅成を配して、渤海使が完璧な渤海語を遠く離れた日本の地で耳にしたことを仰天する。そして、鴻臚館の中は外交冒頭緊張が打ち解け、同盟国間の和やかな雰囲気を生み出す。

 これにより、外交の成功をイメージ付けさせるのである。

 宅成を招いて渤海客使藤原春景が歓迎の言葉を述べ、その言葉を宅成が渤海語に訳す。その言葉は二年前と変わらぬ完璧な渤海語であった。

 その後、渤海大使李居正が外交団の中にいる若者を一人呼び出して、自分の渤海語を日本語に通訳させた。

 その若者は並み居る渤海官人たちの列の端に、ただ一人、どこか異質な空気を纏った若者が立っていた。

 その若者は、渤海特有の重厚な毛皮の装束に身を包みながらも、その立ち振る舞いには、渤海国の人達とはどこか異なる感じがした。

 何より、その顔立ちが異なる感じというか、妙な親近感を抱かせるものがあった。

 「…(そんな馬鹿な。あり得るはずがない)…」

 その若者は、たどたどしいとは感じながらも申し分ないレベルで大使の渤海語のスピーチを日本語へと通訳していった。

 宅成は動揺を押し殺し、実務的な渤海語で大使との対話を続けた。しかし、その視線は吸い寄せられるように、渤海側の通訳を務める若者へと向かった。整った眉、決然とした口元、そして知性と野性を共存させたその瞳。それは、鏡を見るまでもなく、自分自身の若い頃そのものであった。

 「……、汝(ニョ)名(ミャン)為(フィエ)何(ハ)(名を、何と言う)」

 公式な謁見が終わり、わずかに生じた沈黙の隙間で、宅成は若者に問いかけた。日本語でも渤海語でもなく、ここで理解できる人の少ない唐語を用いて。

 若者は一瞬、驚きに目を見開いた。そして、宅成の目を見つめ返し、一文字ずつ噛みしめるように、完璧な発音の唐語で答えた。

 「名(ミャン)宗(ツォン)健(ギョン)(名は宗健(そうけん))。今(キム)年(ネン)十(ジプ)五(ング)歳(シュエイ)矣(ヒ)(今年で十五歳になります)」

 十五歳。その響きが、宅成の心臓を鋭く射抜いた。


 「母(ムウ)者(チャエ)、唐(ダン)揚(ヤン)州(チュウ)有(フュウ)力(リッ)者(チャエ)之(チ)女(ニョ)也(イェ)。十(ジプ)年(ネン)前(ヅィエン)捨(シャエ)揚(ヤン)州(チュウ)、與(ヨ)我(ンガ)共(グン)渡(ドゥ)渤(ブオッ)海(ホイ)。為(フィエ)逢(ボウ)父(ブ)也(イェ)(母は唐の揚州の有力者の娘でしたが、十年前に揚州を捨てて私とともに渤海へと渡りました。父と会うためです)。我(ンガ)不(プウ)知(チェ)父(ブ)(私は父を知りません)。母(ムウ)唯(ユイ)教(カウ)我(ンガ)曰(フォッ)、『汝(ニョ)父(ブ)者(チャエ)、曾(ヅォン)携(フエイ)言(ンギョン)語(ンギョ)之(チ)器(クヒ)、歸(クィ)日(ニッ)本(プオン)之(チ)英(イャン)雄(フュン)也(イェ)』(母はただ、『お前の父は、かつて言葉という武器を携えて日本へと帰った英雄だ』とだけ教えてくれました)。我(ンガ)為(フィエ)追(ヂュイ)父(ブ)、學(ハウク)渤(ブオッ)海(ホイ)語(ンギョ)、為(フィエ)使(シュレ)節(ツェッ)之(チ)一(イッ)員(フィウォン)、來(ロイ)至(ツィジ)此(ツィエ)地(ディ)(私は父を追うために渤海語を学び、使節の一員としてこの地へ参りました)。母(ムウ)至(ツィジ)今(キム)猶(ユウ)於(イオ)渤(ブオッ)海(ホイ)待(ドイ)父(ブ)(母は今も、渤海で父を待っております)」

