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三十九話 その日世界は変わった

何かの偶然か、少女がメイドに心の内を告白した翌日から、彼女の父親は姿を見せなくなった。

と言っても、どこかに失踪したわけでは無く、屋敷の地下にある実験施設に籠るようになっただけのこと。

元々天才魔術学者として地位と富を築き上げた父親なので、少女はそのことを気に止めなかった。


それから月日は過ぎて、半年後の事。

その間も、黒髪の少女は金髪の少女と交流を続けていた。

それぞれの家の間にある(わだかま)りに、双方気付いていない訳では無かったが、個人間の付き合いにそんな問題が影響を及ぼすはずも無かった。

とにかく、彼女たちの間柄はとても順調で穏やかで、少なくとも当時の二人にとっては、至福の一時であったに違いない。

しかし、そんな平穏がいきなりに壊れる事などあるはずがない、そう思っていた矢先の出来事である。


ある晩。

夜中突然の尿意に襲われた黒髪の少女は、用を済ませた帰り、滅多に点いていない父親の書斎の電気がついているのに気付いた。

そして、中からは何やら複数人の男どもの話し声が聞こえてくる。

父親は、数か月間どこにも出ず、地下の研究室から時折手紙を誰かに送るだけだったのに、だ。

少女は気にならない訳がなく、興味本位でドアの隙間から立ち聞きを開始した。


『ガーレさん、本当に実行するんですか?』


落ち着いた男性の声。

聞いたことがある、パーティーや舞踏会で数回会っただけの、確かジュリアン伯爵だ。

アイヴェント家やヴェルハイム家同様、どこかの貴族の長だった気がする。


『ええ、ようやく完成したのです。この機を逃しては、我々の栄光は未来永劫、失われてしまいます』


この声は父親のである。

何かが完成した、そして何かを計画している。

少女は、ドアに耳をピタとつけ、一言一句を逃さぬよう気を付ける。


『いやしかし......。五大貴族のアイヴェント家を取り潰すなど、聞いたことがありませんな。彼らは先の戦で、王から全幅の信頼を得ているというのに』


アイヴェント家と言うのは、金髪の少女の住む家だ。

彼らは、数か月間にも及ぶ戦いの末、魔竜を討伐した。

その功績は目覚ましく、無論これまでにない程の褒美が与えられるというのは、周知の事実だ。


『そこで皆様にお約束を取り付けたのです。いいですか、これはクーデターです。失敗すれば後はありません。どちらにせよ終わる一途をたどるのならば、最後に賭けませんか?』


