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休みがちの死神

作者: てんてん

黒川はむかしからおかしな奴だった。


何もないところで転んだり、いきなり走り出したり、落ち着かなかった。


なにより、あいつはいつも何もないところを見つめては常に怯えているようだった。




そんな彼を、俺たちは面白がってよくからかった。


「黒川君にはなにが見えてるのかな?」と、誰でも思いつくようなつまらない煽りをいれながら、奇行をあざ笑った。


当時は、障害とか精神病とか、そんな可能性には思い当たらなくて、本当に頭がおかしいやつだと本気で信じていた。




ある日、いつものように彼をからかっていると、いきなりやつが「危ない!」と叫んで俺を突き飛ばした。


だが、そこは周りの開けた河川敷で、後ろから剛速球の流れ弾が飛んできているなんてこともなく、何が危ないのか見当もつかなかった。


いつもの奇行だと思った俺は、またつまらない文句を吐きながら、何が危なかったのかと尋ねた。


それに対して彼は「君にはどうせわからない」と吐き捨てた。


その時の目が、いじめられている人間にしても暗く沈みすぎていて、まるで「人類滅亡の日を僕だけが知っているんです」とでもいいたげな、半ば悟りの境地に至っているようだった。




誰しもが特別な自分に憧れる思春期に、「特別」を思いもよらない角度から見せつけられた俺は、初めて彼を本気で殴っていた。


それまで直接手を出したことはなかったから、彼も驚いたようだった。


殴ってから、罪悪感に襲われた。


やってしまった、傷跡は残るだろうか、イシャリョウ? とか払わないといけないかも。


そう焦る俺に対して、彼はあっけらかんと「今回はこれがそうなのか」と言い放ち、立ち上がって軽く土を払った。


どうして俺を責めないのだ、何が「これがそう」なんだ。


そんなことを考えて固まっているうちに、「じゃあね」と彼は立ち去った。




次の日の放課後、公園に彼を呼び出した。


今日はちょっと暑いな、とか昨日はそのまま家に帰ったのか、とか回り道をした後に、謝った。


さすがに、今回ばかりはチクられても仕方ないと思っていた。


だが、黒川は俺を責めるどころか「とんでもない! 中野くんのおかげで昨日は助かったんだ」と礼を言ってきた。


おかしいとは思っていたが、ここまでくると逆に恐怖を感じた。


いじめられて、からかわれて、挙句の果てに殴られて、無抵抗なばかりか礼まで言える人間が、どれほどこの世にいるだろうか。


そこで、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。


「お前には、いったい何が見えているんだ?」




驚くことに、彼には死神が見えるのだという。


死神と言っても、よくマンガとかゲームに出てくるような屈強で切れ者で、常に虎視眈々と人間の魂を狙っているようなやつじゃない。


全長わずか50センチから60センチくらいで、ぼろぼろのカーキ色のローブを身にまとい、明らかに高齢とわかるような立派な白髭を蓄え、常にふらふら、よぼよぼ、手元どころか全身をぐらつかせながら浮遊しているのだという。


しかもこいつは仕事をよくサボる。


ちょっと目を離すと寝ていたり、空を眺めてぼうっとしていたり、とにかくやる気が感じられない。


これだけだと無害な謎生物といったところだが、その手には刃渡り1メートルほどの漆黒の大鎌が握られていた。


震える理由は高齢のせいもあるだろうが、体躯に不釣り合いな大鎌の重量による影響が大きいことは明らかだった。


だが、完全に職務を放棄したわけでもなさそうで、時折、思い出したかのように鎌を振るう死神の姿は、やはり命を刈り取る形をしていた。




休みがちの死神の鎌は、人に当たると不幸をもたらす。


当たる場所と切られ方にもよるが、軽度なら「風邪をひく」とかで済むらしい。


風邪だとしても、一日寝ているようなことになったら大変じゃないか、と思うが、そもそも毎日の睡眠時間という千載一遇の好機に対してもスルーしているような連中なので、べつに大した影響はないのだとか。


