ラブミーラブユー 五色目
前作:ncode.syosetu.com/n0627hb
※本作は下記作品の“公認クロスオーバー作品”となっております
三色ライト『(元)魔法少女が(やっぱり)変態でした。』
華永夢倶楽部『ラブミーラブユー』
-★- 《dorință –召喚–》
「……痛い」
突然の頭痛で無理矢理起こされて、ゆっくりと起き上がる。辺りをよく見渡すと目の前にあるのは岩と池と暗闇の世界、恐らくここは洞窟の最深部だ。
「どうして、こんな所に」
そもそも私がこんな場所にいる事自体が不自然極まりない。私はいつもの様に大学の帰りに星乃川モールの本屋で、百合漫画を買おうとしていた。そこまではハッキリと覚えている。
そう、そこまではハッキリと覚えている。
だけど今はどうなのか。漫画を買ったりする場面とかは一切思い出せないし、家に帰った記憶も全くと言っていい程にない。この場合は記憶喪失とは違って、実感がないと言った方がもしかしたら正しいのかもしれない。もし漫画を買ってたんだとしたら手元に漫画があるべきなのに、手元にソレが無いのが証拠。
買い物の途中で見知らぬ場所に飛ばされた、と考察するのが自然だと私の中で勝手に決めた。真相は知らないけど。
でもこの感じは何というか、アレな感じがする。サブカルで人気のアレに近いものを感じるのは、どうやら気のせいじゃなさそう。
「そうか。ここは異世界だ」
どうやらこの私ブラッディ・カーマは、生まれて数百年の人生で初めて異世界転移をしてしまった。かもしれない。
「さてと、まずは迂闊に動かず敵がいないか確かめよう」
ここが異世界という確信を得る為、最初にする事は音を聞く事。もし既に何かしらの敵に包囲されているとしたら、すぐに戦闘態勢をとらなくちゃいけなくなる。実戦経験は豊富だが最近は平和に暮らしてた所為ですっかり鈍ってしまった、敵の殲滅に関して自信がないのが本音。
「オークとか、いるのかな……」
洞窟に足を踏み入れる吸血鬼が、オークに蹂躙される作品がどこかにあった気がする。もし油断したら私もそうなるし、出来るだけ油断はしたくない。
「……いない、か」
次に池の水質調査。ただ飲むだけの簡単な手順をこなし、安全を確認する。冷たくもないぬるくもない丁度いい温度。飲んでも平気だったからきっと大丈夫だ。
「翼」
異世界モノでのお約束は、どうやら自分にも適用されるようだ。まぁ私自身がそもそも飛べたり魔法を撃てたり出来る吸血姫だから、今さら最強になっても驚いたりはしないだろう。
「さて…………」
とにかくここが本当に異世界だとしたら、色々と面倒になる。もしこの世界に自分との間に言語やしきたりの違いがあったら、かなり厄介な事になってしまう。特に誰一人とも意思疎通が利かないのは一番辛い。そもそもここから出ないと何も始まらないが、異世界人との合流に自信がない所為でここから出るのも躊躇ってしまう。これはどうしたものか。
『あれ? 人がいるよ?』
『ホントだー、いるー』
「……ッ‼︎」
二人の幼い声が聞こえたと思ってたら、松明の灯りの後ろから幼女と幼児が私のもとに現れた。突然の声に戦闘態勢へ移行していたけど、この子供達から明確な敵意を感じなかったから、血の魔法による武器をしまって二人の前に姿を現した。
「おねーちゃん、何してるのー?」
何の警戒も無しに私の服を掴んでグイグイくる幼女。それとは対照的に幼児は賢く、私とは少し距離をとって話しかけてきた。
「お姉ちゃん、どこの人? 見たことない服だけど……」
きちんと呂律の回った、幼稚園児くらいの年に見える男の子が幼女を守りながら話しかけてきた。
「た、旅の人だけど……」
日本語に聞こえた気がする。日本語にしか聞こえない気がする。だから恐る恐る日本語で答えてみた。
「旅って、何?」
どうやら、私の言葉が伝わるみたい。ならとても都合が良い、上手いこと二人を味方に付けておこう。
「旅って言うのは、自分の足で歩いて…… 色んな場所に行く事を言う。お出かけとは違って、すぐお家に帰れない位の長い時間をかけて歩くから、人生の半分くらいを使って勉強が出来るんだよ」
「じゃあ、お姉ちゃんは遠いところから歩いて疲れてるんだね。えっと〜…… お姉ちゃんってさ、そこの水を飲んだりしてないかな?」
「飲んだけど。どうかしたの?」
「ソレさ、ぼく達のお風呂場なんだよね」
「えっ…………」
ここが、お風呂場……?
「じゃあ、二人はお風呂入りに来た所だったの?」
「う、うん。そうなんだ……」
「おにーちゃん‼︎ 早く入ろうよ‼︎」
男の子の後ろに隠れてた幼女は、慣れた手つきで服を脱ぎ裸になって手を振っていた。
「おいエミル‼︎ 転んだらあぶないぞ‼︎」
そう言いながら男の子も私の前で服を脱ぎ、先にお風呂に入ったエミルと呼ぶ幼女の許に駆け寄った。もちろん相手は子供だから私の前で綺麗な裸体を、何の恥ずかしげもなく曝け出しているのは言うまでもない。
「……………………」
身体の小さな兄妹が、とても仲良くお風呂をゆっくりと楽しむ。そんな二人を私はその場に座り込んでジッと眺める。
「おねーちゃん、一緒に入ろうよ‼︎ お風呂気持ちいいよ‼︎」
エミルが私をお風呂に誘ってきた。妹の無茶振りを受け男の子に視線を送ると、まさかのOKサインを貰った。
「……分かった。脱ぐから待ってて」
ゆっくり立ち上がって今着てるゴスロリ衣装に手をかけて、丁寧に脱ぎ始める。そして次にローファー、黒タイツ、そして最後に…………
「……あっ、ごめんなさい」
ふと視線を感じると思ったら、男の子がジッと私の裸を見ていた。きっと家でお母さんや妹と普段から一緒にいるのか、女の子を詳しく知らないんだろう。とてもウブな子だね。
「じゃあ、入るよ」
恐る恐る水に足を入れて、それから下半身、胸へと浸かっていく。向かい合ってお風呂を楽しむエミルも男の子も私も、タオルなんて着用していないからお互いに裸が目の前にある状況。エミルは何とも思ってないし、私も特に羞恥心は感じていない。
ただ、男の子はエミルと私を交互に見ながら顔を赤くする様子に見える。いくら年齢が幼くても全裸の女の子二人に囲まれるのは流石に気まずいらしい。
「そういえば君の名前、まだ聞いてなかったね。何て言うの?」
「あ、え、っと…… ぼ、ぼくはエレナって言います……」
「妹のエミルだよー‼︎ いまは四つー‼︎」
「私はブラッディ、ブラッディ・カーマよ」
こうして少し普通じゃない状況で、私は異世界人のエレナとエミルの二人と仲良くなった。でもたまにはこういう出会いも悪くないと思う。
もし私が無事元の世界に帰れた時、この出会いは私の親友達とのトークテーマにもなるし。
「ところでエレナ、良ければ今晩君達の家に泊まっても良い?」
「うん、良いよ。お風呂から上がったら、お父さんとお母さんにも聞いてみるよ」
「ありがとう、エレナ」
「う、うん……」
一応私の事を最初に旅人と嘘を吐いているから、しっかり自分の設定を忘れずに接する。
「ねぇねぇブラッディおねーちゃん‼︎ エミルね、ブラッディおねーちゃんの生まれたところのお話ききたい‼︎」
「私の故郷の話が、聞きたいの?」
「あ、ぼ、ぼくも聞きたいです……」
私の故郷、か。あんまり子供に話せるような所じゃないけど、話さない訳にもいかない。
「私が生まれた所は王様がいる国でね、よく色んな国と争いをしていたんだよ」
「ブラッディおねーちゃんも、戦ってたの?」
「うん、私はこう見えてとても強い人なんだよ。王様の近くにいて、王様とはとても仲が良いくらいだから」
「えっと、争いがよく起きてたって事はお姉ちゃん…… もしかしてそれが嫌になって旅に出たの?」
「ううん、争いがサッパリ無くなってから旅に出たの。かつて自分が壊した国を巡ったり、来た事のない国に行ってみたり、海を渡ったりもした」
「海って、ホントにしょっぱいの?」
「うん、飲んだら舌がヒリヒリする」
「じゃあ海のまない‼︎ おにーちゃんものんじゃダメだよ‼︎」
「う、うん……」
「そして海を渡ってずっと歩いていくとね、暮らしも言葉も違う国があるんだよ。暮らしはここよりも豊かで機械が沢山あるし、言葉だって全然違う。だから私はその人達の言葉を勉強して、そして話せるようになって、その国の人と話せるようになったの」
「じゃあじゃあ、その言葉エミルにもきかせて‼︎」
エミルが私をキラキラした目で見てくれる。エレナも興味があるのか、少し目線を逸らしながらもコッチを見ている。
「それじゃあ…… Nice to meet you, I'm Bloody Kerma. Elena, Emil, nice to meet you.」
とりあえず英語で自己紹介してみた。そしたら突然聞き慣れない言葉が出てきて驚いた二人が食い付いてくれた。
「ねぇねぇ‼︎ 今なんて言ったの⁉︎」
「今のはね、エレナとエミルに挨拶をしたの。こんにちはってね」
「へぇ〜」
「じゃ、じゃあ…… 他の言葉で同じ事って、言えるの?」
「うん、言えるよ。じゃあ…… Încântat de cunoștință. Sunt Bloody Kama. Elena și Emil, mă bucur să vă cunosc.」
またまた良い反応を貰った。やっぱり子供達って正直な反応をしてくれるから好き。だからもっと二人に天才アピールをしたい気持ちがあるけど、流石に私の知ってる言語に限りが見えてきたから話を少し強引にだけど切り上げなきゃ……
「……さて、あんまり長く入るとのぼせちゃうから上がるよ」
そう言って一足先に上がったら、エレナがまた顔を赤くしながら視線を逸らした。普段から妹の裸を見てるっぽいのに、どうして私の裸に恥ずかしがるんだろうか。それがどうしても分からない。
「え、えっと…… 良かったらコレどうぞ」
エレナがタオルを貸し出してくれた。それをありがたく使わせてもらい、そして返す。
パンツを穿いて、タイツを穿いて、ブラを着けてゴスロリを着てローファーを履く。仕上げにつま先をトントンしてスカートの具合チェックしたら、いよいよこの洞窟とおさらば。
「ねぇおねーちゃん。おうちにはね、お父さんはいないけどいつもエミルたちと仲良しで愛し合ってるの‼︎ あんまりお金は持ってないけど、エミル達にいつも美味しいごはんを食べさせてくれるんだよ‼︎」
エレナとエミルの家へ連れてってくれるまでの間は、エミルの話を延々と聞き続ける。一度だけエレナが喋り過ぎだと止めようとしたけど、それでもエミルは話をやめなかった。
とにかく二人は今、お金が無くても幸せらしい。
だけど二人は、将来的に自分達がお金を稼げる立場になりたいらしい。大人と一緒に仕事をして、毎日ご飯を食べられる生活をもっと続けられる様に、二人ともそれなりに考えてる事も分かった。
「……エレナは、将来どうしたいの?」
「えっ、ぼ、ぼく? ま、まずは勉強がしたいかな。学校に通って色んな事を知りたいな」
「それじゃあ、エミルは?」
「エミルはねー、おにーちゃんと一緒がいい‼︎」
兄のエレナは、学校に行きたいんだ。そして妹のエミルは少しブラコン気味ながらも、それなりに考えがある。
これは二人の将来が、とても楽しみだ。
「こんな山奥に旅人が来るとは思わなかったです。寝床しか貸せませんが、どうぞごゆっくりくつろいで下さいね」
エミルがやや一方的に私の事を話した甲斐あって、割とすんなり二人の家に泊まれる事が決まった。もう夜遅くだった事もあって、家に帰るなりすぐ二人は自分の部屋のベットに倒れ込んで眠りに落ちた。
「……さて、これから私はどうしようか」
私は吸血姫。ここからが私の時間になる。
本来ならすぐにでもこの家から抜け出して異世界から脱出する方法を探し出したい。だけど今から探してもノーヒントのまま世界を飛び回る様なものだから、無謀にも程がある。
だから今夜はゆっくり休んで、明日になったら異世界から脱出する事にしよう。
「……おやすみ、二人とも」
二人の頭を優しく撫でて、とても可愛い寝顔を数分ほど眺めてからエレナの隣に潜り、深い眠りに落ちた。
『……………………』
そろそろ、朝になったかな?
「ん……」
重いまぶたを開けると、背を向けていたはずのエレナと目が合った。
「おはよう、エレナ」
「あ、お、おはよう…… お姉ちゃん……」
あたふたするエレナの隣で大きく背伸びをして、早速出発の準備を始める。その為に部屋を出ようとした時に、ある違和感を感じた。
「あれ? エミルの服が乱れてる……?」
寝る前に見た時は、しっかりパジャマになってた。だけど今は服装自体は変わってないが、一番上のボタンが外れていた。どう考えても寝返りで外れたにしては不自然だし、少し顔色が良過ぎる気がした。
「エレナ、エミルの服ってこんなに乱れてた?」
「えっ、エミルの服が乱れてる……? あんまり覚えてないけど、どう変わったの?」
「私の記憶が正しければ、一番上のボタンが外れてる気がする。もしかして夜中に起きてたとか?」
「ど、どうだろう…… 何かうるさい音が聞こえたくらいしか覚えてないけど」
夜中にうるさい音……?