少女の父親はそう言ってその場にいるらしき数人の男に呼び掛けた。

シン、と沈黙が支配したが、それはすぐに打ち破られる。


『......良いでしょう。やりますか』


そして、その誰か一人の声に反応するように、集まっていた数人は呼応した。

少女は、その声を聞いたが直後、逃げるように立ち去った。

その後語られた、詳しい計画など、聞く余裕は無かった。


──この事を、あの金髪の少女に知らせなければ。

彼女が危ない、何が起きているのか、何が起きるのかは分からないけど、彼女が危ない。

朝になったらすぐさまこの事を伝えに行かなければ、私の、大切な人を守るために──


この一心だった。

ひたすらに、足早に廊下を歩いた。

部屋についても気が気でならなかった。

寝れずに、何度も寝返りを打った。

一秒が一日に、一時間が一年のように感じられ、朝の陽光が窓を射るその一瞬まで、ひたすらに金髪の少女の事を案じた。


朝になった。

少女にとって、一番残酷な朝だった。


ベッドから飛び出すように起きると、メイド数人を呼び、寝巻から正装に着替える。

自室のドアをバタンと開け、金髪の少女に会いに行こうと、廊下に出たその時だった。


『サラ。どこへ行くのです。さあ、こっちへ。我がヴェルハイム家の、輝かしい黎明(れいめい)ですよ』


父親の声だ。

逃げなければ、と反射的に踵を返し、取り繕う。


『お、お父様。おはようございます。すこしお腹の調子が悪くて、あの、後で行きますから......』


しかし、次の瞬間、父親の目に底冷えするような、怜悧な光が灯る。

恐ろしい、あの、虐待の日々の時の目だ。

まさかここに来て目にする事になるとは。


『そうでした、失念していました。昨晩も随分と長くお手洗いに籠もっていましたからね。......さて、お遊びは程々に。私と来てもらいますよ』


後ろに、いつの間にか兵士が数人、立っていた。

前には父親。

後ろは兵士。

少女の抵抗する術は、もぎ取られた。


その日、世界が変わった。

アイヴェント家の、王に対する謀反が明るみに出た。

曰く、そのものは魔竜より精錬されし”呪いの薬”を密造していたと。

それは、一度使用すれば国中が壊滅するほど強力な薬なのだと。

反論の余地なく、ヴェルハイム家を筆頭に、国中の様々な貴族が謀反を密告し、王に、国の側近に訴えた。


すべての証拠が恐ろしいほど揃っていた。

製造方法から、材料の調達記録まで、あらゆる証拠がアイヴェント家から運び出され、彼らをかばう証拠を探すほうが難しかった。

更に、待っていましたと言わんばかりに国中に、名門貴族;アイヴェント家の謀反が報道され、国民世論は即刻彼らを処刑すべきと大きく盛り上がった。

これはすべて、一日のうちに起きた出来事である。

全ては、ヴェルハイム家当主;バーレ・ヴェルハイムの、用意周到な計画なのだと気付くものなど、誰もいなかった。


密告からわずか一週間後、彼らは処刑された。

一家全員ギロチンによる斬首刑だが、アイヴェント家の第一令嬢;アイヴェント=ルナ=レインだけは違った。

彼女は、一家全員の罪を償うべく、彼ら自らが作成した呪いの薬をその身一身に浴びて、そして地下に封印されることになった。

これは正当な処刑方法では無論ないが、高まった国民感情と、さらには見せしめの意味合いも込めて、地下牢獄へ、その魂だけを幽閉することになったのだ。

つまるところ、彼女の人格、すなわち考え思考する彼女の心だけ、地下牢獄に永遠に幽閉されるのである。


『お父様!!!!!!』


黒髪の少女が、その細い華奢な腕をバンッと机に叩きつけ、講義していた。

目には、キラキラと大粒の涙が溢れている。


『なぜ、なぜあのようなことをなさるのです!! 地下牢獄に永遠に幽閉するなど、あんまりです!!!!』


眼前の男は、悠揚迫らざる態度で、答えた。


『守衛。この小娘を屋敷から放り出しなさい』


◇◇◇◇◇◇◇◇


レインは、気づくと、書斎のような場所に立っていた。

突然だった、今まで黒い髪の少女と、金髪の少女の一部始終を見ていたはずなのに。

床は漆が重々しく輝いていて、そして、目の前には大きな書斎机が。

見たことがある、これは、黒い髪の少女の父親の、ガーレ・ヴェルハイムの書斎だ。

そして、これは過去を見ているのではなく、現実だということも、わかった。


「お戻りになられたのですね。レイン様」


後ろから、ミルの、あの落ち着いた声が。

しかし、今のレインには、それ以上の意味を孕んでいた。


「......ミル。あなた......」


後ろをゆっくりと振り返れば、そこには何ら変わらぬ、あの大人の女性が。

ミル・シャーロッテ。

第二等級魔祖であると同時に、恋慕の魔王;ヴェルハイム・サラを幼少の頃より支え続けたメイドでもある。


「その顔は、見てこられたのですね、私とサラ様の歩いてこられた軌跡を」


ミルは、ゆっくりとソファに座りながら、言った。

レインは、静かに、答える。


「いいえ。私が見たのは、サラが彼女の父親の部屋で激昂する場面までよ。その先は......見てないわ」


するとミルは、若干驚いたような顔をしたが、しかしすぐに何かを察したらしくレインを見つめる。

そして、ふわりと微笑んで、言った。


「......なるほど、そういうことですか。実は私は、サラ様から一通の手紙を預かっております。ここに」


そういうと、ミルはゆっくりと、一つの便箋を懐を出し、レインに差し出した。

彼女は断るはずもなく、それを受け取ると、封を丁寧に切る。

中には、三枚の手紙が入っていた。


レインは、ゆっくりと、それを読みはじめた。

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