男子100メートル走予選
男子1500メートル走予選が終わって程なくして、男子100メートル走予選が始まる。
都立高倉高校の出場3名は部長の甲斐、翔、そして名波だ。3人のPBから考えると、まだ支部大会の予選は余裕があると見ていいだろう。
それでも一発勝負だ。タイムがモノを言う予選はこれくらいなら問題ないというラインを超えておかないといけない。
予選は11秒3を出しておけばほぼほぼ通る。3人とも入念に準備をして時間を待つ。
翔が1組目、甲斐部長が6組目、名波が8組目だ。100メートル走はあっと言うまだ。スタートしてから約11秒でレースが終わる。
0.1秒どころか100分の1秒が勝敗を分けることもしばしばある。本当にわずかな差。肉眼では判断が難しいくらいの差で決まることもある残酷で厳しい種目だ。花形種目であるが故に注目度も高い。
今日は風もほとんどない。100メートル走は風邪の影響も大きい。追い風2.0メートルを越すと参考記録になるが、風速0.0メートルと追い風2.0メートルでは、約0.16秒も差が出ると言われている。
逆に風速0.0メートルと向かい風2.0メートルでは、約0.2秒も差が出ると言われているのだ。0.1秒がとても大きな差になる100メートル走では、レース全てが同じ風で行えるわけではないので、本当に風邪の影響は大きいと言える。
ただ今日はそこまで気にする必要もない。風が強い日はかなり気にするところではあるが。
スタンドでは愛衣達と健吾が合流していた。
「お疲れ様!決勝進出おめでとう!」
「お疲れ様。磐石のレースだったんじゃない?」
美桜が聞く。
「ありがとう、2人とも。ちょっとペース早めに上がったけどちゃんと着いていけたし良かったよ。」
「決勝は午後からでしょ?ゆっくり休んでね。」
愛衣は午後から自分の種目もある。本当は応援してほしいのかもしれない。
「決勝で上位に入れば都大会だもんね。万全にして挑んでね!」
「もちろん!予選よりペース上げて勝負して、勝つつもりだよ。」
スタンドから一転、いよいよ男子100メートル走予選が始まる。いきなり翔の登場だ。冬季練習を超えて大きく伸びた翔がどこまでいくのか、チームメートとして、同学年の同じ種目をする者として、ライバル宣言をされた身としては大いに注目だ。
「オン・ユア・マークス」
1組目の選手達がスターティングブロックに足をかけ、スタートの態勢に入り始める。
「セット」
走者全員がスタートの態勢に入る。自分が走らない時のこの瞬間と、自分が走る時のこの瞬間は本当に違った瞬間になる。
号砲と共に各走者一斉にスタート。翔のスタートは悪くない。100メートル走はトップスピードをどの位置に持ってくるかで大きくタイムが変わる。
理想は60〜70メートル付近でトップスピードに乗ることだ。早くにトップスピードに乗ると、自然減速も早くなりタイムも伸びない。
冬季練で急成長した翔とはよくこの話をした。とても難しいことだが、更にタイムを伸ばすには必要なことだと思ったからだ。
ただがむしゃらに練習するだけでなく、科学的に短距離走を見る。色々な知識を入れ、考え、実践して、確認し、また考えの繰り返しだ。
短い短いレースの中に多くのものが詰まっている。シンプルだからこそとても難しい。
男子100メートル走予選1組目が終わった。電光掲示板に着順とタイムが映し出されるのを待つ。支部大会の予選は着順ではなくタイムで決まるので、皆タイムを気にする。
男子100メートル走予選1組目
1 足立 翔 都立高倉高校 11.22
翔は1組目トップで駆け抜け、タイムも充分準決勝に残れるぐらいのタイムだ。
思うには少し遅いかもしれないが、名波は1組目が終わり「あぁ、始まったんだな」と感じていた。
そう、支部大会はもう始まっている。心地よい緊張感と高揚感が名波を包む。自分のレースまで後少し。もう少しで走れるんだと思うと嬉しくて仕方なかった。
レースが進行し男子100メートル走予選6組目。部長の甲斐先輩の組だ。