「ねぇ、それをもっと詳しく教えてほしい」
エレナの肩をがっしり掴んでお願いすると、エレナは恥じらいながらも詳しく教えてくれた。
「えっと…… 夜中にさっき言ってたうるさい音が耳に入って起きたんだよ。とても気になったんだけど、眠かったからすぐに寝ちゃったんだ。音の感じは部屋からしてるんじゃなくて、遠くでしてた感じだったよ。でも全然うるさくなかったし、人の話し声がするくらいだったね」
「ふむ…… その証言を参考にすると、家の外ではなくて家の中で何かが行われてる可能性がある。でも今のそれを調査するのは無理だと思う」
「えっ、どうして?」
「その音がしたのは“夜中皆が寝静まった頃”。だからきっと定期的に何かが行われてるって考えた方が良いと、私は思う」
「そうか…… じゃああの謎の音の正体を知りたかったら、夜更かしすれば良いって事か‼︎」
「そう。だからエレナ、今夜は私と一緒に謎の音の正体を突き止めようね」
エレナと夜更かしをする約束をした。こうして少しだけエレナと仲良くなれたと実感していたら、エミルがウトウトしながら目を覚ました。
「ふわぁ〜…… おはよ〜……」
「お、おはようエミル」
ボーッとしたまま虚を見るエミルを見ていると、また新しい違和感を覚えた。
「……………………」
とても、顔色が良い。元気な子よりもさらに元気な感じで、何ていうか元気の塊みたいなパワーを感じる。
「エレナ、エレナ。エミルって朝はどんな感じか分かるんでしょ。いつもはどんな感じなの?」
「えっと、あそこまでボーッとしてる子じゃないんだけどなぁ…… いつもはもっと早く起きて、みんなで朝ごはんを食べてるから……」
エミルの服が、寝る前と比べて朝起きたら一番上のボタンが外れている。エミルの顔色が、エレナ曰く普段の朝よりもずっと寝ぼけていて顔色が良い。これらの情報を纏めてみると、あまり考えたくない“一つの可能性”を思い付いてしまう。
それは私がいた世界にいる、“二人の親友”がいつもしている事を間接的に見ていた所為なのか、それとも間接的に見ていたおかげなのか。そんなのは今の私にとってはどうでもよかった。
「エレナ、今日の夜遅くに二人で音の正体を突き止めるよ。これは約束だから」
「うん、お姉ちゃん」
エレナと指切りをして、今夜遅くに起きる約束を交わした。私達を待っている音が何なのか、それは私には確信がない。それが何なのか、出来れば私の予想が外れてくれる事を願いながら、今日の夜をひたすら待ち続けた。
これは夜になる少し前の出来事。少しだけ印象に強く残ったから私から話しておこうと思う。
今日も家に一日居させてもらっているものの、家主であるエレナとエミルの母親に手伝う事が無いかを聞いた事が、事の始まりだった。
『それじゃあ、私は少し外出する用事があるので…… エレナとエミルの面倒を見てくれますか?』
『はい、分かりました』
そんな会話をした後、二人の部屋で私はエレナの勉強を見ながらエミルを見守る形で面倒を見ている。エレナはまだ五才ながらも先の事を考えて、小学生レベルの勉強に取り組み、エミルは特に危機感を持たずに外で遊ぼうと部屋を出て、家のすぐ近くで花を摘み始める。
そんな時、エレナが勉強を休む為に鉛筆を置くと同時に話が始まった。
「ねぇお姉ちゃん、お姉ちゃんに聞きたいことがあるんだけど良いかな?」
「何を聞きたいの?」
「あのさ、お姉ちゃんって好きな人とか…… いるのかな?」
「えっ……?」
エレナからまさか恋バナが出てくるとは思わなかった。そんな予想外の質問に、思わず顔を露骨なまでに赤くしてしまった。
「えっと、い、いる……」
子供相手に物凄く純粋な気持ちで答えていた。本当だったらエレナからは余裕のあるお姉さんに見られたかったけど、もう言ってしまった以上は無理にキャラを作る必要が無くなってしまう。
「そっか。いるんだね、お姉ちゃん……」
そう言うエレナの目つきは、どこか残念さが混じっている様だった。でも私にはどうしてそんな表情なのかが分からない。
「もしかして、私に恋人がいるかどうかを聞いたのって…… エレナが私の事を……」
エレナは、俯いて静かに頷いた。
「ご、ごめんなさい。好きな人がいるのに、勝手なことを言って……」
エレナは慌てながら部屋を出ようとする。きっとエミルの事が心配だから見に行くんだろう。だけど私はエレナからの告白に対する返事を、まだしていない。今話さないと駄目な気がする。なるべくエレナを傷付けないように、かつ自分の気持ちもしっかりと伝えないと……
「えっ……?」
エレナの手をとっさに掴んで、部屋に引き戻す。そして扉を閉めたらすぐにエレナの身体を両手で抑える。
「ごめん…… こんな事しちゃって、驚かせちゃったよね? まだ私から返事してないからしておこうと思ってたら、自然とこうなった」
純粋な子供の真っ直ぐな気持ちを前に、それなりに大人な吸血姫が次に言う言葉を繋ぎ繋ぎで口にしていく。
「私に告白してくれてありがとう。勇気を出してくれたのはとっても嬉しいよ、エレナの気持ちを知れて。私はエレナの事は“好き”だけど、それは友達としての“好き”。エレナはそんなの嫌だよね……」
「そ、そんな事ないよ‼︎ お姉ちゃんと友達になれるなら、ぼくは嬉しいよ‼︎ こ、これからも友達同士よろしくね、ブラッディお姉ちゃん」
エレナが涙を堪えながら手を差し伸べる。そんな大人なエレナの手を私は優しく握って、そのまま抱き寄せる。これは私なりの“友達としてのスキンシップ”のつもりなんだけど、これをされてエレナは少し照れ臭そうにしながら私の身体を抱きしめてくれた。小さい身体ながらも、私の背中にある背骨あたりに手を当てて抱きしめる姿は、側から見れば男女の友情と言えるかもしれない。実際に私自身もそういうものを感じてるし、友情を感じている。
まさか男の人との友情が明確にあると、子供から教わるなんて予想外だ。私は自他共に認める幼女好きだけど、実は幼女好きじゃなくて“子供好き”だったのかもしれない。それだけ再認識出来れば、今は満足。
「……エレナ、今夜必ず変な音の正体を暴こう」
「うん、お姉ちゃん」
私とエレナの間には、種族も同じじゃなければ圧倒的な年の差だってある。でもそれを感じさせない“純粋な友情”を確かに感じた。私はこの暖かい気持ちを一生の宝物にし続けてようと決意した。
昼にそんな事があってしばらく経ち、昨夜変な音が聞こえたという夜の零時過ぎになった。私の太ももで熟睡しているエレナを優しく起こして、隣で寝ていたエミルが起きて部屋を出て行く一部始終を見届けた事を伝えると、エレナは目を擦って眠気を覚ました。
「なるべく音を立てないように廊下を歩く、まずはそれに注意してね」
「うん、分かった」
本当はエレナを抱えて飛びたいけど、狭い廊下をわざわざ飛ぶのはリアルなイライラ棒をする気分になる。それに加えて翼の羽ばたき音が意外とうるさいから、逆に目立つ。そう考えて結局私とエレナは歩いて変な音の正体を突き止める作戦でいく事にした。
(なんだか、一階で変な音がする……)
一階から聞こえてくる音は、人の声がくぐもって聞こえてくる。そしてほぼ定期的に発せられていて、それは間違いがなければ二人の声が聞こえてくる。
『エレナ、音の正体が分かった気がする』
ささやくようにエレナへ話しかける。
『どんなの? オバケ?』
吸血姫特有の聴覚をフル活用して聞いた二人の声、そして家のある場所や周りの環境、そしてこの時間帯などの状況から考えた私にとって信じたくない最悪の答えは……
『多分、“エミルと母親の声”。それしか考えられない』
声の正体らしき人達は、エレナとエミルの母親の寝室から聞こえてくる。エミルの声と母親の声がほぼ同時にこの部屋から聞こえている。
『エミル…… お母さん…… 今ぼくが助けるからね』
エレナが率先して前に出て、扉に手を掛けた。
『待ってエレナ…… 君が見たら……』
エレナはついに扉を開けて、部屋でされている光景を目にしてしまった。そのあまりにも衝撃的かつ凄惨な光景に、何も知らないエレナは声色からして冷静さを失っていくのを悟った。
「あ、あ、あぁ、ああああああああああああああ‼︎‼︎」
母親の部屋に毛むくじゃらの獣みたいな人が侵入して、母親とエミルを襲っていた。獣みたいな人は本物の獣らしい荒い呼吸で母親に覆い被さり、今まさに喰らい付こうとしている。
「あぁ〜〜〜〜…………」
すぐそばにエミルもいたが、隣に獣みたいな人がいるにも関わらずグッタリしていて、おまけに目つきが異常で瞳に光を感じなかった。
まるで、薬を盛られた様な視線で。
「うわああああああああああああ‼︎‼︎」
エレナはパニックに陥り、夢中で獣みたいな人もとい獣人に殴りかかった。だけど所詮は子供パンチだからと相手にせず、母親を喰らい尽くす手と口を止めなかった。
「あっ、ああぁ〜〜‼︎‼︎」
恐ろしい獣に自分が襲われているという非現実を目の当たりにしている母親も、エレナ以上にパニックを起こして叫ぶ事しか出来ていない。エミルは母親を守れない事に焦りと怒りを覚えながらも、必死で獣人の腰を殴り続けていく。
それでも獣人は、動くのをやめない。
「……どいて、エレナ」
「お、お姉ちゃん……?」
強めの口調でエレナを無理矢理引き離すと、落ち着きを少し取り戻したのか私の顔を不安そうに見ていた。その視線は母親とエミルに向けていた視線とまだ種類が似ていたから、今すぐに手を打たないとまずい。
「そこまでだ、“ウェアウルフ”」
私の声が届いたのか、ウェアウルフは動くのを一旦止めて振り向いた。その視線は野獣そのもので、油断すれば私にも襲いかかりそうな予感がした。
「……ほう、同類じゃないか。こんな辺鄙な所で何しに来たかな?」
コイツ、喋れるのか。随分と厄介な奴に会ってしまった。
「ここに泊まってただけ。お前に会う予定なんてなかった」
「そう好戦的な目で見るなよ。俺は本能のままにしか動けないって知ってるだろう?」
「……それでも、やってはいけない禁忌がある。お前はそれを犯した、それを理解しているのか?」
「理解しているさ。半分だけだがな」
ウェアウルフがゆっくりと母親の身体から離れる。その時に不快な事は意外とせず、素直に立ち上がった。
見た感じかなり身長差もあるし、体格差もある。これじゃ私が不利だ。この体格差を埋めるには私の魔法で短期決戦を決めるしかないだろう。
「さてと、君達の所為でやる気が無くなってしまったな。どうだい、互いに殺伐とした空気にはなるべくしたくないと考えてる様だし…… 話し合いで決着を付けるのはどうだい?」
「話し合いの内容によっては、お前を殺す」
アイツみたいな種族は、本能のままに生きる血が流れてる。私を含む女性が不用意に近付いたら最後、アイツの餌食になる。
……そこにいる、二人のように。
「随分と血の気が多いんだな。まぁそれも仕方のない事なのかもなぁ、吸血姫」
「……………………」
目の前に立つウェアウルフが、初対面なはずの私の種族を的確に答えてきた。あまりに突然の発言に無言を貫いたつもりだったけど、やはり心まで冷静を貫けなかった。
「お姉ちゃんが吸血姫って…… どうしてお前はそんなウソを……」
エレナの言葉で、少しずつ自分が焦っている事を自覚していく。ある程度知識のあるエレナだからこそ、もしヤツに嘘を吹き込まれた場合を考えると……
何を言えば良いのか、分からなくなっていった。
「おいおい坊ちゃん、そこのお嬢さんは君を起こしたんじゃないかな? だから夜更かしがこうして出来ているんだろう?」
「そうだけど…… それがどうやって吸血姫に……」
「そこを考えてみなさい。けど俺からあえて言うとすると…… “そこのお嬢さんに起こされた”ってのがおかしいとは思わないか?」
「…………ッ‼︎」
「吸血姫、もといヴァンパイアの習性は分かるよね? 夜を彷徨う恐ろしい妖怪さ。そして夜な夜な部屋を訪れては男の血を頂く………… それがお嬢さんの目的なんだよ」
「お姉ちゃんが、ぼくの血を……⁉︎」
「そして血を吸われた人はヴァンパイアとなり、お嬢さんと同じ夜の魔物になる。それがお嬢さんの目的なんだよ‼︎」
「あ、あぁ…………」
エレナがヤツの口車に乗せられていくのに、私は何も言えなかった。何を言えば良いのか分からないと言うべきなのか、それすらも分からなくなっていた。
「エ、エレナ……」
『……………………』
必死の説得をしようとしたら、エレナはボソボソと小声で何かを言っていた。
『ぼ、ぼくは…… お姉ちゃんを信じてる…… 信じなきゃダメなんだ……‼︎』
するとエレナに何を言っても無駄だと判断したのか、ヤツは溜め息を吐いた。
「はぁ〜あ、随分とお嬢さんを信頼してるんだね。それとも俺より早く口車に乗せたのかな? まぁそんな事は今の俺には関係ないよね、状況はこっちが断然不利だという事が分かったからね。これはどうにかしないと………… ねッ‼︎」
そう言い終わった途端にヤツは獣特有の瞬発力で突進し、動いたと理解した頃には既に油断し切ってしまい、零距離まで許してしまった。すぐに振り払おうと手を前に挟むが、その手すら無意味に振り解かれてしまい、ヤツに馬乗りされてしまう。
「……ッ‼︎‼︎」
「お姉ちゃん‼︎‼︎」
手足をしっかり押さえつけられ身動きがとれない。お互いに夜の魔物ではあるが、体格差の所為で抵抗にどうしようもない限界があった。
「それじゃあ本能に任せて…… お前を頂くとしよう」
ヤツは狼特有の鋭い爪を不気味に光らせ、私のスカートに引っ掛けて一気に引き裂かれる。あと数秒しかない反撃のチャンスを必死で考えるが、それよりも早く焦りと恐怖が押し寄せていきウェアウルフ如きに絶体絶命な状況を作ってしまう。
「こ、このオオカミ野郎‼︎ お姉ちゃんから離れろ‼︎」
エレナの声がしたと思ったら、ヤツの腕にしがみついて私を助けようと必死に引っ張ってくれていた。でもひどい言い方になるかもしれないが所詮は子供の力、狼に勝てるはずがない。
「おぉ〜、頑張るねぇ〜。けど……」
ヤツは余裕のある動きでエレナの上半身をまず右手で掴み、そして身動きが取れないのを一秒程愉快そうに眺めてから、余った口の牙でエレナの太ももに鋭利な爪を深く突き刺し噛み付いた。
「うわぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」
血がドクドク流れ出る太ももに恐怖しながらヤツから離れ、必死に太ももを抑えるエレナ。それでも出血が止まる事はなく、床が血溜まりになっていく。
「痛いかい? もし君が望むのなら、一瞬で心臓を止めてやっても良いんだよ。なぜなら俺は人狼ウェアウルフ、瞬殺で右に出る妖怪はいないからね」
アイツ、本気で子供を殺すつもりだ。最悪な事にエレナは私のすぐそばで太ももを押さえているから、ヤツは私を馬乗りしたままエレナを殺す事が出来る。
そして今まさに、ヤツは一瞬で殺そうと腰を捻ってエレナの方を見て爪を構えた。エレナは自分が殺されると悟って声にならない悲鳴を上げて見上げる。
(エレナが死ぬ…… それだけは阻止しないと……)
もう既に母親とエミルを救えなかったんだ、今ヤツを殺さないとエレナまで救えなくなる……‼︎
そんな事は、させない‼︎
「剣‼︎‼︎」
空いた手で血の剣を生み出し、隙だらけのウェアウルフの首を目掛けて振り下ろした。
「グァァァアアアァアァア‼︎‼︎」
血の剣はウェアウルフの首を余す事なく削ぎ落とし、骨の髄まで届いていく。しかし私の剣は獣の骨如きで勢いが死ぬ訳がなく、頑丈な骨を一刀両断し、首元から首を切断した。ここまででわずか一秒程の出来事に、ウェアウルフは自分の身体が遠のく様子を見て冷静さを欠いた反応を見せる。その反応があまりにも鬱陶しいから、もう一度剣で床に転がるウェアウルフの首を真上から突き刺し、完全に沈黙させた。
「エレナ、大丈夫……?」
馬乗りし続ける身体を何とか押し退け、エレナに駆け寄る。
「痛い、痛いよ……」
まだ太ももから出血が止まらない。一応エレナを寝かせて太ももを心臓より高い位置にしている。でもこのままだと失血死を引き起こしてしまう。でも近くにちゃんとした医療機関はないし家には包帯くらいしかない。例え包帯を巻いたとしても出血を止められる訳じゃないから、完全な応急処置にならない。
「お姉ちゃん…… ぼく死んじゃうのかな……?」
「あなたは死なないわ。私が守るもの」
自分なりに出来る事はやった。でも血は止まらない。じゃあどうすればこの出血を止める事が出来るのかを考える。
(……アレしか方法がない)
「お、お姉ちゃん……?」
エレナの不安な声を聞きながら、私は初めて試す止血法を提案してみる。これでもし血が止まらなかったらもうお手上げで諦めるしかない。
「エレナ、血を止めるから脱いで」
「う、うん……」
血で汚れたズボンを脱ぐと、爪で切り裂かれた傷が痛々しく刻まれていて、そこから出血が今も続いている。太ももに顔を近付け傷の具合を確かめる為に傷口を触ってみると、エレナがくすぐったそうに反応した。
「我慢出来る?」
「がまん、出来る……」
これから私は、自分のヨダレをエレナの傷口に染み込ませてみる。もしこれでエレナの傷が治らなかったら、ずっと謝り続けるしかない。もしわがままを言い出したりしたら、出来るだけ叶えるつもりで挑む。
「ん…………」
少しだけ舌を出して、ヨダレをそっと垂らし傷口に触れる。けど出血が酷過ぎて血に流されてしまったから、今度は傷口を直接舐めてみる。
「おっ、お姉、ちゃん……」
「んー? どうしたの?」
「な、なんでもない……」
念入りにヨダレを染み込ませ、念入りに太ももを舐め回す。途中途中でエレナが恥ずかしそうに目を逸らす仕草に疑問を持ちつつも、しっかりと傷口を舐めていく。
「見てエレナ、血が止まってる」
どうやら吸血姫のヨダレなどの体液は、人間に与えると一時的な回復力を与えるらしい。エレナの太ももは傷口すら見当たらない程に真っ白で肌触りの良い、健康的な太ももの状態にまで回復した。
「さぁ、早くエミルとお母さんを助けよう」
その後二人がどうなったのか、それをこれから説明しよう。あの夜、エミルとお母さんに目立った外傷はなく引っ掻き傷も無かった。ただウェアウルフに襲われたショックで二人ともしばらく廃人になりかけ、食事すらまともに出来なかった。だけどエレナの頑張りが功を奏し、二日程で復活した。
「あんな妖怪から助けて下さり、ありがとうございます」
結果として、私は今日を最後にこの家を出る事にした。というか元々この世界を歩き回って元の世界に戻る考えだったから、タイミング的にも丁度いいね。
「では私はこれで……」
お母さんと別れの挨拶を終えてこの家から立ち去ろうとしたら、エレナとエミルに呼び止められる。
「お姉ちゃん…… ばいばい」
「おねーちゃん、ありがとう」
今にも泣きそうなエレナとエミルに別れを告げ、そして一人孤独に山中を下り歩く。こうして山中を歩き続けて思う事としては、本来その場凌ぎのつもりで作った旅人設定のはずが、まさか本物の旅人になるとは思ってもいなかった。だけどこうして山を下って違う場所へ向かい、そこで出会った人との物語を紡ぐのも意外と悪くなさそう。
ここに来るまではずっと都会で腑抜けた生活をしていたからなのか、本能が刺激を求めていたんだろう。だからこういう人生一度きりの体験に対して強く憧れる人が常に多いんだろう。そんな中の一人となった私、ブラッディ・カーマは山を下っていく途中で日が沈み夜になった頃、そこら辺に落ちてる木材と枯葉で火を焚いて過ごす事にした。
「……………………」
今の時間が分からないけど、大体夜八時だろう。今頃は部屋でのんびりしている時間だから尚更この状況が貴重かがよく分かる。
ただキャンプ自体の経験はあったから、寝る時とかは特に気を付けないといけない。ここは異世界なんだから賊に襲われる可能性は無くはない。しかも女の子一人となると必ず狙われ蹂躙されるだろう。
だけど私は吸血姫。もしそうなってしまったとしても、賊をまとめて返り討ちにすれば良いだけの話なんだ。襲う奴が一方的に悪いんだ、それは私の自己防衛だから。
-★★- 《Cruzime –退魔–》
「……………………」
眠れない夜を過ごし続けていく内に、ふと焚き火の勢いが無くなっている事に気付いた。あれからどのくらいの時間が経ったのかは分からないけど、恐らく深夜の時間帯なのは間違いない。
(大丈夫、かな…… この世界に賊とかいるのかな)
あまり賊がいるとは考えたくないが、いないとも考えたくない。そもそも妖怪がこの世界にいると分かった時点で何となく察しが付いていたし、何より近くで生きた幼女の血を感じる。それも嗅いだ事のない人間の匂いだから、おおよそ盗人レベルかもしれない。
「……………………」
だけど一向に動く気配がない。でも生きてるのは確かだけどこっちへ向わず離れようともしないから、そこがちょっと気になる……
(ちょっと、見に行こう)
血の匂いを辿りながら歩いて、茂みの中をかき分けていく。次第に匂いも強くなっていき人の気配も強くなってきた。一応念の為に奇襲に対応出来るよう剣も構えておく。
(いた、あそこにいる……)
わずかに見えた人影のいる場所に辿り着くと、そこには無防備にお腹を出して寝ている幼女の姿があった。だけど身なりや武器をいくつか腰回りに装備しているあたり、どうやらただの幼女ではないっていうのをもう一度確かめたい。
(これは、フレイル型モーニングスター……?)