 宗健の言葉は、鴻臚館の冷たい空気の中で、宅成の鼓膜を震わせ続けた。

 かつて、承和十四(八四七)年の揚州。拉致から八年を経てようやく掴んだ帰国のチャンスと、最愛の妻の胎内にいた我が子との天秤。宅成は、自らの名を取り戻し、いつか言葉でこの海を平和な架け橋に変えるという狂気にも似た誓いを胸に、妻子を捨てて船に乗った。

 その「捨てたはずの命」が、今、自分と同じ武器、そう、言語という架け橋を手に、目の前に立っている。

 周囲の貴族たちは、通事である宅成と、無名の渤海官人の若者が、なぜこれほどまでに長い間見つめ合っているのかを理解できずにいた。伴善男などは「また宅成が蛮族と無駄話を始めている」と冷ややかな鼻笑いを浮かべていたが、藤原良房だけは、宅成の背中がわずかに震えていることに気づいていた。

 宅成は悟った。

 播磨での二年間、自分が孤独に渤海語を磨き続けていたあの時間は、単なる職務の研鑽ではなかったのだ。それは、揚州の空の下で同じように「言葉」を学んでいたであろう我が子と、海を超えて共鳴し合うための儀式であった。

 「……、善(ジェン)來(ロイ)、宗(ツォン)健(ギョン)(よく来たな、宗健)」

 宅成が絞り出したその言葉は、もはや外交官のそれではなく、一人の父としての慟哭と歓喜が混ざり合ったものであった。

 宗健は、父のその表情を見て、すべてを理解したように静かに微笑んだ。

 宗健のその微笑みは、かつて揚州の月明かりの下で宅成を、いや、当時の名である春太郎を見送った、蓮の面影に生き写しであった。

 この貞観三年の再会は、単なる親子の物語に留まらなかった。

 渤海側は、日本側の通事が自分たちの言葉を解するだけでなく、一族の血を分けた家族であると知ったことで、日本への信頼を決定的なものとした。藤原良房が求めていた生きた情報は、親子という唯一無二のつながりを通じて、これまで以上に濃密に朝廷へともたらされることになる。

 鴻臚館の窓の外では、寒風が吹き荒れていたが、宅成の胸には、北天の雪をも溶かすほどに熱い、誇り高き希望の火が灯っていた。これから始まる新たな外交の戦いにおいて、宅成にはもう、恐れるものなど何一つなかった。


 貞観三(八六一)年の冬、平安京の鴻臚館を包む霧は、いつになく冷たく、そして重かった。

 内裏の奥深く、太政大臣藤原良房の私邸である染殿第の障子の向こうで、春日宅成は平伏していた。

 三十代半ばを過ぎた宅成の顔には、播磨少目としての日々と、日本海の潮風が刻み込んだ深い沈黙の皺があった。大初位上という、貴族社会の底辺に淀む地下の役人にすぎない宅成が、天下の権力者の御前に直接召し出されるのは、二年前の清和天皇からの直状拝受に続く、二度目の異例であった。

 藤原良房は眉をわずかに動かし、宅成を見下ろした。

 「宅成よ。鴻臚館での再会、見事であったと葛井善宗から報告を受けておる。渤海使らが、お前の完璧な渤海語と、何よりその傍らに立つ若き通事の姿を見て、本朝への信頼をかつてないほどに深めたとな」

 「……恐れ入ります。すべては、太政大臣閣下のご差配の賜物にございます」

 宅成は静かに頭を垂れた。しかし、その胸の内には、数日前に息子の宗健から告げられた言葉が、熱い泥のように渦巻いていた。

 「…(母(ムウ)至(ツィジ)今(キム)猶(ユウ)於(イオ)渤(ブオッ)海(ホイ)待(ドイ)父(ブ)(母は今も、渤海で父を待っております))…」

 藤原良房はふっと息を漏らし、手元の漆塗りの文箱に視線を落とした。

 「伴善男らは、前回の来訪からわずか二年での渤海使の再着を、先例違反として激しくなじっておる。使節を即座に追い返せと内裏で口角を泡立てる善男は海の向こうの現実を何一つ見ておらぬ。新羅の賊は瀬戸内を脅かし、契丹の台頭は渤海の喉元に刃を突きつけておるのだ。この時局において、最大の同盟国である渤海との絆を断ち切るなど、国家滅亡に等しい」

