三十六話 魔力と罪
「お別れは済んだのですか?」
ミルが、問うてきた。
サラを簡単な土葬で埋葬した後だった。
墓を立てて、葬式とかも執り行いたいのが本音だが、今はそんな余裕は無い。
墓を用意している間に遺体が腐敗してしまうのは、何としてでも避けなければいけない。
そんな複雑な一心で、一番目立つ丘の上の木の下に、丁寧に埋葬したのだった。
そんな様子をミルは、吸血族の祖であるという彼女だが、今は違和感なく、不思議なほどその気迫を内に堪えて見守ってくれていた。
「......ええ。いつまでも立ち止まっている訳には行かない」
時はあけぼの。
西の空がだんだんと明るくなっている。
恨めしい程に紅い朝焼けが、二人を照らした。
「それで......サラについて、教えてくれるのよね?」
ミルに振り向き問う。
日光を防ぐべく傘をさした彼女が、ゆっくりと答えた。
「勿論です。私は、あの方を、母君のお腹の中にいらっしゃる頃から存じております。さあ、レイン様。想いを、受け継ぐ覚悟はよろしいいですね?」
母君のお腹の中に──すなわち、彼女の記憶を失う前が、わかる。
結局最後の最後まで騙したままだった。
私は記憶を失ってなどいないのに、サラはそこを慕ってくれた。
罪悪感だけが、レインの背にずっしりとのしかかる。
せめて、彼女の遺してくれた真実を受け継ぐことだけが、罪滅ぼしになれば良いのだが。
「愚問よ。行きましょう」
ミルは、それを聞いてフワリと微笑んだ。
「では。......”時の牙城よ、来たれ”」
ミルの大人びた、落ち着いた声が朝の空気に溶けるにつれて、それは姿を表した。
それまで何もなかった所に、浮かび上がるように巨大な城が現れたのだ。
それは、レインの見覚えにある城だった。
その昔囚われる前の国の王城に、全く似ていた。
むしろ、その物だった。
「これは......」
しばらくして、揺らぎ実態を持っていなかった城は姿を完全なものにする。
ほんの数秒の間で、それまで全く何も無かった森の中に巨大な城が出現した。
「さあ、どうぞ。見つかる前に」
近づいていくと、その大きさがよく分かる。
見上げる程の高さのその城は、門に近づくと、上の方は見えなくなった。
城門の作りは至って簡単な物だった。
鉄格子の扉で隔ててあるだけで、力を入れるとすんなりと開いた。
「ねえ、これは何なの?」
足を踏み入れても、特に何かが起きた様子は無い。
エントランスへと続く道は、若干季節外れの花々であしらわれ、実に趣がある。
「後でご説明いたします。今は、中へ」
ミルの声は至って落ち着いていた。
一番不可思議だったのは、現れる前、レインの目にも映らなかったことだ。
魔力を見る事ができる”魔眼”は、常時発動している訳では無いが、それでも意図せず映ったりする事はあるし、そもそもこんな巨大な城を隠すほどの魔術に自分が気付かないはずがない。
訳が分からないが、とりあえず階段を登って、漆で塗られた両開きの木の扉の前に着く。
「......中には何があるの?」
レインは、唐突に問うた。
ミルは、少し遅れてレインの横に立ち、傘をたたむ。
「過去です。真相は、この城の中に」
もったいぶらずに教えて欲しい。
もしかしたら知っているというのは嘘で......