特に一際目立つ武器がソレだった。幼女の背丈に合わないであろうサイズの鎖の長さ、棘鉄球の大きさ、柄の雄雄しさによるギャップが凄まじい。しかもコレにはとてつもない強さの聖属性魔力が込められてる。たとえ爪先で触れたとしても致命傷になるであろうその強さからして、この幼女は夜を狩る一族の末裔だと勘づいてしまった。
(でもいくら敵同士だからって、こんな場所に幼女一人で寝かせるのもなぁ……)
子供が好きな私にとって一番の下衆は、子供を虐める行為。それは放置も当然含まれる。
「おーい、起きて。そんな所で寝たら風邪引くよ」
「ん……………………」
少し身体を揺らしながら声をかけたら、幼女はすぐに起き上がった。眠そうな目をゴシゴシしながら目の前にいる私をジッと見つめて、一言だけ喋った。
「おはよう〜……」
「おはようって、まだ夜中だよ。それよりこんな所で寝てるなんて一体どうしたの?」
幼女はウトウトしながらも自分の目的を必死で思い出し、それを私に途切れ途切れだが伝えてくれた。
「えっとね、おしろにいるキューケツキをやっつけに、ひとり、ひとりであるいてたの。でもねむいから、ほら、ねてたの」
言い終わってすぐに大きなあくびをする。そんな無防備な姿と仕草に、つい母性本能を呼び覚ましそうになる。
「夜更かしはダメ。身体に良くないし眠くなる」
「は〜い…… ふぁぁ〜……」
フラつきながらも立ち上がり、また目をこする幼女。そしてしばしの間私と幼女は互いに目を合わせて立ち尽くす。
「…………ところで、オネーチャンは誰?」
「私はブラッディ・カーマ。世界を渡り歩く旅人だよ」
ここは異世界なんだから嘘でも何でもいいやと、最後まで旅人設定を貫く事にした。半分ほど嘘は吐いてないんだからきっと大丈夫だろう。
「あたしサイファ。サイファ・フロレスクっていうの」
自己紹介を終えたサイファは、また大きなあくびをしてマイペースに寝転がる。
「おやすみ〜」
やがてサイファの寝息が聞こえてくる。スースーと心地よい音色の聴き飽きない旋律を奏で、耳だけでなく脳まで浸透していく感覚にうっとりする。もしかしたらサイファはウィスパーボイスの持ち主なのかもしれない。だから寝息だけでもこんなに心地良いと思うんだ。
そもそもウィスパーボイスを持ってる事自体が羨ましい。声帯の才能なんて努力で手に入れる物が少なく、ほとんどが先天性だ。向こうの世界で活躍する声優のレジェンド達は長年の経験と努力で手に入れた、確かな実力がある。だけど根っこにあるのはどうしても喉の構造や先天的な才能が関わっているはず。それに気付ければ声を操りアニメのキャラになりきれる。そんなレジェンド声優達ですら真似出来ないのがウィスパーボイス。口で喋るのと同時に息を吐くようにする発声はどうやらレジェンド達には真似出来ないらしい。そんな誰もが羨む声質をサイファは持っている。
羨ましいよ。羨ましい、羨ましい。
『スー、スー…………』
腰にゴツい武器を装着したまま眠り続けるサイファ。正直言って寝返りを打つ時にどうするのかと考えたりしたけど、そういうツッコミはなしという事にして、明日の事を考える。明日起きたらきっとサイファが城に住む吸血鬼の話を無警戒で私に話すだろう。それを吸血姫の私がそれなりに手伝って活躍して、最後はどさくさに紛れて別れる。
ずっとサイファの近くにいたいけど、そのモーニングスターで攻撃されたくない。それだけは何としても阻止する為に私は全力で正体を隠すつもり。
「……………………」
う〜ん、このまま寝顔を堪能するのは流石に変態だ。ここは私も寝た方が良いのかもしれない。そうした方がこの子に怪しまれないから安心して隣にいられるだろう。
「おやすみ、サイファ」
少々名残惜しいけど寝顔を堪能するのは我慢して、朝になるまで私もサイファの隣で眠りにつく事にした。
朝日が昇る前に目覚めた私はサイファが起きる前に、今いる森に住む動物を狩る事にした。ここには寝る前から複数の動物が棲んでるから、そいつらを一頭だけ頂いて直火調理をするつもり。
「……よし」
虎っぽい見た目の獣を剣で仕留め、念の為流れ出てる血を指で掬って舐めてみる。
「うん、美味しくない」
案の定不味かった。肉食獣特有の長所が無い不快な舌触りと後味に吐きかけた。でも肉だけには少し期待も込めてサイファの所へ持ち帰る。
「ふわぁ〜、おはよう〜」
寝床に戻ると、サイファがボーッとした顔のまま上半身を起こしていた。目元をゴシゴシしながら私を見ていると獣をピッと指差して眠そうだけど元気な声を出してはしゃぎだした。
「おにくー‼︎」
うん、やっぱり子供なんだな。正直な反応がとっても可愛いよ全く……
「肉しか焼けないけど、我慢出来る?」
「うん、出来る。あたしお肉大好きだもん」
「良かった。それじゃあ焼くから火傷しないよう気を付けて」
キャンプファイヤーの要領で着火させた火で焼き上げた肉を二人で頂く。正直に言っちゃうと肉は口に出来ないけど肉汁ならギリギリ口に出来る。だけど想像してたのとは少しかけ離れた味だった。だけど歯応えや肉汁とかは我慢出来る味わいだったから、辛うじて呑み込む事が出来た。一方でサイファは普段から食しているからなのか、嫌な顔一つせずに肉を口に運んで幸せそうなホッコリ笑顔で味わっている。
「おいしーね‼︎」
「う、うん…… 美味しいね……」
「そういえばお姉ちゃん、名前聞いてないよ? なんて言うの?」
どうやらサイファ、昨日の事を忘れちゃったか。ならもう一度教えてあげなきゃね。
「私はブラッディ・カーマ。ブラッディって呼んで」
「んーとじゃあ、ブラちゃん」
「……………………」
まぁ、悪くはない。
「ブラちゃんは何しにここへ来たの? もしかしてドラキュラ退治?」
「ドラキュラ退治…… ではない。旅をしてたらここに来たってだけ。そう言うサイファはお父さん達とドラキュラ退治?」
「ううん。あたし一人で退治しに来たんだよ。でもね、とっても怖いドラキュラはお父さん達が退治しに向かってるんだよ? こーんな大きいお城にいるドラキュラを退治するのが、あたし達家族の使命だってお父さんとお母さんが言ってた」
「……なるほど、ヴァンパイアハンターか」
夜を狩る一族として密かに語り継がれている、永きトランシルヴァニア伝説に登場するヴァンパイアハンター。その一族の末裔サイファ・フロレスクが、吸血姫である私の目の前で呑気に肉を頬張っている。
彼女は可愛いの一言で全てを語れる。そう断言出来る。
「あたしが退治するドラキュラはね、小さいお城に住んでて沢山の悪魔と一緒に住んでるんだって。それでドラキュラはいつも夜になると沢山の人をさらって殺してるって、村の生き残っている人達が泣きながら助けを求めてるの。その村人達の願いに応える為にあたし達はドラキュラが住む城を目指していたんだけど、その日を狙ってあちこちで城が出来て、そこにドラキュラが現れたせいでお父さんとお母さんとあたしが別々になって退治しなきゃいけなくなっちゃったの」
「そっか、サイファは一人でドラキュラに立ち向かうんだ。とても強いんだね」
「うん、強いよ‼︎ あたしにはヴァンパイアキラーがあるもん‼︎」
サイファの腰に装備されたフレイル型モーニングスター改め、ヴァンパイアキラーが日光に反射して銀色の光を眩く放つ。私にしてみればこの武器を、目で見るだけなら何ら問題は無い。だけど近付いたり指先だけでも触れようとするとコレから聖なる力が溢れ出て、この私を身体の芯まで灰塵にしようとしてきた。
この私でも触れる事だけでなく近付く事すらも許さない。さすがは退魔の武器といった所、嫌な存在感だ。
「よし、それじゃあ私もドラキュラ退治を手伝おう。暇潰しには丁度良い」
「えっ…… ブラちゃんがドラキュラを……? やめた方が良いと思うけど……」
サイファの態度はチームワークを嫌うのとは違い、危険を一切顧みず立ち向かう私を心から心配する態度だった。
「ドラキュラは人を沢山殺してるんだよ? 女の子や子供相手でも手加減しないで拐って行ったみたいだから、とっても怖いやつなんだよ?」
「大丈夫だよサイファ、安心して。私はこう見えて戦えるから」
「ん〜、でも……」
ほっぺをプクッと膨らませてにらめっこを続けていると、サイファが不安そうに見ながらも、私をドラキュラ退治に参加させてくれた。しっかりお礼を言った所で早速ドラキュラがいる城へのルート計画を会議する事にした。
「この森をたくさん歩いた先に湖が見えてくるの。その近くにドラキュラがいる城があるんだけど、城の中には明るい時に行くよ。ドラキュラが眠ってる棺ごとヴァンパイアキラーで破壊しちゃえばきっと、灰になってあっという間に城は魔力維持が出来なくなって壊れるはず。だから城から出る時は窓から湖にジャンプするから、怖がらないでね」
「了解。ところでサイファはムチ以外に武器はあるの?」
「これ以外はナイフとか斧があって、聖水も持ってるよ。ブラちゃんはどうやってドラキュラと戦うの?」
「私は…… 剣で、かな」
サイファと二人で途方もない時間をかけて歩き続け、やっとの思いで湖とドラキュラ城が見えてきた。太陽はすっかり夕日となって逢魔時に近いオレンジ空で世界が染まっていく。
「もう急がなきゃ。ついて来てブラちゃん‼︎」
城の扉を守る門番をサイファがムチで蹴散らし、たった数秒で門を突破してしまう。鞭自体が扱いの難しい武器だというのにサイファはいとも簡単に振り回していく。
そして何より恐ろしいのはその鞭がただの鞭なんかじゃなく、それがフレイル型モーニングスターことヴァンパイアキラーである事。身体が小さな幼女がコレを軽々と扱うギャップに少し恐怖を覚えながらも、私はサイファの背中を追い続ける。
「なんか変な臭いしない? 気のせいかな?」
「いや、私もその臭いするかも。となるとドラキュラは近くにいるって事だから注意して」
私自身が吸血姫である以上、この臭いは正直なところ嗅ぎ飽きている。だからこそサイファがこれから相手するドラキュラの恐ろしさの片鱗を、この臭いだけで存分に見せつせられる。
「サイファ、感じてる?」
「うん。すぐ近くにいるね。気を付けないと」
軽く迷子になりそうな構造の城内を駆けて行き、特にドラキュラの力を濃く感じる部屋の前までやって来た。
「それじゃあ開けるよ……」
ゆっくりと巨大な扉を二人掛かりで開くと、そこにあまりにも異常な光景が広がっていた。
「うっ……⁉︎」
大理石の床に散乱する血だらけの男女様々な遺体。それを丁寧に掃除するドラキュラの配下。そして何よりも一番目立つのは、そんな気が狂いそうな場所で、金髪が輝き細い身体つきの女性が人前で堂々と服を脱いで裸になり、中央に設置された浴槽へ優雅り浸かって鼻歌を歌う様子。
「お、お風呂……?」
「いや違う…… アレはただのお風呂なんかじゃない。アレは常人には全く理解出来ない、頭のイカれた入浴方法……」
あの浴槽に入っているモノの正体は、美肌効果のあるお湯とかじゃなく、血液。
人間の血液を浴槽に限界まで貯め込んで、彼女はそこに浸かっている。そして鼻歌混じりに手で血液を掬い上げ、頬や髪に浸透させては愉悦な表情を浮かべている。その姿はまるで、かの暴虐な女“エリザベート”そのものを見ている程に似ていた。
「……あら? お客さんかしら?」
私とサイファを前にしても笑顔を絶やさず、余裕の態度で歓迎してくれるドラキュラ。
「同族と人間、しかもヴァンパイアハンターの子供がお出ましとは…… このわたくしも、とうとう名前が知られたという事なのですね?」
「お前の名前は知らない。でも悪い人だってのはお父さんお母さんから聞いている。お前はこのあたし、サイファ・フロレスクが永遠の闇に還してやる‼︎‼︎」
退魔の鞭ヴァンパイアキラーを手にし、嫌な奴を見る目で睨み付けるサイファに対して、ドラキュラはその場で立ち上がって手下に武器を用意する指示を送る。
「あらあら、小さな身体で大きな鞭を振り回すの? 油断して当たっちゃったらどうしましょう……?」
「もしそうなったら、お前はもう二度とこの世に来る事が出来ない様にしてやる。退魔の鞭による肉体の痛みは永遠に続くから、覚悟しなさい」
「ならわたくしも、本気で行かせてもらおうかしら。お風呂に浸かるだけの生活を送っていた訳じゃあない事、このレイピアで証明してみせましょう……」
相手の武器はレイピアか。攻守共に優れ一振りの隙がほぼ無い刺突用の剣だから、一振りの隙があまりにも大き過ぎる退魔の鞭が武器のサイファが若干不利になってしまう。
「サイファ、気を付けて……」
「やめて、気が散る」
サイファの目つきは完全にドラキュラを殺す目に豹変し、口調やトーンもさっきまでと比べて攻撃的になっている。
「行きますわよッ‼︎‼︎」
「くっ……‼︎」
レイピアの強烈な一突きがサイファの心臓目掛けて飛んで行くが、それをギリギリでかわせたサイファは鞭を振ろうと構える所へ、またレイピアが飛び付く。
「遅いですわよッ‼︎ はアッ‼︎」
ドラキュラ目掛けて飛んで行く棘鉄球をレイピアで別方向に弾き飛ばし、結果その重さと張力に負けて身体を引っ張られ、よろめき倒れるサイファをドラキュラは一瞬足りとも見逃さず、レイピアを強く握りしめて鞭を持つ右手の肩を瞬く間に突き刺した。
「うぅッ……‼︎‼︎」
右肩からの出血を左手で押さえ、武器を振り回せなくなったサイファをドラキュラは畳み掛けるように何度も突く。
「あはははははははははは‼︎ 随分と舐められたものですわね。いくら退魔の一族とはいえ、こんな子供でこんな未熟者を相手にさせられるなんて、もはや屈辱以外の何物でもないですわ‼︎」
「…………‼︎」
サイファの小さな身体から、ドクドクと血が流れ出ていく。しかしその血には触れたくないのかドラキュラは満足するまで突き続けた後、配下から素早く貰ったハンカチでレイピアに付いた血を丁寧に拭き始めた。
これでハッキリした。ドラキュラは人間を殺す事は出来るが、サイファみたいな退魔の力を持つ人間は直接殺せないんだ。だから血が噴き出るような武器を使わず、極力血を出さない武器でサイファを殺そうとしたんだ。もしその血が自分に付いたら、サイファの中に流れる代々受け継がれてきた血筋に殺されるから。
「う、うぅ…………」
「サイファ‼︎」
慌ててサイファに駆け寄るが、ドラキュラは私の事なんか眼中に無いのか引き離す真似だけでなく一言も発さなかった。それは絶対的余裕の表れなのか、私の事を知ってての判断なのか。どっちにしろコイツは後で徹底的に潰さなくては……
「さぁて、これで上手く行けばその子供は御陀仏ですわね。あわよくば一族の血は絶え、わたくしは歴史に偉大なる一ページを刻む事になりますわね」
「……そんな事、させない」
「あら? あなたにそんな事が出来まして?」
ドラキュラが穢れた手でサイファの心臓を止めようとするのを、私が抱えてその場から逃げ出す。それを見て怒る訳でもなく、冷静な態度で会話を続けてきた。
「一応聞きますわ。何故あなたは今、走って逃げたんですの? それも子供を抱えて逃げるなんて、どうやら随分と舐められたものですわね」
「何故かって? そんなのお前でも分かるはずだ。私利私欲の為だけに人間を殺すお前を許せないからだ……」
「それは明確な理由ではないですわね。それとも質問が悪かったかしら? 何故人間の味方に付いてるんですの?」
やはり知ってたか。血の魔力を隠してたつもりだったけど、見抜いてたんだな。
「私は人間の味方だから。お前とは違って人の心があるから、この子を連れて逃げるんだ」
「やっぱりそうでしたか。だと思いましたわ。それにしても面倒くさい状況になってしまいましたわね、まさかヴァンパイアハンターと親交のあるヴァンパイアが現れるなんて思ってもいませんでしたわ。ですがわたくしにはそんな友情、全く興味ありません。興味があるのは不老不死…… ただそれだけですわ」
私を殺す気でレイピアを向ける。早くしないとサイファが死んでしまう焦りで、剣を構えてすぐに突進してしまう。
「あらあら‼︎ 焦ってるのね、お友達が死んでしまわれるから⁉︎」
「うるさいっ‼︎」
レイピアを全てかわし剣を振り回すが、相手は余裕の表情で避けていき、何度も突き続ける。
「うっ……」
焦りで周りが見えていなかったのか、ヤツのレイピアが腹部に刺さって激痛が走る。そのまま後退りして距離を取ろうとした場所には瀕死のサイファが寝転がっていた。
「あっ……‼︎」
そのまま転んで尻餅を付き、お尻と両手にサイファの血液がビッシリと付着する。この手を見て私はサイファの命がもう少しなのを察し、ドラキュラを睨み付ける。
「そんなに怖い顔しないで下さらない? 戦闘は生きるか死ぬか、弱者には死あるのみですわ」
生きるか死ぬか。久しぶりに聞くな。
「……確かに、戦いは生きるか死ぬか。それは不変の歴史で、これからも続くだろうね」
剣を持ち直して、サイファを見つめる。
「何をするつもり?」
私は剣をサイファに向けて構え、心臓の高鳴りを抑えながら大きな賭けに出る。
「……こうするのさ」
(ごめんサイファ、少し痛むよ)
そして剣をサイファの身体から流れ出る血液に押し当て、そこからほんの少しだけ吸い取っていく。ほんの一滴だけでも退魔の力を剣が感じとって、吸い取れば吸い取る程に力が溢れ出るのを全身で感じる。
(すぐに終わらせるから、待ってて……)
退魔の血を含んだ剣はほんの一瞬で刃形を変え、サイファの持つ鞭へと変化した。それを見たドラキュラは血の気が引いていき、私を恐怖の対象として見る様に怯えだした。
「あ、あなた一体何者なんですの……? わたくしとは同族のはずじゃ……」
「確かに私はお前と同じで、似た者同士かもしれない。でもお前には私とは決定的に違う部分がある…………」
「そっ、それは一体……⁉︎」
無心で答えを待つドラキュラに怒りと私怨を込めたヴァンパイアキラーで心臓を深く抉り取る。恐怖で反応が遅れたドラキュラは私の血と退魔の血を混合させて作った棘鉄球を前に、苦痛に悶え苦しみながら私を睨み付ける。
「“人間的部分”。お前が不老不死を求めて無数の人間を殺してる時点で既に人間でもドラキュラでもない………… ただの鬼畜だ」
退魔の血がドラキュラの肉体を駆逐し、灰になって消え去っていく。その瞬間は声を上げる余裕すら与えずに滅ぼし尽くし、近くで戦闘の邪魔にならないよう微動だにしなかった配下も同時に肉体が消滅して、この城から闇の魔力を退ける事が出来た。
「サイファ、終わったよ」
いくら身体を揺らしても返事がない。出血も酷く心臓の音が弱っているし、呼吸も雀の涙ほど。急いで応急手当をしないとこのままじゃサイファが死んでしまう。
(こういう時は…… 心臓マッサージ? それとも止血が優先?)
