【12】
3人は、吊り橋を半分以上渡り終えていた。しかし、その時、頭上に輝く月を翼の影が横切った。
「来たぞ。急げ!」
川の上流で巨大な波頭が立ち上がった。先頭を走っていたザックは、一足早く対岸に着き、押し寄せる波にロゴスを放つ。
波頭は大きくそれて、四葉とカーラは直撃を免れたが、代わりに橋を吊るワイヤーが荒波に食いつかれた。橋全体が飛び跳ねるように上下に激しく揺れる。吊り橋は古く、手すりも低い位置にロープが張られているだけだった。
よろめいたカーラの腰がロープで弾み、上体が仰向けに橋からせり出していく。カーラの両足が床板から離れる前に、四葉が手首を何とかつかみ、一緒に橋を渡り切った。
カーラが四葉に目で感謝を告げる。しゃべっている余裕はなかった。隧道に向かう急こう配の坂道を全力でダッシュした。
カラス天狗は手を緩めない。繰り返し放水攻撃を仕掛け、そのたびにザックがそれを払いのける。だが、道の高度が上がるにつれて、放水が届かなくなってくる。
3人は窮地を脱したかに見えたが、それはカラス天狗の思う壺でもあった。
「哀れな奴ら、隧道に入れば攻撃から逃れられると思ったか? 残念だな。その隧道の先は俺が起こした土砂崩れで、道が削り落とされてる。
今日一番の大風で、意気地のないお前たちの背中を押してやろう。崖下に転がり落ちるがいい」
3人の姿が隧道に吸い込まれる。カラス天狗は、夜空を大きく旋回し、スピードを乗せて降下する。そして、バックスイングするように思い切り腕を後ろに引き、高度を低く保ったまま隧道に飛び込んだ。
カラス天狗は、3人が隧道の一番奥まで逃げ込み、その先が断崖になっているのを知って、青ざめているだろうと考えていた。だが、彼らは隧道に入ったすぐそこで待ち構えていた。
「万有引力反転」
ワナに気づいたカラス天狗は、翼を立ててブレーキをかけようとしたが、もう遅かった。重力反転ゾーンに飛び込んだ天狗の飛行軌道が急に上に反れ、かわす間もなく、天然岩がごつごつ突き出たトンネルの天井に激突する。
そのままぐったりして、天井に張り付いた。
ザックは四葉に笑顔を向け、
「君のおかげでうまくいったよ。“万有引力発動”」
意識を失った天狗が、天井から落ちてくる。地面にぶつかる寸前、ザックが再び引力を反転させて落下を停め、そのあとゆっくり地面に降ろした。
カーラがすぐに駆け寄り、天狗の体を調べ始める。
「よう、ザック。どうやら片が付いたみたいだな」
トンネルに到着したガリーがザックにウインクを送り、
「いいプランだった。ありがとう」と四葉の肩を叩く。
ザックが四葉に向かって、
「ところで、君に少し聞きたいことがあるんだが、天狗というのは過去に実在したものなのかい?」
四葉は、汗まみれになったポンチョを脱ぎながら、
「さあ、どうでしょう。ただ、天狗を神や神の使いとして祭る信仰もありますし、自分は天狗の子孫だと本気で信じていた人もいたようですね」
「うーん、本気で信じていたのなら実体化する可能性はあるが」とガリーが首をひねり、「しかし、科学者だけでなく、こういう者たちまで巻き込むことに何の意味があるんだ? どうも腑に落ちんな」
その時、地面に倒れているカラス天狗がわずかに身じろぎした。四葉はギョッとして、
「この人をどうするんです? 意識が戻ったら、また襲ってくるんじゃないんですか?」
「ああ、それなら大丈夫だ」とガリーが頬を緩め、
「カーラ、どんな様子だい?」
「打撲と脳震盪は起こしていますが、骨折はありませんし、脳や臓器にも大きなダメージはないようです。これから処置します」
カーラは天狗の傍らに膝をつき、相手の肩口に手を当てて目を閉じた。
「“アクティブ・イマジネーション”」
天狗がひと呻きし、体を痙攣させる。
四葉が目を見張る中、翼が縮んで消えていき、口ばしは引っ込んで唇に変わり、天狗は元の山伏姿に戻った。
「カーラの偉能、つまり特殊能力は、相手の偉能を解除し、使用不能にすることができる。
アクティブ・イマジネーションてのは、心理学者のカール・ユングが開発した深層心理療法だ。カーラのはその偉能版で、相手の心の深部に降りていき、無意識と固く結合している偉能のロゴスとの結び目を切り離す。我々にとっては強力な武器だ。
ただ、残念なことに、アクティブ・イマジネーションは魂魄転写のキャンセルまではできない。あとはRMAに天狗君のケアを任せるとしよう」
「魂魄転写? RMA?」
「ガリーさん」
ザックが、しゃべりすぎているガリーに目配せする。
「ああ、まあとにかくもう大丈夫ってことだ。これから我々の協力者がサポートに来てくれる」
ガリーがスマホを取り出し、電話で話し始める。
「今終わりました。今回もアカデミーじゃありませんでしたが」
カーラがはっと顔を上げた。
「待って。まだ他にいます」
全員が動きを止め、耳を澄ました。荒立つ瀬音に交じり、悲鳴のようなものがかすかに聞こえた気がした。
「絵理朱っ!」
四葉はトンネルを飛び出し、山道をまっしぐらに駆け下った。