表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アクのマオウ  作者: ねむ
第二章:第一の神器

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/11

Crack08:ノイズの産声

背後で、世界が「白」く塗り潰される音が響いていました。  それは建物が崩れる音でも、火が燃える音でもない。ただ、記憶と存在が強引に再定義され、無機質な石の沈黙へと上書きされていく、身の毛もよだつような静かな「修正音」でした。


 アークは何度も後ろを振り返ろうとしました。黄金の光に包まれた村の入り口、そこで一人、巨大な壁のように立ちはだかっていたバルトの背中。そして、その隣で魔導書の頁をめくり、知識という名の防壁を築いていたソフィアの姿。


「見るな、アーク! 前だけを見ろ!」


 ロイの声が、鞭のようにアークを打ちました。ロイの瞳は、溢れそうになる涙を、煮え滾るような殺意と冷徹な演算で強引に蒸発させていました。  彼の鋭敏すぎる五感は、すでに「確定」した真実を拾い上げています。バルトの闘気が急速に摩耗し、ソフィアの魔力が尽きかけていること。そして……村を覆ったテクスチャが、完全に閉じようとしていることを。


(……ごめん。ごめん、父様、母様。僕が、二人を置いていく。僕のこの『最良の選択』が、いつか僕の心を殺したとしても……!)


ロイはアークの手首を、血が止まるほど強く握りしめたまま、湿った地面を蹴りました。


やがて、背後の光が完全に遮断され、周囲は深い森の闇へと変わりました。  シンのユウシャが歩む「聖域」が管理された庭園だとするなら、ここは世界の修正が追いついていない、剥き出しの「ノイズ」が潜む未開の地。腐った落ち葉の臭い、まとわりつく湿気、そして……。


「……止まれ」


 ロイが突然、アークを立ち木の影へと引き込みました。  先ほどまでの激情は消え、その瞳は精密機械のような冷たさを湛えています。彼は地面に指を触れ、土の振動と、風の僅かな乱れを読み解きました。


「アーク、剣を抜け。父様が稼いでくれた『隙間』を、もう追っ手が埋め始めている」


「……リマスタか」


 アークは、背負った古びた大剣の柄に手をかけました。  バルトがかつて使っていた、傷だらけの無骨な鋼。それは「聖王の盾」としての栄光などどこにもない、泥の中で家族を守るために振るわれ続けてきた、ただの鈍色の刃でした。


「北西から三。……速い。もう三、四百の距離だ。索敵班じゃない、殺す気で来ている特務兵だね」


 ロイはそう言いながら、腰のポーチから母ソフィアが持たせてくれた「未定義の魔導石」を取り出しました。  二人の少年の周囲に、不吉な沈黙が広がります。


 ここから先、彼らを導く「正解」はどこにもありません。  あるのは、泥にまみれた「生」への執着と、自分たちを消そうとする世界への、静かな、けれど決して消えることのない怒りだけ。


「……行こう、ロイ。僕たちの『現実』を、アイツらに見せつけてやるんだ」



 アークの瞳に、赤黒い澱みのような光が宿ります。その小さな拳は、怒りと喪失感で白く震えていました。


「落ち着け、アーク。僕たちの目的は殲滅じゃない、生き延びることだ。リマスタの特務兵は、標的を見つけると即座に王都へ座標を送信する。送信される前に、音もなく消す。……いいな?」


 アークが頷くよりも早く、森の木々を透過するように、三つの白い影が姿を現しました。  それは、感情を排した仮面を被った「リマスタ(聖和改修省)」の特務兵たち。彼らはアークを一目見るなり、冷徹な機械のごとき声を発しました。


『――不純物「アーク」を検知。座標固定、再定義リマスタシークエンスを開始。……周辺ノイズ「ロイ・ヴォルフラム」を含め、一括削除を推奨する』


 白い兵士たちが一斉に抜剣しました。その刃は、物理的な破壊を目的としたものではありません。それは、不純物の心に宿る「反抗の意志」や「怒り」という名のバグを削ぎ落とし、ただ従順で無害なデータへと書き換えるための、無機質な修正の光を放っていました。


『――不純物、およびノイズを確認。対象の「反骨精神」を削除し、再定義リマスタを開始する。大人しく、あるべき「正解」の一部となれ』


 その刃が触れれば、痛みを感じる間もなく、世界への疑問も、両親を奪われた怒りさえも消し去られ、ただ空っぽの「理想的な住民」にされてしまう。それはアークにとって、死よりも残酷な魂の抹殺でした。


「――ロイ、下がってろ!」


 アークが叫ぶとともに、彼の中からドロりとした「黒」が溢れ出しました。  それはユウシャの清らかな光とは真逆の、ドロドロとした怨嗟を煮詰めたような魔力――「アクのマオウ」の萌芽。


