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【5】

 緑に囲まれた八ツ島神社の駐車場にセダンが滑り込む。3人は車を降り、ガリーがトランクからカーキのミリタリーバッグを引っ張り出した。

「カーラ、運転お疲れ様」

「どういたしまして」

「我々も国際免許を取っておけばよかったな」


 朱の灯籠が並ぶ参道を歩き、しめ縄がかかった鳥居を潜ると、狛犬を門番に据えた本殿が見えた。境内の案内板に八ツ島への経路が載っている。左手奥の方にあるらしい。境内を横切っていくと、蝉の声がひときわ大きくなる。が、それは有毒ガス騒ぎで参拝客の枯れた神社を活気づけるものではなく、むしろ不穏な静寂を引き立たせるばかりだった。


「何か感じるかい、カーラ? 君の超深層無意識ってやつに」

「微妙ですね、痕跡のようなものは感じますが。ちなみにユングは超深層無意識ではなく、“集合的無意識”という名称を使っています」

「集合的無意識?」

「ええ、詳しい説明は別の機会に譲りますが、簡単に言えば、個人的な無意識よりさらに深くにある、人類全体に共通する無意識という意味です」

「ほお」


 境内を抜けると、小さな島が並んだ池が見えた。島に渡る最初の橋のたもとに鳥居が立っていて、そこに規制線テープが張られている。

「さてさて。いよいよ噂狩りのスタートだ。今回は俺に任せて、傷病兵のザック君は高みの見物をしててくれ」

 ガリーがテープをくぐり、橋に足を踏み入れた。2人が後に続く。




 橋の中ほどまで来た時、ガリーは欄干から身を乗り出し、いつの間に拾ったのか、ゴルフボールほどのサイズの白い小石を池に落とした。ガリーは、石が沈んでいくのを眺めながら言った。

「ふむ、それほどでもない」


 島に入ると、木々が立て込んでやや薄暗く、小さな社や(ほこら)、灯籠などがそこここに点在しているのが見える。ガリーは、石のベンチを見つけると、その上に立ち、肩に掛けたバッグから伸縮式の単眼望遠鏡を取り出す。それを伸ばすと、40~50センチほどの長さになった。接眼部に片目を当てて、望遠鏡をゆっくりと巡らす。


「池はそれほど広くないな。そして、人影はない」

 ザックが聞く。

「これだけ木が多いんだから、木陰に誰か潜んでいないとも限りませんよ」

「いや、それはない。この望遠鏡は、意識を集中すれば、途中に障害物があってもそれを透過して目的のものを見ることができる。偉能ロゴスを使って自作したグレートな望遠鏡さ」


 ガリーは望遠鏡を縮めてバッグにしまうと歩き出す。次の橋でまた石を投げ込む。

「小さな子供みたいですね。さっきから何をしてるんです?」

 カーラが小首をかしげて尋ねる。

 ガリーが橋を渡りながら、

「池の濁り具合を測ってるのさ。透明度は約2メートル。水深はその倍ぐらいかな? 今のところ、池の底からガスが噴出している様子はない。

 榊原先生が診た患者は、独特の匂いがするガスを吸って気分が悪くなったと言ったそうだが、池から発生する可能性のあるメタンガスや亜酸化窒素は、基本的には無臭で特に有毒なものじゃない」

「硫化水素は?」

「この池は川や海にはつながっていないから、硫化水素の発生源になるようなものは流れ込んでこないし、硫化水素を吸い込んだのなら、卵が腐ったみたいな臭いがしたと患者は言っただろう」

「なるほど」


 ガリーは、落ち葉が散らばる小道をたどりながら、絡み合うように枝が重なる木立を眺め渡して顔をしかめる。

「それにしても蝉がうるさいな。敵がバグパイプを吹きながら攻めてきたってわかりゃしない」


 3番目の橋の上で、ガリーはまた小石を投げた。そして、後ろからくるザックを振り返って、

「先生から聞いた話だと、池の主のドラゴンの祟りだとか、池に身を投げた巫女の呪いだとか、民話に近いような噂話ばかりで、どうも科学者が噛んでいそうな手触りがないんだが。科学者以外の魂が転写されたようなケースはあるのかな?」

