三十七話 黒髪と金髪の少女二人
重度の胸糞・鬱展開、またはリョナが苦手な方は読み進めない事をおすすめします。
扉を通ると、そこは短い草が群生する草原だった。
青い空の下には、筋雲が天を引っ掻いたみたいに数本、斜めに流れていた。
遠くの方には、もくもくとした黒い雲が。
そこはレインにとって見覚えのある土地だった。
「ここって......」
サァ、と温かい春の風がレインの銀髪を流す。
ここが現実で無いことは理解できていた。
外は、森のはずなのだから。
「ねぇ、ミ...ル......?」
後ろを振り返ったが、そこに入ってきたはずの扉は無かった。
自分は、あの草原の真ん中に、一人残されていた。
『ねー、待ってよ〜!』
丘の下の方から女の子の声が聞こえる。
振り返った途端、自分の横を黒い長髪の女子が駆け抜けていった。
すぐ後を、今度は金髪の女子が通り過ぎていった。
先程の声の主は、金髪の方だった。
『日頃から運動すること! それで、今日はどうしました、レインお嬢様?』
黒髪の少女は答えた。
からかう口調だ。
『あのね、お父様がさ? 食べる食器の順番、一回間違えただけなのに、罰としてお昼ごはん抜きにしたんだよ......酷くない?!』
ようやくてっぺんに追いついた金髪の少女は、切れかけた息を整えつつ言う。
これは、一体......。
狐につままれた顔をしているレインを置き去りにして、二人の少女の会話は進んでいった。
『でもレインちゃんの事だし、三回目くらいじゃないの?』
『全然。今まで一回も! 初めてなのに!』
『あらー......じゃあ今回はレインちゃんに軍配かな』
『でしょでしょ?! やっぱり酷いよね!』
金髪の少女はゴロンと寝転がった。
彼女らは自分のことを認識できていないらしい。
レインが見ているのを歯牙にもかけず、二人の少女は会話を続けた。
『レインちゃんのお父様、厳しいもんね......。今はいいの? お屋敷にいなくて』
『抜け出してきちゃった! お昼ごはん無いのに勉強なんか出来ないよ』
黒髪の少女も、幼きレインの横に寝転がった。
一体これは記憶なのだろうか、それとも現実なのだろうか。
忘れていた、思い出せなかったあの人が、すぐそこにいる。
次はどんな会話をしたっけ。
思い出そうとしたが、それは叶わなかった。
『フフフ。それもそだね......あ、ちょっと待って! 私自分のお屋敷から食べれる物取ってくる!』
『取ってくるって......え、駄目だよ! そんな事したらサラちゃんが怒られちゃうよ!』
『大丈夫! 私のお父様とお母様、優しいから! ちょっと待っててね!』
そう言うと、黒髪の少女は草原を駆けてどこかへ消えていった。
レインと、金髪の少女は草原に一人、残された。
すると、途端だった。
太陽の位置が、ズレた。
対して傾いたわけでは無いが、時間が経ったのが分かる。
時が数瞬の内に過ぎたようだった。
『ヤッホー! 持ってきたよ! 一緒に食べよ!』
丘の下の方から黒髪の少女が走ってくる。
手には、バケットが、その中には牛乳と果物、あとは適当な主食が少々入っていた。
『わー、こんなに沢山! 良いの?』
『うん、ただし! お勉強頑張ること!』
『うひぃー、サラちゃんまでお母様みたいな事、言わないでよ......』
黒髪の少女は、ハハ、と柔らかく笑ってから、手頃な果物を手に取った。
赤く熟れて、美味しそうな果実だった。
二人の少女はその後、雑談をしながら思い思いに食べた。
春の順風が、彼女らの髪の毛を柔らかく浮かばせる。
木の木陰の下で、とても平和な一時だった。
しばらくして彼女らは、それを食べ終わった。
『ありがとね、サラちゃん! お勉強頑張ってくる!』
『うん、頑張って! またね!』
黒髪の少女と金髪の少女は、それぞれ真逆の方向に駆けていった。