沢山の案をたった数秒で考えた結果、止血を優先して治療する事にした。ただ止血するには出血箇所があまりにも多過ぎる様に見えるし、床に出来た血溜まりの大きさからして、たとえ止血しても命の危機には違いないはずだ。
(……時間がない。最終手段を使おう)
自分の指を傷付けて血液を流し、垂れ出るソレをサイファの傷口に落とす。吸血姫である私の特性“超回復”が一番作用する血液は他種族にも効く事を活かしてサイファの一命を取り留めようと考えてみた。
一瞬だけ退魔の一族にヴァンパイアの血を含ませる事にとてつもない罪悪感があったが、緊急事態を理由に思い切った行動に出る。
(傷口が塞がっていく…… 良かった……)
貫通していた傷口の穴が塞がり、生命活動が正常に戻っていくのを脈から確認した。ちなみに他者へ与えた血液は治癒などで魔力を消耗すると人間同様の血液になる。もともとヴァンパイアは人間の血を吸って育ってたから、これはこれで輸血による人助けになるんだと考えれば、まだ気持ちが楽になるはず。
「うぅ〜ん……」
「サイファ、怪我した所は大丈夫?」
「……うん、痛くないかも」
「良かった。ドラキュラはいなくなったから、早くこの城から出よう」
「う、うん……?」
日が沈みかけて前がよく見えない森の奥深くを歩き続ける。私もサイファも一時間くらい歩き続けてヘトヘトになり、また森で野宿する事にした。
「ねぇブラちゃん…… ドラキュラはどうやって滅んだの?」
「サイファの鞭がヤツの心臓に当たって、そのまま肉体が消滅していったよ」
「ん〜、なんか変だよ? だってあたしはドラキュラにヴァンパイアキラーを当ててないのに、どうやって消滅したの?」
「それは…………」
「ねぇブラちゃん、もしかしてブラちゃんが代わりに戦ってくれたの? だとしたら“ありがとう”だけどさ、だったらどうしてブラちゃんはあたしの味方をしてくれるの?」
「それは…… 子供を守るのが大人の役目で……」
「ううん、ブラちゃんは大人じゃないよね? ねぇブラちゃん、あなたは一体誰なの?」
「……………………」
「どうして言えないの? あたしはこれでもヴァンパイアハンターなんだよ? ブラちゃんが人間じゃないのは初めて会った時から分かってるんだよ? それなのにあたしに教えてくれないのは、どうして?」
「……………………」
「もしかしてあたし、ブラちゃんの嫌な事を思い出させちゃったとか?」
「ううん違う。サイファの言う通り私はヴァンパイアで、吸血姫。ほんの少しだけ人より子供の事が好きなだけの吸血姫。隠してたのは…… 言い出すタイミングがなかなか無くて、そのまま……」
「大丈夫、きちんと言ってくれただけでも嬉しいよ。それにね、あたしはブラちゃんの事好きだよ。ドラキュラはみんな悪とかじゃないって知ってるもん、ブラちゃんはあんな奴とは違うって分かるもん。だって血がそう教えてくれてるから‼︎」
「サイファ……」
「ん〜でも、きっとお父さん達は許さないんだろうな。ドラキュラって分かったらすぐに退治しそう……」
「……そう、それじゃあ明日にお別れだね」
「うん……」
それからしばらくは、焚き火の音だけが辺りに響き渡った。
「それじゃあ出発しよう」
サイファが住む家を目指して、後始末を済ませて歩き始める。昨日の一夜の件があった所為なのかサイファは気持ちの整理が出来ず、少しボーッとしている。こういう時は一人にさせるべきだと考えた私は、話しかけず黙々と後を追うように歩き続ける。
「……………………」
しばらく歩いたけど、まだ森から抜けない。私は随分と奥深くで異世界転移させられたんだな。
「ねぇブラちゃん……」
「ん、どうしたの?」
ほんの数秒の間を空けて、突然サイファが足を止めた。
「んっ……‼︎」
そしていきなり私に抱き付いた。
「……これはお友達の証。あたしはブラちゃんと、お友達」
「サイファ……」
「あたしとお友達になって、ブラちゃん…… そうすればあたし、きちんとお別れ出来るから……」
涙目になりながらも私をギュッと抱きしめるサイファ。そこまでして想いを伝えてもらって、やっと相手の気持ちを知った自分を後悔しながらサイファを抱きしめる。
「私もサイファの事、友達だと思ってる。遠くに離れていても友達。少しの間だけだったけどとても楽しかった……」
「うっ、うぅ……」
しばらくサイファの気持ちが落ち着くのを隣で待ち、それまでは頭を撫でたり肩をくっ付けたりして気持ちを深め合う。最近は陰鬱な出来事ばかりだったから、こうして久しぶりに友情を感じていると私まで涙が出てきた。
(泣いちゃダメ、私はお姉ちゃんだから……)
そっと涙を拭って、またサイファの頭を撫でる。
「……ありがとう」
潤んだ目を擦って気持ちを切り替えて、再び歩き出すサイファ。もうすっかり気持ちを切り替えたからなのか少し大人びた印象があった。こうして子供は大人へ成長するのかと再実感出来た事を胸に秘め、サイファの後を追う。
「あっ見えてきた‼︎ あそこの家があたしの家だよ‼︎」
森の中から小さな集落が見え、その内の一つを指差すサイファ。だけど私には分かるんだ。これ以上この子と一緒にいたらいけないって事を……
「それじゃあお別れだね。ありがとうサイファ、とても楽しい時間だった」
「あっ、やっぱりそうだよね…… ドラキュラだもん、これ以上一緒にいたら退治されちゃうもんね……」
本当はもっと一緒にいたいだろうけど、その気持ちを必死に抑えて別れの挨拶を交わす私とサイファ。
「さようならサイファ、元気でね」
「うん………… ありがとう、ブラちゃん」
もうそれ以上は一切振り向かず、泣くのを我慢しながら涙を流す。もしかしたらサイファも私と同じで、泣くのを必死に我慢しているのかもしれない。それでも後を追わないようにその場で私を見送り、私の後ろ姿を見届けているのは何となく分かる。
そして今、サイファは涙を堪えながら両親が待つ家へと帰ったんだろうと彼女の気配で察した。
「くっ…………」
やっぱりこうして悲しい出来事が立て続けに起こると、悲しみのあまり泣きたくなる。最初の悲劇からストレートパンチ級なだけあって、蓄積していた心の傷を癒すものが欲しくなる頃になってきた。
そんな時に偶然現れたのがサイファだった。
小さな身体に見合わぬ立派かつ豪快さのある武器を扱う、退魔の一族ヴァンパイアハンターの末裔である彼女は、城に住むドラキュラ退治に向かう途中で私と出会い仲良くなった。
しかし私自身がドラキュラと同じ存在であるが故に、仲良くなる事に限界がある。彼女とはいくら仲良くなれても、それを両親が快く許す訳がない。
それをお互いが何となく知っているからこそ、お互いを想って別れを告げた。自分達にとって最悪な別れにならないように、二人きりの時で別れを告げた。
「…………サイファは一つ大人になったんだ。私が子供でどうするって言うんだ」
ここで一つ大人になる為に、思いっ切りほっぺを両手で叩いて気持ちを切り替えていく。パチンと気持ちの良い音が響き渡り、森中にエコーの如く響き渡る。
「…………よしっ、負けるなブラッディ・カーマ」
一日でも早くこの異世界から抜け出す為にも、そしてこれから出会うであろう子供の未来を守る為にも……
吸血姫ブラッディ・カーマは、未知の場所へと一歩踏み出す。
-★★★- 《Nevinovat –切望–》
黒い空、灰色の砂浜、暗黒の海。そしてそこに立ち尽くす私。そして吹き荒れる嵐が、世界の終わりを告げる様に暴れてはあらゆる物を破壊していった。
あれからしばらく歩き続けて、天気が悪くなったと思いきや台風の襲撃で野宿しなければならなくなった。しかし辺りを見回しても雨風凌げる場所は見当たらず途方に暮れている。
(あぁ、船が座礁している……)
砂浜近くで巨大な船が乗り上げて、下部分を岩などにぶつけて激しく損傷している。あれじゃ修復には数週間かかるだろう。
(ん……? 砂浜に誰かいる……?)
暗くてよく見えないけど、何だか岩陰に人影が二つあった。一人は何だか露出が多くて女性のシルエットにも見えて、もう一人は身なりが立派な男性にも見える。
(なるほど、人魚姫か)
この展開は世界的に有名な話なだけあって、異世界に来て初めて安心する出来事に遭遇した気がした。これは話の展開を知っていれば簡単にフラグを回避する事が出来、見慣れた結末を変える事が出来ると仮定した。
(よし、そうと決まれば……)
人魚がその場から離れていないのを見計らって近寄り、二人のもとへ駆け寄る。
「ちょっと良い?」
人魚姫の格好がまさに絵本で見る様な、魚のヒレを持つ少女。ピンクのウェーブがかったロングが姫オーラに一役買っている。そんな少女は私を見るなり、今にも泣きそうな目で助けを求めてきた。
「お願い‼︎ この人を助けてくれる⁉︎」
「……具体的には」
「それはあなたに任せるわ。とにかく手伝ってくれるかしら⁉︎」
とりあえず人魚と一緒に岩陰に隠れて、少しでも身体を冷やさないようにしてみるが、やはり無理があった。
「まずい…… 呼吸が弱ってる」
「そんな…… じゃあ一体どうすれば良いのよ⁉︎」
「こうなったら人工呼吸しかない。コレは君がこの人の心臓を回復させるんだ、息を大きく吸ってから唇と唇をしっかり合わせて一定のリズムで吐きかける。コレを何十回も繰り返せば王子は目を覚ますかもしれない」
「……分かったわ。やってみる」
少し恥じらいの表情を見せながらも覚悟を決め、息を吸って王子の唇に自分の唇を重ねて息を吹き掛ける。それを何度も繰り返すが一向に目を覚ます様子はない。
「お願い、目を覚まして……」
必死に息を吹きかけていると、王子の目が微かに動き出した。それを目の前で見た人魚が慌てて抱きかかえると、王子が目を覚まして人魚の顔を見つめる。
「あっ、気が付いたのね…… よかったわ……」
「もしかして、あなたが私を?」
「はい。では私はこれで……」
そう言って人魚は王子の抑止を振り切って、海へ帰って行く。私も人魚の後を追いたいけど泳げないし、それだと王子に姿を見られるから我慢しなきゃ。
「あの女性はもしや…………」
王子は目をゆっくり動かしながら、人魚が潜った海を見つめて喚く。名前を知ろうとしたりもう一度姿が見たいと何度も呼びかける。
「今のはもしや幻だったのだろうか……? それとも現実なのか……? 今の私には、その区別が付かないな……」
か細い声を漏らしていき、やがてまた目を閉じてしまう。う〜んまずいな、このままだと物語が全く展開しなくなる。それは私としても王子と人魚にとってもまずいから考えなきゃ。
(まずは近くに城があるかどうか調べないと……)
翼を広げて台風の空の下を飛び回り城を捜す。別に城を見つけたからといって王子が助かる訳ではない。そこへ王子を運ぶまでにかかる時間によっては、たとえ運べたとしても間に合わない場合がある。
だけどそこはきっと物語の補正が掛かって、王子は死なないはずだ。もしここが本当に人魚姫の世界を基に構築された世界ならば、目覚めた王子はいずれすぐに人魚と出会うはず。そして多少の介入をしてしまった私の役目は、人魚を王子に会わせて他者の女性を振り切って結婚させる事。そうすれば私はそろそろ異世界から脱出出来る。
そういう展開になる事を祈っていると、城が見えて来た。距離がそうそうないから一瞬だけ違う城かと思ったが、一応中を覗いてみる。
(上の人が慌てている…… ここなのか?)
きっと王子は航海に出たものの、すぐに台風に遭遇したんだ。しかも波や台風の力に揉まれて元の場所まで引っ張られたんだと考えると、自分で少し納得出来そうな推理になった。
(それじゃあ、なるべく城の近くの浜にまで引っ張ろう。人魚に会うのはそれから……)
急いで王子の許まで戻って、今度は王子を抱えて城へ限界まで近付く。そしてやや乱暴になっちゃったけど何とか自然な位置に王子を置いて逃げたら、今度は人魚を捜しにさっきの岩場まで戻る。
(……流石に、今は会えないかな?)
もしかして明日になるまで会えないのか、それならそれで好都合だ。でもそうなる確信はないから少しやらかしたと思う。
『あの、あなたさっきの……』
海の方から声がした。振り向くとさっきの人魚が顔を覗かせていて、私の方を見ている。
「あの人、どうなったの? 助かったの?」
「多分助かったと思う。城へ運んだし、あの人は君が助けたと思い込んでるはず」
「そう……」
もうすでに人魚は王子の事で頭がいっぱいな様子。既に恋は始まってるって事か、難しい。
「ねぇアナタ、名前はなんて言うの? 出来れば明日もここに来て欲しいのだけれど」
「私はブラッディ、男嫌いの吸血姫」
一応彼女の中での誤解が生まれないよう、大事な単語をやたら強調させて、かつ種族も今回は明かしてみた。
「ウソ⁉︎ ヴァンパイアなのに男が嫌なの⁉︎」
「私は昔から小さな子供好きでね。まぁこの話しは置いといて、君の名前を教えてよ」
「……私はローラよ。見ての通り人魚で次期王女だけど、呼び捨てで構わないわ」
「それじゃあローラ、明日ここで待ち合おう。話の内容は君が王子と結ばれる為の…… 恋愛相談ってことで」
「分かったわ。それじゃあまた明日ここで会いましょう、ブラッディさん」
「呼び捨てで良い。変に意識しちゃうから」
約束を取り付けた私とローラでそれぞれの場所へ戻る。まぁ私には場所なんて無いから、野宿になるけどね。今夜もその辺の木陰で良いかな、身体がすっかり冷えて疲れたし。
(……明日、か)
とにかく明日からだ。明日からまた私の苦行の様な毎日が始まるんだ。今まで二回の苦行に遭遇して良い結末になった事が無い。つまり連敗状態だ。もしこれが大きな力によって変えようの無い現実なのだとしたら、この世界を束ねる存在に直談判するしかない。
「うん、良い天気」
夜中に台風が過ぎ去ったおかげで、海全体が青い空に包まれている。陽射しも常夏の様な暑さで文句なしの光景で久しぶりに心が洗われた。
「ブラッディ、こっちよ」
ローラが昨夜の岩場に隠れて手招きをしている。一応周りには警戒の意味を含めて視線を配ってから合流し、早速恋愛相談を始める。
「それじゃあ早速話を始めましょう。私はあの夜に王子を助けてからずっとあの人が気になっているわ。夜も眠れなかったし、目覚めも最悪だったし…… だから私、もう思い切って告白しようと思うの‼︎ このまま想い続けてたらきっと私、おかしくなりそうなのよ。だからしっかり想いを告げて告白したいの‼︎ 勿論フラれたって良い、とにかく自分に正直になりたいの‼︎」
ローラの乙女な一面を正面から知り、私の乙女な部分が顔を覗かせる。そこから湧き上がる感情が“彼女の背中を押して”と前向きに叫んでいる。
「それなら私はその恋を応援しよう。ローラには幸せになってほしいから。それでまずはどうしたら良いの?」
「そうね、ならまずはあの人の居場所に連れてってくれる? 身なりからしてきっとどこかの王子だと思うの。ブラッディは何か知ってる?」
「あの人の居場所なら既に調べてる。向こうへ泳いだ先にある城の王子だった。昨夜の台風で城の人が王子を救出しようと必死になる姿を見せてたから、間違いない」
「そう。なら次はやっぱり……」
ローラは自分の魚そのものの脚を見つめ、表情が曇る。
「この脚を何とかしないといけないわね…… きっと海底に住む魔女なら、人間の脚を生み出すくらい簡単なはず……」
