Crack03:バグ
アークが誕生したあの日、世界を包んだ漆黒の闇、その裏側で渦巻いた極彩色のオーロラ。
それらは夜明けと共に収束し、表向きには「奇跡の記憶」だけが残された。
あの日以来、世界は表面的には元の姿に戻ったように見えた。
だが、本質的なルールは既に変質していた。
アークの生まれた魔王城の麓にある村――かつては静かだったその場所は、今や聖王都から排出される「不要な真実」を埋め立てるかのような巨大なゴミ処理場と化していた。
あの日、アークの家を囲んだ大人たちは、夜明けとともに何事もなかったかのように振る舞い始めた。
石を投げたことも、呪詛を吐いたことも、すべては「なかったこと」として沈黙という名の仕様で上書きされた。
だが、子供たちは違う。
親の歪んだ本音を敏感に察知した子供たちは、あばら家の前を通るたびに、無邪気な残酷さで言葉の石を投げつける。
「やーい、魔王のガキ! 生まれてこなきゃよかったのに!」
「お前の母ちゃん、呪われてるんだろ? 近寄るなよ、汚れがうつる!」
親たちはそれを見て「やめなさい、みっともない」と形ばかりの制止を口にする。
だが、その瞳には嗜める色など微塵もない。
むしろ、自分たちが飲み込んだ毒を代弁してくれる我が子を頼もしく見つめるような、湿った愉悦が宿っていた。
そんな日のことだった。
村の境界にある巨大なゴミの山が、太陽の光を跳ね返し、不自然なほどキラキラと輝き始めた。
その輝きを「ユウシャの恩恵」か「隠された宝」だと信じ込んだ浮浪者や、ゴミ拾いで食いつなぐ貧民たちが、我先にと山へ群がった。
「どけ! これは俺が見つけた宝だ!」 「光ってる……! 聖なる宝具に違いないぞ!」
だが、ゴミを投棄していた政府の役人たちが、群がる人々を無慈悲に蹴散らした。
「おい、来るな! 汚らわしい!」
「これは宝なんかじゃない。聖王ゼオン様が『鏡』を廃止されたのだ。これはただの、不要になったガラスの破片だ!」
役人たちはゴミ処理場の管理など端から放棄していた。
彼らはそのまま村へと踏み込み、民家の鏡を片端から叩き割っていった。
ガシャリ、という不吉な音が村中に響き渡る。
後片付けもせず、散らばる破片を踏みつけながら、役人は誇らしげに宣言した。
「喜びなさい! 本日、世界は『真の勇者様』の誕生によって、ついに完成されたのだ! シンのユウシャ様という光がある今、鏡に己を映すなどという傲慢な習慣は、この美しい国には不要なのだ!」
役人は、割れた破片を平然と踏み抜き、その場に跪いて祈りを捧げた。
「鏡を捨てよ、己を捨てよ! ただ、シンのユウシャ様という正解だけを視界に入れれば良いのだ!」
その時、村の広場の街灯に、一羽の極彩色の鳥が舞い降りた。
鳥は首を不自然にカクカクと揺らし、弾けるような、それでいてどこか壊れた蓄音機のような美声で叫びだした。
『シン! ユウシャ! オメデト! シン! ユウシャ! オメデト!』
「おお……おおお! 見るがいい、この奇跡を!」
役人はうっとりと両頬を染め、ゴミの山の上で恍惚とした表情で空を仰いだ。
「鳥が喋る、そんな空想のような奇跡を、シンのユウシャ様が現実に書き換えられたのだ! ああ、なんと輝かしく、完璧な世界……!」
だが、役人が歓喜に震えている横で、鳥はさらに羽を広げ、先ほどと全く同じハイテンションでこう続けた。
『システム! エラー! オメデト! システム! エラー! オメデト!』
役人はその「致命的なエラー」という言葉さえも、至高の賛辞であるかのように受け流し、涙を流して拍手を送り続ける。
だが、その傍らで破片を拾い集める村人たちの表情は、一様に明るいわけではなかった。
「……本当に、これでいいのか?」 「この鏡は、死んだおばあちゃんからもらった大事な宝物なのに…」
数人の村人が、名残惜しそうに見つめる。役人の叫ぶ「奇跡」と、自分たちが慣れ親しんだ「日常」の剥離。
喉元まで出かかった不満と、得体の知れない不安。
しかし、そんな彼らの迷いを、役人の冷徹な一喝が切り裂いた。
「何をためらっている! 己を映して何になる! シンのユウシャ様という完成された正解がある今、お前たちの汚い顔など確認する必要があるのか!?不敬だぞ!」
その言葉に、村人たちはビクリと肩を揺らした。
迷いは恐怖に上書きされ、疑問は「不敬」として心の奥底に押し込められる。
