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君はみなぎわの光  作者: 冬野 暉
第一部 宮中炎上編
10/33

四 北風の使者〈1〉

 叩きつけるような雨は朝から降り続いていた。

 新嘗祭の準備の合間を縫って訪ねてくる水沙比古と黒金が屋根の修繕をしてくれたおかげで、ひどい雨漏りを免れることができた。

 まだ昼日中だというのに、雨に降りこめられた森は薄暗い。

 しかし、陰りに潜むものたちも激しい雨脚に辟易しているのか、木の下闇でじっとうずくまったままだ。軒先に置かれた水瓶を打ち鳴らす雨音だけが響いている。

 私は白と緑の絹糸で髪紐を編みながら、雨音のむこうへと尖らせた意識の先端を伸ばしていた。

 白糸を地に緑の糸で幾何学的な紋様を描いていく。翡翠の手環に彫りこまれているものを真似たまじないだ。魔を退け、身に帯びたひとの魂の緒を私の許へ結びつけるように。

 髪紐が編み上がるころ、雨に紛れて近づいてくる足音が聞こえた。

 ひとりではなくふたりぶん。どちらも篠突く雨などものともしない足取りで泥濘を進んでいる。

 葉陰に隠れた小鬼が息を潜めてふたりを見送る。――かれらこそがおそろしい存在であるかのごとく。

 濡れ縁に続く階がギシギシと軋む。雨避けに閉めた蔀戸を来訪者が叩いた。

「二の媛」

 従者の少年の声に立ち上がった。

 蔀戸を開けると、簑笠を纏ったずぶ濡れの水沙比古がホッとしたように表情をゆるめた。

「阿俱流を連れてきたぞ」

 水沙比古の背後に佇む人影が俯きがちに礼をした。長身の水沙比古よりいくぶん小柄だ。

「よく来てくださいましたね。どうぞお入りになって火に当たってください」

 ふたりを招き入れ、火鉢のそばまで案内する。

 躊躇を滲ませて簑笠を取った阿俱流の姿に、私は既視感を抱いた。

 火明かりに黒い冠を被った結髪が赤銅色に輝いている。雨に濡れたままの面は冬の満月のように真っ白だ。額が広く、鼻筋が通っている。

 右目を白布で覆い、左目は藍方石を思わせる深い青色を湛えている。私や水沙比古と同年代の少年だが、ひどく翳りを帯びたまなざしをしていた。

 位の低い官吏であることを示す浅縹の朝服を纏った阿俱流は、文官というより武官らしい印象だった。袍の袖口から覗く両手は逞しく、細い筆ではなく駿馬の手綱を握るほうが様になりそうだ。

 ふと、阿俱流から乾いた風の匂いが漂ってきた。

 草いきれ、獣の息遣い。刹那のイメージは瞬きの合間に掻き消えた。

「二の媛。紹介する。こちらが風牧の阿俱流だ」

 水沙比古の言葉に続き、阿俱流は深々と叩頭した。

「お初お目にかかりまする。皇子様みこさまの御側付きを勤めさせていただいております、名を阿俱流と申します」

 老成した印象の落ち着いた口調。私は違和感へと変じた既視感に困惑した。

 ――かれのほうではない(・・・・・・・・・)

「あの、阿俱流殿。不躾な質問かもしれないけれど、ご兄弟はいらっしゃる?」

「……同母姉いろもがひとりおりますが」

「えっと、兄か弟はいないかしら。あなたと同じ、赤い髪の」

 阿俱流の肩がぴくりと揺れた。

「いいえ。私の身内は姉だけにございます」

 きっぱりと否定され、私は思わず口をつぐんだ。

 水沙比古が不思議そうに首を傾げる。「何か視えたのか?」

「阿俱流殿とお会いする前に、かれとよく似た赤い髪の若者の視線・・を感じたの。てっきり阿俱流殿かと思っていたのだけれど……」

 同母姉とは、明星の侍女をしている満瀬のことだろう。ほかに兄弟がいないのであれば、私が占を読み間違えたのか。

 ゆっくりと面を上げた阿俱流と視線が絡む。藍方石の隻眼は凝乎じっと私を見据えていた。

「噂どおり、皇女様ひめみこさまは陰視でいらっしゃるのですね」

 鋭利な錐を刺しこまれるような視線に気圧されながら頷く。

 水沙比古がさりげなく私の傍らに移動し、阿俱流の視線を肩で弾いた。

「心当たりはないか。何か」

「……いいえ。申し訳ございません」

 阿俱流はツと目を伏せた。

 私は慌てて首を横に振った。

「こちらこそごめんなさい。どうか気にしないでくださいね。私の勘違いかもしれないし……」

「二の媛でも失敗するのか?」

「もちろんあるわ。私は本当に視えるだけ(・・・・・)なの。きちんと巫女や呪師の修行をしたわけではないから、視えた結果を自分なりに読み解くしかないのよ」

 水沙比古の質問にこそこそ答えていると、阿俱流が口を開いた。

「私も身近に陰視の者がおりましたゆえ、いつでも望みのままに視えるわけではないと存じでおります。むしろ、望まぬものを視てしまったがために苦しむことのほうが何倍も多い」

