四十一話 秋霜烈日の決意
決意は漲っていた。
本来の力を取り戻し、そして、あの邪智暴君な狂王を殺しに行く。
千年も快楽を貪り、欲にまみれて生きたのだ、そろそろ対価を受け取らねばいけない。
応接間を見回すと、漆塗りの書斎机の後ろにいつの間にか扉が出来ていた。
本能で分かった、あの扉の奥にサラが千年間守り続けてきた物があると。
体中が、その溢れる強大な力と共鳴しているのが分かった。
ミルをゆっくりと振り返れば、彼女もまたしっかりと頷き返す。
制御できる自信はあった。
世界の理屈を覆すほどの力、それを制御できるのは、他ならぬ理屈を超越した者だけなのだ。
扉に歩いていく。
前に立つと、躊躇することなくドアノブに手をかけた。
金属製で、ひやりと冷たかった。
力を込めれば、抵抗することなくなめらかに回る。
カチャ、と落ち着いた音を立てて、扉は開いた。
中は、暗闇だった。
突然、ポウッと奥の方で何かが光る。
同時に何重にも重なったバリアのような光の壁が、光る何かを囲むように浮き出て、行く手に立ちはだかった。
「これが、サラ様の力全てを集結させた、時間の境界線です。一枚くぐるごとに、時の流れは凡そ百分の一になります」
冷静なミルの声が、暗闇に吸い込まれていった。
この、薄い光の壁を一枚くぐる事に、百分の一、時間の流れが遅くなっているのか。
ざっと見た感じ、壁は5枚。
現実で1000年が経っていようと、最奥のあの光は、未だ3秒程度しか経っていない計算になる。
途方もない魔術だと、舌を巻く他無い。
ゆっくりと手を伸ばした。
触れた途端、弾けるようにその壁が消えて無くなった。
あまりに儚い光であった。
「レイン様を適切な所有者であると、魔術が判断したのです。どうぞ、お進みください」
そんなミルの声が、落ち着いて聞こえてくる。
「私以外はどうなるの?」
興味本位で聞いてみたが、しばらく返事は無かった。
二枚目にゆっくりと歩みを開始したところで、ようやく返ってくる。
「......申し訳ございません。誰も触れて来なかった故、想像が出来ないのです」
冷静な返答だ。
しかし、裏を返せば、千年間誰もこの空間には足を踏み入れていないと言う事である。
尤も、壁を一枚破った今、ここは10年程しか経っていないが。
「そう、でも大丈夫よ。やる事に代わりは無いわ」
二枚目の前に立つ。
スッと手を伸ばせば、触れた途端、弾けて消えた。
泡のような、そんな様相である。
暗闇の空間を、一歩一歩、奥に見える光に向かって歩く。
レインの体がその時間の境界線に触れるたび、ポッとそれは消える。
役目を終えた魔術は、一切の抵抗を見せずに、道を明け渡していった。
そして、とうとうレインは最後の一枚の前に立つ。
部屋に入った当初は、ポウっと淡く輝く程度だったその光は、今は目の前で煌々と、瓶の中で光り輝いていた。
レインの魔術を封印している瓶は、水晶をそのまま削り出して作ってあった。
しかし、所々がひび割れ、見てわかる、限界は近い。
レインは、何も言わず、最後の一枚に触れた。
パリンと音がしたのは、気のせいか。
スローモーションのように光の粒子が空間に溶けていき、そして──
ビキビキビキッ!!!!