やはり海に住む魔女が出てくるのか。あの魔女に関わってしまうとローラは声を失ってしまう。いくら人間の、しかも誰もが羨む脚を手に入れたってお互いに意思疎通が出来なければ男はすぐに乗り移る生き物だ。
しかも当のローラは今完全に恋愛モードが入ってて、まともな会話すら聞き入れないだろう。いくら人間の醜い部分を熱弁しても熱烈な恋愛フィルターが被さってる以上なんの意味も持たない。だからこの場合、少し不安だけど魔女に人間の脚を作ってもらわないと話が進まないと判断しなくちゃいけない。
「それじゃあ私、今から魔女に会ってくるわ。すぐに戻るから待っててね‼︎」
「う、うん……」
頬を赤くしたローラは元気良く海面へ向かって飛び込んでいこうとする。このままだとローラはその魅惑的で女性的な声を失い、強制的に現実を突き付けられてしまう。何とかしないとローラは王子と結ばれなくなってしまう……
「待って、ローラ。私も行く」
ローラにしっかり掴まって全速力で魔女の許へと泳ぐ。事前に人魚の血を吸っているおかげである程度の水耐性が備わったが、それでも急速で泳ぐ事によって生まれる水流には逆らえなかった。しっかりお腹に手を回してないと、ローラとはぐれてしまいそうで恐怖すら覚えてしまいそうになる。
(やっぱり人魚は凄い……)
段々と光が無くなっていく。随分と潜ったらしく、少し身体が締め付けられる感覚もある。人魚の血を少し貰っただけだから今から数えて残り十分くらいだろうから、早く大事な用事を済ませないと……
「ここよ、魔女が住んでる所は」
ローラが指差した魔女の家は大きな岩を家っぽく改装して、それでも岩らしさを残した外装になっている。その家の扉に付いてるドアノッカーを三回鳴らすとすぐに魔女が扉を開けて顔を覗かせる。
「ほ〜う、誰かと思えば珍しいな。まさか人魚姫が直々とは」
魔女は私と目を合わせておいて、あくまで付き添いの者として何も聞かなかった。それとも私の正体を一瞬で見抜いたからこその無視か、それは自分で勝手に考える事にした。時間もないし。
「今も海の全てを知る大魔女さまに、人魚の次期王女となるローラから切実なお願いがあります。なのでどうか真摯な態度で接して頂きたいのです」
「ほう、それはどんな?」
ローラは一度深呼吸をして、決意を固める。
「私の脚を人間に………… 私を人間にしてほしいのです」
「そうか、人間になりたいか。ちなみに王女さんや、念の為に聞くが母親からみっちり教わった事を忘れてはおらんだろうな?」
「分かっているわ。人魚を捨てる事は王位を捨てるに等しい行為、そして人間を捨てても王位は戻らない…… そんなのは承知の上よ‼︎」
「ふんっ、どうせ海上で人に会ったんだろう?」
「そっ、それを何故……」
「分かっておるわ。昔似た様な事があったからな」
なるほど、魔女が言ってる“似た様な事”こそが人魚姫の物語か。つまりこの世界は私達がよく知る人魚姫の数百年後の世界と、無理矢理だけど仮定した方が都合が良さそうだ。
「しかし言っても無駄なのは分かってるさ、だから人間の脚を作ってやる。その脚でしっかりと人間を知る事だね」
「ありがとうございます、大魔女さま‼︎」
それから人間になる為の薬を無償で頂いたローラは、早速それを口にする為に全速力で海上へと加速していく。興奮のあまり私の事を若干忘れてそうなスピードに、もう必死になってしがみつくしかなかった。
「これでようやく、私は人間になれるのよね…… そうすれば人間になって王子に会って気持ちを伝える事が出来る……」
「でもまずはこの薬を飲まない事には、話は進まない。そうだよね?」
「そう、コレを飲まない限り……」
大きな壺に並々と注がれている薬を見つめ、唾を飲むローラ。これを飲み切らないと人間にはなれないが、この内容量からしてローラを間接的に試してるようにも見えてくる。しかしローラはそんな事を全く気にせず壺へ顔を近付け、中身を飲み干し始めた。
(ローラ…… 無理だけはしないで……)
途中息継ぎで飲むのを止めるが、すぐに再開して一気に飲み干す。始めて三十秒程経過してもまだ空にならないし、ローラの脚には一切の変化が起こらない。
「はぁ、はぁ、はぁ…… んンッ‼︎」
そろそろ中身が少ないのか、壺がローラによる体重移動で動き出した。そして底が近い事で吸い取る薬に空気が混ざって王女らしからぬ、はしたない音まで鳴り響く。
「……はぁっ‼︎ これで全部飲み切ったわ、そろそろ人間になれるはずよ」
そう言った途端ローラは何か強烈な痛みを感じたのか、姿勢を崩してその場に倒れ込み叫びだす。そして脚を押さえながら泣き喚き、転げ回る。
「あああああああぁぁッ、うあぁああぁああああぁぁ‼︎‼︎ いやぁッ‼︎‼︎ やめ、てェッ‼︎‼︎ アシぉッ、ちぎらッ…… なッでぃい……‼︎‼︎」
ローラの目は視線も焦点すら定まらず、瞳孔が極端に小さくなっている。そして焼きごてに身体を当てられたの如く悶え苦しむ姿に見るだけの私は、ローラの身体を必死に押さえる。それでもローラの暴れ方は尋常じゃなく、まるで望まぬ妊娠をして望まぬ出産を直前に気が狂う十代後半の女性みたいにも見える。そんな悲痛な叫びに反してローラの脚は淡々と人間の脚へと形成されていき、そしてホクロも日焼けも見当たらない美しい素足が作り変えられていった。
しかし既に人間の脚になったのに、ローラはそれに気付かず脚をバタバタしながら拷問による精神的苦痛を形にした様に、ひたすら泣き叫ぶ。
「もうやめてェェ‼︎‼︎ 私は何も悪くないがらぁッ‼︎‼︎ イ、いヤぁあ‼︎‼︎ 私のアしヲ、これ以上壊サないでェェェェ‼︎‼︎‼︎‼︎」
「ローラ……‼︎‼︎」
あまりにも気が動転してるローラを落ち着かせる為、私は勢い任せにビンタする。
「…………ッ⁉︎」
「ローラ、落ち着いて。まだ脚が痛むの? どうなの?」
「あ、あし……?」
突然のビンタに動揺しながらもゆっくり見下ろして自分の脚を見つめる。そしてぎこちない動きで右脚をそっと曲げると、思い通りに右脚が曲がった。
「あ、あぁ…… 脚だわ。人間の脚よ、コレ‼︎」
ローラの脚を念の為触ってチェックしてみる。足の爪や骨、太ももの感触や血の流れ。何から何までが人間そのものだった。
「すごい、これが人間の脚なのね‼︎ 今度大魔女さまに感謝しないと‼︎」
「喜ぶのはまだ早いよローラ。今まで魚の脚で生きていたんだから、人間の脚で動く練習をしないといけないはず。きっと最初は赤ん坊みたいに這いつくばらないと動けないんじゃないの?」
「そ、そっか…… なら一刻も早く歩ける様にならなきゃね‼︎ そうと決まればブラッディ、私に人間の事を教えてくれる? それと、超スパルタでお願いするわ」
「了解。一週間で人間に化かしてあげる」
それからローラは一日中人間の脚を鍛え続けた。歩く、走る、跳ぶ、柔軟、ダンス、生理。あらゆる人間の脚と身体を学んだローラだったけど、それらをマスターしたのは一日遅れた八日目の夜。それでも成長度は凄まじく、王女だっただけあって精神力は並大抵の人間を遥かに超えるものがあった。
「ありがとうブラッディ、あなたのおかげで人間と何ら支障の無い動きが出来る様になったわ。それに関して、感謝するわ」
「うん。でもまだこれから課題が沢山ある。次はいよいよ王子に会いに行って、不正なしで結婚まで有り付かなきゃいけない。そしたら華やかな結婚式だね、ローラ」
「結婚式ねぇ…………」
ローラと私で夜景の綺麗な海を眺める。あれから一週間以上経っているから、王子の身に何かないかと考えて毎晩城へ忍び込んで偵察していたが、特に不審な出来事は起こらなかった。細かい所を指摘するとしたら王子の部屋へ人が出入りする頻度が夜に限って減少するという、少し怪しい動きがあったくらいだ。
これだけで情報を確かなものにするには、まだ証拠が足りない。何故なら私は部屋へ侵入せずに窓の近くから見える部屋の様子だけを参考にしているからだ。だからどうしても自他共に認識を共有する決定的な証拠を掴まない限り、ローラと王子を結婚させる計画を中断させるわけにはいかない。
(……………………)
「それじゃあ行こうか。王子がいる城にね」
ローラが修行してる間に極秘ルートで手に入れたドレスを纏って王子がいる城へ、いざ出発する。私はいつものゴスロリな分だけローラの華やかなドレスがより一層際立つし、現在進行形で城下町の住人からの視線がとても熱い。まぁ乗り物に乗らず徒歩で歩いてる所に原因があるかもしれないのは否めない。
そしてここまで来たからには、もう後戻りは出来ない。絶対に私はローラと王子を結婚させて、今度こそ幸せな結末に行き着いてみせる……‼︎
『どうぞお入り下さいませ』
意味不明過ぎる程に紙装甲な門番の真横を横切り、私とローラはついに城の中へと入って行く。内装は前にサイファと一緒に入った城とは全く違い、豪華絢爛の一言で片付けないと心を奪われそうなレベル。所々に壁画やインテリアを飾り、その辺りで談笑する貴族達、そしてホールに行くと所狭しと並べられたテーブルに乗る料理、ぶどう酒、貴族貴婦人、床一面に張られたカーペット。これだけで王子が持つ圧倒的な権力や財力を目の当たりにされ、私もローラも少し気後れしてしまう。
「あ、王子様だわ……」
「そうだね。あとはここにいる王女がどのくらいいるかだけど、それなりの人数だね」
「それでも私は結婚出来るって信じてるわ。なにせ命の恩人だもの、男も女も絶体絶命のピンチを救ってくれた人に惚れちゃうのは当たり前でしょ?」
「うん、確かにそうだね。見た感じ王子も若いから少なからずあの嵐の夜に出会った人魚、ローラの顔をまだ覚えてるはずだよ」
「だといいんだけどね。だってほら見てよココら辺をさ? こうやって男女が一斉に着飾ると、誰もが皆同じ顔に見えるのよ? こんなにも似通った顔の中で王子がこの私を一発で見つけられると思う?」
ローラの言ってる事は過言じゃない。こうして見渡すとここにいる夫人を含む女性陣の服装や髪型までもが似通ってる所為で、クローン人間の集まりに見えたりする。
そしてローラも同じ。ほんの少しの違いを見分けるポイントがあるとしたら、他の姫よりも背丈が少し低く、顔がやや子供っぽい所しかない。つまりローラはここにいるどんな姫よりも幼さが残っている、という事だ。もしローラを人間の年齢に当てはめるとしたら中学生相当の外見が一番しっくりくる。つまり外見の幼さしか王子には沢山の姫から、ローラを見分ける方法がないという事になる。
「ねぇブラッディ…… あそこで女性と会話しているのって王子じゃないかしら?」
そこにいるのは確かに王子で、席を外してローラと同じ位の歳に見える王女っぽい人と淡々な会話をしている。それもぶどう酒を交わしながら。
「もしかして、あの人を気に入ったのかな……?」
まずい、ローラに疑いの心が芽生え始めてる。確かに状況だけ見れば女性全員に軽い嫉妬が起きてもおかしくはない。何せここにいる王女は全員が年頃で、しかも美少女揃い。いつ略奪が起きてもおかしくない場面で私がローラにしてやれる事といったら一体、何なのだろうか。
……いや、ここは直感を信じるべき。
「ローラ、今すぐ自分の脚で会いに行って。顔を見れば王子だってきっと思い出すはずだから」
「ブラッディ………… 分かった、行ってくるわ」
大勢の人の間をかき分けながら一歩ずつ歩み寄り、王女と楽しそうに話していそうな王子の許へ辿り着く。すると王子がローラに気付くと同時に、嵐の夜に出会ったローラである事に気付いたかの様な素振りを見せる。ローラも王子がきちんと自分の事を覚えてくれていた事が嬉しかったんだろうな。屈託の無い満面の笑みで談笑が始まった。
それを見てて王女は邪魔をするのかどうか見張ってたが、驚く早さで王子を諦めて立ち去った。
(やったね、ローラ)
(ありがとう、ブラッディ)
そんな感じのアイコンタクトをとって、私は壁側の席に座ってローラの帰りをひたすら待つ事にした。
「……………………」
周りの貴族達は食事よりも飲酒ばかり、会話の内容も跡取りの事ばかり、自分の領地を後ろ盾にしたマウント取りばかり。こんな場所の何処が良い所なんだろうか。まるでここは下衆な人間達ばかり集めた博覧会みたいだ。自分がいかに凄くて、跡取りがどれだけ賢いのか自慢し、周りを違和感なく賢く遠回しに蹴落とす才能だけを振りかざす穢れた人間しかいない。実際に料理は私達がここに来てからあまり減った様子もなく、酒ばかりが消費されるばかり。そのおかげで耳に入る会話から嘘が全く感じられない、物凄く不快な場所である。
そんな場所に無垢なローラがいるとなると、不安な気持ちがまたやってきた。王子がまだどんな人なのか知らないから余計にローラが心配だ。
(少し強引だけど、早めに帰ろうかな)
若干の私情が混じってるけど、ローラにはこんな場所にいるべきではない。そう結論付けて席を立ったと同時にローラが自分から戻って来た。そしてニッコリ笑顔である。
「お待たせブラッディ‼︎ 王子との会話、とっても幸せだったわよ‼︎」
「……そうか。どうやら良い人そうだね王子は」
心の中に“周りの人達とは違って”と思いながら、今日はもう帰るかどうか聞くとローラも同じ意見だったから、早めに王子のいる城を後にした。
「そう言えばローラって何処で寝てるの。もう海の中は息が出来ないよね」
「今は野宿よ。ずっと海育ちだったから家や土地なんて持ってないもの」
「良かった、なら綺麗なままだ」
「う〜ん、あんまり綺麗とは言えないかもね。虫に血を吸われるわ土で汚れるわで最悪よ、もう……」
「……………………」
この子、思ってた以上に度胸とかあるんだ。元王女とはいえ危険極まりない野宿を決行するあたりに少なからず好感があるけど、もう少し身体を大事にしてほしい気持ちもある。
「まぁでも住めば都だっけ? 案外外で寝るのって気持ち良いのね、何だか新しい娯楽を見つけたって感じかしら?」
「そうだね。私のいる場所ではそういうのを“野外キャンプ”って呼んでる」
ローラに野外キャンプ、略して野キャンの楽しさを事細かに説明した。こういう時は漫画の知識丸パクリだけどあながち間違ってはないから大丈夫、なはず。
「とっても面白そうね、キャンプって。いつか親しい人とやってみたいものね」
「その時は私が率先して料理しよう。超絶美味のスープパスタをご馳走するから」
「何ソレ、すごく美味しそう……‼︎」
……さてと、ローラとしたい事がまた一つ増えた。だけどいつまで異世界にいられるか分からないから、出来るだけ早めに約束を果たしたい。これってローラと王子が結婚したら財力に物を言わせて野キャンを実現させたり出来るかな?
でもまぁあくまでこれは企みだから、実行するかは自分の気分次第ってところ。ローラの口から“したい”って言われたら王子がきちんと応えてくれる可能性だってあるし、もしかしたら王子は意外とアウトドアな人だったりするかもしれない。それなら野キャンは普段からやってたりするのかもね。
(……私、だいぶ人魚姫の話から脱線させてる気がする)
自分の手で話を脱線させればさせる程に、この世界がそれに合わせて改変されていく。
それは果たして自分の所為なのか? それとも見知らぬ第三者の所為なのか?