 良房の目が、鋭い光を帯びて宅成を射抜いた。

 「そこでだ、宅成。お前を、李居正らの帰国船に同行させ、渤海国への『極秘の特使』、いや、本朝の意思を直接伝えるための生きた言の葉として派遣することとする。名目は、播磨国における海運実務の視察、および渤海からの輸入品目調整の通事だ。だが、真の役目は他にある。お前の言葉を以て、渤海朝廷に対し、日本が新羅への牽制において彼らと完全に歩調を合わせる意思があることを、公文書に残らぬ生きた肉声で伝えるのだ」

 宅成の手が、直垂の袖の中で激しく震えた。それは、朝廷の公式記録には「不浄の虜囚」として隔離されたあの長門の浜辺からの、十七年にわたる長き暗闇の果てに、ようやく差し込んだ光であった。

 国家の盾となること。それこそが、宅成がかつて揚州の港で、蓮の小さく震える背中を捨ててまで掴み取った、自らの存在証明であった。

 「春日宅成、お前の持つその稀有な言語の器、今こそ本朝と、そしてお前自身のために、全てを使い尽くせ」

 「御意にございます。この命、本朝の架け橋として捧げ奉ります」

 宅成は深く、深く拝礼した。懐の奥深くで、十七年間色褪せることのなかった、渤海の猟師から贈られた貂の毛皮の切れ端が、宅成の皮膚に熱い拍動を伝えていた。それは、最愛の蓮との約束の信物であり、宅成を白銀の大地へと呼び戻す、運命の手形そのものであった。

 貞観四(八六二)年、早春の出雲国。

 日本海に突き出た岬の陰に、二艘の渤海使船が静かに船首を並べていた。

 遣唐使船のような威厳を誇る巨船ではなく、荒波を切り裂く技術に特化した、堅牢な構造の船体である。

 出雲の波打ち際で見送る葛井善宗らの姿が次第に小さくなっていく中、宅成は甲板の上で、押し寄せる冷たい波飛沫を浴びていた。


 「父上、寒さは体に障ります。中へお入りください」

 渤海語の発音とアクセントが混ざった日本語の響きが、宅成の鼓膜を震わせた。

 振り返ると、そこには渤海特有の重厚な毛皮の装束に身を包んだ宗健が立っていた。

 その決然とした眉、知性と野性を秘めた瞳は、鏡を見るまでもなく、かつて「春太郎」と呼ばれていた頃の自分自身の面影そのものであった。

 「宗健……。いや、大丈夫だ。この寒さこそが、かつて私が八歳で新羅の海賊に拉致され、初めて渤海の大地に漂着したあの日の冷気を思い出させる。お前にとっても、この海は馴染み深いものであろう」

 宅成は日本語で息子に応えた。

 宗健は、船の手すりを細く頑丈な指で掴み、北の水平線を見つめた。

 「私は五歳のときに、母に連れられて揚州を立ちました。唐の都は安史の乱ののちも荒れ果て、外国人への視線は冷酷を極めておりました。母は、私を倭人の子として侮る周囲の目から守るため、そして何より、父上がいつか迎えに来ると信じたあの白銀の地へと戻るために、渤海の商船に全財産を投げ打って乗り込んだのです」

 宗健の言葉は、たどたどしい日本語と、完璧な発音の渤海語が混ざり合っていた。その一言一言が、宅成の胸に、かつて自分が犯した罪の深さを突き刺した。

 「蓮は……お前の母は、私のことを恨んではいなかったか。まだ見ぬ我が子の産声すら聞かず、ただ春日の一族としての名と、日本への帰国を選んだあの身勝手な父親を」

 宅成の問いに、宗健は静かに首を振った。

 「母は、一度として父上を恨む言葉を口にいたしませんでした。夜、渤海の凍てつく囲炉裏の傍らで、母は私に、父上が磨き上げた言葉の力について、繰り返し語って聞かせました。『汝父者、曾携言語之器、歸日本之英雄也(お前の父は、かつて言葉という武器を携えて日本へと帰った英雄だ)』と。その言葉が、私の耳に、そして魂に刻み込まれました。だからこそ、私は渤海で言葉を学び、父上と同じ通事となって、この海を渡る日を夢見続けたのです」

 「宗健……」

 宅成の喉の奥から、乾いた慟哭のようなものが込み上げた。

 自分が十七年間、平安京の埃まみれの倉庫で、穀物の数を数えながら孤独に渤海語の記録を整理していたあの時間は、決して無駄ではなかった。海の向こうで、同じように言葉を武器として這い上がってきた我が子が、自分との見えない架け橋を紡ぎ続けていたのだ。

