【14】
その男は異様ないでたちをしていた。
スキンヘッドにツルのない丸メガネ。身に着けているのは、肩章が付いたフィールドグレーの高い詰襟の上着に、同じ色のズボンと茶革のロングブーツ。
かなり古い型のドイツ将校の軍服を、生地まで忠実に再現したもののようだ。若いのか年寄なのか、男の年齢がよくわからない。
「やっと毒蛇を巣穴から引きずり出せたぜ。お前はアカデミーだな?」
「引きずり出した? おめでたい人たちだな。いや、まあいい。いかにも私はアカデミーのメンバー。フリッツ・ハーバーだ」
その名前を聞いたガリーたちの顔に、嫌悪の表情が走った。
「どうやらこの名をご存知のようだな。光栄だ。おや、そこの青年は誰だ? RMAとやらか?」
「この人は一般人です。我々とは無関係です」
カーラが腕で四葉をかばう。
「無関係じゃない! お前が毒矢を使って人を襲ってるんだな?」
四葉が怒りをぶつけると、ハーバーが片頬で笑った。
「そう、無関係かどうかは私が決める。ところで、君たちの自己紹介をまだ聞いていないが、君がアイザック・ニュートン君だね?」
ハーバーは、ザックを見ながら
「君については、可能であれば生かして連れてくるようにとの指令が出ている。あくまで、可能であれば、だがね。とりあえず、君にはこいつで麻酔剤をプレゼントしよう」
ハーバーは、左手首に装着した器具を見て目を細める。
「素晴らしい出来だろう?」
それは、超小型のボウガンを上下に3段重ねて連結したような武器で、下にトリガーがついている。
「この3張にそれぞれ好きな毒矢を装填することができ、どれを発射するかはレバー操作で切り替えられる。トリガーを引き始めると弦も引かれ、トリガーを引き切ったところで矢が発射される。
つまり速射・連射が可能ということだ。アカデミーが注文通りのものを作ってくれたよ」
ハーバーは、自慢のボウガンを愛しげになぜながらガリーに目を移し、
「さて、慣性力を操れるということは、君がガリレオ・ガリレイだな。君のことは放っておいてもいいだろう。だが、邪魔立てすれば排除する」
最後に、にこやかな表情をカーラに向けた。
「そして、君がユング君かな? なかなかチャーミングなお嬢さんじゃないか。だが、君のアクティブ・イマジネーションはとても厄介だ。早速だが、君から始末しよう」
言い終わるのと同時に、ハーバーは素早くレバーを操作してトリガーを引いた。だが、ガリーは密かにロゴス発動の構えを取っていた。
「慣性解除!」
カーラを狙った毒矢が下にそれる。
「邪魔をするなと言ったろう」
ハーバーは、ガリーが次の動作に入る前に、鋭いステップで横移動し、ボウガンの狙いをガリーに定める。だが、先に動いたのはザックだった。
「万有引力反転!」
ハーバーは、飛びすさって反重力ゾーンから逃れようとしたが、片足がゾーンにかかり、バランスを崩して膝をつく。
「この貴重な制服に土を…。やはり貴様も生かしておくべきではないな」
ハーバーは土を払い、怒りもあらわに立ち上がる。
その時、横手から別の人影が現れた。
「まあ落ち着け、ハーバー」
ハーバーは、険しい顔のまま、その男に目をやり、
「ハーシェルか」と声をかけた。
「ハーシェルだと? ウィリアム・ハーシェルか?」
ガリーたちは驚きの声を上げた。
ハーシェルと呼ばれた男は、ザックやカーラと同年配ぐらいで、やさ男風の顔立ちにウエーブのかかったブロンドの髪。ワインレッドのハンティングジャケットと白い乗馬ズボン、乗馬ブーツを身に着け、手には乗馬ムチではなく、指揮棒を握っている。
「短気を起こして見境なく殺さないでくれ。ニュートンは私が引き受けよう」
ハーシェルはハーバーにそう告げると、指揮棒でニュートンを指した。
「指揮者ごっこでもする気か」
ガリーが皮肉ると、
「指揮者ごっこ? 失敬な。ハーシェルはドイツの音楽一家に生まれ、イギリスの名だたるオーケストラを指揮した。
及ばずながら、私自身も指揮者を務めた経験が幾度もある。いつどこで、ということは教えられんがね。このタクトを握ると、インスピレーションが湧いてくるんだよ」
ハーシェルは、両腕を上げてタクトを肩の位置に構えた。
「では、そろそろ私の指揮で踊ってもらうとしようか。ハーシェルの名を知っているのなら、そのロゴスについても察しがつくはずだ。
ニュートン、君は人工冬眠状態にしてアカデミーにお連れしよう」
ハーシェルがタクトを振り下ろそうとするのを見て、ザックが森に駆け出した。
「偉能ロゴス“冷たい太陽”」
タクトが指した場所の周り、直径3、4メートルほどの草地が一瞬にして凍り付き、白い冷気が立ち上る。ザックはハーシェルの攻撃を横っ飛びにかわし、森の中に消えた。ハーシェルが後を追った。
「俺たちも森に入るぞ」
ガリーに促されて、カーラも四葉も走り出す。
その後ろ姿を眺めて、
「逃げ切れるかな?」と、舌なめずりしそうな笑みを浮かべ、ハーバーがゆっくりと歩き出した。