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君はみなぎわの光  作者: 冬野 暉
第二部 南海彷徨編
33/33

四 波夫里の女王〈上・3〉

 懐かしい糸車を回す音が聞こえる。 

 多火丸殿の双眸の奥で火あかりが揺らめいている。その中に浮かぶ影――居眠りをしているようにも見える婆の横顔。

 これは多火丸殿の記憶だ。

 千里を見晴るかす巫女の瞳がツイと滑り、こちらを見遣る。

 ――国を出なされ、鷹の()のおひと。

 婆は淡々と告げた。

 ――火守の梟師、北の巫女姫に刃を向けてはなりませぬ。かれらには炉の女神と闇の女神のご加護があります。神意はかれらを生かし、あなたの刃を打ち砕くでしょう。

 ――このまま氏族を見捨てよとおっしゃるのか。

 埋み火のごとく燻る怒りを感じる。奥歯を噛んで低く唸る青年に、老巫女はふるりと頭を振った。

 ――南へ向かいなされ。伊玖那見に渡り、時を待つのです。

 ――かの国の稚神女が助けになりましょう。北の巫女姫と同じく、おのこでありながら巫女姫たる稀有なるお方。南の巫女姫の許に身を隠し、七洲より来る三人目の巫女姫をお待ちなされ。

 ――三人目の巫女姫とは。

 多火丸殿の問いに、婆はあえかに笑んだ。

 ――宮中においては杣の宮の皇女と呼ばれるお方にごぜぇます。

 目が合った(・・・・・)

 育て親のまなざしは時空を超えて私を視ていた。媛様、と、ほほ笑む口元がかすかに動く。

 私は叫びそうになりながら必死にくちびるを噛んで堪えた。

 動揺してはいけない。感情を抑えなければ過去視が途切れてしまう。

 婆の目が語る。

 私の未来を直接視ることはできない。けれども、少しでも流れがよりよいほうへ向かうよう布石を打つと。

 ――風牧の多火丸殿。あなたには媛様のために働いていただきたい。媛様の旅に付き従い、険しい道のりの露払いを務めていただきたいのでごぜぇます。

 ――媛様が旅を終え、天命を全うされたとき、あなたの宿願も果たされましょう。

 婆は絶えず糸車を回している。

 糸車の回転と婆の言霊が、多火丸殿の、かれがのちに出会う人びとの運命を手繰り寄せる。運命の糸を撚り合わせ、私を守る強力な呪の緒を編み上げる。

 幾筋もの緒は緑閃光(グリーンフラッシュ)のような薄みどり色に揺らめきながら私を包みこんだ。

 まぶたを閉じる。

 過去現在未来問わず、処理しきれないほどのヴィジョンが雪崩のごとく押し寄せてきた。さながら光り輝く龍が私の体を通り抜けていくかのごとく、毛細血管のひと筋ひと筋まで凄まじい呪力を感じる。

 ささやきが聞こえる。

 耳元で震える小さな鈴の音色、蚕の幼虫が桑の葉を食む咀嚼音、簾のむこうから漏れ聞こえる女官たちの衣擦れ――あらゆる時空を生きて死にゆく人びとの思念の『声』が。

 私は片手を伸ばし、指のあいだからすり抜けていこうとする緒の一本を掴んだ。

 ふつりとささやきが途切れた。

 ひとつ瞬くと、多火丸殿が怪訝そうに眉をひそめていた。「皇女様? いかがなさいました?」

 私はくちびるを舐め、迷いながら言葉を選んだ。

「千幡の婆の言葉どおり、私とともにゆく旅路は険しいものになるでしょう。どれほどの月日を要するのかも知れません。それでも多火丸殿の助力が得られるのなら――必ず、風牧の氏族を救う道が見つかります」

 猛々しい鷹のような瞳を見据えると、多火丸殿は短く喉を鳴らした。青年の面に驚きと畏怖が広がる。

 私の両目は黄昏の天のごとく朱金色(あかがねいろ)に燃えていた。黄金の火矢となったまなざしが多火丸殿を貫く。

「火守の梟師はわが姉・明星と手を結び、大皇を弑したばかりか幼き春宮(とうぐう)を傀儡に仕立て上げ、七洲を火の海に変えようと画策しています。私は燿火大神の裔たる皇のひとりとして、闇水生都比売の裔たる七洲の巫女姫として、なんとしても姉の蛮行を止めなければなりません。たとえ――」