 「父之器、我既承之(父の武器、我すでにこれを受け継ぐ)。これからは、私がお傍で、父上の言の葉を支えます」

 宗健が唐語で囁き、宅成の岩のように硬くなった手を、温かい手のひらで固く握り返した。

 荒れ狂う海流の怒涛が、船体を大きく揺らし、白い波頭が天を突く。しかし、親子の間に通い合う言葉という見えざる糸は、いかなる嵐であっても、決して引き裂くことのできない強靭な架け橋となって、二人の魂を固く結びつけていた。


 船が日本海を横断し、未知なる北の海へと滑り込んでから数十日。

 二人の前に現れたのは、かつて宅成が十五歳の時に去った、あの圧倒的な「白」の世界であった。

 見渡す限りの銀世界、天を突くような針葉樹の針の山。そこは、渤海国の南端に位置する港湾都市、塩州城であった。

 「……帰ってきた。十六年ぶりだ」

 宅成が、港に降り立ち、白銀の土をその足で踏みしめた瞬間、宅成の内側に眠っていた「春太郎」としての記憶が、せきを切ったように溢れ出した。

 靺鞨族の猟師たちに救われ、貂の毛皮を剥ぎながら、じっと時を待ったあの過酷で牧歌的な日々。

 港には、大使の李居正を歓迎するために、渤海朝廷の地方官や兵士たちが整列していた。

 彼らが操る重厚な響きの渤海語が、宅成の耳に飛び込んでくる。

 都の貴族たちが「実務に役立たない無駄な学問」と蔑み、無駄な知識だと笑ったその言葉。しかし、宅成にとって、それは自分の血肉であり、生存のための唯一の鍵であった。

 宅成は、李居正の傍らに立ち、完璧な渤海語で、日本の太政大臣・藤原良房からの極秘のメッセージを地方官たちに伝達し始めた。

 「アンバ・エルチン・エジェン。ムセ・グルン・スウェニ・グルン・ベ・アンバ・ホルボホ・グルン・オブメ、エレ・メデリ・イ・ジョボロン・ベ・ウヘイ・ダバメ・グニン・ベ、ムセイ・ハン・デ・ベイェ・ギスレンビ(大使閣下。本朝は貴国を最大の同盟国とし、この海の危機を共に乗り越える意思を、我が王に直接お伝えいたします)」

 地方官たちは、大初位上という日陰の地位にあるはずの日本の役人が、まるで現地人と寸分違わぬ生きた魂の響きで渤海語を操る姿に、唖然として立ち尽くした。

 彼らの驚きは、やがて畏敬の念へと変わり、日本という国家が、自分たちを「対等の同盟者」として本気で遇しているという確信へと昇華されていった。

 公式の儀礼と、公文書に残らぬ裏の外交実務を、宅成は実務家としての迅速さで整えていった。

 新羅の衰退と、西の契丹という新興勢力の脅威。それらの情報を、現地で交わされる生きた会話から吸い尽くし、脳裏のノートに書き留めていく。これこそが、将来、日本に帰国した際、朝廷を守る盾となるための、実務家としての宅成の仕事であった。

 そして、すべての任務が完了した夜。

 塩州城の喧騒から離れ、宅成は宗健の案内により、さらに内陸へと続く雪深い森の道を進んでいた。

 馬を走らせること一日。深い針葉樹の森の奥深くに、かつて春太郎が十歳から十五歳までを過ごした、あの懐かしい靺鞨族の集落が見えてきた。

 囲炉裏から立ち上る青い煙、雪の重みに耐える高床の家々。

 そこは、平安京の洗練された宮廷社会の美意識からは、人間性を剥奪された蛮族の地と映るかもしれない。だが、宅成にとっては、かつて家族を奪われた自分が、一人の実務家として再生を遂げた、温かい故郷そのものであった。