音が響く。
水晶の瓶の日々が、段々と大きくなっていく。
「逃げて!!!!」
そう言って、ミルを突き飛ばした瞬間だった。
ボンッと大きな音を経てて瓶は砕け散り、そして、黒いモヤのような、禍々しく強大な魔力が、空間をうねる用に包み込んでいく。
抗いようのない、ひたすらに暴虐な魔力の様相だ。
けれど、レインには何故か、これを制御する方法が分かった。
本能で悟ったというべきか、赤子が立つのを学ぶように、自身の生命に刻まれた技術であるような心地であった。
「集まって」
手を伸ばし、誰に言うべくもなく、呼びかける。
すると、そのモヤは膨張するのを止め、レインの手に集結していった。
ようやく主を見つけたかのように、膨大な魔力は、みるみるうちにレインの体内へと吸い込まれていく。
最後のかけらが、シュルっとレインの手に収まると、後には、ただ暗く深い空間だけが残った。
「ミル、これで......」
終わりなのかと問おうと、後ろを振り向く。
しかし、レインは絶句した。
「ミル!? どうしたの!?」
扉のすぐ近くで、ミルは、倒れていた。
すぐに駆け寄る。
意識を確認しようと、抱きかかえて、安心した。
まだ息はある、死んではいない。
が、意識は無く、しかも、口の周りには吐血の跡があり、抱きかかえた負担からか、頭皮がズルリと剥げ落ちた。
「まさか、これが私の力だっていうの......?」
自分が持っていた魔術は、疫病と地震の魔術であると、ミルは説明した。
この一瞬で、紛いなりにも魔物界で二番目の位のミルを、倒すとは。
にわかには信じ難かった。
とりあえずミルを再び床に寝かせて、手遅れになる前に、治癒の魔術を使った。
緑色のオーラが彼女を包み、そして、顔に血の気が戻っていった。
「ゲホ、ゴホ、ゴホゴホ!!」
激しく咳き込んで、ミルは意識を取り戻す。
ゆっくりと上半身を起こした。
「あ、私は......」
「ミル、大丈夫? ごめんなさい、少し警告するべきだったのに......」
何が起こったのか理解していない様子のミルに、しかしレインは謝った。
当のミルは、状況を飲み込みきれずしばらくはキョロキョロとしていたが、何が起きたのか理解したのか、レインを向く。
「レイン様......もしや、力を制御できたのですか......?」
「ええ、もう大丈夫よ。ちゃんと私のいう事を聞いてくれるわ」
そう言って、レインは右手をスッと出し、少しだけ黒いモヤを出して見せた。
まるで黒い炎のようにチョロチョロと踊るモヤは、レインの手のひらで、おとなしく動いていた。
「そう、ですか......。やはり流石でございます。サラ様があれほど苦労して抑え込んだ力を......」
一瞬感慨深げにうつむいたミルだったが、しかしすぐにレインに向きなおる。
レインは、とりあえずミルが無事であることを確認できたので、安心した。
これで、ようやく残されたことはただ一つ。
あの狂王を、殺す。
殺すことに利益があるのかと言われれば、正直、直接的には無い。
しかし、あの男が、この世の悪の集大成のような男が世に存在するというだけで、レインは胃の腑が湧き上がるような怒りを覚えるのだった。
欲望のまま生き、のみならず、大勢の人を苦しめ騙し、あろう事か一国の王として君臨している。
レインとサラ、その他大勢の屍を踏み台にして、あの王は居るのだ。
「ミル、ここから先は、私一人で行っても良いかしら」
ふと問うた。
完全な質問ではなかった。
しかし、ミルには伝わったようだった。
「私など、足手まといなだけです。今のレイン様なら、必ずや達成できるでしょう」
それだけで十分だった。
レインは、暗闇の一点に目を向ける。
入ってきた扉だ。
未だなお、煌々と出口の光を示している。
必要な時に、必要な場所へ通ずる扉。
今、この城は、レインをどこへと誘うのであろうか。
そんな胸の高まりを抑えつつ、ゆっくりと扉へと行く。
着いたが、無論、変わらない扉だ。
ドアノブをしっかりと握った。
カチャ、と音を立てて扉は開く。
そこは、城のてっぺん、高い尖塔の頂であった。
風がビュオっと吹きいり、スカートの裾を、後ろへと流した。
時は夕暮れであった。
紅葉で染まった森が、地平線の果まで見えた。
自身の、透き通るような白銀の長髪が、紅く夕の陽光を映した。
レインは、トンッと軽く、空へと飛んだ。




