三十五話 怨霊の先に生ける道
「い、いきなりごめんね。私達も、あなたと同じでどこかで突然記憶を無くしちゃった子供なの。」
「星、きれいだね!」
「記憶、かならず探そうね!」
「レインちゃん、花鳥祭、行かない?」
「海、行ってみたかったんだ!!」
今までの走馬灯が脳裏を駆け巡る。
なぜ、どうして、なんでよりによって......。
しかし、悔いた所で現実が変わるはずもない。
遠くで、兵士の叫ぶ声が聞こえた。
「おい! 今こっちから声が聞こえたぞ!!」
......。
.........。
何故?
私が敵国の兵士を希薄な情で逃がしたからじゃないのか?
どうして?
敵国の兵士が、恩も忘れて仇で返したからでは?
よりによって?
全ては必然じゃないのか?
私の今までの行動が、あの非情な敵国兵士が、必然的に生み出したのではないか?
「いたぞ! 生き残りだ! 殺せ!!!」
ばたんとドアが開いて、兵士が駆けてくる。
ガチャガチャと鎧のぶつかり合う音が耳に障る。
ああ、全ては誰かのせいだ。
許さない、誰も。
兵が、人が、自分が、憎い。
胸がどんどんと呪いに満たされていくのが分かる。
バシュッとレインの心臓が剣に貫かれた。
血が、ボタボタと床に落ちる。
サラの亡骸を、そっとベッドの上に戻した。
「はぁ、はぁ。まだ隠れてやがったか、糞が、俺たちの国を奪いやがって」
兵士が剣を引き抜く。
ブシュッと、血が噴水のように、レインの胸から溢れた。
ああ、このまま死ねたらどんなに良い事か。
サラの待つ天に召されたい。
どんなに楽になるだろうか。
「あなた達は、どうして......」
出血が止まった。
”不老不死”、全ての災厄の元となった忌々しき能力。
尚健在だ。
「あ? まだ生きてやがったか。死ねよ、くそg」
言い終わる前に顔が膨れてはじけ飛んだ。
すぐに顔に続いて胴体、腕、足と跡形も無く爆散した。
「生かしてやった恩も。
人の命の尊さも!
私の日常も!!!!
全てを、全てをないがしろにして踏みにじる、許さない、許さない、絶対に!!!」
目の前が暗くなっていく。
思考が濁る。
「ああ、私が間違っていた。
人なんか信じる私が間違っていた。
憎い、許さない、死んでしまえ、誰もかも!!!」
地が響く。
パラパラと天井から砂が降ってきた。
「そうだ、私は魔王。
人の不幸を願う魔王。
何人たりとも逃がしはしない。
私のサラを、日常を、平穏を奪った罪を償え!!!」
ドンッという大きな地響きと共に、地面が割れた。
「さぁ、み な ご ろ し だ」
ガラガラと、地面が崩落する。
レインはサラの亡骸だけを抱え、浮かんでいた。
「不幸です、人の不幸なのです」。
認めざるを得ない、国王の言っていた言葉を。
今、私はこの世界の全てが憎い。
ガン!という音と共に地面が直立し、そしてぽっかりと開いた闇に吸い込まれていった。
たくさんの人の断末魔が聞こえる、全員男だ。
そうか。
町の住人は壊滅したのか。
ランブル市の中心に向かって、家々が吸い込まれていく。
同時に、米粒みたいな人が奈落へと消えていく。
知った事か、むしろ、死んでしまえ。
誰もかも、もう、誰がどうなろうとどうでも良い。
憎い、ただひたすらに、憎い。
「ああ、素晴らしい力ですね。これこそあなたの本領なのですよ」
突然に聞こえてきた、聞き覚えのある深い声。
バーレ・ガレイ。
この国の国王だ。
レインは、何も答えなかった。
ゆっくりと、国王は続ける。
「サラは、我が愛娘ながら大変に素晴らしい働きをしてくれました。一時は敵対しましたが、今は心から礼を言いたい」
無視はできなかった。
あまりに多くの情報が、一度に詰め込まれすぎた。
「一体......どういうことなの!? 教えなさい、早く!!」
