三十八話 黒い少女の懊悩
レインが見る光景は、重要な場面だけが掻い摘まれて見せられているようだった。
ベッドで横たわる黒髪の少女を移した直後、月と太陽が目まぐるしく行き変わり、月日の経っていく事がわかった。
これは、サラの記憶なのだ。
そう気づくまで時間はかからなかった。
年月は過ぎて、黒髪の少女は十四回目の誕生日を迎えた。
どこかに嫁ぐ年齢になったのだ。
結婚というのは、貴族にとって愛を確かめ合う儀式などではない。
互いの家を安定に導くための、いわば政略である。
そんな背景もあってか、黒髪の少女の父親は、数年前から彼女に対する暴行をやめた。
無論、情からではなく、大切な道具に傷がついていてはその価値が下がるからである。
が、皮肉にも黒髪の少女は一時の安泰を得、金髪の少女と前より親睦を深めていたのだった。
そして、そんなある日、事件は起こる。
いつものように家族で夕食を食べていた時の事だった。
『何?! アイヴェントの野郎が戦争で第一級戦果をあげた!?』
黒髪の少女の父親が、突然執事の耳打ちに過剰に反応したのだ。
『不味い、不味いぞ。それでは我が家の影響力が......。ええい、クソ!! 待て、食事は終わりだ!!』
そう言うと、勢いよく席を立ち上がり、ドタドタと立ち去る。
後に残された他の家族は、そんな後ろ姿をただ呆然と眺めるのみだった。
その日の晩。
黒髪の少女は、ベッドに寝転んで、付添のメイドと話をしていた。
『ねえ、ミル。お父様、何があったのか分かる?』
メイドは、ランプの残りの油を確認して、立ち去ろうとしていた所だった。
その物言いから、少し真剣味を感じたのか、近くにあった椅子を彼女のベッドのん側に引き寄せて、座った。
『アイヴェント家の旦那様が、魔竜の討伐に成功したと聞いております。数ヶ月前から戦っていたのですが、かの方が考案した戦術が効いたようです』
メイドは、その仕事柄家に関する情報を数多く入手する。
本当は喋ってはならないのだが、少女との付き合いももはや十年以上、多少の寛容は有っても良いと判断したのだ。
『私、どこかにお嫁さんに行くのかな......』
『全ては旦那様のお決めになることでございます故、私は存じ上げません。サラ様はご不安なのですか?』
メイドは、少女の一瞬曇った顔を見逃さなかった。
家の主がそういえばそう、例えどんな辺境にでも行かねばならない。
『ねえ、ミル。......言いにくいんだけどさ、相談に乗ってくれない?』
メイドは、一瞬驚いた顔をしたが、断るはずもなく静かに了承する。
少女はそんなメイドに、少し安心した顔を見せてから、ゆっくりと喋り始めた。
『あのさ、女の子が女の子を好きになるって、変かな......』
少し紅潮した顔を布団にうずめて、薄明かりの中聞く。
メイドは、少し考えてから答えた。
『それは、アイヴェント家の第一令嬢、レインさm......』
『わわわ、やめて、違くないけど深追いはしないで、恥ずかしいし知られたら......』
少女はメイドの応答を途中で遮って、耳まで紅くなった顔を布団の下に完全に隠した。
『これは、大変失礼しました。......それで、そうですね、私の個人的な意見を申し上げますと、恋愛の対象に性別や年齢の隔たりは無いと考えます』
そんな答えに安心したのか、完全に隠れていた顔を目まで出して、少女は言う。
『私ね、いつの間にかレインちゃんの事が......うん、そうね、この際何も隠さずに言っちゃえば、好きになっちゃったの。
お父様に怒られても、レインちゃんといるとそんな事どうでもよく感じちゃうし、上手く表せないけど、レインちゃんがすごく輝いて見えるんだ。
一緒にいるだけで楽しいし、何なら見えただけでその日が明るくなるし......。
それで、色んな本を読んで貴族の令嬢の作法を勉強する内に、これは恋だって事に気づいて。
けどね同時に、女の子は男の子を、男の子は女の子を好きになる物だって言うのも知って......。
きっと、許してくれないよね、お父様は。
いつかレインちゃんはどこかのお嫁さんになって、私も誰かの好きでもない男の人のお嫁さんになって。
そ、そしたらもう、会えなくなっちゃうんだよね、もう一緒にお空を見上げる事も、出来なくなっちゃうんだよね。
私、私、それがどうしようも無く怖いの......』
言っている内に、少女は涙声になった。
目から涙が溢れ、しかしそれを拭かずに夜の天井を見上げている。
ポタリ、ポタリと枕に温かい涙がこぼれた。
メイドは何も言い返さなかった。
その代わりか、溢れる涙をそっと指で拭い、少女の頭を撫でる。
『サラ様。今までお一人で堪えてこられたのですね。辛かったでしょう。もう大丈夫ですよ、私はサラ様の味方で、いつまでもおります。お辛いときは、泣いても良いのですからね』
温かい言葉が夜の暗闇に滲み行った。
そして、そんなメイドの言葉を聞いた少女は、堰を切ったかのように、メイドの膝に埋もれて、大声で泣いた。
少女が生まれて初めて見せた、泣き顔であった。
その後も、無情に月日は流れた。
少女の父親はいつの日からか書斎にこもるようになり、ずっと手紙やらを誰かしらに向けて書いているようだった。
そんなある日のことだった。
事件は、起きた。