「……ああああぁぁっ!」


 アークが地を蹴りました。速い。  先頭の偵察兵が光の刃を振り下ろしますが、アークはそれを避けようともせず、素手でその刃を掴みました。


『――エラー。定義外の干渉を検知。修正不能……』


「うるさい……。修正だの、削除だの……勝手なことばかり言うな! 僕は、僕たちは、ここに生きてるんだ!」


 アークの右拳に集束した黒い魔力が、偵察兵の仮面を粉砕しました。  物理法則を無視した衝撃が森を震わせ、偵察兵の体がポリゴンの欠片のように弾け、光の塵となって消えていきます。


「アーク、左だ!」


 ロイの警告。死角から襲いかかる二人目の兵士に対し、ロイはあらかじめ配置していた魔導石を起動させました。   「――《感覚遮断・局所霧ローカル・フォグ》!」


 一瞬で立ち込めた濃霧が兵士の視界を奪います。ロイは父から教わった「目に見えない真理を読み解く五感」を使い、霧の中でも正確に敵の位置を把握していました。


「そこだ、アーク!」


「――やめろぉぉぉっ!」


 アークが吠え、右拳に凝縮された黒い衝動が爆発しました。  それは兵士たちの命を奪うための光ではなく、彼らを縛り付けている無機質な「修正の加護」を強制的に剥ぎ取り、生身の現実へと引きずり戻す**【否定】**の衝撃波でした。


 直撃を受けた白い兵士たちの仮面が砕け散り、その下から現れたのは、感情を奪われていた「人間」の顔でした。彼らはアークの力の余波で激しく地面に叩きつけられ、意識を失って沈黙しました。

 数分後。  静寂が戻った森には、二人の少年の荒い息遣いだけが残っていました。


「……はぁ、はぁ……。殺して、ないよな。ロイ」


 アークは震える手を見つめました。母を目の前で失ったあの日から、アークにとって「死」は何よりも恐ろしく、忌むべきバグとなっていました。自分を消そうとしたこの兵士たちにも、帰る場所があり、自分を待つ家族がいるかもしれない。そう思うと、殺すことなど到底できませんでした。


「ああ。全員気絶しているだけだ。リマスタの術式を強制解除して、脳に負荷がかかったんだろう……。命に別状はないよ」


 ロイは、倒れた兵士たちの首筋に手を当てて確認し、アークに短く告げました。


「優しいな、アーク。……でも、その優しさがいつか自分を苦しめることになるかもしれない。それでも、殺さないのか?」


「……うん。だって、死んじゃったら、もう二度と『間違っていた』って気づくこともできないだろ? 僕は、この人たちを直したいんじゃない。目を覚まさせてやりたいんだ」


 アークは倒れた兵士を一瞥すると、まだ微かに黒い泥のような魔力が揺らめく拳を強く握りしめました。母親の慈愛を受け継いだ少年の反逆は、決して誰かの命を奪うためのものではなく、歪んだ「正解」から命を取り戻すための戦いでした。


「……いや、これは始まりに過ぎない。敵に情報が届くのも時間の問題だ」


 ロイは、アークの肩にそっと手を置きました。その手は、かつて「聖騎士のトップクラス」として育てられた父のような力強さと、母のような慈愛を同時に宿そうとしていました。


「行こう、アーク。世界が僕たちを『バグ』だと言うなら……そのバグが、この完璧な世界をぶち壊してやるまでだ」


 二人の少年の背中は、かつてのような無邪気さを失っていました。  光り輝くシンたちの旅路とは対照的に、彼らは歴史の裏側、血と泥にまみれた「クラック(亀裂)」の中を突き進んでいくことになります。


 倒れ伏した白い兵士たちを背に、ロイは震える指先で、母ソフィアから託された重厚な革表紙のノートを開きました。  それは、この「黄金の世界」が隠蔽し続けてきた『仕様外の真実』を、ソフィアが書き留めた禁断の研究録。


「……ロイ、それは?」


「母様が最後に僕に押し付けたものだ。ここには、テクスチャの下に埋められた『古い地図』と、世界を維持するためのシステムの在り処が記されている」


 ロイがページをめくると、そこには聖王庁が発行する地図には決して載っていない、歪な等高線と不吉な記号がびっしりと書き込まれていました。ロイは五感を研ぎ澄ませ、現在の座標とノートの記述を脳内でリンクさせていきます。


 ふと、ロイの手が止まりました。追っ手がいつ迫るかわからない極限状態の中、情報を読み取ろうと捲ったノートの最初のページ。そこに、母ソフィアの端正な筆致で記された二つの名が、彼の目に飛び込んできたのです。


「……『リリアーナ』……『アルト』? 誰だ、これは」


 無意識にこぼれ落ちたその名を拾い、隣にいたアークが弾かれたように顔を上げました。


「えっ……ロイ、今なんて? なんでお母さんの名前を知ってるんだよ」


「……お母さん? アーク、君の母親の名前はリリアーナなのか?」


 ロイは目を見開きました。その名は、ロイの知る「現在の世界」の知識と激しく衝突したからです。


「待てよ……でも、今の聖王妃の名前も確か『リリアーナ』だったはずだ。慈教大国グラディアの王宮で、聖王ゼオンに寄り添う、世界で最も高貴な女性……。なのに、どうして」