と、ここまで考えたが、やめた。
コイツまで疑っては後がない。
ゆっくりと扉を押し開ける。
扉が開くに連れ、中の部屋が明らかになっていった。
だんだんと見えたそこには、赤い絨毯に、魔術ランプ、そしてソファがあった。
部屋は狭かった。
言葉にするならば、応接間というのが正しいだろう。
「あら。レイン様をお連れすると、こんな部屋になるのですね」
ミルが新たな発見だと言わんばかりに言う。
「一体、どういう構造なの......」
流石にレインは困惑を禁じ得なかった。
玄関の扉を開けて入れば、応接間なんて、一体どんな城の造りだ、と。
普通なら吹き抜けか、そこらへんだろう。
「この城は、必要な部屋だけが現れるのです。
私も、自分の部屋と牢獄、あとは研究室以外に行けた部屋はありません。
どうやら城は、いいえ、サラ様は、あなたを歓迎していらっしゃるようですね」
レインは、色々と問いただしたい心を抑えて、ソファに座った。
ちょうどいい弾力だった。
「それで、何から教えてくれるのかしら?」
ミルも、向かいに座りつつ言う。
「そうですね、混乱を避けるためならば、まずはサラ様のご正体について、でしょうね」
もはや言葉はいるまい。
レインは、続けて頂戴、とだけ短く答えて、眼前の吸血鬼を見た。
「それでは。
まず最初に、混乱されることを承知で申し上げれば、サラ様は、人々が言う所の恋慕の魔王、です。
なぜ記憶と魔力を持たぬのか、なぜ力を失ったのかについては追々ご説明します。
これだけを念頭に、これからの話をお聞きください。
まず、魔力とは何なのだろうと疑問に思ったことはありませんか?
レイン様は、そうですね、今からおよそ1000年前に牢獄に閉じ込められました。
閉じ込められただけなのに、何故今こうして莫大な魔力とともに魔王として君臨しているか、おわかりになれますか?
それは──世間的な言葉を使えば──”罪を犯した”からです。
また、魔力というのは、世界の秩序を保つための力だからです。
分からないと言う顔をされていらっしゃいますね。
当然でございます。
それでは、まず身近な例から説明いたしましょう。
例えば、硬貨を投げたとします。
着地したとき、表が出る回数と、裏が出る回数は、ほぼ半々になるでしょう。
なぜ、とお考えになったことはありますか?
それは、そこに魔力が働くからです。
硬化を投げるというような、我々が意図せずとも何かに操作されているように物事が挙動する場合、そこに魔力が働くのです。
ええ、硬貨が二回、三回、続けて同じ面になることもあります。
それはそこに働く魔力がほんの微量であるから。
言い変えれば、硬貨の見せる面など、世界の運営に大した影響は見せないからです。
硬貨が百回連続で表になったからと言って、それが世界に大した影響力を持つことは極めて稀有だから、と言っても良いでしょう。
けれど、もしそれが。
例えば死なない人間が誕生した、としたら?
時間を操作する魔術が完成した、としたら?
いずれも世界にとっては危機です。
死ぬと言うのは、生物の最も原初的な理であり、生物でなくとも、例え星にも終焉があるというのが近年明らかになりました。
そんな時に、あなたのような死なない人間が誕生した。
これは、世界の理に反する重大な事態です。
その埋め合わせをするために、底知れぬ魔力があなたの元に集まったのです。
サラ様が魔王になったのは、"時を操作する"魔術を完成させたからです。
時間というのは不変であり、人間が干渉して良い存在ではありません。
けれどサラ様はその禁忌を侵してしまった。
なぜあの方がその様なご行為に及んだのかは、これも追々説明致しましょう。
さて、この、"世界の理に干渉する"事こそが、"罪"の正体です。
次は、過去にご案内しましょう。
──と言っても、ここから先は私ではなく、サラ様の遺した軌跡を辿る事になりますが」
そう言うと、ミルはおもむろに立ち上がり、扉へと向かった。
入り口とは違う、どこかへと繋がる扉だ。
「では、レイン様。ここから先はあなた様お一人で行ってらっしゃいませ」
扉が開かれる。
そこに見えたのは、廊下でも新たな部屋でもなく、青い空の覗く草原だった。
レインは、しばらくそれを呆然と眺めていたが、決心したように立ち上がり、そして扉の向こうへと足を踏み出した。