日を跨いでもローラはまだ王子の事で頭がいっぱいらしい。随分とボーッとしてるし危なっかしい。それはローラ自身に原因があると分かりきっている。
昨夜の件で、なんと王子は今夜もパーティを開催するらしい。そしてそのパーティにローラが招待されたとのこと。あの時周りから若干不法侵入者として見られてたが、王子の一声で確保されなかったという優しさにもっと惚れてしまったと、ローラは語る。
「やっぱり王子は嵐の夜で死にかけた所を助けた私で頭がいっぱいなのよ‼︎ じゃなきゃわざわざあの場で“また来てね”って言わないわよ‼︎」
「うんうん、ローラは今幸せの階段を一歩ずつ確実に踏んでるから、このまたとないチャンスをものにしなきゃ損だよ」
「やっぱりそうなるわよね。だったら今夜思い切って求婚してみようかしら……」
「う〜ん、求婚は少し早いんじゃないのかな。もうちょっと日にちを空けた方が良いと思うけど……」
「あら、ブラッディの世界だと時間をかけて愛を深めるのが当たり前なの? こっちの世界じゃたまに戦争やってるから、いつ男が激減してもおかしくないわ。だから女は皆年頃になったらいち早く男を手にする為、親の権力を後ろ盾にして自分の為に教養を身に付けて、やっと男を落とせるのよ。少し言い方がキツくなるけど時間なんてかけてる場合じゃないの、不幸になりたくなければ一直線に突き進むべし。これが私達の“普通”だから」
「それじゃあ今夜も城へ行こう。でも今回は別行動でいきたい」
「えっ、どうしてよ? 王子にまとわりつく人達なんて私にかかればチョチョイのチョイなのに?」
「これはローラには言えない用事。でもある程度時間が経ったら教えるから、今は着替えをしてくれると嬉しい」
「……分かったわ。その代わり時間になったら教えてよ」
「時間になったらね」
そして二日目の夜になり、城の前で私とローラは別行動をとって昨夜で感じた違和感の正体を探りに時間差で城内に入る。
(このパーティ、やたら人が多い気がするのは気のせいだろうか。あとは城中から嫌な臭いがするのも気になる……)
パーティ会場に人がギュウギュウだったのは単に王子目当ての人が多かったと結論付けて、問題は血の匂いだ。特に刺激臭に近いけど不快とはまた少し違う匂いがキツめに感じたのは、女性ばかりだった。ぶどう酒を沢山呑んだから血に影響が出たのかと考えたけど違った。これは自分の身体で検証済みだから断言出来る。
(となると考えられるのは、薬関係か……)
料理に薬が盛られていると考えたけど、それじゃここにいる全員が薬を盛られて何かしらの症状を起こしているはず。昨夜も今晩もそんな様子はなかったから料理は無害。そしてぶどう酒も無害だ。
(あと気になるのは、王子と会話してた王女がかなり好意的に接してた様な……)
昨夜ローラが王子に会う前にいた、少し子供っぽさのある王女。彼女が王子と話す様子はほんの一瞬しか見ていなかったけど好意的な態度と距離感で接していた。王子の指に結婚指輪も婚約指輪も嵌めてなかったから、今の所は王子に一番近いのは彼女で間違いない。
だから少し気になるのだ。王子と王女の関係がどこまで進んでいるのかを。王子には裏の顔が無いかどうかを探る為にも、私はついに王子の部屋で物の位置などを把握し、暗闇に紛れて張り込みをする事にした。
(ここへ王子と一緒に来た人が、王子にとって一番好意を寄せている相手のはず。出来ればその相手がローラであってほしいけど…………)
こういう時こそ、夜の魔族としての能力をフル活用出来る。闇に紛れ闇から討ち闇を支配する、まさに吸血姫である私の領域ってね。
(さぁ、私はいつでも待てる…… いつでも来るが良い)
息を潜めて王子が誰かを連れてこの部屋に来るまで、およそ一時間。ついにドアノブを回す音が耳に入った。
(来る‼︎)
扉が開き、王子が部屋に誰かを招き入れる仕草をとっている。その相手が誰なのかをこの目で確かめる為に顔を覗かせると、何と王子の相手はローラだった。
『さぁ、遠慮なく入って構わない。どうぞ』
『し、失礼するわ…………』
(なんだ、ローラなら一安心か)
てっきりあの王女が部屋に招き入れられるかと思ってたから、既に物語の改変が不可能かと思っていたが、どうやら無事に王子はローラをとても好意的に接してる様子だった。ここまで来ればローラは王子に処女を捧げて仲良くなり、そして結婚するだろう。その時が来たとして私がまだこの世界にいたら、枯れたバラの花束を贈ろう。
それにしても別行動を送っていた所為で、どうやってローラは王子の部屋に来る事が出来たのか気になるな。もし一夜が明けたら聞いてみようかな……
(さてと、私がいたら邪魔になるからそそくさと部屋を退室しよう。楽しい夜になるだろうからね)
コッソリと部屋の窓から飛び去り、城の展望台に降り立つ。ここならほぼ誰も来ない事を知ってるから安心して休める。
それにしてもローラは本当に頑張った。王子に一目惚れして、そこから結婚したいと願うだけじゃなく実現に向けて人並み外れた努力をして、ようやく結婚のチャンスを手にした。これでローラは泡にならずに済むと思うと、何だか自分が影の主人公っぽく思えてきた。
(うわぁ、ローラが嬉しそう)
血が王子とローラのいる場所で盛ってる。随分とお熱な様で何よりだ。男女ってこんなにも幸せを味わえるんだ、改めて勉強になった。私自身が女性にしか興味が無かった事もあって、男性を少し意図的に遠ざけてた。それで男女の恋や結婚とかには当然無表情だったけど、ローラと出会ってからは少し男性を受け入れるべきなのかと思えてきた。それは背景にネットでの男性蔑視を少なからず目にしてるおかげもある。あれはいくら何でもやり過ぎだ、女性の私が思う位に容赦がないから。嫉妬に狂った女は醜いんだって事を私がよく知ってる。もちろん可愛い嫉妬もあるが、出来れば全人類は嫉妬しない方が良い。一度嫉妬したら最後何をしでかすか分かったもんじゃないからね。私の親友みたいに奇行に走るかもしれないから。
(それじゃあ私は先に寝よう。朝になってからローラに一夜を共にした感想を聞きたいし)
未だ続く情事の気配を背に、私は一足早く王子の城を後にした。きっと今もローラは女の悦びを思う存分堪能していると信じて。
次の日になって早速ローラが寝てる場所へ向かったが、やっぱりそこにローラはいなかった。となると城で王子と一緒に寝てて、お互いに裸なはずだからそっとしておくべき。
(……そうと決まれば、ローラが帰って来るのを待とう)
そう考えていた時期が、私にもあった。
ローラが昼過ぎになっても帰って来ない。てっきり朝帰りするのかと思ってたから少し心配になってきた。だからといって城に向かって実際は向こうで食事とかをとってるとしたら、かなり恥ずかしい思いをするハメになる。
(まだ待とう、きっとそうだよ)
そうして待った甲斐もあって、ローラは昼過ぎに帰って来た。かなり垢抜けた様子になり、何処か大人になったオーラが溢れている。
「おかえりローラ、昨晩はどうだった?」
「えぇ、とても良かったわ」
とても余裕な返事。かなり大人の階段をのぼったみたいだ。少しだけ羨ましい。
「それで王子とはどんな感じになったの。もう求婚したの?」
「まだだけど、明日の夜になったらしようと思うわ。あの時助けた人魚だって事も伝えて、私の愛が本物だって事を証明しなきゃ……」
「うん、その意気。それじゃあ夜に備えて色々と準備しよう」
そして夜になり遂にローラの結婚作戦が決行される。結婚指輪を持って城へこっそり侵入して、王子の部屋には直接侵入せず近くの部屋へ忍び込む。
「ここは調理室か。それも王子の為に造られた部屋だよ、ここ」
「きっと王子の側近達の料理はここで作ってるのよ。それでも何十人分の料理になるでしょうけど」
あまり大きな音を立てない様にそっと扉を開け、王子の部屋を目指して先頭を歩く。研ぎ澄まされた聴覚を頼りに人に見つからないよう何度も物陰に隠れたりしてやり過ごした。それを何度か繰り返してようやく王子の部屋にまた来る事が出来た。
「さぁローラ、心の準備は出来てる?」
「待って、まだ出来てない……」
ほっぺを思いっきり叩き、気合を入れ直すローラ。
「…………よしっ、負けるなローラ‼︎」
「それじゃあ、開けるよ」
ゆっくり扉に手を伸ばして、こっそり音を立てないように取っ手を引っ張ろうとした瞬間だった。扉の隙間からローラには聞こえないレベルの音量で話し声が耳に入ってきた。
『ねぇ王子さま…… 私を見てくださいよ…… 私は王子さまの為ならば、全てを捧げる覚悟ですのよ? それなのに私を見捨てるんですかぁ? そんなの酷いと思いませんかぁ?』
「……………………ッ‼︎」
「ねぇブラッディ、どうしたの?」
マズイ、これはマズイ。あの時王子と話してた王女の声だ。
「もしかして、今誰かいたりするの?」
「……………………ッ‼︎」
首だけ振り向いて、アイコンタクトをとる。するとローラの表情がみるみるうちに曇りだしていき、疑心暗鬼を抱いた表情に変わってしまう。
「……まさか、ウソよね?」
ローラは私の頭の上に首を乗せ、微かに開けた扉の隙間から覗き込む。そして部屋で行われている王女の略奪行為を目にしたローラは絶望に近い表情に染まっていく。そして呼吸が乱れていき、ローラの心臓の鼓動が激しくなっていくのを自分の胸で感じてしまう。
「あの女…… 許さない……」
もうローラには正気なんて無い。今の彼女はドス黒い嫉妬に焼かれ狂気に目覚めてしまった、疑心暗鬼のローラだ。
「ちょっと待ってローラ。まさかたった一瞬であの状況の全てを理解したつもりなの?」
今ローラが狂気に囚われたら、ここまで積み上げてきた物語の改変が無駄になる。そしてローラはきっと水の泡になってあの王女が王子と結婚してしまう。そうなったら私がどうなるか全く想像出来ない。
だから何としても、ここでローラを正気に戻さなくては。
「王女が王子を寝取ってる可能性は考えた? 王女がローラに見せつける為の演技だと考えた? 自分が今嫉妬してるって自覚はあるの?」
「私があの王女に嫉妬してるかって? えぇしてるわよ、沢山嫉妬してるわ。そもそもあの王女なんかに王子の妃が務まる訳ないの。あんな演技をしてまで王子をモノにしようなんて考えてる時点で、あの王女は女として十分に醜いわ。それは人魚だった頃から周りを見ていた私がよく知ってるわ。男を惑わしては自分のモノにして、他の男も受け入れる、それが悪女って奴なのよ。財産目当てで迫る女なんてどうせロクでもないのよ、それを本人の前で証明するまでよ…………」
「ダメ、まだ行かせない。ちゃんと状況を把握してから問い正した方が––––––––」
胸の辺りに刃物で刺される痛みが突如かつ不意に襲ってきた。それの正体を知ろうと下へ目を落とすと、そこには鬼の形相で私を睨み付けたローラが右手に牛刀を握りしめ、刃の根元まで深く突き刺していた。
「どいてくれる? 次はもっと刺すわよ」
「くっ…… 本気みたいだね。でもどかないよ、私は」
「何故どかない、じゃなきゃあの女が王子を……‼︎」
「そもそもローラは何故王女にこだわる? まさか王子の事がまだ信じられないの?」
「今王子は関係ないわ‼︎ 王女が王子を寝取ろうとしてるって話をしてるのよ‼︎ ブラッディこそ状況を把握してから話しなさいよ‼︎」
「ローラ、もう時間が無いから最後の警告をする。その凶器を私に渡して」
無言でコッチを睨み付けている。今のところ凶器を渡す気配はないが、きっとローラなら渡してくれるって信じてる。本当のローラは優しくて行動力がある少女だから……
「ローラ、私を信じて」
「……………………」
ギリギリと歯軋りさせ、凶器を持った手が震えている。きっと今のローラには心の葛藤が起きてるはずだ、私に出来る事は黙って待つだけ。ローラを信じるだけ。
「……分かったわ、ブラッディを信じるわ」
まだ納得してない様子ながらも、私に凶器の牛刀を手渡してくれた。これで最初の壁は乗り越える事は出来たが、まだ王女の略奪行為の問題が残っている。
「ありがとうローラ、私を信じてくれて」
「……まぁ、ね」
改めて部屋の様子を眺めるが、やはり騒ぎ過ぎた所為で静かになっていた。主人公補正とかで都合良く事が進んでる訳じゃないから事態は悪い方向へ進んでる事が確信となって、少し焦りだしている。
「どう、二人とも部屋にいるの?」
「そうだね。窓は閉まってるし、人の気配が二つあるから部屋にはいるね」
「そう、なら不意打ち狙いの可能性が高いわね。闇討ちってやつかしら?」
「それは有り得る、注意しよう。ローラは護身用に何か持ってる?」
「護身用なら手放したわ、今は無防備よ」
「そうか、それは申し訳ない」
堂々と正面から部屋に侵入して、そこからは足音を立てない様に歩いていくが、部屋に入った途端に耳から脳に刻まれる位に気色悪い音が部屋中に鳴り響いていた。
「何、この音……?」
「……………………ッ」
グチュグチュ、ヌギュヌギュと細長いモノを唸らせて王女を締め付け、そしてその身体に馬乗りする王子の姿。よく見ると王子の生殖器から明らかに異常なモノが自由自在に動き、ソレが王女を蹂躙していた。
……もう見ないようにしよう、気持ち悪いし。
「んー‼︎ んむぅ、んんッ‼︎」
触手が悲鳴を聞いて喜びながら無垢な王女を穢そうとしている。こんな異常な光景にローラがついに絶叫し、私は恐怖で身体が思い通りに動かなくなってしまう。
「あぁローラ、今夜も来てくれたんだね。嬉しいよ」
「え……?」
「もう忘れたのかい昨夜の事を。あの時君は私と一緒に寝たじゃないか? それを彼女にもしてるだけだよ、こうしてね」
「うぅッ……‼︎」
王子の触手によって王女の身体がきつく締め付けられていく。そして目の前を見られない様に触手で隠し、脚を無理矢理開かせる。
「ウソよ、私あんな事された覚えないわ…… それに王子は私に優しくしてくれて…… それで……」
「ローラ、思い出すだけ無駄だ。どうせ酒で酔わされてたはず。警戒心皆無になった女は男に弄ばれて人生が終わる、なんて事はコッチの世界じゃ日常茶飯事。ローラは騙されてたんだよ」
「うーん…… 少しばかり誤解があるみたいだけど、弁解はしないでおこう。何せ今はそんなのが気にならない位に気分が良いからね、ここで思いっ切り放出させてもらうよ‼︎」
そう言うと王子の触手の中で特に大きいヤツがドクドクと怒張しだし、噴火寸前の火山の様な轟音を響かせた直後、中からいくつか触手と同じ色の玉が生み出され、それがいくつも床に転がった直後に破裂し、限りなく透明に近い液体が間欠泉の如く爆発していく。そしてその液体は部屋中くまなく吹っかけ、王子と私達の身体へ容赦なく降り掛けていく。
「キャッ、何これェ⁉︎」
「コレは…………」
「もう逃げようとしても無駄だよ。触手が出口を塞いだからね、君達に逃げ場なんて作らせないからね……?」
マズイ、身体にまとわりつくコレの所為で足場が不安定になった。私の斬撃で触手を斬ろうにも距離があるし、恐らく反射神経も優れてるはず。だから今回の戦いはこっちが経験無い事もあって、圧倒的に不利なまま防戦一方になるだろう。
「ねぇブラッディ、どうするのコレェ?」
「あんまり近付かない方が良いと思う。特に王子には近付かない方が……」
「おっと、私は別に君達を殺したり監禁したりする為に触手を伸ばした訳じゃないんだよ。そこで戦略的余裕があるからこそ正体を明かすけど、私は人間の雄に寄生して種の存続に励む触手だ。雄の生殖器に寄生してすぐに同化し、そして野獣化させる事で同化を限りなく深める生物ってところだ。雄との同化を終えたら次は同種の雌との結合を始める。結合と言っても身体的合体はないから人口減少などの危機は無いから安心してくれたまえ。そして雌との結合によって子孫繁栄に成功した場合、私はその生物を死ぬまで保護するのが私達触手の簡単な生態だ。だから本来は人畜無害なんだ触手というものは。君達人間が性的消費の為に触手に無双させる要素を付け加えた所為で、女性の尊厳を限りなく奪い尽くす嫌悪の象徴となってしまったんだ。同人誌だけでなく様々な形で私達触手を快楽の神様として崇める人間達には心底驚かされるよ。発情した兎や馬などとは違った行動が見られるから、暇潰しに人間観察をしたらとても面白そうだよ。とまぁそれなりに触手は本来人間や妖怪と同じ生物の一種で繁殖もしてるって事を理解してもらえれば、私はそれで満足かな。もちろん気に入らない部分があったら文句を言っても良いんだよ。何せ触手は繁殖能力が人間並みにあるから、斬られてもその人を死ぬまで憎んだりはしないからね。ただし寄生された人間が元に戻るって保証は全くしないから、そこだけはお互いの責任って覚えてほしいかな」
確かに王子の言う通り、あれだけ触手を派手に使っておいて王女を拘束したり私達に爆発物をぶちまける程度しか使っていない。かなりエッチなアニメとかだったら、もうとっくに私とローラも触手の餌食になってる展開だけど、この触手はそこまで行動していない。
本当に触手は繁殖の為だけに王子に寄生し、王女に卵を産み付けようとしていたんだ。しかしそれはどうやら私とローラのおかげで未遂に済んだ。だけど今もかなりギリギリの展開になっている以上、まだ油断は禁物。
「……ねぇアナタ、さっき斬っても平気って言ったわよね?」
ローラが恐る恐る王子に話しかける。
「平気っていうのは繁栄的な意味で言ったんだけどね。残念ながら宿主である王子はこの触手を斬っても戻ってくる訳じゃないし、王子として生きている訳じゃない。だからローラ、諦めてくれ」
「そう…………」
するとローラは少し悲しむ表情を見せるが、何か覚悟した顔になる。そして私に手を伸ばして牛刀を貰おうとする。
「ブラッディ、私どうしても王子を助けたいの。アレを渡してくれるかしら?」
「もう、大丈夫なの?」
「えぇ。お別れする準備は出来てるわ」
ローラに牛刀を手渡し、体液を被った身体で王子の許へ歩み寄る。それまでの間王子は一切の行動をせず、ジッとローラを見つめている。
そしてローラは、王子の目の前に立った。
「王子、アナタを救いに来ました。どうか不自由なく幸せに逝ける事を願っています……」
お別れの為のお祈りを捧げ終えたローラが、両手を伸ばして王子の唇に自分の唇をそっと当てた。すると触手が乗っ取ってるはずなのに王子が少し驚いた表情を見せる。その表情からは触手が見せた表情とは思えず、ほんの一瞬だけ元に戻ったんだと思っている。
「……さようなら、私の王子様」
その場に膝をついて触手の根元に牛刀を近付け、一瞬だけ悲しげに王子を見つめた後に牛刀を握る手の力を強くし、その根元に牛刀を当て付けていく。王子が何もせずローラの目を見つめるとローラは少し頬を赤くしながら涙を流す。そして涙で顔を汚しながら触手に当てていた牛刀を勢いよく引き裂いた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
切断された瞬間に破裂した水道管から吐き出す水の様に、真っ赤な血液が吹き出す。あまりの勢いにローラはその血液を身体で受け止めていき、全身が真っ赤に染まっていく。
「…………がぁっ‼︎」
生命活動が限界に近付いた王子がその場に倒れ込み、今度は血液が間欠泉の如く吹き出して三メートルはあるだろう天井に届き、噴出が収まっても天井から垂れ落ちてくる血が私達の頭や肩に降りかかる。
そしてしばらくして切断された触手達は生きた男を捜そうと必死に動き回るが、当然そこに他の男がいない為すぐにくたばって死亡した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ〜…………」
あまりにも過激な出来事を目の前にしたローラの目が、少し正気を失いかけている。血に慣れていないのか今にも発狂しそうな自分をギリギリ抑えている様子にも見える。
「なに…… どうなったの一体?」
ようやく解放された王女は、今の状況にイマイチ理解出来ず少パニックを起こしている。そんな王女に私が説明すると無理矢理にでも分かってくれた。多分私ですら理解出来てないんだ、きっと気を遣って“理解した”と割り切ってくれたんだ。
「ローラ、大丈夫?」
「…………ギリギリってところかしら」
「とにかくここを離れよう。側近に出会ったら打ち首は免れられないから」
「そうね。こんなの言い訳なんて出来やしないもの、戦略的撤退しましょう。ホラあなたも逃げなさい‼︎ 死にたくなかったら新しい恋でもしたらどうなの⁉︎」
「なっ、アンタに言われなくても分かってるわよ‼︎ 指図しないでよね‼︎」
王女とローラ、二人がそれぞれ片手ずつ握って城から緊急脱出して出来るだけ遠くへ逃げ出した。そして森の奥深くへ身を潜めて二人の身体を暖める為にコッソリ盗んだ毛布で身体を包んでいく。
「さてと…… これからどうしようか」
「どうしようって言われても、行く宛も無いんじゃね」
「あの、二人とも? 私を帰る場所へ送ってくれないかしら?」
王女が私達には申し訳なさそうに手を挙げる。
「私ね、物凄く遠い場所にある城から来てるのよ。親があの王子と結婚しなさいって無理矢理あそこまでさせられたんだけど、あんな事になった以上どうやって言い訳したらいいか分からなくて…… だから二人には証言者として、あと付き人として送迎してくれないかしら?」
「それ本当なのかしら? あの時王子に迫ってた時の言い訳になってない?」
うぅ、ローラが王女に対してまだ疑いの目を向けてるよ。これじゃ悪いループになっちゃうから王女の言う通りにしなきゃ丸く収まらなそうだ。
「……分かった。付いて行く」
「ちょっとブラッディ⁉︎」
「大丈夫、三人とも同じ被害を浴びてるし、今も全身にアレを浴びたまま。こんな未知なる液体は嫌でも信じなきゃいけなくなるかもしれない」
「そ、そうなのかな…… 私は王女を守る為に牢獄行きが見えてるけど」
「まぁその時は私が全力を出すまで。王女とローラには申し訳ない事をするかもしれないけど、やるしかない」
「まぁ、そこはブラッディ次第よね。とりあえずこの王女を送り返せば良いのね」
「ありがとうローラ、折れてくれて」
話が決まり、次は王女を城まで送る事になった。どうやら彼女曰く“物凄く遠い”らしいけど、しばらく飛んで行けばあっという間に到着するだろう。
「さぁ二人とも、私の手を…… いや、脚に掴まって。二人がかりだからゆっくり飛ぼう」
片脚ずつに王女とローラがしがみつき、落ちない事を確認してからいざ飛び立つ。最初は王女が高所に怯えていたけど自由な何かを感じたのか次第にはしゃぎだした。
「それで、城はどこにあるの?」
「あっちだと思うわ。山に囲まれてて大きい城だったのを覚えてるんだけど…… 上からなんて見た事ないから分からないわよ」
「山に囲まれた、か……」
何かの違和感を感じる。最初は人魚姫の話をしてたはずなのに途中で明らかな改変があった。
触手なんて原作に登場するはずない。王子と結ばれる王女が人魚姫だったローラと、少なからず親しくなっている。そしてローラがまだ水の泡になっていない。数えたらキリがない改変に流石の私でも気付いてしまう。
(この世界はやはり、誰かによって作られている。そいつがもし私をこの異世界に転移させた犯人だとしたら、即刻元の世界へ戻してほしい…… この問題を解決したらすぐに犯人を捜してやる)
そろそろこの異世界も、終わりが来た様だ。王女を城へ戻したらローラがどうなるのかはまだ分からない。最悪水の泡になるのを覚悟して私は二人のお姫様を抱えて山間にあるらしい、王女の育った城へ飛んで行くのだった。
-★★★★- 《călător –出発–》
「もうすぐで夜になるから降りたものの、随分深くまで来たみたい。もうすっかり森に入って危険だから夕方の内に寝る場所を確保しよう」
「とは言っても、ほとんど木々しかないわよねぇ…… 作るとしたらどんな感じになれば理想なのさ?」
「そうだね……. 木と木の間に天井を張って、テントとかを作りたいかな。まぁ必要な材料が布しかないから無理だけど」
「えっと、なら抱き合って寝るのはどうかな? 人の温もりで寒さを凌ぐんだけど」
「それは止めた方が良いかな。あんまりオススメしない」
「そう…… 結構暖かいんだけどなぁ」
「経験あるのか」
「アンタ本当に王女なの? さっきブラッディに運んでもらった時に思ったんだけど、身体から水の匂いがするわよ」
「み、水ですか……?」
「えぇ、それもただの水の匂いじゃないわ。まるでゴミをありったけ染み込ませた下水みたいな匂いがアンタの身体からプンプンするのよ。毎日身体洗ってる?」
「お風呂は月に五回くらい、入ってるけど……」
「はぁっ⁉︎ 週一のペースじゃないの‼︎ そんなんでよく王子に嫌われなかったわね‼︎」
「ごっ、ごめんなさいローラ姫……」
「なんで、私をわざわざ姫呼ばわりするのよ……?」
「えっ、だってローラ姫はローラ姫なんですよね? そんな軽々しく接するなんて無礼極まりませんし……」
「アンタ、城にいた時と随分雰囲気変わってない? なんて言うか口調とかが変わってる気がするんだけど……」
「まぁまぁ、あんな事があって混乱してるんだよ。それか周りに合わせて演技してた可能性だってある。どっちにしても王女は王女としてか見ないから安心して」
「あ、ありがとう……」
「ねぇブラッディ、やっぱり周りが木しかないんだけどコレって野宿するタイプ?」
「そうなるね。野宿だね今夜は」
「野宿って外で寝る事、で合ってます?」
「そうだよ、外で寝るから隣り合って寝なきゃね」
「じゃあ私はブラッディの右隣ね。アンタはブラッディの左隣で寝なさいよ、分かった?」
「分かった…… 見張りは任せて下さいね」
「何でアンタが率先して見張りをしたがるのさ…… 見張りはブラッディがしてくれるから、安心して寝てて大丈夫だから」
「じゃあお言葉に甘えて寝ようかな。おやすみなさいローラ姫、ブラッディさん」
「おやすみ」
「おやすみ、無理して起きないでよ?」
今日も空を飛んで王女の城を目指す。しかしどういう訳か王女が言っていた山間の城が見つからない。もう一日も飛んでるというのに、それらしい建物すら見つからないのはどうも怪し過ぎた。
もしかして王女が実は妖怪の類かと疑って凝視したが、変化を得意とする妖怪とかではなく純粋な人間だった。
「ねぇ、そう言えば名前は何て言うの。私はブラッディって言うけど」
昨夜ローラの話を聞いて覚えたのか名前を呼ばれたけど、とりあえず自己紹介を軽く済ませておく。
「私はランプです。下の名前なんてありません」
「下の名前が無い……?」
それに“ランプ”か。とても懐かしい響きだ。
「下の名前が無いってアナタ、まさか捨て子じゃないわよね? ちゃんと親の顔は覚えてたりするの?」
「親の顔なんて覚えてませんよ、代わりに出会った人達ならきちんと覚えてますけど」
「…………そう、アナタそういう人なのね」
この子、まさかシンデレラなのか?