(甲斐部長はまず大丈夫だろう。)
昨年の新人戦で関東大会まで勝ち残れた実力者で、経験豊富な3年生。レースでの心構えやプランはしっかりしているものがある。
「オン・ユア・マークス」
選手達がスターティングブロックに足をかけ始める。男子100メートル走予選6組目の開始はすぐそこだ。
「セット」
選手達がスタート態勢になる。
号砲と共にスタート。
甲斐部長のスタートは悪くない。そのまま加速局面を超えてトップスピードへ。
男子100メートル走予選6組目が終わった。
電光掲示板に名前とタイムが映るのを待つ。
男子100メートル走予選6組目
2 甲斐 亮介 都立高倉高校 11.18
着順は2着だが、タイムは充分すぎる。ほぼ間違いなく準決勝に進むだろう。
男子100メートル走予選7組目が始まりいよいよ名波のいる予選8組目だ。
スタンドで見ている愛衣と美桜に健吾が加わっている。
愛衣が言う。
「あ、次だよ。友のレース。」
「友なら大丈夫でしょ。余裕持って走ると思うよ。」
「なんか自信に満ちてる感じあったもんな。支部では負けないよ、みたいな。」
「そうだよね。支部大会は友からしたら勝って当然ってぐらいにならないとって言ってたし。」
「目標が全国の表彰台だもんね。冷静に考えてみると本当にすごいよ。」
(私とは全然違う。部内の出場枠争いにも負けた私からしたらレベルが違う。友ぐらいになれたらどんな風にレースに挑むんだろう。)
言葉には出さなかったが美桜は思っていた。本当にすごい所にいるんだと。そして自分もそういう風になりたいと。
「ファイトー!友ー!」
愛の声援がとぶ。男子100メートル走予選8組目のスタートだ。
「オン・ユア・マークス」
名波はリラックスしたまま、スタート位置につきスターティングブロックに足をかける。若干鼓動が早くなる。いい緊張感だ。
「セット」
スタートの態勢を取る。スタートの号砲があるまでのほんのわずかな時間が、名波は好きだった。
緊張と高揚。すぐに号砲が鳴るだろうレースへの全神経を集中させている時の感覚。頭にあるのはただ速く走ることだけ。
スタートの号砲が鳴った。同時にスタートする名波。悪くないスタートがきれた。加速局面の間も両端の選手は目に入らなかった。
加速局面を終えてトップスピードへ。最大疾走局面を維持し、自身の感覚から11秒20はこのくらいだろうと流し始める。そしてフィニッシュ。
( 悪くない走りだったな。まだまだ上げていけそうだ。)
フィニッシュし、電光掲示板を見つめる名波。この時間もいい走りができた時は好きな時間だ。どれくらいの記録が出るか楽しみだから。
男子100メートル走予選8組目
1 名波 友 都立高倉高校 11.23
着順1位でゴール。タイムも11.2台と悪くない。納得と言った表情でスタンドを向き、スタンドに一礼して健吾達に拳を突き出す。
支部大会男子100メートル走予選が終わり出場者全員のタイムが出て、準決勝進出者が決まった。都立高倉高校の3人は全員準決勝進出を決めた。
「お疲れ様とおめでとうございます。調子良さげですね、甲斐部長。翔もお疲れ様とおめでとう。」
「お疲れ様とおめでとうです、部長。友もお疲れ様とおめでとう!」
「友も翔もお疲れ&おめでとう。2人とも調子良さそうだな。」
「はい、割といい感覚で走れました。準決勝に向けていいレースでした。」
「自分もです。1組目だから緊張しましたけど、その割に走れました。」
「うん、俺もだ。準決勝見据えて走ったから手応えあったよ。友も翔も準決勝もしっかりいこうな。」
「はい。決勝に進む気しかないです。」
「同じく決勝出てみせます!部長も友も3人一緒に決勝出て、そこで勝負しましょう!」
「そうだな。3人で決勝出て、決勝で競って3人とも都大会に行けたら1番だよな。」
充分可能だと思えるくらい部長も翔も充実しているようだった。とりあえずの予選突破。目標の2歩目。3歩、4歩と先に進んでいくんだ。名波は充実感と共に男子100メートル走予選を終えた。