 少年の声は染み入るように静かに響いた。

 阿倶流はふっと息を吐きだし、「本日は、皇子様より言伝をお預かりしてまいりました」と告げた。

 私は両手を握りしめた。

「水沙比古から話は聞いています。姉様……明星媛と私を会わせたいと」

「はい。一の皇女様はお食事も喉を通らず、宮に籠りきりのご様子。姉宮様をご心配なさった皇子様は、二の皇女様のお顔を見れば元気を取り戻されるのでは――とお考えなのです。幸い、私の姉が一の皇女様にお仕えしておりますので、姉の協力があれば難しいことではありません」

「私は、この宮から出ることを禁じられているの。ましてや明星媛と密会したと大皇に知られれば……皇太子である神隼親王はともかく、手引きをしたあなたや姉君は無事では済まないわ」

 もちろん私も、阿倶流と引き合わせた水沙比古も許されない。露見すれば四人仲良く晒し首だ。

「ご心配には及びませぬ。必ずうまくいきます(・・・・・・・・・)

 阿俱流は淡々と言い切った。

 まるで確定した未来を知っているかのような口調に私は言葉を飲みこみ、水沙比古は眉をひそめた。

「ずいぶんな自信だな」

「根拠はございます」

 阿俱流は水沙比古の視線を受け流し、隻眼を私に向けた。

「新嘗祭の日、大皇とお妃様が日月の両神に供物を捧げるため祭殿にお籠りになられます。神事のあいだ、多くの朝臣や宮人も祭殿の周辺に待機しております。宮中の警備も祭殿に集中する……つまり、それ以外への注意が薄れるということです」

「まさか、神事のあいだに明星媛と会おうというの?」

「然様にございます。皇嗣であらせられる皇子様は祭殿近くの殿舎でお過ごしいただかねばなりませんが、皇女様方は神事でのお役目はございませぬ。宮女に扮した二の皇女様を姉宮様の許へお連れするには、またとない好機かと」

 阿俱流の提案は、荒唐無稽と断じるには魅力的だった。

 そう、これは好機チャンスなのだ。再びめぐってくるかどうかわからない、最後かもしれない神様の気まぐれ。

 阿俱流の誘いを断れば、明星に二度と会えないままで終わるかもしれない。

 生涯幽閉の身である私と違い、いつか明星は然るべき相手の許へ降嫁する。あの子が花嫁となって宮城を旅立つ日は遠くないはずだ。

 そうすれば、私たちは今度こそ離ればなれになる。前世の記憶のように、鈴を振るうような笑い声や、夜明け色のまなざしや、寄せ合った肩のぬくもりが、少しずつ風化していく日々に怯えながら生きていくのだ。

 ――いっしょに海が見たいと願った片割れの幸せを願えるように、手を離すためのさよならが欲しい。

 波間に覗く湊のあかりに焦がれた迷子の鯨が暗い海へ漕ぎだすために。私が、片割れがいなくても夕星わたしであれるように。

 私は水沙比古の衣の袖をつまんだ。

 銀碧の瞳が振り向く。目が合うと、かれはふっと口元を綻ばせた。

「二の媛はどうしたい?」

 風が吹いた。

 鯨の仔を沖へと押しだそうとするような風が首筋を吹き抜けた。

 風に乗って海原へ翔んでゆく鳥の影が瞼裏をよぎる。私を呼ぶ声。

「私は――姉様に会いたい」

 水沙比古は頷いた。

「おれは助けるよ。二の媛が望むなら」

 その言葉に背中を押され、私は阿俱流に向き直った。

「阿俱流殿。明星媛にお会いするために、どうか力を貸してちょうだい」

 阿俱流はかすかに左目を眇めた。

「もとより、その所存。皇女様方、引いては皇子様の御為、身を粉にして働かせていただきたく思います」

 浅縹の裾を捌き、阿俱流は低く一礼した。冠の上で火明かりがチラチラと揺らめいている。

 私たちの密談を隠すように、雨音はいよいよ激しさを増した。顔を上げた阿俱流は、計画の詳細について語りだした。

 水沙比古の傍らで、私は期待と不安に押し潰されそうになりながら糸車の音を聞いていた。

 善きものも悪しきものも運んでくる、運命の轍の軋みを。

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