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アクのマオウ  作者: ねむ
第一章:誕生そして旅立ち

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Crack06:努力の力

 あの日、涙と泥に汚れながら初めて「あまじょっぱいケーキ」を口にした、切なくも温かな夜のことでした。


 アークが、私の隣でまだ楽しそうに笑っていた我が子ロイをそっと促し、私の夫――バルト・ヴォルフラムの前に立ちました。

   バルトは、この掃き溜めの村を拠点にする自警団員として、日々周囲の安全を守っています。岩のように分厚い胸板、戦い抜いてきた者特有の鋭い眼光。彼が放つ圧倒的な「強者」の気配は、村の誰もが畏怖するほどでした。


 アークはそのバルトを真っ直ぐに見上げ、深く、深く頭を下げたのです。


「……バルトおじさん。僕を、鍛えてください」


 その小さな、けれど震え一つない声に、バルトは驚いたように眉を上げました。


「……鍛えるだと? アーク、お前はまだ五歳だぞ。泥にまみれて遊んで、腹いっぱい飯を食って寝る。それが今の、お前の大事な『仕事』だ」


 バルトはそう言って、大きな掌をアークの頭に置きました。彼にしてみれば、あまりに過酷な境遇を生き抜いてきたこの幼い子に、せめて自分たちの家では「ただの子供」として過ごさせてやりたい……。それは、武骨な彼なりの、精一杯の慈愛だったのでしょう。


 ですが、アークは顔を上げませんでした。握りしめた小さな拳が、白くなるほど震えています。


「……お母さんが、僕を守って死んじゃったんだ。僕が、もっと強かったら……。僕みたいな子がもう現れないように、この世界を変えたい。そのためには……僕が強くならなきゃダメなんだ!」


 その瞳に宿ったのは、幼子には似つかわしくない、燃え盛るような執念と決意。

 周囲から「マオウの子」と蔑まれ、泥を啜って生きてきた彼が、初めて自らの意志で掴み取った「希望」を守るための、悲壮な叫びでした。


 私は、横でその光景を見守りながら、胸が締め付けられる思いでした。……アーク。貴方のその真っ直ぐな瞳は、私の――貴方のお母様に、あまりにもそっくりだわ。


 バルトもまた、その瞳を見て悟ったようでした。この子は、ただ守られるだけの存在ではいられない。その魂には、過酷な運命を切り拓こうとする「騎士」の輝きが、すでに宿っているのだと。


「…………ふん、弱音を吐いても知らねえぞ」


 バルトは溜息をつきながらも、どこか誇らしげに口元を歪めました。


「だが、俺の訓練は自警団の中でも特別キツいぞ? ……おい、そこに隠れて見てる鼻たれロイ! ついでだ、お前もだ!」


「ええっ!? 僕はいいよ! 本読んでる方がずっと楽しいんだもん!」


 部屋の隅で様子を伺っていた我が子が飛び上がって拒否しましたが、バルトは笑い飛ばしてその首根っこを掴みました。


「ガハハ! 戦友は一人より二人の方がいい。いいか、明日からは泥にまみれ鍛えるのがお前たちの仕事だ!」


 こうして、月明かりの下。  武門の誇りを隠し持つ男と、運命に抗う決意をした少年、そして巻き込まれた天才の卵。  掃き溜めの村の外れで、世界の『再定義』を揺るがす奇妙な特訓の日々が、静かに幕を開けたのです。


 特訓の始まりは、剣を握ることではなく、皿を空にすることからでした。 「いいか、戦士の基本はメシだ! 食わねえ奴に、命を懸ける資格はねえ!」  バルトの号令と共に、食卓には山盛りの肉と野菜が並びます。それまでパンの耳を数日で分けていたアークにとって、それは胃が驚くほどのご馳走でした。


  「おじさん……僕、もっと食べられるよ。……」


 ふとした時、アークは庭の隅でこっそりと小石を口に含みます。それは彼にとっては、母と二人で生きてきた日々を呼び戻す、切なくも大切な儀式。私はそれを見るたび、胸が締め付けられながらも、彼が過去を捨てずに強くなろうとしていることを誇らしく思いました。


 そして始まった実戦訓練。

 アークは、バルトが教えるその「体技」に目を丸くしていました。

   それはおよそ村の守衛が使うような無骨なものではありません。無駄を一切削ぎ落とした重心移動、呼吸一つで間合いを盗む洗練された身のこなし。木の枝であろうが、ただの石ころであろうが、バルトが手に持てばそれは一撃必殺の「武器」へと変わるのです。


  (自警団って……こんなに凄いんだ!)