 私は爪がてのひらに食いこむほど拳を握りこんだ。

 再会した日の幼い片割れの顔が、夜明け色の瞳を震わせながらりんどうの花を差しだす片割れの顔が、父の血を浴びて艶やかに笑う片割れの顔が、打ち砕かれた鏡の破片となって心を切り裂く。

 文字どおり半身をもがれるような痛みを堪えて言葉を継いだ。

「この手が拭えぬ血にまみれ、永遠に明星を失うことになっても」

「皇女様」

「明星の謀略によって、私はすでに大皇殺しの濡れ衣を着せられました。それが真の皇殺しに変わるだけのこと……迷いはありません。いいえ、明星の片割れである夕星(わたし)だからこそ、迷ってはならないのです」

 皇殺しの皇女。滅びの凶星にふさわしい、実に不吉な呼び名だ。

 思わず口端が吊り上がる。両目を眇めて多火丸殿を見遣ると、圧倒されたような顔で黙りこんだ。

「自ら進んで大罪人になろうとする皇女の供人に、あなたはなれますか。後代に残る名誉などありません。ですが、氏族の存続は約束できます――そんな茨道を選べますか?」

 多火丸殿が短く息を吸いこむ。

 かれの返答を私は知っていた(・・・・・・・)

「喜んで」

 糸車の回る音がいちど聞こえた。

 婆が手繰り寄せた運命を、私は確かに掴み取った。

 多火丸殿は袍の袂を裁き、深々と叩頭(ぬかず)いた。

「風牧の多火丸、これより身命を賭して皇女様の(つわもの)として働く所存。いかなる赫灼の炎路も、冱てる闇路も、わが身を以て切り開きましょう」

 滔々とした宣誓に、一部始終を静観していた海燕殿がわざとらしい拍手を鳴らした。

「めでたく話がまとまって何より何より。この男の腕前は用心棒として雇っていた私が保証いたしますよ。さて姫宮、次は私の番ですかね?」

「海燕、控えろ! この方は――」

「私の商談相手ですよ、多火丸。こっから先は商人(あたし)の領分だ。おまえさんこそお控えなさいよ」

 鉛色の一重まぶたと薄茶色の三白眼のあいだで火花が散る。というよりも、多火丸殿の髪の毛が怒気でいまにも逆立ちそうだ。

 話がこじれるとややこしいので、私は「かまいません」と多火丸殿を制した。

「ええ、商売の話をしたいのです。晶海燕殿、あなたは舟をお持ちだと聞きました。それを私に貸してくれませんか?」 

「ちなみに、行き先はどちらにございましょう?」

 私はちらりと那岐女に視線を投げた。了承を示す小さな頷きが返ってくる。

「波夫里の岩室と呼ばれる、藩王家に代々伝わる霊場です。普段は海中に没している洞窟で、潮が引いているあいだしか上陸できますん」

「なるほどなるほど。それで舟がご入用だと。しかし、舟ならばいくらでも伊玖那見の者が出せるのでは?」

「波夫里の岩室は、伊玖那見の舟乗りのあいだでは禁足地としておそれられているのです。けして上陸してはならない掟があるそうで……」

「ははぁ。足を踏み入れたら命を取られるような場所なわけですか」

 海燕殿は顎に片手を添えて、にまりと笑った。

「舟代と人足代、合わせて命と引き替えにしても惜しくないお代をご用意いただけるならお引き受けいたしましょう。ただし、お支払いは姫宮ご自身でお願いいたします」

「はあ!?」

 那岐女が驚いたように声を上げた。

「海燕、どういうつもりだ?」

「どうもこうも、これは姫宮と私の商談です。でしたら姫宮からお代をいただくのが筋ってものでしょう?」

「夕星媛は伊玖那見へ亡命した身の上なんだ。藩王家で庇護している以上、報酬は藩王家から支払う」

「それなら、このお話はなかったことに」

 海燕殿はやれやれとばかりにため息をつくと、ひらひらと手を振ってみせた。あまりに不遜な態度に呆気に取られるしかない。

「こちらだって命を賭けるんだ。わが身を切り売りする覚悟もないような箱入りのお(ひい)さんの相手なんてごめんだね」

「口を慎め、無礼者!」

 多火丸殿が怒声を張り上げると、海燕殿は顔をしかめて耳を塞いでみせた。

「おまえさんは声量を考えておくれよ。耳の中の膜が破れちまいそうだ」

「ッ、この!」

