令和の侍は女子供を泣かせた挙げ句、現行犯逮捕された!
3月〜4月といえば皆様、入社、転勤、部署移動、入学、卒業、就職、退職、人生の節目でなにかと悩んでしまうことが多い時期ですよね。そんなつらさを少しでも和らげて前向きになってほしい、そう思って書き始めた物語です!
侍になることを決意した翌朝、篠田幸三は世直しの旅への準備を始めた。
まずはちょんまげをつくるために鏡の前に立つ。60歳を過ぎて目尻にいくつも刻まれたシワは人生の勲章だ。篠田はそう考えるようにしている。
そしてなにより特徴的なのは篠田のヘアスタイルだ。50センチの長さに伸ばした髪を、なじみの床屋に頼んで、武士風にしてもらった。おでこから頭頂部はバリカンで丸刈りにして、横と後ろ髪だけ残している。そのままの姿を見ると不気味な落ち武者か、幽霊にしか見えない。
その後ろ髪をヘアゴムでひとつにまとめ、後ろから前に折り返して頭頂部に乗せる。これでちょんまげの完成だ。
次は武士としての装束を揃えなければなるまい。篠田は白いワイシャツに灰色のスラックスといういでたちに、ちょんまげ頭で、ショッピングセンターの洋服売り場に出かけた。30代くらいの女性店員に声をかけると、彼女は明らかにぎょっとした表情をうかべた。
篠田が、
「武士の着物がほしい」
と声をかけると、女性店員はこわばった表情で、
「武士の着物…ですか?」
とつぶやく。あからさまに困惑が浮かんでいる。ちょっと頭のおかしい客なのかも、思われているようだ。その態度に篠田はかすかに苛立ちを覚えた。女性店員はうろたえながら続ける。
「…えっと、当店の着物は浴衣しかないのですが、浴衣でよろしいですか?」
「浴衣だと! 夏祭りの縁日に行くんじゃないんだぞ!」
篠田の語調も荒くなってくる。
「でも、当店の着物といえば、浴衣しかありませんので…」
「何だと、貴様は、武士を愚弄するのか!」
と叫んだ篠田だが、周囲を見回してみると、客や店員たちが皆こちらを見てざわついている。
女性店員は目頭を抑えて泣いている。客たちからひそひそ話が聞こえてくる。
「クレーマーだよ」
「ああいうのが老害ってやつだな」
篠田はいてもたってもいられなくなり、
「御免!」
と放って、足早にその場を去った。
篠田は自宅に戻るとスマホで検索を始めた。武士の普段着「小袖」や正装の「肩衣袴」「裃」を打ち込むと、いくつかの販売サイトが出てきた。そこで通販で買うことにした。品物はすぐにやってきた。人と人の会話はうまく通じないが、ネットでの入力のほうがスムーズに受け入れられる。篠田はそんな世の中を気に入らなかったが、それが便利であることは間違いなかった。納得はいかないが。
篠田は気を取り直して、江戸、すなわち東京を目指すことにした。
グレーの小袖を身にまとい、足元は足袋といういでたちで、新幹線に乗り込んだ。車両に入った途端、乗客の視線は篠田の身なりに集中した。まるで時代劇のような格好に皆あぜんとしている。自分を指差し、親になにか聞いている子供もいる。そんな視線を痛いほど感じつつも、篠田はくじけなかった。私は武士なのだ、高い志を持って生きなくてはならない、民衆の下賤な好奇心など気にしてはならない。篠田は乗客の好奇の視線にまけじと、それを真っ直ぐに見返した。
するとすぐ前の席の、3歳くらいの幼児と目が合った。その子は目は大きく見開いたかと思うと、みるみるうちに涙があふれる。まずい…と思うより早く、子供はけたたましい声で泣き出した。
乗客の視線が一斉に篠田に集まる。悪者はこの男だ、とみな明らかに責めている。篠田はいたたまれなくなり、その車両から出てトイレの中に逃げ込んだ。
やっとの思いで東京につくと、山手線に乗り込んで東京の刀剣ショップに向かう。
時代がかった木の看板がかかった店のドアを開け、のれんをくぐると和服姿の50歳ほどの店員が顔を出した。篠田は立ち止まり、目礼を行う。武士式の「草」の挨拶である。すると店員が言う。
「いらっしゃいませ。刀に関心がおありですか」
篠田はこう答える。
「左様。拙者は侍になりたい。武士の魂としてふさわしい刀を探しに来た」
かなり癖の強いあいさつと、小袖に足袋の服装で、篠田はまた変な目で見られてしまうかもしれないと覚悟を決めていたが、店員はまったく動じることなく、服装と客だと思われて