「レイン......いや、アイヴェント・ルナ・レイン。
もっとです、もっと力を解放しなさい。
私の言葉であなたの力は強くなる。
良いですか、一言一句を逃さず聞きなさい」
久方ぶりに呼ばれたのは、レインの本名。
捕らわれる以前に使っていた、しかし解放されてからは一回も使ったことの無い名前だ。
「何故......あなたが」
言い終わるか終わらないかの所だった。
上の方から、三人目の声が聞こえてくる。
「怨霊の魔王!! こっちへ、早く!!」
どこかで聞いたことのある声だった。
大人びた、しかし気迫の籠った女性の声。
「おや、貴方は......ミル・シャーロッテ......!」
国王が、ヌメリと艶に輝く頭を向けて、声の主を見た。
レインも、先を見てみれば、そこに傘を持ったあの時の吸血鬼が、自分より少し高い場所から自分を見下ろしている。
「ソイツの言う事に注意を向けないで! 恋慕の、いいえ、サラ様のこれまでが無駄になってしまう!!」
言葉は、レインの心の底にグサッと突き刺さった。
サラが?
なんでその名前が今ここで......。
腕の中を見れば、安らかな顔で眠るサラの顔がそこにある。
「何なのですか? あなたは。これは私とレインの問題なのです。口出しは御免こうむりたい」
国王がミルに向けて、光線を放つ。
ミルは間一髪のところで致命傷は避けたようだが、腕が一本吹き飛ばされた。
「ごめんなさい、もう行くしかない!」
ミルはそういうと、レインの手を握り、そして引く。
サラの亡骸を落とさないよう気を取られ、後ろで国王が何かを言っていたが、それが何なのかは聞こえなかった。
「逃げて、アイツから、私では逃げ切れない!!」
ミルが気迫の籠った声でいう。
吹き飛ばされた片腕から、血があふれていた。
これでは死ぬのも時間の問題であろう。
「......あなたは、サラについて何を知っている?」
レインは、冷静に問うた。
彼女の心は怜悧に鋭く、目は輝きを失っていた。
「愚問、私はサラ様の全てを知っている。さあ、逃げましょう!!」
サラの全てを......。
果たしてコイツを信じていいのだろうか。
サラの名を利用してまた私は貶められるのでは無いだろうか。
憎い、国王も、人も、何もかも。
けれど──サラだけは、まだ美しく心の奥底に笑顔がよみがえる。
「......私は最後にあなたを信じる。もう、こんなのはたくさんよ......」
言うと、レインはミルの手を掴み、何度目かもわからない飛翔の魔術を使った。
それと同時に、治癒魔法で腕を修復する。
国王は、何故かそれ以上追いかけてこなかった。
しばらくが経った。
二つの人影が森の一角に降り立った。
一人は、手に少女の亡骸を抱えていた。
「ここらへんで大丈夫でしょう。埋葬しますか?」
レインは何も答えなかった。
代わりに、地面に亡骸を置いた。
サラの顔にかかった髪の毛をそっと払い、穏やかに眠る表情をじっと見つめる。
「サ...ラ......」
ブルっと震えた。
「サラ......!!」
レインは、その途端、堰を切ったように泣き崩れた。
激しい慟哭が次から次へととめどなく溢れ、泣いても喉の奥からしゃくりあげるように泣き声が出てくる。
分かってる、泣いても故人が蘇らない事は。
けれど、受け止め切れなかった。
「明々後日かな、あの、レインちゃんと私が出会った日だよ! 一緒にお祝いしたいなーって......」
何故こんなささやかな願いすら叶わない。
「あ、そそれは帰ってきてくれたら言うから! とにかく、頑張ってね!」
何故言葉の一つも伝えられない。
悔しい、悲しい、苦しい。
夜の森は、静かに広がる。
少女の泣き声だけが、無情に、ただひたすらに吸い込まれていった。




