【17】
ガリーは避難小屋にたどり着き、「そこにいるのか?」と声をかけた。
カーラと四葉が小屋の陰から顔を出す。
「よかった。小屋の脇の道を進むと、100メートルちょい先に採石場がある。先にそこに行ってザックが来るのを待つことにする。まあ、来なきゃ来ないで、別のプランに切り替えるが」
3人はすぐ小屋を発った。が、いくらも歩かないうちにカーラが、
「まずいです」とうめく。
正面にハーバーが立ちふさがった。
「どこに逃げるつもりか知らないが、そこにはたどり着けない。1人もな」
言うが早いか、毒矢を放った。
「慣性…」
ロゴスを使う暇もない。ガリーはとっさに体をひねり、リュックでガードする。矢が音を立ててリュックに突き刺さる。
「散れ!」
ガリーが叫び、3人それぞれに森の中に飛び込んだ。
ハーバーを大きく迂回して採石場に向かわなければならないことを、3人とも了解していた。しかし、それはハーバーも読んでいるだろう。
四葉は腰をかがめ、息も抑えて木立の間を進む。だが、木の根に足を取られて、落ち葉と小枝の吹き溜まりに膝をついてしまう。パリパリと音が爆ぜ、急いで立ち上がろうとした時には、もう目の前にハーバーがいた。
ボウガンを突きつけられ、中腰のまま後ずさりした四葉の背中が木の幹にぶつかった。ハーバーとの距離は5メートルもない。
「君が最初の被験者になってくれるのか」
ハーバーの指がトリガーをなぜる。
ほど近い2本の木の裏にガリーとカーラが隠れていたが、
「あの距離じゃ慣性解除も大気レンズも役に立たん」
「でも、一般人を見殺しにするわけにはいきません。どうにかハーバーを引き付けて…」
「ダメだ。彼に毒矢を撃ち込んでから、のこのこ出てきた我々を始末するだけだ。3人まとめてここでやられるぞ」
「しかし…」
四葉はハーバーを睨みつけた。
「ハーバーは窒素肥料を発明して作物の収穫量を増やし、多くの人を飢えから救った。その魂を引き継いだあんたが、なぜこんなことをするんだ?」
「よく勉強しているじゃないか。だが頭は悪いようだな。優れた化学兵器を開発して、早期に戦争を終結させるために決まっているだろう。
第1次大戦では敵兵を使って効果を試すことができたが、今回は被験者がいない。新しい毒物を開発するたびに、自分で試して心臓が止まるまでの時間を計測するわけにもいかんからな」
「当時のハーバーも、戦争を早く終わらせるためと言ったが、戦争は長引いたし、ドイツ軍は負けた」
「それは化学兵器のせいではない。物資が圧倒的に不足していたからだ。事実、ドイツ軍兵士たちは、戦闘には勝っていたが物資が足りなかったと嘆いている」
「世界が反対している非道な兵器をなぜ今さら開発しなきゃいけないんだ?」
ハーバーは苦々しい口調で吐き捨てた。
「ああ、92年の化学兵器禁止条約とやらで、化学兵器の使用も保有も研究もできなくなってしまった。バカ者どもが!
では核兵器はどうだ? 遺伝子まで破壊する非道な兵器なのに、世界で13000発も保有されているんだぞ。核兵器はよくて、なぜ化学兵器がダメなんだ?
お前もハーバーの前妻のクララと同じだな。化学兵器の本質を理解せず、ハーバーに抗議して拳銃自殺した。物資が足りないという時に銃弾を無駄にしよって」
拳銃自殺という言葉を聞いて、カーラがびくっと震え、両手で耳をふさぐ。
「どうしたカーラ?」とガリーがささやく。
「さあ好きな毒を選べ。窒息剤、神経剤、血液剤、びらん剤、よりどりみどりだ」
「青い毒だっ。青い模様が浮き出るやつ」
「ほお、趣味がいいな。あれは、私のロゴスで丹精込めて作ったシアン系の新しい毒だ。血管を巡って、燃えるような痛みを放ちながら次々に細胞を壊死させ、神経を焼き尽くす。
特に脳や呼吸器へのダメージが大きく、死を免れることは不可能だ」
「それを僕に使うがいい。その代わり、解毒剤を渡せ」
「解毒剤? 何のために。おお、君はさっきのあの娘の知り合いで、身代わりになろうというわけか?
だが被験者は多いほどいいんだ。私があの娘を助けるメリットがどこに…」と言いかけて、声のトーンを変え、
「なくもないか。おーい、ユング君、聞いているか? 考えが変わった。
君のアクティブ・イマジネーションは確かに脅威だが、我々の役に立てることもできる。君がアカデミーに入るなら、彼も娘も助けてやろう」
ガリーが、カーラの様子がおかしいのを見て、
「あれが嘘八百だってわかってるよな? 顔を出したら終わりだぞ」
カーラは答えない。頭を抱えたまま、体を揺らし始める。
「私は助けられなかった、私は助けられなかった」
「おい、どうしたんだ!」