鉄砲問答
朝日が燦々と刺す中、鍬を黙々と振りかざす笠を被った男が一人、名を庄左衛門と言う。
懐中には蒸したサツマイモがゴロンと懐炉代わりに入って膨らませていた。
「おーい!、またやられたぞ」
遠くから駆ける人影、弟の甚左衛門だ。
「次はどこだ?」
「北にある苗代だ」
「弥五郎のとこか」
息を切らして頷く。
「今年に入って相当やられてるぞ、かなり酷いのか?」
「ああ、掘り返されて荒れ放題、もうあそこは駄目だな」
「お願いを出す必要がありそうだ」
―――
「という事です山本様、対策を取ってもらえませんか?」
庄左衛門ら兄弟を含めた村人から聞いて村の給人である、山本権兵衛は取り敢えず空鉄砲で対応する事にして近隣の給人と合同で願書を代官宛に出した。
〔田畑への獣害が酷いので期限付きで空鉄砲の使用許可をください〕
「うーん、どう思う?正之進」
時の代官、紀明は信頼の置ける老家臣、正之進に意見を出すよう催促する。
「あの村は毎年鷹狩に行っていますが、威嚇なら問題ないでしょうな、鳥を脅かさないよう条件付きで出しましょう」
〔空鉄砲については田植えの季節まで夜間に限り許可するが鳥を脅かさないように〕
それからしばらく空砲で威嚇していたので被害はなかったが。
「おい!大変だ!」
弟に朝早くから叩き起こされた庄左衛門は自身の田で驚きの光景を目にする。
「オラの苗代田が…」
まいたばかりの稲の種は掘り返されて見るも無惨な状態に、田の真ん中にはもがいたような畳2つ分の窪みがあった。
「慣れたらしいな」
顔面蒼白の庄左衛門を隣に呟く。
「またか」
権兵衛はやれやれと筆を取る。
〔空鉄砲に慣れてしまったようで被害が再び出始めました、駆除の許可を出して下さい〕
「出るかな、難しいだろうなぁ」
―――
「駆除?それは流石にな、これ!正之進や」
「はい、鷹狩でございますね、恐らく影響は出るかと思います、それに百姓に鉄砲を使わせた前例自体ありませんから」
「だろうなぁ、しばらく空鉄砲のみとするように」
〔鉄砲使用の駆除は前例が無い為不許可、これまで通り空鉄砲のみを許可する〕
「権兵衛様!なぜ今まで通りなのですか?!」
「絶対に被害拡大しますよ!」
兄弟に詰め寄られタジタジになるが言い返す。
「仕方ないだろ!許可降りないんだから!」
その日の晩から来る日も日々、権兵衛はまた願書を書き続けた。
〔再三のお願いです、駆除させて下さい〕
〔ダメです〕
そんなやり取りが5月、つまり田植えの季節になるまで続く事、計十二回。
「無理なものは無理と何度言ったら分かるんだ!」
被害は更に拡大して確実に米の豊作は見込めず。
上と下から挟まれてストレス爆発状態である。
「だってよぉ、このままじゃ年貢の米どころか俺達の食う粟や稗も危ういぞ」
甚左衛門が苦言を呈する、本来百姓が武士に直接意見するなどあり得ないのだが度重なる被害は米どころか雑穀にも及んでいた。
この時代において百姓が米を食用に回すなど、まずあり得ずほとんどを年貢として納めて食用には粟や稗等雑穀で賄っていたのだから堪らない。
「くうぅぅ」
声にならない呻き声をあげる侍を哀れみながら思い付く。
「なぜ許可されないのですか?」
「書類には百姓や俺みたいな下っ端武士が鉄砲を撃つ許可が出た事がないからと書いてある!もう向こうに行け!」
キレ散らかした権兵衛にビビりながら聞いた。
「もしかすると音が水鳥をビックリさせて逃すからではないですか?」
「知るか!バカヤロー!」
―――
ある夏の日の事である。
ストレスで薄くなった頭を掻きながら屋敷の廊下を歩いていると。
「堺屋の源三郎です!行商に参りました!」
馴染みの商人が荷物で軋む大八車を側に置き門先に居た。
「いやーお久しぶりですね」
「あぁ、悪いが実入りが悪くてな、余り高い物は買えんよ?」
「噂で聞いていますよ、猪の害が酷いようで」
「それで?良い物があるのか?」
「もちろんです!今日は猪を駆除できる舶来品をお持ちしました」
「舶来だと?高価じゃないのか」
「高価ですから今回はお試しです!格安でお貸しできますよ」
「うーんしかしなァ」
「藩主様は狩りがお好きなようですね、如何でしょうか贈り物に」
「品物を見ないと分からんよ」
「どうぞ!ご覧になられて下さい!」
山のように積まれた木箱を次々に開けて紹介する。
「まずはこれです!」
長い木箱から取り出したのは三角錐に円筒そして長い棒を付けた珍妙な物体。
「こちらは洋式火箭と言います、秩父では龍勢とも呼ばれているそうで」
「火箭?火薬兵器か」