レインは、何故か必然的に黒髪の少女に着いていった。
しばらく行った先に、彼女の家は見えた。
それは大きな門に閉ざされた、いわば豪邸だった。
黒髪の少女は、門をよじ登って入った。
レインは、見えていないならとよじ登ろうとしたが、門に触れようとした途端、門は幻像のように彼女の手をすり抜けた。
そのまま腕が、肩がすり抜け、とうとう何にも干渉することなく門の内に入れた。
困惑したが、そんな暇は無いと黒髪の少女を追う。
黒髪の少女は酷く緊張しているようだった。
恐る恐る玄関の取っ手に手をかけ、キィィという音にさえ怯えるように、扉の内へと忍び込む。
カタン、と大して大きな音を立てることもなく、扉は閉ざされた。
中には、木を基調とした、暗く落ち着いた空間が広がっていて、天井にはシャンデリアが揺れていた。
そんな空間を仰いだ少女は、ホッと安堵したように胸を撫で降ろす。
が、そんな気持ちも束の間。
少女の真後ろから、男の声が飛んできた。
振り向けば、ひげを生やし、髪に若干白髪の混じった男が、少女を見下している。
『サラ。どこへ行っていた?』
深い、中年の声。
聞き覚えのある声だった。
ガレイ王国の国王、バーレ・ガレイと殆ど同じ声だった。
『い、いえ。お父様。私はどこにも行っておりませ......』
そこまで言った時だった。
──バチィン!!!!
乾いた音が屋敷のエントランスに反響する。
『サラ。嘘をつきましたね?』
──ドゴッ。
今度は、肉を深く殴打するような、鈍い音。
黒髪の少女は、腹を抑えてその場に倒れ込んだ。
『悪い子です!』
──バゴッ。
『嘘はいけないとあれほど教えたのに!!』
──グキッ。
『何故嘘を言う!!』
少女は、床にうずくまっていた。
何も言わず、震えて床に臥せていた。
『ハァ、ハァ......。次嘘を言ったら、もっと酷い目に合わせますよ。ミル、手当をしておきなさい』
男は、満足したかのように、少女への暴行を止めると、いつの間にか後ろに居た齢二十程のメイドに告げた。
『か、かしこまりました、旦那様。今すぐに』
言うと、メイドは少女を抱えて直ぐにどこかへと駆けていった。
しばらく後。
メイドの後をついていくと、少女は自室らしきベッドに寝かされた。
『サラ様。レイン様と親しいのはよく理解できますが、これ以上はおやめくださいまし。サラ様の体が壊れてしまいます』
少女の、フリルのついた可愛らしい服を捲りあげると、紫色の痣が何個もその華奢な上半身に姿を表す。
一朝一夕の傷ではない、かなり古いものまであった。
メイドがかなり優しく触ったのにも関わらず、触れられた瞬間、少女は体をビクッとのけぞらして反応した。
「一昨日の傷だって治ってはいないのです。明日は一日中療養としましょう」
メイドは、何やらの薬を丁寧に痣の部分に塗ると、少女を寝かせて立ち上がる。
腕や足、顔などの、ひと目につく肌には、傷は一切なかった。
『ねぇ、ミル。なぜお父様はレインちゃんに会うのをあんなに怒るの?』
ベッドに寝かされた少女が、上半身を起こして立ちゆくメイドに問う。
しかし、肩に力を込めた途端、顔を苦痛に歪めて、崩れた。
『ああ、サラ様。私としたことが、ごめんなさい。傷を見落としていました......』
メイドが服を丁寧に脱がす。
露出した小さくやわい肩は、白く、今にも壊れそうだった。
内出血で、関節が腫れていた。
『レイン様のお家、アイヴェント家と、私達のお家、ヴェルハイム家は代々仲がよろしくないのです。もうしばらくの辛抱ですからね、すぐに仲良くなりますよ』
メイドの言葉に関わらず、少女の顔は暗いままだった。
『次に会えるのはいつかな......』
ボソリと呟いた声は、皮肉的にきれいで整った部屋に吸い込まれて、消えていった。