 混乱がロイの思考を支配しかけます。しかし、今の彼らには大国の情勢を確認する術も、情報の真偽を確かめる時間もありません。ロイはノートの端に記された古い相関図と、これまでの断片的な記憶を強引に繋ぎ合わせ、推論を口にし始めました。


「……父様は、かつて『聖王の盾』だった。母様は王妃様と同級生で、この高度な知識を持っていた……。なら、二人が王家と深い関わりがあってもおかしくない。アーク、君の家は……」


 そこまで言いかけて、ロイは言葉を呑み込みました。アークはおもむろに胸元へ手を伸ばすと、服の下から一本の紐に吊るされた銀の指輪を取り出しました。


「……これ、見て」


 差し出された指輪の内側を、ロイの鋭い五感が捉えます。そこに刻まれていたのは、現在の歴史には存在しないはずの、不吉なまでに美しい名でした。


 ――Liriana Rosenberg

「『リリアーナ・ローゼンベルク』……?」


 ロイの思考が、音を立てて軋みました。「ローゼンベルク」。その響きを脳内の全データベースと照合しても、返ってくるのは冷たい空白エラーのみ。  今の王はゼオン・ディザストラム。聖王庁が定める歴史において、ローゼンベルクなどという家系は、最初から一文字も存在していない。


(……待て。じゃあ、 なぜ母様は、ノートの最初にこの名を記した?)


 ロイの脳裏に、霧の向こうから響くような、幼いアークの声がフラッシュバックします。


『うーん、言葉にするのは難しいけど……。誰かが昨日描いた絵を、無理やり……たような感じ。この……、たぶん……じゃない。』


 あの時、アークが何と言っていたのか。肝心な部分が、まるでノイズに書き換えられたように思い出せません。  ただ、指先の指輪と、母ソフィアが遺したノート。その二つが重なった瞬間、ロイは自分の足元が、巨大な「嘘」の関数で塗り潰されているような、底知れない戦慄を覚えました。


「アーク……君は、お母さんに何を教わってきた?」


 問いかけるロイの声は、自分でも気づかないうちに微かに震えていました。アークは自身の掌をじっと見つめ、静かに、けれど呪いのように確かな熱を込めて呟きました。


「……関係ないかもしれないけど。村のみんなに『マオウの子』って石を投げられるたび、お母さんは僕を強く抱きしめて、こう言ったんだ」


 アークの瞳が、暗い森の奥で不吉な紫の光を帯びました。


「『アーク、あなたはマオウの子なんかじゃない。あなたはユウシャの子なのよ』って」


「…………」


 ロイは言葉を失いました。ユウシャの子は、今、世界を浄化する「シン・ディザストラム」であるはずだ。


 ならば、目の前にいるこの少年は一体何だというのか。


「……行こう、アーク。ノートが示すこの先に、かつての勇者の証、**『聖剣』**が眠る場所がある。そこに何があるのか、僕の目で見極めるまで、僕は何も信じない」


 ロイはノートを強く閉じ、地図が指し示す「空白地帯」へと視線を投げました。


 二人の少年は、偽りの月が照らす地上に背を向け、真実が捨てられた奈落へと足を踏み出しました。    世界が隠し通したかった最大の「不具合バグ」が、今、暗闇の中で産声を上げていました。



【ノイズログ:008-A】

――ああ、まだそこにいてくれたんだね。

ロイがノートを開いて、知らないはずのお母さんの名前を呼んだ瞬間、あの日溜まりみたいな記憶が、一瞬だけここに戻ってきた気がしたんだ。

ねぇ、不思議だよね。 世界はあんなに「綺麗」になろうとしているのに、どうして僕の中に残るお母さんの言葉は、こんなに「泥」にまみれて、それでも温かいんだろう。

ロイは難しい顔をして考え込んでいたけど……。 指輪に刻まれたあの名前も、お母さんが僕にくれた「ユウシャ」っていう言葉も、きっと今の「真っ白な世界」にとっては、消さなきゃいけないノイズなんだと思う。

でもね、僕は決めたんだ。 もし、僕が「バグ」で、この黒い力が「間違い」だとしても。 お母さんの温もりまで「なかったこと」になんて、絶対にさせない。

これから、僕たちはもっと暗いところへ向かうよ。 そこには、世界が捨てた「本当のこと」が眠っているっていうから。

……ねぇ、君。 もしよければ、僕たちのこの足跡に**【ブックマーク】**っていう目印を付けておいてくれないかな? 君が僕たちのことを見失わずにいてくれたら、暗い迷宮の中でも、迷わずに進める気がするんだ。

それに、もし僕たちの足掻きが、君の心に何かを届けられたなら……その**【評価の星(☆☆☆☆☆)】**を、僕たちの進む道を照らす灯火として分けてほしい。 君たちが僕たちを「観測」し続けてくれることが、この偽物の世界を書き換えるための、一番のイレギュラーになるはずだから。

……じゃあ、行こうか、ロイ。 僕たちの、本当の「正解」を探しに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