   純粋なアークは知りません。けれど、アークには「見えて」いました。バルトの筋肉の僅かな収縮、踏み込む直前の風の軌道。彼はそれを「真実」として捉え、泥だらけになりながら、恐ろしい精度でその動きを自分のものにしていきました。まさに、体技を習得する努力の天才。


 一方、我が息子ロイはというと……。


  「……父様、右肩が三ミリ下がった。次は左からの回し蹴りだね」


 バルトが動く前に、ロイが欠伸をしながら呟きます。


「ちっ、ロイ! 分かってるなら体で反応しろ!」


 バルトの鋭い蹴りが迫ります。ロイは五感でその「正解」を完璧に予知しているのですが……。


「あ、わかってても体が重……ぶべぉっ!?」


 豪快な音を立ててロイが吹き飛びました。


「ロイ! 洞察力だけは予言者並みなのに、どうしてそう……体が追いつかないんだ」


 私は思わず吹き出してしまいました。ロイは父親譲りの大きな体格の片鱗を見せてはいますが、本人は至って非力な理論派。

 彼は体を鍛えることよりも、私が教える高度な歴史や算術を、乾いた砂が水を吸うように吸収することに悦びを感じていたのです。


「 ロイ、お前は頭でっかちすぎて体が泣いてるぞ! アークを見習え、あの無茶苦茶な発想力と、それを形にするしなやかな体を!」


「……うぅ、父様……。次は右の突きでしょ……分かってるけど、足が……体が動かないんだよぉ……」


 泥だらけの少年と、鼻を赤くして地面に転がる少年。

   一人は「体技と想像力」で。

 一人は「知恵と洞察力」で。


 この歪な世界を暴くための双星が、掃き溜めの村で静かに、しかし力強く磨き上げられていくのを、私はただ慈しみを持って見守り続けました。


 -----------------------------------------


 教育機関など存在しないこの掃き溜めの村で、私ソフィア・ヴォルフラムが二人に授けていた内容は、客観的に見れば「狂気」に近いものだったかもしれません。


 日中の訓練の合間、私は二人に古い文献や大陸全土の情勢を説きました。


「アーク、この神聖文字ヒエログリフの歪みを書き写して。これはね、世界が『再定義』される前の、剥き出しの真実を綴るための綴りなのよ」

「へぇ……。おばさん、これ、なんだか模様が泣いているみたいに見えるね」


 アークは比較対象を知りません。

 だから、私がサラリと口にする「失われた古代魔法の構成理論」や「各国の軍事境界線の変遷」を、近所の噂話と同じ熱量で聞き流していました。

 もし王都の賢者たちがここにいれば、私の講義一回分で生涯の研究が完結してしまうほどの情報量。それを、彼は鼻歌交じりに地面に棒切れで描き写していたのです。


 五年が経ち、十歳になった二人の才能は、もはや隠しきれないほどに鋭く尖っていました。


 我が息子ロイは、勉強嫌いのバルトが「文字を見るだけで頭が割れる」と匙を投げた分厚い戦略論を、数日で読み解く知識の怪物に育っていました。


  「母様、この第十八章の兵站管理……矛盾してるよ。この山の標高と風の方角から計算すると、この経路での補給は不可能だ。」


 ロイは鋭い観察眼と五感で得た「現場の一次情報」を、脳内で即座に理論化する。

 彼は風の味、大地の振動、魔力の微かなノイズを数値として処理し、未来を「確定」させてしまうのです。

 父親譲りの大きな体は、今やアークを守る頑強な「物理的な盾」であると同時に、アークが動くための最適解を導き出す「戦略の盾」へと成長していました。


 一方、アークの才能は、ロイとは対照的な「飛躍」にありました。

   知識の吸収量ではロイの足元にも及びませんが、アークは時折、私ですら背筋が凍るような視点から真理を射抜くのです。


「ソフィアさん、この『歴史の年表』……変だよ。ここだけ色が『新しすぎる』気がする」


  「新しすぎる……? どういうこと、アーク」


「うーん、言葉にするのは難しいけど……。誰かが昨日描いた絵を、無理やり千年前の壁に貼り付けたような感じ。この王様の名前、たぶん本物じゃない。」


 それは理論ではなく、想像力と、彼が持つ「真実を貫く目」だけが成せるわざ。


 ロイが「積み上げられた情報」から答えを出すのに対し、アークは「あるべき姿」を想像することで、隠された嘘を直接引き剥がす。ロイが『正解』を導くなら、アークは『不正解』を視認するのです。