彼らは黙々と、己の一部であったはずのガラスの欠片を、不要な記憶とともにゴミ山へと捨てに行った。
その喧騒と疑念の光景を、遠くからじっと見つめる、冷たく鋭い「影」があった。
――魔王城・謁見の間――
暗雲に包まれた城の奥底。人間界の喧騒とは隔絶された静寂の中に、一人の魔族の伝令が膝をついていた。
「……報告します。人間界では『鏡』が消失し、各地にシンのユウシャのためのダンジョンが出現。物理法則の崩壊が加速しています」
玉座に鎮座する魔王は、無言で報告を聞いている。
「また、魔界においても呼応するように異変を確認。かつて封印されていた古の死地が活性化し、真の勇者が踏破すべき試練として再構築されています」
それは、世界が光を輝かせるために、あえて用意した「経験値という名の生贄」の爆誕であった。伝令の声が、一際低く沈む。
「……そして、最後の一件。魔王城の麓の村にて、あの日。漆黒の闇に守られ、確かに『魔王の因子を持つ子』が誕生したとのことです」
その言葉が落ちた瞬間、謁見の間を支配していた威厳ある沈黙は、無様な動揺へと塗り替えられた。
「なっ……魔王の因子だと!? 馬鹿な、人間ごときが我ら高貴なる種を宿すなど、ありえない」 「豚に等しい人間の腹から、産み落とされるなど……! それはもはや魔族の面汚し、あってはならぬ失敗作ではないか!」
「左様! 陛下、そのような『穢れ』を魔王の子と呼ぶなど、陛下の御名に対する、これ以上ない侮辱にございますぞ!」
あまりの衝撃に、幹部たちは自分たちが放った言葉が「魔王の血を分けた存在」そのものを否定し、ひいては目の前の魔王を侮辱していることにさえ気づいていない。
伝令は、凍り付くような空気の中で、震える声で補足した。
「名は……アーク。現在、人間たちのゴミ山の中で、人間の女と息を潜めております」
「……フッ」
その瞬間、心臓を直接握りつぶされたかのように、幹部たちは口を突き出したまま硬直した。
自分たちが今、何を口にしたのか――その恐怖が遅れてやってきて、彼らは一斉に床に這いつくばり、歯の根が合わぬほど震え始めた。
それは笑いだった。嘲笑か、期待か。
魔王はゆっくりと立ち上がると、無能な家臣たちを視界に入れることすらなく、謁見の間を後にした。
家臣たちに背を向け、城の最奥にある私室へと向かう。
そこには、人間界で今まさに「忌むべきもの」として排除されているはずの、巨大な姿見が置かれていた。 魔王は、その鏡の前に立ち、己の姿を凝視した。
「……ククッ、そういうことか」
鏡の奥で、魔王の瞳が赤く、不吉に光った。 だが、その光は最高に愉しげであると同時に、どこか深く暗い、凪いだ水底のような静けさを湛えていた。
【ノイズログ:003-A】
あの日、謁見の間に漂った空気は、冷気という言葉では言い表せない「死の静寂」そのものであった。
我ら魔族にとって、シンのユウシャという「偽りの太陽」の誕生など、取るに足らぬ事象に過ぎなかった。
だが、伝令がもたらしたあの一言は、我々の誇りを根底から揺さぶった。 『魔王の因子を持つ子が、人間から、あの村で生まれた』と。
我々は一斉に吠えた。当然だ。魔族の血は強者にのみ宿るべき神聖なもの。それをゴミの降り積もる村で、人間が産み落としたなど……あってはならぬ「致命的なバグ」に他ならない。
失敗作、穢れ、面汚し。
我々は、その赤子の存在そのものを消し去るべきだと、無慈悲な言葉を連ねた。
しかし……。 陛下が「フッ」と笑われた瞬間、私の心臓は止まった。
それは確かに笑みであった。だが、これまでの人生で一度も目にしたことのない、奇妙な響きを湛えていた。 何か、この世の誰にも理解できぬ「答え」に辿り着いた者のような歓喜。 それでいて、その口角の震えには、ひび割れた鏡の奥を覗き込むような、深い、あまりに深い「寂寥感」が滲んでいた。
まるで、その子が背負わされるであろう凄惨な運命の重さを、陛下だけが先取りして悼んでいるかのような――。
魔王城の麓。 世界から排除され、同族からも拒絶されながらも、確かにそこで母と共に「生」を繋いでいる魔王の子と呼ばれる人間。
我は震えながら悟った。 陛下が笑われた理由。そして、その笑みの裏で微かに揺れた、あの悲しげな色の正体を。
あの子こそが、この完璧に整えられた「ユウシャの物語」を、░▒▓▚▞▓▒░バグであることを。




