7話 イユレンの街
私は天にも登る気持ちと、この街を出てしまっていいのかという後ろめたい気持ちの二つを抱えていた。
こうみえて18歳になる。多少幼く見えるのは個性だと言い聞かせて生きてきた。実際の見た目は12,3だろうか。お医者さんには少し発育が遅いだけで何も問題は無いと言われた。
「あ、はすちゃん、元気にやってたかい?」
警備員のオジサンだ。本当に小さな頃から良くしてくれていた。
「オウネさん、元気そうで良かったー。私居なくて寂しいでしょ?」
シワが入った顔がクシャッとなる。
「あはは、本当にそうだよ。俺は寂しくて毎日枕を濡らしてらぁ」
自然と笑みが溢れる。私の家だ。
「さあ、先生らもきっとはすちゃんに会いたいだろうに、早く行ってあげな。俺のところはまた後で来てくれよ」
かわいいオジサンに手を振ると門をくぐり中へと進んだ。
大きな敷地は2メートル程の塀で囲まれている。ここは孤児・生活困難者施設。
私にはパパが居ない。そういう孤児がここには沢山居る。私が赤ん坊のころに保護されたらしい。
薄っすらと赤ん坊の自分の記憶があるが、これが本当の記憶なのか、ただの妄想なのか、分からない。
この施設はボランティアじゃない。施設に暮らす人も可能な限り仕事をしている。私みたいな出所した後に、寄付では無く、納金している人も多い。
それが嫌なわけじゃない。むしろ恩返しだし、そうやって助かる命があるのであれば、いくらでもやりたい。
私は一番大きな建屋の入口に入った。1ヶ月振りだ。出所してから1年、大体1月に1回は顔を見せに来ていた。親に顔を見せるような感覚だろうか。
「あら、蓮夏ちゃん、いらっしゃい」
清掃や食事を担当してくれている方だ。
「こんにちは、エツミさん」
満面の笑顔は、自分の後ろめたさを誤魔化したいのだろうか。
「いつもありがとうねぇ、蓮夏ちゃんの笑顔は世界一よ。あたしはそれで元気をもらってるんだよ」
いつも優しい言葉をかけてくれる。この施設は皆が支え合おうと生きている。エツミさんも、元は生活困難者だ。今でこそ、こうやって笑顔で会話できるようになった。
「ありがとうね、いつも」
エツミさんと別れ、しばらく廊下を進むと私は少し立派な扉の前にきた。
なんて言うのが良いのか。悲しむかな、先生。ドキドキとなる心臓はどんどんと鼓動を早くする。
「さ、いくか」
自分に声をかける。
ドアを開く。いつもよりも重い。
「こんにちはー、蓮夏です」
いつも通りの声が出たかな。不安が私をどんどんと押しつぶしてくる。
「あら、蓮夏おかえり」
先生の声はいつもの通り、透き通っていて、心を落ち着かせてくれる。少しだけ、心の重さが取れた気がした。
何かしていたのだろう、持っているペンを置きメガネを外して私へと視線を向けた。
「雪先生、元気だった?」
「うん、私は元気にしてるよ。変わることもなく、ココの皆も元気でいてくれてるわ。蓮夏はどう?」
「うん、元気、すっごく」
ニコリと笑う雪先生。私もそれが嬉しくて、笑顔になる。シワが混じり始めたその表情が愛おしい。私の、私達のお母さんだ。
「何か、良いことでもあったの?いつもより、蓮夏の顔が輝いているわ」
いつも通り、出来ていなかったのかな。先生はやっぱり、すごい。
「うん」
先生は優しく微笑んでいる。
「・・・嬉しいこと、あったよ」
私は決心した。どんなことでも、受け止めてくれる。それが、ココだ。
「仕事でね、素敵な人達にあったの。先生はパース付けたことないとおもうけど、私のやつ、調整してくれて――――」
私は先日のことを話す。
「でね・・・一緒に、リデルに来ないかって」
こくんと、うなずく雪先生。
「蓮夏はどうしたいの?」
落ち着いた、ゆっくりな声。
「・・・」
「行ってみたい」
瞳を閉じる雪先生。
「大丈夫、行ってらっしゃい。この施設は大丈夫だから。私も、他の皆もいる」
笑顔で答えてくれる先生。
「蓮夏が居なくなるのは寂しいけれど、会えなくなるわけじゃない。この施設だって皆で何とか切り盛りもできてる。だから心配しなくて大丈夫。・・・蓮夏のことだから、お金は何とか、なんて考えてると思うけど、引っ越しもあるし、色々お金も必要よ。だからもう気にしなくて大丈夫よ」
「・・・ありがとう、でもお金は必ず。これは私の気持ちだから」
「うん。無理しないでね。あなたはこうと決めたら曲げないからね・・・わかった、ありがとう」
私はコクンと頷いた。
「この施設の経済状況も本当は何とかしなきゃいけないのだけれど、それを無理やり協力させてしまって・・・」
「そんな無理やりなんかじゃないよ。ここの皆、同じ気持ちだよ。恩返し、死ぬはずだった私達を救ってくれたんだから」
「きっと、もっと有名になって、お金沢山稼いで戻ってくるねっ」
ふふと笑う雪先生。
「お金なんて別にいいのよ。もちろんお金は要るんだけど。それよりも、蓮夏が蓮夏らしく生きることが何よりも尊いの。それを忘れないで」
目線をずらす雪先生。
「・・・いつか来ると思ってたの。蓮夏が外へ行く日が。あなたは昔から才能に満ちあふれていたもの。外の世界が蓮夏のこと放っておくなんて、有り得ないものね」
「気をつけて。いつでも、戻ってきなさい。ここが、あなたのホームよ」
先生と抱き合うと、ポンポンと頭をなでてくれた。
「うん、ありがとう」
しばらくの間、先生にくっついていた。お母さんに甘えるように。
☆
「はすちゃん、しばらく会えなくなるんかね?」
ここの人は皆、人の事を良く見ていると、今更ながら気付かされる。オウネさんは優しい表情のまま、私に声をかけた。
「うん、そうなんだ。良くわかったね。ホント、オウネさん達にはかなわないな」
笑って返すが、きっと少し悲しい顔をしていたかもしれない。
「そらぁのう、俺らの娘やからな。わかるわい」
シワがクシャッとなる。涙が、溢れそうになる。
無言で抱きついた。オウネさんは優しく包んでくれる。
「ええ人を見つけて、楽しく暮らせるはずや。俺が見込んだはすちゃんや、心配せんくても大丈夫」
「イユレンの街は、任せなさい。たまのたまに、でええから。時折、俺らのことを思い出してくれればええからの」
うん、と元気よく返す。それで精一杯だ。涙が零れてしまいそう。
「ありがとう。また必ず顔見せにくるから」
手を振り合う。門を出た私は、一人で、その一歩を踏み出す。