「そうですか。私はこちらの店長の高橋です」と笑みを浮かべた。高橋店長は変わった客に慣れているのか、武士マニアの趣味に付き合ってくれているのか、どちらかだろう。篠田の話を聞いた高橋店長は江戸時代に作られた「打刀」を店の奥から出してきて、
「実際に手にしてみてはいかがですか」
と勧めてくれた。店主はサヤから真剣を抜き、そっと刀枕の上に寝かせる。
その重みを感じながら、篠田は刀身の輝きを目で確かめた。時代を重ねた刀は威厳を感じさせるような気高く重みのある光を放っている。それに対して刃文は気品を感じさせるような優雅な曲線を描いていた。篠田は一瞬にしてその刀に魅せられてしまった。
「ぜひこの刀、ゆずっていただきたい」
鞘や鍔を含めた拵、刀剣を周囲に見えないよう持ち運ぶ刀袋などを含んだ総額は60万円ほどだった。店主は篠田に「銃砲刀剣類登録証」を渡して、20日以内に所有者変更の届出書を出すように伝えた。
篠田は刀を手に入れたことで有頂天だった。さっそくこれを持って侍らしい場所に行ってみたくなった。近くには江戸城の跡がある。徳川将軍家が代々おさめてきたお城、すぐに向かってみる。
近代的な高層ビル街の間を抜けて歩くいていくと、突然時代がかった城の石垣が見えてきた。「特別史跡 江戸城跡」と記された古めかしい木札も掲げられている。
「家康殿、吉宗殿、徳川家将軍が活躍した歴史の舞台へ、いざ見参いたそう!」
篠田は手に持っていた刀袋から、買ったばかりの打刀を取り出し、刀紐を使って誇らしげに腰に装着した。私は侍だ、気分はますます高ぶった。
江戸城の「巽櫓」が見えてきた。桜田二重櫓とも言われており、公道上からは最も江戸城らしさを感じさせる建物だ。そしてその奥には三階建ての富士見櫓の最上階がかすかに確認できる。将軍たちは最上階で、太平洋を一望したり、隅田川の花火を楽しんだり、富士山の姿を楽しんだりしたそうだ。
もっと近くで見てみたい、篠田の足取りはどんどん早まっていく。その時、誰かが叫んでいる声が耳に入った。こんな歴史ある場所で、誰が何を叫んでいるのだろう。
「そこの男、止まりなさい!」
複数の警察官が眼の前に現れ、篠田を取り囲んだ。なぜ私は取り囲まれているのか、わけがわからなかった。
「なぜ警察が出てくるんだ。無礼ではないか!私は侍だぞ」
篠田も叫んで、江戸城に向かって進もうとする。しかし警察官の数はさらに増えていき、篠田を取り押さえて、その体を押し倒した。
「おとなしくしろ! 命が惜しいならもう動くな!」
篠田は頭をアスファルトに擦り付けられて身動きが取れない。関節を決められた状態で、後ろ手に手錠をかけられた。もう抵抗できないことを悟り、篠田は抵抗をやめた。
篠田は両脇を警察官に固められた状態でパトカーに乗せられた。社内で篠田は警察官に力ない言葉で聞いた。
「なぜ私はこんな目にあったのだ?」
180センチを超える隆々とした体格の警察官は無表情で言った。
「わからないのか? ここは皇居だ。天皇陛下がいらっしゃるのだぞ。そこに刀を持って現れたら、どんな人間でも即時、現行犯逮捕される」
篠田はパトカーの窓から外を見た。すると目の前には「丸の内警察署 桔梗門警備派出所」と看板が掛けられた立派な警備署が設けられていた。江戸のお城に夢中で、まったく気がつかなかった。超厳重警戒の中に武装して飛び込んでしまったのである。
その後、警視庁の刑事から、篠田は皇室を狙った不審人物として取り調べを受けた。打刀を持った篠田が皇居に侵入しようとした一件は注目され、夕方のニュースでも
〈皇居に日本刀を持った男が侵入、警察官に取り押さえられました。警視庁はこの65歳の男に事情を聞いています〉
と報道された。
しかし篠田は取り調べに対して一貫して
「私は侍である。江戸城の徳川家将軍たちの武士の魂にご挨拶をしたかったのだ」
と言い続けた。結局、警察官たちも呆れ果てて取り調べをやめた。刀の登録証の所持も確認された篠田は、一晩、留置場で勾留され、最後は「二度と真剣を持って出歩かない」という約束をさせられた後、釈放された。
ニュースの続報はやがて立ち消えになったが、その後、篠田の身辺にはマスコミを名乗る記者が現れて篠田のことを嗅ぎ回った。取材を受けた親族からは彼を心配する連絡が何度も来た。親戚の叔父からは
「ストレスがたまり過ぎたのではないか。良い精神科のお医者さんがいるから相談してきたらどうか」
と真剣に提案され、篠田は自分のメンタルに問題がないことを必死で訴えなければならなかった。