「お気に召しませんか?他にもございますよ」
次に出したのは長さ四尺ほどの鉄砲。
「少し変わった形だな、火皿も火打石も見えないが」
「気砲と呼ばれる兵器です、国友でも生産されているようですがこちらは阿蘭陀より輸入した物になります」
「音はどれほど出る?」
「吹き矢の要領で弾を発射するので襖を開け閉めする程度しか出ません」
「威力は?」
「千五百往復の空気充填をすれば二十二発が連続発射され鉄の鎧も穴だらけですよ!」
お得意様の興味に応えるべく興奮気味の源三郎。
「素晴らしいな、ぜひ贈りたいのだが」
「こちら一丁で山城が建ちます」
「大丈夫だ、帰れ」
屋敷の門を閉めて押し出した。
「待って下さい!特別価格にしますので!」
「特別価格だと?何か裏があるんじゃないのか?」
「はい、あります」
「どんな裏だ?」
「狩り好きの大名に使ってもらう事で口伝で良さが広まり需要が増えます」
「ほう、なるほど」
「それでどちらを買うんで?」
ニヤリと怪しげな笑みを浮かべて案を出した。
「大猪を気砲で撃ち殺して欲しい、死体は渡してやろう」
―――
屋敷の中心部、畳張の大広間。
「それで?特別価格とは幾らほどで?」
「屋敷一つ買えるくらいになります」
「出せない値ではないな」
近隣集落の給人も十五人ばかり集まり協議していた。
「どうだ?一人につき1割5分で」
「異議はありませんね」
周りを見回す、いずれも年貢が少ない事もあり苦い顔だが声を挙げる者は居なかった。
〔阿蘭陀より入手した気砲を使用する、猪に対する消音猟の実施許可を求めます〕
「消音?気砲というのがまた気になるな、知っておるか?正之進」
「カラクリが内蔵された吹き矢のような異国の武器です、興味がありますなら実際に見に行った方が早いかと」
〔消音猟許可する、尚実施時には私自身も見学するので宿泊場所の確保を願う〕
「日付は1ヶ月後になっている、雪が積もる前に出来そうだ」
安堵の表情を浮かべる権兵衛。
だか庄左衛門兄弟は暗い顔である。
何故なら昨夜猪の姿を初めて目撃したからだ。
体長一間重さはおよそ五十貫。
「そんな化け物おるはずないて」
楽観的な給人とは対照的であった。
―――
北風の吹き荒ぶ秋の季節になって久しい日の事。
「今日は宜しく頼むぞ」
黒毛の馬に乗って颯爽とあぜ道を駆ける代官、着いて行くのは源三郎と権兵衛。
「策は考えてあるのか?」
「はい、この先に庄左衛門と言う者の家がありまして、そのすぐ近くに出没するそうです」
「その鉄砲で撃つのか」
源三郎の背で気砲は揺れている。
「そうです、火薬は使いませんが威力は保証します」
「それは楽しみだな」
一行が庄左衛門の家に着くと事前の手筈通り配置に着いた。
代官は家の格子窓から見学、権兵衛は刀を携えて辺りの茂みに潜んだ。
源三郎は弾を込めると近くの杉に登り家の前に置いた米や肉の餌に狙いを定める。
早朝から準備を進めて待機するも日が落ちた夕暮れ時、まだ猪が現れる気配はない。
【ガサッ】
笹が揺れる音、暗闇に混じってノシノシと足音と獣臭をさせて奴は現れた。
木の上から見ると大きさは一間7寸ばかりの牙を持つ聞いていた通りの化物である。
「バケモンかよ」
三人示し合わせた訳ではないが頭に浮かんだ言葉は同じだった。
大猪は警戒するように鼻をムズムズさせて囮の餌に近づく、源三郎は気砲を構え直すと照星を眉間に向けて。
【パシュッ】
勢いよく発射された弾丸は空気を押しのけて皮膚を抉り飛ばした!が。
「ブィーーー!」
内臓まで到達出来ず怒りを買った。
「チクショウ!もう一発やるぞ!」
杉の木に体当たりを仕掛けて落とそうとする猪の頭上から射撃を幾度となく浴びせてやる。
皮膚から血が滲み出て泡立つのも気にしていない。
十発目を越える頃である、弾丸が偶然牙の1本にぶち当たり砕け散ったのだ。
神経まで傷つけたようで体当たりをやめて痛みでその場でのたうち回っている。
「権兵衛殿!刀をお貸しください!」
叫び声に圧倒され思いっきり権兵衛は自身の愛刀をぶん投げた。
刀を受け取り白刃を抜くと大猪に向けて飛び降りた。
【ズドン!】
刀身が心臓をブチ抜き鮮血が辺り一面に溢れる。
―――
「では皮は頂いていきます」
「本当に良かったのか?代官の家臣への取り立てもお断りして肉も貰ってしまって」
「いいのです、私には商人としての人生が一番似合っていますから」
大猪の皮を大八車に積み込んで源三郎は帰っていった。
1970年代オランダ
「こちらが日本の猪と言う生き物です」
とある田舎の自然博物館でやたらと大きな牙の欠けた猪が展示されていた。