三話 とある街の喫茶店でのお話
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チリーン、とドアベルがなった。
マスターがいらっしゃい、と優しく深い声を来客に向ける。
が、目線も手元も磨いている皿から離さないままだ。
ジェネアは、この喫茶店が気に入っている。
冒険者らしくないといえばそうだが──世間の喧騒からは離れた、このゆったりと落ち着いた空間は、この街ではここしかない。
周りは、まだ酒の飲める年齢じゃねぇしなぁ、とか、まだ体も心も小さいからだよ、とか言う。
11の体が小さい事は否定しないが、心は立派な大人である。
少なくとも、そのつもりである。
そう憤慨しながら若干甘めの紅茶を飲んだ。
そして今日も、そんないつもの日のはずだった。
突然、ほぼ常連客しか来ないこの喫茶店に、銀髪の少女が、一人で入ってきた。
自分より数歳年上だろうと取れる少女だ。
透き通るような白い肌に、白のみすぼらしい布を羽織っていて、一瞥すればスラム出身の貧困層の少女である。
しかし、顔は凛と整っていて、ガリガリに痩せている訳では無い。
むしろ、痩せ型だが、年頃の少女としては健康的な肉付きだ。
なんとも不思議な佇まいだった。
スタスタと迷いなくカウンターへと歩いていき、自分の2つ向こうの席に座った。
品のある流麗な動作。
どこかの国から亡命してきた貴族だろうか、そう考えたりもした。
「おや、この時間に一人で出歩くとは。どうかしましたか? 外は危ないですよ?」
マスターの、"外が危ない"と言う心配は、尤もだ。
こんな夜遅くともなれば、魔物が徘徊し危険と言うだけではない。
冒険者が集うこの街は、周辺の街と比べて治安があまり良くない。
彼らの中には、女子供や老人に暴行を加え金品を奪う輩もいる。
こんな少女など、目をつけられたら最後、暴行の後、奴隷となって売り飛ばされるだろう。
けれど、少女はそんなマスターの心配などお構いなしに答えた。
「支払いは、これで出来るかしら?」
言いつつ、どこからか小袋を取り出し、その中からジャラジャラと小銭を探って一枚を見せえう。
不思議な事を聞くものだと、ジェネアは失礼にも、じっと少女を見つめる。
この国の金について知らないという事は、やはりこの国の者では無いな、そう確信した。
そして、そんな少女の質問に、マスターは一瞬驚いた顔をしつつも、すぐに笑顔で答えた。
「ええ、そうですよ。その通貨があれば、この国では支払いが出来ます。"シリン"と言うのでね、覚えておいてください」
そして、洗っていた皿を棚に戻し、少女に問いかける。
「何か食べますか?」
少女は袋に10シリン硬貨をしまい、一瞬考えるような表情をしてから、
「このお店の一番のおすすめをお願い」
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レインは、自分の取り出した硬貨がちゃんとした通貨であった事に安堵した。
あそこで取り出した小銭がもし何か別のもの──例えば、勲章などであったりしたら、かなり面倒くさい自体に発展したところだった。
なぜこの国の硬貨を持っているかというと、実を言えば、地下牢獄から脱出する際に、そこら中に転がっていた死体から持ち物を適当に物色していたのだった。
その中で、多くの死体が携帯している同じような形と紋様の金属の円盤を多数見つけた。
もしかしたらこれは外の世界で使われている通貨なのでは、そう考えたレインは、手当たり次第に同じ紋様の金属の円盤を集めていった。
結果、サイズや素材は違う、凡そ10種類程の硬貨が適当に拾った袋いっぱいに集まった。
もしこれがお金なら食事の一回は出来るだろう、そこで何か職を探せばいい。
こう考えたレインは、ブラックワイバーンに教えてもらった方角に進み、街を見つけたのだった。
そして、人目を避けるため一番喧騒の無い、なるべく寂れた飲食店を探した結果、ここに行き着いた。
ドアをくぐって見れば、何とも年季を感じる落ち着いた店。
丁寧な店員に、落ち着いた客が数組──一人何故かチラチラとこちらを見てくる少年はいるが──なかなか当たりを引いたな、と満足する。
あとは、料理が美味しければ完璧だ。
さて、どうやって職を探そうか、とあれこれ計画を練っている内に、目の前にコト、と一皿が置かれた。
底のある皿に盛られ、トロリとしたクリームの表面を焦げるまで焼き、その下におそらく具があるのだろう、何やら不思議な料理である。
「これが家の看板商品、ミートソースドリアです」
そう言って置いてきた店員にありがとう、と適当に返事をしつつ、横に置かれたスプーンを持ち上げる。
口にそれを運べば、なかなかに美味しい。
何年ぶりかも分からぬ食事に、目頭が熱くなりかけたが、料理を頬張ったごときで泣いていては怪しまれるだろう。
胸の奥底に気持ちは閉まっておいた。
その後、少し。
レインが3口目くらいを頬張ろうとしたところで、店員がおもむろに尋ねてきた。
「どこから来られたのですか?」
さりげない一言であったが、今のレインにとっては中々に困る質問だった。
出身地を尋ねるのは、お近づきになる為の手段としては最も有効だ。
知っている土地であればその土地ならではの会話が弾むし、知らない土地であってもその土地の風景を尋ねるなどして一応の会話は弾む。
勿論、店員はお近づきになりたい訳では無く、突然現れたこの国の通貨も知らない用な珍妙な客と会話をしてみたいだけなのだ、と言うことはレインも重々承知している。
けれど今、出身をルナ地下牢獄だ、などと答えられる訳がない。
若干の思考の後、答えた。
「記憶を無くしてしまって。気づいたら森の中に立っていたの、だから出身は分からない」
すると、店員は驚いた顔で手の動きをピタッと止め、そして何故か2つ程横に座っていた少年をチラッと見た。
「なんと......我が店には記憶を失った人が来がちなのですね」
どういう事なのだろう、店員を凝視する。
「いやはや、失礼。実を言うと、こちらのジェネア君も当初記憶を失っておられて......」
そう言って、少年を見る。
合縁奇縁とはまさにこの事か。
記憶を失ったと言うのは偽りであるが、まさか本当に記憶を失った人がこんな場所にいるとは。
驚嘆を禁じ得ない。
そう言って紹介された少年も、店員とレインとを交互に見た後、ゆっくりと口を開けて話しかけてきた。
「な、なあ。君もそうなのか?」