「いや、ほとんどというか、今までにそんな事例は聞いたことがないですね。でも、祟りとかいうのは中世ヨーロッパの黒魔術みたいなものでしょう? 昔、そういう術を使って人に危害を加えたことがある、あるいは危害を加えることができたと信じていた者の魂が転写された場合、そのロゴスが実体化する可能性はあるんじゃないでしょうか。

 さっきも話していた通り、偉能ロゴスの威力は、信念の強度に比例します。科学理論であろうとなかろうと、それを絶対的な真実だと信じて疑わない者がいれば、手ごわい相手になります。油断はできませんよ」

 ガリーは一応うなずくが、納得した表情ではない。



 4番目の橋で石が投げ込まれ、5番目の橋で石が投げ込まれ、6、7、8…。3人は最後の島に足を踏み入れた。ガリーは額の汗を手の甲で拭い、冗談めかして言った。

「さて、八ツ島ツアーも間もなく終了いたしますが、お楽しみいただけましたでしょうか? 本日はお暑い中——」

 カーラが足を止めた。目だけを巡らせて左右の木立を見る。気付けば、あれほどうるさかった蝉の合唱がピタリと止んでいた。

「来ますよ」



 どこから湧いてきたのか、前方の木立が霧に包まれ始めた。ガリーが鼻をひくつかせる。

「何か香料のようなものが混じってるな。トルエン、ベンジルアルコール、サリチル酸メチルの類なら、大量に吸い込めば中枢神経をやられる」

 3人は後ずさりする。

 と、霧の中から人の姿が現れ出た。赤い法衣に金襴(きんらん)袈裟(けさ)を着けたスキンヘッドの大男。手には両端に5本のカギ爪が付いた五鈷杵(ごこしょ)が握られている。猛禽のように大きく見開いた目は、怒りをたぎらせていた。


「なんだこいつ? アカデミーか?」

 カーラが日本語で話しかける。

「あなたはアカデミーのメンバーですか?」

「黙れ! 我は道鏡(どうきょう)。法王にして皇帝なり!」

 割れ鐘のような一喝が、周囲を圧する。

「道鏡?」

「道鏡は、日本の三大悪人に挙げられることもある実在の人物です」

「そうか、資料で読んだことがある。古代の僧だろ?」

「ええ、女帝の病気を治療して気に入られ、日本の朝廷で権力を握りました」

「治療ってことは医学者なのか?」

「いいえ、宿曜(しゅくよう)秘法という密教の法力で治したそうです。道鏡は自ら天皇になろうとしましたが、女帝の死後、藤原氏という氏族の策略で失脚しました」


 道鏡が、“フジワラ”という言葉を聞きとがめた。

「うぬらは藤原の末裔か? 宿怨、今ここで晴らすっ!」

「“お前たちは藤原氏の子孫なので許さない”と言ってます」

「どこがだ! 俺たちが日本人に見えるか?」

「と言っても、聞く耳を持つ相手じゃなさそうです」



 道鏡は、右手を胸の前に構え、呪文らしき言葉を唱えながら、中指と薬指を掌に折り込み、キツネの頭に似た印を結んだ。そして、声を張った。

「式神“騰虵(とうだ)!”」

 道鏡の前に、羽の生えた手のひらサイズの蛇が出現した。銀色のうろこが、真夏の陽光にきらめく。

「シキガミ? シキガミって何だ?」

「宿曜師が操る小型のモンスターで…」


 異形の蛇が羽ばたき、鋭い牙をむいて先頭にいたガリーに襲いかかってくる。そのスピードは予想以上で、ガリーが横っ飛びによけると、すぐ後ろの木に蛇の牙が突き刺さった。だが、蛇はひるみもせずにそのまま牙を食い込ませ、木の皮を食いちぎった。

 ガリーは肩から素早くバッグを外し、蛇が体勢を整え直す前に、それをバックハンドで叩きつけた。蛇は、木にめり込んで潰れたかと思うと、一瞬で破れた白い和紙に変わり、宙に舞う。


「紙? 紙をモンスターに変えたのか」

 あっけにとられるガリーに道鏡がほくそ笑み、再び印を結ぶ。今度は1体ではなかった。10体近い騰虵が、道鏡の周りで一斉に羽ばたきだした。


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