「ははは! ロイ、お前が計算し尽くした盤面を、アークが発想一つでひっくり返しちまったな!」


   バルトが快活に笑いながら、二人の頭を撫でます。


「……悔しいなぁ。僕が三時間かけて計算した兵力差を、アークは『この旗の色が不気味だから、たぶん負ける』の一言で終わらせちゃうんだもん」


 ロイが不貞腐れたように頬を膨らませ、アークが「えへへ、ごめんねロイ」と笑う。


 理論の盾を構えるロイと、直感の剣を振るうアーク。  この二人が揃ったとき、「完璧な正解」がどれほど脆く崩れ去るのか……。私は、恐ろしさと共に、言いようのない高揚感を抑えきれずにいました。


 この二人の少年が、いつか世界を覆う「黄金の嘘」を剥ぎ取ってくれるのではないか。そんな希望に、胸の高鳴りが止まらなかったのです。


 ……ですが、その高揚感の裏側で、私たちが目を逸らしきれない「陰」もまた、色濃く育っていました。


 近頃、バルトの自警団としての仕事には、ある「異変」が混じり始めていました。


「……またか。この辺りにはいないはずの魔族だ」


 帰宅したバルトの剣には、どす黒い魔族の返り血が染み付いていることが増えました。本来なら王都のリマスタが管理し、シンのユウシャ様の光で『無害な野生動物』に再定義されているはずの魔族たちが、なぜかこの村の周辺でだけ、狂ったように牙を剥き始めているのです。


 まるで、何かに引き寄せられるように。


 そして私は見てしまったのです。  ある夜、バルトとの厳しい訓練を終え、ロイが泥のように眠りについた後。アークが一人、庭の隅で月明かりに照らされながら、自分の掌を見つめている姿を。


「……出てきて。僕の中の、もう一人の僕」


 アークが低く呟いた瞬間、彼の小さな体から、不吉な紫色のノイズが溢れ出しました。それはバルトが教えた洗練された体技でも、私が授けた高潔な知識でもありません。


 怒り、悲しみ、憎悪――世界が「不要なもの」として切り捨てた負の感情を糧にする、おぞましくも強大な**『マオウの力』**。


 アークは、私たちに心配をかけまいと、その力を隠れて一人で御そうとしていたのです。

   彼が指を鳴らせば、空間がガラスのようにひび割れ、そこから滲み出した闇が、バルトを苦しめた魔族の残骸を塵も残さず消し去っていく。その時のアークの瞳は、昼間の無邪気な少年とは別人のように冷たく、底知れない闇を湛えていました。


「……これがあれば、みんなを守れるかな」


 アークのその独り言を聞いた時、私は声も出せずに立ち尽くしました。

   彼は知っているのです。

 バルトが戦う魔族たちが、自分という「異常個体」を消すために送り込まれている刺客である可能性を。

 だからこそ彼は、光の勇者が忌み嫌うその闇の力を、家族を守るための「盾」として密かに研ぎ澄ませていた。


 バルトが教える表の武術と、アークが一人で育てる裏の魔力。

 その二つが完全に融合したとき、彼は聖王ですら制御不能な、未知の存在へと変貌を遂げるでしょう。


「アーク……。貴方はどこまで、一人で背負うつもりなの……?」


 月光に溶ける紫の火花を見つめながら、私は祈らずにはいられませんでした。  いつか彼がその力に呑み込まれそうになったとき、ロイの知恵と、私たちの愛が、彼を繋ぎ止める鎖になってくれることを。


 ----------------------------------------


「……アーク、ロイ。今日で基礎は終わりだ」


 ある日の夕暮れ、バルトが真剣な面持ちで二人を呼びました。


「今日からは、本物の『敵』を想定した実戦に入る。いいか……この世界にはな、綺麗に見えても、中身が腐りきった奴らが大勢いるんだ」


 バルトの脳裏には、かつての友である、「聖王」の顔が浮かんでいました。


 村の入り口。そこに、この掃き溜めの村にはあまりに場違いな、輝くばかりに白い法衣を纏った集団が現れたのです。  バルトの目が、獲物を狙う狼のように鋭く細まりました。