「無礼で結構。私はね、小汚い貧民の女にだって『髪を売った金で病気の子どものために薬を買いたい』と頼まれりゃあ、礼を尽くして商売をしましたよ」

 七洲の周辺諸国では男女問わず髪を長く伸ばす風習がある。結えないほどの短髪は、幼子を除けば罪人や訳ありの世捨て人、あるいは髪を売って糊口をしのぐ貧困層だとされる。

「着物すら売り払って、その母親には長い髪しか残ってなかったんです。でもね、母親は迷いなく髪を切りましたよ。子どもを助けるためなら賤女(しずのめ)の誹りを受けようとかまわないと思ったからです」

 眼鏡越しの双眸が薄い刃のように冴え光る。神女の瞳にも臆することなく見据えてくる胆力に、那岐女が海燕殿を重用する理由がおのずと察せられた。

 この青年は、いつか商人として大成する。光り輝く龍が蒼海を翔け、その影を追って進む舟の舳先に立つ海燕殿の手が白銀色の宝玉を掴むヴィジョンが浮かんだ。

「大陸では、稀に見る強運の持ち主を『龍の玉を掴んだ者』と言うそうですね」

「然様ですが……」

「私は、まさにあなたが龍玉を得る未来を視ました」

 訝しげに眉をひそめていた海燕殿の表情が一変する。

 私は片手で己の両眼を指差した。

「まずは非礼をお詫びします。代価を支払うために身を切る覚悟を持てとおっしゃるのはもっともなこと。私は、私が支払える代価であなたと商売がしたい」

「と……申されますと?」

「これより先、私の旅にあなたの財と運気を貸してくださるのなら、この眼で商いのお役に立ちましょう」

 海燕殿は片眉を持ち上げた。

「それは――姫宮ご自身が代価になるということですか?」

 場の空気がピンと張り詰めた。

 多火丸殿が凄まじい形相で海燕殿を睨み、那岐女が狼狽しきった顔で視線を泳がせ、傍らの水沙比古は極寒の雪嵐のような殺気を放っている。双子の兄の表情を目の当たりにした那岐女はみるみる蒼白になり、猛烈な勢いで首を横に振ってみせた。

 なんだか妙な誤解を招いたような気がする。私は首を傾げた。

「私自身ではなく、私の異能(ちから)を代価にさせていただきたいのです。契約期間は私が旅を終えるまで。期間内であれば、いくらでも海燕殿に有利な情報をお教えできます」

「つまり、期間限定のお抱え占者として働いてくださるというわけで?」

「はい」

 首肯してみせると、謎の緊張感がわずかにゆるんだ。

 海燕殿は「ふむ」と顎をひと無でした。

「取り分としては悪くありませんが、もうひと押し欲しいですねえ。旅の終着までどれだけの月日がかかるかわからないとおっしゃいましたが、見通しが立たない事業に投資するほど道楽商売ではありませんので」

 なかなかどうして手強い。私がうむむと唸っていると、不意に水沙比古が沈黙を解いた。

「二の媛の祖父御は、和多の水軍を率いる氏長だ」

 海燕殿の視線が水沙比古を捉える。水沙比古は冷ややかな無表情で告げた。

「舟を持っている商人なら知っているだろう、七洲の水運を担っている氏族の名を。二の媛は氏長の愛娘の忘れ形見――和多の氏族にとって、何より尊い宝だ」

「たとえば姫宮が号令をかければ、水軍が動くと?」

「ああ。二の媛が氏長に口利きをすれば、七洲との商売がずいぶん楽になるのではないか?」

 淡々とした口調が却って怖い。とりあえず海燕殿と私に対して怒っていることはわかる。

 海燕殿はどこ吹く風とばかりに笑うと、ぱんと両手を打った。

「それは重畳。姫宮がうちのお抱え占者になること、和多の氏長へ口利きをしていただくこと――この二点の条件付きで、商談成立といたしましょう」

 私は胸を撫で下ろした。何はともあれ、これで波夫里の岩室へ向かうことができる。

「ありがとうございます。よろしくお願いしますね、海燕殿」

「御意」

 慇懃に跪礼する海燕殿を、多火丸殿は憎々しげに、那岐女はげんなりと、水沙比古は凄然と見つめる。

 呉越同舟という諺があるけれど――この舟で運命の荒波を乗り切れるのか、ちょっぴり不安になった。

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