今パッと思い付いたけど、下の名前が無くて王女と呼ぶには相応しくない内情、そして何よりローラが言っていた下水の匂い。さっきまで体験していた人魚姫の物語が改変されていた事もあって、可能性はゼロじゃない。
だからこの王女はもしかしたら、シンデレラなのかもしれない。ただどんな改変をされたかまでは想定外の範囲だから恐らくハッピーエンドはもう諦めた方が良いだろう。
「それじゃあランプの家は無いって事で良いわけ? こうして飛び回ってるのは、ただ自由を求めての要求って事で纏めて良いの?」
「い、いえ…… そんなんじゃない……」
「何よ、ウジウジしちゃって。あの時のアンタはどこ行ったの? アレがたとえ演技だろうと、アレはアンタだったんじゃないの?」
「ローラ……?」
「さっきアンタには帰る家が無い、親もいないって言ってたけどさ………… あなたの事を待ってる人がきっと居るはずよ。あなたの事が好きで好きで堪らない人が、あなたの帰る場所でずっと待ってるはずよ。その人をあなたは見捨てるわけ?」
「……な、何で知ってるの?」
「さぁね、女の勘かしら」
空の上でローラとランプが男の友情の如く仲良くなった。でもおかげでケンカはもう無くなるから、少しでも尊い場面を見る機会が増えそうな気がするね。おかげで疲労も吹き飛びそうだ。
「えっとブラッディさん。改めて行き先を言います。山間にあるのは城じゃなくて集落で、そこには何人か人が住んでます。なので割と空からでも見つけ易いと思います」
「分かった、集落だね」
ランプの指示通りに遠くに見える山を目指して一気に飛ぶ。しかしあの山から、懐かしい血の臭いを感じるのは何故なんだろうか。それもつい最近嗅いだ事のある臭いだ。
(もしかしてランプの言ってる集落って………… あそこの事なのか?)
ふと脳裏に幼女の顔が浮かび上がる。あんな別れ方をしてるから、再会するかどうか悩むな…………
(でもまぁ、会えたら会えたできっと喜ぶだろうな。あの子ならきっと)
ただやはり思い出すのは彼女、サイファの両親が私をどう思うかだ。何せサイファは退魔の一族末裔で両親はその血を当然含んでいる。そんな両親が私という闇の魔族を当然許すはずがないだろう。しかしサイファは自分が退魔の一族である自覚を持っているのにも関わらず、私に対して好意的に接してくれた。
子供を守る役目もある両親にとって、子供が嫌がる事は極力避けたがる。折角会えたサイファの親友を果たして両親は引き離すのだろうか?
(サイファがもし両親に私の事を積極的に話していたら、微かな希望があるかもね)
きっとそうしてるだろう。そう信じてまずはランプの帰る場所である集落へ目指し、慎重に二人を運んで行く。
「ねぇランプ、その集落って男ばかりとかじゃないでしょうね? 女の子もいるわよね?」
「女の子なら私よりも小さい女の子がいるよ。とっても可愛い子だし、みんなに可愛がられて育ってますよ」
少しずつ集落があったはずの場所に近付いている。同時にサイファの血の匂いが濃くなっていき、私の欲求が刺激されていく。本当にランプはサイファの顔見知りだったということは、あの時サイファと別れて以降本人から私の事を知っててもおかしくはなさそうなのに、知らなかったとなるとサイファとはあまり知り合いじゃないのかと考えてしまいガッカリした。
サイファとランプなら、結構良い感じだと思ったんだが。
「あっ、見えてきました‼︎」
「あそこのちょっと穴が空いてる感じの所? そこがあなたの帰る場所なの?」
「はい、一応そこで育ってますから」
少しずつ高度を下げて久しぶりにこの辺りに足を踏み入れる。辺りを見渡しても木々しかないから懐かしい感じにはならない。だけどサイファの血の匂いが辺りにほんのりと漂ってるのは確かだし、目の前にある集落は何度見てもサイファと別れた時に見た集落と全く同じ。
「さて、到着」
「ふ〜ん、結構良い雰囲気じゃないの。自然豊かだし」
「では早速行きましょうか、私の場所に」
ランプが私とローラをグイグイ引っ張って集落の中へ引っ張ろうとする。ただやっぱりサイファの両親に見られたくない思いもあって、ついランプの手を引っ張り返してしまった。
「えっ、急にどうしたんですか? 怖い人なんて一人もいないですけど?」
「いや、ちょっと自分を悪く思ってそうな人がいそうだから……」
「あぁ〜、もしかしてフロレスク家の事かな〜? あの人達なら怖がられてもおかしくないからな、うん……」
「ちょっと独り言やめなさいよ。それにそのフロレスク家ってどんな人達なのよ?」
「えっと、確か悪い魔物を退治する一族なんですよ。その人達は魔物の気を察知も出来ますし、跡形もなく消し去る力もあるんで結構有名になり過ぎた人達なんです。きっとブラッディさんはそれを思い出して、集落に行きたくなくなったんじゃないですかね?」
「まぁ、そんな感じ……」
「そんな人達がいるんだ…… 私だったらポセイドンの方がよっぽど怖いんだけど……」
ローラも海ならではの怖い人を言うが、ランプに伝わってる様子はなかった。
「ほらブラッディ、行くわよ。大丈夫だってアンタなら‼︎」
「ちょっとローラまで、引っ張らないで……」
そしてとうとう二人掛かりで集落に引っ張り込まれてしまった。もう既にサイファの両親が私の気配を察知してると思うと、もしもに備えて戦闘態勢をとってしまう。もちろんローラとランプにはバレない様にしているが、二人の姫様を抱えた状態で戦うとなると少し考える事が多そうだ。
「結構歩いたけど、ブラッディを狙ってる感じは無さそうね。もしかしたらブラッディの考え過ぎだったりしてね」
「そうだと良いけど」
辺りをキョロキョロして臨戦状態を維持する。何せフロレスク家には退魔の鞭があるんだ、奇襲は慣れてるはず。何処からともなく襲ってきたらいくら私でも不意打ちを対応する自信なんてない。おかげで心臓がさっきからバクバク鳴ってて緊張もしている。こんな事になるのは久しぶりだが、興奮はしない。
「緊張し過ぎじゃない? 前に嫌な思いでもあったわけ?」
「これからしそうな気がする」
そしてランプの帰る場所に辿り着くが、まだ油断は出来ない。部屋に入っても、飲み物を出されても、窓から見える人影に注意しながらくつろぐ。
……いや、くつろぐって状態じゃないな今の状況は。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよブラッディさん、あの子の両親はそこまで無差別攻撃はしませんって。もし攻撃してくるんだとしたら、それはきっとドラキュラとかに親を殺されたんですよ」
「ドラキュラを狩る一族なんだから、それは当たり前」
「ほらブラッディ、私とランプで話してるから一人で行って来なさい。大丈夫だってきっと」
そう言って私を半ば強引にランプの場所から追い出した。集落とは言え人々の団結力が強いからここで不審な動きをとると、余計に怪しまれる。
(疑われたらお終い、もう諦めてサイファの所に行くか……)
血の匂いを頼りに一歩ずつゆっくり歩み寄る。何せ自分は純粋な吸血姫だから、いつ退魔の一族に襲われても何もおかしくない存在。仕方なくとはいえサイファに殺されるのは嫌だし、サイファの両親に殺されるのも嫌。
だったらもう思い切って自ら赴けば、意外と上手くいったりするのかもしれない。サイファが私を好意的に接しているのは事実なんだし、彼女の説得で両親が私を許すのかもしれない。そんな都合の良い展開を望みながら私はついにサイファのいる家の玄関に立つ。
(ここがサイファの家…………)
ここにサイファがいると思うと、あの日を思い出す。集落の手前で涙を堪えながら別れたあの日を。
(よし、入ろう)
意を決して玄関の扉をノックする。今のところ両親らしき血の匂いはあるが、中にいる様子は多分ない。集落の全域に匂いが充満してる所為で場所の特定が出来ないから、家に両親がいない事をひたすらに祈る。
「はーい、誰ー?」
玄関の扉を開けたのは、サイファだった。
「やっ、来たよ」
そんなサイファに私は、気さくな態度で接した。
「うわぁー、ブラちゃんだー‼︎ 久しぶりだー‼︎」
私を見るなりガバッと抱き付くサイファにあたふたしてしまう。さっきまで気を張ってたから少し混乱した勢いでサイファを少し力を入れて抱きしめてしまった。
「うぃ〜、痛い痛い痛ぁい。ブラちゃん力強いってぇ〜」
「あぁゴメン、やり過ぎたよ」
久しぶりに会えた、というか再会出来るとは思わなかった相手との再会の喜びに浸っていると、サイファの背後に二人の脚が目に入る。
「…………ッ‼︎」
そこにはサイファの両親が、私を見下ろしていた。二人から凄まじい魔力を感じ、すぐに臨戦態勢をとる。
「気を張る必要はないよ。娘から話を聞いてるからね」
「えぇ、それに私達は依頼された魔物しか退治してませんし」
筋骨隆々な父、魔法使いの母。そして娘のサイファとテーブルを囲んで独特な空気が漂う。しばらくはありふれた会話をしてサイファとの馴れ初めとかも話したりして、サイファが私にベッタリする様子を見て両親が微笑んでいる。
あれ、コレもしかして私の考え過ぎだったとか?
もしかしてサイファの両親なら異界のゲートとかを見た事あったりするのかな? 少しはこの世界も楽しかったけど、やっぱり私には帰るべき世界があるんだ。だからこんな所で道草食ってる場合じゃないはず。
「あの、お二人に聞きたい事があります。この世界の何処かに異界へと繋がるゲート的な物ってあったりしませんでしたか?」
「異界、ゲート……?」
「私はこの世界の者じゃありません、ずっと元の世界に帰る方法を探しているんですが見つからないんです。どうか教えてほしいんです、私は元の世界に帰りたいんです……」
「異界に繋がる世界、ねぇ…… そう言われてる場所ならあるんだけど……」
「それって何処にありますか⁉︎」
「あのね、少し遠いから地図を描くわね……」
やっと見つけた元の世界へ戻る方法。私はサイファの両親から貰った地図を貰ってローラ達の所へ戻った。そして異界の存在である事は隠しながらまた遠くへ行くとだけ伝えたら、二人とも了解してくれた。
「もう行くんだ、気を付けてね」
「旅人だったのなら、確かにここでの長居は出来ませんからね。無事を祈ってますね」
「ありがとう二人とも。それじゃあもう行くから」
ローラとランプとはここで別れて、いよいよ私は一人旅の完結へ向けて歩を進めようと踏み出す。
「…………まって‼︎‼︎」
サイファが私の後をつけようと走って来た。
「あのね、今度は本当に会えなくなっちゃうんでしょ? だからあたしの宝物をあげるね」
ポケットから宝石を取り出して、私に手渡していく。
「向こうの世界に無いお宝‼︎ 朝と夜で変わる色の石だよ‼︎」
「……ありがとうサイファ、大切にするよ」
今度こそ本当のお別れになるとお互いに分かってるからか、なかなか別れの言葉を言い出せない。意識すればする程に頭の中が真っ白になって何を言おうか迷ってしまう。
「なんか、悲しいね。本当に二度と会えないって分かると。出来ればサイファが私の世界の住人だったらって思っちゃうよ」
「あたしもおんなじ事考えてた。ブラちゃんと一緒だったらって、夢の中でも思ってた」
「でも離れていても友達、私とサイファは繋がってる。知り合ったばかりでも友達だから」
「ブラちゃん…………」
サイファの小さな身体をギュッと抱きしめる。今度は優しくて愛情を込めたハグで。
「さよなら、サイファ…… もう会えないって思うと、すごく寂しい気分になってくるよ」
「あたしもブラちゃんと、もっと一緒になりたかった…… ブラちゃんの所に行きたい位だよ……」
数秒数分と長いハグをし続けた後はサイファと本当の別れをして、ついに私は元の世界へ帰る為の最後の旅を始めた。歩き始めてすぐにサイファが大声で泣き叫ぶ声が、微かに耳に入ると同時に脳内でサイファの声が何度も何度もループ再生されていく。
(サイファ…………)
サイファの母親が描いた地図によれば、この近くにある山の七合目辺りで登山道から逸れてしばらく歩いた先にどうやら不自然に空いた洞穴があるらしい。そこへ入った人の内一割程が行方不明なってる事例があるっぽく、そこが異界への出入口と噂されていたとの事。
じゃあただの噂だったのかというと、実際にあの両親が現地調査して確かめたから断言出来たんだろう。そして調査した場所の最深部には空間の歪みが確かにあって、しかもくぐろうとしたらソレに拒絶されたと話していた。
(それならその先に私の住む世界があっても、何もおかしくなんて無さそうだね)
やっと元の世界に帰れるんだ。長い長い惨劇の先にあるのは理不尽な結末なんかじゃなく、きちんと明確な終わりがあったんだ。それが分かっただけでもすごく嬉しいしモチベーションにもなってる。
「…………よしっ、負けるなブラッディ・カーマ‼︎」
最後の旅に向けて気合を入れ直す。これから何か大きな試練が来ようが、こんな世界へ転移させた張本人が相手したとしても、私は絶対に屈しない…………
私はこんな世界に、負ける訳にはいかないんだ。
-★★★★★- 《Orbită –実験–》
「ここが異界への出入口……」
サイファの母親が言っていた洞穴は案外簡単に見つける事が出来たし、特に見えない壁とかに阻まれる事なくあっさり侵入する事が出来た。洞穴の中は案外人の出入りが楽に出来そうな、縦横がある大きめの空間が常に続いている。
「結構、歩くんだ……」
ゴツゴツした岩場を慎重に歩いて、少しずつ下っていく。
「あっ、コレかな……?」
目の前に突如として現れた違和感、まさに異界へのゲートと呼ぶに相応しい不思議な力を放つ渦の様な何か。
ついに私は、元の世界へ戻る為のキッカケを見つける事が出来たんだ。コレでついに待ち望んだ世界へ帰る事が出来るんだ。
「…………よしっ、行こう」
躊躇いもなく、迷いもなく。
私は目の前にある渦へ、きららジャンプで飛び乗った。
「なっ、何⁉︎」
渦に触れた途端、全身がありとあらゆる方向へ引っ張られる様な、自分という感覚が歪んだり境目を奪われたり、そんな言葉で説明したりするのが不可能な位に不可思議な自覚に襲われていく。だけどそんな感覚を覚えたのはたった一秒か、それ未満か。
とにかくほんの一瞬で、私は何もかもが全く見た事のない場所に立っていると、数秒遅れで気付く事が出来た。
「こ、ここは……?」
見た感じ何もない。しっかり脚で下を踏んでる感覚はあるが、それが床なのか地面なのかはハッキリしない。まるで亜空間にでも連れて来られた感じになる。
『ついにここまで来てしまったのね。ブラッディ・カーマ』
とても冷たく、そして少女の声が全ての方向から鳴り響く。しかし声の出所を探そうにも全く分からない位に、全ての場所で音が反響した空間で出来ている。
「誰? ここはどういう所なの?」
『ここは世界の変異を観測する場所。そして私はそれら変異や改変、逸脱などの修正を行う巫女…… 八宮由衣よ』
名前を名乗るのと同時に姿を見せた由衣。その姿は私の友人と似た様な黒髪にクールな目つき、そして魔法少女の様な衣装を身に纏っていた。
「なるほど。お前が私をあんな世界に召喚したのか?」
「それは違うわ。私はブラッディ・カーマを元の世界へと戻そうとしてたの。その為の惨劇よ」
「どういう事だ……? あの惨劇は、全てお前がやったという事で間違い無いんだな?」
「そうよ。しかし惨劇が無いと、ブラッディ・カーマはあの世界の子供達によって世界への停滞を望んでしまう…… 前の世界へ戻る事を拒絶する可能性があった」
「だから私に惨劇を与えたって言うの? 何故惨劇を選んだ? 他に方法があったんじゃないの?」
「悪いけどそれしか方法が無かったの。私には世界を意のままに変える力が無い。あるのは改変のキッカケを与えるだけ、小さな積み重ねで世界を徐々に変える位しか出来ない巫女なの」
「だとしたら、どれが由衣の行った改変か教えてほしいね。敵を送ったの? それともヒロインでも用意したの?」
「私が改変したのは後者よ。あなたと行動を共にするヒロイン…… 一時的な仲間を送り込んだわ。最初は“ヘンゼルとグレーテル”をモデルに、次は“赤ずきん”をモデルに、次は“人魚姫”と“シンデレラ”と“マッチ売りの少女”を混ぜて、ブラッディ・カーマの許へ向かわせたわ」
「なるほど、どうりで童話チックなヒロインが数人いた訳だ。でも由衣、案外あぁいうセンスは私好きだよ。良い感じに幼女だった」
「それは良かったわ。何度もやり直した甲斐があったわ」
待って、やり直した?