 「父上、あの家です。母は、あの高床の家で、今も機を織りながら待っています」

 宗健が、雪の道を指し示し、自らの馬を止めた。

 宅成は、激しく鼓動する胸を押さえ、馬から降りて、一歩、また一歩と、白銀の雪を踏みしめて歩き出した。


 雪が深々と降り積もる、靺鞨の村の片隅。

 凍てつく風のなかに、カタン、コトンという、規則正しい機織りの音が、静かに響いていた。

 その音は、かつて春太郎が白銀の大地で、蓮が織り上げる唐絹の音を聞きながら、未来の脱出を夢見たあの夜の音と、全く同じリズムを刻んでいた。

 高床の家の扉が静かに開き、一人の女性が、防寒用の厚い毛皮の衣を纏って外へと出てきた。

 年月は、蓮の清らかな黒髪に白い雪のような霜を交え、その目元には、過酷な放浪と耐忍の歳月が刻み込んだ深い皺を作っていた。

 だが、その背筋をピンと伸ばした立ち姿、そして何より、世界に対する不屈の知性を湛えた瞳は、十五年前、揚州の港の月明かりの下で、小さく震えながら宅成を見送った、あの蓮の面影そのものであった。

 蓮は、歩み寄る男の姿を見つめ、その場に立ち尽くした。

 かつて十六歳であった春太郎は、今や三十半ばを過ぎ、苦労と沈黙が刻み込んだ、日本の下級役人としての重厚な風格を纏っていた。

 しかし、二人が置かれた状況に、言葉は必要なかった。

 宅成は、静かに懐に手を入れ、一つのものを取り出した。

 それは、かつて渤海を去る日、近所の人たちから贈られた最高級の貂の毛皮の、十七年間、宅成が肌身離さず持ち歩いていた、色褪せた切れ端であった。

 「……蓮(レン)、此(ツィエ)我(ンガ)等(トン)信(シン)物(ミュッ)也(イェ)(蓮、これが僕たちの『手形』だ)」

 宅成が、絞り出すような、しかし震えることのない完璧な唐語で囁いた。

 蓮の瞳から、大粒の涙が溢れ出し、白銀の雪の上に落ちて、小さな穴を開けた。

蓮は宅成の元へと駆け寄り、その厚い胸に顔を埋めた。

 「春太郎……。汝果來迎我(春太郎、あなたは、やはり私を迎えに来てくれたのですね)……。猶勝於十五年之霜(十五年の凍てつく霜の歳月に打ち勝って)……」

 「蓮、すまなかった。お前を一人にし、生まれてくる我が子の顔すら見ず、ただ春日の名を取り戻すために日本へ帰った、私の身勝手を……どうか許してくれ」

 宅成は、蓮の肩を抱きしめ、その温もりに顔を埋めて、生まれて初めて、大粒の涙を流した。

 都の同僚たちに「蛮国の言葉を学ぶ愚か者」と嘲笑され、最底辺の位階で埃にまみれながら穀物を数え続けた、あの十五年間の過酷な日々。

 そのすべての苦しみが、蓮のこの柔らかな体温と、白銀の雪の静寂の中に、静かに溶けて消えていった。

 「春太郎、汝無過也(春太郎、あなたに過ちはありません)。汝以言語之器、守本朝、亦守我等(あなたは言葉という武器を以て、国を守り、そして私たちをも守ってくれたのです)」

 蓮が、宅成の顔を見上げ、かつて揚州の月明かりの下で見せた、あの慈愛に満ちた微笑みを見せた。

 傍らには、馬の手綱を握った宗健が、静かに微笑みながら、親子の再会を見守っていた。

 かつて引き裂かれた家族の温もりが、今、言葉という見えざる、しかし最も強靭な架け橋を通じて、完璧なものとして修復されたのだ。

 「蓮、宗健。我等信物、今畢矣(蓮、宗健。僕たちの約束は、今、果たされた)」

 宅成は、蓮の手を、そして歩み寄ってきた宗健の手を、自らの大きな手で固く握りしめた。

 海の向こうでは、新羅が国家としての体裁を失い、日本海は荒れ狂い、唐帝国は黄昏に沈みつつある。

 しかし、言葉という架け橋を手に、運命を支配する力を手に入れた春日宅成には、もう、恐れるものなど何一つなかった。

 白銀の大地の上で、親子の、そして夫婦の絆が、東アジアの動乱の海を平和に変える、真の「架け橋」となって、未来を明るく照らし出していた。


本作は平安時代初期に活躍した通事(現在の通訳)、春日宅成(かすが の やかなり)の前半生を描いた作品である。春日宅成の生涯については不明点が多いものの、渤海や唐の滞在経験があること、天台僧の円仁とともに日本へ帰国したこと、大初位下でありながら藤原良房に抜擢され渤海使供応役の一員に加わったこと、宗健(そうけん)という名の子が唐にいることは全て記録に残っている。

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