「アーク、ロイ……俺の背後に隠れてろ。絶対に、奴らと目を合わせるな」


 バルトの低い、押し殺したような声に、二人の少年は息を呑みました。  集団の先頭には、感情の読み取れない貼り付いたような笑顔を浮かべた男が立っています。その周囲では、奇妙な現象が起きていました。彼らが歩く足元の泥濘が、まるで見えない筆で塗り替えられるように、瞬時に青々と輝く芝生へと変わっていくのです。


「おじさん、あれは……?」


 アークの問いに、バルトは忌々しげに吐き捨てました。


「……リマスタ(聖和改修省)の執行官だ。そして、あの周囲で世界を書き換えている現象が**『テクスチャ(景観保全省)』**だ」


 バルトは、震えるロイの肩を抱き寄せ、二人だけに聞こえる声で説明を続けました。


「いいか、よく聞け。リマスタってのは、シンのユウシャサマ……いや、今の『聖王』の意に沿わねえものを、すべて『不具合バグ』として排除する掃除屋だ。そして、あの後ろに控えている連中が**テクスチャ(景観保全省)**だ」


 バルトの拳が、みしりと音を立てて握り込まれます。


「奴らの役割は『見苦しいものの隠蔽』だ。貧民街も、このゴミ山も、奴らが魔法の壁や幻影の膜を貼り付ければ、あっという間に綺麗な絵画のような街並みに早変わりだ。

 ……だがな、奴らは景観を整えるためなら、そこに住む人間ごと『不燃ゴミ』みたいにテクスチャの下へ閉じ込めやがる。  いいか、人間に直接干渉し、その存在理由を書き換えられるのは、この世界でただ一人……シンのユウシャサマだけだ。

 だが、あのリマスタ連中がその露払いとして、俺たちの日常を『見苦しいもの』として覆い隠そうとしている。あの膜に捕まれば、この村の記憶も歴史も、全部ゴミと一緒に綺麗な絵の下に埋め殺される。

 絶対に近寄るんじゃねえぞ」


 リマスタの執行官が、アークの方をじっと見つめました。その目は、人間を見ているのではありません。まるで、真っ白なキャンバスに飛んだ「一滴の汚れ」を品定めするような、冷徹な視線。


「……おや。こんな辺境に、ずいぶんと濃い『ノイズ』が混じっているようですね」


 執行官が、感情の消えた三日月のような目でアークをじっと見据えました。その足元から広がるテクスチャの膜が、周囲の瓦礫や泥を「白百合の花園」へと、音もなく、無慈悲に塗り替えていきます。


 バルトはアークとロイを背後に突き飛ばすようにして、一歩前に出ました。


 その背中は、もはや一村の自警団員のそれではなく、数多の戦場を支配してきた「最強の盾」の威圧感を放っています。


「そこまでにしてもらおうか、聖王のいぬが。ここはあんたらの美学を押し付けるような場所じゃねえ」


 低く、地這うようなバルトの声に、執行官はわざとらしく肩をすくめて見せました。そして、貼り付いた笑顔のまま、恭しく深々と頭を下げたのです。


「……おや、失礼。この不潔な泥濘に惑わされて、ご挨拶が遅れました。――お久しぶりでございます。王国聖騎士団最高総帥、そして『聖王の盾』と謳われた伝説。バルト・ヴォルフラム閣下」


【ノイズログ:006-A】

「……おや。皆様、そんなに驚かないでください。

この世界において、過去や肩書きなど、テクスチャを一枚貼り付ければ塗り潰せてしまう程度の些末な情報に過ぎません。

たとえそれが、かつて王国の武の頂点に君臨した『最高総帥』の名であったとしても、です。


ああ、実に不愉快で、実に美しい『ノイズ』を宿した少年。


シンのユウシャ様が望まれるこの完璧な絵画の中に、これほどまでに色の濃い汚れが隠れていたとは。景観保全省テクスチャとしては、腕が鳴ると言わざるを得ませんね。


おっと、最後に一つだけ。 この記録が『見苦しいノイズ』として消去されないよう、皆様の評価という名の**【星(☆)】や、記憶の楔となる【ブックマーク】**で、この物語を固定しておいていただけませんか? 皆様の支持という名の保護膜テクスチャがあれば、リマスタも容易には手出しできませんから……。


それでは皆様、また次のページでお会いしましょう。 見苦しい現実は、すべて私たちが『綺麗』にして差し上げますから……。


ふふ、ふふふふ……」


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