「それはどういう意味……? 私が体験してきた事は過去に何度かあったとでも言うの?」
「いいえ、私が持ってる魔法を惜しみなく使っただけよ。魔法少女だった頃の魔法だけど、案外ここでも役に立ったみたい」
そう言って由衣は自分の武器であろう、三叉槍“を取り出した。その穂先には何も付いてなかったが、何となく彼女の持つ魔法が何なのか察しがついた。
「本来ならこの世界、あなたが来る事は無かった。この世界は誰の目も触れる事なく何事も無く忘れ去られるべきだった。なのにあなたはこの世界に何故か呼ばれてしまった。これは私にとってイレギュラーな出来事だった。だから一秒でも早く元の世界へ戻さなければならなかったが、こんな事は初めてだったから最初はとても苦労したわ…… でも何度も繰り返す内にあなたの好みや思考回路などを理解していく内に、どうすれば私の思う通りに行動してくれるかが分かって、それを実行したら多少の不正解はあれど大方予想通りに動いてくれたおかげで、あなたは何とかここまで来る事が出来たのよ」
「それじゃあ私はようやく元の世界に帰れるって事だね。何かしらの試練なく、みんながいる世界に帰る事が出来るんだね?」
「いいえ、それはまだ出来ないわ」
やはり思ってた通りだ。そう簡単に帰れるとは薄々思っていなかった。それにしてもこんな何も無い場所で私は一体何をさせられるのだろうか?
……まさかココで由衣と戦うのか? あんなチート級の魔法少女とやり合うのか? 勝てる訳ないじゃないか、時間操作の類にどう勝てって言うのかコッチが聞きたい位だ。
「別に私に勝つ必要は無いわ。今まさにあなたを元の世界に帰す準備を行っているけど、発動に時間がかかるのよ。こういう時はマッチングしてると言えば良いのかしら? あなたが元いた世界を私の巫女としての魔力がサーチしてるけど、まだまだかかるから……」
由衣が突然コッチを見つめてくるから何かされるのかと、少し身構える。けど実際にされたのはニコッとされただけで不意打ちとかをされる事はなかった。
「……少し私とお話でもしましょうか」
八宮由衣。魔法少女であり巫女でもある彼女は、私の世界とは全く違う世界に住む人間。そんな彼女が魔法少女になったのは六才の時で、その頃は自分に宿った魔法が何なのか理解出来てないまま活動していたらしい。それは当然と言えば当然なのかもしれない。何せ彼女が手にした魔法は自殺や死亡しない限り発動しない“世界線を移動する魔法”だからだ。まだ幼かった彼女にとって死の理解なんてあるはずないし、自殺しようなんて考えに至る訳がなかった。しかしそんな彼女もいくつか年を取れば流石に嫌でも不幸な出来事は起こる。
九才の時に、由衣達魔法少女の敵である“魔女”との戦いにて不意の一撃を受けて瀕死の重体になった彼女は死を悟り、ゆっくり目を閉じた。しかしそこでやっと死亡した事で世界線の移動を体感して、やっと自分が持つ魔法を理解したとの事。その魔法を何度か使って発動条件を理解した彼女が次にした行動は、魔法少女になった日まで一気に戻る事だった。そしてあらゆるやり残した事を魔法をフル活用して、友達の不幸や事故などを救ったと話してくれた。
だけどいちいちやり直す為だけに自殺するのは、まだ小さかった事もあって彼女には限界があった。スパンがあまりにも短過ぎて、死ぬのが怖く無くなっていってしまったのだ。そこで彼女は一度初心に戻って魔法少女としての力を極力使わない様に過ごした。途中で大怪我を負っても、周りの親しい人が死んでも、魔法を一切使わなかったらしい。おかげでギリギリ高校二年生にまで進学した辺りで、由衣は大きな転機を迎えたと言う。
それが来海玲奈との出会いだそうだ。
彼女は高校生二年生で初めて魔法少女になるが、驚く位に由衣にとって世界線の分岐を秘めた子だったらしく、野放しにしても仲良くしても強大な力を持った魔女達と関わるルートに直結する人生になってたと話す。それを理解した由衣は久しぶりに魔法少女としての力を使おうと決意した所で彼女達の世界が作られた。そう彼女は魔法少女としての生い立ちを細かく話してくれた。
「まぁ私の話はこんな感じかしら。次はあなたの番と言いたい所だけど、あなた達の世界は既に観測済みだから魔法少女の戦闘システムとかは熟知しているわ。勝っても負けても卑猥な行為をするなんて、随分と欲求に身を任せた少女で溢れてるのね」
「それを私に言われても困るんだけど。そういうのは––––」
「『作者に言え』って言うんでしょ? あなたは初期と現在でだいぶ立場が変わってたわね。今じゃギャグキャラにまで没落し、挙げ句の果てにはメタ発言の任まで持ってる…… あなたはそんな吸血姫じゃなかったはずよ?」
「それも私に言われても困るんだけど」
「それもそうね。こういうのはあなた達の生みの親である作者…… 魔法少女の神様に言うべきね」
いや、由衣もメタ発言するのか。しかも魔法少女の神様とか。あながち間違ってはいないけど、そんな赤の他人がハッキリ言っちゃって大丈夫なのか?
「ねぇ、そういえばそっちの世界はどうしてそんなに物騒なの? 血生臭いのが好きなの、そっちの作者は」
「グロテスクが好きな訳じゃないみたい。きっとその時観たアニメに影響されたんじゃないの? タイトルに“業”を入れてるくらいだもの、モロに影響されてると断言出来るわ」
業ってワードで分かるのはオタクだけなんだけど。私にはさっぱりだね。
「ねぇ、そういえば最近私達の世界に新しい魔法少女の世界が観測されたんだけど、暇潰しに見て行かない?」
「どうせまた物騒なんでしょ。見ないね、私は」
「いいえ。今度の世界は百合と魔法少女…… あなた達の世界によく似た世界だと思うんだけど?」
百合と魔法少女だって? 確かにそれだけ聞けば私達の世界と似てると言えなくもない。
「……でも結局血生臭い展開になるんでしょ? 私達はそっちの作者の頭なんて理解出来てないし、直接会った事もない。そんな人が制作途中の作品の世界にお邪魔するなんて、作りかけ原稿を一般人が勝手に見る様なものだと思う」
「別に良いのよ、そんな事気にしなくて。何故なら私が魔法少女だから」
いや、理由になってないんだけど……
「それに私は巫女でもあるわ。血の繋がりがある世界を自由に行き来出来るから、一々作者の許可を貰う必要なんて無いのよ」
「何そのチート、だったら私達の世界にも来て欲しいくらいだよ。あぁでも血生臭い展開は嫌だからやっぱ来ないで」
危ない危ない。うっかり自分達の世界を殺伐とした世界にさせる所だった。殺伐とした世界は昔の魔導国だけで十分、あんなのは今の世界には全くの不必要だ。
「さぁ、そろそろマッチングするだろうから軽く見て行きましょう。私の手を握って、ブラッディ・カーマ」
由衣の手を握ると、目の前の空間がグニャッと歪んだかと思えばいつの間にか都会の市街地に来ていた。どうやら此処が由衣達の世界から派生されたカケラの一部らしい。
「この世界はあなた達の世界を土台に作ったみたいよ。だから所々であなた達にとって馴染みのある設定が盛り込まれてるはずよ」
「ふーん……」
百合と魔法少女を掛け合わせるのなら、じゃあポイントとか魔法とかも私達にとって馴染みあるモノばかりなのかな。イグジストナイトメアとか使う魔法少女が出て来たりするのかな。
「でも戦闘に勝って卑猥な事はしないみたいね。流石に性癖の幅に限界があったのか、泣く泣くカットしたみたい」
「裏話を暴露していってると、作者が追い詰められるからその辺でやめな」
「しかも構想がまだ固まってないおかげで掲載すら決まってないから、もしかしたら立ち消えするかもね」
「よし、私はこの世界の発展を応援するぞ」
何せ本編が終盤に差し掛かるにつれて失速してるんだ、次の百合作品は是非とも成功してもらいたい。
そうじゃないと私が困る。あの人の微妙なセンスはともかく、尊いカップリングを拝めなくなってしまうんだ。それだけは何としても阻止しないと。
「さて。どうやらマッチング出来たみたいだから、そろそろ自分の世界に帰りなさい。もうこんな世界に来ない方がお互いの為だしね」
「それは同感だね。私も出来ればこんな陰鬱な世界には二度と来たくないよ。子供を何人か連れて帰りたいくらいだよ」
「それは誘拐になるから止めてほしいわね。それに彼女達は一応あの世界で生きているから、無理に発達した文明に連れ込んだら疎外感を覚えて何をしでかすか分からないわよ」
「そうなる前に私が教えるんだよ。幼女達には幸せな人生を歩んで、恋愛して、結婚して、出産して、老いて、それでも自分はとても幸せだったって思える様な人生にさせたいからね」
「ふっ、それでこそブラッディ・カーマね。流石一流の幼女マイスターの二つ名なだけではあるわね」
そんな二つ名、初めて聞いたんだけど。
「そうだ由衣。さっき私達の世界を観測したって言ってたけど、その世界では何か本家ルートとは異なる展開とかあったの?」
例えばアイツが何も企んだりせず、とにかく変態魔法少女がひたすらに百合百合して大人になるとか、そういう平和なルートとかはあったりしたのだろうか?
「残念ながらそういうルートは見当たらなかったわ。あったのはあなた達魔法少女がよく知る饅頭が、部外者であるあなたを徹底的に嬲り、そして大切な友人の前でわざとらしく血飛沫を上げる様に殺していたわ」
なるほど、やはりあの場面は全員にとって運命の分岐点だったんだ。後で彼女に感謝の言葉を贈らないとね。
「でも本家ルートでは、あなたは生きている。そしてこれは私があなた達の世界のもっと先まで観測したからこそ言える予言なんだけど………… あなたの親友二人が結婚して、死ぬまで幸せに過ごすわ。まぁこれだけならありきたりな予言として受け流されるだろうから、もう一つ言わせてもらうわ」
すると由衣がまた私の目を見て、そっと歩み寄って肩をポンと叩く。
「末永くお幸せに、ね」
そう耳元で囁くと、目の前にゲートが現れた。やっと元の世界に帰る事が出来るんだと実感してここまでの出来事が頭の中をよぎる。双子の兄妹、赤ずきんのヴァンパイアハンター、人魚姫、触手に寄生された王子、明らかに他よりも出番が少なかったシンデレラ…… 色々と思う事はあったけど、私は何とかここまで来る事が出来た。様々な困難や惨劇はあったし、何人か殺してしまった。今でもその時の感触は残ってるし、あの時の断末魔の叫びや血飛沫は脳の髄までしっかり刻まれてしまった。どうせなら異世界から抜け出したら全ての記憶をリセットしてほしいと願ってはいるが、それだとここで出会った幼女やローラ達も忘れてしまうのは、それはそれで嫌な記憶になるから良い思い出も嫌な思い出も全て覚えておこうと、固く決心する。
「それじゃあ私はこれでこことおさらばだけど、由衣はどうするつもりなの? そこに残って色んな世界を観測し続けるつもりなの?」
「私はそのつもりよ。それに私はここであらゆる世界の観測が役目だから、もしかしたらあなた達の世界に少しだけお邪魔したりするかもしれないわよ?」
「出来ればコッチに来ないで欲しいんだけど。でも来たら来たで歓迎はするつもり」
「ありがとう、なるべく惨劇ルートへ入らない様に努力するわ」
ゲートに手を伸ばすと、何の感触なく向こうへ手が入り込んでしまう。こんなにも呆気なく元の世界に帰れると分かってはいると、どうしても本当に帰れるのかと疑ってしまう。
「ねぇ、もしこのゲートの先の世界が私の知ってる世界に見えて実は何処かが違うドッペルゲンガー的な世界だったとしたら、由衣はまた私を本来の世界に戻す為に奔走するの?」
「そうよ。あなたがいない間、向こうの世界には存在が無いから。もしあなたの事を知ってる人が存在の有無を知ってしまったら、大変な事になるのは目に見えているでしょう?」
うん、簡単に目に見えるね。特にバカみたいに明るいあの子からギャーギャー喚いてパニックを起こしそうな気がする。もう一人は平静を装って、心の中で動揺していそう。
「でも安心して、そんな事は私がさせないから。そうなる前に私があれこれ手を打ってあなたが何処かの世界に間違って行かない様、定期的に目を通しておくから」
「それは頼もしいね。私と由衣とは生きる世界が違うのに、そこまでする必要なんてあるの?」
「する必要があるから本気になれるのよ。生まれた世界が違えど、私達は同じ存在。知り合えばもう友達よ」
「……そっか。由衣は意外にもフレンドリーなんだね」
「よく言われるわ。“外見に反して”ってね」
「……じゃあそろそろ帰ろうかな。じゃあね由衣、またいつか何処かで会おう」
「えぇ、出来れば私とはもう会わないでね。吸血姫ブラッディ・カーマ」
ゲートの向こうへゆっくり歩き出し、そして向こうへ身体を完全に潜らせると先には暗闇だけ。だけど向こうに一筋の光が私を待っていた。あの光を見ると何だか「帰りたい」という想いが止めどなく溢れてくる。これは由衣が「もう来るな」と思う様に何かしらの魔法をかけている所為なのかは分からない。
でもそんな細かい事を考えているなら、とっとと早くこの暗闇から抜け出して元の世界に戻って、今までの出来事は壮大でリアルな夢だったとして、面白おかしく親友に話してみたりしようと思う。ここでの出来事を最後まできちんと覚えていたらの話になるけどね。
(さようなら、みんな…………)
ここで出会ったみんなを思い出して、ほんの少しだけの余韻に浸かる。もし私の住む世界に誰か一人でも、よく似た人がいたら…… もしくはそっくりさんどころか、本人が何処かで生活していて、記憶のカケラが残っていて私の事を覚えていたらと思っていたりする。もちろんそれはご都合主義な展開だから半ば諦めている。でも心の中ではやっぱり諦めきれない自分がいる。
(さぁ、もう光は目の前だ。早く帰って二人の元へ急がなきゃ…………)
小走りで走って光の目の前に立つ。眩しくないけど真っ白な光は、私の事を待っていたかの様に私だけを照らしている。その光へ手を伸ばしていくと、身体が元の世界に帰りたがっているかの様に勝手に光の向こうへと脚を動かす。
そうだ、良い事考えた。もし異世界にいった事を私が事細かく覚えていて、それで物語とかを書く余裕があったとしたら作文に書き込んで二人に読んでもらおう。完全に作り話なしの私の冒険譚だから、二人とも興味津々に読んでくれるに違いない。
まぁ私が著者だから若干の記憶違いや誇張が入るかもしれないけど、そこは気にせず書いていくつもり。それに異世界に行ったとして、帰って来ても覚えてるかなんて分かる訳がないんだ。覚えていれば嬉しいし、忘れていたらその時はその時。ぼんやり思い出しながら二人に話していこう。
(異世界、結構楽しかったな。もう二度と来る事はないけどね)
なんか急に色々と思い付いた事をベラベラ話していく内に、光の先が見えてきた。まだ記憶は残っている、何とか作文に纏められそうだ。
……それにしても、私が異世界で体験した事を細かく作文にするとしたら、一体文字数はどのくらいになるんだろうか?
……軽く七万文字くらい、いくかな?
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