ただ、こいつらは僕らの体調に対して反比例するように元気を取り戻すのだという。


風邪程度ならともかく、重い病気とか怪我をすると、俄然やる気を取り戻して襲ってくる。


毎日の健康管理って、やっぱり大事なんだね、と彼は軽く笑った。




その時、突然黒川が俺を突き飛ばした。


いきなりのことで気が動転したが、直後に彼は謝って「死神が君を狙っていた」と付け加えた。


そこですべてに合点がいった。


つまりこいつは、これまで死神から逃げ続けていたのだ、と。




そもそも、俺たちくらいの年代であれば、大半は健康体で死神たちも元気がない。


たとえ相手が見えなかったとしても、相当運が悪くない限りは、日常生活を送るだけで難なく鎌をよけられる。


だから、本来「よける」というアクションは不要なのだ。




だが、黒川は違った。


こいつはなまじ「見えてしまう」。


野球のバックネット席で観戦中、ファールボールが飛んで来たら、ネットが守ってくれるとわかっているのに目をつぶったり手で顔を覆ったりするだろう。


いくら当たらないとわかっていても、当たれば不幸をもたらす物体が近付いてきて、正気を保っていられるだろうか。


だからこそ、彼は能動的に逃げようとした。


結果として、それは彼以外の人間からは奇行に見えていた。




当然、死神の話なんて到底信じられるものではなかった。


そんなものがいてたまるか、と思ったし、仮にそんなものがいるのなら、寝たきりの病人なんかすぐに死んでしまうよ、とも思った。


だが、少なくとも彼には何かが見えるようだったし、それがもたらす不幸を心の底から信じているようだった。




こいつに関わるのはもうやめよう。


少なくとも、こんな話を真顔でしてくるようなやつが、まともとは思えない。


そう考えて、適当に会話を切り上げようとした時だった。


彼が小さく「あっ」とつぶやいた。


直後、背後から大きなクラクションが響いた。


次いで、鈍い衝突音。


振り向いた瞬間、頬を何か固いものがかすめた。


何かと思い拾い上げると、それは人の歯だった。


真横ではあいつが「あの人……避けきれなかった……声をかけられなかった……」と勝手に絶望していた。


俺はもう一杯だった。


走ってその場から、逃げるように立ち去った。




それ以降、黒川に話しかけることはなかった。


彼も俺に関わろうとしなかったことが幸いだった。


俺は意識して、彼のほうを見ないように努めた。


仮に彼と目が合ってしまえば、自分の真横にいる「死神」を思い出して、気分が悪くなりそうだったからだ。


特定の人物を視界に入れないようにしながら過ごした学校生活は、意外なほどにあっけなくおわった。


高校からは黒川と別の学校へ進学した。


顔を合わせなくなってからは、徐々に記憶も薄れ、俺は日常に戻っていった。




10年後、同窓会の便りが届いた。


顔を合わせなくなって久しいクラスメートたちの顔が浮かんできて、すぐに出席連絡をした。


ふと出席者一覧に目を落とすと、黒川の名がなかった。


幹事に「あいつってどうなってる?」と聞いたところ、3年前に死んだよ、と返ってきた。




それまで忘れていた「死神」の話が一気に蘇ってきた。


そうか、あいつは避けられなかったのだ。


そう考えていたら、死因は自殺だといわれて、さらに背筋が凍った。


彼は、避けられなかったのではなかった。無限に続く逃亡生活に疲れ果てたのだ。




彼はいつも、見えざる死神の魔の手に怯えながら生活していた。


自分の命を奪う存在が、たとえポンコツでも24時間自分の隣に常駐しているなんて、考えただけでも恐ろしい。


寝ているときにサクッと刺されるかもしれないのだ。


夜だって満足に眠れないだろう。




ラテン語に”memento mori”という成句がある。


意味は「死を忘れるな」。


ローマの皇帝たちは、どんなに成功していても、隣に控える奴隷から「常に隣には死があるのだから、奢り高ぶるな」と戒められていたのだという。


常に自省を促す良い慣習だと思うが、仮に「隣にある死」が可視化されたらどうなるだろうか? 


“Memento mori”の警句は、死が見えないから効果を発揮するのだ。




もしかしたら、彼に見えた「死神」が一様に仕事をしなかったのも、策略かもしれないと感じた。


サクッと一思いに殺すのではなく、真綿で首を絞めるように、徐々に精神を衰弱させて、逃げ場を一手ずつ失くしていき、最後には鎌に当たるか、自殺するかの究極の二択まで追い込まれたのではないか。


熟練プレイヤーによる「うさぎと猟犬」のように、逃げるマスが一つずつ失くなっていく様子を、彼は身をもって体験したのでは。


そうして、彼は敗北と投了の二択を迫られたのだとしたら。


彼の見ていた「死神」たちは、サボっているふりをしながら、腹の中では大いに笑っていたにちがいなかった。




それから俺は、ふと黒川のことを思い出した折には、何気なく走り出したり、かがんだりしてみている。


もしかしたら、これが俺の命を助けているかもしれないからだ。


やる気のない「死神」たちは、きっと俺の隣で今日も俺を殺そうと狙っているのだろう。


狡猾なやつらのことだから、存在を知った俺を、優先的に消そうとしているかもしれない。


だから、そんなときは走り出すのだ。


走るときはいつも、黒川のことを思い出すようになった。


もう彼はこの世にはいないが、今になってようやく、彼と心の底から分かり合えたような気がした。

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